かつてのだめなひと


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本日の一町

今日もまた、たかけんさんファミリーと一緒。

サクラメントの前の州都ベニシアBeniciaにいく。河口の町でマリーナがあり、お金持ちのバカンス地っぽい場所だ。

ベニシアというのは女性の名前で、さらにその前の州都バレホのもとになった「バレホさん」の奥さんの名前「ベニシア」が名前の由来だそうだ。

バレホさんは、ゴールドラッシュ時代の実力者で、いくらなにもなかった時代とはいえ、まずは州都に自分の名前をつけ、つぎの奥さんの名前を隣の町につけるあたり、いかにも西洋的な感じである。

大学の建物もほとんど人名がついていて、功績があったひとの名を残すのがアメリカ流らしい。

日本といえば、場所に人名をつけるというのは少なく、相当の実力者になると名前を呼ぶのがおそれ多いということからか、逆に場所の名前で人を表すのは対象的である。

日本で人の名前の町というと愛知県豊田市くらいかしら。

(May-31-2001)



本日の一頁

久々に日本語の本を読む。タカコ・半沢・メロジー『イタリアでわかったー陽気でけっしてクヨクヨしないおしゃれ生活』祥伝社黄金文庫。

フランス人の夫とイタリアで暮らす主婦のエッセイで、いささか長いが引用する。
 

雨上がりの庭に、カタツムリが何匹も動めいていた。まるまると太っておいしそうだ。夫と顔を見合わせ、シメシメとほくそ笑む。「エスカルゴ料理にしよう。」そこへ、ブリザモリーニ氏が通りかかった。近所の家へ水道修理に向かうところらしい。
「見て、見て!こんなにカタツムリがとれたの。フランスじゃとてもポピュラーな料理の素材だけど、ここらへんではあまり食べないのかしら。」すると彼、顔面蒼白になって叫んだのだった。

−マンマ、ミーア!しらないのかい、アンタたち?ここいらじゃ、カタツムリ取りの限度量ってのがあるんだよ。一回に二十匹までと決まっている。それ以上とると罰金が課せられるんだ。

−あーら、そうなのぉ。でもねぇ、何匹だろうと、わかるわけないじゃない。へーきよ、へーき。

ーダメだよ。ダメ。絶対にダメ!あーあ、三、四十匹くらいありそうじゃないか。さあ、早く庭に戻した、戻した。

今度は真っ赤になって怒り出したのだった。


先日、たかけんさんの住むアパートにいったときのことである。

駐車場から部屋に向かう途中、「ここいらはカタツムリが多いから気をつけてね。」とといわれ、なるほどみわたすと殻径が3,4cmほどもあるカタツムリがあちこちをぬめっている。実際、踏みつぶされたとおぼしき残骸も多数。

踏みつぶしちゃうところをみるとアメリカ人もカタツムリをとって食べるという発想はないようだ*。
 

*というか、アパートには、アメリカ人だけでなく、日本人やインド人などが住んでいるが、とりあえずフランス人とイタリア人が住んでいないのだろう**。余談だが、スーパーにゆけば、ゆでたカタツムリも普通に売られている。

**ところで中国人はどうなのか。足のあるものはテーブルとイス以外、翼のあるものは飛行機以外、食べていまうといわれているが、カタツムリは足も翼もない。今度、ウェイ君に聞いてみよう。

(May-30-2001)




本日の一杯

チベットレストランで遅い昼食をとる。壁の最上段にダライラマの写真を掲げ、チベット寺院風に設えた店で民族衣装のおばさんがサーブしてくれる。

チキンカレーを頼んだところ、いわゆるインド風カレーであった。バングラデシュ料理屋、ネパール料理屋、チベット料理屋とどの店のカレーも似た感じで区別がつかない。

むしろ興味をそそられたのは、ともにオーダーした一杯のチベットティである。

いつもながら曖昧な記憶で書けば、チベットティは、紅茶風のお茶にミルク、バター、塩を溶かしたもので、寒い高山に住むチベットの人々は、客人をもてなすのに、これを舌が焼けるほどに熱い状態で提供するのが礼儀だという。

なるほど確かに熱かった。

しかし「美味かったか」という質問には、お茶にミルク、バター、塩を溶かしたものであるとしかいいようがない。スープともお茶ともつかぬ飲み物で、我々の日々にはないカテゴリーの味である。たしかに美味いとはいえなかったのだが、変な味がするというのはなく、どちらかというと、食べつけないものに対して「美味い−不味い」という判断が出来なかった、というのが適切であった。

想像力の翼をあらん限り広げてみれば、本日のチベットティは、明治の人が初めて牛肉をたべ、バターつきパンを囓ったことに通ずるのではないか。食べ慣れないものを「口にあわない」といって避けることは簡単であるが、それは新しい世界への扉を自ら閉じることに他ならない。

夏休みになっても自室にこもりがちな生活を振り返り、「チベットティから始めよう!」とかけ声をかけ、「おっ?おォー」とためらいがちに拳を振り上げる昼下がりであった。  

(May-29-2001)


本日の一日

ヨセミテは、大きな岩と滝と木がいっぱいであった。以上。

さて、本日、5月の最終月曜日は、Memorial dayと呼ばれる祭日である。日本語では、戦没将兵追悼記念日とよばれており、戦争で亡くなった英霊を鎮魂するための日である。

えらいひとが英霊を慰めるとまわりが怒ったりする国もあるようだが、アメリカはしっかりと祭日にしている。

Memorial dayといえば、楕円形のコースをただひたすらぐるぐるまわるインディ500はこの日に行われるそうだ。500マイルも車を走らせることと軍人さんに感謝を捧げることが関係あるのかどうかはわからない。

アメリカのひとはインディがあると夏の始まりだなぁと思うそうである。ウェブサイトでみただけだから本当がどうかは知らないけど。

本当は「こどもはいいなぁ」というようなことを書こうと思ったのだが、それはまた明日にする。

(May-28-2001)


本日の一クラッ
 

このところ立ちくらみがひどい。しゃがんだり横になった状態から、急に立ち上がると、じわぁ〜っと目の前が暗くなり、足下がおぼつかなくなって、後頭部にもやもやしたものが巡る。どこかにつかまって、じっとしていると徐々に頭の中のしびれた感じがシュワァと抜けて視界が戻ってくる。

今日、水筒を買いにいった安売り量販店ターゲットで、一つクラッときて、じっと立ち止まったあとに思いだしたことがある。

R.カイヨワは遊びの要素を、「競争」「偶然」「擬態」「めまい」の4つに分類しているのだが、だめぞうは、幼い時分から「めまい」にどうしようもなく溺れているのだ。

中村雄二郎「術語集」(岩波新書)からの孫引きをすると、

これはめまいの快感を追い求める遊びであり、典型的には回転や落下などの急激な運動によって、自分のうちに好んで混乱状態を惹き起こすのである。

とある。

思えば、3〜4歳ころのだめぞうのお気に入りの遊びは「両手を広げ体を軸にぐるぐる回る」であった。回転が足りないとめまいがおこらず、かといって回りすぎると気持ち悪くなる。ぎりぎりのところを狙っては、しばしば気持ち悪くなっていた幼稚園児であったのだが、いつのころからか、めまいを起こす回転数よりも気持ち悪くなる回転数の方が少なくなり、この遊びは辞めてしまった。

かつて教養で文化人類学の授業で、アフリカに祭祀としてこれをやる部族の話を聞いたことがあるし、おぼろげながら記憶に残っている文化人類学の教科書には、多くの子どもがこれをやる、とあって、そういう意味では、だめぞうは至極当たり前に子ども時代を送っていたわけだ。

その後もめまいを求める衝動は強く、わざと長風呂にはいって急に立ち上がってのぼせてみたり、水を張った洗面器に何度も顔をつけて酸欠状態になったりと、子どもながらいろいろ試したもので、風呂場で2度ほど倒れたりしながらも、子どもごころに限界に挑戦するのは、また別の楽しさもあった。大学生のころにはまったのは早朝マラソンでランナーズ・ハイ。

ただし、どれにも共通なのは、めまいを起こすという点については比較的すぐに耐性がついてしまうのだが、そのほかの身体機能の限界点、例えばマラソンなら足を壊すなど、はそうではないようで、いつのまにか快楽より苦痛が大きくなってやめてしまっている。その点ではドラッグなどの化学的な刺激であっても、酸欠などの物理的な刺激であっても大差はないようでおもしろい。

幸か不幸か、アルコールを全く受け付けないので、アルコール依存症にはなっていないし、イリーガル・ドラッグも、リスクを考えるとばかばかしいので手を出していない。

そんなわけで、現在、だめぞうが楽しむ「めまい」は立ちくらみだけなのだが、これだけは耐性がつかぬようで幼きころから一貫して続いている。立ちくらみ体質は神様の与えてくれた恩恵なのかも知れない。
 

*今日のだめなひとは、かつてだめぞうが愛したサイト「ぴよぴよ日記」(閉鎖済み)を参考にしています。

(May-24-2001)


本日の一件

一ヶ月ほど前にぶつけられた車を修理するべく保険会社に損害査定にゆく。先週、ようやくできた警察のレポート*をみて保険会社に電話し予約をしておいたのである。

主張の強いこの国でクレームをだすのはちょっとおっかなびっくりだったのだが、いってみれば非常に丁寧で効率的。受付や交渉の係りも極めて親切で良心的であった。

保険会社直営工場での修理か、自分で修理工場を選ぶかのオプションがあり、後者を選ぶと被害額を査定して、その場で小切手を切ってくれた。

ついでに、その足で修理工場に行く。前もって別に見積もりを取ったおいた工場だというのもあって、加納典明にそっくりのオヤジが、自分のつくった見積もりと保険会社の見積もりふんふんと見比べて「All right」というわけで、結局、加害者とは連絡をとることすらなく、まったく合理的に事故処理がすんでしまった。もちろん警察を別にして*。

米国でもこういうことがあるのかと驚くが、なにせここは徹底した保険社会である。保険料も完全に自由化されており競争も激しい。今回のだめぞうは被害者であり、この保険会社の客ではないのだが、保険会社にしてみれば、将来の顧客になる可能性は十分あるわけで、細かいことで不愉快な思いをさせるよりもよい印象を与えた方が得になるという経営判断であろう。

翻って、だめぞうは大学生のときとある交通事故に関係したのだが、日本の損保会社の調査、渉外は大変不愉快であった。もう二度とあの保険会社を使うつもりはなく、将来にわたる顧客を逃してしまったわけである。

そもそも米国の企業というのは、一般的に企業イメージを大変重要視していて、メーカーでも欠陥品はもとより気に入らなければいくらでも快く交換に応じてくれるし、respectableであることが、いかに営業の武器になるかをよく知っている。間違ってもお客様センターの電話に「ちょっとは頭で考えなさいよ。」とか「これがうちの答えだから」などと答えることは考えられない。

「お客様は神様」が徹底したお金第一主義のなせる業ともいえるのだが。
 

*加害者の住所氏名、連絡先から保険会社、契約番号、関係した車全部の所有者の住所氏名に加え、事故状況の詳しい説明と加害者へのインタビューのまとめなどがきちっとタイプされた、かなり細かい調書であった。こんなに丁寧なバージョンでなくてもいいから、もっと早くつくって欲しい。ところで日本の警察って事故調書のコピーはくれたっけ。

**総じて「公立」のものは要領も態度もすべて悪いのが米国。最低限の費用で最低限のサービスがモットーである。些細なことから命にかかわることまで、よいサービスがほしければカネを払って民間へいけ、という単純明快な論理が貫かれている。

(May-23-2001)




本日の一皿

とくに予定のない絶好のカレー日和であった。

昼頃に車を整備に出しスーパーに向かう。

いわゆる市販のカレールゥを使わぬカレー作りには、香辛料の神秘的関係すなわちスパイスに忠誠を捧げるヒンディ派と、アミノ酸の有機的結合すなわちスープこそ神髄とする欧州派があり、両者の間には埋めがたい溝がある。

まずいカレーには、漢方胃腸薬をかけければよいと説くのがヒンディ派であり、ウースターソースが一番との自説を曲げぬのが欧州派である。

またさらに。

欧州派にも、野菜の水気だけを使い決して水を足さないことを信条とする嫌水グループ、粉砕した野菜のとろみをよしとし小麦粉を嫌悪する絶対野菜主義、煮込み時間の長さにこだわる時間決定論者などなど、カレー作りとは、もはや宗教の域にあるいってよい。歴史的にも、例えば、パキスタンがインドから独立した背景には、ビーフカレーとポークカレーの正当性をめぐる深刻な確執があったとさえ言われてるような気がするほどである。

だめぞう自身はあえていえば欧州派であるが、うまければどれでもよいし、手軽であればなおよいというノンポリなので、適当にスープをとって出来合のカレー粉をパッパッパッという感じ。

ともあれ、今日は、オックス・テイルで贅沢に出汁をとり、牛すね肉をコトコトを煮込んだビーフカレーに挑戦した。

鍋一杯がほんの一握りになるまで根気よく炒めたタマネギと人参のすり下ろしが醸し出す自然の甘さ。真っ赤なイタリアントマトのほどよい酸味。これをテイルスープでのばして、赤ワインを加えて、アクを掬いながらゆっくり静かにすね肉を煮る。ブーケガルニを忘れてはいけない。

3時間ほどたったところで、大切りのじゃがいもに軽く油を回し炒めて加え、さらに煮込む。じゃいもに火が通ったら、もう一度アクを掬ってから、ニンニク、ショウガのみじん切り、バター、小麦粉を丹念に炒めカレーパウダーをあわせて作ったルゥを足す。塩、ウースターソースで味を調整、隠し味に醤油を少々。最後に、アプリコットを3つばかりつぶして味に優しさを。

今夜は、同じ学部の学生である、みなかみさんを招き、ラスベガスへの旅行計画が付け合わせである。さてさて、味のほうがいかがであろうか。
 

*それにしても、我ながら食べ物の話になると途端に多弁になることだなぁ(詠嘆)。

(May-22-2001)
 

本日の一匹

たかけんさんと釣り。

というか、だめぞうが釣りをする海岸で、たかけんさんは焚き火をしていた*。

我々の他は、老人3人組が散歩をするだけの、人気のない海岸で、たかけんさんは、昨夜、誰かが乱痴気騒ぎをしたと思われる「おき火」の残った残骸に、あちこちから集めてきた漂着木を足して、パタパタと火をおこし、ビーチチェアを広げ、ラジカセをならすという、素敵に優雅で感傷的な世界の住人になっていた。

だめぞうはというと、胸までのウェーダーをはいて太平洋の荒波に立ち向かい、力一杯ルアーを放り投げてはすぐに押し戻される賽の河原気分を堪能し、1時間ほどかけて10cm程の小さなパーチを一匹釣った。

往路に捕まったサンフランシスコの通勤渋滞を呪い、焚き火をテーマに東京の貧しさについて語り、昼食をとりに戻ったサンノゼの暑さに困惑し、バークレー付近の涼しい気候に感謝を捧げた月曜日であった。
 

*焚き火といって思い浮かぶのは、保坂和志の小説で、海岸で焚き火をするのを趣味というか、むしろ生活の一部とする人の話である。海岸にちょうどよい漂着物があると焚き火をする謎の中年と、そこに集まる若い男女のとりとめのない話で、もしかしたら村上春樹かもしれないが、手元に資料がないのであしからず。どちらも似たような、うだうだとした内省を、ぱさぱさのショートブレッドみたいな感じで書いている気がするが、物語がドラマティックなのが村上で、そうでないのが保坂である。

(May-21-2001)




本日の一トリップ

カリフォルニア州の州都は、今をときめくLAやSFといった大都会ではない。

サクラメントSacramentoである。

サクラメントは、ゴールドラッシュで栄えた内陸河岸の街で、現在のダウンタウンの西側にオールド・サクラメントと呼ばれる往時の町並みを残した一角があり、州庁舎と並ぶ観光スポットとなっている。妻籠・馬籠あるいは倉敷といったところであろうか。

そんなところに夏休みの日曜日にいったものだから、町並みは西部劇でも、街路を闊歩するアメリカンファミリーはノースリーブ、短パンでアイスキャンディーをしゃぶっているし、付近の道路は混む、駐車場はない、昼食は並ぶと、独り者なのに家族サービス気分を心おきなく満喫である。おまけに帰路にガソリン補給ついでに寄ったコスコではノートPCの値段にため息をついて、なんだかもう踊りつかれたディスコの帰り、もう青春も終わりかなと思うと泣けてきた感じのする一日であった。

だめなひとはガイドブックではないので、これ以上詳しくは述べないが、今後ゆかれる方の一助になればとの思いから、印象に残ったことを簡単に記して筆をおくことにする。

・暑い。尋常ならざる暑さである。
・ゴールド・ラッシュ以来の伝統であろうか、飲み物が高騰している。
・露店のテキヤキ・チキンは意外にうまい。
・漢字で名前を書いてくれる店が大層繁盛していた。
・ステージで上演されていたガムランにはちょっとアメリカン・テイストがはいっていた。
・和太鼓の演奏も同じく。
 

(May-20-2001)




本日の一杯

ようやく体の方も夏休み気分になり朝寝坊ができるようになった。

今週末はとくに予定はなく、とりあえず州都サクラメントにでもいってみるかとインターネットで地図を検索していると、空腹を感じてきたので、起き抜けの昼食を用意する。

先日、うどんを作ったときに作りすぎたつゆが冷蔵庫に残っていたので、こいつに醤油とみりんを足して、そうめんつゆをつくり、確か去年の夏にいただいた「揖保の糸」をゆでることにした*。

だめぞうは麺類に対して「太い、かたい」=「うまい」だと信じ込んでいる。パスタも迷わずフェトチーネ。そんなわけで、そうめんはそれほど好きではないのだが、せっかくのいただきものであるし、名の通った銘品であるので、試しにゆでてみることにしたのである。

袋の指示に従い、1分半熱湯を泳がせ、手の切れそうな冷水で、ごしごしと洗う。手に伝わってくる麺の締まる感じはなかなかよい感じだ。蕎麦もそうだが、よい麺というのは、この冷水にさらす段階での締まりが違う。

高まる期待とともに、ずずぅっと食してみると、予想に違わずなかなかうまいではないか。文字通り糸のように細いのに、ちゃんと弾力が歯に跳ね返ってくる。

荒ぶる食欲にまかせて一気に一袋3人前を平らげると、ちょっと苦しくなってサクラメントにゆく気力もすっかり失われてしまい、ベットの上でごろごろと過ごす週末の一日となった。

そうめん一杯で予定を変更。これでこそ正当派だめな夏休みといえるだろう。
 

*だめぞうのいい加減な記憶では、そうめんは表面に油を塗っているので、乾麺とはいえ、あまり長く保存するのはよろしくない。
 

(May-19-2001)


本日の一問題

キーボードが壊れつつあって困っている。

バックスぺース(BS)と右矢印(→)が沈んだまま戻って来ないのである。キーをはずしてみるとプラスティックバネが疲労の限界に達したらしく、すっかりやる気をなくしていて、されるがままになっていた。キーを押し返さないものの仕事はしてくれるので、一応、機能は保っているのだが、いかんせんタイプした感じがものすごく気持ち悪い。

そもそも、だめぞうは、ノートPCの場合、CPUよりもキーボードを基準に機種を選ぶほどキータッチにはこだわりを持っている。

デスクトップPCの場合は新機種を導入したときもキーボードだけは気に入ったものを交換して使うので、実際、このキーボードもこの3年間公私に渡り3台の本体に勤めている。キーの隙間には煎餅のくずが入り、側面には油とホコリがまとわりついて正直いってかなり汚いのだが、だめぞうが白と打てば白と出し、黒と打てば黒と出すかわいいやつなのだ。

薄くて小さいキーボードなので、はじめて会社に連れていったときには、事務のおねいさんが「こども用ですか?」と質問をした。

「よく知ってますね。最近は、こどももパソコンを使うようになったのでこういうのもあるんですよ。」といって、たまたま手元にあった小さなマウスまで示して、嘘をついたのは良い思い出である*。

それにしても壊れたキーが、『リターン』でも『スペース』でもなく、『BS』と『→』というのは、間違いと修正を繰り返している、だめぞうらしく変なところで納得してしまった。
 

*別に悪気があったわけではなく、だめぞうは、急な質問には、なぜか嘘をついてしまうのである。とくに相手が女性であるとその傾向は強く、面白いことを言わなければいけないという強迫観念のなせる業なのかもしれない。たいていは「そうですか。」と真面目に受け取られ、その後どういってよいかわからず、むしろ会話は途絶えがちになるのだが。なお、このおねいさんの場合は、繰り返し学習の結果、だめぞうの発言を無条件で嘘だと判断するようになったので、それはそれで会話ができるようになった。なんでも続けることが肝心である。
 

(May-18-2001)


本日の一枚

Decision Analysis(意思決定解析)という科目の期末試験の結果が発表されているというので、資料をコピーしがてら見に行ってきた。教授の部屋のドアに張り出された学生番号と得点、成績が並んだ一枚の紙。

なんと驚く事なかれ、だめぞうは98点でハイスコアであった。

珍しいこともあるもので、顎が痛くなりながらも、3時間ぐりぐりと方程式を解いた甲斐があったというものである。

しかし。

この科目は他学科である上、やたらと勉強をする学部生用のクラスなので、自信のなかっただめぞうは、成績のオプションを、A,B,Cで表すLetter Gradeではなく、単に合格/不合格で表すS/F Gradeにしてしまっていたのだ。

「A+」が並ぶ成績上位者の一番上にひとつだけ「S」の文字。

相変わらず無駄の多い人生だ。

  

 (May-17-2001)


 

本日の一言
うねうね日記風は完全に失敗に終わったと言って良い。

日記風では、「なにをかくか」ということと「どうかくか」という、文章の2大テーマを一度に両立させようという、全くもって大それた企てであったわけだが、これはやはり荷が重すぎた。さらにいえば、日記風を謳う以上ある程度の頻度をもって書こうという目的もあったわけで、もはや無謀というしかなく、有り体に言えば企画倒れというやつである。

そんなわけで、このたびリニューアルした「だめなひと」を始めることにした。
 

とりあえず『本日のだめなひと』は好きなように書くことにする。無理はしません。とくに米国に関係のないネタも解禁。オチもなくてもよし。

そんないい加減なものを読まされる方も迷惑であろうが、ここはひとつカウンセラーの気持ちにでもなって戯言をきくのも人助けだと思い、高邁な気持ちで見守っていただきたい。

なお、次のルールは守る所存である。

・メタだめなひとはかかない。
 つまり、このウェブサイトに関する内容は反則。
・テーマは一日ひとつ以下。
 あまりたくさんかかない。たくさん書きたいときもひとつにしぼる。

それでは、だめぞうがどこへゆくのか分かりませんが、ひとつおつきあいの程宜しくお願いいただきたく。

(May-16-2001)