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幸福否定とは何か 1

 幸福否定のさまざまなパターン

 たとえば母親と一緒に食事に出かけ、好きなものを食べなさいと言われて、一番安い料理を注文する子どもがいる。この場合、どの料理を注文するか決めかねて一番安いものを頼むという意味では、確かに優柔不断な態度がそこに見え隠れしているけれども、このような行動全体を優柔不断という概念だけで説明できるわけではない。単なる優柔不断であれば、一番安い料理ではなく、逆にいつも高い料理や中程度の料理を、あるいは母親や同席者と同じ料理を注文することにあらかじめ決めていたとしてもかまわないからである。

 二十代前半のある女性は、優柔不断な態度を取ることがあるかどうか尋ねられた時、本当はそうだが、一見そのようには見えないだろうと言って、次のような話をしてくれた。たとえばAと、その逆のBというふたつの選択肢がある場合、本当はAを選びたいのに、実際にはそれを選ぶことができず、即座にBの方を選んでしまうというのである。この女性によれば、周囲の人たちは、本人がすぐに決めるので決断力があると見るが、本質的には優柔不断なのだという。このような観点から考えると、優柔不断とは実は、本人の意見や意志がはっきりしない状態ではなく、選びたい方を選ぶことができないことに加えて、選びたくない方を積極的に選ぶのも難しいので、結局はどちらとも決められない状態だと言えるであろう。もちろん、その場合、選びたい側を意識で承知している時としていない時とがある。

 また、この女性は、誰かが本人に何かをくれそうになると、それをもらうのがいやで、いつもその場から逃げ出してしまうという話もしてくれた。同様の行動としては、人からほめられそうになるとやはり逃げてしまうというものがある。このように、自分にとっては喜びとなるはずの対象や出来事をあえて避けるような行動を取る者がかなりの数に昇るわけであるが、それはなぜなのであろうか。

自らの治療に抵抗を示す人々

 歯が痛いので早く歯科に電話しようと思いながら、それがなかなかできず、いつのまにか虫歯がかなり進んでいたという話は、私たちの周辺でもよく耳にする。虫歯の治療は早い方がよいことは頭でよくわかっているし、時間もないわけではないのに、なぜか予約を取るのが遅れてしまうのである。「つい、おっくうで忘れてしまう」という弁解をよく聞くが、このようなことは、大事なことなのになぜか忘れやすいし、忘れないまでも二の次になってしまいやすい。また、ようやく予約を取り、通院し始めたとしても、治療がある程度進むと、予約の日時を失念し、すっぽかしてしまうこともあれば、多少なりともよくなったからという理由をつけて、そのまま通院しなくなってしまうこともある。

 さらに不思議な例もある。ある女性は、懇意にしている歯科医院が自宅の隣にあるため、かなりの便宜を図ってもらえるにもかかわらず、予約をほとんどと言ってよいほど忘れてしまう。どうしても予約の日時を覚えていることができないばかりか、診察券に明記してもらっているのに見ることもせず、その結果として、治療が非常に遅れてしまったのである。

 もっと奇妙なのは、歯科助手として歯科医院に勤めていた女性の事例である。その女性は、一緒に仕事をしている歯科医から、「いつでも診てあげるから、必要があったら言いなさい」と言われていたにもかかわらず、しかも歯痛がきわめてひどかったにもかかわらず、勤務中にはいつも忘れてしまい、長い間、診察してもらうことができなかったのであった。

 歯科治療の場合には、痛みを伴うため、それを嫌って治療を先延ばしにするのではないか、という疑問が出るかもしれないが、もちろんそれによってこうした現象を説明することはできない。最近では、治療の際に麻酔を使うことがほとんどであるし、歯痛を軽減するための治療を、治療の際に生ずる軽い痛みのために先延ばしすることは、幼児以外では考えにくいからである。

 むろん抵抗は、歯科以外の治療に対しても起こる。ここでは、私の専門である心理療法を例に取って説明しよう。ただ、心理療法の場合には、いわゆる世間体が悪く、受けていることを人に知られたら困るという問題があるので、他の治療と同列には考えられないかもしれないが、そのことを考慮に入れても、治療に抵抗を示す人たちの多いことが、明確におわかりいただけるであろう。

 誰であれ、心理療法を開始した当初は、私の治療法になじみがないこともあって、とまどうことが多いけれども、治療自体に抵抗を示すことはほとんどない。ところが、心理療法が次第に進展し、症状その他が多少なりとも好転してくると、心理療法に対する抵抗が徐々に出現する。最初は嫌悪感が起こる程度ですむが、次の段階では、それが登校拒否とよく似た形態を取るようになる。つまり、治療に対する意識的な拒絶感が起こるとともに、次の心理療法の前の晩から発熱や頭痛や腹痛などの症状が出現して、当日の朝にはさらにそれが強さを増し、外来治療の場合には実際に病院に近づくにつれ、その症状がますます悪化するのである。その場合、たとえば頭痛があるからといって、鎮痛剤を服用してもまず効果はない。ようやくにして病院に到着し、階段やエレベーターで心理療法室に近づくと、たいていの場合、不思議なことに次第に症状が薄れ、入室した時にはほとんど消えてしまう。

 抵抗がさらに強まると、場合によっては心理療法の予約を忘れてしまう段階が来る。それを何とか防ごうとして本人はさまざまな努力をするが、それが功を奏することは少ない。自分でメモを取っておいても見ることはまずないし、カレンダーなどに転記しておいても、やはりそれを確認することがない。時には、違う日時に来室し、それを指摘されると、そこで初めてメモを見てまちがいに気づかされる。もちろんあらかじめメモを見ていれば、日時をまちがえて来ることはないであろうが、不思議なことに、それまでメモを見ることがほとんどないのである。

 三十代半ばのある女性は、予約の翌日に来室し、やはりまちがいに気づいた時、「信じてもらえないかもしれませんが、私は今まで、こんなふうに約束を破ったことは、他では一度もないんです」と泣きながら訴えた。そして、次の予約を取って帰宅したが、次回にもやはり違う日に来た。今度は、前回の失敗を考慮して、その日のうちに、次回の予約の日時を夫に話しておき、前日や当日になったら教えてもらうことにしていたのだという。ところが、夫に伝える段階で、既に日にちをまちがえていたのであった。

 入院中に心理療法を受けている患者では、この種の抵抗がさらによくわかる。たとえば午前9時に約束しているとして、その時間になっても本人が来ないので調べてみると、その直前に散歩などの目的で外出してしまっていることが判明する。後で確かめてみると、当日の朝8時頃までは約束を覚えていたが、九時が近づくにつれ、いつのまにか忘れて外出してしまったというのである。もちろん、意識の上で心理療法に対する抵抗が出現し、心理療法を回避するために外出する者もないわけではないが、圧倒的多数は、約束を完全に忘れてしまうのである。

 心理療法を開始した当日、いずれ抵抗が出て、予約の日時をすっかり忘れてしまうようになることが多いので、その可能性をいちおう頭に入れておいてほしいと求められた二十代前半の男性は、「えっ、そんな非常識な人がいるんですか」と言ってひどく驚いた。ところが、その2、3ヵ月後、この男性自身が抵抗を起こした時、予約の日時を完全に忘れてしまい、そのまま治療を中断させてしまったのである。その後しばらくして、たまたま外来待合室で本人の姿を見かけたので声をかけたところ、自分の方からは先日の約束違反についていっさい口にしなかった。そこで、私からそのことに触れると、「ああ、あれですか。忘れてました」と、悪びれもせず平然と答えたのであった。一般には、こうした現象は、心理療法に対する拒絶が無意識のうちに出てきた結果と考えられるのであろう。

 このような抵抗は、心理療法の進展に伴って、多かれ少なかれ、どの患者にも出現する。そのため、その抵抗が乗り越えられない限り、心理療法の予約を破棄する形で、そのまま中断してしまうことも少なくない。ところが、中断後しばらく経つと、一部に、治療を再開したいと思うようになる人たちがある。他の治療の場合には、このような形で中断した治療を再開することは、現実にも難しいであろうし、患者側がそのような考えを抱くこともないであろう。ところが、私の心理療法では、こうした患者が決して少なくないのである。いずれにせよ、再開を考える患者が予約の電話を入れようと思うと、なぜかすぐに気持ちが逸れるということを繰り返し、電話ができないまま、いたずらに2、3年が経過することすらある。中断後二年ほどして電話してきたある男性は、この点について、「電話しようと毎日考えていたんですが、実際に電話するところまで続けて考えられたのは、今日が初めてなんです」と語っている。

 患者が子どもの場合、たいていは母親も心理療法に同席する。場合によっては、母親も一緒に心理療法を受けることになる。重度の心身障害を持つ小学校高学年の女児は、言葉を発するものの、それをコミュニケーションの手段として使うことがなく、母親はその改善を求めて娘を心理療法につれて来たのであった。もちろん、私の質問に対しても本人は的外れな応答をしていたが、心理療法を開始してから3ヵ月ほどした時、私の問いかけに対して、初めて的確な返答をした。それを見てびっくりした母親は、「こんなことは今までありませんでした」と認めたが、心理療法はそれが最後になってしまった。次回の約束を、直前になって母親が、別の理由をつけてキャンセルしてきたからである。

 小児自閉症を持つ男子中学生の場合も同じであった。最近は一般にもよく知られるようになったが、小児自閉症とは、生後半年から3歳くらいまでの間に(おそらく、一度だけ)発病し、主として人とのコミュニケーションに重度の障害を示す疾患であり、これまでのところ効果的な治療法は知られていない。この中学生は、私の心理療法の中で、後述する反応≠、他の患者たちと同じく示すようになった。そして、最終的には、自閉症児にしばしば見られる、一種独特の奇異な発声や軽佻とも思える態度が消え、いつもではないにせよ、比較的ふつうの声で、しかもまじめな表情で応対できるようになった。ところが、この場合も母親が、その後まもなく治療を中断させてしまったのである。

 このような結末になる比率はかなり高いため、どの患者に対しても、最初にその可能性を強調してから心理療法に入るが、それでも、症状が多少なりとも好転すると、やはり同様の経過を辿ることが多い。ところが、その段階になった時、今が、最初に説明しておいた状態であることを指摘しても、その時点ではほとんどわからないのである。

症状の好転を喜ばない

 心因性の――つまり、心理的な原因によって起こる――病気が好転した時に、患者はそれを素直に喜ぶものであろうか。この点について質問しても、患者が自らの感情を率直に話してくれる条件でなければ、通り一遍の返答しか得られない。つまり、ふつうの治療者・患者関係では、患者の回答自体にそもそも信頼性が乏しいのである。幸い、私の心理療法の中では、心理療法自体に対する批判を含め、患者たちからかなり率直な意見が返ってくる。そのおかげで、症状の好転に対して患者の示す反応が、比較的把握しやすいように思われる。

 皮膚疾患は、外部から好転や悪化がすぐにわかるという点で、他の多くの疾患と異なっている。そのため、特に内科系の病気を持つ患者と比べると、人からそのことを指摘される機会が多い。そのおかげで、病気がよくなったことに対する本人の反応が、他の病気の場合よりもつかみやすいのである。そこで、アトピー性皮膚炎という心身症的色彩の濃い皮膚病を持つ患者に質問してみたところ、事実上ほぼ全員が、好転を指摘されてもほとんど喜んでいないことがわかった。「実際にはよくなっていないのだから、慰めてくれただけなのではないか」、「よくなっているわけではないので、からかっているに違いない」、「こんなに苦労しているのも知らないで、よくなったなどとあっさり言わないでほしい」、「少しよくなったとしても、またすぐに悪くなるのでうれしくない」、「今さらよくなったとしても、うれしいわけないでしょう」、「よくなったなどと言われると、相手を張り倒したくなる」などというのが、その典型的な回答であった。このことは、アトピー性皮膚炎の患者に、「よくなってよかったですね」などと声をかけた経験のある人たちの証言とも符合することが多い。その人たちは、喜ぶと思って声をかけた相手の意外そうな、あるいは不愉快そうな反応に驚いているのである。

 こうした反応は、もちろんアトピー性皮膚炎の患者には限らない。次男と同居している六十代の女性は、対人恐怖症があるため外出できないと訴え、私の勤務先に入院してきた。その他に、わずかな手指の震えも観察された。外出できない状態は、入院中にもしばらく続いていたが、心理療法が功を奏したのかどうかはともかく、ある時点から外出できるようになった。ところが、入院当初には、「外出さえできれば、こんなにうれしいことはありません。それだけで満足です」と話していたこの女性は、外出できるようになってうれしいかという質問に対して、「外出できるだけでうれしいわけないでしょう。手の震えが取れなくちゃ、だめに決まってるじゃないですか」と答えたのである。

 先ほどとは別の、潰瘍性大腸炎を持つ二十代後半の女性は、その病気で入院中に危険な状態に陥り、手術せざるをえなくなった。そして、直腸の上10センチほどを残して、大腸を摘出した。本人がその病院に入院していた7ヵ月間は、母親は一度も帰宅することなく泊まり込みで看病を続けていた。手術後も一進一退の状態が続き、半年ほどしてからようやく退院できるまでに回復したが、大腸の残された部分には依然として炎症があり、排便も多い時で、夜間の2、3回を含めて1日20数回ほどあったうえに、体調も全般的にすぐれず、仕事もできない状態が2年ほど続いていた。ところが、本人は、そのような状態をさほど苦には感じていなかった。この点は、心因性疾患の本質を知るうえで重要なヒントになる。

 心理療法を始めてから10ヵ月ほど経つと、排便の回数が減ったばかりか、体調も全般的にかなり改善されてきた。そして、ある資格を取得するために勉強を続け、実際にその資格を取得することもできた。ボランティア活動を活発に行ない、それでいてほとんど疲れないという状態にまで回復してきたこの頃に、主治医から、「もう炎症はありません。これなら一年に一回程度の検査でいいでしょう」と明言された。それに対して、本人は、「ああ、そうですか」という感想しか持たなかったし、その話を本人から聞かされた母親も、「ああ、そう」としか言わず、ふたりとも、この件については、それ以上話そうとしなかったのである。虫垂炎程度の病気で入院して手術した場合でも、退院すれば全快祝いの赤飯を炊いたりするではないか、と私に指摘された時、この女性は、「そうですね。うれしいはずなのに、別にうれしくありません。変ですね」と笑いながら答えたのであった。

 心因性疾患の場合、症状の好転を素直に喜んだという患者を私はほとんど知らないが、このような事例が圧倒的多数を占めるとすれば、これを疾病利得という概念で説明するのは難しい。つまり、何らかの理由で好転そのものを喜ばないようになっているとしか考えられないのである。

自分を喜ばせることの回避

 これまで述べてきたことからも推定されるであろうが、自分を喜ばせることに抵抗を示す人たちは、かなりの数に昇る。とはいえ、通常は、自分の最も強い喜びを否定するだけで、それ以上のことはしない。つまり、本人の意識では、いわば2番目以降のうれしさは否定されないので、それぞれのうれしさがひとつずつ繰り上がり、本来は2番目に位置づけられるはずのうれしさが、本人にとって一番のうれしさのようになっているのである。そのため、喜怒哀楽は、外から見る限り、比較的ふつうに示すことが多い。おいしいものを食べたり、旅行に出かけたりすれば素直に喜ぶし、生活に潤いを持たせてくれる趣味もいくつかは持っているものである。また、このような人たちの場合、楽しさを否定することはまずない。

 ところで、楽しいという感情は、何かをすることによって単発的に起こるものであり、持続性のある喜びとは本質的に異なった、喜びよりもはるかにはかない感情である。それほど多くはないけれども、すね者と呼ばれる人たちのように、こうした通常の娯楽による楽しさまで否定する人たちが一部にある。このような自滅志向を持つ人たちは、何を食べようが、どこへ旅行に出かけようが喜ぶことがない。外から見て喜んでいるように見えたとしても、「こういう時にはこうするものだ」という知識に基づいて演技しているにすぎないのである。この種の人々は、趣味を持つことがほとんどない。趣味のない人たちに趣味を持たせるのがきわめて難しいのは、まじめすぎるからでも堅物だからでもなく、そもそも自分を楽しませることを避けているからなのであろう。

 それと同質の現象に、自分のためになることを、人にしてもらうことも自分ですることも難しいという、癌患者に比較的見られやすいパターンがある。このような人たちは、人の面倒見がよく、不平不満を漏らすこともあまりないため、人から頼りにされることが多い。人のためなら、相当のことまで主張して譲らず、思い切った行動も起こすのに、自分のこととなると、ほとんど何もできなくなってしまう。

 私の勤務先に、腰椎の圧迫骨折のためにベッドから起き上がれなくなっていた、三十代半ばの末期癌の女性が入院していた。癌患者のつれあいにはよく見られることであるが、この女性の夫も、小学生のひとり娘を自宅に置いて、勤務先からまっすぐ病院まで面会に来て、消灯の直前に帰るという行動を毎日繰り返していた。それに対して本人は、いつも涙を流して感謝していた。ここが心理的距離の遠い夫婦の特徴なのであるが、あくまで感謝していたのであって、喜んでいたのではない。

 それはともかく、本人がいずれ退院することを考慮に入れ、夫は、病院から離れたところにある自宅を処分し、退院後に本人が通院しやすいようにするため、病院のすぐ近くにあるマンションを買って、そこに引っ越すことを考えた。そしてそのことを、自宅の購入予定者と一週間後に契約を結ぶという段階になって、初めて本人に話したのである。それを聞かされた本人は、その直後から腰痛を悪化させ、食欲が全くなくなった。その後まもなく、そうした症状の心理的原因を探っている中で、私は、本人からその話を聞き出した。この女性は、それまでこのことを完全に忘れていたのであった。この記憶が出てきた瞬間、腰痛が軽くなるとともに、食欲も少し戻ってきた。ところが本人は、そこまで夫に愛されていることがわかってうれしいか、という私の質問に対して、「私は人に愛される人間ではありません。そんなことされるくらいなら、死んだ方がましです」と答えている。

 また、他人には用事を頼めるが、身内には頼めないという人たちもある。たとえば、やはりベッドから起き上がれない状態になっていた、末期癌の五十代の女性は、私が病室に入って行くと、「すみません、水を飲ませてください」とか「ラジオを止めてください」とかと、他の患者ではあまり見られないほど遠慮なく用事を頼んだが、毎日、誰かしら来ている家族に対しては、率直には頼めないらしかった。母親が入院していることを聞きつけた娘の会社の上司が、つき添いのため1ヵ月の休暇を与えたところ、娘はそれに従って泊まり込みで母親を看病した。その1ヵ月が過ぎると、娘は会社に復帰し、それまで通り数日に一度、交代で看病に来るだけとなった。もちろん、その間も癌は進行していた。ある時、私が本人の病室に入って行くと、いつものように呼び止められたが、この時はそれまでの用件とは違っていた。「また娘が泊まり込みでつき添ってくれるように、病院の方から言ってもらえませんか」という依頼だったのである。その娘を含め、家族の誰かが毎日来ていることを知っていた私は、治療的に見ても、本人が家族に直接頼む方がよいのではないかと考えて説得を試みたが、あまりに強く懇願するので折れ、病院側から電話して、家族にその旨を伝えることを約束したのであった。

 一方、家族にかなりの要求ができる人たちもある。しかし、ほとんどの場合、その要求は、病気治療に関係した事柄にほぼ限定される。現代医学による治療を拒絶し、民間療法を中心とした治療を自ら選択した四十代前半のある女性は、癌治療のため、長い間、ふたりの子どもや夫にかなりの犠牲を強いながら、なおかつ、「民間療法は家族の協力がなければできない。私は残念ながら家族の協力を得ることができなかった。手術をせざるを得なくて悔しい」と、夫に向かって不満を唱えたことが、没後に出版された手記に記されている。ところが、治療以外のことについては、夫にもほとんど要求できなかったのである。素直な形ではなかったが、例外的にある要求ができた顛末について、本人は、知人に宛てた手紙の中で次のように述べている。

 ことの始まりは、私の(ライティング)デスクなのです。……狭いわが家に私専用の机を入れることは、スペースの点からいっても、経済的にも少々ムリがあったのですが、私が「このうちには、私のいる場所がない!」とわめいたものですから、夫が私が希望したものよりずっといい机を買ってくれたのです。  ところが、それまで、信じられないほど好調だったのに、机を決めたころから体調がくずれ始め、家に机が届いたころには胃がぱんぱんに張り、痛みさえ出てきたのです。おまけに風邪は引くし、そのくせ食べることはやめられない。家にいる間中、食べ続けているという風です。気持ちもイライラするし、せっかく机が届いたというのに、うれしくない。しまいには「私は縫い物なんかしたくない」(机にはミシンが置けるようになっている)などと思ってしまう。

 これについて笠原先生は、机を買ってくれるという行為に表現される夫の私への愛情を、私自身の中で否定しようとしてつくり出す症状であると指摘しました。しばらく風邪の症状が続いた後、今度はひどくイライラし始め、特に夫に対しては彼に何の非もないのにハラがたつのです。母親にも近づけなくなり(話をするのもイヤ)、子どもにも八ツあたりする始末。外出していれば気分も楽なのですが、家にいるほど、不安定で、しかも食べるというわけです。(蜂谷章子他、1992年、141―142ページ)

 この事例を見ると、逆うらみという感情がいかにして発展するかがある程度わかるであろう。この問題については、次章であらためて検討することにしたい。  ものをねだらない子どもも、このような人たちと同質の問題を抱えていると言える。このような子どもたちは、親にものをねだりたいのをがまんしているというよりは、意識の上にそういう願望が昇ってこない場合が多い。そのため、表面的に見ると、ものわかりのよすぎる、子どもらしいところのない、変におとなびた子どもと映る。そして、このような子どもたちの多くが、後年、問題を起こすことになるのである。

 このようなグループの中に、感情や体感のほとんどない人たちがいる。つまり、うれしさもなければ悲しみもなく、怒りや不満やうらみもないうえに、痛みや疲れなど、自分の体の状態に対する感覚もほとんどないのである。表情がきわめて乏しい二十代前半のある男性は、感情について質問された時、「僕には、感情というものがわかりません。小学校4年生の時に泣いたことが一度ありますが、それが悲しかったためなのかどうかはわからない。怒るとか喜ぶとか悲しいとか悔しいとか、そういう感情がどういうものか経験したことがないんです」と答えている。うれしいとは、悲しいとはこういうものだというふうに、感情そのものを説明する言葉は残念ながら存在しないので、喜びや怒りや悲しさについてこの男性に説明することはできなかった。

 この男性は、痛みや疲れなどの体感もなかったが、体感がないだけの者であれば、それほど稀ではないように思われる。自律神経失調症を持つ二十代前半の女性は、「全体的にボワッとした感じがずっとありましたが、それが頭痛だとはわかりませんでした」と語っている。この女性は、心理療法を通じて体感が出てくるようになった時、初めて頭痛や腹痛がはっきり感じられるようになった。それまでは、空腹感も熱感もほとんどなかったのである。他にも、体感が出現するようになって、初めてそれまでの感覚がおかしかったことに気づいた人たちも少なくない。やはり自律神経失調症を持つ三十代半ばの女性は、疲れも眠気もわからず、極端に言えば動けなくなったり倒れたりすることで、間接的にそれと気づかされるという状態が続いていた。この女性は、痛みの感覚が通常とはかなり異なっていたため、歯科治療にはずいぶん苦労している。本人の治療に慣れていない歯科医には、そのあたりのコツがわからないため不安で受診できないが、にもかかわらず、かかりつけの歯科医が東海地方に転居してしまったため、本人は、わざわざ東京からそこまで通院していたのである。


【『なぜあの人は懲りないのか困らないのか――日常生活の精神病理学』〔春秋社〕第3、4章より】
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