世界には、仏教やヒンドゥー教に限らず、生まれ変わりを信じている宗教や民族が少なくない。むしろ、生まれ変わり信仰を持たない民族のほうが少数派に属するという。しかし、輪廻転生と呼ばれる、人間が動物にも生まれ変わるとする信仰を持っているのは仏教徒やヒンドゥー教徒以外ほとんどなく、動物には生まれ変わらないと考えている民族の方が世界的に見ると圧倒的に多い。また、前世の行ないが来世に影響を及ぼすとする因果応報という考え方を取っている民族も他にはほとんどない。
一方、主として生まれ変わり信仰を持つ民族の間で、前世を記憶していると思われる子どもたちが見られることが、しばらく前から知られている。そのような子どもたちは、本当に前世を記憶しているのであろうか。それとも、何か別の理由からそう見えるだけなのであろうか。もし、本当に前世を記憶しているのだとすれば、昔からの信仰が事実であるということがわかるのみならず、現在の科学知識に計り知れない影響を及ぼすことになる。
今から110年ほど前、イギリスに、人間は死後にも生き残るのかどうか(死後生存問題)を明らかにしようとする科学者たちが現われた。ケンブリッジ大学の研究者を中心とするその人たちは、ロンドンに心霊研究協会(SPR)という団体を創設した。シャルル・リシェをはじめ、数名のノーベル賞受賞者も含め、この団体に属する研究者たちはこうした研究に真剣に取り組んだが、残念ながら現在に至るまで、死後生存問題に関する決定的結論は得られていない。しかし、このような研究者たちは、科学とは科学知識の集大成ではなく、科学的方法を用いながら新しい科学知識を得ることだと考えたからこそ、こうした一見非科学的な現象の研究を行なったのである。
1960年頃、アメリカのヴァージニア大学に、前世の記憶を持つとされる子どもたちをこのような理由から真剣に研究しようとする精神科医が現われた。この大学の精神科に主任教授として着任してまもないイアン・スティーヴンソン博士であった。スティーヴンソンは、江戸時代に平田篤胤が調査し、小泉八雲が翻訳して欧米に紹介した勝五郎の事例をはじめ、当時までに知られていた信憑性のある事例をいくつかの文化圏から四十数例探し出し、徹底的に検討を加えた。その結果、こうした研究を行なう価値が十二分にあると判断してインドに調査に出かけ、短期間のうちに二十数例を発見することができたのである。
アラスカに住むトリンギットのヴィクター・ヴィンセントが、姪に向かって、自分が死んだらおまえの息子として生まれ変わるつもりだ、と語った。そのときヴィクターは、姪に小さな手術痕をふたつ見せ、これと同じ場所にあざがあるから来世ではすぐに見分けがつくはずだ、と言った。ヴィクターは1947年に死亡し、1年半後に姪は男児を出産した。そのコーリス・チョトキン・ジュニアの身体には、ヴィクターが見せてくれた手術痕と全く同じ部位に母斑があった。
コーリスは1歳半になったとき、ヴィクターの部族名を言った。2、3歳のときには、ヴィクターの未亡人をはじめ、ヴィクターが生前知っていた人物を自分から数名見分けている。また、母親の話だと、ヴィクターの存命中に起こったふたつの出来事を言い当てたうえ、吃音があり、宗教心が篤く、左利きというヴィクターの特徴も示していた。さらには、小さい頃から発動機に関心を示し、発動機を操作、修理する技術も持っていた。これは、ヴィクターの生前持っていた技術ではあるが、コーリスの家族には無縁のものであった。
マ・ティン・アウン・ミヨは、一家から見ると変わった行動を示したが、日本兵の行動とは軌を一にしていた。マ・ティン・アウン・ミヨの行動で最も顕著なのは、きわめて男性的な点であった。男児の服を着用し、男児のような髪型にしたいと強く言い張った。その結果、11歳頃学校を中退せざるをえなくなった。また、本人は、姉たちに限らず、ビルマの女の子はしない、戦争ごっこや蹴球などの男児の遊びを好んで行なった。
このような特徴を全て示す事例は稀であるが、先ほど紹介したコーリス・チョトキン・ジュニアの事例がほぼこれに近い。しかし、このようなことを文字通り受け取ってよいとすると、単に霊魂が存在するにとどまらず、生まれ変わろうとする意志を実現することも、未来の家族を自分で選ぶことも、生まれ変わりに関係する夢をその人たちに見せることも、前世の肉体にあった傷あとやあざを来世の肉体に再現することも、前世時代の知識や技能を来世に持ち越すこともできることになる。これは、現代の科学的世界観とは真っ向から対立する。そこで、きわめて厳密な検討が要求される。
しかし、子どもの事例であっても、詐欺的行為を含め、様々な可能性を考える必要がある。まず、通常の説明としては次のようなものがある。
したがって、前世の人物が特定できた事例では、その子どもはなぜか、その人物の記憶や技能や性格特徴などを何らかの方法で知ったことはまずまちがいないことになる。前世の人物が同じ家族や地域の中にいたとすれば、先の4通りのいずれかで説明もできようが、子ども自身はもとより、両親その他の家族も全く存在すら知らない遠方にその人物がいた場合などは、生まれ変わり以外で説明するには、
の2通りを考える以外ない。 遠方にいる人物に関する知識を超感覚的知覚によって得たとしても、“記憶”について説明できる以上のものではないし、それすらも、他の点について超感覚的知覚の能力を発揮している子どもがほとんどいないことから、その可能性はきわめて低いのである。したがって、この仮説も実際上は問題にならない。憑依にしても、前世の記憶を持っているらしき子どもは特に人格や意識の変化を示さずにそうした記憶らしきものを話すことから、人格変化や意識変化を必然的に伴うことの多い憑依とは違うと言える。いずれにせよ、この仮説でも、前世の人物の傷あとやあざがそのまま母斑となっているように見える現象については説明できないのである。したがって、生まれ変わりという可能性が最も当てはまる事例が、少なくとも一部残ることになる。
もうひとつの問題は、誰が見ても完璧な事例はこれまで1例も見つかっていないことである。先ほど紹介した3例はスティーヴンソンの収集した2300例の中でも説得力のある部類に属するが、誰が見てもまちがいなく生まれ変わりの証明になるような完璧な事例にはほど遠い。では、いつの日か完璧な事例が見つかる可能性があるかと言えば、今までの様々な経過から考えて、その可能性はきわめて低いと言わざるをえない。とはいえ、少なくとも一部の事例については、生まれ変わり以外の説明が当てはまりそうにないのはまちがいない。
また、一部の批判者は、現在貧しい家庭の子どもが、裕福だった過去世を空想して、そこに慰めを見い出しているのではないか、前世などということを特に考えずともそれで説明できるのではないか、と指摘する。確かに今なおカースト制の残るインドでは、こうした、いわば降格例と比べると、前世は貧しい家庭環境だったという、いわば昇格例の数は少ないけれども、昇格例が存在するのは事実であるし、その点については、先の批判は当らない。さらに、インドでは、現在貧しい環境に置かれている子どもが、裕福な過去世を送ったと主張し、出された食事を粗末だとして拒否し、昔は召使がやったと言って家の手伝いを拒絶しても、何の得にもならない。一目置かれるどころか、ひもじい思いをし、家族から呆れられるだけだからである。こうした批判は、インドの現状を全く知らない机上の批判者によるものであり、現実的な批判ではない、とスティーヴンソンはいう。また、インドの女性研究者であるサトワント・パスリチャの近著を見ても、そのような批判がインドの実情に即さないものであることがわかるのである。