ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のための3つの小品[1914]

Igor StravinskyTrois Pièces pour quatuor à cordes

 音楽の都ウィーン、そのウィーンの音楽史を形作っていった人たち、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス…。そう、彼らはウィーンで活躍し、その地の音楽を形作っていったにしろ、しかしウィーン人ではなかった。

 パリにもやはり、その地で活躍し大きな影響を残した外国人がいた。ストラヴィンスキーもその一人であろう。1909年以来パリではディアギレフのバレー団が一大旋風を巻き起こしていた。ラヴェル、ドビュッシー、サティーなどに作品が委嘱され、このバレー団のために数々の作品がパリで生まれ上演されている。その中でもっともセンセーショナルで、かつスキャンダラスな作品となったのはストラヴィンスキーのバレー音楽であった。「火の鳥」、「ぺトゥルーシュカ」の成功の後に起きた1913年の「春の祭典」の初演時の大騒ぎは、その音楽のあまりに原始的な色彩と凶暴ともいえるリズムに堪えかねた聴衆の怒号の前に危うく途中で演奏不可能になる寸前であった。その後、ストラヴィンスキーは大きく作曲技法を転換していく事となる。

 弦楽四重奏のための三つの小品は、「春の祭典」からまだ日の浅い1914年に書かれている。全部で数分という短いものだが、その後のストラヴィンスキーが向かっていく新古典主義の芽生えとなった作品である。これらの3曲にはただメトロノーム記号によるテンポの指示があるのみだが、その後自身によってオーケストラ編曲されたものにはそれぞれ「ダンス」、「エキセントリック」、「カンティクル」という題名がついており、1曲目はロシアの民族舞踊を極めて単純に様式化しながら、リズムの不規則な繰り返しを交えたもの、2曲目はイギリスの道化役者リトル・ティッチのパントマイムからヒントを得た極端な対比をもつカリカチュア、3曲目はキリスト教の典礼に用いられる詩歌と、その中に挿入される会衆による応答が、とても冷たい響きの中に行われる。

 

第1曲

strav.mp3

 

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