「ひつじざる」じゃないのはなぜ?
 
十二支がいまだ言えず、「ネーうしとら・ウーたつミー」で止まってしまいます。あとは「ひつじざる」がどこかに入ることは思い出せます。でも、「ひつじざる」は単体ではないようですね。

だめぞうさん、乾くんとか、一人の名前だし、たつみって方角もあるのに、なぜ「ひつじざる」は「ひつじざる」じゃないんでしょう?

(質問者 OKオーケン)

 
 
 
ニーハオ、OKオーケンさん。
 

 大変良い質問です。しかし、これは大変危険な質問でもあります。どうして、OKオーケンさんはこのことに気が付いてしまったのでしょうか。

 ともあれ、質問にお答えします。いろいろ予備知識がいるのでちょっと長くなりますが、我慢して読んでもらえればうれしいです。

 突然ですが、OKオーケンさんは、秦の始皇帝を知っていますか。昔の中国の偉いヒトです。新野新は読み方が似ていますが、やっぱり関係ありません。ちょっとホモっぽい関西のおじさんです。

 話を戻しましょう。

 「ひつじざる」が「ひつじざる」でないのは、この始皇帝が関係してます。

 始皇帝は、その名の通り初めて中国全土を平定した権力者です。度量衡(もののはかり方ですね)を定めたり、全国に道と駅をつくったりした偉いヒトですが、一方で、政策に反対した儒学者(口の達者なおじさんたちです)を生き埋めにしたり、気に入らない本を焼き払ったりしました(焚書といいます)。

 秦の始皇帝が焚書した書物のなかに「干支経」があります。この本は干支について、当時の考え方を詳述した大変良い本だったといわれています。

 この干支経では、支を十二ではなく十六としていており、実は「ひつじざる」はそのなかの一つにちゃんと含まれていたのです。ひつじざるは、龍と同じく想像上の動物で、ぱっと見ると普通のサルですが、”ひつじ”といわれるように瞳が横長で顔が大変こわいので、不吉の象徴とされていました。

 問題は、あるとき始皇帝が寵愛する妾が子どもを産んだのですが、宮廷内に、「子どもの瞳は横長で、不吉の神が舞い降りた証だ」という噂が蔓延したことです。

 噂を耳にした始皇帝は激高し、子どももろとも妾の首をきり、「干支経」を焚書にしたばかりか、「ひつじざる」のことを口にした者を片っ端から生き埋めにしてしまいました。

 以来、ひつじざるは中国の歴史上から姿を消したわけですが、「ひつじ」と「さる」にわかれて、ひっそり生きのこっているのです。また遠い日本のこととはいえ「ひつじざる」にあたる方角が裏鬼門になっているのは偶然ではないと思います。
 

 なお、「ネーうしとら・ウーたつミー」のあとは、「カイししど・シューまつおか」ですよ。
 
 

(回答者ウェイ、訳だめぞう)
*だめぞう注)
よくわからなければ、佐々木倫子「動物のお医者」花とゆめコミックス全12巻をお読みください。