裏Lanzarse
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●裏Lanzarse

 こんなサイトを運営していると、ページ作成の合間のさまざまな裏話が、時間が経つにつれてけっこう貯まってくるものです。掲示板に書き込んで流れるに任すには惜しい内容も多々ありますので、このコーナーでそんな小話を暫時皆さまにご紹介して参ります。HP作成上の舞台裏や、管理人が修司選手に尋ねた疑問とその答えなど、内容はそれこそまさしくエトセトラ!!


〜ピヨピヨのナゾ〜
 お陰様でご好評をいただいている修司選手の「肉日記」。その記念すべき第一日目に、不思議な記述があるのに皆さまは気がつかれましたか?
 「ホルヘ・リベラが、寝ようとしている自分にイタズラ電話をかけるという、マエストロらしからぬ行いをしてきたので、それからというもの、毎日深夜2時にモーニングコールをしてあげている。ピヨピヨ」。
 ん?ピヨピヨ?
 この不可解な言葉は『週プロ』2002年度版プロレスラー写真名鑑の、八木選手の項でも見ることができます。
 「ニックネーム アニキ、オヤジ、ピヨピヨ」。
 ここでもピヨピヨ!?
 意味不明な言葉も二度お目に掛かったとなると、裏に何かがあると判断せざるを得ません。我々は2002.1.23のT2P逆上陸第2弾のため帰国した修司選手に、早速この疑問をぶつけました。その結果聞くことができたこの言葉の非道な由来は、次の通りです。
 【メキシコ道場にアメリカ人プロレスラーが来訪した。うち一人が癌の治療中らしく、抗癌剤の影響で後頭部に毛がなかった。それをホルヘコーチが「ヒヨコの頭だ」といって「ピヨピヨ、ピヨピヨ」とからかった。メヒコでは、ちょっと頭髪が淋しいさまを「ヒヨコの頭」という。
 ホルヘコーチはアメリカ人に続いて八木さんを指さし、「おまえもそうじゃないか!」。それ以来、ピヨピヨは八木さんの愛称になった。自分は、「ホルヘこそピヨピヨじゃないか!」とすかさず突っ込み返した。だから「ピヨピヨ」は、肉日記にも書いたようにホルヘコーチの愛称でもある。それからしばらく道場では、この「ピヨピヨ」が流行語となった】
 プロレスラー同士の無邪気かつ容赦のないこのやりとり、皆さんはどう思われますか?ごく真っ当な社会人である管理人には、これ以上この話題を続ける度胸はありません!このテの話題はタブーの領域ですよねぇ。一般社会では(笑)。
(2002.3.30 UP)


〜名カメラマンの正体!〜
 いきなり手前ミソで恐縮ですが、当ページのトップを飾る修司選手の画像、とてもカッコいいと思いませんか?カッコいいのも道理、実はこのトップ画像、管理人の知り合いにデザイナーがいるのをいいことに、ロゴデザインとともに加工を依頼して作ってもらったプロの作品なのです。
 しかし、いかに画像処理が巧みでも、もとの写真が良くなければどうにもなりません。闘龍門のロゴを背負って、リング中央に構える修司選手。とくにコーナーポストと闘龍門ロゴの、ピタリど真ん中に人物が来ている点に注目して下さい。これが少しでも左右にずれていたら、こうもカッコ良くは仕上がらなかったでしょう。
 では、この写真はいったい誰が撮ったものなのでしょうか。
 このページを開設するにあたり、リング上でコスチュームを身につけてポーズをとる修司選手の写真がどうしても欲しかった我々管理人は、T2P日本逆上陸第1弾のため帰国した修司選手にデジタルカメラを手渡し、日本滞在中にトップページ用の写真を誰かに撮ってもらうよう依頼しました。
 二週間後に我々の手元に戻ったデジカメに入っていたのが、現在皆さまがご覧になっているトップ画像の写真です。うすうす気づいている方も多いと思いますが、この写真は闘龍門の神戸道場で撮影されたものです。一般の人は出入りできない場所ですので、当然闘龍門の関係者に撮ってもらったのでしょう。
 写真の予想以上のできに大喜びした我々は、修司選手に尋ねました。写真撮るのウマイ人がいるんだねー。やっぱり練習生に頼んだんでしょ?
 「ちがう」
 え?我々はてっきり後輩に頼んだものだとばかり…。じゃ、いったい誰が?
 「八木さんだよ」
 え゛ええええ〜〜っっ!?
 我々がどんなに驚いたか、おわかりいただけますか?まさか先輩に、しかも逆上陸前から漁師姿で有名なあの八木選手に、畏れ多くもカメラマンを務めていただいたとはぁぁ!!
 しかも撮っていただいたのは、トップの一枚だけではありません。当ページで使用しているコスチューム姿の修司選手の写真は、すべて八木選手が撮影してくださったものです。天井をバックに下方から撮ったプロフィールページの写真も実にナイスアングルで、これなども管理人お気に入りの一枚です。コスチューム変更により掲載できなかった写真は、すべてGALLERYコーナーに収録してありますので、ぜひご覧くださいませ。
 何のお返しもできませんがこの場を借りて、魚も獲れば写真も撮れるニクいプロレスラー・八木選手に、管理人より厚く御礼を申し上げます。たくさんの素晴らしい写真を、本当にありがとうございました!
(2002.3.30 UP)
※HP開設からまる1年間を飾ったこの初代TOP絵は、現在は「GALLERY」に収録しております。


〜見えない原稿チェック〜
 このページをオープンする直前は、我々管理人はもちろん、修司選手も我々の質問に答えたり原稿をチェックしたりと、なかなか大変な思いをいたしました。
 立ち上げ当初からコンテンツをそこそこ充実させようとして、アレもコレもと欲張り過ぎたのがいけなかったのですが、何しろ扱う選手が修司選手ただ一人ですから、物量作戦で勝負をかけるしかなかったというのが管理人側のホンネです。
 こんな状態でしたので、逆上陸第1弾のため帰国した修司選手は、着々とHP作成を進める我々のいいエジキでした。実家に帰るたびに「チェックしといてね〜」という伝言つきで何枚ものFAXが届いていたはずで、今思うとよく投げ出さずに最後まで頑張ったものです。
 そんな中、修司選手のメヒコへの出発が近づき、原稿チェックも山場を迎えました。残された未確認原稿はあとひとつ。メヒコに帰られてからでは連絡が取りにくくなりますから、管理人サイドも必死です。しかし時間ギリギリで修司選手から届いたFAXには、チェックの形跡が皆無でした。
 これは全面OKということなのか?しかしそれならば、電話で一言そう伝えれば済むはず。イヤな予感に促されるまま修司選手宅に連絡を取ると、この土壇場で本人が不在!しかも家人によると、確かに原稿にチェック事項をいろいろと書き込んでいたとのことです。
 ことここに至って、管理人の胸中に一つの確信が芽生えました。
 結局、その後もう一度修司選手本人と連絡がつき、HP原稿最終チェックは出国前に無事終了しました。さて、あとは最後のツッコミを残すのみ。
 「原稿をチェックするのに、蛍光ペン使ったでしょ」
 「使ったよ」
 やはりそうだったか!ファックスで、蛍光ペンの文字が見えるわけないだろー!!さすが社会人経験3ヵ月のヤツは、やることがひと味違うよ(笑)。
(2002.3.30 UP)


〜あなたの知らない近藤修司〜
 当ページはネット上の各種検索エンジンへの登録を一切行っていないのですが、ある時ふとした必要があって、「近藤修司」で単語検索を掛けてみたと思って下さい。
 そうしたら出るわ出るわ、実に319件ものヒット!もちろん大多数は当ページや、闘龍門やT2Pを扱っておられる他のサイトさんが占めているのですが、けしてそれだけではありません。あなたが知っているプロレスラー以外の近藤修司が、この世には大勢存在しているのです。
あまりに面白かったので、この項では各界で活躍されているいろいろな「近藤修司」さんを、ちょっとだけ皆さまにご紹介いたします。
 まずは大阪の教会で活躍しておいでの近藤修司牧師さん。こうして字面だけを見ていると、まるで修司選手が、孤児院運営のために闘い続けたかの偉大なルチャドール、フライ・トルメンタ神父の向こうを張ったかのようですが、もちろんそんなことはありません。同姓同名の牧師が存在するプロレスラーは痛くも痒くもありませんが、同姓同名のプロレスラーが存在する牧師さんは、けっこう迷惑なのではないでしょうか(笑)。
 続いて、日本能率協会コンサルティング副会長の近藤修司さん。この方は『パソコン閃き術〜「外脳」革新で企画を生み出す』という名の、ビジネスマン必読の著作をお持ちです。やはり字面からは一瞬、修司選手がレスラー生活の陰で、経営学権威の顔を隠し持っていたかのような印象を受けますが、むろん事実はまったく異なります。
 この他にも、無線伝送方式の研究で学位を取った近藤修司さんや、パルスレーザーに関する著作がおありの近藤修司さん、住宅マンションリフォーム会社の取締役を務めておいでの近藤修司さん、衣服販売会社のヨーロッパ支社代表取締役社長でいらっしゃる近藤修司さんと、学会経済界でご活躍されている近藤修司氏は多いようです。この方面に進むには有利な字画の名前なのかもしれません。
 ぐっと身近なところでは、I大OBで同窓会発起人の近藤修司さん、日本卓球協会認定初段の近藤修司さん、第21回つくばマラソンに参加した近藤修司さん、フィットネスクラブのゴルフコンペで優勝した近藤修司さん、宮城県在住で単車が趣味の近藤修司さんなどがいらっしゃいます。中には「行方不明者・近藤修司」なんて項目も!名簿上の行方不明らしいので、心配は要らないようですが(笑)。
 これほどの同姓同名の方の存在は非常な驚きでした。「同姓同名のプロレスラーがいる」と上記の方々を困惑させるほどに、我らがプロレスラー・近藤修司に活躍してほしいと期待をかけるのは、やはり私たちの身勝手になるのでしょうか。
 全国津々浦々の近藤修司さま、勝手に紹介させていただきまして誠に恐縮ではありますが、文字まで同じ同姓同名のよしみにて何とぞご容赦くださいませ!
 ちなみに「コンドッティ修司」は、さすがにこの世にただ一人しか存在しないようです(笑)。
(2002.3.30 UP)


〜更新のない写真館〜
 このページを開設するにあたり私どもは、T2Pファンの皆さまにお届けする超目玉コンテンツとして、修司選手撮影によるT2P選手のスナップ集「T2P写真館」をご用意いたしました。第一回配信分はHPオープン当初からアップしてありますので、皆さますでにお楽しみいただけたかと存じます。
 しかしこの目玉ページが、その後まるで更新されていない!!今や、このHPで唯一の更新ゼロページとなってしまいました。更新とは無縁そうなMAILのページですら、一度はアイコンの差し替えが行われているのです。まあ、どうでもいい変更ですけれど(笑)。
 我々管理人は、とくに情報の少ないメヒコでのT2Pの写真を、何とか皆さまにお届けしたいと望んでおります。メヒコからJPGデータのメール送信さえできれば写真の入手は比較的容易ですので、これまでに何度か修司選手をつついてはいるのですが、今の所はかばかしい返答を得ておりません。
 さて2001年の話になるのですが、ある日、我々の元に修司選手から事務連絡のメールが届きました。HP運営のための管理人からの質問に答えるもので、これ自体はさほど珍しいことではありません。しかし、その時のメールには、何やら不穏な1行が紛れ込んでいました。
「デジカメはまだ使えるかわからない。日本の使い切りカメラを持って行ったけど、バスの中に置き忘れた」
 …バスの中にカメラを置き忘れた?何よそれは!?ドス黒い不安感を胸に、我々は即座に真相究明のメールを発信しました。
 「撮影済みのカメラをバスに忘れて来たのか?それは試合の写真なのか、プライベートスナップなのか?詳細を教えられたし」
 修司選手の返信は、とんでもないものでした。
 「忘れたのはもちろん撮影済みのカメラ。中身は道場や、試合先で撮ったものとかいろいろ。試合の帰りにバスに乗った時、ズボンのポケットに使い捨てカメラを入れたまま眠り込んだ。降車寸前に起こされて、あわててバスを飛び降りてから、あとでポケットにカメラがないのに気がついた。座席に落として来たらしい。けっこうたくさん撮っていたのだが」
 「もちろん」、撮影済みですって!?しかも、道場で撮った写真があったんですって!?じゃあそのカメラには、MEXICO道場内の様子が写っていたわけ!?どうしてそんな大切なモノを忘れて来ちゃったのよ、冗談じゃないわ!あーもう、こちとら残念無念じゃ済まないわよ、修司選手のドジっ!!専用デジカメを持たせてあげようかと思ってたけど、こうも危険じゃやっぱりヤメヤメヤメー!!!このハナシは、バラすわよ。ホームページでバラすわよ。ええもう、ウェブでワールドワイドにバラすわよ!
 …というワケで、この許しがたいエピソードをここにご報告する次第です(笑)。
 失われたフィルムには、修司選手がルードユニットに入った今となっては、盗撮でもする以外に写真を入手する手段のない選手のお姿も、多々写っていたことでしょう。かえすがえすも残念です。
(2002.3.30 UP)


〜コムラサキのナゾ〜
 GAORAで放映中の『info@闘龍門』。5分間の短い番組ではありますが、TARU選手の鋭い切り口で闘龍門選手達の素顔を楽しむことができるため、ご存知の通りファンの間では何かと話題の人気番組です。
 しかしこの番組に小川内選手が登場するたびに、首を捻らされる事態が頻発。TARU選手は、小川内選手のことをいったい何と呼んでいるのでしょう?うっかり聞いていると普通に「オガワウチ」と言っているようで聞き流しそうになりますが、よく聞くとこれがどうも違う。毎回注意して耳をそばだてては見るものの、何度聞き直してもわからない。さて困った!
 こんな時には最後の手段、「困った時の近藤修司」です(笑)。
 『info』でTARU選手が小川内選手を呼ぶとき、気のせいか「コムラサキ」とか言っているように聞こえるんだけど…。対する修司選手の答えは以下の通り。
 【昨年秋の巡業中、誰かが小川内のことを、わざと「小早川」と間違えて呼んだ。以後しばらくの間、「コマツザキ」「オグラサキ」「コムロザキ」「オグラウチ」などと、「小川内」に似た語感の5文字の名前で呼びかけるのが流行っていた】
 なるほど、それでは何度聞き直してもわからないはずです。小川内選手登場の『info』が撮影された時期はまさしく2001年秋ですから、撮影当時はちょうどこの流行の真っ只中だったわけですね。あーこれでスッキリした!修司選手、毎度のご協力どうもありがとう!!
(2002.3.30 UP)


〜エロ漢字博士のナゾ〜
 またもや肉日記にナゾの記述登場です。2002年3月22日付けで、
 「ペスカトーレ八木は、エロ漢字博士だ」。
 これだけ。いったい何のこっちゃ!読んでくださる方々への説明責任もありますし、ひとつ間違えば八木選手の名誉に関わる問題にもなりかねませんから、我々管理人としてはこのまま放置できません。またもやメールです。「エロ漢字博士の由来を説明されたし」!
 【テレビで出てきた誰も読めない言葉を、八木さんがスラスラと読んでいた。ちょっと感心したんだけど、それがエロい言葉ばかりだったから。たとえば淫靡とか、疼くとか】
 なるほどー!最初からそう書いてくれれば、管理人も余計な手間が省けて助かるのですが。しかし、いったい何の番組見てたんだ?(笑)
 それにしても先輩のことなんだから、余計なことは言わずにただ「漢字博士」とホメておけばいいのに、と思うのですが、それをそうはしないから「肉日記」は面白いのかもしれませんね。いいハタ迷惑ですけど(笑)。
(2002.3.30 UP)


〜シートベルト入手ルートのナゾ〜
 またまた肉日記がお騒がせです。2002年3月25日の記述をご覧ください。
 「最近、ブラザーが変なベルトをしている。よくよく見ると、座席用のシートベルトだ。どうしたのか問いつめてみると「買った」と言うが、絶対J○Lのものだ」。
 これを読めば誰しも、YASSINI選手がJ○Lに搭乗したドサクサに、シートベルトを失敬して来たものと思いますよね。事実、我々管理人はそう決めつけて疑わなかったのですが、この日記をアップしてから数日後、当ページのBBS「Lanzarse-Board」に意外な投稿がありました。
Fuck! 投稿者:"brother" 投稿日:2002/04/06(Sat) 10:15:23 No.735
「ohh〜 Shit CONDON! Son of the Bitch!!
Hey コンドン! あのDiaryの書き方やったら、まるで俺が泥棒扱いやないけ〜。Yasinn!,」
Re: Fuck! コンドッティ - 2002/04/06(Sat) 10:23:57 No.736
「実際盗んだんでしょ?」
Re: Fuck! "brother" - 2002/04/06(Sat) 10:28:25 No.737
「ちゃうわ!あれ、テピート(盗品フリーマーケット)で買ったんやっちゅ〜ねん」
Re: Fuck! コンドッティ - 2002/04/06(Sat) 10:30:16 No.738
「結局盗んだものじゃん!!」
Re: Fuck! "brother" - 2002/04/06(Sat) 10:31:10 No.739
「…、……」
 このやり取りが最初に目に飛び込んできたときには、下品なタイトルの連続にすわ荒らしかと!(笑)
 ともかくこれが真相ですので、我々同様YASSINI選手にあらぬ疑惑をもたれた方々は、どうぞ安心して疑念をお解きくださいませ。
 ちなみに、YASSINI選手の文中にある「テピート」とは街の名前です。ここのフリーマーケットが通称「盗品市」と呼ばれていて、ありとあらゆる品物が、まさに盗品並みの安値で売られているそうです。聞くだに怪しげな所ですが、実際テピートは街自体が非常に危険らしく、日本人観光客が行けるような場所ではないようです。現地在住のプロレスラーが危険だと言うのですから、推して知るべしですね。
 ところでこのJ○Lベルト(注:J○L認定タイトルにあらず・笑)、肉日記への登場以前に日本上陸を果たしていたのですが、皆さまはお気づきでしょうか?バモアミで放映された2002・3・3ディファ有明大会のビデオをお持ちの方は、イタコネ結成シーンのYASSINI選手の腰にご注目ください。我々管理人は、肉日記を読まなければ永遠に気がつかなかったことでしょう(笑)。
(2002.5.24 UP)


〜ママチャリバラバラ事件〜
 修司選手のご家族から、こんなエピソードを伺うことができました。古い話で恐縮ですが、今年(2002年)8月3日の浜松大会後に実家に戻ったときのお話です。
 「練習するとかでママチャリを使って、上半身裸で河原まで出ていったのだが、出先から急に『迎えに来てくれ』と電話をよこした。自転車がパンクしたらしい。行ってみるとパンクではなく、ゴムもチューブも完全に車輪のフレームから外れて、すっかりバラバラの状態になっていた。それも、なぜか前輪だけ。いや〜、ママチャリに体重90キロ以上の人間が乗ると、ああなってしまうんだな。それにしても異常な壊れかただったが、いったいどんな練習をしてたんだ?」
 …という、オカシイのかオソロシイのか判断のつきかねる内容のお話でした。いったいどんな練習をしていたのか、というご家族の疑問を受けて修司選手に質問すると、
「ただ普通に乗ってただけなんだけどね」
 と、平然として答えられてしまいました。イヤですねぇ、コワイですねぇ。皆さん、ガタイのいいプロレスラーにママチャリを貸すのはヤメにしておきましょう(笑)。
(2002.10.19 UP)


〜初の入院生活〜
 2002年10月27日のT2P逆上陸第6弾(ディファ有明大会)の突然の欠場、さぞや皆さまも驚かれたことと思います。
 入院の経緯等につきましては当HPの「SCORE〜COMMENT」でご紹介いたしましたので、この項ではコンドッティの生涯初となった入院生活の一端について、改めて皆さまに暴露したいと思います。
 まずは初日。体の一部(?)に重大な変調をきたした修司選手は、自力でクルマを運転して病院へ。本人は診察してもらうだけのつもりでしたが、熱が38度5分あり、変調の原因が医師にもわからないということで即入院の診断が下り、のちに「もう入院はイヤだ。監獄にいるようなもの」と語った生涯初の病院ライフがスタートしました。
 当日、本人はまさか即入院となるとは思っておらず、クルマを駐車場ではなく道路に止めたままだったそうなのですが、見舞いに来た家人がそのクルマを探したところ、本人が申告した位置とはまったく別の場所で発見したそうです。修司選手は熱に弱いらしく、当時もかなり意識が朦朧としていた様子だったのですが、そんな状態でもクルマを運転するプロレスラー…まったく危険な存在です。
 入院直後には看護師さんによる問診があり、いろいろなことを聞かれたようなのですが、職業を聞かれて答えた修司選手に「プロレスラーを見たのは初めて」と看護師さんがいたく感激していたそう。「珍しい患者なので、医師や看護師が入れ替わり覗きに来て、いろんなことを聞いてくるかもしれませんけど、よろしく」と告げ、その後も本当にいろいろなことを聞かれたそうです。まあ確かに我が国でこの職業に就いている人は、国会議員よりは少ないですけど…。修司選手はのちに家人に「あの看護師さん、おしゃべりなんだよ」とこぼしていたとか。
 入院の翌日に精密検査の結果が出たのですが、そこでも原因はわからず(病名は最後までわからなかったそうです)、安静にするしか治しようがないということで、ギリギリまで出場する気でいた逆上陸第6弾は無念の欠場という事態になってしまいました。それでも「一度筋肉を落とすと取り戻すのにたいへんなことになる」と、家人に頼んでチューブを持ってきてもらい、医師の「安静に」という言葉をヨソに、屋上でトレーニングしていたようです。
 入院直後は「食欲がないから病院のメシだけでいい」などとしおらしいことを語り、周囲を心配させましたが、それでも晩に見舞いに来た友人に牛丼を買いに行かせ、入院初夜から医師に隠れて勝手に夜食を取る始末。また点滴を「イヤだ。水をたくさん飲むから大丈夫だよ」というワケのわからない理由で拒否しようとしたり(当然、却下されてました)、病室を抜け出しラーメンを食べに行って叱られたりと、ルードな患者ぶりをいかんなく発揮しておりました。
 これが本人言うところの「監獄」だったとしても到底模範囚とは言えない囚人ぶりですが、入院患者としてもかなり奔放な振る舞いです。しかも、大部屋が混んでいたため2人部屋に1人で入るという、メヒコの合宿所よりも優雅な生活であるにもかかわらず、それでも「監獄」にたとえるこの神経、やはり並みではありません。結局1週間に及んだ入院生活でしたが、病院初のプロレスラー患者を受け入れたスタッフの皆さまも「プロレスラーはもうこりごり」だったのでは…。
(2003.1.11 UP)


〜TOP絵放置の裏事情〜
 2002年12月1日に開設1周年を迎えた当HPは、同時にトップページのデザインを一新。おかげさまでご好評いただきましたが、本来なら3月の時点で、TOP絵も変更していなければならなかったのです。ここまで放置せざるを得なかった原因は、もう言うまでもありませんが、ひとえに修司選手にあります。
 同年3月3日のT2P逆上陸第3弾シリーズ最終戦・ディファ有明大会で、近藤修司がコンドッティ修司に変わった瞬間、管理人は目眩を禁じ得ませんでした。せっかく八木選手に写真を撮っていただき、プロのデザイナーにお願いして加工していただいた自慢のTOP絵が、HP開設3ヵ月にして使い物にならなくなってしまったからです(初代TOP絵制作の顛末は本コーナー「名カメラマンの正体!」で紹介しています。また、初代TOP絵は現在は「GALLERY」コーナーに展示しています)。
 当然管理人は、新TOP絵制作のため動きました。とは言え、管理人は絵が描けませんので、新コスチューム姿の写真を早急に撮るよう、修司選手に依頼したのです。まあ、その時点では新コスチューム自体が出来なくては無理な話ですので、お披露目となる5月のメヒコ自主興行後まで待たなくてはなりません。そこで、6月の逆上陸第4弾シリーズ終了後に修司選手にデジカメを預け、「どこででもいいから撮ってくれ」とお願いしたのですが、その後JAPAN興行参戦の決まった修司選手は、全国各地へ飛び回ることとなってしまいました。ハードなスケジュールも祟ったのだと思いますが、何度催促しても「このシリーズが終わったら必ず撮るから」の返事しか来ません。結局、修司選手が長期のJAPAN参戦を切り上げた9月の有明コロシアム大会終了後、修司選手からようやく「撮った」という返事が来たのですが、写真を撮った場所というのが修司選手の実家!なんでも「弟をつかまえて、ベランダや庭でコスチューム姿の自分を撮ってもらった」と言うのですが、そんな写真がTOP絵として耐えられるものとは到底思えません。そこで管理人は、清水の舞台から飛び降りる心境で(本コーナー「更新のない写真館」参照)、修司選手にデジカメをメヒコまで預ける決意を固めたのでした…。
 デジカメは11月に、幸いにも無事に管理人のもとに戻ってきて、何枚かの写真を、初代TOP絵のデザインをお願いしたプロのグラフィックデザインユニット『Helter Skelter』に渡して新デザインを発注。上がってきたデザインは、現在ご覧の通りの素晴らしいものでした。
ですが、ここまでお読みの方には、「顔だけならわざわざ新しく写真を撮らなくても…」という疑問(というよりツッコミ)が当然持ち上がったことでしょう。これは、先代TOP絵を気に入っていた管理人Sが、似たような構図の写真を修司選手に頼んでいたせいです。ところが「前にデザイン・加工したビジュアルと同じことをやっても面白くならない」と判断したデザイナーが機転を利かせてくれ、顔のみをクローズアップした現在のようなデザインになったという次第。ちなみに、メヒコで撮影してくれた方(今回は、当時JAPAN参戦中の八木選手ではありません)の名誉のために言っておきますと、写真そのもののデキは非常によかったです。
近藤修司時代との違いは、ロゴデザインの炎部分(変更前は黄と赤)をイタコネ色にしてもらうことで、コンドッティ修司らしさを出すことができました。この場を借りて、撮影者並びに『Helter Skelter』に、厚く御礼申し上げます!
(2003.1.11 UP)
※現TOP絵の参考写真並びに実家での写真は、当「ET CETERA」内の「実写版肉日記」に収録しております。


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