どうして鼻は「かむ」の?
 
だめぞうさんはモノ知りだそうなので、おしえてください。

どうして「鼻をかむ」っていうのですか?

(質問者 きゅぅ)

 
 
難問ですね。だめぞうにはわかりません。仕方がないので、日本語学科で日本語の成立について研究している日系3世のクリフ・ヤマモト君に訊いてみました。
(だめぞう)

 
 
 
ハーイ、きゅぅ。
 

日本語はとても動詞が難しいですね。同じ動作でも目的語によって、使う動詞は決まっています。将棋は「指す」ものだし、囲碁は「打つ」ものです。

また言葉はそもそも時とともに移りかわるものですが、日本語はその傾向が顕著で、例えば、10年前「転がす」といわれていた「書類」に対する「操作」を表す動詞は、最近の研究では「漬け込む」あるいは「とばす」になったききました。

実は、鼻も「かむ」ようになったのは、最近のことで、ショーグン時代*1には、英語と同じ吹く(blow)をつかっていたのですが、約140年前、ペルリ提督が浦賀に現れた時を境に鼻は「かむ」ようになったのです。

当時の日本は、エンペラーを中心とした鎖国をめざすべきだという意見と、開国して外国の文化を取り入れるべきだと意見が対立していた、といわれていますが、それは表向きの見解で正しくはありません。

私が独自に集めた詳しい民俗調査によれば、多くの民衆は、どこからともなく流布した西洋の極楽浄土のような豊かな世界に憧れをもっており、提督が上陸したおりには、若い女性たちを中心に信じがたいほどの多くの人が押し寄せ、なかには提督の顔をみたとたん黄色い嬌声を挙げ卒倒するものもいたというほどです。

そんなスーパースターのまわりには当然のように瓦版屋がついてまわり、ペルリ提督の一挙一動は、その日のうちに江戸に伝えられれ、当時の若者の文化に大きな影響を与えました。

事件が起こったのは、ペルリが大老井伊直弼との会談に臨む前日のこと。折からの鼻風邪のせいか、それとも日本の気候があわなかったせいか、提督はくしゃみをくりかえしていたのです。

その日、提督は瓦版屋倶楽部で日本の印象についてインタビューを受けていたのですが、インタビューの最中にも、何度もくしゃみを繰り返し、そのたびに「Coming, coming」(出そう、出そう)といっては、脇の付き人にクリネックスを催促しておりました。

そんなわけで翌日には、『ペルリ提督かむん、かむん』の見出しとともに提督が鼻をかむ話がありとあらゆる瓦版の一面を埋め、『かむん』はその年の流行語となったのです。

もうわかりましたね。実は、「鼻をかむ」というのは、このときの「かむん」が訛ってできた言葉なのですよ。
 
 
 

(回答者クリフ、訳だめぞう)
訳注)江戸時代のことか。