2005年試合コメント
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試合の背景並びにTV放映データなどを記録した、管理人によるコラムです。

番外 全日本プロレス2・16代々木大会に乱入、TARU選手率いる「Voodoo Murders」と合体して参戦アピール
2004年暮れにDRAGON GATEを悪冠一色メンバー全員とともに電撃解雇され、『週刊ゴング』(2005.2.2号)誌上で悪冠一色の解散を宣言。以後、公の場にまったく姿を見せなかったドッティでしたが、一般人から遅れること1ヵ月半、ついに今年の仕事始めとなりました。
闘龍門〜DG時代になじみの深い代々木競技場第2体育館で行われた全日本プロレスのビッグマッチ(大会名は『REALIZE』=観衆6,000人・超満員札止め。この日のメインは三冠ヘビー級「川田vs小島」戦)の第4試合として施行された「RO&DvsVOODOO-MURDERS30分1本勝負(TAKAみちのく&ブキャナン&リコ組vsTARU&ジョニー・ザ・ブル・スタンボリー&チャック・パルンボ組戦)」の試合途中、TARU選手がTAKAみちのく選手のキックをレフェリーに誤爆させ無政府状態となったところへ、"brother"YASSHI選手とともに私服姿のドッティが乱入。TAKAみちのく選手にランサルセを見舞い、さらにYASSHI選手とバビロンを炸裂させ、場外ではブキャナン選手、リコ選手ら大型選手と乱闘を展開しました。こうして、TARU選手が2月13日の博多大会で予告した「Voodoo Murders」の新メンバーがドッティ&YASSHI選手であることが明らかになりました(試合は9分14秒「187」→体固めでパルンボ選手がリコ選手を下しています)。
「Voodoo Murders」(ブードゥ・マダーズ=「悪魔教の殺戮者たち」=以下VDM※)は、DRAGON GATEを昨年11月に退団後、今年1月の全日プロ『新春シャイニングシリーズ』に突如参戦したTARU選手が元WWEでFBIとして活躍したスタンボリー選手(2004年後期に全日本マットに登場したマスクマン・GREAT MUTA選手が正体を明かす)と結成し、さらに2月の『2005エキサイトシリーズ』で同じく元WWE・FBIのチャック・パルンボ選手を加えた全日の最新ヒールユニット。なお、スタンボリー&パルンポ選手のWWE時代のユニット・FBIは「フル・ブラッド・イタリアン」の略であり、「イタリアン・コネクション」としてローマ出身・コンドッティ&ジェノバ出身・YASSINIと名乗っていた時代がある2人としては、彼らとの合体に因縁めいたものを感じますが、これは単なる偶然と考えられます。
※マスコミ等では「ブードゥ・マーダーズ」と表記されていますが、リーダーのTARU選手がネイティブの発音と思われる「マダーズ」を名乗っていることから当HPもそれを踏襲。なお、略称もマスコミ表記は「VM」ですが、軍団旗には「VDM」と書かれていることから当HPでの略称もそれに倣います。
活動形態としてはおそらく、VDMのジュニア部門として全日ジュニアの制圧を目標としていくものと思われます。その点では、現世界Jr王者のTAKAみちのく選手が率いる最強外国人ユニット「RO&D」との全面抗争をスタートさせたばかりのVDMへ新加入は誠に好都合で、これを足がかりとして、今後の挑発次第ではいきなりタイトル挑戦というチャンスもあるかもしれません。また、全日Jrのエースであるカズ・ハヤシ選手、同業者(ヒール)であるNOSAWA論外&MAZADA選手の「東京愚連隊」、ルチャの大御所であるミニ・ラブ・マシン選手、さらにフリー参戦しているAKIRA選手や中嶋勝彦選手など、対戦相手には事欠きません。あるいはメヒコ時代に因縁の深い元TORYUMON Xの石森太二選手も全日マット出場歴があることから、いずれ再会もあるかもしれません。ちなみにMAZADA選手は当HP「メキシコ肉日記」にも登場しています。当時彼が経営していた飲食店(の椅子)を破壊したYASSHI選手との抗争が勃発する…かどうかはわかりませんが。
また、全日本に定着できた場合には将来的に、同マットの「全方位外交」の路線に乗って他団体Jrへの出陣まで考えられ、キャリア4年目を迎えるドッティにとって、2005年は勝負の年となりそう。あくまでも今後の活躍如何ではありますが、ドッティとYASSHI選手の「夢の扉」は、DRAGON GATEを飛び出したことで大きく開けて来たような気がします。いずれにせよ、ドッティ&ブラザーのコンビが全日Jrを活性化させることを願ってやみません。
それにしても、DRAGON GATEを脱退した選手同士とは言えTARU選手との合体は、Crazy-MAXとイタコネ〜はぐれ軍団〈仮〉〜悪冠一色に連なる抗争、また昨年夏の「お台場毎日プロレス」での因縁(当HP「SCORE〜COMMENT2004」参照)を考えると、感慨深いものがあります。
〈追記〉「2・16」という日付に管理人はずっと引っかかりがあったのですが、その答えは2年前にありました。03年2月16日の闘龍門JAPAN後楽園大会でSUWA選手(現在はプロレスリングNOAHに参戦中)とホールのロビーからバルコニーまでを使っての大乱闘を展開しています(当HP「SCORE〜COMMENT2003」参照)。「2・16」は、ドッティのターニングポイントと言えるかもしれません。
※『SKY Perfec TV!! LIVE SPECIAL REALIZE』(SKY PARFECT CHOICE 180ch・PPV放送)'05.02.16放映
『ALL JAPAN PRO-WRESTLING プロレスLOVE 〜夜のシャイニングインパクト〜』(テレビ東京)'05.03.08放映
『全日本プロレススペシャル REALISE 2.16国立代々木競技場第2体育館』(GAORA)'05.04.06放映

458 王道マットでの初試合で初フォール勝ち
全日3月シリーズの『HOLD OUT TOUR 2005』開幕戦で、今年の初試合となったドッティ&YASSHI選手。TARU選手とのトリオで、VDMジャパン軍とも言える布陣(スタンボリー&パルンボの両選手は当シリーズは3・15からの参戦)。初戦の相手は因縁のRO&Dでした。なお、武藤選手、川田選手(※3月8日にフリー宣言するも全日本マットには継続参戦とのこと)の全日2大巨頭は、2・20に四冠(三冠+IWGP)王者に輝いた小島選手がメインのシリーズとして、この日の開幕戦には参戦せず。そのため、初戦からセミファイナルに組まれたようです。
新天地での再出発ということか、ドッティは悪冠一色のイメージカラー(毒々しいまでの赤)を捨て、YASSHI選手ともどもVDM仕様のコスチュームを新調。イタコネ〜悪冠一色時代の「腕ヒラヒラ」「脚フサフサ」は踏襲したものの、カラーを黒にチェンジ。ちなみに、デビューからイタコネ結成に到る約10ヵ月間も黒でしたが、当時はいわゆる「新日ストロングスタイル」仕様で、今回の新コスとは見た目の印象が大きく異なっています。
試合では、ドッティは開始から5分後に初登場。ヘビー級の太陽ケア選手との絡みはほとんどなく、ファイト振りは昨年までと変わらず(「ポーンと上げてアバランシュ」を当たり前のように繰り出していたのが印象的)。新コンビのTARU選手との連係では、YASSHI選手との連係技・バビロン直後に、ドッティ&YASSHI選手が倒立〜開脚させたK選手の股間へTARU選手がかかと落としを見舞うという連係連続技を披露。TARU選手のこの技は昨年まではCrazy-MAXの選手たちがアシストしていたことを考えると、驚きを禁じ得ません。ちなみに、これまでずっと敵対してきたTARU選手とのタッグはこの日が初ではなく、2003年春に一度だけ結成されています(「SCORE2003」の136参照)。
なお、全日初進出の会場となった「新木場1st RING」は女子プロレスのJDスターのホームリング。コンパクトな作りながら花道が常設されており、どの方角からでも観戦しやすい「ハコ」でした。
※『ALL JAPAN PRO-WRESTLING プロレスLOVE 〜夜のシャイニングインパクト〜』(テレビ東京)'05.3.22放映
『ALL JAPAN B-Banquet #46』(GAORA)'05.04.09放映

459 「コジカズ」&「論カズ」との初対決、全日本初メイン出場で勝利
全日本参戦2戦目にして、三冠(PWF・UN・インターナショナルヘビー級)+IWGPヘビー級の四冠王者・小島選手、全日Jrのエース・カズ選手に加えて、今シリーズからカズ選手と"全日Jrを盛り上げるために結成されたユニット"「論カズ」を始動させたNOSAWA選手のトリオと対決。しかも全日本のメインイベント初出場のおまけまで付き、そのうえ勝利するという、VDMの日本人部隊の実力を見せた一戦となりました。
ちなみにカズ選手は、ドッティにとって「どこまで行っても(終生変わることのない)師匠」(『週刊ファイト』2005年3月1日号インタビュー記事より)であるウルティモ・ドラゴン闘龍門校長がエースとして君臨したユニバーサルプロレスでデビュー(当時のリングネームは「獅龍」)。その経緯から、両者の対戦は「浅井嘉浩イズムを継承する同門対決」と呼べるのかもしれません。

460 全日本でのシングル初出場で勝利
全日本のシリーズ初参戦中、唯一のシングル戦が組まれましたが、情報によると全日本所属選手の何人かが会場の後方から観戦していたとのこと。かつての所属団体である闘龍門JAPAN〜DRAGON GATEでビッグマッチのメインを張った経験のあるシングルプレーヤー・近藤修司に対する査定試合という意味合いがあったのかもしれません。
シリーズ前に主要カードが発表される全日本で、ドッティ自身このカードが組まれたことは事前に把握していたようです。そのため、DG時代とは違って充分に対策を考える時間があり「実力の誇示+ヒールとしての存在感アピール」を両立する「セコンドを介入させての勝利」をプランニング。計算通り(?)にまんまと勝利をものにしています。
相手の雷陣選手は1998年に栗栖正伸ジムでデビューしていますが、実質的なプロ活動は全日本入団後に再デビューした2004年8月以降。かたやドッティはデビューから4年弱とは言え、この日で通算460試合目を迎えているわけですから、プロとしてのキャリアの差を最大限に生かし切ったと言えるかもしれません。
なお、この日のドッティの本当の敵は「不慣れなマット」。大型選手が多いからか、全日本はマットを硬めにしているらしく、この試合中にドッティは右肩を捻挫してしまい、胸も強打してしまった模様です。以降の試合は右肩にテーピングを施しての出場となりましたが、これまでは「ナチュラルな肉体派」をアピールすべく多少のケガではテーピングをしなかったので、よほどのダメージを負ったものと思われます。

464 全日本での初の後楽園大会出場
昨年11月以来の後楽園登場。本間選手との「肩口へのエルボー合戦」がこの日のハイライトシーン。気迫を前面に出しガンガンぶつかってくる本間選手のスタイルは、かなり手が合いそうです。
なお、この日のメインはケア&ジャマール組〈RO&D〉 vs スタンボリー&パルンボ組〈VDM〉の世界タッグ選手権。全日本のベルト初挑戦となったVDMの戴冠はなりませんでしたが、TARU選手が今大会での投入を予告していたVDM6人目のメンバーのジャイアント・バーナード選手が試合終了直後に乱入し、見事な「バッドエンド」に。セコンドに付いていたドッティもYASSHI選手も実にうれしそうで、バッドエンドが許されなかったDRAGON GATE時代の憂さを晴らしていたように見えました。
※『NEAR LIVE SPECIAL HOLD OUT TOUR 2005 3・20後楽園ホール』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.3.20放映

465 全日本での初シリーズ終了、チャンピオン・カーニバル出場決定
主要会場では初の、Jr選手のみによるタッグマッチに出場。全員がルチャの流れを汲んでいることもあり、今後の全日Jrのスタンダードとなり得る闘いが展開されましたが、NOSAWA選手に促されたハヤシ選手の「塩攻撃」を避けたドッティが、視界を失ったNOSAWA選手にラリアットを叩き込んで決着。試合後、なぜかTARU選手とYASSHI選手が「近藤修司を次期チャンピオン・カーニバルにJr枠で出場させろ」とアピール。この日の興行終了後に出場予定の主要メンバーがリングに集まり、軍団ごとにアピール合戦を行いましたが、ここにもドッティの姿が。そして2日後の3月23日、全日本オフィスからAブロックへのエントリーが正式に発表されました。異例とも言えるこの抜擢に、記者会見の席で渕正信取締役は「ここにきて…いかにメジャー団体のリーグ戦が、CCが大変かを体験するのも、いいんじゃないの?TARUのゴリ押しもあるんだけどね。RODとVMから、ちょうど3人ずつでいいかなと。 CCにフレッシュな選手が参加しても、いいかなと。最終戦で(カズのチームに)勝って、アピールもあったしね」とコメント。いずれにせよ、闘龍門出身選手として初の「メジャー団体のリーグ戦エントリー」となり、メジャー参戦2シリーズ目にして早くもその真価が問われることとなりました。
※『ALL JAPAN B-Banquet #48』(GAORA)'05.04.23放映

466 チャンピオン・カーニバル開幕!ストーム選手との初戦のフィニッシュは「A.T.ロック」
今大会の正式名称は「eBet presents 2005 チャンピオン・カーニバル」(協賛:(株)アーティング、PCボンバー、戸田競艇)。1973年に始まり、今年で25回を数える(1983〜90年は開催せず)"春の祭典"。日本マット界ではもちろん最長の歴史を誇るシングルリーグ戦で、優勝経験者もジャイアント馬場(7回・73〜75、77〜78、81〜82年)、アブドーラ・ザ・ブッチャー(2回・76、79年)、ジャンボ鶴田(2回・80、91年)、スタン・ハンセン(2回・92〜93年)、川田利明(2回・94、97年)、三沢光晴(2回・95、98年)、田上明(96年)、ベイダー(99年)、小橋健太(現・建太。2000年)、天龍源一郎(01年)、武藤敬司(2回・02、04年)、小島聡(03年)とビッグネームばかり。闘龍門出身選手として初めての参加となるドッティですが、ジュニア主体のインディー団体出身の選手にとっては参加自体がすでに快挙と言えるほど権威がある大会で、勝敗はともかくわずか1週間の中でヘビー級のトップ選手相手にシングル5連戦を行うという、ドッティのプロキャリア史上最大の試練を迎えました。
ちなみに冠スポンサーのeBetは、会員登録をしたユーザーにスポーツイベントの勝敗を予想させ、的中ポイント上位者に賞品を提供する私設ベッティングサイト。当然CCも対象となっており、最も予想が難しい開幕直前から、決勝トーナメント進出選手が絞り込まれるリーグ戦終了直後まで、興行ごとに締め切りが設定されていました。ちなみに、大会開催直前の4月9日締切の単勝(優勝者予想)最終オッズは小島:3.39倍、川田:3.44倍、武藤:6.18倍、佐々木:8.66倍、ジャマール:9.56倍、ケア:20.9倍、バーナード:50.49倍、近藤:149.18倍、パルンボ:306.53倍、ストーム:322.1倍、諏訪間:374.3倍、ブキャナン:386.32倍。錚々たる出走馬の中でドッティは当然のように万馬券でしたが、Bブロックからの勝ち上がりは波乱なしと見たファンが多かったのかBブロック出場のうち3選手に高いオッズが付いたため、12選手中8番目にランクされていました(ドッティの各試合におけるオッズは後述)。
開幕前日には東京ドームホテルで外国人選手を除く出場メンバーによる記者会見が開催され、ドッティのコメントは「敵は(チーフレフェリーの)和田京平。(セコンドに付いてくれるVDMの)数にモノを言わせて勝ち上がる」「(マークする選手は)小島、佐々木、和田京平」。公式戦全試合にサブレフェリーを付け、セコンド介入をはじめとする反則行為を許さないという方針を打ち出している団体側を当てこするような発言を連発していました。
初戦では、その予告通りにセコンドのTARU選手とYASSHI選手を効果的に乱入させ、試合そのものはシングルでの常套手段「一点集中」でストーム選手の左腕に集中攻撃。最後はT2Pファンを驚かせるミラノコレクションA.T.選手の得意技「A.T.ロック」で、開幕白星を奪取しました。
試合そのものは、客席から罵声が飛ぶなど内容的には「やっちゃった」というもので、CCの先行きを心配させるものでしたが、全日本ファンには消化試合でしかなかったこの試合に強烈な味付けをしたのがフィニッシュのA.T.ロック。試合後の記者コメントでも「A.T.ロックって書けよ!」とあるように、狙って出したのは明らか。ラリアッターの多いAブロック対策として、「一点集中」に徹するに当たり、参戦選手にまったく免疫のない「ジャベ」を出して来たという見方もできますが、技名をわざわざ強調していたところは、T2P(〜イタコネ)時代をともに歩み、同じようにDRAGON GATEを先頃退団したミラノ選手へのメッセージだったと見るべきでしょう。「アメリカに修業に出る」という彼に対し、DGの選手たちから公式には一切の餞別コメントがなかったことから、結果的にこの技のメッセージ性が大いに際立ったような気がします。
なお、この試合の「eBet」最終オッズは、ストーム選手:1.97倍、ドッティ:2.11倍、分けor無効試合:13.57倍でした。
「2005 チャンピオン・カーニバル」Aブロック公式戦・近藤修司:1戦1勝(得点2)
※『ALL JAPAN B-Banquet #49』(GAORA)〈ダイジェスト放送〉'05.04.30放映
※『ALL JAPAN B-Banquet #50』(GAORA)'05.05.14放映
※『ALL JAPAN B-Banquet #51』(GAORA)〈ダイジェスト放送〉'05.05.21放映

467 四冠王者・小島選手相手に「全日出世試合」
「全日本プロレス」しかも「チャンピオン・カーニバル公式戦」で「三冠ヘビー級王者」と「IWGPヘビー級王者」の「小島聡選手」と「和田京平レフェリー」の裁きで「シングルマッチを行う」という、あまりにもメジャーなシチュエーションとなった試合。昨日の不本意な試合内容を「取り返さなくては」とばかり、チョップを放った直後にスリップして後転するシーンも観られた序盤ですが、これによりリラックスできたのか気合いの入った攻撃を連発。4冠王者がすべてを受けきったことでドッティの能力が引き出され、試合後の退場時には客席から拍手が起こるなど、ファンからも受け入れられた「全日本における出世試合」となりました(ちなみに、管理人が認定する「闘龍門における出世試合」はSUWA選手との2003年3月9日の英連邦Jr戦)。「来いよチャンピオンこの野郎!」といった挑発は観られたものの、セコンド介入もなく、この日ばかりはヒール色を一切封印してシングル・プレイヤーとしての真価のアピールに専念。結果的にファン、マスコミおよび団体側から予想以上の評価が得られたことから、「全日定着に最低1年はかかる」との見積もりをショートカット。王道マットでの今後の闘いに、大いに展望が開けてきました。
なお、この試合の「eBet」最終オッズは、小島選手:1.07倍、ドッティ:11.52倍、分けor無効試合:28.68倍でした。
「2005 チャンピオン・カーニバル」Aブロック公式戦・近藤修司:2戦1勝1敗(得点2)
※『NEAR LIVE SPECIAL 2005 チャンピオン・カーニバル 4・10後楽園ホール』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.4.10放映
※『ALL JAPAN B-Banquet #49』(GAORA)〈ダイジェスト放送〉'05.04.30放映
※『全日中継2005上半期BEST』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.09.04放映

468 チームメイトのバーナード選手に秒殺
前シリーズでVDMに加入した「"往年の名レスラー"ブルート・バーナードの孫」との触れ込みのジャイアント・バーナード選手(WWE時代のリングネームは「Aトレイン」。B・バーナード選手との血縁関係は後に本人が否定)とのリーグ戦最重量vs最軽量対戦(「2005CC」パンフレットによると150kg vs 103kg)となりましたが、「1回は投げたい」との目論見も空しく、何もさせてもらえずにジャスト200秒で終戦。ちなみに、ドッティの最短敗戦試合は、2002年3月3日ディファ有明でのミラノコレクションA.T.選手との「T2P実力査定リーグ公式戦決勝トーナメント準決勝」での59秒となっております。
なお、この試合の「eBet」最終オッズは、バーナード選手:1.21倍、ドッティ:5.53倍、分けor無効試合:19.24倍でした。
「2005 チャンピオン・カーニバル」Aブロック公式戦・近藤修司:3戦1勝2敗(得点2)
※『ALL JAPAN B-Banquet #49』(GAORA)〈ダイジェスト放送〉'05.04.30放映

469 佐々木健介選手との夢対決
ドッティはフリー宣言した当時、今後の活動のイメージの中に「将来的にはヘビーでやろうか」というのがあったと思われ、「俺をひと回り大きくすれば健介さんになる」と考えていたフシもあります。ファイトスタイルの上では明らかに佐々木選手の影響を受けている側面があり、ファン時代に新日プロで観た90年代の「馳健vsスタイナー兄弟戦」への思い入れが強かったことから、これまでまったく接触はなかったものの、ドッティにとってある意味では"お手本"というか、少なくとも闘龍門時代は彼の新日本時代の「ファンに媚びずに己が信じた道を突き進む」スタイルを踏襲しようとしていたのではないかという可能性も否定できないところ(あくまで管理人の推測なので、当人がそう思っていたのかどうかは定かではありません)。
そんな佐々木選手との一騎打ちは、新日本を出てWJを経てフリーとなり懐を一段と深くした佐々木選手により、好勝負となったようです。
さすがに、まともにぶつかったのではとても勝ち目はないことを悟ったのか、セコンドを介入させての闘いでしたが、TARU選手の鉄パイブ攻撃などで佐々木選手の右腕にダメージを負わせた以降は"腕試し"の展開となり、見事に玉砕。当人にとって感慨深い一戦となったと思われます。
ちなみにこの試合は、最終的に同年7月26日(score〜comment496参照)まで続いた「健介ファミリー vs VDM」抗争の序章でもありました。プロレス不況の折り、小手先のストーリーに囚われがちな現在のマット界で、3ヵ月に及ぶビッグアングルに育てたマッチメーカーの手腕は大いに評価されていいと思います。
なお、この試合の「eBet」最終オッズは、佐々木選手:1.07倍、ドッティ:10.68倍、分けor無効試合:33.31倍でした。
「2005 チャンピオン・カーニバル」Aブロック公式戦・近藤修司:4戦1勝3敗(得点2)
※『ALL JAPAN B-Banquet #49』(GAORA)〈ダイジェスト放送〉'05.04.30放映
※『ALL JAPAN B-Banquet #52』(GAORA)'05.05.28放映

470 太陽ケア選手との「RO&DvsVDM対決」でCC終戦
抗争中の2軍団の代理戦争として大荒れの一戦になるかと思われましたが、「団体トップクラスの選手 vs Jrから抜擢を受けた新参選手」という構図で試合が行われた模様。
開幕戦の公式戦オープニングマッチでのストーム(嵐)に始まり、小島、バーナード、佐々木、ケアのヘビー級の一流選手たちと8日間の中でシングルで当たり続けたドッティのCCは、参加12選手中真っ先に公式戦全日程を終了。DRAGON GATEを離脱して以降、失うものはまったくない状態で全日本に参戦して2シリーズ目にして、大きな宝物を手にしたと思います。
なお、この試合の「eBet」最終オッズは、ケア選手:1.21倍、ドッティ:7.14倍、分けor無効試合:11.11倍でした。
「2005 チャンピオン・カーニバル」Aブロック公式戦・近藤修司:5戦1勝4敗(得点2=全日程終了)
※『ALL JAPAN B-Banquet #49』(GAORA)〈ダイジェスト放送〉'05.04.30放映

471 CC・ボーナストラック
決勝トーナメントが開催される代々木での最終戦を除き、「2005CC」で公式リーグ戦に充てられていたのは6興行。どの会場でも公式戦を5試合提供できるよう、総当たりで5選手と闘う各ブロックの選手たちは大会中1興行だけ公式戦以外の試合が組まれていました。リーグ戦最終日のこの日にそれが割り当てられたのは、開幕以降の5興行でリーグ戦全日程を消化した小島選手とドッティ。この両者を軸とした「全日正規軍vsVDMジャパン」のトリオ戦がマッチメークされましたが、一見さんにもわかりやすい典型的な善と悪の構図による試合展開で観客を沸かせ、緊張感漂う公式戦の狭間のカードとして理想的に機能したようです。
※『2005 チャンピオン・カーニバル 4・17新潟市体育館』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.5.7放映

472 全日本マットでのビッグマッチ初出場、武藤選手と初対決
CCの準決勝と優勝戦が行われたこの日、「全日本プロレスvsVDM 5vs5対抗戦」がセミファイナルとしてマッチメークされました。優勝候補の一角だった武藤選手と、VDMから出場した3選手が決勝トーナメントに進出できなかったことから組まれたものと思われますが、武藤選手と怪物・バーナード選手を軸に会場を盛り上げ、優勝戦の露払いの役割を果たした試合となりました。
"日本マット界の至宝"武藤選手との待望の初遭遇となったドッティですが、ドラゴン・スクリューで投げられたシーン以外の絡みはなし。ちなみに、偶然の一致ではありますが、団体のオーナー選手との初対決というシチュエーションは、ウルティモ・ドラゴン闘龍門校長と初遭遇した「初エントリーしたシングルリーグ戦で決勝T進出できなかった選手たちの1人として出場したEL NUMERO UNO 2003優勝戦当日の2003年4月22日代々木第2でのセミファイナル10人タッグ戦」と酷似しています(当SCORE&COMMENT2003「136」参照。闘龍門時代にTARU選手と唯一タッグ結成した試合でもありました)。
※『ALL JAPAN B-Banquet スペシャル 4.20国立代々木競技場第2体育館』(GAORA)'05.5.7放映

【「eBet Presents 2005 チャンピオン・カーニバル」全試合結果】
※リーグ戦はすべて30分1本勝負。各ブロック上位2名が決勝トーナメントへ進出。
あらゆる勝ち=2点、引き分け=1点(両者反則および両者リングアウトは0点)、あらゆる負け=0点。

リーグ戦各ブロック結果
《Aブロック》 小島聡(勝ち点7=1位)、佐々木健介(同6=2位)、太陽ケア(同5)、ラブ・マシン・ストーム=嵐〈4・13より改名〉(同4)、近藤修司(同2)、ジャイアント・バーナード(同4)
4・ 9後楽園 佐々木(29分29秒 ノーザンライトボム→片エビ固め)小島
       近藤(10分33秒 A.T.ロック)ストーム
4・10後楽園 バーナード(7分50秒 リバース・スプラッシュ→体固め)佐々木
       小島(15分54秒 ラリアット→体固め)近藤
       ケア(4分1秒 横回転エビ固め)ストーム
4・13愛媛  小島(時間切れ引き分け)ケア
       嵐(7分11秒 雪崩式パワーボム→エビ固め)佐々木
       バーナード(3分20秒 ボルドーボム→エビ固め)近藤
4・14大阪  小島(15分9秒 ラリアット→片エビ固め)嵐
       佐々木(14分29秒 ノーザンライトボム→片エビ固め)近藤
       ケア(10分51秒 両者リングアウト)バーナード
4・16松本  小島(8分56秒 リングアウト)バーナード
       ケア(10分34秒 波乗りスープレックス→片エビ固め)近藤
4・17新潟  佐々木(21分1秒 ノーザンライトボム→体固め)ケア
       嵐(2分38秒 反則)バーナード ※暴走

《Bブロック》 武藤敬司(勝ち点5)、川田利明(同7=1位)、諏訪間幸平(同2)、ジャマール(同6=2位)、ブキャナン(同5)、チャック・パルンボ(同4)
4・ 9後楽園 武藤(9分13秒 シャイニング・ウィザード→体固め)ブキャナン
       川田(3分36秒 ジャンピング・ハイキック→片エビ固め)諏訪間
       ジャマール(14分27秒 フライング・ソーセージ→片エビ固め)パルンボ
4・10後楽園 武藤(時間切れ引き分け)川田
       ブキャナン(8分50秒 アイアンボム→片エビ固め)ジャマール
4・13愛媛  川田(9分32秒 ストレッチ・プラム)パルンボ
       ブキャナン(8分34秒 アイアンボム→エビ固め)諏訪間
4・14大阪  武藤(13分41秒 ウラカンラナ)ジャマール
       パルンボ(9分18秒 187→エビ固め)諏訪間
4・16松本  ジャマール(17分31秒 フライング・ソーセージ→片エビ固め)川田
       諏訪間(13分9秒 ジャーマン・スープレックス→片エビ固め)武藤
       ブキャナン(時間切れ引き分け)パルンボ
4・17新潟  川田(7分6秒 ランニング・ローキック→体固め)ブキャナン
       パルンボ(14分39秒 187→エビ固め)武藤
       ジャマール(6分8秒 ワキ固め)諏訪間

4・20代々木
決勝トーナメント(時間無制限1本勝負)
ジャマール(Bブロック2位)(16分22秒 フライング・ソーセージ→片エビ固め)小島(Aブロック1位)
佐々木(Aブロック2位)(19分11秒 ノーザンライトボム→体固め)川田(Bブロック1位)
優勝決定戦(時間無制限1本勝負)
佐々木(17分32秒 ノーザンライトボム→片エビ固め)ジャマール

473 CC効果?
前回の後楽園で株を上げてもらった小島選手とのタッグマッチ。同所での対戦ということで、ドッティに対する客席からの声援も明らかに多くなっていました。コジカズ相手ということで、小島選手とはヘビーの、カズ選手とはJrのと、闘い方を使い分けての奮戦でした。この試合のポイントとなったのはVDMのセコンド・YASSHI選手。終盤の「足刈り」に、度重なる介入に怒りをため込んでいた小島選手が試合そっちのけで、控室方向へ逃げるYASSHI選手を追いかけると、そこに現れたのはジャイアント・バーナード選手。孤立したカズ選手がフォールを取られる中、大乱闘を展開して、6・19後楽園大会での「小島vsバーナード戦」が決定しています(ノンタイトル戦。ここからさらに因縁を深めて10・18新潟での三冠戦に)。
※『ALL JAPAN B-Banquet #55』(GAORA)'05.06.18放映

481 気分は四天王? 川田利明選手とのシングル戦
この大会は「RISE UP TOUR 2005」シリーズ中の特別興行「KOBE FOGGY NIGHT」として施行されたもの。神戸と言えば闘龍門JAPAN(〜DRAGON GATE)の地元でもあり、かつてここに暮らしたことのあるドッティにとっては、2004年11月2日DRAGON GATEチキンジョージ大会以来の神戸凱旋となりました。
そこで組まれたのは、なんと川田利明戦。当comment469(佐々木選手との試合)でドッティの「90年代新日本でのお気に入り」について触れましたが、「90年代全日本でのお気に入り」はもちろん四天王プロレス。その一角を占め、4選手の中でも特に熱狂的なファンの多い川田選手とのシングル戦という、おそらく当人にとっても信じられない試合が実現しました。ドッティのファイトスタイルから推測するに、全日四天王(三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太〈当時〉)の4選手の中で最も思い入れの深かったのはおそらく小橋選手だったと思われますが、川田選手との闘いは、さながら「気分は小橋」だったのではないでしょうか。
この興行は神戸出身であるVDMの盟友・TARU選手が、ご縁の深いプロモーター氏に全面協力していた大会だったことから、「ドッティにとってのビッグマッチ」をムリヤリねじこんでもらったのかもしれませんが…。
それでも、「2005CC」での熱戦を評価した一部のファンからは、シリーズ前のカード発表時から期待されていた一戦で、その期待に応えるゴツゴツとした試合を展開。川田選手が滅多に出さないパワーボムを繰り出されての敗戦に、ドッティにとってこれまた記憶に残るであろう試合となりました。試合後に川田選手から「いいものは持っているが、せっかくヒールのユニットにいるのにおとなしすぎる。見せかけのアピールは要らない」と辛辣なダメ出しをされましたが、キャリア4年のドッティ(2001年デビュー)はその5倍超(約23年)の重みを持つ川田選手(1982年デビュー)のコメントをぜひとも今後に生かして欲しいもの。なお、そのコメントを知って知らずか、この試合後に行われたセミファイナル(武藤&諏訪間&NOSAWA組vsTARU&バーナード&YASSHI組戦)ではセコンド介入して武藤選手の両腕をテーピング用のバンテージでロープに縛り付ける暴挙を働いています。
ちなみに、会場名の「サンボー」とはロシアの格闘技・サンボから来たものであるはずもなく、港町神戸らしく「産業貿易」の略であるようです。
※『RISE UP TOUR 2005〜KOBE FOGGY NIGHT〜 5・29神戸サンボーホール』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.06.05放映

482 健介ファミリーとの全面戦争本格開戦
2005年にはタレントとしてもブレイクして地上波の民放バラエティー番組に引っ張りだこの健介ファミリー。一方、CSのプロレス専門チャンネル「FIGHTING TV SAMURAI」の『NEWS侍!』(5月19日)に生出演して数少ない視聴者をドン引きさせたVDM。どこまでも好対照な両軍団は、これまでも北斗マネージャーとTARU選手が木刀と鉄パイプでチャンバラするなどの局地戦はありましたが、この日にセコンドに付いたTARU選手が中嶋選手を大流血に追い込み、ついに全面戦争に発展。健介ファミリーは今シリーズから客分として加わった本間選手を含めた陣容で、いずれ決着戦が行われるものと思われます。
なお、VDMが中嶋選手を標的とするのは、彼が望月成晃選手率いるユニット「Final M2K」のサポートメンバーとしてDRAGON GATEにスポット参戦しているから、とYASSHI選手が以前コメントしていましたが…。
また、この日に行われた世界Jr戦で歳三選手相手に7度目の防衛を果たしたTAKAみちのく選手を襲撃。直後に救出に現れたカズ・ハヤシ選手とNOSAWA論外選手の姿を見るや無言で逃げています。このシーンから、いよいよ挑戦決定かと思いきや、決定したのは6・14新木場での特別興行「NOSAWA BON-BA-YE 2」への参戦でした。
※『ALL JAPAN B-Banquet #56』(GAORA)'05.06.25放映

483 シリーズ以外の全日本特別興行初参戦
この大会は「CROSSOVER '05」シリーズの前日に開催された特別興行で、「NOSAWA BOM-BA-YE 2」の名の通り、NOSAWA選手が昨年の同時期に行ったイベントに、今年は全日本プロレスが全面協力した形となった模様です。
主役のNOSAWA選手は「論カズwithT」として出場したメインがこの日の3試合目。シークレットゲストとして東京愚連隊の盟友・MAZADA選手をメキシコから呼び寄せるなど、選手としてプロデューサーとして興行を大いに盛り上げたようです。そんなお祭り興行にもかかわらず、VDMジャパン軍はいつも通りのヒールファイト。すっかりベビーフェイスとなったNOSAWA選手へのさらなる声援を引き出して、絵に描いたような引き立て役となりました。
なお、この日からドッティは髪を再び茶色に染めています。
※『NOSAWA BOM-BA-YE 2 "論外 NIGHT LIVE" 6・14新木場1st RING』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.07.03放映

484 アジアタッグ決定トーナメント1回戦通過
第78代王者のリコ選手(パートナーはブキャナン選手)がプロレスラーを廃業したことに伴い、「CROSSOVER'05」は空位となったアジアタッグ王座を8チームで争うトーナメントが開催されたシリーズとなりました。ドッティはVDM代表としてYASSHI選手とエントリー。初戦の相手は、過去に同王座を保持していた嵐選手(第70、71代)&バトラーツ出身でバチバチファイトを身上とする土方選手(マスクを脱いで「歳三」から素顔に戻る)という強力なコンビでしたが、そこは急造チーム。「REY DE PAREJAS 第1回闘龍門タッグリーグ戦」優勝(2003年)などの実績を持つ固定コンビとして培ってきた卑劣なチームワークを遺憾なく発揮し、1回戦を突破しています。
※『ALL JAPAN B-Banquet #58』(GAORA)'05.07.09放映

486 アジアタッグ決定トーナメント準決勝通過
準決勝の相手は、NOSAWA論外&MASADAの「東京愚連隊」を破ったカズ&スパンキー組。このコンビは、『PRIDE』を主催するDSE(ドリーム・ステージ・エンタテインメント)のプロレス興行『ハッスル』でイケメン・ユニットとして活動していますが、イケメンに対し必要以上の敵意を抱くのがヒールの性。シーソーゲームの末、決勝戦にコマを進めています。
『ALL JAPAN B-Banquet #59』(GAORA)'05.07.16放映(ダイジェスト)

487 アジアタッグ決定トーナメント優勝で第79代王者組に
全7試合中の第5試合でしたが、第6、7試合がダブルメインイベントとして施行されたため、一応セミファイナル。相手は、VDMとの因縁が高まる一方の健介ファミリー代表の本間&中嶋組。中嶋選手は6月3日の同所大会でVDMによって血祭りに上げられていますので、そのリベンジマッチともなったのですが、YASSHI選手が本間&中嶋組の波状攻撃に耐えに耐えて返り討ちに。トーナメントのすべてのスコアを「ドッティのキングコング・ラリアットからYASSHIがフォール」でまとめる珍記録とともに、第79代王者組の地位を獲得しました。
ドッティにとっては、初タイトル獲得となった英連邦Jr戦から丸2年後の同日同所での戴冠(当SCORE2003年版参照)。ドッティにはここまでにUWAトリオ王座2回を含めて都合4回のタイトル獲得歴がありますが、うち5割が同日同所での獲得で、しかも別団体での達成というのは、これまた珍記録の部類に入るのかもしれません。
ちなみに、このアジアタッグ王座(正式名称は「オール・アジア選手権」だそうです)は、日本プロレスが1955(昭和30)年に創設したもので、本邦マット界ではインターナショナルヘビー級王座(現・三冠ヘビー級王座の一角。1958年に創設もその起源は1953年)に次ぐ歴史のある由緒正しいベルトで、タッグ王座としては日本最古のベルト。インタ王座はアメリカ・NWAが創設したものですので、日本のプロレス団体が創設したベルトとしてはシングル・タッグを通じておそらく最古です。歴代王者も日本プロレス〜全日本プロレスに所属した主力選手のほとんどが巻いているもので(例外はジャンボ鶴田選手と武藤敬司選手くらい)、何よりも力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の3選手が保持した唯一のベルトという重みがあります。日プロ初期を除いては、次第にその役割が「中堅・若手のための団体2本目のタッグ王座」として固定されて現在に至っているとはいえ、闘龍門出身選手が歴代王者に名を連ねようとは、驚くべきことであります。
なお、この日の試合直後、ダブルメイン第1試合で行われた「小島vsバーナード戦」の試合後に、5・29神戸大会での武藤選手に続いて、小島選手の両腕をバンテージでグルグル巻き。試合中のセコンド介入と併せて、「第79代アジアタッグ王者」としての初仕事となりました。
※『ザッツ・プロレスリング! 〜全日本プロレス7.26への道〜』(SKY PARFECT CHOICE 181ch)'05.7.12放映(ダイジェスト)
『ALL JAPAN B-Banquet #59』(GAORA)'05.07.16放映

【第79代アジアタッグ王者決定トーナメント全試合結果】
1回戦(6・15東金)
○カズ・ハヤシ&レオナルド・スパンキー vs NOSAWA論外&MAZADA●
 ハヤシ(15分34秒 ファイナルカット→片エビ固め)NOSAWA
○近藤修司&"brother"YASSHI vs 嵐&土方隆司●
 YASSHI(11分18秒 体固め)土方 ※近藤のキングコング・ラリアットから
1回戦(6・17岩手)
○TAKAみちのく&BLUE-K vs 荒谷望誉&石狩太一●
 TAKA(14分53秒 エビ固め)石狩 ※荒谷の誤爆ラリアットから
○本間朋晃&中嶋勝彦 vs 平井伸和&雷陣明●
 中嶋(12分28秒 原爆固め)雷陣
準決勝(6・18白河)
○本間朋晃&中嶋勝彦 vs TAKAみちのく&PSYCHO●
 本間(14分10秒 雪崩式バックドロップ→体固め)PSYCHO
○近藤修司&"brother"YASSHI vs カズ・ハヤシ&レオナルド・スパンキー●
 YASSHI(16分3秒 片エビ固め)ハヤシ ※近藤のキングコング・ラリアットから
決勝(6・19後楽園)
○近藤修司&"brother"YASSHI vs 本間朋晃&中嶋勝彦●
 YASSHI(16分30秒 片エビ固め)中嶋 ※近藤のキングコング・ラリアットから
※近藤修司&"brother"YASSHI組が第79代アジアタッグ王者組に

【この時点でのアジアタッグ歴代王者組一覧】
(01)キングコング & タイガー・ジョキンダー
(02)フランク・バロア & ダン・ミラー
(03)力道山 & 豊登
(04)ルター・レンジ & リッキー・ワルドー
(05)力道山 & 豊登
(06)バディ・オースチン & マイク・シャープ
(07)力道山 & 豊登
(08)力道山 & 豊登
(09)豊登 & 吉村道明
(10)ジン・キニスキー & カリプス・ハリケーン
(11)豊登 & ジャイアント馬場
(12)ザ・デストロイヤー & ビリー・レッド・ライオン
(13)豊登 & ジャイアント馬場
(14)キラー・カール・コックス & ジョー・カロロ
(15)吉村道明 & ヒロ・マツダ
(16)キラー・カール・コックス & エディー・グラハム
(17)吉村道明 & ジャイアント馬場
(18)吉村道明 & 大木金太郎
(19)吉村道明 & アントニオ猪木
(20)吉村道明 & 大木金太郎
(21)スカル・マーフィー & クロンダイク・ビル
(22)吉村道明 & 大木金太郎
(23)大木金太郎 & アントニオ猪木
(24)吉村道明 & アントニオ猪木
(25)吉村道明 & アントニオ猪木
(26)吉村道明 & 坂口征二
(27)グレート小鹿 & 松岡厳鉄
(28)グレート小鹿 & 大熊元司
(29)ジェリー・オーツ & テッド・オーツ
(30)高千穂明久 & サムソンクツワダ
(31)グレート小鹿 & 大熊元司
(32)マイティ井上 & アニマル浜口
(33)グレート小鹿 & 大熊元司
(34)グレート小鹿 & 大熊元司
(35)ケビン・フォン・エリック & デビット・フォン・エリック
(36)佐藤昭雄 & 石川隆士
(37)マイティ井上 & 阿修羅・原
(38)阿修羅・原 & 石川隆士
(39)佐藤昭雄 & 石川隆士
(40)アニマル浜口 & 寺西勇
(41)寺西勇 & 保永昇男
(42)マイティ井上 & 石川隆士
(43)阿修羅・原 & スーパー・ストロング・マシーン
(44)マイティ井上 & 石川隆士
(45)サムソン冬木 & 川田利明
(46)仲野信市&高野俊二
(47)サムソン冬木 & 川田利明
(48)ダグ・ファーナス & ダニー・クロファット
(49)サムソン冬木 & 川田利明
(50)ダグ・ファーナス & ダニー・クロファット
(51)タイガーマスク & 小橋健太
(52)仲野信市 & 田上明
(53)小橋健太 & ジョニー・エース
(54)ダイナマイト・キッド & ジョニー・スミス
(55)ダグ・ファーナス & ダニー・クロファット
(56)小橋健太 & ジョニー・エース
(57)ジョー・ディートン & ビリー・ブラック
(58)ダグ・ファーナス & ダニー・クロファット
(59)小橋健太 & 菊地毅
(60)パトリオット & ジ・イーグル
(61)ダグ・ファーナス & ダニー・クロファット
(62)秋山準 & 大森隆男
(63)ウルフ・ホークフィールド & ジョニー・スミス
(64)本田多聞 & 泉田純
(65)ハヤブサ & 新崎人生
(66)大森隆男 & 高山善廣
(67)三沢光晴 & 小川良成
(68)本田多聞 & 井上雅央
(69)垣原賢人 & 長井満也
(70)嵐 & 北原光騎
(71)嵐 & 荒谷信孝
(72)佐藤耕平 & 横井宏考
(73)金村キンタロー & 黒田哲広
(74)ミスター雁之助 & 黒田哲広
(75)グレート・コスケ & 獅龍
(76)天龍源一郎 & 渕正信
(77)長井満也 & 成瀬昌由
(78)ブキャナン & リコ
(79)近藤修司 & "brother"YASSHI

488 初の2団体掛け持ちSUMMER TOUR(1)・健介ファミリーとの遺恨ますます
アジアタッグ王座戴冠からほぼ1ヵ月。月ごとに1週間ほど集中してツアーを組む全日本プロレスの長いオフが終わり(この間のドッティの仕事はdragondoor興行の旗揚げ戦全カード決定記者会見など。前日には「FIGHTING TV SAMURAI」の『NEWS侍!』2回目のゲスト生出演)、この7月15日から26日までの12日間に「全日本プロレス」と「dragondoor」の2団体の全9興行に掛け持ち出場するというドッティ史上最大の「熱い夏」が始まりました(SCOREでおわかりの通り、15東京→16〈移動日〉→17石川→18〈移動日〉→19東京→20島根→21広島→22大阪→23・24千葉→25〈OFF〉→26東京というタフなスケジュール)。
第79代アジアタッグ王者としての初戦となったこの日は、王者決定戦で対戦した本間&中嶋選手に"父"佐々木選手が加わり、"母"北斗晶マネージャーがセコンドに付いた「健介ファミリー」との6メン。乱戦を制して、試合終了後はバンテージで佐々木選手の両腕をトップロープにグルグル巻きに(武藤、小島選手に続く3人目の犠牲者に)。ファミリーとの遺恨をますます深めています。
それにしても、ジャイアント馬場時代から続く伝統の「サマーアクションシリーズ」に「アジアタッグ王者」としての参戦(なお、昭和プロレスでは当たり前だった「〜シリーズ」と名の付いたツアーに参加するのは初めて)。初登場から半年経たずしてのこの状況に、外様の分際でありながら早くも王道マットにどっぷりと浸かっている感があります。
※『ALL JAPAN B-Banquet #62』(GAORA)'05.08.06放映

489 初の2団体掛け持ちSUMMER TOUR(2)・アジアタッグ初防衛
この大会は「2005 サマーアクションシリーズ」中の特別興行「HEAT WAVE KANAZAWA 717」として施行されたもの。5・29神戸大会を手がけた有力プロモーターによる興行で、「本来なら後楽園で行う」(全日本プロレスのマッチメーカーのコメント)世界タッグ戦とアジアタッグ戦の2大タイトルマッチが組まれました。
挑戦者チームの「論カズ」はこの試合のためにさまざまな合体技を編み出していましたが、2年半にわたって合体技を増やし続けている「近ブラ」のコンビネーションの前に惜敗。王座決定トーナメントとは異なり、キングコング・ラリアットのアシストなしでYASSHI選手が丸め込みにより勝利。7・22大阪大会での世界Jrヘビー級挑戦に弾みをつけています。
※『HEAT WAVE KANAZAWA 717 7・17金沢産業展示館3号館』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.07.23放映

490 初の2団体掛け持ちSUMMER TOUR(3)・dragondoor旗揚げ興行
イベント型プロレス「dragondoorプロジェクト(d2p)」。主催する「有限会社闘龍門」(闘龍門MEXICOの日本支社か?)で代表を務めるのが旧T2Pの僚友・川畑憲昭氏(BATAやん=カラオケマシーン2号)であることから、4月27日の発表記者会見に闘龍門所属の石森太二選手とともに同席して参加を表明。その後、旧悪冠一色のメンバーも続々参戦を表明して、7月9日の全カード発表会見では久々に5人が揃いましたが、ドッティは「再結成はない」とコメント。しかし、悪冠再興を願う菅原選手の要望でメインのカードでは昨年秋のDRAGON GATE「Rey de Parejas」(6人タッグリーグ戦)を準優勝したトリオがとりあえず復活しました。
このdragondoorと言う名称ですが、ウルティモ・ドラゴン校長と別れた旧闘龍門JAPANが「DRAGON GATE」と名乗る際に「GATEは門ではなく扉」と言い放ったことへの、おそらくは痛烈な意趣返し。また、「マット界乗っ取りを目論む」触れ込みで、有名なIT企業に酷似したロゴを発表したのですが、それを面白がった当のlivedoorから業務提携の申し入れがあり、旗揚げ戦を迎えるにあたり思いがけぬ話題性を獲得しました(団体キャッチフレーズは「想定外のプロレス」に)。
大会数日前には同大会の目玉選手として喧伝されていたミスティコ選手(メキシコCMLL)がビザの不備で来日不能になり、そのトラブルを利用したDRAGON GATE統括本部長が勝手に来場して一方的な記者会見を行うなどのアクシデントもありましたが、旗揚げ興行としては上々のスタート。当日はメキシカンと初代タイガーマスク(佐山聡)選手などの校長人脈を生かしたマッチメークと、旧悪冠一色勢出場試合に2分され、団体ではないイベント型らしいカードが並びましたが、掛け値なしに埋まった客席は興行開始から盛り上がり、闘龍門JAPAN最盛期の雰囲気が帰ってきました。「元T2P勢に声をかける」という川畑代表の言葉通り、小川内潤(JUN)リングアナ登場や大柳錦也選手の登場、4月にDRAGON GATEを退団したミラノコレクションA.T.選手の「客」としての来場などのさまざまな「想定外」も、客席を大いに沸かせました。
なお、メインの石森&飯伏幸太(DDT)&X組の「X」は、オープニングMCで謎のマスクマン、リトル・ドラゴン選手と判明。さらに「Xはもう1人いる」とミラニート・コレクションa.t.選手(13期生)がTORYUMON Xのさらに下の世代(闘龍門第4世代)として初の逆上陸(あの曲のイントロで入場後、本家が客席に現れる演出もあり)。3vs4の変則イリミネーションマッチ(オーバー・ザ・トップロープなしの完全決着ルール)として行われたこの試合は、ルードである旧悪冠一色勢が大声援を浴びるという異常な雰囲気の中で行われ、ドッティも「顔面(トリプル)ドロップキック(を出した)だけであんなに沸くとは」と、間違いなくレスラー人生史上最大の歓声に驚いていた模様。試合を残り1vs1の状況からキングコング・ラリアットで制した後、久々にマイクを握ったドッティは石森選手に「そんなんで闘龍門を背負えるのか?」とダメ出しした後、南側リングサイド最前列に陣取ったミラノ選手に「誰もおまえの私服(姿)なんか見たくないんだよ!」と一言。ミスティコ来日不能の事態で修業先のアメリカ・テキサスから緊急一時帰国したミラノ選手と、新たなストーリーが生まれるかもしれません。

4vs3変則イリミネーションマッチ退場順
a.t.(17分44秒 ナターレ・ビアンコ)YASSHI
菅原(18分57秒 T.C.O.→片エビ固め)a.t.
菅原(22分42秒 十三不塔→体固め)飯伏
ドラゴン(25分32秒 ウルトラ・ドラゴン・ラナ)菅原
近藤(25分37秒 エビ固め)ドラゴン ※ドラゴンのウルトラ・ドラゴン・ラナを近藤がひっくり返す
近藤(27分11秒 キングコング・ラリアット→片エビ固め)石森
《勝者組》近藤組(近藤の1人残り)
※『NEAR LIVE SP「dragondoor旗揚げ戦 PRELUDE」7・19後楽園ホール』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.07.19放映
『「dragondoor旗揚げ戦 PRELUDE」7・19後楽園ホール(再編集版)』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.07.24放映

493 初の2団体掛け持ちSUMMER TOUR(4)・RO&Dとの全面対抗戦
この日は盟友・YASSHI選手がTAKAみちのく選手の持つ世界Jr戦へ挑戦したため、VDM外国人部隊と組んでの多人数タッグマッチに出場。世界Jr戦ではTARU選手とともにセコンドに付いたものの、YASSHI選手が純粋な力試しを希望したため、試合序盤は手出しをせず。中盤、YASSHI選手のレフェリーへの意図的な誤爆を機にここぞとばかり乱入しましたが、論カズコンビがそれを阻止して、TARU選手とドッティは強制退場。1vs1に戻った終盤、YASSHI選手は粘りに粘りましたが、惜しくもタイトル奪取はなりませんでした。
『ALL JAPAN B-Banquet #64』(GAORA)'05.08.20放映

494 初の2団体掛け持ちSUMMER TOUR(5)・アクアマリン杯タッグT1回戦
旗揚げ戦を終えたばかりのdragondoorが早くも地方興行(売り興行)を実現。しかしながら、この日の夕方に当の千葉県に震度5の地震があり、首都圏の鉄道が全面ストップしたことから、観客動員に大ダメージを受け、ただでさえ苦戦と見られていた興行は、2日間ともかなり寂しい会場風景となった模様です。
タッグトーナメントも4チームのみが参戦する地味なものでしたが、日本におけるルチャリブレの先駆者であるグラン浜田選手が参戦。ドッティたちにとって、全日マットで実現するかと思われた顔合わせを意外なリングで実現しています。

495 初の2団体掛け持ちSUMMER TOUR(6)・アクアマリン杯タッグT決勝戦
【アクアマリンスタジオカップ争奪2ナイトタッグトーナメント結果】
1回戦(7・23)
○近藤修司&"brother"YASSHI vs グラン浜田&ミラニート・コレクションa.t.●
 近藤(11分54秒 ゴリラ・クラッチ)a.t.
○石森太二&飯伏幸太 vs 菅原拓也&高木省吾●
 石森(11分38秒 スーパースターエルボー→片エビ固め)高木
決勝(7・24)
○近藤修司&"brother"YASSHI vs 石森太二&飯伏幸太●
 近藤(16分30秒 キングコング・ラリアット→体固め)飯伏
※近藤修司&"brother"YASSHI組が優勝

496 初の2団体掛け持ちSUMMER TOUR(7)・アジアタッグ王座陥落
7・17金沢で初防衛に成功したことから、元々この日に組まれていたカードが急遽防衛戦に。全日本プロレスのビッグマッチ2回目の参戦はタイトルマッチ、しかも王者組としてラインナップされることになったのですが、対戦相手はおよそ現在のアジアタッグの位置づけにそぐわない大物・佐々木健介選手。もともと観客が期待していたのは、ずっと引っ張ってきた「健介ファミリーvsVDM JAPAN軍の最終決着戦」であり、タイトルマッチ自体は完全な添え物に。絵に描いたような勧善懲悪の展開に客席は大爆発となり、アジアタッグ王者としての短い役目を華々しく終えています。
※『SKY Perfec TV!! LIVE SPECIAL 全日本プロレス 7.26 三冠決戦 小島vs武藤』(SKY PARFECT CHOICE 181ch・PPV放送)'05.7.26放映
『2005サマーアクション・シリーズ最終戦 7.26国立代々木競技場第2体育館』(GAORA)'05.09.03放映
『2005サマーアクション・シリーズ最終戦 7.26国立代々木競技場第2体育館』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.10.23放映

497 全日本プロレス夏祭り
埼玉・入間郡で行われた屋外興行で、女子プロレス団体からの提供試合も組み込まれたイベントプロレスとして施行。石森選手が7・15後楽園と7・26代々木への単発参戦に続いてこの日の興行にも参戦して、ドッティとは全日本マット初対決となりました(石森選手は2004年暮れの全日本主催のイベント興行「BAPE STA!! STAGE5」に参戦経験があるので、全日本マット参戦では実は先達)。闘龍門〜dragondoorマットで因縁の深いドッティと石森選手ですが、これまでの大きなトピックスは2002年暮れの第6回ヤングドラゴン杯決勝と2003年1月の東京ドーム「第2回WRESTLE-1」(いずれも当SCORE〜COMMENT2002年&2003年参照)。後者の興行は実質全日本プロレスが共催していますので、2年半の時を経て王道マットで再遭遇したと言えなくもありません。
※『全日本プロレス夏祭り 8・7埼玉・青伸産業運輸大駐車場』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.08.21放映

498 スペース・ローン・ウルフ?
7・26代々木大会ダークマッチ(第0試合)でMAZADA選手との「ルーサーマッチ(敗者追放試合)」に敗れ全日本マットから追放となったNOSAWA論外選手が送り込んだメヒコのマスクマン「スペース・ローン・ウルフ」(8・24の試合から表記が「スペース・論・ウルフ」に)。リングネーム並びにフルフェイスのヘルメットを被っての入場、『ファイナル・カウントダウン』の入場曲は武藤敬司選手のアメリカ修業から帰国した若手時代をイメージさせるものでしたが、全身の入れ墨を隠すことなく、マスクにも「論」の文字があしらわれていることから正体は明らかで、ドッティ&YASSHI選手にとって論カズならぬ「ローンカズ」との初対戦ではありましたが、全日Jrではすっかり定着したカードでした。なお、この日の当初発表の対戦相手は「カズ・ハヤシ&石森太二組」で、石森選手が髄膜炎のためシリーズ直前に欠場が発表され、カードが変更されたもの。ハヤシ選手は石森選手の参戦〜タッグ結成を全日Jrの方向性を示すものと位置づけ、ファンからも期待されていましたが、残念ながら先延ばしとなってしまいました。
なお、この日は盟友・TARU選手が武藤選手とセミファイナルで一騎打ち。VDM総出で介入を繰り返しましたが、救出に現れたのはプロレス修業のため今シリーズ全戦参戦の大相撲第64代横綱・曙選手。デパート屋上のヒーローショーさながらの勧善懲悪の展開に、札止めとなった後楽園は沸きに沸きました。
『ALL JAPAN B-Banquet #66』(GAORA)'05.09.10放映

500 通算500試合出場
当HPのカウントによるものです。

503 曙選手と初対戦
大相撲引退後、格闘家として「K-1」のリングに上がっていた曙選手が8月4日・両国国技館での「WRESTLE-1」でプロレス転向。「WRESTLE-1」は過去にドッティも参戦したことのあるプロレスイベントが復活したもので、K-1を運営するFEGが主催し、マネージメントは元新日本プロレスフロントの上井文彦氏が主宰する「ビッグマウス」。広報を「レッグロック」(武藤社長の個人オフィスにして、全日本プロレスのマッチメーク並びに主要参戦選手のマネージメントにも参画)が担当しており、その線から曙選手の全日本マット参戦が実現したと思われます。いずれにせよ、ドッティが全日本マットに参戦していなければ、絶対に遭遇することはなかったであろうと思われる曙選手。過去、大相撲横綱からプロレスラーとなったのは他に東富士、輪島(=輪島大士)、双羽黒(=北尾光司、のちに光覇)の3選手しかおらず、いずれも短期間で引退していることから考えても、今回の対戦はドッティにとってかなり貴重な体験であったと言えましょう。

504
『ALL JAPAN B-Banquet #69』(GAORA)'05.10.01放映(ダイジェスト)

505 dragondoor旗揚げ第2弾興行
イベント型プロレス「dragondoorプロジェクト(d2p)」の第2弾興行についたタイトルは「Los Conquistadores」(ロス・コンキスタドレス=征服者たち)。この名称はT2P逆上陸第3弾(2002・2・27〜3・3)、第4弾(5・29〜6・6)興行のシリーズ名として使用されていたもので(第5弾単発8・11興行は「2」、第6弾単発10・27興行は「3」として施行)、数少ないT2Pファンだけが懐かしく感じるネーミングでした。
この日のメイン、本来コンブラ組のパートナーには高木選手が名を連ねていたのですが、練習中の胸骨骨折により無念の欠場となり、未定となっていたパートナーは当日第1試合後のMCで菅原選手に決定。対戦相手は、ZERO1-MAXから日高&藤田組という日本Jr界屈指のタッグチームが招聘され、フリーとしてレギュラー参戦する全日本以外では初の他団体選手との遭遇となりました。
試合自体は、菅原選手のZERO1-MAX参戦を決定づける流れとなりましたが、ドッティはその中で「アバランシュ+スピアーの変型Wランサルセ」「引っこ抜きフェイスバスター」「ZERO1-MAXおちょくり顔面ウォッシュ(ZERO1-MAXのエース大谷普二郎選手の得意技)」などの新技を地味に披露。試合後、勝利チームの石森選手からシングル対戦を要求されましたが、ドッティは即座に却下し「次に俺がシングルでやるのは、アメリカにいるあのひょろっこいの(=ミラノ選手)」と、dd川畑代表にそのカードを組むよう迫っています。
なお、dd公式Blogで予告していたドッティの新髪型は、ソフトモヒカン+後頭部のモヒカン部分を赤に染めるというもの。「後頭部から出血した人に見える」髪型で登場しています。
※『NEAR LIVE SP「dragondoorプロジェクト Los Conquistadores」9・9後楽園ホール』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.09.09放映
『「dragondoorプロジェクト Los Conquistadores」9・9後楽園ホール(120分版)』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.09.18放映

506 次期世界Jr挑戦権獲得失敗
全日本マットでほぼ毎月組まれるようになった、シリーズ外の「特別興行」。この日は「RO&D祭り」ということで、RO&Dのリーダーにして世界Jrヘビー級王者のTAKAみちのく選手がマッチメークを担当し、「次期世界Jr挑戦者決定3WAYタッグマッチ」(直接の勝者に挑戦権付与)が組まれました。かつて闘龍門時代に同様の形式(1本先取ではなく勝ち抜き戦=当SCORE2003年版「265」参照)をYASSHI選手とともに制し、さらに複雑な「世界初の6人タッグ4WAYマッチ」の出場かつ勝利経験があるドッティにとっては(おそらく他の選手があまり経験のない分)明らかに有利。また、全日Jrレギュラーでは、防衛を重ねるTAKA選手に挑戦したことのない最後の選手であったことから「近藤が挑戦権獲得」との下馬評でしたが、全日JrセミレギュラーのPSYCHO選手にまんまと挑戦権をさらわれてしまいました。
ちなみに、この大会の5日前(9・6)のK-DOJO後楽園ホール大会でTAKAみちのく選手が自身の持つ3本のジュニアベルト(全日プロ管理の世界Jr、みちのくプロ管理の東北Jr、KAIENTAI-DOJO管理のStrongest-K王座)を賭けたタイトルマッチが行われ、防衛に成功しているのですが、その相手はDRAGON GATEの現役OPEN THE DREAM GATE王者の望月成晃選手。闘龍門〜DG時代のシングル戦で一度も勝てなかった望月選手と現時点では一生当たる可能性がないことから、ドッティとしては彼の挑戦の直後の挑戦で王座を奪取したかったところだったと思いますが…。
『ALL JAPAN B-Banquet #71』(GAORA)'05.10.15放映(ダイジェスト)

507 全日マットで初の1日2試合
「RO&D祭り」のボーナストラックとして大会の直前にマッチメークされた、RO&DvsVDMの10人タッグ戦。メイン出場の全選手が1日2試合となりましたが、全日マットに久々に復帰したディーロ・ブラウン選手など、5人中4人をヘビー級外国人で固めたRO&Dがddを圧倒。見事な大団円となりました。

508
『ALL JAPAN B-Banquet #70』(GAORA)'05.10.08放映

513 全日本で初のJrシングル戦出場
相棒のYASSHI選手が負傷欠場したため、急遽カード変更(同会場での当初発表カードは中嶋勝彦&石森太二組vs近ブラ)。2004年11月8日(vsスペル・シーサー選手)以来のJr選手相手のシングル戦が組まれました。対戦相手のMAZADA選手は、9・9dragondoor興行で闘龍門MEXICOのインストラクター就任が正式発表されたばかりですが、それだけに手の合う相手だったと思われ、注目度の高い会場で実現して欲しかったカードではあります。

514
『2005 FLASHING TOUR 9・22岐阜産業会館』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.09.25放映

515 世界Jr挑戦へマイクアピール
この日の第5試合に施行された世界Jr選手権「TAKAみちのくvsPSYCHO」戦で、王者TAKAみちのくの入場後に西側花道からTシャツ姿のドッティが現れ、東側リングサイドの本部席へ。試合開始5分ほど後、東側リング下での攻防時にドッティが立ち上がり、TAKAと視殺戦を繰り広げたのち、無言のまま西側控室へ引き揚げていきました。試合終了後、恒例の次期挑戦者名乗り上げ合戦が始まりましたが、12度目の防衛成功を果たした王者のもとに集まったのは、リターンマッチをしていない前王者のカズ選手と、石森選手、そしてドッティ(と松葉杖姿のYASSHI選手)のみ。TAKA選手自身「やっとよ、来るべき3人が来たって感じだな」とマイクしたように、これまで王者に一度も挑んでいないメンバーが揃いました。全日マットでは珍しくマイクを握ったドッティはTAKA選手を「他団体に出ていって負けるから全日Jrの格が落ちる」と批判して、挑戦をアピール。これに対しTAKA選手はドッティの体重がこの時点で108kgあることを暴露。「世界Jr王座のリミットは102.5kg。5.5kg減量したら挑戦を受けてやる」と切り返しています(※後に世界Jrの体重リミットは105kgと判明)。
この日のドッティは、この世界Jr戦直後のタッグ戦(セミファイナル)に出場。なお、TARU選手のフィニッシュは彼のCrazy-MAX時代の盟友・SUWA選手のジョン・ウーから、腕を軽く上げるアピール込みで繰り出されたFFF。同月18日のNOAH日本武道館大会でGHCJrヘビー級戦(王者KENTA選手)へ挑戦し敗れたもののその日のベストバウトと讃えられたSUWA選手への、明らかなメッセージと思われます(ドッティが4月のCC初戦でミラノ選手に向けたA.T.ロックを繰り出したような)。団体リリースの公式記録では技名は「ペディグリー」となっておりますが、闘龍門ファンとしてもTARU選手のメッセージを受けて、当SCOREでは「FFF」と表記することとします。
『ALL JAPAN B-Banquet #71』(GAORA)'05.10.15放映

516 ジャマール選手との一騎打ち/世界Jr王座挑戦決定
YASSHI選手の負傷欠場の余波から、またもカード変更(同会場での当初発表カードは渕正信&菊タロー組vs近ブラ)。全日本マットで唯一当たっていない渕選手との初対決はお預けとなりましたが、代替カードは2005年CCの準優勝者、ジャマール選手とのシングルマッチ。Jr選手がまともにぶつかって行って到底敵わない相手であり、因縁のRO&Dの選手ということもあって、バーナード選手を除く4選手がセコンドにつき、試合に介入してやりたい放題。こうして勝手にハンデをもらったドッティが合い間合い間に力勝負を挑んでは跳ね返される展開となり、150kg相手にブレーンバスターを1回だけ決めたものの、ジャマール選手の空中でキャッチしてのバックフリップ→コーナー最上段からの爆撃弾で圧殺されています。
なお、この日の第1試合前のMCで、この日は6人勢揃いしていたVDMメンバーがリング占拠し、2人しか参戦のなかったRO&DはTAKAみちのく選手1人が遅れて登場。ドッティはTAKA選手に「世界Jrのリミットは102.5kgではなく105kg。俺は先週から3kgやせたから挑戦させろ」と迫り、第3試合の「カズ・ハヤシ&スペース・論・ウルフ組vsTAKAみちのく&PSYCHO戦」も自らイスを持ち込んで観戦し、トペを敢行せんとするTAKA選手を場外から足刈りで妨害し、乱入してノーコンテストに追い込み、さらにアピールしています。これに業を煮やしたTAKA選手は、ジャマール選手のセコンドについた第4試合終了後、KOされパルンボ選手に担がれて退場するドッティに向け、「(ジャマールのような)ヘビー級相手だと大したことはないが、俺も曙やバーナードとやってるから気持ちはわかる。最初に名乗りを上げたことだし、3kgやせて来い」と、10月シリーズでのタイトル挑戦を受諾しました。
ちなみにこの日は、元WWEのダットリーボーイズ(ババ・レイ&ディーボン)が「チーム3D」と改名して全日本初参戦した特別興行。メイン(武藤敬司&石森太二組vs佐々木健介&中嶋勝彦組)後にVDMが乱入した際、第5試合に出場した彼らが登場して、あいさつ代わりにVDMを蹴散らす大団円。ドッティ、TARU選手、YASSHI選手の順に彼らの3D攻撃を受け、負傷欠場中のYASSHI選手はテーブルへのパワーボムまで食らうなど、VDMはオープニングMCからメイン後のボーナストラックまで興行の盛り上がりに貢献しています。ところで、テーブルへのパワーボム葬と言えば、ドッティ&YASSHI選手が2003年9月26日(闘龍門JAPAN東京武道館大会)、2004年10月24日(DRAGON GATEディファ有明大会)と、2年続けて玉岡レフェリーを病院送りにしたムーブ。さらに1年後の秋に、全日本マットで本家からこのムーブを食らうことになるとは、誰が想像したでしょうか。
『特別興行 9・30後楽園ホール』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.10.02放映

番外 「WRESTLE-1」再び?
10月2日に国立代々木競技場第1体育館で行われた「WRESTLE-1 GP2回戦」の第3試合に行われたチーム3DvsVDM「ババ・レイ&ディーボンvsジョニー・スタンボリー&チャック・パルンボ戦」。2日前の9・30後楽園のメイン終了後にチーム3Dにやられていることから、TARU選手、YASSHI選手ともどもVDM総出でセコンドについたもののVDMの勝利をアシストすることも出来ず(14分19秒3D→体固めでパルンボ選手がババ・レイ選手からフォール負け)、試合後に突っかかっていったもののまたも3D葬されています。
なお、「WRESTLE-1」は2002年秋&2003年新春に行われたプロレスイベントが形を変えて2005年夏に復活したもので、この興行は復活第2弾。2003年新春の旧WRESTLE-1第2弾に参戦した経験(当SCORE〜COMMENT2003・094参照)のあるドッティとしては、ちょっとした縁のある興行ではあります。新「WRESTLE-1」も旧「WRESTLE-1」同様、K-1(を主催するFEG)と全日本プロレス(の武藤社長の個人オフィスLEGLOCK)が主体となっているのですが、前回のWRESTLE-1参戦は闘龍門パッケージとしてのゲスト。今回はセコンドながら全日本マットレギュラー選手としての登場という点が前回と大きく異なっています。
※『SKY Perfec TV!! LIVE SPECIAL WRESTLE-1 GP2回戦』(SKY PARFECT CHOICE 180ch・PPV放送)'05.10.02放映

517
『ALL JAPAN B-Banquet #74』(GAORA)'05.11.06放映

521 雨天の屋外会場で「逆取り」第2試合のメインイベント出場
屋外で14時開始の興行も、前夜から当日午前中いっぱい雨が続き、その後も雨が降ったり止んだりの天候。屋外会場ということで雨天順延用に10月23日に予備日が設けられていましたが、850人ものお客さんが足を運んでくれたことから中止にせず、興行を開催。全6試合中メインに予定されていた「武藤組vsVDM」を、強い雨が降ってリングコンディションが悪くなる前に施行すべく「逆取り(さかどり)」という措置が取られ、第2試合に団体TOPが登場する豪華6メンタッグ戦が展開されました。

522
『2005 シャイニング・シリーズ 10・18新潟市体育館』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.11.06放映

524 世界Jrヘビー級選手権初挑戦で強奪、第23代王者に
Strongest-K王座(KAIENTAI DOJO認定)&東北Jrヘビー級王座(みちのくプロレス認定)とともにJr三冠王として君臨する世界Jr王者・TAKAみちのく選手が、渕正信選手が第10代王者時に刻んだ連続防衛最多記録(14連続)を更新すべく、13度目の防衛相手に指名したのがドッティ。TAKA選手はこの時点で「vs近藤戦(13回目の防衛)→vs石森太二戦(連続防衛歴代タイ)→全日本でJr戦初のメインでのvsカズ・ハヤシ戦(連続防衛新記録を賭ける)」の青写真を描いていたわけですが、結果的にドッティはその野望を見事に打ち砕いてしまいました。
試合は、VDMジャパン軍のTARU、YASSHI選手に加え、助っ人として旧悪冠一色の盟友・高木省吾選手まで引っ張り込んで盤石のセコンド体制を整えたドッティが、ピンチの度に彼らに介入させる展開。厳正な和田京平全日本チーフレフェリーをして、ドッティがフォールした際のカウントをわざと遅く叩かせるほど激怒させるファイト内容に、観客のフラストレーションは溜まる一方。15分が経過したあたりで業を煮やして登場したカズ、論ウルフ、石森選手らがVDMセコンド勢を強制退場させた後で、ようやく実力勝負となり、選手がカウント2で跳ね返すたびに客席から重低音ストンピングが響く熱戦に。一進一退の攻防の果て、キングコング・ラリアットで試合が決着しました。
なお、ドッティは久々となるJrシングルの大一番に、常套である一点集中攻撃用に引き出しにしまい込んでいた持ち技の中からキャッツ・クレイドルや膝打ち串刺しラリアットなど、TAKA選手のスーパーK封じのための足殺しに使える技を解禁。さらに、TAKA選手の得意技のジャストフェースロックを意識したクロスアームフェースロックを披露し、他選手の持ち技である「裏DDTの体勢からのブレーンバスター(逆フェイスバスター)」や「アキレス腱固めからの変型足4の字」をさりげなく繰り出すなど、シングル・プレイヤーとしての資質を遺憾なく発揮しています。
さて、この「世界ジュニア・ヘビー級選手権」の創設は1986年(以下、全日本公式サイトを参照)。2代目タイガーマスク選手(三沢光晴選手)がヘビー級転向のため返上したNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座の歴史を引き継ぐべく誕生したベルトだそうです。初代王者がカルガリー・ハリケーンズのヒロ斎藤選手で2代目が小林邦昭選手(いずれも新日本プロ出身でのちにUターン)ですから、ジャイアント馬場時代の全日本においては長州力選手率いるジャパンプロとの抗争後期。その後、全日四天王時代のJr戦士たちが名を連ね、武藤全日本の時代に突入した2002年以降、王者となったのはケンドー・カシン、カズ・ハヤシ、TAKAみちのくの3選手のみ。いずれも長期政権を築いていますが、それだけに新王者ドッティがどれだけの期間ベルトを守れるか注目されるところです。
なお、試合を終えたドッティは続くメインの武藤&曙vsTARU&バーナード戦に、少し遅れてVDMセコンドとして登場。世界Jr王者としての初仕事は「社長を逆さ吊りにして足を持ち、TARU選手の股間カカト落としをアシスト」でした。
『ALL JAPAN B-Banquet #76』(GAORA)'05.11.26放映

【この時点での世界ジュニア・ヘビー級歴代王者一覧】
(01)ヒロ斎藤
(02)小林邦昭
(03)渕正信
(04)ジョー・マレンコ
(05)マイティ井上
(06)渕正信
(07)仲野信市
(08)百田光雄
(09)ジョー・マレンコ
(10)渕正信
(11)ダニー・クロファット
(12)渕正信
(13)ダニー・クロファット
(14)小川良成
(15)渕正信
(16)菊地毅
(17)小川良成
(18)マウナケア・モスマン
(19)小川良成
(20)ケンドー・カシン
(21)カズ・ハヤシ
(22)TAKAみちのく
(23)近藤修司

525 「"brother"YASSHI復帰戦」
世界Jr戴冠後の初試合は、盟友YASSHI選手の復帰戦。彼を欠場に追い込んだ諏訪間選手との顔合わせが中心の構図となったことから、YASSHI選手のパートナーとしてサポート役に終始。この日のセミで、グレート・ムタ選手に対抗すべくグレート・ルタに変身したTARU選手のセコンドとして働く時間の方が長いなど、闘龍門時代から幾度となく出場したビッグマッチ会場・代々木大会で最短の試合時間となりました。
なお、この日の当初発表カードは、翌日から始まる最強タッグにもエントリーしていた「本間&諏訪間組」との対戦。本間選手が椎間板ヘルニアのため欠場となったことから、雷陣選手が代打出場。このコンビはそのまま最強タッグ参戦にスライドしています。
※『SKY Perfec TV!! LIVE SPECIAL "THE UNCHAINED WORLD"』(SKY PARFECT CHOICE 180ch・PPV放送)'05.11.19放映
『全日本プロレススペシャル "THE UNCHAINED WORLD" 11.19国立代々木競技場第2体育館』(GAORA)'06.01.07放映
『全日本プロレス "THE UNCHAINED WORLD" 11.19国立代々木競技場第2体育館』(FIGHTING TV SAMURAI)'06.02.25放映

526 「世界最強タッグ決定リーグ戦」開幕
現在の日本マット界で最古のタッグリーグ戦となる全日本プロレスの暮れの風物詩「世界最強タッグリーグ戦」にまさかのエントリーを果たしたドッティ&YASSHI選手。ドッティにとっては春の祭典「チャンピオン・カーニバル」に次ぐ全日2大リーグ戦を参戦1年目にして完全エントリーすることになりました。しかしながら、2ブロックに分かれてのリーグ戦で参加チーム中唯一のJrヘビー級同士のコンビであることから、自らも認める「白星配給係」。そこで、この日の第2試合でシングルマッチに出場したYASSHI選手が「全試合両リン作戦」を宣言し、対戦相手のスペース・論・ウルフ選手相手に両リンの予行演習を敢行し、公式戦に向けてのデモンストレーションを展開しています。
また、この試合の直後に行われた最強タッグ開幕戦恒例の入場式に参加した「ご機嫌ちゃんコンビ」は、参加10チームのいちばん最初にリングインするや、ウイットネスとして来日したスタン・ハンセンPWF会長に向けて「ウィーッ!」と、彼の決めポーズであるロングホーン。プロレス少年として夢のようなシチュエーションを活用することで、勝ち目のないリーグ戦に参加させられた(?)ことのモトを取っています。
なお、この日の試合は、4日後の同所で世界Jr王座の初防衛戦相手に迎え撃つ石森選手との前哨戦という側面もありましたが、全体的な構図としてはVDMvs健介ファミリー(父と息子と息子の友だち)でした。
『ALL JAPAN B-Banquet #78』(GAORA)'05.12.10放映

527 vs小島&カズ組戦(リーグ戦第1戦)、両リン狙いはまんまと失敗
「2005 世界最強タッグ決定リーグ戦」Bブロック公式戦・近藤修司&"brother"YASSHI組:1戦0勝1敗(得点0)
『ALL JAPAN B-Banquet #79』(GAORA)'05.12.17放映(ダイジェスト)

528 dragondoor旗揚げ第3弾興行/世界Jr選手権初防衛に成功
イベント型プロレス「dragondoorプロジェクト(d2p)」の第3弾興行にして初のメインでのシングル戦が実現。10・22での世界Jr戴冠後に石森選手から挑戦表明を受け、「全日でやる価値がないから11・24ddで受けてやる」と返答したドッティでしたが、後にdd川畑代表が全日本から許可を受け、タイトルマッチとして実現しました。
全日管轄のタイトル戦とあって重鎮・和田京平レフェリーを招聘しての試合は、YASSHI選手がセコンドについたものの、介入・反則一切なしのクリーンファイトを展開(反則なしの真っ向勝負は2002年3月9日の英連邦Jrに挑戦したSUWA戦以来)。ピンチらしいピンチもなく、初防衛に成功しています。
試合後、ドッティは石森選手に「おまえが勝てないのは作られたエースだから。浅井嘉浩(=ウルティモ・ドラゴン闘龍門校長)の失敗作なんだよ!」と罵倒。第6回ヤングドラゴン杯決勝(2002年12月)&東京ドームでの「WRESTLE-1」(2003年1月)で連続フォール負けした借りをきっちりと返すとともに、1期下の後輩に対してさらなる奮起を促しています。
なお、試合後、次回dd興行(2006年2月7日)の参戦が決定したかつての盟友でありライバルであるミラノコレクションA.T.選手に対し、「帰ってきやすいようにあるものを用意する。ヒントは六角形だ」と、T2Pマットで使用された六角形リングの再登場を示唆しています。
※『「dragondoorプロジェクト Los Conquistadores 2」11・24後楽園ホール』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.11.27放映

529 AKIRA選手にフォール負け
最強タッグ決定リーグ公式戦に試合のなかったドッティはメインの6メンに出場。格上相手のシングル戦を除いて、全日マットで初のフォール負けを喫しました。現世界Jr王者を破ったことから、試合後にAKIRA選手は同王座への挑戦を表明しています。

530 vs佐々木&中嶋組戦(リーグ戦第2戦)、またも両リン失敗
両リンは失敗したものの、中嶋選手の右手にイス攻撃を集中。次の試合のVDMの盟友・TARU&バーナード組の試合でもセコンドとして介入。前夜の試合で赤っ恥をかかされたAKIRA選手に狙いを定めています。
「2005 世界最強タッグ決定リーグ戦」Bブロック公式戦・近藤修司&"brother"YASSHI組:2戦0勝(得点0)
『ALL JAPAN B-Banquet #79』(GAORA)'05.12.17放映(ダイジェスト)

532 vsブキャナン&ブラウン組戦(リーグ戦第3戦)、あっさり3敗目
「2005 世界最強タッグ決定リーグ戦」Bブロック公式戦・近藤修司&"brother"YASSHI組:3戦0勝(得点0)
※『オールジャパン・シャイニング・ファスト #1』(FIGHTING TV SAMURAI)'05.12.02放映
『ALL JAPAN B-Banquet #79』(GAORA)'05.12.17放映(ダイジェスト)

535 vsババ・レイ&ディーボン組戦(リーグ戦第4戦=最終戦)、全敗で終戦
「2005 世界最強タッグ決定リーグ戦」Bブロック公式戦・近藤修司&"brother"YASSHI組:4戦0勝(得点0=全日程終了)
『ALL JAPAN B-Banquet #79』(GAORA)'05.12.17放映(ダイジェスト)

536 2005年最終戦/世界Jrヘビー級選手権2度目の防衛戦が決定/バーナード選手との別れ
最強タッグ優勝戦が行われたこの日、2チームがエントリーしたものの両チームとも優勝戦線に絡めなかったVDMの4選手がカルテットを組んで、セミファイナルに出場。試合後、小島選手の両手首にロープを絡め、ステージに設けられた鉄骨の入場ゲートに吊し、TARU選手が鞭で打つという暴挙で、フリー宣言&全日参戦元年を締めくくっています(ちなみに、ドッティの2005年は、計78試合に出場)。なお、3月20日に全日マットに乱入してVDMと合体してこの日までチームメイトとして共闘してきたバーナード選手がこの日をもって全日本との契約を満了(翌年から新日本プロレスに転出)。バーナード選手はバックステージで約1年にわたって行動を共にした仲間に別れを告げました。
また、この日の第2試合に出場したAKIRA選手が試合後、「来年1月8日大阪府立体育会館で世界ジュニア戦が決定した」とマイク。体重オーバー疑惑がつきまとうドッティに対し、体重計を掲げて当日必ず計量させるとアピールし、「男ならヤセマッチョ」でおなじみのサプリメントとサウナスーツを「クリスマスプレゼントに持ってきた」と挑発。ドッティはリング上には現れませんでしたが、AKIRA選手の記者会見の席上にYASSHI選手とともに乱入。受け取ったサプリメントの風を開け、AKIRA選手の口に流し込んで、その挑発に応えています。
『ALL JAPAN B-Banquet #79』(GAORA)'05.12.17放映

【「2005 世界最強タッグ決定リーグ戦」全試合結果】
※リーグ戦はすべて30分1本勝負。各ブロック得点1位チームが優勝戦へ進出。
あらゆる勝ち=2点、引き分け=1点(両者反則および両者リングアウトは0点)、あらゆる負け=0点。

リーグ戦各ブロック結果
《Aブロック》 太陽ケア&ジャマール(勝ち点4)、武藤敬司&曙(同6=1位)、TARU&ジャイアント・バーナード(同2)、嵐&AKIRA(同2)、諏訪間幸平&雷陣明(※)(同4)
※「本間朋晃&諏訪間幸平組」でエントリーするも本間のケガにより雷陣に変更
11・20後楽園
○武藤組(2) vs ケア組(0)●
  武藤(21分48秒 ムーンライトプレス→体固め)ケア
○諏訪間組(2) vs 嵐組(0)●
  諏訪間(21分28秒 アンクルホールド)AKIRA
11・23京都
○ケア組(2) vs 嵐組(0)●
  ジャマール(15分51秒 サモアン・ドロップ→体固め)AKIRA
11・26長浜
○ケア組(4) vs 諏訪間組(2)●
  ケア(13分13秒 T.K.O→片エビ固め)雷陣
11・27川越
○嵐組(2) vs TARU組(0)●
  AKIRA(18分10秒 反則)TARU ※セコンド乱入、レフェリー暴行により
11・28いわき
○TARU組(2) vs 武藤組(2)●
  バーナード(21分47秒 ラリアット→片エビ固め)曙
11・29宮城
○武藤組(4) vs 諏訪間組(2)●
  曙(16分48秒 ボディープレス→体固め)雷陣
▲ケア組(4) vs TARU組(2)▲
  (18分2秒 両者反則)ジャマール、バーナード ※両者レフェリー暴行により
11・30八戸
○武藤組(6) vs 嵐組(2)●
  曙(12分44秒 ボディープレス→体固め)AKIRA
12・1岩手
○諏訪間組(4) vs TARU組(2)●
  雷陣(13分13秒 反則)バーナード ※TARU乱入により

《Bブロック》 小島聡&カズ・ハヤシ(勝ち点4)、佐々木健介&中嶋勝彦(同4)、ブキャナン&ディーロ・ブラウン(同4)、ババ・レイ&ディーボン(同8=1位)、近藤修司&"brother"YASSHI(同0)
11・20後楽園
○ババ・レイ組(2) vs 小島組(0)●
  ディーボン(15分45秒 3D→片エビ固め)ハヤシ
11・23京都
○小島組(2) vs 近藤組(0)●
  小島(18分1秒 CCD→片エビ固め)YASSHI
11・26長浜
○ブキャナン組(2) vs 佐々木組(0)●
  ブキャナン(16分25秒 アイアンボム→片エビ固め)中嶋
11・27川越
○佐々木組(2) vs 近藤組(0)●
  佐々木(13分25秒 ラリアット→体固め)YASSHI
11・28いわき
○小島組(4) vs ブキャナン組(2)●
  小島(16分25秒 ラリアット→片エビ固め)ブキャナン
11・29宮城
○ブキャナン組(4) vs 近藤組(0)●
  ブラウン(8分0秒 ハワイアン・スマッシャー→片エビ固め)YASSHI
11・30八戸
○ババ・レイ組(4) vs 佐々木組(2)●
  ディーボン(14分14秒 3D→片エビ固め)中嶋
12・1岩手
○ババ・レイ組(6) vs ブキャナン組(4)●
  ディーボン(12分12秒 3D→体固め)ブキャナン
12・3長岡
○佐々木組(4) vs 小島組(4)●
  佐々木(19分59秒 ラリアット→体固め)ハヤシ
○ババ・レイ組(8) vs 近藤組(0)●
  ディーボン(10分54秒 3D→体固め)YASSHI

12・5大田
優勝決定戦(時間無制限1本勝負)
○ババ・レイ組(Bブロック1位) vs 武藤組(Aブロック1位)●
  ディーボン(20分23秒 3D→体固め)武藤

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