第1回 HP開設記念インタビューPart.1
プロレスで実践した、理想のタックル。
◆日本のほうが、やりがいがあります◆
◎T2P逆上陸興行を前に、闘龍門JAPANで数試合参戦したわけですが、メヒコ(メキシコ)での試合と比べて、いかがでしたか?
会場の雰囲気がまったく違いますね。メヒコのファンは単に「自分が楽しきゃいい」って騒いでる感じなんですけど、日本では技ひとつ出してもちゃんと見てくれて、反応してくれますし。
◎日本とメヒコのどちらがやりやすいですか?
メヒコでは、日本で評価されるような「いい試合」をやっても、シーンとしてます。求められる試合、いい試合の定義が違うみたいです。ルードは悪いことをする、テクニコはそれに反撃する、それでワーッて盛り上がる。日本では「闘い」を見たがりますけど、ルチャ・リブレのファンは、ある種の「ファンタジー」を求めるって感じですね。だから、日本での試合のほうが、ちゃんと見るとこ見て、沸いてくれるから、やりがいがあります。
◆ランサルセ誕生秘話◆
◎日本での試合、ランサルセ(担ぎ上げるスピアー)の評判がよかったようですね。
ランサルセはラグビーのタックルから来てるんですけど、普通のラグビー選手のタックルっていうのは、(ラグビー出身、新日プロの鈴木)健三さんが見せるような、いわゆるスピアーです。でも、自分がラグビー時代にずっと頭に描いてた理想のタックルは、ガッと相手を捕まえて後ろのほうに持ってけば、ボールがこっちに勝ち取れるっていう・・・・。その場に倒すと相手の仲間がボールを取りに来ちゃいますが、遠くまで持ってって倒せば、早く自分の仲間がボールを取りに来てくれる。そこから、ランサルセが生まれました。いつも頭に描いてた理想のタックルを、プロレスで実践したんです。
◎なぜラグビーでは実践できなかったんですか(笑)?
そうですね(苦笑)。やったこともあるんですが、やっぱり、なかなか決まりません。なにせ、相手の逃げ場が無限にあるので・・・・。相手の真っ正面から入れれば持っていけるんですけど、ちょっとでもズレると飛ばせないです。その点、リングは狭いから、相手を捕まえやすいです。
◎それだけ思い入れの深いオリジナル・ホールドですが、なぜフィニッシュに使わないのですか?
ランサルセが決まると、どうしてもロープが近くなっちゃうんです。そこでフォールしても、相手にすぐブレイクされてしまうから、ジャックハマーでトドメを刺す形になってます。
◆ジャベも、もちろん持ってます◆
◎ところで、ルチャリブレ・クラシカを追求するT2Pにあって、修司選手のスタイルは、クラシカの印象があまりないのですが・・・・?
もちろん、ジャベ(クラシカならではのメキシコ流関節技)はホルヘ(リベラT2P専属コーチ)から習ってますので、何種類か持ってます。 それよりも今は、フィニッシュに使える強烈な打撃技が欲しいです。
◎将来、どんな選手になりたいですか?
この前、浜部さん(『週刊プロレス』前編集長・浜辺良典氏)がメキシコに来られた時に「近藤クンは、金本浩二選手(新日プロ)と大谷普二郎選手(ZERO-ONE)を足して2で割ったような選手になるかもね」と声をかけてもらったんですが・・・・。将来のことは、ちょっとわからないです。
◆プロレスラー・近藤修司のできるまで◆
◎では、最近のことからずっと遡って、プロレスラーになるまでのことをお聞きします。そもそも、プロレスを好きになったきっかけはなんですか?
わかんないんですよね・・・・いつなんだろう。いつの間にか、(TVで)見始めてました。
◎では、見始めの頃にいちばん印象に残っているのは?
新日ですね、初めに見たのは。土曜の午後4時です。
◎その時代の「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日系)と言いますと・・・・?
蝶野さん(正洋=新日プロ)のウエートトレーニングマシンのCMが流れてた頃。橋本さん(真也=ZERO-ONE)とマサさん(斎藤=引退)がタッグ組んでた頃です。
◎プロレスラーになる決意を固めたのはいつでしたか?
中学校の時で、その頃は、ただ単に好きだから「なりたいなあ」って思ってました。
◎卒業文集とかで「将来の夢:プロレスラー」という時期ですね。で、高校を卒業した時には、考えなかったのですか?
プロレスラーになるためにラグビーをやってきましたけど、当時の自分の中では「ラグビーもプロレスと似たようなもんだ」と思うようになってきて・・・・。とりあえず、大学入学が決まったんで、じゃあ大学でもラグビーやろうか、という感じでした。
◎で、大学卒業とともにラグビー生活にもピリオドを打って、会社勤めを始めましたが、あらためてプロレスラーになりたいと決意したのはいつだったんですか?
会社に入って・・・・1〜2週間でしたか。・・・・母にも「世間知らず」ってよく言われるんですが、会社勤めがどういうものなのか、よくわかってなかったんでしょうね、ホントに。でも、逆に言ったら、プロレスとかそういう世界のほうが水が合ってるという・・・・。現にプロレスをやめてないってことは、きっとそういうことなんだろうと思います。
◎少なくとも、3ヵ月で辞めたサラリーマンよりは水があう?
そうです(苦笑)。サラリーマンは、もうイヤでイヤでしょうがなかったんです。ハッキリ言って逃げたんです。「辞めます」って言って辞めてないですし。仕事を勝手に休んで、バーッてクルマの中に荷物詰めて、ダーッて逃げて、会社から呼び出されて(笑)。
◎逆のケースはよく聞くんですけどね。学校卒業してプロレス入門して、道場から逃げて、社会人になるという・・・・。
フハハハハ。まったく逆ってことですね。
◎社会から夜逃げして、道場からは逃げなかったと(笑)。そう言えば、今は社会人を経てプロレス界に入る選手が多くなっていますね。
社会人に向かないんですよ、たぶんそういう人は。やっぱり、プロレスラーになるべくしてなるんだと思います。自分のことで言いますと、入ってすぐにサラリーマンとして先が見えた。・・・・もう、生活のサイクルが、ずーっとおんなじなんです。まあそれなりにお金はもらえたんですが。接客業だったんですが、休みだってバラバラだから、1人ですよね。で、1人でお金持って出かけて、買い物して帰ってきて、もうまた次の日仕事で。その繰り返しで(人生が)淡々と過ぎるんだろうなあと。「それはイカン」と思いまして。
◎でも、プロレスラーだとなおさら、休みは一般人と同じではないのですが(笑)。で、とりあえず実家に身を寄せたんですね。
実家に行く前に、いろんなところへ旅行しました。同僚3人で一気に辞めたので、「旅しようぜ」って。とりあえずお金はあったので、4〜5日くらいクルマで、自分の実家のほうだったり、勝浦(千葉県)のほうだったり、好きなように。夏だったから海に行ったりして、楽しかったんですけど。でもお金も続かないし「そろそろ潮時」って友だちと別れて、実家へ行きました。
◎実家に帰った時のご両親の反応は?
どうだったんでしょう。困り果ててたかなあ? ちょっと怒ってたかなあ? 怒ったというか、あきれてたかなあ? ちょっとわかんないです。
◎なんとか大学入って卒業して、ようやく社会に入って、ひと安心といったところに。
でも、帰ってきた当初は自分がプロレスやるってことを両親は知らなかったので、「この先どうすんだ」っていう感じだったと思います。自分はプロレスラーになるから辞めたんですが、両親は、ただ辞めた、社会から逃げてきたとしか思ってなかったはずです。
◎プロレスラーになるって決意は、いつバレたんですか?
シビック(当時乗っていたクルマ)の中に、闘龍門の面接の封筒を入れてたんです。で、親父がそれを発見しまして。
◎それを見たお父上は、プロレスファンの知人に相談されたそうですね。「どうもこういうところを受けるらしいんだけど、いったいどういう団体なんだ」と。
フハハハハ。それは知りませんでした。自分としては、試験に行って受かったら言おうと思っていたんですが。でも、なんだかんだ言っても、許してくれたんだと思います。