このページでは近藤修司選手(ドッティ)のプロフィールをご紹介します。さあキミもこれを読んでドッティに詳しくなろう。いえ、詳しくなってください! なお、HPタイトルの『Lanzarse(ランサルセ)』については、ドッティが初めて身につけたオリジナルホールド(スピアーで相手の体を担ぎ上げ、そのまま持ち運んでマットに叩きつける技で、スペイン語で「突進」を意味する言葉から命名)を世間一般に認知させるべく命名したものですが、プロレスマスコミですら1年以上正式名称をアナウンスすることがなかったという、苦難の道のりを辿っております。 ともあれ、この技を出す前には、まるで闘牛がマタドールに突進する直前に地面を掻きならすように、足でマットを勢いよく踏みならしますので、会場でこの姿を目にされたら、どうぞ手拍子で煽りつつ、この技の名称を正しく認識していただきたいと存じます。 ※当HPでは基本的に近藤修司選手のことを、コンドッティ時代に愛称として定着した「ドッティ」と表記しております。2001年の本名デビューから始まって、2002年のイタコネ結成を契機とした「コンドッティ修司」への改名、2003年のイタコネ脱退を契機とした「ドッティ修司」への改名、2004年の悪冠一色結成を契機とした本名への改名と、年中行事のように改名を繰り返したことから、当HPがこれ以上それに振り回されないための措置として行っているものです。なお、当HPの一部に「修司選手」や「コンドッティ」と表記されたままのものもありますが、上記それぞれの時代においてUPされたものですので、どうぞご了承ください(2004年2月)。 |
本名 | 近藤修司 |
愛称 | ドッティ、コンちゃん |
生年月日・干支・星座 | 1978(昭和53)年1月21日・午年・水瓶座 |
血液型 | O型 |
身長・体重 | 173cm・103kg(2005年10月現在) |
足のサイズ | 27cm |
出身地 | 静岡県富士市 |
デビュー戦 | 2001.5.18 メキシコ アレナ・ロペス・マテオス 対 小川内 潤 戦(闘龍門MEXICO自主興行) |
得意技 | ジャックハマー、ランサルセ、ゴリラ・クラッチ、キングコング・ラリアット他 ※詳しくは当HP「HOLD」、および「ET CETERA」〜「修司苑」をご参照ください。 |
会場使用曲 |
●和田高志『MEGA WARRIOR』(オリジナル曲) ※入場時(タッグ戦ではチームリーダー時)&勝利時(タッグ戦では直接勝利時)に流される曲(現在4代目) ※2013.9.8〜 ※初代&3代目:prodigy『FUNKY SHIT!』(「THE FAT OF THE LAND」収録)初代:2001.10.20〜2003.11.9/3代目:2005.3.12〜2013.6.30 ※2代目:『F××KIN' SHIT!!』(闘龍門JAPAN〜DRAGON GATEオリジナル):2003.11.10〜2004.12.26 ●prodigy×"brother"YASSHI『FUNKY SHIT! ご機嫌ちゃんバージョン』(勝手にオリジナル) ※YASSHI選手がパートナーで、かつドッティがチームリーダーとなるタッグ戦でのみ流されたYASSHI選手のMC入り『FUNKY SHIT!』。 ※実際のタイトルは不明(当HPが便宜上名付けただけ)。 ※初使用は2003年10月の闘龍門JAPAN「Rey de Parejas」。その後、はぐれ軍団(仮)のテーマ曲として2003年末まで使用されたが、2005年3月の全日本プロレス参戦で久々に復活。MCは試合のテーマに応じて再録音されることがあったが、2005年7月からは新録音版として主旋律部分にラップの歌詞を乗せた本格的なものに進化。MC、ラップともYASSHI選手の作によるもので、そのクオリティの高さから一部マニアの間ではCD化を熱望する声が強かった。が、有名バンドと一方的にコラボレートして勝手に作り出したものであり、会場使用時は団体が楽曲使用料を払っているものの、CD化は楽曲を買い取らなければ出せないため、まず不可能と思われる。 |
団体所属歴 |
●2001年5月〜2003年1月:闘龍門MEXICO・T2P(TORYUMON 2000 PROJECT) ●2003年1月〜2004年7月:闘龍門JAPAN ●2004年7月〜2004年12月:DRAGON GATE ●2005年1月〜2006年4月:フリーランス (2005年3月〜2008年9月:全日本プロレスレギュラー参戦) (2005年7月〜2006年2月:dragondoorレギュラー参戦) (2006年1月〜2006年11月:RINGSOUL LIVE 新宿カス野郎プロレス〈全4回〉 レギュラー参戦) ●2006年4月〜2008年9月:Pro Wrestling ElDorado (2007年3月〜2008年2月:SOUL CONNECTION「月刊カス野郎プロレス カスイチ〈全12回〉」 レギュラー参戦) ●2008年10月〜2013年6月:全日本プロレス ●2013年7月〜2020年3月:WRESTLE-1 ●2020年4月〜:フリーランス |
ユニット所属歴 |
●2002年3月〜2003年8月:イタリアン・コネクション(T2P〜闘龍門JAPAN) ※(在籍時のメンバー)ミラノコレクションA.T.、YOSSINO、"brother"YASSINI、ペスカトーレ八木、ベルリネッタ・ボクサーとのユニット(脱退)。 ●2003年9月〜2004年1月:はぐれ軍団〈仮〉(闘龍門JAPAN) ※"brother"YASSHI、ベーカリー八木(→OUT)、ベルリネッタ・ボクサー(→OUT)、大鷲透、高木省吾とのユニット(悪冠一色に移行)。 ●2004年1月〜2004年12月:悪冠一色(闘龍門JAPAN〜DRAGON GATE) ※望月成晃(→OUT)、"brother"YASSHI、大鷲透、高木省吾、菅原拓也とのユニット(団体離脱により解散)。 ●2005年2月〜2008年9月:VooDoo Murders(全日本プロレス) ※(在籍時のメンバー)TARU、ジョニー・スタンボリー、チャック・パルンボ、"brother"YASSHI、ジャイアント・バーナード、諏訪魔(→OUT)、RO'Z、ブキャナン、ディーロ・ブラウン、小島聡(→OUT)、ゾディアック、シルバー・キング、ブードゥーマスク、谷嵜なおき、アル・ダバリ、ジョー・ドーリングとのユニット(全日本入団により離脱)。 ●2007年4月〜2008年3月:SUKIYAKI(ElDorado) ※Ken45°(→OUT)、佐藤豪志(→OUT)、アントーニオ本多、ミラニートコレクションa.t.、清水基嗣、谷嵜なおきとのユニット(解散)。 ●2008年7月〜9月:悪冠一色〈第2期〉(ElDorado〜SOUL CONNECTION) ※"brother"YASSHI、大鷲透、菅原拓也、高木ジェット省吾とのユニット(解散)。 ●2009年1月〜2013年2月:チーム・ディストラクション(全日本プロレス) ※諏訪魔、征矢匠(引退)とのユニット(新ユニット「L/R」合流のため発展的解消)。 ●2009年4月〜2013年3月:TEAM 246(全日本プロレス) ※カズ・ハヤシとのジュニアタッグユニット(新ユニット「L/R」合流のため発展的解消)。 ●2013年2月〜6月:L/R(LAST REVOLUTION)(全日本プロレス) ※諏訪魔、ジョー・ドーリング、カズ・ハヤシ、中之上靖文との反体制ユニット(団体分裂により解散)。 ●2013年9月〜2015年10月:TEAM 246〈第2期〉(WRESTLE-1) ※カズ・ハヤシとの無差別級ユニット(全日本プロレス退団後、W-1にて復活。初代タッグ王者組として君臨するも、新ユニットTriggeR結成のため近藤が一方的に解散を宣言)。 ●2015年10月〜2020年3月:TriggeR(WRESTLE-1) ※河野真幸、村瀬広樹(→OUT)、芦野祥太郎(→OUT)、"brother"YASSHIとのユニット(団体活動休止で消滅)。 ●2017年9月〜2020年3月:TEAM 246 Presidents(WRESTLE-1) ※カズ・ハヤシとの無差別級ユニット(W-1社長&副社長就任を機に、TEAM 246再々結成時の新名称として名付けられた。団体活動休止で解消)。 |
タイトル歴 |
●オールスター・レスリング認定第21代英連邦Jrヘビー級選手権(2003.6.19〜11.10・防衛2回・在位144日) ●CMLL認定第27代UWA世界6人タッグ選手権(2003.8.30・奪取直後に返上) ※パートナーはミラノコレクションA.T.&YOSSINO ●CMLL認定第28代UWA世界6人タッグ選手権(2003.9.20〜04.5.9・防衛3回・在位232日) ※パートナーは大鷲透&"brother"YASSHI ●PWF認定第79代アジアタッグ選手権(2005.6.19〜7.26・防衛1回・在位37日) ※パートナーは"brother"YASSHI ●PWF認定第23代世界ジュニアヘビー級選手権(2005.10.22〜07.2.17・防衛5回・在位483日) ●プロレスリングNOAH認定第25代GHCジュニア・ヘビー級選手権(2012.9.29〜13.1.27・防衛3回・在位121日) ●PWF認定第34代世界ジュニアヘビー級選手権(2013.01.02〜02.23・防衛0回・在位53日) ●ZERO1認定第17代NWAインターナショナルライトヘビー級タッグ選手権(2014.11.7〜15.3.1・防衛1回・在位114日) ※パートナーは吉岡世起 ●初代WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ(2014.11.30〜15.7.11・防衛7回・在位224日) ※パートナーはカズ・ハヤシ ●第3代WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ(2015.11.27〜16.03.06・防衛0回・在位100日) ※パートナーは河野真幸 ●WRESTLE-1認定第52代UWA世界6人タッグ選手権(2016.12.9〜17.02.21・防衛0回・在位72日・葛西選手急病のため返上) ※パートナーは葛西純&NOSAWA論外 ●WRESTLE-1認定第54代UWA世界6人タッグ選手権(2017.04.09〜04.16・防衛0回・在位7日) ※パートナーはカズ・ハヤシ&河野真幸 ●WRESTLE-1認定第56代UWA世界6人タッグ選手権(2017.05.06〜06.04・防衛2回・在位29日) ※パートナーはカズ・ハヤシ&征矢学 ●第11代WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ(2017.09.02〜11.19・防衛1回・在位79日) ※パートナーはカズ・ハヤシ ●第16代WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ(2018.08.11〜19.01.31・防衛3回・在位173日・土肥選手負傷のため返上) ※パートナーは土肥孝司 ●PWF認定第49代世界ジュニアヘビー級選手権(2018.09.22〜11.29・防衛1回・在位68日) ●第18代WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ(2019.06.12〜7.28・防衛0回・在位46日・立花選手負傷のため返上) ※パートナーは立花誠吾 |
入賞歴 |
●闘龍門MEXICO「第5回ヤングドラゴン杯」準優勝(2001年) ●T2P「T2P実力査定リーグ戦」第3位(2002年) ●闘龍門MEXICO「第6回ヤングドラゴン杯」準優勝(2002年) ●闘龍門JAPAN「REY DE PAREJAS 第1回闘龍門タッグリーグ戦」優勝(2003年) ※パートナーは"brother"YASSHI ●闘龍門JAPAN「EL NUMERO UNO 2004」準優勝(2004年) ●DRAGON GATE「REY DE PAREJAS 〜初代OPEN THE TRIANGLE GATEチャンピオンチーム決定リーグ戦〜」準優勝(2004年) ※パートナーは"brother"YASSHI&菅原拓也 ●dragondoor「アクアマリンスタジオカップ争奪2ナイトタッグトーナメント」優勝(2005年) ※パートナーは"brother"YASSHI ●全日本プロレス「HOLD OUT TOUR 2006 ジュニア・タッグリーグ戦」準優勝(2006年) ※パートナーは"brother"YASSHI ●ElDorado「TREASURE HUNTERS タッグトーナメント」優勝(2006年) ※パートナーはディック東郷 ●全日本プロレス「第2回ジュニア・ヘビー級リーグ戦」準優勝(2007年) ●大日本プロレス&ElDorado「プロレス大感謝祭タッグトーナメント」優勝(2008年) ※パートナーは関本大介 ●ElDorado「第1回グレイテスト・ゴールデン・リーグ」優勝(2008年) ●全日本プロレス「2008世界最強タッグ決定リーグ戦」準優勝(2008年) ※パートナーは諏訪魔 ●全日本プロレス「2009 ジュニア・タッグリーグ戦」準優勝(2009年) ※パートナーはカズ・ハヤシ ●全日本プロレス「2009 ジュニア・ヘビー級リーグ戦」優勝(2009年) ●全日本プロレス「2010 ジュニア・タッグリーグ戦」準優勝(2010年) ※パートナーは大和ヒロシ ●全日本プロレス「2012 ジュニア・タッグリーグ戦」優勝(2012年) ※パートナーはカズ・ハヤシ ●全日本プロレス「2012 JUNIOR HYPER LEAGUE」準優勝(2012年) ●WRESTLE-1「First Tag League Greatest」優勝(2014年) ※パートナーはカズ・ハヤシ ●WRESTLE-1「WRESTLE-1 GRAND PRIX 2015」準優勝(2015年) ●全日本プロレス「Jr.BATTLE OF GLORYリーグ戦」優勝(2018年) ●WRESTLE-1「Tag League 2018」優勝(2018年) ※パートナーは土肥孝司 |
賞罰 |
●DRAGON GATEから解雇処分(2004年) ※パートナーは大鷲透&"brother"YASSHI&高木省吾&菅原拓也 ●第33回東京スポーツ新聞社制定「2006年プロレス大賞」最優秀タッグ賞受賞(2006年) ※パートナーはTARU&諏訪魔&"brother"YASSHI ●第35回東京スポーツ新聞社制定「2008年プロレス大賞」年間最高試合賞受賞(2008年) ※対戦相手は丸藤正道 |
スポーツ歴 | 小学校でサッカー、中学校でバレーボール、高校・大学でラグビー |
資格 | 英検3級 普通自動車運転免許 |
趣味 | バンド活動(バンド名「Red star」、現在無期限休止中) |
好きなプロレスラー | キン肉スグル |
好きな食べ物 | とにかく肉 |
嫌いな食べ物 | 漬け物 |
想い出の旅先 | アカプルコ(肉がうまかったから) |
尊敬する人 | 親父 |
ライバル | アルベルト久木 ※詳しくは「ET CETERA」内「メキシコ肉日記」の2001.10.7をご参照ください。 |
出生時 | 身長51.5cm 体重3,490g 胸囲33.5cm 頭部35.0cm |
幼稚園時代 | 好き嫌いが多く、毎朝お弁当箱の中身をチェックするのが日課の園児だった |
小学校時代 | 少年サッカー団で万年補欠。練習試合中に虫取りして遊んでいたせいか? |
中学校時代 | 背を伸ばしたくてバレーボールをやったが、まるで効果はなかった |
高校時代 | 全国高校ラグビー第74回大会(1994年)、第75回大会(1995年)出場 |
大学時代 | 関東ラグビー2部リーグ試合出場のため、姉の結婚式をすっぽかす |
社会人時代 | 就職するも3ヵ月で電撃退職。突如「プロレスラーになる!」と宣言 |
2000年8月 | 闘龍門(ウルティモ・ドラゴン・ジム)入門テストに合格 |
2000年9月 | 第8期生として他13名とともに入寮 |
2001年2月 | 同期生4名とともに渡墨、闘龍門MEXICOへ |
2001年5月 | メキシコにてプロデビュー(リングネームは本名のまま) |
2001年10月 | T2P(TORYUMON 2000 PROJECT)逆上陸のため帰国。急遽参戦決定した闘龍門JAPAN滋賀・野洲大会が日本デビュー戦となる SAITO選手(現・DRAGON GATEインストラクター)の引退試合の対戦相手に抜擢され、初のセミファイナル出場 |
2001年11月 | T2P初の逆上陸シリーズ『Desembarcamiento』全4戦に参戦 ※T2Pオープニングマッチ出場 |
2001年12月 | 「第5回ヤングドラゴン杯」準優勝 |
2002年3月 | 「T2P実力査定リーグ戦」3位 T2Pルードユニット「イタリアン・コネクション」結成 自身がイタリア人であったことに気づき、「コンドッティ修司」に改名 |
2002年5月 | イタリアン・コネクション始動、コンドッティ修司として正式デビュー |
2002年10月 | T2P逆上陸第6弾参戦のため帰国後、「不慮の病」に倒れて生涯初の入院 T2P逆上陸興行を初の欠場 |
2002年11月 | 「ウルティモ・ドラゴン カムバック・ワールドツアー」に帯同して、アメリカマット初参戦 |
2002年12月 | 「第6回ヤングドラゴン杯」準優勝 |
2003年1月 | 初の他団体参戦(「WRESTLE-1」東京ドーム) イタリア人であることは勘違いだったと気づき、イタコネのメンバーともども「正体は日本人」とカミングアウト(しかし「コンドッティ修司」のリングネームは変更せず)、初のメインイベント出場 T2P逆上陸興行終了、「イタリアン・コネクション」のユニットごと、主戦場を闘龍門JAPANに移す ※T2Pラストマッチ出場 |
2003年2月 | 初のタイトル挑戦(UWA世界6人タッグ選手権=奪取ならず) |
2003年3月 | GAORA『VAMONOS AMIGOS! 闘龍門』(#48)初のゲストコメンテーター 初のシングルタイトル挑戦(英連邦Jrヘビー級選手権=奪取ならず) |
2003年4月 | 「EL NUMERO UNO 2003」Bブロック同率1位(暫定)も決勝トーナメント進出ならず |
2003年6月 | シングル初戴冠(英連邦Jrヘビー級選手権=第21代) GAORA『VAMONOS AMIGOS! 闘龍門』(#54)ゲストコメンテーター |
2003年7月 | 英連邦Jrヘビー級選手権の初防衛戦を勝手に開催(=認定されず) 英連邦Jrヘビー級選手権の正式な初防衛戦(=無効試合のため防衛認定されず) UWA世界6人タッグ選手権2回目の挑戦(=奪取ならず) UWA世界6人タッグ選手権3回目の挑戦(=奪取ならず。自身初の6人タッグ3WAY戦) 英連邦Jrヘビー級選手権の2度目の初防衛戦(=初防衛に成功) |
2003年8月 | 英連邦Jrヘビー級選手権戦(=2度目の防衛に成功) UWA世界6人タッグ選手権4回目の挑戦(史上初の6人タッグ4WAY戦)でトリオタッグ初戴冠(第27代)も直後に返上、「イタリアン・コネクション」脱退宣言 |
2003年9月 | 「イタリアン・コネクション」脱退により極悪ルード化(髪の色を金髪に→のち赤に) 「ドッティ修司」に改名、YASSHI選手&大鷲選手とユニットを結成(人呼んで「はぐれ軍団(仮)」) UWA世界6人タッグ選手権2度目の戴冠(王座決定戦に勝利=第28代) |
2003年10月 | 「REY DE PAREJAS 闘龍門タッグリーグ戦」優勝 |
2003年11月 | 英連邦Jrヘビー級選手権3度目の防衛に失敗し王座転落 UWA世界6人タッグ選手権戦(=初防衛に成功) |
2004年1月 | UWA世界6人タッグ選手権戦(=2度目の防衛に成功) 望月選手と合体、軍団名を「悪冠一色」と正式発表 |
2004年2月 | 「悪冠一色」正式始動 「近藤修司」に改名、UWA世界6人タッグ選手権戦(=3度目の防衛に成功) |
2004年3月 | 「EL NUMERO UNO 2004」開幕戦で、シングル戦でのメインイベント初出場 |
2004年4月 | ドラゴン・スクランブル初勝利 「EL NUMERO UNO 2004」準優勝(「闘龍門JAPAN」ビッグマッチでのメインイベント初出場) |
2004年5月 | UWA世界6人タッグ選手権4度目の防衛に失敗し王座転落 |
2004年6月 | 望月選手を悪冠一色から放逐 |
2004年7月 | 第4代U.D.G.王者決定トーナメント出場(決勝進出でU.D.G.王座初挑戦) ※闘龍門JAPANラストマッチ出場 団体所属選手全員とともに「闘龍門JAPAN」を卒業し「DRAGON GATE」に移行 |
2004年9月 | 「敗者髪切りマッチ」初出場 |
2004年11月 | 「REY DE PAREJAS 〜初代OPEN THE TRIANGLE GATEチャンピオンチーム決定リーグ戦〜」準優勝 |
2004年12月 | OPEN THE TRIANGLE GATE王座に初挑戦(奪取ならず) 「素行不良並びに職務怠慢」を理由にDRAGON GATEから「解雇」される(「悪冠一色」メンバー全員〈大鷲透、"brother"YASSHI、高木省吾、菅原拓也の各選手〉とともに処分) |
2005年1月 | フリーランスとなる 『週刊ゴング』誌上で「悪冠一色」の解散を宣言 |
2005年2月 | "brother"YASSHI選手とともに全日本プロレス代々木大会に乱入、元闘龍門のTARU選手率いる「VooDoo Murders」と合体して参戦アピール |
2005年3月 | 全日本プロレス初参戦(「HOLD OUT TOUR 2005」全戦〈以後、継続参戦〉。参戦初シリーズでメイン出場、シングル初勝利など) |
2005年4月 | 全日本プロレス「2005 チャンピオン・カーニバル」初出場(Aブロック・1勝4敗〉 「dragondoor」第1弾興行(有限会社闘龍門主催)への参戦発表 |
2005年5月 | FIGHTING TV SAMURAI『NEWS侍!』(5/19生放送)初のゲスト出演 |
2005年6月 | タッグ初戴冠(アジアタッグ選手権=第79代。王者決定トーナメント優勝) |
2005年7月 | FIGHTING TV SAMURAI『NEWS侍!』(7/14生放送)2回目のゲスト出演 アジアタッグ選手権戦(=初防衛に成功) 「dragondoor」第1弾興行メイン出場 アジアタッグ選手権2度目の防衛に失敗し王座転落 |
2005年9月 | 「dragondoor」第2弾興行メイン出場 |
2005年10月 | シングル2度目の戴冠(世界Jrヘビー級選手権=第23代) |
2005年11月 | 全日本プロレス「2005 世界最強タッグ決定リーグ戦」初出場(Bブロック・0勝4敗〉 「dragondoor」第3弾興行メイン出場・世界Jrヘビー級選手権戦(=初防衛に成功) |
2006年1月 | KAIENTAI DOJO初参戦 世界Jrヘビー級選手権戦(=2度目の防衛に成功) イベント型興行「OVERHEAT Vol.1」「RINGSOUL LIVE Vol.1」参戦 |
2006年2月 | dragondoor第4弾(最終)興行「RETURN OF THE HEXAGON」メイン出場でミラノコレクションA.T.選手と1年2ヵ月ぶりに対戦 「Pro Wrestling ElDorado」への参戦発表 全日本プロレス「HOLD OUT TOUR 2006 ジュニアタッグリーグ戦」初出場 |
2006年3月 | 全日本プロレス「HOLD OUT TOUR 2006 ジュニアタッグリーグ戦」準優勝 |
2006年4月 | 世界Jrヘビー級選手権戦(=3度目の防衛に成功) 「Pro Wrestling ElDorado」プレ旗揚げ戦メイン出場(以後、所属選手に) イベント型興行「RINGSOUL LIVE Vol.2」参戦 |
2006年7月 | BIG MOUTH LOUD初参戦 「Pro Wrestling ElDorado」旗揚げ戦出場 イベント型興行「RINGSOUL LIVE Vol.3」参戦 |
2006年8月 | 両国国技館初出場・世界Jrヘビー級選手権戦(=4度目の防衛に成功) |
2006年9月 | 全日プロ初のシングル戦メイン出場(vs小島聡戦) |
2006年10月 | 新日本プロレス「WRESTLE LAND」初参戦 世界Jrヘビー級選手権戦(=5度目の防衛に成功) |
2006年11月 | PRO WRESTLING NOAH初参戦 イベント型興行「RINGSOUL LIVE FINAL」参戦(イタコネ一夜復活〜闘龍門出身者による6メン) |
2006年12月 | 日本武道館初出場(PRO WRESTLING NOAH) VooDoo Murders(TARU、諏訪魔、近藤、YASSHI)が「2006プロレス大賞」最優秀タッグ賞受賞 ElDorado「TREASURE HUNTERS タッグトーナメント」優勝 |
2007年1月 | 新日本プロレス(本体興行)初参戦(東京ドーム2回目の出場) |
2007年2月 | 新日本プロレス「LOCK UP」初参戦 イベント型興行「みんなのプロレス」初参戦 両国国技館2回目の出場・世界Jrヘビー級選手権6度目の防衛に失敗し王座転落 両国国技館3回目の出場(全日〜新日・2日連続出場) |
2007年3月 | 「SUWA FINAL」出場〜SUWA選手引退試合(国内最終試合)の対戦相手に イベント型興行「月刊カス野郎プロレス カスイチ1」参戦(以後継続参戦) |
2007年4月 | ElDoradoで新ユニット結成 「カスイチ2」で別キャラクター「近藤ウォリアー」に変身 |
2007年5月 | イベント型興行「愛プロレス博2007」初参戦 DDT「CRUISER'S GAME」初参戦 |
2007年6月 | ElDorado新ユニットを「SUKIYAKI」と命名 VooDoo Murdersが小島聡選手と合体 『週刊プロレス』2007年7月11日号でVDM初の表紙 |
2007年7月 | 全日本プロレス「第2回ジュニア・ヘビー級リーグ戦」準優勝 |
2007年8月 | 辻本恭史("brother"YASSHI)選手とElDoradoユニット存続を賭けて初シングル戦 |
2007年9月 | 健介オフィス初参戦(「近藤ウォリアー」2回目の変身) |
2007年10月 | DDT(本体興行)初参戦 |
2007年11月 | 大日本プロレス初参戦 |
2007年12月 | FIGHTING TV SAMURAI『S-ARENA』(12/17生放送)初のゲスト出演 「プロレスサミット」初参戦(試合中に年越し) |
2008年1月 | 新日本プロレス東京ドーム興行2回目の参戦(東京ドーム通算3回目の出場) |
2008年3月 | ElDoradoユニット「SUKIYAKI」解散 |
2008年4月 | FIGHTING TV SAMURAI『S-ARENA』(4/17生放送)ゲスト出演 |
2008年5月 | 大日本プロレス&ElDorado「プロレス大感謝祭タッグトーナメント」優勝 |
2008年7月 | ElDoradoユニット「悪冠一色〈第2期〉」始動 |
2008年8月 | 全日本プロレス「2008ジュニア・ヘビー級リーグ戦」予選敗退 FIGHTING TV SAMURAI『S-ARENA』(8/13生放送)ゲスト出演 ElDorado「グレイテスト・ゴールデン・リーグ」優勝 悪冠一色メンバーがElDorado新宿定期戦から撤退宣言 |
2008年9月 | 全日本プロレス入団記者会見(VDM脱退宣言/ElDorado退団発表リリース) 台湾で初試合 |
2008年10月 | 全日本プロレス入団 VDMとの決別マッチ |
2008年11月 | NOAH・丸藤正道選手の保持する世界Jr王座に挑戦(奪取ならず) 台湾遠征 FIGHTING TV SAMURAI『S-ARENA』(11/22生放送)ゲスト出演 全日本プロレス「2008 世界最強タッグ決定リーグ戦」出場(4勝2敗1分・8チーム中同率1位〉 |
2008年12月 | 全日本プロレス「2008 世界最強タッグ決定リーグ戦」準優勝 「丸藤vs近藤戦(11月3日全日本両国)」が「2008プロレス大賞」年間最高試合賞(ベストバウト)受賞 |
2009年1月 | 諏訪魔選手とのユニット名「チーム・ディストラクション」を『東京スポーツ』紙上で発表 |
2009年2月 | 池上本門寺「節分会」に初参列 長期休業宣言した"brother"YASSHI選手と惜別のシングルマッチ |
2009年3月 | 太陽ケア&鈴木みのる組の保持する世界タッグ選手権に初挑戦(奪取ならず) |
2009年4月 | FIGHTING TV SAMURAI『S-ARENA』(4/15生放送)ゲスト出演 カズ・ハヤシ選手とのユニット「TEAM 246」結成 全日本プロレス「2009 ジュニア・タッグリーグ戦」準優勝(2勝1敗2分・6チーム中同率1位〉 |
2009年8月 | 全日本プロレス「2009ジュニア・ヘビー級リーグ戦」優勝 FIGHTING TV SAMURAI『S-ARENA』(8/14生放送)ゲスト出演 カズ・ハヤシ選手の保持する世界Jr王座に挑戦(奪取ならず) |
2009年11月 | 2回目の台湾遠征 |
2010年1月 | FIGHTING TV SAMURAI『S-ARENA』(1/20生放送)ゲスト出演 |
2010年2月 | グリコ・パワープロダクション興行「ベンチプレス・コンテスト」優勝(記録:225kg) |
2010年3月 | サイパンに初遠征 |
2010年4月 | 全日本プロレス「2010 ジュニア・タッグリーグ戦」準優勝(2勝1敗1分・5チーム中同率1位〉 |
2010年7月 | B・D・ブードゥー&TARU組の保持するアジアタッグ選手権に挑戦(奪取ならず) |
2010年8月 | 諏訪魔会長の指名により全日本プロレス選手会副会長就任 |
2010年10月 | 大鷲プロレスに「コンドッティ修司」として参戦 |
2010年11月 | 3回目の台湾遠征 |
2011年1月 | DRAGONGATE勢と6年振りの対戦 |
2011年3月 | 「HOLD OUT TOUR 2011」パンフレット表紙に 宮城県石巻にて東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に被災〜奇跡の生還 稔選手の保持する世界Jr王座に挑戦(奪取ならず) |
2011年4月 | 全日本プロレス「2011 ジュニア・タッグリーグ戦」予選リーグ敗退 | 2011年5月 | デビュー10周年 |
2011年6月 | KAI選手と世界Jr王座決定戦を争う(奪取ならず) |
2011年8月 | FIGHTING TV SAMURAI『S-ARENA』(8/10生放送)ゲスト出演 真田聖也&征矢学組の保持するアジアタッグ王座に挑戦(奪取ならず) 東日本大震災復興支援チャリティー興行「ALL TOGETHER」武道館大会参戦 |
2011年11月 | 4回目の台湾遠征にてD・オズ&D・クエルボ組の保持する世界タッグ王座に挑戦(奪取ならず) |
2012年1月 | NOAHマットに5年振りの参戦 |
2012年2月 | NOAH所管のタイトル(鈴木鼓太郎&青木篤志組の保持するGHCジュニア・ヘビー級タッグ王座)に初挑戦(奪取ならず) 東日本大震災復興支援チャリティー興行「ALL TOGETHER」仙台大会参戦 |
2012年3月 | DDTマットに4年半振りの参戦 ケニー・オメガ選手の保持する世界Jr王座に挑戦(奪取ならず=タイトル挑戦10連敗) |
2012年4月 | 全日本プロレス「2012 ジュニア・タッグリーグ戦」優勝 |
2012年5月 | 関本大介&岡林裕二組の保持するアジアタッグ王座に挑戦(奪取ならず) |
2012年6月 | NOAHマットへこの年3度目の出陣 |
2012年7月 | 新日本&全日本創立40周年記念興行「We are Pro-Wrestling Love!」両国大会参戦 全日本プロレス「2012 JUNIOR HYPER LEAGUE」準優勝 |
2012年8月 | 沖縄プロレスに初参戦 |
2012年9月 | NOAH・金丸義信選手が保持するGHCジュニア・ヘビー級王座を奪取、第25代王者に |
2012年11月 | GHCジュニア・ヘビー級選手権戦(=初防衛に成功) |
2012年12月 | GHCジュニア・ヘビー級選手権戦(=2度目の防衛に成功) |
2013年1月 | 大和ヒロシ選手が保持する世界Jr王座と自身が持つGHC Jr王座とのダブルタイトル戦に勝利、GHC Jr3度目の防衛に成功するとともに、世界Jr第34代王者に 田中稔&金本浩二組の保持するアジアタッグ王座に挑戦(奪取ならず) DDTプロレス新春興行にシークレットゲストとして参戦 GHCジュニア・ヘビー級選手権4度目の防衛に失敗し王座転落(2冠王としては25日天下に) |
2013年2月 | 世界Jr王座初防衛に失敗し、無冠に 「チーム・ディストラクション」を発展的解消して新ユニット「L/R」加盟へ |
2013年3月 | 紅白プロレス合戦に初参戦(悪冠一色、久々の復活) |
2013年6月 | 鈴木鼓太郎&青木篤志組の保持するアジアタッグ王座に挑戦(奪取ならず) ユニット「L/R」解散 全日本プロレスを退団 |
2013年7月 | 新団体WRESTLE-1旗揚げ会見 |
2013年9月 | 新団体WRESTLE-1旗揚げ戦に出場(コスチューム新調&入場テーマ曲がオリジナル曲に) 大日本プロレスに参戦 |
2013年11月 | 大日本プロレスに参戦・関本大介選手が保持するBJWストロングヘビー級王座に挑戦(初のヘビー級王座挑戦・奪取ならず) 紅白プロレスに参戦 |
2014年3月 | WRESTLE-1初の両国大会で、D・リチャーズ&E・エドワード組の保持するTNA世界タッグ王座に初挑戦(奪取ならず) 両国大会で膝を負傷して直後の3大会を欠場 リングソウル設立15周年イベントに参戦 |
2014年4月 | KAIENTAI DOJOに8年ぶりに参戦し、火野裕士&HIROKI組の保持するSTRONGEST-K TAG王座に初挑戦(奪取ならず) |
2014年6月 | ZERO1マット初参戦 台湾でエキシビションマッチ |
2014年8月 | DDTプロレス両国大会で飯伏幸太選手と一騎打ち |
2014年9月 | W-1無差別級王者決定トーナメント1回戦でカズ・ハヤシ選手と久々の一騎打ち |
2014年10月 | W-1無差別級王者決定トーナメント準決勝でKAI選手に敗れる |
2014年11月 | ZERO-1×W-1全面対抗戦で田中将斗選手と一騎打ち 同全面対抗戦で吉岡世起選手と組んで菅原拓也&"brother"YASSHI組が保持するNWAインターナショナルライトヘビー級タッグ王座に挑戦、勝利して第17代王者組に W-1「First Tag League Greatest」初優勝でWRESTLE-1タッグチャンピオンシップ初代王者組に |
2014年12月 | WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ(=初&2度目の防衛に成功) |
2015年1月 | WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ(=3&4度目の防衛に成功) |
2015年2月 | NWAインターナショナルライトヘビー級タッグ戦(初防衛に成功) WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ(=5度目の防衛に成功) |
2015年3月 | NWAインターナショナルライトヘビー級タッグ戦2度目の防衛に失敗し王座転落 |
2015年4月 | WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ(=6度目の防衛に成功) |
2015年5月 | WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ(=7度目の防衛に成功) |
2015年6月 | WRESTLE-1チャンピオンシップ(シングル王座)に初挑戦(奪取ならず) |
2015年7月 | WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ8度目の防衛に失敗し王座転落 |
2015年8月 | WRESTLE-1 GRAND PRIX 2015決勝で征矢学選手に敗れる |
2015年10月 | 「チーム246」解散と新ユニット「TriggeR」結成を宣言 |
2015年11月 | WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ2度目の戴冠 |
2016年3月 | WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ初防衛に失敗し王座転落 WRESTLE-1チャンピオンシップ(シングル王座)に挑戦(奪取ならず) 右膝負傷(半月板断裂など)により長期欠場へ |
2016年7月 | WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ挑戦も奪取ならず 8年振りの「近ブラ」タッグ再結成 |
2016年10月 | UWAトリオ王座に12年振りのリマッチ(奪取ならず) |
2016年12月 | UWAトリオ王座12年振り3度目の戴冠 |
2017年2月 | UWAトリオ王座初防衛戦の前日に葛西選手インフルエンザ感染により王座返上 第53代王者組決定戦出場も奪取ならず |
2017年4月 | 株式会社GENスポーツエンターテインメント取締役副社長に就任 諏訪魔選手とのチーム・ディストラクションを一夜限りの復活 UWAトリオ王座奪還で第54代王者組に 戴冠の1週間後に行われた初防衛戦でUWAトリオ王座転落、7日天下に終わる WRESTLE-1チャンピオンシップ(シングル王座)に挑戦(奪取ならず) FIGHTING TV SAMURAI『プロレスのススメ #25&26』(4/19&4/26放送)ゲスト出演 |
2017年5月 | UWAトリオ王座5度目の戴冠 |
2017年6月 | UWAトリオ王座転落、29日天下に終わる |
2017年8月 | WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ挑戦も奪取ならず |
2017年9月 | チーム246復活でWRESTLE-1タッグチャンピオンシップ返り咲きを果たす |
2017年11月 | WRESTLE-1タッグ王座転落 |
2018年1月 | 全日本マットに4年半振りの里帰り参戦 |
2018年2月 | 全日本プロレス「Jr.BATTLE OF GLORYリーグ戦」優勝 |
2018年3月 | 世界ジュニアヘビー級王座に5年振りに挑戦も奪取ならず |
2018年8月 | 土肥選手とのコンビでWRESTLE-1タッグチャンピオンシップ4度目の戴冠 |
2018年9月 | 世界ジュニアヘビー級王座5年半振り3度目の戴冠 『南海キャンディーズのジャブジョブ』(静岡第一テレビ・180922放送)に出演 |
2018年10月 | 「WRESTLE-1 Tag League 2018」優勝戦とWRESTLE-1タッグチャンピオンシップの変則ダブルタイトル戦を制す |
2018年11月 | 世界ジュニアヘビー級王座転落 |
2019年1月 | DRAGON GATEマットに14年振りの里帰り参戦、望月成晃選手とシングルマッチ 土肥選手の負傷により、W-1タッグ王座を返上 |
2019年4月 | DRAGON GATEマットに伝説のヒールユニット「悪冠一色」5名が勢揃い |
2019年5月 | W-1チャンピオンシップ挑戦も奪取ならず 大鷲透自主興行「ルチャンコ・マニア」参戦で望月成晃選手を含めた「悪冠一色」6名が完全集結 |
2019年6月 | 立花選手とのコンビでWRESTLE-1タッグチャンピオンシップ5度目の戴冠 |
2019年7月 | DRAGON GATE神戸ワールド大会参戦、かつての師匠ウルティモ・ドラゴン選手とタッグ対戦 立花選手の負傷により、W-1タッグ王座を返上 |
2019年9月 | W-1横浜大会で、かつて所属の極悪ユニット「VooDoo Murders」に一夜限定復帰 |
2020年4月 | WRESTLE-1が後楽園大会を最後に活動休止、所属契約解除でフリーランスに |