しっかり


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普段は自転車で通勤してるのだけれど、昨日の雪の日につづいて、今日も電車で会社にゆく。たかだか3駅、しかも郊外へ向かう方向なので、さして混んでいないから、寒くなってみると電車通勤も以外に楽なのであった。

このごろ気づいたのだが、会社の方がわずかに標高が高いらしい。朝、会社にゆくときはなんとなくしんどいのである。はじめは気分的なものかと思っていたのだけれど、太股の筋肉の感覚が気分でかわるともおもえないので、そのわずかな差に気がつくほど筋肉が弱ってきているのだろう。

そのようなわけで、このまま電車通勤になってしまいそうである。そして駅から会社までの徒歩10分、途中のサンクスで木村屋のあんぱんを買って食べながらだったりして、なんだかまた一歩大人の階段を登ったような気がします。


 

昨日、古い友人に会って、最近なにをやってるのかと聞かれたのだけれど、答えに窮して、こんな風に答えました。

6時に帰ってウェイトトレーニングで体を苛めてモーニング娘。のでているTV番組をみて豆腐を食べて寝ているだけの毎日だよ。

久々の更新で文章の書き方もわからなくなってきたので、メモ代わりに最近気にいった(いっている)ものを羅列しておこう。

・消泡剤のはいっていない、ちょっといい豆腐
・寝ながら学べる構造主義 内田樹 文芸新書
・味の素 アミノバイタル ウォーターチャージ
・ローソン おにぎり屋 焼きさけハラミ

気に入ってないのは、ハードディスクをフォーマットしたせいで元にもどっちゃった今コレを書くのに使っている日本語入力システム。


 

それは学生時代のことなのだけれど、深夜のうどん屋で梅干しうどんをすすっていると小太りの店主がいった。「おにいさん、梅干しは突きくづして食べてや。」

そのとき私は出されたなりに梅干しを丸のまま汁のなかを泳がせながら、うどんをすすっていたので「あっ、そうなの。」と素直に梅干しをくづしていると「店に入るなりに「梅干しうどん」なんて頼むから、こりゃ、よう知ってはると思ってなにもいわんかったや。」と申し訳なさそうにいう店主がいう。

胃腸が強くないものだから、きつねだの天かすだの油っけのあるものを避けて選んだだけなのに思わぬところで通気取りになっていたようで、おっちゃんにも気をつかわせてしまったらしい。

こんな10年近くも前のことを急に思い出したのは、昼時に明大前でC&Cのカツカレーを掻き込みながら、東海林さだおのエッセイを読んでいると、新宿の「すずや」というトンカツ屋で「とんかつ茶漬け」を出していて、そこでは食べ方を書いた紙がテーブルの上にのっているというのを読んだからだ。

まったく、過去の記憶というのは思わぬところからやってくる。そういえば、それ以来、梅干しうどんは食べてないな。


 

いま住んでいる部屋にはキッチンというものがないものだから、自然と食事は外食頼りになっているのだけれど、時折、近所のスーパーで出来合いのものを買ってくるくらいのことはする。

このスーパー、スズムシに「野菜」という札をつけたり、助六を「鮮魚」と名付けて憚らない大雑把な店なのだけれど、出自が魚屋だったのか、店の規模のわりにサカナの扱いが多くて、値段もなかなか安い。

で、最近はまっているのが、この店の「お刺身の盛り合わせ」なのだ。居酒屋でたのもうものなら四人前といってでてきそうなくらいのをパッケージにして780円とか980円で売られているやつ。如何せん大雑把な店なので切り方やら盛りつけやら気にならないでもないが、味は決して悪くない。これだけで寂しいときは、アジの叩きなんかの一品ものもべつにもうひとパック買う。サクの端に当たったのか形の悪いやつを適当詰め合わせた「味の盛り合わせ」なるものは、これまた安いので、これを2つくらいでもいい。

ともあれ、こういうのを買ってきて皿に盛るわけでもなくそのまま醤油をさっと回して、相撲取りがフグ刺しを喰らうような感じで、2キレ、3キレずつざっざっと割り箸ですくって食べる。ご飯もビールもなくただお刺身だけをわしわし食べる。あえていえばツマは食べるけれど、とにかく生サカナだけでお腹一杯にするわけで、なんだかアザラシにでもなったような気がするのだけれど、これが最近の幸せのひとときだ。

追記)
先日、文春文庫になっている東海林さだおの「丸かじり」シリーズをネット販売でまとめて買ったもので、この食い物エッセイを読みながらわしわし食べている。ひとりとはいえ、いささかお行儀悪いとは思うのだけれど、こうやって食べるお刺身がまた。


 

昨日、おにぎりを買おうとローソンに入ると平井堅が古い時計の歌を歌っていた。おにぎりを選び、レジでお金を払って店のドアを出ると、後ろから聞こえてきたのは、「今はもう動かない〜♪」と平井堅にしては妙に太くて安定感のない歌声だった。

さっと振り返ると、小さなビニル袋を片手に下げてご機嫌に歌うスーツ姿のおじさん。あの歌がラジオやTVで流れていたりする瞬間に唱和している人は一体どのくらいいるのだろうねえ。


 

ターミナル駅のおいしいもの第2弾!って、これは、2回目でおしまいの気がしますが。

本社に呼び出されると行く途中で通る新宿駅のスタンドであわてて昼食をとることがある。
そんなときに、今、一押しなのが、小田急新宿駅西口地下改札わきにある、手作りおむすび専門店「おだむすび」だ。店内で腰掛けて食べることもできるのだけれど、いつも混んでいる人気店である。

ウェブサイトでの評判をみていると、コンビニエンスストアよりも具がいろいろあって楽しいということが書いてあるがこれは大間違い。「おだむすび」の魅力は具のバリエーションなんかではなくて、純粋に「うまい」ことにあるのだ。それも飯と海苔。たしかに具も悪くないけれど、なんといっても基本の飯と海苔、そして塩味のコンビネーションが絶妙なのである。「おにぎりの正しい食べ方」を唱える東海林さだおさんにぶん殴られるかもしれないが、私は可能なら「具なし」を選びたい。
 
さて、絶賛のおだむすびであるが、唯一の欠点が、値段が高いこと。大好きなサケ、タラコが180円、梅も160円。いつも泣く泣く3つしか食べられない。せめてひとつ120円くらいにしてくれればもうひとつ食べられるのに。


 

掃除をしたり、だらだらしたり、ごろごろしたり、もうちょっとだけごろごろしたりしていたら3連休が終わってしまった。

突然話がかわるのだけれど、私は百貨店の地下で食べ物を買ってくるのが好きだ。最近は以前と違って都心にでるのに少々面倒なところに住んでいるので、わざわざそのためだけに出かけたりはしないが、たまたま夕刻近くに新宿だの渋谷だのを通ったときに、食品売り場でちょっと贅沢、といっても合計2000円分くらいという小市民ぶり、な夕食を買ってきたりする。

で、昨日のこと。渋谷を通りかかったので、東急の地下街でお買い物をした。そのうちの一品が枝豆入りの練り物。これがクリーンヒットです。機会のあるかたは是非どうぞ。

もっとも、枝豆入りコロッケも大層気に入ったので、単に私が枝豆好きなせいなのかもしれないけれど。
 



 

 

今日はデスクでぐったりだった。
週末来、体がだるくておかしいとおもっていたのだけれど、今日、お昼ご飯を食べていて原因がわかった。

睡眠導入剤がキれていないのである。そもそもは先週の金曜日に、どうも寝付きが悪くて、久々に一錠飲んだのだけれど、翌日、やたらと体がだるかったので、休養が必要だと思って、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしたものだから、また夜眠れなくて、薬を飲むと体がだるいからだらだらと、、、

というのを、まあ、これを3日ばかり繰り返していたのでありました。今晩は我慢して飲まないで寝ることにしようと思う。でも、こんなに我慢してるのに誰もほめてくれない。大人になるのは、つらいことだなあ。


 

 

海辺の街フィットネスジムでボクシング系のプログラムに出た。いつになく汗がでて、Tシャツの吸水力をはるかに上回るほどである。

で、1時間の運動が終わってグローブをはずしてみると、手がしわしわで白っぽくふやけているではないか。そのときについでに気がついたのだけれど、二の腕に大量の水膨れができていて、まるでイボイボのヒキガエルのようだ。恐る恐るひとつ大きいやつをつぶしてみると、ぷしゃっという感じでつぶれて水がじゅわっとでた。

うひゃあ。これ汗だ。

実は、先週末にひどく日焼けをして、そろそろ焼けたあたりの皮が浮きはじめたところに大量の汗をかいたものだから、古い皮と新しい皮の間に汗がたまってらしい。ふーん、古い皮って水を通さないのね。
 


 

 

大須商店街の看板ネコさん木曜日の午後になんだかとても疲れていたので、勢い余って休暇届をだして金曜日に休みをとった。

昼近くに起き出して、しばらく使うこともなさそうなトラベラーズチェックをシティバンクの銀行口座に戻しがてら新宿にゆく。ついでに郵便局で用事をすますと昼時で、昼食をとることにした。

前世が鮒だったのではないか、といわれるくらいにグルテン質の食べ物が好きで、とりわけ、饂飩については三度の飯より饂飩が好きといって憚らないのだけれど、新宿には機会があると寄ることにしている「三国一」という饂飩屋がある。

実は、新宿東口郵便局のとなりにはその三国一の東口店があって、迷うことなく店内に入って驚いた。東京では饂飩の人気がないのか、いつも比較的空いている店、という印象があったのに、ワイシャツ、ネクタイ、眼鏡の高層ビル街で働くおじさんたちで大混雑なのだ。

いつもと違う時間にはいつもと違う顔がある。

写真は、出張で名古屋にいったときに大須の商店街でとった看板ネコさん。すぐ近くでTVのロケをやっていたよ。


 

 

失敗このごろは自転車で通勤しているのだけれど、朝、自転車置き場に停めようとするとここ数日来置き放しとおぼしき自転車の籠にこんなものがついていた。幸い、定時よりも早めに出社しているのでまわりに人気はない。まわりの自転車をどかし、寝ころばんばかりになって何枚も激写。

露出の関係で背景が黒くなっているけれど、見つけたのは8時過ぎで明るくなって随分たったころだ。セミの本体がすっかり色ついているところをみると、羽化の途中でどこかが引っかかったかなにかして、止まっているうちに体が固くなってしまったのだろう。

セミの声もツクツクホーシが目立つようになってきた。夏も終わりだ。
 


 

 

総武線新宿駅今日も東京体育館にいって泳ぐ。驚くべきは体力の減退ぶり。たしか6、7年前は、2回も慣らしをすれば、50mプールでも問題なく泳げたのだが、この夏4回目の水泳にもかかわらず2往復で息があがってしまう。復路の残り25mから先がこの上なくつらくて、25mプールにすごすごと引き上げる。

この半年以上もフィットネスジムに通って運動を続けているのにこんな具合では、10年後にはどんなことになっているのだろう。「経済政策を売り歩く人々」P.クルーグマン著、伊藤敏隆監訳、を読んでいたのだけれど、監訳者解説に、30代までは質の高い論文を多数生み出してきた優れた経済学者たちもほとんどは40歳になると論文が書けなくなる、という一文があった。脳の機能は目にみえる測り方ができないだけに、実はものすごいことになっていそうな気がしてきたよ。

人間50年といった人がいるけれども、本来そんなものなのかもしれない。
 


 

 

夏の駅そういえば、昨日の夜。夕食を摂ろうと自転車にのってふらふらしていたときのことだ。

信号待ちした交差点の先で、若者たちの集団が二人組のお巡りさんに停められていたのをみて、いつもは点けない電灯を慌てて点けたのだけれど、普段つかっていないせいか、接触が悪かったらしくてうまく点かなかった。悪いことに、別に合わせたわけではないのだろうけど、若者たちがちょうど放免になったものだから、今度は私が「ちょっと、ちょっと。電灯点けなさいよ。」と停められてしまったのである。

やれやれと思いながら「えー、点いてないですか。おかしいなあ。」なんてどう考えても苦しい言い訳に、警官のひとりは懐中電灯でダイナモを照らしながら「点いてないよー。接触不良かな。まだ新しいんだから、ちゃんと直しといてね。」といって、それでおしまい。あれ。

学生時代にこのシチュエーションなら「無線で盗難車照会5分足止めコース」間違いなしだったものだから、すっかり拍子抜けだ。実際、若者たちはそんな感じだったしさ。いや、やっぱり大人になったということはこういうことなんだ、と思った第二弾。

夜中に、中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」を聞きながら、こんなことを書くものだから、もの悲しくなってしまったよ。
 


 

 

夏の青空千駄ヶ谷にある東京体育館の室内プールにゆく。このプールのいいところは比較的空いているところだ。50mプールは、国際水泳大会を開催できる規格でつくられていて、片側の端が深さ2m近くあるので、100mを楽に泳げるひとでないと溺れかねない敷居の高さが、本気で泳ぎたいひと以外のひとたちを拒んでいてくれるからである。

お盆とはいえ、今日はまだ通常営業のひとも多い火曜日なので、ほとんど待たずに自分の好きなペースで泳げそうなくらいで、よろこんで泳ぎ始めたのだけれど、この3年近くちゃんと泳いでいないものだから3往復でギブアップ。最後はいくらかいでも近づいてこない(深いプールは進みが遅く感じるのである)端を求めて息切れ切れになる始末だ。そんなわけで、早々に地階の25mに退散して、子どもたちに紛れてリハビリテーションがてら軽く練習をする。キックの練習をしようとするとビート版一枚では上半身が沈みそうになって大人になったんだなあと妙なところで実感してしまった。

ところで今日の千駄ヶ谷駅周辺には、やたら浴衣姿の若者がいて、「本日は催し物がありますので、お帰りの切符はお早めにお買い求めください」という駅のアナウンスがあったのだけれど、一体、「催し物」というのはなんだっただろう。

それから、駅ホームにて小此木啓吾先生が院長の精神科クリニックの看板を発見する。なんとかような場所で開業していたとは。こんなところにいったら、みんな自己愛人間にされてしまいそうだ。

最後に、最近読んだ本を簡単にメモしておく。

読んで楽しむ教科書シリーズ 「現代物理学の世界がわかる アリストテレスの自然哲学から超弦理論まで」和田純夫 ベレ出版
とくに相対性理論の説明はこれまで読んだ本のなかで一番わかりやすい。でも、数式を使わないことにこだわりすぎて中途半端になってしまっているのが残念だと思う。

「もののけづくし」別役実  早川文庫
別役実ワールド全開。ただ「つくしシリーズ」というのは、ちょうど真実という型枠に嘘というコンクリートを流し込んでつくった建物が型枠をはずしても自立しているのをみると、その嘘ははじめからそれ自体存在していたかのような、ある種の目眩めいた気持ちを引き起こさせられるところが魅力なのだけれど、この本はいかせん「もののけ」という元々が嘘っぽいものを型枠にしているので、どうもそのあたりが薄まってしまってちょっとだけもの足りないような気がする、、、と書いてきて、こういう書評を読んだような気がしてきたよ。

食と文化の謎 マーヴィン・ハリス著 板橋作美訳 岩波現代文庫
あとがきを読むと、「文化唯物論」なる論理を振りかざすこのハリス先生、人類学者の間ではそうとう胡散臭い人物とされているらしい。多くの人類学者さんたちは、この現在の文化は、たくさんの可能性のなかから「たまたま神様によって」偶然に選ばれたものごとの集まりとして認識したいのだそうだ。ともあれこの本では「インド人はなぜ牛を神聖視するのか」「ユダヤ人やイスラム教徒はなぜ豚をたべないのか」といった食文化の謎を「コスト/ベネフィット」の理屈で切り刻んでいて、R・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を彷彿としてしまった。元にしている事実について詳しくないので内容の真偽は判断しようがないのだけれど、理屈はすっきりしていて工学屋の私にはとてもおもしろいのに、なぜ「見るのもけがらわしい」ほどの怪書なのかしらん。
 
 


 

 

新宿西口ビックカメラにてデジタルカメラを買う。この2カ月ばかり、スパイグッズを思わせるミノルタDimage Xのわずか20mmの厚さ搭載されたほとんど無音といってもいいような3倍ズーム機能にいたく執心していて、もちろん、それを買おうと思ってわざわざ出向いたのに、帰って来たときにはなぜか、キヤノンIXY Digital 200aが手の中に。

Saturday Night Feverいろいろ迷ったあげく、検討候補のどれでもないのものを選んでしまうのは、これまでもよくあることだ。法学部と農学部の間で、ゆれにゆれた結果なぜか工学部に入学してしまったのが、その最たるものかもしれない、という話をトリヤマ君にすると、「それは悩んだ結果に対して後悔したくないからですね。」
と、わかったようなわからないようなことをいっていた。実のところ、あれこれ考えているとどうでもよくなって、決断の直前に得た情報だけで選んでしまうのだが。
 

で、話をIXY200aに戻すと「この値段で、ひとクラス上の機能」という評判通りに露出や焦点箇所に対してむやみやたらに詳細設定ができるようになっている。もちろん、そのほとんどは一度も使われることがない、というより設定画面さえ開かれることもないだろう。そのIXYを使って深夜のバスターミナルでとったのがこちらの写真。
 



 

 

今年の夏休みは前後に京都と名古屋への出張がついている。この暑いのに、何故、暑いので有名な場所に行かなければならないのか。
嫌がらせに違いない。そんなわけで、今日は夏休み前の最後の出勤日なので、夏休み前後にある3件分の資料を作成する。途中でかなりいやになってきて「もう適当でいいや」、とつぶやくと、

「夏休み中にやってメールで送ってくれれば、休み開けに印刷してもってゆきますよ。」
と宣うトリヤマ君の声が隣から聞こえてきた。

ひとごとだとおもって。うきー。ITなんてきらいだ。

・・・

という日記を書いて出張にいってきたら、出張先でしっかり宿題をだされてしまいました。

うえ〜ん、やっぱり夏休みの宿題か。
 


 

調布のパルコの脇にある小さな鰻屋がある。鰻丼500円、鰻重700円の格安鰻屋だ。

ところで、ウナギというのは大別して2種類あるという。普段我々が口にしている(
と思われる)アジア系と、それは別のヨーロッパ系だ。いつぞやの新聞で中国産のヨーロッパ系ウナギを国産ウナギと偽って売っていたスーパーが摘発されたという記事を読んだ。なんでもDNA鑑定をしたところ、そのウナギはヨーロッパ系であったとかいうことだったと思う。

で、件の鰻屋なのだけれど、呼び込みのお兄さん、初老の男性にしていた説明をそばできいていたところ、

「ええ、フランス産の稚魚を買って育ててるんです。ホントに柔らかいんで、一度食べたらやみつきですよ。」と。

おお、これがあのヨーロッパ系ですか、というわけでものは試しに入ってみたのである。

味の方はというと普通に旨かったです。とくに違いは感じなかったのだけれど、ということは、普段食べているのが、すでに「ヨーロッパ系」なんではないかしらん。

ま、食べてわかんないのだから、どちらでもいいのだけど。
 


 

久しぶりにコンタクトレンズを嵌めた。エアロビクス系のトレーニングをするときに、汗をかくと眼鏡がずり落ちてくるし、といって眼鏡をはずすとインストラクターの動きが見えず、というジレンマに押されて、2年以上も保存ケースにいれたままのコンタクトレンズを出してきたわけである。腐っているかとも思ったのだけれど、見た目は普通だったので嵌めてみたところ、ちゃんと使えたのでそれはそれで驚きだ。

で、ジムの帰りに、いつもいい加減なスーパーにいって、お魚天国が流れる鮮魚コーナーで値引きされていた寿司を買おうとすると、なんだか寿司が大きい。値札だけでなくて商品までいい加減につくっているのかしらん。

...と思ったのだけれど、実は、寿司の大きさが変わったのではなくて、コンタクトレンズを嵌めているからであった。

度の強い眼鏡を掛けていると強い屈折率のせいでものが小さくみえる。で、その小さくみえている状態が当たり前になっているものだから、それがなくなって気がついた本来の大きさにに驚いたのだった。そうしてみると、世の中は、すべからく私が思っているよりも少しづつ大きいのかもしれない。

ま、食べちゃえばいつもとおなじだったけど。