2001年試合コメント
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以下青字部分が修司選手のコメント、他は管理人によるコラムです。

002 デビュー2戦目を終えて
「ショッパイ! とにかくショッパかった! 全然ダメ! 前日のデビュー戦は校長にも褒めてもらえたんだが、この日はお叱りを受けた」
「ショッパイ」とは、自己の力を出せなかったり、相手の力を引き出せなかったり、試合の流れが悪かったり…等々で観客を沸かせられなかった、イマイチな試合のことです。マット界ではこの上なく屈辱的な言葉ですので、間違ってもプロレスラー様に向かって「今日はショッパイ試合でしたね〜」などと言ってはイケマセン!大相撲出身の力道山先生を始祖とする日本マット界には、食事全般を「チャンコ」と呼ぶなど、相撲由来の業界用語が実に多いのですが、「ショッパイ」はその代表的な隠語です。管理人Sはこの語源が「新弟子がつくった、塩加減を間違えたマズいチャンコ」もしくは「塩が撒かれる土俵に転がされることが多い弱い力士」にあるのではないかと推測しています。
※『VAMONOS AMIGOS! 闘龍門 MEXICOスペシャル4周年記念自主興行』'01.7.14放映

004 テクニコって?
「善玉のこと。昔はリンピオって言ってたって?今は言わない」
テクニコとはルチャ・リブレ(メキシカン・プロレス)で言う「善玉」のことで、アメプロ(アメリカン・プロレス)では「ベビーフェイス」。ルードは「悪玉」(アメプロでは「ヒール」)を指します。オールドファンにとってはルチャで善玉と言えば「リンピオ」なのですが、現在は違うようです。新人である修司選手は、試合によってテクニコにもルードにもなっていますが、いずれどちらかに決定されるようです。当人は
「俺はルードだろう」
と言ってましたが…うん、そうかも(笑)。

006 小川内選手の「鬼殺し」
「斉藤了さんの"サイクリング・ヤッホー"に似た関節技。キツイよ」
GAORAでO・Aされたデビュー2戦目でもこの技を掛けられています。コメンテーターの藤本”奇天烈ライター”かずまさ氏と司会の高柳謙一氏が「これがサイクリング・ヤッホーやGHロック(堀口元気選手のオリジナル技)等に進化するんでしょうね」とトークされていた、あの技です。小川内選手の必殺技には、この「鬼殺し」のほかに「サムライ・ロック」がありますが、九州男児(大分県出身)らしく、いずれも地場産の焼酎からその名を取ったそうです。

017  八木選手の「タコつぼ固め」
「呼吸ができなくなって、とにかく苦しい。俺は体がカタいので、関節技を決められるとキビシイ」
こんなにキッパシ自分の弱点バラしていいんか??

019  ピカチュー選手って、何者?
「ポケモンのピカチュウのマスクをかぶった、ふつうのオッサン」
闘龍門MEXICOからのリリースでは「ピカチュー」となっていますが、実際は「ポケモン2001」。どちらにせよ、ふざけたリングネームです(笑)。日本だったら肖像権侵害で即刻アウトでしょうが、そこはメヒコならではと言うことで、任天堂関係者の方、どうか何も聞かなかったことにしてください。

023 大荒れの6人タッグ戦!記念すべき(?)初の反則負けの真相
「ファンからジュースの缶を投げられて足がすべって、コーナーポストにヒザをぶつけて…それでキレた。で、相手のマスク剥いでビリビリにして、客席に投げてやった。レフェリーには「俺がやったんじゃない」ってアピールしたんだけど、客席からBOO(ブーイング)くらって反則負け」
試合後、修司選手はヒザからの出血の激しさに
「貧血で倒れそうになった」
そうです。試合中もかなり痛んだそうですが
「ガンガン足踏みをしたら大丈夫だったので、骨折はしていないと思った」
とのこと。骨折の自己診断としては、あまりにもムチャクチャです。修司選手が負ったケガの顛末については、同日以降の「肉日記」をご参照ください。ちなみに、2本目の決め技「シャープシューター」は修司選手いわく
「左足から入るサソリ固め。アメプロファンならみんな知ってるよ」
とのことですが、T2Pなのにアメプロの関節技・・・・。

024 急遽決定した日本デビュー戦
「メキシコを出た時は、闘龍門JAPANで試合するなんて夢にも思わなかった」
9・30大田区大会で挨拶した6選手を除くT2P勢は10/17に校長とともに帰国したのですが、その機内で出場を告げられたそうです。まったくの予定外でしたが、当時の闘龍門JAPANはケガのため戦線離脱する選手が続出しており、結局ミラノコレクションA.T.選手と大柳錦也選手を除く全選手が「T2Pエキシビション」として、逆上陸興行を前に日本デビューを果たすことになりました。この「LA GRAN PELEA 〜さよならSAITOシリーズ〜」に修司選手は、第6戦から第11戦(シリーズ最終戦)までの計6試合に参戦しています。

027 小川内選手との純正同期タッグ結成
「試合前に打ち合わせして、連係を1個やった。小川内のソバットと俺の延髄ラリアットの合体技」
チーム抗争が主体の闘龍門では「同期入門」ということがあまり意識されませんが、BI(ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さん)、闘魂三銃士(武藤敬司・蝶野正洋・橋本真也選手)など、プロレスファンにとって「同期」は、かなり気になるキーワード。闘龍門8期生でデビューも同日の両選手、将来テクニコとルードに別れたら、この同期生タッグも貴重なカードとなるかもしれません。

028 T2P逆上陸興行のオープニングマッチ決定?
「校長からグッドマッチと言っていただいた試合。八木さんは、試合運びがとてもうまい」
いわゆる「試合巧者」というのでしょうか。八木選手は、技の仕掛けのタイミングや、試合全体の組み立てに秀でているそうです(八木選手ファンのあなたは"通"かも)。この試合が影響したのでしょうか、その後ドラゴン校長から「このカードを逆上陸の第1試合にする」と告げられたそうです。

029 初のセミファイナル出場
「校長から及第点をいただき、ホッとした。始まるまではさすがに緊張したが、一度組みついてしまえば、もう余計なことは考えない」
練習生時代に神戸のJAPAN道場で指導を受けた「先生」であるSAITO選手の引退試合に、当日発表された「T2P代表選手」として出場することになり、「今日の仕事は休憩時間での挨拶とリングの撤収」だけと思っていた修司選手はビックリ!なんと、試合開始直前のT2P記者会見終了後に、出場が決定したそうです。この日見事に決まったランサルセについて、試合後にSAITO選手から「いや〜、飛んだねえ」と声をかけていただいたそうです。もしかしたら、教え子の成長を喜んでもらえたのかもしれません。修司選手も試合終了直後に道場流の正座での挨拶をして、精一杯の感謝の気持ちを表しました。SAITO選手、ほんとうにお疲れさまでした。
※『VAMONOS AMIGOS! 闘龍門 #22』'01.11.17放映

030 まさかのJAPAN11月シリーズ緊急参戦
「(八木選手に)仕掛けた技をことごとく返された。まったく不本意」
前シリーズで思いがけず6試合も組んでもらった修司選手は、11・13後楽園のチケットを買ってくれた友人知人へのチケット渡しを兼ねて、つかの間の休暇をいただき約1年ぶりに帰省。しかし、そんな彼のもとへ突然の呼び出しが!出場はないと思っていたJAPAN11月シリーズ「LA GRAN PELEA」開幕戦に急遽参戦が決定。プロレスラー、いつどこで試合があるかわかりません!静岡から愛知までクルマを飛ばして会場入り。深夜に実家に戻ったそうです。その後、修司選手は11/6のファンイベント参加のため、4日に神戸道場に向かいました。

031 ついに迎えたT2P日本逆上陸興行
「見ての通り。結果はしゃあない。またすぐに八木さんとやるから、お返しはその時に」
T2Pの逆上陸興行第1弾「DESEMBARCAMIENTO」(スペイン語で「民族上陸」の意)開幕戦。その記念すべきオープニングマッチとあって、修司選手も「勝ちたいねえ」と言っていたのですが…。それでも、超満員のファンを前に白熱の好試合を展開して場内を盛り上げ、第1試合出場選手としての役割を果たしました。
※『VAMONOS AMIGOS! 闘龍門 #23 T2P逆上陸スペシャル』'01.11.23放映
※週刊プロレスビデオ増刊vol.36『T2P、日本上陸!』('02.1.30発売)収録

032 YD杯1回戦勝ち抜けの秘技「ゴリラ・クラッチ」!
「新技で勝った。ファンから"ジャベの決め技がない"って言われ続けるのもシャクだから」
「DESEMBARCAMIENTO」第2戦のこの日から、第5回大会にして初めて日本で開催された「ヤングドラゴン杯」1回戦がスタート。デビュー半年ながら小川内選手とともにエントリーされた修司選手は、八木選手と対戦。開幕戦で誓った報復(?)を早くも実現して、12・2にメキシコで行われる準決勝進出を決めました。注目の新技「ゴリラ・クラッチ」ですが、実は以前から「フィニッシュとして使えるジャベ」を考えていたらしく、YD杯1回戦突破の秘密兵器として初披露となったようです。ところが、オリジナル技の開発はしたものの、その名前までは考えていなかった修司選手は、試合後にプレスリリース用に技の名を発表しなければならなくなって大弱り。なかばヤケで、この名前に決めたそうです。
※週刊プロレスビデオ増刊vol.36『T2P、日本上陸!』('02.1.30発売)収録

035 T2P逆上陸シリーズ終了後のJAPAN興行参戦
「ファンがジャベを解りはじめてきた。ジャベを出すと、どの会場でも以前より反応がいい」
逆上陸シリーズも盛況のうちに幕を閉じ、すぐにメヒコに戻るのかと思いきや、再び「LA GRAN PELEA」にお呼びが掛かりました。さすがに「急遽」慣れして、今回は当人も驚きませんでしたが。今回の滞在中、JAPAN興行には計10会場で試合をしたわけですが、逆上陸シリーズを境に、ジャベを出した時の会場の沸き方が違ってきたそうです。T2P興行に来ていただいた方はもちろんですが、その模様が各専門誌で多くのページを割いて掲載された影響も大きかったのでしょう。

037 故郷・静岡での初試合
「誰にも知らせてなかったが、高校のラグビー部の後輩が見に来てくれてた」
出身市町村でのいわゆる「凱旋興行」ではありませんでしたが、JAPANの興行にもかかわらずセミファイナルに試合が組まれた修司選手。3大エースの一角・CIMA選手が出場した第1試合が実質のセミであったにせよ、キャリア半年の選手のみで務めたセミファイナルは、おそらくマット界史上初ではないでしょうか。そんな記念すべき?試合でしたが、急遽決まったこともあって応援団はおろか、家族ですら所用のため誰ひとり見に行けなかったそうです。それよりも修司選手は、「試合後会場を出た時に、たまたま旧友と出くわした」ことに驚いたとのこと。たぶん旧友のほうがもっとビックリしたことでしょう。修司選手はこの翌日、帰国?の途につきました。

038 初の1日2試合!その初戦
「体調悪いし、酸欠状態で・・・・死ぬかと思った!」
1回戦終了時点で、勝ち上がり各選手から「気をつけたいのは近藤修司」とマークされ、マスコミ各誌の下馬評でも「対抗」と目されたことから、当人も俄然やる気になっていました。ところが、メヒコに戻った修司選手を待っていたのは、8ヵ月も住み続けてすっかり慣れたと思っていた汚くて薄い空気。到着直後に気管支をやられてしまい、満足のいくトレーニングができないまま、この大事な試合に臨むことになってしまいました。この準決勝では、岩佐選手の出場辞退(鎖骨骨折のため)により「特別推薦選手」に選ばれた小川内選手と対戦しましたが、「これまで経験した中でいちばん苦しい試合」だったようです。
※週刊プロレスビデオ増刊vol.37『ジャベムーチョ! T2Pのつくり方』('02.3.3発売)収録

039 YD杯優勝戦進出
「結果はしゃあない。でも、勝ちたかった」
最悪のコンディションでしたが、なんとか準決勝を突破して、いよいよ迎えた優勝決定戦。「パワーファイター同士でしかできない試合を見せたい」と、準決勝抽選前から望んでいた「不動の本命」大鷲選手との対戦となりました。死ぬかと思った準決勝よりは呼吸もラクになり、力いっぱいの闘いを展開したのですが、残念ながら敗れてしまいました。それでも、大舞台で初の1日2試合をこなした修司選手。この貴重な経験は、将来の大きな財産となることでしょう。
※『VAMONOS AMIGOS!闘龍門 12・10駒沢オリンピック公園大会スペシャル』'02.1.2放映
※週刊プロレスビデオ増刊vol.37『ジャベムーチョ! T2Pのつくり方』('02.3.3発売)収録

【第5回ヤングドラゴン杯トーナメント全試合結果】
1回戦
○近藤修司(12分21秒 ゴリラ・クラッチ)八木隆行● ※11・16梅田
○川畑憲昭( 7分46秒 武輝固め)三島来夢●      ※11・16梅田
○岩佐卓典( 8分27秒 ルクレチア)福政淳也●     ※11・18名古屋
○大鷲 透(11分53秒 千秋楽固め)小川内潤●    ※11・19佐久
準決勝
○近藤修司(7分40秒 ゴリラ・クラッチ)小川内潤●
○大鷲 透(6分20秒 千秋楽固め)川畑憲昭●
決勝
○大鷲 透(9分38秒 千秋楽固め)近藤修司●

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