![]() 「.Mac」は戦略的な誤り ---ユーザーのMac離れを加速 初稿:2002年11月13日 目次: 1.「.Mac」の加入実績 2.「.Mac」の理想と現実 3.アップルへの提言 今年7月に発表されたiToolsの有料化(「.Mac」への移行)(→註1)はほぼ全てのMacユーザーの反感を買い、Mac離れを促進するだけの結果に終わってしまった。 私を含め多くのユーザーが最近のアップルのやり方には疑問を感じ始めていたが、この「.Mac」のやり方が決定的なものとなった。アップルがユーザーよりも収益を優先する会社になってしまったと感じさせるに十分なものだった。 企業活動にとって最も重要な「ユーザーの信頼」を失う結果を招いてしまったとしたら、これを大愚行と呼ばずになんと言えばいいだろうか。 私なりに、なぜ、アップルが「.Mac」のサービスを開始したのか、何が問題で「.Mac」は失速したのかを分析し、最後に「.Mac」を生き残らせるための提案をまとめてみた。 1.「.Mac」の加入実績 アップルの目標は100万人? 「.Mac」の会員数の目標値はいくらだったのだろうか。 米国の市場調査会社ガートナーによると、全世界のMacユーザー数は約2000万人と推定されている。パソコン全体の保有台数はおよそ5億台と推定されるから、比率としては少ないが、想像以上に大きな数字であることに驚くであろう。このうち70%が北米、20%が日本、10%がそれ以外と考えられる。 Windowsに比べるとMacは個人ユーザー比率が高く、また高度な使い方をしているユーザーが多いので、「.Mac」のようなサービスに興味をもつユーザーも多いはずである。単純に考えれば、全世界のユーザーの5%が加入するだけで100万人の規模になる。 アップルは既にiToolsという無料のサービスを実施しており、その実績からある程度の見込みを得たはずだ。有料化しての十分な会員数が確保できるという予測があったのだろう。 iToolsの加入者数については公表された数値がないが、よく似たサービスのマイクロソフトのhotmailでアカウントを持っているユーザー数は7500万人といわれているから、iToolsの登録者数は300万人(重複登録を除く)位ではなかったかと推定される。 iToolsユーザーの3分の1が「.Mac」に移行してくれると考えるとやはり100万人だ。 最近のネットワークサービスはコストがかかるようになってきているから、会員数を増やし、規模を大きくしなければ勝ち残れない。 例えば、世界最大のプロバイダーAOLは会員数が6000万人、米国で第2位に躍り出たマイクロソフトのMSNが870万人(有料会員のみ)という規模であるから、やはり100万人程度を目指さなければ利益を確保しながらサービスを充実することが難しくなる。 実際の加入者はわずか18万人 iToolsからの優待加入促進(1年間半額)期間(「.Mac」トライアル期間)であった2002年の9月30日を過ぎた時点での「.Mac」の加入者はわずか18万人にとどまった(→註2)。 アップル自身は「素晴らしい成功」といっているが、この数字は明らかに「惨敗」だ。 それは、9月以降のアップルのあわてぶりにも見て取れる。多分、ここまで成績が伸びないとは予測していなかったのだろう。 iToolsメンバーには連日のように加入を促すダイレクトメールが配信され、巧妙なカウントダウンで消費者の焦りを誘う戦術に出た。それはまるで、TV通販の画面に商品の残り数がカウントダウンされる(アメリカの通販のやり方)雰囲気を思い出させるものだった。 クレジットカード決済がネックだといわれると、急いでアップルストアでの購入を用意した。9月末には最後のあがきとして、トライアル期間の2週間の延長を行ったが、ユーザーの気持ちが離れているのにそんなものが効果があるはずもなかった。 7月の発表以降、雑誌やインターネットの掲示板(→註3)、個人のホームページで「.Mac」の改善を求める声があがり、誰もが、アップルは何らかの改善をするものだと期待していた。しかし、ただ一方的に加入を勧誘するのみで、サービスの充実をするでもなく、新しいパッケージを提供するでもなく、また価格の見直しをするでもなく、一貫してユーザー無視の方針が貫かれた。 ユーザーの判断は、「.Mac」に100ドルの価値を見いださなかったわけだが、価値のないものでも、とにかく売りつけてやれというアップルの姿勢には、敏感なユーザーは嫌気を感じたのではないだろうか。 「僕はすぐに登録しました。だって、一月1000円と考えれば安いですよね」などという無責任な雑誌ライターのコメントに乗せられて、思わず加入を急いだ人も多いが、それ以外のユーザーはトライアル期間のぎりぎりまで試し、結局、「.Mac」へは加入しなかった。 2.「.Mac」の理想と現実 会員制、有料のサービスはインターネットでは成功しない インターネットプロバイダーの役割は大きく二つある。一つはインターネット基幹線への接続代行、もう一つは会員限定のサービスの提供だ。 日本のほとんどのプロバイダは接続代行業で、メールサーバーとウェッブサーバーを提供しているに過ぎない。しかし、価格競争が激しくなると、これだけでは維持するのが難しくなる。 そこで、大手のプロバイダは何らかの会員限定サービスや有料サービスを充実させ、付加価値を付けようとしている。 かつて、日本にはNiftyServeというパソコン通信サービス会社があったのをご存じだろうか。パソコン通信という言葉自体が死語になりつつあるが、パソコンとサーバーを1対1でつなぐものだ。閉鎖されたネットワークで、会員間でしか情報のやりとりができない。NiftyServeはパソコン通信では最大規模の会員をかかえ、会員間の電子メール、フォーラム、掲示板(売りたし買いたしなど)、ニュース検索などのサービスを行っていた。特に、活用されていたのがフォーラムで、特定の趣味、話題について議論をする場所で、インターネットの掲示板の先駆けとなったものだ。私も、Mac関係の情報源としては最も重宝していた。 インターネットが普及し始めると、一気にパソコン通信は廃れ、NiftyServeは@Niftyというプロバイダーになった。 @Niftyが発足当時は、フォーラムもそのまま移設されたが、会員しか見ることが出来なかった。フォーラムに参加したければ@Niftyに入りなさい、といえるだけの商品価値があったのだ。 しかし、やがて、Yahooなど、いろいろなホームページで掲示板が開設されるようになった。それらは無料だった。 掲示板の価値は、その閉鎖性にあるのではなく、なるべく多くの人の知見を集めることが出来る点にある。閉鎖的なネットワークであったパソコン通信の場合は、閉鎖的なフォーラムでも構わなかったものが、開放的なネットワークであるインターネットでは反対に価値のないものになる。会員制のフォーラム(掲示板)では情報が集まらないのだ。 ネット通販や、オークションもしかり。特定のプロバイダの会員しか使えないようなサービスにしてしまうと、結局は出品者も購入者も集まらなくなる。 インターネットの初期には、それぞれのプロバイダも独自の会員サービスを工夫していたが、インターネットの特性を活かすと、限定すればするほど価値がなくなることに気が付いてきた。 つまり、特定のプロバイダ会員限定のサービスというのは成立しにくいのだ。 本当は「.Mac」は画期的なアイデア iToolsは何だったのか。 基本のサービスはメールサーバーの提供とホームページスペースの提供だったのだろう。 これはFreewayなどの無料プロバイダや、Yahooのようなフリーメール、フリーサーバーサービスとほとんど変わることがない。 アップルがこのサービスを無料で提供した背景には、将来、パソコンはインターネット端末になる、パソコンメーカーはスタンドアローンのハード、ソフトだけでは成長できず、ネットワークがビジネスの中心になると考えたからだろう。そのための、準備期間、経験を蓄積するための場だったと考えられる。 そして、アップルはありきたりのサービスではなく、会員に限定してもインターネットの特性が損なわれないサービスというものを模索したに違いない。 その結果が、「.Mac」ではないか。 「.Mac」はインターネットサービスではなく、インターネットを利用したイントラネットサービスである。 イントラネットはインターネットの技術を使ってLANのサービスを行うもので、大きな企業や大学などで使われている。インターネットと異なるのは、ユーザーが一つの会社や大学内に限られること、専門のネットワーク管理者がいて、サーバーを中心とした運営となることだ。 イントラネットの環境では、その組織内でメールのやりとり、ブラウザーによる様々な情報提供、申請などの事務処理、お互いのスケジュールの確認、会議室の予約、などを行うことが出来る。 また、専門のネットワーク管理者がいるため、個々人のユーザーはそれほどパソコンに精通していなくても、仕事に専念できる。 必ずしも現在のイントラネットで実現されているわけではないが、将来は個別のパソコンにアプリケーションを入れることを止め、サーバーのアプリケーションを起動して使うようになるだろう。こうすれば、個々のユーザーがアップデートを行う必要もなくなる。 ウィルスのチェックはネットワークでは非常に重要な作業だが、これも個別のパソコンにウィルスチェックソフトを入れるのではなく、ネットワークサーバーが一括してチェックしてくれれば便利だ。 また、データのバックアップも重要だが、日本は非常に遅れている。会社でも基幹システムのデータはバックアップが考えられているが、個々人のパソコンのバックアップは個人任せが一般的だ。アメリカでは、ボタン一つで外部の安全なサーバーに全てのデータがバックアップされる仕組みが普及している。昨年9月のニューヨークの世界貿易センタータービルが崩壊しても、多くの企業が次の日から営業を再開できたのはそのおかげだ。 バックアップは面倒な作業だが、ネットワーク上に大きなバックアップサーバーがあり、自動的にバックアップされるようになっていれば、こんなに便利で安心なことはないだろう。 ここまで読んでくると、賢明な読者は、「.Mac」の提供するサービスがそういう観点で作られているのか、と気が付いただろう。 iCalはスケジューラ。Backupはデータのバックアップ、Virexはウィルス検知、などなど。 アップルは、インターネットを利用することで、個人のユーザーや小規模な団体に対し、これと同様なイントラネットサービスを提供することを思いついたに違いない。 しかし、現実は... 私は、アップルが本当にこう考えているかどうかは別にしても、インターネットをイントラネット的に使うという方向は間違っていないと思う。 但し、展開の時期と方法に問題がある。 第一に、イントラネット的に使うには、ブロードバンドの常時接続環境が必要だ。 しかし、最も多くのMacユーザーを抱えるアメリカではブロードバンドの普及は非常に遅れている。ADSL接続業者や光ファイバー接続業者が倒産している。これは、アメリカでは市内電話が固定料金制のため、かけっぱなしの状態に出来るからだ。一般ユーザーがメールやホームページを閲覧するだけであれば56Kのモデム接続でもほとんど不自由は感じないだろう。 日本でも、ADSLやCATV接続が急増しているとはいえ、まだまだ全体の普及度では20%程度だ(2002年10月時点)。 要は、ユーザーの環境がまだ十分に整っていないのに急ぎすぎているのだ。 第二に、現在アップルが「.Mac」で提供しているサービスはあまりにも貧弱だ。 コンセプトと実態が伴っていない。例えば、Virexの場合、スタンドアロンのチェック機能しかない。更にウィルス定義を自動更新する機能もない。メールはサーバー内でウィルスチェックされるわけでもない。Backupも時間がかかりすぎる。 その上に、このような大きなサーバーを運営する能力が不足していることを露呈するとは。9月の数週間にわたり、「.Mac」のサーバーがダウンし、メールが読めなくなったり一部のメールが消滅するという事態が発生した。有料になったとたんに問題が発生し、多くの加入者の怒りをかってしまった。有料化でユーザーの不満が膨れていただけに一層それに油を注ぐ結果になってしまったわけだ。(→註4 ) 会社や大学の外でイントラネット的使い方をするニーズはそれほど多くはない。例えば、スケジューラがお互いにチェックできる機能を便利と感じるのは、特定の職業、例えば出版関係者などだけだろう。もっと別なニーズを見つけるか、ユーザーに新しい使い方を提案していくしかない。 第三に、Macユーザーしか使えないサービスでは広がりが期待できない。例えば、スケジューラの場合、わざわざ外出先からパソコンで自分のスケジュールを引き出してみることはないだろう。そのパソコンに入れていればいいわけだし、手帳かPDAでも十分だ。ネットでスケジュールを管理するメリットは他人のスケジュールを見たり、予約が出来ることだろう。しかし、もしこれが、Macユーザー間でしかできないとなると、その利用価値は半減どころか10分の1以下になってしまう。 だから、Windowsユーザーにも「.Mac」を開放するか、Windows版のiCalを無料配布するなどの工夫が必要になる。 iChatがMacユーザー間でしか使えないとなると、これも問題だが、AOLメッセンジャーと互換性があるのであればよいが。 「.Mac」はユーザーの信頼と、メールアドレスを失った 誰もが容易に予測できることであるが、このまま行けば、この一年で「.Mac」の会員数はほとんど増えないだろうし、来年10月の更新期には多分、3分の1くらいまで会員は減るであろう。 そうすると、「.Mac」を維持するのは極めて困難になり、せっかく加入した現在のユーザーも大きな迷惑をかけてしまう。 既にアップルは「.Mac」の件で、既に、企業活動にとって最も重要な「ユーザーの信頼」を失ってしまったが、「.Mac」が停止されると言うことにでもなれば、もうほとんど修復の出来ないダメージになるだろう。 アップルが「.Mac」で犯した最大の愚行は、iToolsのメンバーアドレスを放棄してしまったことだろう。 現在、企業活動にとってユーザーの名簿は最も価値のある情報の一つである。ましてや、メールアドレスはほとんどコストをかけずに、大量に、即時に、ユーザーにアクセスできる最高の情報である。 アップルはiToolsで何百万人もの顧客リストを得ていたはずだ。 しかし、アップルは自らそのサーバー@mac.comを閉鎖してしまった。 10月15日まではそれらのユーザーに大量ダイレクトメールを送ることが出来たが、今となっては、メールを送るすべもない。せめて、全てのユーザーに今後乗り換えるメールアドレスを聞いておけば良かったかも知れないが、誰が、こんな仕打ちを平気でやる会社に新しいメールアドレスを知らせる必要を感じるだろうか。 本当に、アップルのやったことは愚行をいわざるを得ない。 もし、ほとんどのiToolsユーザーが「.Mac」に移行すると考えていたならば、それはおごりでしかない。アップルが提供するものならば、盲目的に受け入れてきたユーザーの時代は終わったのだ。 3.アップルへの提言 どうすれば「.Mac」は生き残れるか そうはいっても、まだ厳然とMacユーザーはいる。どんどんMac離れは進んでいるが、まだまだMacのよさを信じて使い続けようとしているユーザーは多い。 きっとアップルはいい方向に変わってくれるだろうと信じて、待ってくれているユーザーもいる。 そんなに時間的猶予はないが、まだ間に合う。ユーザー本位に立ち返り、もっと魅力的なサービスを提供すればよいのだ。 しかし、現在のコンセプトを一気に押し進めるには、先にも述べたようにユーザーの環境が整っていない。ここはあせらず、もっと時間をかけてゆっくりと育てたほうがよい。 今やるべきことは、Macユーザーの信頼を回復すること、ともかく、「.Mac」会員数を増やすことである。 そのためには、あまり「.Mac」のコンセプトを押し売りせず、従来のiToolsの延長で、ゆっくりと会員を教育していくことを考えた方がよい。 いずれにしても、アップルとユーザーをつなぐ道具はメールアドレスしかないのだから、メールの再開を急ぐべきなのだ。 いろいろなところでも提案されているが、メールサービスを単体販売した方がよい。 本来、メールサービスやホームページサービスはどこのプロバイダでも提供しているサービスで、あえて「.Mac」が必要となるサービスではない。「.Mac」が目指しているものから考えても、分離したサービスとすべきものなのだ。 年間20ドル、日本円で月に200円ほどであれば今までのiToolsユーザーも戻ってくるのではないだろうか。 メールアドレスが獲得されれば、アップルとユーザー間でのコミュニケーションが深まり、「.Mac」の新しい利用についてもお互いに知恵が出せるだろう。 現在既に登録のユーザーには期間延長や、何か特典ソフトでも渡すしかない。 残りのサービスについては、分割して販売する方法もあるが、コンセプト的にはフルパッケージとしても良い。但し、現在のフルパッケージの機能では誰が見ても高いから、まずは50ドル程度に値下げすべきだろう。そして、サービスの内容が充実してきたら、それに応じてフルパッケージの価格を上げていくか、いくつかのオプションを用意すれば、ユーザーは納得しやすいだろう。 そして、なんと言っても大事なのは、サービスの魅力を上げることだろう。今のサービスの内容と質はコンセプト倒れだ。もっと知恵を絞って、アップルらしい画期的なサービスを提供しなければならない。そうすれば、Windowsユーザーもそのサービスが使いたいがために、本気でMacにスイッチしてくるだろう。 「.Mac」が死ぬときはMacそのものが死ぬときであろう。 私はそれを期待しているのではない。 アップルには再びユーザーに目覚め、ユーザーのためのサービスを行ってほしい。 そうすれば、再びMacを使っていることに喜びと誇りを感じる時が来るだろう。 ハリー小野 (C)Harry Ono 2002 著者の事前の許可なく、無断転載、配布を禁止します。リンクは構いません。 参考文献: 註1:「アップル、新インターネットサービス「.Mac」を開始」(MacWire2002年7月18日) 註2:「アップルの.Mac加入者数、18万人を超える」(MacWire2002年10月2日) 註3:【.Mac】iToolsの有料化を批判する!Part 6 (2ちゃんねる) 註4:「Appleが.Macネットワーク停止を認め、釈明」(MacWire2002年10月8日) |