サイトマップ 
心の研究室バナー
戻る 進む 

恋愛感情と愛情

はじめに

 洋の東西を問わず、結婚後しばらくたった夫婦には、“倦怠期”と呼ばれる段階の訪れることが知られています。人もうらやむほど相思相愛の仲にあるふたりが、結婚式で変わらぬ愛を誓い、文字通り仲むつまじい新婚生活を始めたとしても、そのうち「犬も食わない」と言われる夫婦げんかをするようになり、3、4年もすれば、当初の約束はどこへやら、“愛情”もほとんど消えうせて、互いの一挙手一投足が気になり始めるわけです。そして、あろうことか、「あばたもえくぼ」であこがれの的だったはずの相手の欠点ばかりが、やたらと目や鼻につくようになり、場合によっては、相手と顔を合わせることすら苦痛になってくるのです。のみならず、相手の足音を聞いたり姿を見たりするだけで、さまざまな心身症状を出現させる人たちもいます。この普遍的現象は、まさにその存在が遍く知られており、実にふしぎな過程であるにもかかわらず、その研究を、特にその理由についての研究を真剣に行なっている専門家は、世界中を探してもほとんどいないのではないでしょうか。

 昔から、「亭主は達者で留守がよい」と言われてきました。病気になったら面倒を見なければならず大変なので、夫には元気でいてもらわないと困るが、少なくとも昼間は家にいないでほしい、そうしてもらえれば、妻としては安心して生活することができる、ということです。ところが、しばらく前から、そのようにのんびりと構えていられない女性たちが、どうやらかなり増加してきているのです。その予兆は、既に30年ほど前には気づかれていました(たとえば、『週刊現代』1981年11月26日号)が、現在では、定年後の夫と顔を突き合わせて暮すことに対して、不安どころか恐怖を感ずる妻が、かなりの数にのぼるようになったのです。中には、夫に殺意を抱き、そのことを夫に向かって公言する妻すらいるそうです(『週刊現代』2010年3月6日号「夫に早く死んでほしい妻たち」)。

 「夫婦のことは他人にはわからない」と言われるものの、このようなことがおこるのは、なぜなのでしょうか。それは、本当に愛情が消えうせた結果なのでしょうか。それとも、何か別の理由があるのでしょうか。本項では、この問題について検討します。

歴史的経緯

 わが国では、第二次世界大戦終結前までは、“自由恋愛”に対する憧れがあったとしても、あるいは好きな相手がいたとしても、実際の結婚相手は、ほとんどが見合いで決まるか、さもなければ親が一方的に決めるものでした[註1]。戦前にアメリカや中国大陸へ移住した男性たちの場合には、本土にいる女性たちと、世話人を介して、写真を交換して結婚を決める、今となっては信じがたい“写真見合い”という方法も使われました。そして、ひとたび結婚すると、ほとんどの夫婦は、それなりにつつがない生活を送っていたのです。

 その頃は、“身分”や“家柄”が重要な要素になっていたこともあって、個人同士の結婚というよりは、家同士の結婚のような側面がありました。また、女性の側には経済的自立の手段がほとんどなかったためもあり、よほどのことがない限り、離婚という選択肢はありませんでした。不満があったとしても、それを口にしたり、行動に移したりするのは、許されざる“わがまま”であり、がまんするのがあたりまえだったということです。あるいは、“主人”に対して“滅私奉公”するのが当然であって、がまんしているという自覚すらなかったかもしれません。男尊女卑という歴史的背景の中で、“家父長制”という制度が存続していたことも手伝って、ほとんどの場合、女性の側が、一方的な献身を強いられたわけです[註2]。当時のわが国では、結婚とはまさに「そういうもの」だったのです。現在でも、世界各地を見わたせば、イスラム圏をはじめ、結婚相手は依然として親が決め、当の本人たちは結婚式当日に初めて顔を合わせるという文化圏や地域も、決して少なくないようです。

 戦後の民主化の中で、女性たちは、心身ともに次第に強くたくましくなりましたが、結婚に関する因習的な考えかたはさほど変わらず、見合いという風習も、比較的最近まで残っていました。終戦後まもない頃に生まれた私たちの世代では、四年制大学を卒業しても企業に就職することなく、そのまま“花嫁修業”に入った女性たちが、まだ一部にいたのです。そして、そのほとんどは見合いを通じて結婚しました。また、就職した女性たちの場合も、いわゆる腰かけ程度のもので、結婚のため2、3年のうちに退職する比率が非常に高い状況が、これも比較的最近まで続きました。そのため、大学卒の女性社員であっても、“職場の花”的な扱いを受け、雑用的な仕事しか与えられないことが多く、そのことが女性の社会的地位を向上させる際の障害になるとして、問題視されてきたわけです。

 当時の社会通念として、女性は30歳までに結婚するものとされていたため、それまでは親戚や近所の世話好きなおばさんたちが、見合いの話を次々ともってくるのですが、いざ30歳を過ぎると、もはや“結婚適齢期”を逸したとみなされ、相手にされなくなることが多かったようです。

 その後、わが国では、女性の“社会進出”がさかんになり、経済的に自立する女性たちが多くなるにつれて、結婚に対する考えかたも次第に変わってきました。そして、結婚しないという選択肢をとる女性たちが増えてくると、婚期という概念が事実上なくなってしまい、初婚の平均年齢が必然的に上がってきたのです。いわゆる晩婚化現象です。男性の場合も、電化製品がほとんどなかった昔とは比較にならないほど、家事全般が容易になったこともあって、束縛を受けない独身生活をあえて選択する人たちもたくさん出てきました。それと並行して、昔ふうの見合いを通じて結婚する人たちの数が、急減してしまったのです。

 恋愛にしても、ある程度の期間、交際を続けて結婚に至るという昔ふうのパターンが減少し、半年単位くらいで次々と相手を替え、なかなか結婚しようとしない男女が増加してきました。それとともに、結婚は必ずしも幸福につながらない、と考える人たちがたくさん出てきたのです(たとえば、深澤、2009)。また、昔の内縁関係とは質的に違うのですが、同居しても結婚届を出さない人たちや、結婚しても、早々に別居や離婚に至る人たちや、“熟年離婚”や“熟年再婚”をする人たちの数が増えてきたのです。加えて、つれあいとは別に、主として短期的な愛人を持つ人たちが少なからず出てきたのもまちがいない事実なので、ここにきて、古来の道徳という積年の呪縛から一挙に解放されたという側面があることは、あながち否定できないでしょう。

 ところで、家庭に入った女性たちは、特に子どもを生んでから急速に“所帯じみ”、女性というよりは“おばさん”という呼びかたがふさわしい風貌に変わっていったものでした。当人たちも、そういうものだとして、特に気にすることもなかったようです。それが、おそらく10年ほど前から急速に変わり始め、今では、ほとんどの既婚女性たちが、子どもを持っていても、見かけは、同年代の未婚女性とほとんど変わらなくなってしまっています。昔と比べると、全世代を通じて、男女ともが心身ともに若返り、元気になってきたという興味深い変化があることも、その背景として見のがせない点でしょう。

 私たちのような、終戦直後に生まれた、いわゆる団塊の世代は、たとえば成人式の写真を見るとわかりますが、現代の感覚からすれば、男女ともにかなりふけて見えました。また、当時の40代の男女は、極端に言えば今の60代くらいに見えたように思います。今では、100歳を越えていても、信じがたいほど元気な人が出てきています。どのような原因によるものかはともかくとして、長寿化と並行して起こったこの変化は、人類史的に見てきわめて重要な意味を持つものではないでしょうか。

倦怠期とは何か

  しばらく前に、夫の下着を箸でつまんで洗濯機に入れる妻たちの存在が話題になったことがありました。新婚時代を過ぎた妻には、夫のものが汚らしく感じられ、自分の洗濯物と一緒に洗うどころか、手でさわることもできないというのです。実際にそこまでの対応をすることはないにしても、その頃になると、夫に対してさまざまな嫌悪感が表出しているはずです。食事のときに音を立てて食べること、食後につまようじを使うこと、衣服に無頓着になることなどが、その代表例のようです。逆に男性側から見た場合には、下着姿で部屋をうろつくことや、乱暴な口調で話すこと、下品なふるまいや言葉遣いをすること、厚化粧をすること、相手によって態度を変えることなどが、男性側が女性に対して抱く嫌悪感の代表例だそうです(高橋、2010年)。夫婦げんかは、第三者から見れば、そのたぐいのつまらないことがきっかけとなって始まることが多いわけです。とはいえ、中には、それが家庭内暴力に発展したり、果ては殺傷ざたになることすらあります(内閣府男女共同参画局、2005、2006年)。その場合、遠慮がないだけに、残忍なことも平気でできるのです。

 この頃には既に、両者ともが相手に対する“愛情”を失ってきています。少なくとも、世間一般にはそう考えられているようですが、実は、ここに大きな問題がひそんでいるのです。恋愛結婚であれば、結婚した当座に両者にあったのは、愛情というよりは、恋愛感情です。「あばたもえくぼ」と言われるように、恋愛感情とは、相手に対するあこがれに近いものと考えればわかりやすいでしょう。このように、恋愛感情と本来の愛情は、似て非なるものなのですが、このふたつを区別せずに使う人たちが多いため、混乱が起こりやすいのです。私の心理療法を受けていたある専業主婦は、結婚後も恋愛感情を失いたくなかったのに、それがなくなってしまったと嘆いていましたが、むしろそれは、起こるべくして起こる必然的な経過なのです。そのことは、感情的レベルでは、おそらくほとんどの人が知っています。それは、逆の例を見るとよくわかるはずです。次に引用するのは、拙著に紹介したことのある、非常に興味深い事例です。

 ある時、入院中に心理療法を受けていた二十代の女性が、心理療法室に入って来るなり、いかにも驚いたという表情で、次のような話をしてくれた。同室の五十代の癌患者のところに、毎日のようにその夫が面会に来ているが、入院中にたまたまその女性が誕生日を迎えた。すると夫は、妻へのプレゼントを持参し、病室のベッドに座っている妻の前にそれをうやうやしく差し出して、ベッドに三つ指をつきながら、「お誕生日、おめでとうございます。これからもよろしくお願いします」と言うと、それに対して妻も、「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」と、同じく三つ指をついて応えたというのである。これには、同室の三人の未婚女性が一様に唖然とし、思わず顔を見合わせたという。やはり心理療法を受けていた別のひとりも、その時の模様をやはり驚きの表情で再現してくれたので、この通りのことがあったのは確かなのであろう(笠原、2005年、160-161ページ)。

 結婚後かなりの年数を経てすら、このように、心理的距離の遠い、遠慮した人間関係しか持てない人たちが一部にいます[註3]。そのような人たちの場合、相手に不平不満を抱いたこともなければ、夫婦げんかをしたこともなく、互いにきわめてやさしい態度をとることが多いのです。つれあいが入院している場合には、早朝に病院に立ち寄り、相手の顔を見てから会社に出勤し、退社後は病院へ直行して、面会時間が終わるまで一緒に過ごし、夜遅く帰宅する、ということを日課にしていた人もあるほどです(とはいえ、子どもがいる場合には、その間、子どもは放置されています)。そういう関係を理想の夫婦のように考える人もいるでしょうが、それは、心理的距離が遠いために――換言すれば、他人行儀のために――仲むつまじく見えるにすぎない関係を、本当の意味で愛情の深い関係と錯覚しているということです。

 ここでのポイントは、結婚したことのない若い女性たちでも、恋愛感情と夫婦の愛情とは根本的に違うということを、感情的レベルでは先刻承知しているという事実です。長年連れ添った夫婦が、このような“他人行儀”な態度をとるのをみると、どうしても違和感を覚えざるをえないわけです。もちろん、中年以上の男女でも、新たに知り合った場合であれば、若い人たちの恋愛感情と同質のものが起こるので、互いにやさしくすることは難なくできるし、それは何もふしぎなことではないのですが、一緒に暮らす期間が長くなると、恋愛感情が次第に薄れるとともに、相手に気を遣わなくなり、遠慮がなくなります。

 その段階になると、男性の場合には、あまり話をしなくなったり、自分の部屋にこもって趣味や道楽にふけったり、果ては暴力的になったりするわけです。また、女性の場合には、下着姿で部屋をうろついたり、乱暴な口調で話したり、夫に対して絶えず小言を言ったりするようになるでしょう。加えて、性的な意味ばかりではなく、互いに身体的な接触を嫌うようになることも少なくないはずです。しかし、それは、悪いことというよりは、特に核家族化している社会では、洋の東西を問わず、自然な経過と考えなければならないでしょう。

 そうすると、いわゆる倦怠期とは、それまであった恋愛感情というか、相手に対するあこがれがほぼ消える――つまり、「あたばはあばた」になる――時期にあたると考えることができます。では、その後はどうなるのでしょうか。ふたりは、愛情のない、単なる同居人になってしまうのでしょうか。この先を考えるヒントになるのは、たとえば妻と愛人の比較です。妻と愛人とがいる男性が、交通事故や脳卒中で寝たきりになったとします。そうすると、この男性を介護するのはどちらでしょうか。意識では、この男性は、妻よりも愛人のほうにはるか“愛情”を感じているはずです。

 ここではっきりしているのは、よほど特殊な事情でもない限り、愛人が妻を差し置いて介護することはないということです。それは、日陰の存在だからとか、その義務がないためということではなく、そういう間柄――法的な意味ではなく、心理的な意味での間柄――にないからでしょう。長年同居している場合を別にすれば、愛人とは、妻と違って表面的な関係にすぎず、「雨降って地固まる」という経過を何度となく繰りかえしてきたような、親密な間柄ではないのです[註4]。では、妻は、単なる義務意識や損得勘定から、自分が嫌悪する夫の介護をしぶしぶするのでしょうか。

親しくなると遠ざかる

 その検討をする前に、親密な関係とは何か、という問題について考えてみましょう。私の心理療法を受けている中に、相手が同性であっても異性であっても、ある程度以上には親しくなれない、あるいは、それ以上親しくなりそうになると、その相手から遠ざかってしまう傾向が自分にあるため、それを治したいとして、心理療法を始めた人たちが何人かいます。ほとんどは女性ですが、男性もいます。

 その人たちは、もちろん自宅にひきこもっているわけではなく、ふつうの社会生活を送っていて、職場での対人関係まで避けているわけではありません。ただし、その程度はさまざまで、たとえば、職場の同僚と個人的なつきあいをすることにも、それ以外の友人を作ることにも抵抗はないが、ある限度を越えて親しくなることには抵抗があるという人たちがいる一方で、友人を作ることはもとより、職場の忘年会や慰安旅行に参加するのも嫌うほどの人たちもいます。職場の中で行なわれる行事とはいえ、その中では公的な顔を見せているだけではすまず、個人的な側面がどうしても出てしまうために、その参加をいやがるということです。

 先ほどふれておいた、恋愛の相手を短期間のうちに次々と替えてゆく人たちのほとんども、おそらくこの範疇に入ります。新聞やインターネットの人生相談欄には、その人たちからの相談が時おり載っています。交際相手と会う前に胸がときめかなくなったのは、愛情がなくなったせいなのではないかとか、相手があまり口をきかなくなり、冷たくなったので、どうしたらよいのかわからないとか、初めて相手とけんかしてしまったので、もう終わりなのではないか、といったものです。そして、それまでの相手と別れ、他の相手と交際を始めると、また新鮮な関係が生まれ、少なくとも次の数ヵ月は安泰な状態が続くわけです。この人たちは、たくさんの異性と交際できるのだから、ある程度以上親しくなれないことで困っている人たちとは違うように見えるかもしれません。しかし、本人の困っているポイントが少々異なるだけで、本質は全く同じです。

 ある女子大生は、4年生になっても、まだ一度も恋愛をしたことがありませんでした。好きになった男性はいても、個人的な交際にまで発展したことは、一度としてなかったのです。本人はそれを、自分に女性としての魅力がなく、欠陥があるために違いないとして自分を責め、そのことで“劣等感”を抱いていました。友人たちは、次々と恋愛の相手を替え、“恋愛経験”がますます豊富になってゆきます。そうした友人たちは、本人に特定の交際相手ができないことをふしぎがり、心配してくれていたそうです。ところがあるとき、その劣等感は思い込みにすぎなかったことを教えてくれる出来事が起こります。

 この女子大生は、同年の男性を好きになり、思い余って、そのことを何と自分から「告白」するのですが、その男性からは、「少し考えさせてほしい」と言われます。その後、この男性は、返事をしないまま、本人にもう少し押してもらいたそうなそぶりを、本人の周辺で繰りかえし見せます。しかし、緊張のため、それ以上相手に接近できない本人は、他に選択肢がないまま静観を続けます。しばらくして、待ちきれなくなった本人のもとへ、ようやく相手の返事がメールで届きます。ところがそこには、「忘れられない人がいるので、今つきあうことはできない」と書かれていたのです。

 その返信を読んだ本人は、失恋したことでショックを受けました。心理療法の中でも、当然のことながら、その“ショック”が問題になりました。それは、失恋したことによる通常の痛手であるのか、それとも、私の心理療法で言う反応――つまり、幸福否定に起因する症状――であるのか、ということです。もし、それがふつうの痛手であれば、心理療法の対象にはならないので、自然に回復するのを時間をかけて待つしかありません。それに対して、もしそれが“反応”であれば、どこに喜びがあったのかをはっきりさせ、「失恋によるショック」という形を取っている、その症状を解消させることが可能になるのです。

 この先に新たな展開がない限り、失恋したことそのものは事実なので、それは常識的には非常に不幸なことであり、そこに幸福感などあろうはずがありません。ところが、人間の本質はもっと深いところにあり、そこに真の意味での幸福心が隠されていることが少なくないのです。そこでまず、その“ショック”がどのようなものかを、私の心理療法で常用している、“感情の演技”という方法で確認することにしました。そうすると、やはりというべきかそれは、通常の痛手ではなく、どうやら“反応”らしいことがわかったのです[註5]

 そして、次第に明らかになったのは、相手が自分のことを、遊び感覚でつきあう軽い相手としてではなく、真剣な交際の対象として考えてくれていたことが、その返信を見てはっきり感じられた、という心的事実でした。自分が相手のことを真剣に考えていただけでなく、相手も、自分のことを真剣に考え、思い悩んでいたことに気づかされた、ということです。そのことがわかった段階で本人は、本当に好きなわけでもない異性と気軽につきあうべきではないという信念を、心の底にもっていたことに思い至ります。それとともに、次のようなことに自然に気づかされたのでした。

 異性と簡単に交際が始められる人たちの場合には、互いにそれほど好きな相手ではないからこそ、さしたる抵抗もなく、気軽に交際が始められるということなのではないか、そのため、交際がある程度続いて愛情が深まる段階になると、そこで抵抗が起こって、あわてて遠ざかるということなのではないか。したがって、相手を次々と替えてゆくような、“恋愛経験”が豊富な人たちであってもやはり、本当に好きな相手とは、交際を始めること自体が難しいのではないか。

 本当に好きな相手に対しては、それこそ洋の東西を問わず、声をかけることすら難しくなるものです。日本人と比べてはるかに陽気で楽観的なはずのアメリカ人を対象に行なわれたある調査でも、その回答者のほとんどが、本当に好きな相手に声をかけようとすると、「ふるえたり、青くなったり、赤くなったり、すべてに気弱になったり、どうしようもなく臆病になったり、どもったりして、ごく基本的な能力や技術さえおぼつかなくなる」と答えているそうです(フィッシャー、1993、34ページ)。また、28歳のアメリカ人男性は、同じ調査の中で、次のような発言をしています。

 頭がどうかなりそうなくらい、いつもどきどきしている。舞台に出て、おおぜいの観客の前であがってしまったみたいな感じだ。ドアのベルを鳴らそうとすると手がふるえる。彼女に電話をかけるときなんか、どきんどきんという鼓動が電話の呼び出し音よりも大きく耳のなかで響くんだよ。(同書、34ページ)

 これが、本当に好きな相手に接近しようとするときに起こる、普遍的な反応なのでしょう。多少の個人差があるとはいえ、このような“ハードル”が感じられなかったとすれば、その相手は、それほど好きではない、抵抗なく気軽につきあえる相手ということになるはずです。本人も、相手の男性に接近しようとするときに、これと同じような身体反応を起こしていましたが、勇気を奮ってそれを乗り越えていたのです。その点については、相手の男性も同じでした。ここに至って、この女子大生は、それまでの自分の劣等感は、単なる思い込みにすぎなかったことを認めざるをえなくなるとともに、女性としての自信が初めて意識に浮かび上がったのでした。

 次の図は、アメリカの女性人類学者が、62の国・地域・民族の離婚のピークを調べ、それをグラフにしたものです。これを見ると、離婚する人たちのほとんどは、どうやら結婚後4年までの間に離婚してしまい、そのピークは4年目にあることが、はっきりと見て取れます。つまり、離婚する人たちの圧倒的多数は、まさに倦怠期に入る前後までに離婚してしまうということです。そのような離婚がよいか悪いかはともかく、倦怠期に入る頃までに離婚する人たちと、それ以降まで結婚生活を続ける人たちとでは、ごくおおまかに言えば、結婚相手の選びかたそのものが違っているのかもしれません。つまり、前者は、気軽に交際を始めて、なりゆきのまま結婚したグループであり、後者は、本当に好きな相手と、互いに抵抗を乗り越えつつ結婚したグループなのではないか、ということです。


図1 世界62の国・地域・民族集団における、1947-89年の間のある年度の離婚のピーク188例を集計したもの。世界全体で見ると、結婚2年目から4年目までの夫婦が離婚に至る場合が最も多く、そのピークは4年目になっている(フィッシャー、1993年、107ページより再掲。Fisher, 1992, pp. 358-62)。
 ある女性は、結婚に対する抵抗が非常に強かったため、結婚したい気持があっても、いざプロポーズされると断ってしまうということを、何度も繰りかえしてきたのだそうです。そして、40代も後半になった時点で、ある男性が登場します。その男性は、本人に心を引かれるようになり、しばらくしてプロポーズしたのですが、例によってこの女性は、その申し出を断ります。ところが、この男性は、それまでの人たちと違っていました。それにめげることなく、断られても断られてもプロポーズを繰りかえしたのです。そのあげく、とうとうこの女性は折れ、晴れてその男性と結婚する決断ができたのでした。今、この女性は、「主人が、あきらめずに繰りかえしプロポーズしてくれなかったら、私は結婚することはできませんでした」と言って、素直に喜んでいます。この女性が、結婚(という幸せ)に対する抵抗を乗り越えることができたのは、まさにこの男性のおかげだったのです。このような夫婦の場合には、倦怠期がきても、比較的容易に乗りこえられるのではないでしょうか。

 ここで整理すると、以上の検討から明らかになったのは、次の2点です。

  • 倦怠期と呼ばれる状態は、恋愛感情というあこがれが消えうせ、真の愛情が深まってゆく段階にあたること。
  • 抵抗(この場合は、愛情の否定)の強い人たちの場合、本当に好きな相手と恋愛や結婚をするのは非常に難しいため、恋愛や結婚を避けるか、さもなければ、それほど好きなわけではない相手をどうしても選びやすくなること。
  •  ここまでくると、先ほどの疑問に答えることができそうです。妻と愛人がいる場合、ふたりの愛情はどこがどう違うのか、夫が倒れた場合、愛人ではなく妻がその介護をするのは、単なる義務意識や損得勘定のためにすぎないのか、という問題でした。これに対しては、夫への妻の感情こそが真の意味での愛情であり、愛人との間に見られる、恋愛感情という、より皮相な感情ではなく、深い愛情がなければとうてい続けられない介護を、妻は(意識では、多かれ少なかれ嫌悪や反感や苦痛を感じながらであっても)続けることができる、と答えることができるでしょう[註6]。最後に、夫の定年後に起こるさまざまな問題について検討しますが、ここまでくれば、そうした問題が起こる理由も、はっきりわかるはずです。

    夫が定年を迎えた後の夫婦

     しばらく前に、「粗大ごみ」とか「濡れ落ち葉」という言葉が流行したことがありました。いずれも、定年後の夫を、妻の立場から揶揄した言葉です。「粗大ごみ」は、家の中にある、まさに目ざわりで大きなじゃま物という意味で、夫に対して妻がどのような感じかたをしているかが、それなりにわかりやすい言葉ですが、「濡れ落ち葉」については、少々説明が必要です。これは、ある女性評論家が世に広めた言葉だそうで、妻が外出しようとすると、嫌がっているにもかかわらず、のこのこと夫がついて来るので、払おうとするが払いきれず、いかにもうっとうしいという状態が、濡れ落ち葉が張りついた様子に似ているためなのだそうです。

     数年前に行なわれたある調査によれば、団塊の世代の男性の85パーセントもが自分の定年を楽しみにしていたのに対して、妻の40パーセントは夫の定年を「憂うつ」に感じていた、という結果が出ています(博報堂エルダービジネス推進室、2004年)。また、夫の場合には、夫婦で一緒に同じことをして楽しもうと思っている比率が47.4パーセントと、全体の半数近くを占めたのに対して、妻の場合には、33.3パーセントと全体の3分の1しかありませんでした。夫は、ただ妻と一緒にいたいから妻について行きたがるだけなのですが、妻のほうは、まさにそれをうっとうしく感じるわけです。その結果、夫は、妻の態度に当惑や落胆を覚えるのに対して、妻は、夫の態度を見て不快感や恐怖感を抱くのです。ここでも、両者の間に、看過できないほどの対立が生じていることがわかります[註7]

     もう一度生まれ変わったとしたら、また今のつれあいと結婚したいかどうかを尋ねたアンケート調査の結果が、新聞や雑誌に載っているのを、何度か見かけたことがあります。このような質問に対しても、夫と妻の回答は、当然のことながら大きく食い違います。夫の多くは、けなげというべきか、今の妻とまた結婚したいと回答するのですが、妻は、むしろそれを嫌う傾向にあるわけです。かなりの比率の夫が、妻を一番好きだと思っているのに対して、夫を一番好きだと思っている妻の比率は、それほど高くないのです(朝日新聞、2009年12月27日号)。このことは、定年後の夫を嫌う妻がたくさんいる原因とつながっているはずです。では、その原因はどこにあるのでしょうか。

     定年後ではありませんが、かなり深刻な実例を、現実の経過の中で、逐次的に聞いたことがあります。60代の現役の会社経営者は、ふたりの娘が既に家を出ていたため、妻とふたりだけで生活していたのですが、ある時、帰宅したら、ほとんどの家財道具とともに、妻が姿を消していたのです。無断で家を出てしまっていたのでした。のみならず、自宅にあったお金や通帳や株券も、全部持ち出されていました。通帳と株券は名義変更されていたことが、後でわかります。まさに周到な計画に基づいた行動でした。この男性は、家庭のことは妻に任せきりにしていたため、何がどこにあるかすらわからず、突然にひとり暮らしを迫られて、非常に困ったということです。母親の身勝手な行動にあきれ果て、父親を心配した長女は、休日になると実家に行って、父親の世話をしていたそうです。とはいえ、この事例では、早くも家出後1ヵ月もしないうちに、妻は夫と泊りがけの旅行に出かけるようになりました。そして、次第によりを戻し、10年近くかかったものの、結局は再び同居を始めています。

     定年後の夫について、考えただけでも恐ろしいので、その夫恐怖症を治したいとして心理療法を始めた女性が、私のところだけでも何人かいます。これまで夫は、自分の前から、朝から晩まで姿を消してくれていたので、安心して暮らすことができたが、定年後は、特に子どもたちが巣立って、夫とふたりだけになっている場合には、家の中で夫といつも顔を突き合わせていなければならないので、そのことを考えると、恐ろしくて夜も眠れないというわけです。多くの妻は、「夫が私の気持をわかってくれない」ことや、「やさしくしてくれない」ことを、その理由にあげるようです。ところが逆に、「うちの夫は、私の言うことを何でもきいてくれて、やさしすぎるのがいやだ」と訴える妻もいるのです。

     では、妻がそのままの心理状態で時間が経過し、実際に夫が定年を迎えてしまった場合には、どのような展開になるのでしょうか。妻としては、昼間は極力、自分が出かけるようにするか、逆に、夫に外で過ごしてもらうよう求めることになります。このようにして、なるべく夫と顔を合わせないようにするわけです。自分が出かける場合には、習いごとを始めたり、趣味のサークルやボランティア活動に参加したり、仲間の家を渡り歩いたり、朝から晩まで会員制のスポーツクラブに入り浸ったり、ということになります。夫を外出させる場合には、アルバイト先や趣味のグループを見つけさせて、毎日通わせたり、ひどい場合には、弁当を持たせて、あるいは、何も持たせずに、朝から夕方まで追い出したりすることもあります。

     私が昔、ときどき昼食をとっていた和食の店に、片隅で店主夫婦に話しかけながら、いつも上機嫌で日本酒を飲んでいる70代の男性がいました。店主の話では、昼前に来て夜になるまでずっといるのだそうです。しかし、注文はしてくれるので商売にはなるものの、よく知っている近所の人であるため断りきれず、その客の体は心配になるし店の雰囲気は悪くなるしで、困っているということでした。この男性も、家にいられず、さりとて他に行くところがないために、その店に居座っているということのようでした。

     コミュニティ・センターに勤める、50代後半のある女性は、このことに関連する、非常に興味深い話をしてくれました。全館を使うイベントが予定されていた日の朝のことです。将棋のサークルに所属する男性グループが、その日に部屋が使えないことを失念したためか、いつもの曜日だということで、センターにやって来ました。驚いたその女性が、今日は館が利用できないことを伝えると、男性たちは互いに顔を見合わせ、「うちには帰れない」と言って、深刻な表情になりました。その様子を見たこの女性は、すぐに事情を察して同情し、何とか工面して部屋を用意したのだそうです。このグループのように、朝がた、妻の要求に応じてひとたび家を出たら、夕方になるまで帰宅できず、どこかで時間をつぶさなければならない男性たちは、おそらくそれほど珍しくないと思います。

    長年連れ添った夫婦がふたりだけで過ごすことの意味

     夫と、特に自宅の中で顔をつき合わせていたくないという妻の側にも、もちろんそれなりの事情があります。先ほども述べたとおり、夫と一緒にいると、あるいはそれを考えただけでも、気分が落ち込んだり、苦しくなったり、生あくびや強い眠気が出たり、心身症状が出たりすることが少なくないのです。これまでの経験から判断すると、定年後の夫婦がふたりだけで自宅にいるときに心身症状が出るとすると、その比率は、夫の場合よりも妻の場合のほうが圧倒的に高いと思います。定年後につれあいと一緒に過ごすことに関連して起こる症状を解消するために、心理療法を始めた人たちは、先述のように何人かいますが、それはすべて女性でした。自分の定年後に妻と一緒に過ごすことに恐怖を感じて心理療法を始めるという男性は、これまでのところひとりもいないし、これからもあまり出てこないでしょう。ここには、大きな性差があるということです。

     一般には、これらの症状は、“ストレス”によるものと考えられています。というよりも、それ以外の考えかたは、事実上存在しないのです。そのため、このような形で症状が出れば、それは、夫がストレス因になっているためだ、と断定されてしまうわけです。こうしたストレス理論やPTSD理論の問題点については、当ホームページの「ストレス理論に対する批判」や「PTSD理論の正当性を問う」のページを参照していただくことにして、ここでは、心因性の症状は原則として幸福否定によって起こるものとして、話を進めます。そうすると、女性のほうが、つれあいや家庭生活を大事にしており、そこに幸福感を抱きやすいために、それに対する否定も強くなり、その結果として、夫とふたりで過ごす状況で心身症状が起こりやすくなる、という可能性が浮かび上がってきます。

     本年3月、ある週刊誌に、「夫に早く死んでほしい妻たち」という記事が掲載されました。その中に、この問題を検討するうえでヒントとなる興味深い事例が載っています。定年を目前にした男性が、これまで仕事に専心してきて家庭を顧みなかったことを反省し、退職後は、なるべく妻と一緒に行動し、ふたりで過ごす時間を大切にしようと考え、その気持を率直に妻に打ち明けます。ところが、妻は、「定年後はお前の幸せを優先したい」という夫の言葉を聞いたとたんに、怒りが一挙にこみ上げてきて、夫に向かって、次のような罵倒を浴びせたというのです。

     なにをいまさら“お前の幸せ”よ! 私のこれまでの人生はあなたにむちゃくちゃにされてきたのよ! 本当に私の幸せを思うなら、いますぐ死んでくれたほうが私にとっては幸せよ!

     これを聞いた夫は、困惑し、なすすべもなく黙り込んでしまったそうです。これが本当にあったとおりのことなのかどうかはわかりませんが、あったとしても少しもふしぎではない話です。夫が困惑したのも、むりはありません。これまでの妻の努力に報いようとして、定年後は、「お前の幸せを優先したい」と、率直に語りかけたのに対して、予測とは正反対の反応が返ってきたからです。しかし、何も言わなければ、妻も怒り出すことはなかったでしょうから、妻を喜ばせようとする夫の言葉が、妻を激怒させたとしか考えられないでしょう。この心の動きは、デイヴ・ペルザーさんが、世界的ベストセラーとなった著書『“It”と呼ばれた子』に書いている、学校の担任が母親に宛てた本人を讃える手紙を、母親に見せたときの反応と瓜ふたつです。この一件から、母親はペルザーさんを“It”と呼ぶようになったのでした。

     ぼくは有頂天になって、いつもより速く走って母さんの家に帰った。でも、予想していたとおり、幸せは長つづきしなかった。あの女は封筒を破って手紙を開き、さっと目を通すと、せせら笑った。
     「へーえ、ジーグラー先生は、おまえが学校新聞の名前をつけたから誇りに思ってくださいってさ。それにおまえはクラスでも優秀な生徒のひとりだって。ふうん、ご立派なのねえ?」
     母さんは氷のように冷たい声になり、ぼくの顔を指でこづいた。
     「これだけはしっかり頭にたたきこんでおきなさい、このばか野郎! おまえが何をやったって、あたしによく思われることなんかないの! わかった? おまえなんかどうだっていい! おまえなんて『IT』よ! いないのといっしょよ! うちの子じゃないよ! 死ねばいいのよ! 死ね! 聞こえたか? 死んじまえ!」
     母さんは手紙をびりびり細かく引き裂くと、顔をそむけてまたテレビを見はじめた。ぼくはその場に突っ立ったまま、足もとに雪のように散らばった手紙の残骸を見つめた。
     今までだって、同じようなことは何度もくり返し言われてきたけれど、今回のIT≠ニいう言葉ほど残酷な言葉はなかった。(ペルザー、1998年、158-159ページ)

     こうした経過を見ると、母親の態度の理不尽さというか、その異常性がはっきりわかるはずです。幸福否定という考えかたからすれば、その理不尽さが大きければ大きいほど、母親は、本心では子どもの幸せを喜んでいることになります。しかし、それは自分の意識から完全に隠されてしまい、異常行動となって現われることになるわけです。そのため、母親自身も、意識の上では、全く理由がわからないまま、その瞬間から不快感や怒りがひたすら強く込み上げてくるのです。もちろん、その時に、心身症状が出ることもよくあります。このような経過からしても、心身症状が出たから、そこにストレスがあるという論理には、実は正当性がないことがはっきりわかるでしょう。

     先ほどの週刊誌に掲載されていた夫婦の事例では、「いますぐ死んでくれたほうが私にとっては幸せよ」という妻の言葉を文字どおりに受け取り、妻の本音と見なしたうえで記事が書かれています。しかし、そのような常識的な見かたをしたのでは、真の意味でこの問題を解決することはできませんし、次のような事例の説明もできません。

     30代半ばのある女性から聞いた話です。その女性(長女)は、実家から離れてひとりで暮らすようになるまで、いつも母親から小言を言われ、つらい思いをしていたそうです。その女性が実家を離れてからは、母親の攻撃の矛先は、父親に向けられるようになりました。そのような状況の中で、外出中の父親が倒れ、救急車で病院に運ばれるという出来事が起こったのです。そのことを知らされた母親は、パニックのようになって病院に駆けつけました。幸いなことに、ことなきを得たのですが、その長女は、別の意味で驚かされたのです。いつも憎々しげに父親に小言を言い続けている母親が、父親が救急車で運ばれたことを聞くと、なぜ驚きあわてて病院に駆けつけるのかが、全く理解できなかったのでした。それともこれは、父親に万が一のことがあると、自分の生活が危うくなることを恐れたため、と考えるべきことなのでしょうか。

     この事例では、第三者が聞いても、それほどびっくりしないかもしれませんが、次の事例は、そうではありません。40代のある男性(長男)から聞いた実例です。母親は、特に父親の定年後には、毎日毎日、うらみごとを父親にぶつけていて、父親はそれを、いつも下を向いて、反論もせずに黙って聞いていたそうです。息子から見ても、母親の言葉は聞き苦しいものでした。ところが、あるとき、この父親が脳溢血で倒れたのです。その結果、父親に半身不随と失語症が残ったため、ふたりだけの夫婦の生活は、根本から変更を余儀なくされました。その時点から母親の態度は一変します。現在の介護認定基準では、要介護度Vという、最悪の段階と判定されているそうですが、母親は、私が長男からこの話を聞くまでの少なくとも8年間は、父親を施設に入所させることなく、在宅のままずっと介護し続けてきたのだそうです。ヘルパーの力を借り、デイサービスを利用しているとはいえ、要介護度Vの老人を、自らも年老いている母親が、8年間も自力で介護し続けるのは、並たいていのことではありません。

     先の事例と違って、この事例は、夫にもしものことがあると自分が困るから、という理由で在宅介護を続けたという説明は成立しません。倒れるまで夫に小言を言い続けたことの罪滅ぼしのために、在宅で介護を続けているなどの可能性も、もちろん考えられないでしょう。この事例は、夫への深い愛情があるためとしか考えられないのです。では、倒れるまで、連日小言を言い続けていたのはなぜかというと、これまで説明してきたとおり、これも愛情のなせるわざなのです。この点は理解しにくいでしょうが、妻からすれば、遠慮なく不平不満をぶつけられる相手は、自分の夫や子どもしかいないという事実を考えれば、少しわかりやすくなるかもしれません。

     夫からの愛情が感じられるからこそ、それによって起こる自分の幸福心を(もちろん無意識的に)否定するために、夫に対するうらみを作りあげるということなので、このうらみは逆うらみということになります。そして、それを夫にぶつけるという自分の行動を見ることによって、夫に愛情など抱いていないことを、自分の意識に証明しようとしていたことです。

     恋愛関係にある女性や新婚時代の女性は、連日、恋人や夫に小言を言い続けることはまずないはずですが、逆に、その恋人や夫が倒れて半身不随になったとしたら、どうでしょうか。8年間も在宅で介護が続けられるものでしょうか。もちろん、中にはできる例もあるかもしれません。それはそれで美談になるでしょうが、その場合には、恋人との間の、あるいは夫婦の間の深い愛情に基づく行動というよりは、義務意識のようなものが、その根底にあるのではないかと思います。

    おわりに

     新婚時代なら、まだ互いに恋愛感情というあこがれがあったし、性的、肉体的な側面での結びつきも強かったので、子どもという“かすがい”がむしろないほうが、一緒に過ごしやすかったはずです。ところが、定年後には、そうした条件が一変してしまっています。特に子どもが巣立った後であれば、夫婦の間の心理的な距離が近く、互いに遠慮がない状態で、毎日毎日、自宅の中で、逃れようもなく顔をつき合わせていなければならなくなるわけです。ここでの核心は、もはや他人同士ではなく、互いに愛情の深い、むしろ肉親以上の関係になっているということです。この先で、夫婦の行く末が大きくふたつに分かれるのです。つまり、それが否定された場合には、別居や“熟年離婚”というになるでしょうし、それを肯定的に認め合えれば、大小の夫婦喧嘩を繰りかえしながら、さらに愛情を深めてゆくことができるでしょう。

     以上の検討から、恋愛感情と、深い愛情とは、どこがどのように違うのかということも含めて、似て非なるものであることが、多少なりとも明らかになったように思います。そこまではよいとしても、類人猿の場合とは大きく異なっている、人間の愛情の起原は、いったいどこにあるのでしょうか。

    [註1] そのため、かつては悲壮な“かけおち”や心中がありました。

    [註2] 周知のようにわが国では、戦後になるまで女性には参政権もありませんでした。現在でも、女性に参政権がない国は、イスラム諸国を筆頭にいくつかあります。西洋でも、“自由・博愛・平等”の国であるはずのフランスにすら、第二次世界大戦後の1945年まで、スイスに至っては1971年まで、女性に参政権がありませんでした。

    [註3] この傾向は、特にがんを発病する人たちにきわだって見られるように思います。こうした特性は、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部のキャロライン・トーマス教授が、医学生や卒業後の医師たちを対象にして長期にわたって計画的に行なった「前向き」研究(Thomas, 1974)をはじめとするさまざまな研究を通じて、統計的な角度からもかなり明確にとらえられています。

    [註4] もちろん、例外的には非常にふしぎな関係もあります。本題からは少々はずれますが、たとえば妻が、同じ被害者で共闘すべき立場にあるということで、何と夫の愛人と親しくなり、互いにぐちをこぼしあい、ふたりで旅行に行くほどの間柄になったという実例も知っています(この事例では、実際に妻がこの愛人を心理療法につれてきています)。また、ある女性は、長年交際していた妻子ある男性について、その男性が「奥さんに冷たくするなら、私は許さない」と発言しています。世間は広いので、妻と一緒に介護をするような愛人もいないことはないでしょうが、いたとしても、あくまで特殊な例外であることに変わりはありません。

    [註5] 正確に言うと、通常のショックがなかったわけではなく、それとは別に、幸福否定に基づく“反応”が起こっており、そのほうが通常のショックよりもはるかに大きかったということです。

    [註6] もちろん、そこで逃げ出してしまう妻もいるはずです。しかし、その場合にも、愛情がないためというよりは、愛情の否定の結果と考えたほうが、事実に近いように思います。

    [註7] 団塊の世代の男性とその妻を対象にして2004年に行なわれたこの調査では、夫の6割前後が、定年後は仕事をやめて、気ままにのんびりすごしたい、と答えているのに対して、妻の側は、「できればビジネスにかかわる」ことを夫に求める比率が73.5パーセント、「人との交流を第一にしてほしい」と考える比率が60.3パーセントにものぼっています(博報堂エルダービジネス推進室、2004年)。要するに、夫の希望とは裏腹に、夫には外にいてほしいと願う妻が多いということです。

    参考文献

    戻る 進む 


    Copyright 1996-2010 © by 笠原敏雄 | created on 6/14/10; last modified on 3/10/11