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 小中学生のための超心理学入門――全編

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 はじめに

 超心理学について、小中学生にもわかりやすく書かれた本は、これまであまり出版されていません。例外的な本としては、『PSI──その不思議な世界』(日本教文社)や『ヒトの「超」ひみつを知ろう』(晶文社)などがあります。『PSI──その不思議な世界』は超心理学全般について書かれていますが、小学生にはちょっと難しいでしょう。それに対して、『ヒトの「超」ひみつを知ろう』の方は、小学生にも十分読めるような書き方がされていますが、残念ながら、超心理学の一部についてしか書かれていません。

 以下の文章も、超心理学の一部を扱っているにすぎません。また、死後生存問題――人間は死後にどのような状態になるかを検討しようとすること――を中心にして書かれているという点でも、少し偏りがあります。それに、中学生はともかく、小学生にはちょっと難しいかもしれません。でも、関心があれば理解できるでしょう。これを読んで、さらに興味が湧いたら、『PSI──その不思議な世界』なども読んでみてください。

 生まれ変わり

 「おれが死んだらおまえの息子として生まれ変わる」 アラスカに住むトリンギット族の老漁師ビクター・ビンセントは、めいに向かって言った。そして、小さな手術のあとを見せながら、同じ場所にあざがあるはずだからすぐに見分けがつくはずだという予言を残し、1946年に死亡した。

 1年半ほどたって、そのめいに男の子が生まれた。その子どもコーリス・チョトキン・ジュニアには、大伯父のビクター・ビンセントが見せてくれた手術のあとと瓜ふたつのあざが生まれつきあった。手術のあとが治ったときのように少し盛り上がっており、両側に、糸の通ったあとのようなものまで並んでいた。

 コーリスが1歳1ヵ月になったとき、母親が名前を言わせようとしたところ、怒ったように「ぼくが誰か知ってるよね。カーコディだよ」と言った。それは、ビクターの別名だった。他にもコーリスは、2、3歳のころ、ビクターの未亡人をはじめ、何人かを自分から見分けたり、ビクターが生きていた間に起こった出来事を言い当てたりしたうえ、髪のとかし方がよく似ていたほか、どもるくせがあり、船に乗ることを好み、宗教心が強く、左利きだった。そのうえコーリスは、小さいころから発動機に興味を持ち、その操作や修理の技術も持っていた。コーリスはそれを、誰からも教わらず、独学で習得したのだ。

 以上は、アメリカの有名な精神科教授が厳密に調査した“前世”の記憶を持つ子どもの一例だ。イアン・スティーブンソンというこの教授は、世界中からこのような記憶を持つ子どもの実例をこれまで2000例以上集めて研究している。

 この例ではまず、“前世の人物”が生まれ変わりの予言をしている。そして、その予言通りに生まれてきた子どもには、前世の人物の特徴がいくつか出現する。また、前世時代の記憶も残しているうえに、どうやら技術もそのまま保持しているように見える。

 この例を調査したスティーブンソンは、いろいろな可能性を丹念に検討した末、本当に生まれ変わりが起こったと考えるのが一番当っているのではないかという。本当にこのようなことが起こるのだろうか。

 ミャンマーのある女性は、子どもがおなかにいるとき、上半身が裸で半ズボン姿の日本兵が自分のあとを追い回し、おまえたち夫婦のところで暮らす、といっている夢を何回か見た。1953年、その女性の子どもとして生まれたマ・ティン・アウン・ミヨという少女は、3、4歳のころ、村に飛んできた飛行機を見て「撃たれる」といって泣き叫んだ。少し後、めそめそしていたときに理由を聞かれた少女は、日本に行きたいと答えた。

 その後少しずつ、第二次大戦中その村に進駐していた日本兵だったときの話をするようになった。前世の自分は炊事兵で、村に飛んできた連合軍の飛行機に撃たれて死んだ、というのだ。他にも、北日本の出身で結婚して子どもがいたことや、入隊するまで小さな商店を経営していたらしいことなどを話した。ところが、日本ということ以上に詳しい地名も人名も口にしなかったし、その日本兵の名前も出身地も覚えていなかった。

 マ・ティン・アウン・ミヨは、その一家から見ると変わった行動を示したが、日本兵の行動とは一致していた。ミャンマーの暑さも辛い食べ物も嫌いで、甘いものを好み、魚も半生のまま食べたがった。また、英米人の話が出ると、英米人に対する怒りを表した。

 マ・ティン・アウン・ミヨは、女の子なのに、極端に男性的な態度や好みを示した。小さいころから戦争ごっこやサッカーが好きだったし、男の子の服を着たがり、髪も男児のようにした。小学校からは、女の子にふさわしい服装で登校するよう注意されたが、拒否したため、結局、小学校を退学せざるをえなくなった。

 この女の子の場合には、名前も出身地も所属部隊も覚えていなかったため、前世の人物をつきとめることはできなかった。そのため、前回の例のように、詳しい確認をすることもできていない。とはいえ、スティーブンソン教授の詳しい調査によると、両親の育て方などで、この少女の変わった好みや行動を説明することはできないという。

 このような生まれ変わりが本当だとすると、どういうことが言えるだろうか。現在の科学知識で生まれ変わりを説明することはできないが、それはなぜなのだろうか。生まれ変わるということは、人間の心が肉体の死後も生き残ることを意味するが、では、人間の心とはどういうものなのだろうか。

 憑依(ひょうい)

 生まれ変わったと言われる子どもの中には、前に説明したように、“前世”の記憶だけではなく、前世時代に身につけた技術を生まれつき持っているように見える例がある。習ったことのない外国語を生まれつき話す、という例もその一つだ。こういう現象は“真性異言(しんせいいげん)”と呼ばれる。  真性異言には、習ったことのない外国語の歌や詩をくり返すだけのものが多いが、中には、数は大変少ないけれども、その外国語を話す人と直接会話できる例(応答型真性異言)もある。そういう例はなぜか生まれ変わったとされる子どもにはほとんどない。

 これまでのところ、はっきりした応答型真性異言は、世界中でも数例しか知られていない。催眠(さいみん)中に自らイェンセン・ヤコービーと名のりスウェーデン語を話すアメリカ女性や、同じく催眠中にグレートヒェンと名のりドイツ語を話すアメリカ女性の例などだ。つぎのインドの女性もその一例だ。

 1974年、インド中西部のマハーラーシュトラ州に住む32歳のウッタラ・フッダルという女性は、突然、二重人格のような状態に陥った。全く人柄が違う、自らシャラーダと名のる第二人格が、短いときで一日、長いときには7週間も出現するようになったのだ。フッダルはふだんマラーティー語を話しているのに、シャラーダが出てくるとマラーティ語が全く話せなくなり、フッダルが知らないはずのベンガル語を流暢(りゅうちょう)に話した。日本に住んでいる人は、外国人でもないかぎり、日本語の話せない人はいないが、インドには、公に認められた言葉だけでも各地方に10以上あり、それぞれの言葉は全く違うため、特別に勉強しないかぎり、同じインドの言葉と言っても話すことも理解することもできない。

 フッダルは、未婚で、大学で教えるかたわら家事を手伝っているが、シャラーダは、既婚のベンガル女性らしく装い、行動し、話した。そして、一日中部屋にこもり、お経を唱えたりしていた。

 シャラーダは、ただベンガル女性らしくふるまっただけではなかった。自分の一生についても詳しく話したのだ。その内容は、19世紀初めのベンガル地方の村の状態と正確に一致していた。また、産業革命やそれ以後の工業技術によって作られたものについては全く知らなかった。ベンガル地方の食物を非常に好み、インド中西部に住む女性には全く知られていないベンガルの食物を知っていた。

 シャラーダは、自分の家族だというベンガルのある一家について、苗字と男性の名前を詳しく話した。その苗字の家族は、シャラーダの言った西ベンガルの町で見つかった。この家族の家長が持っていた19世紀初めからの系図を調べたところ、そこには、シャラーダが口にした男性9名の名前が、シャラーダが語った続柄通りに書かれていた。ただ、系図には男性の名前しか書かれていなかったため、シャラーダという女性がその家族の一員として実在したかどうかについてはわからなかった。

 この系図から考えると、シャラーダは、1810年から1830年まで生きていたらしい。シャラーダの話によると、本人は、ベンガルの別の地方に住む男性のもとに嫁(とつ)ぎ、その後里帰りした際、へびにかまれて気を失ったという。そして気がついたら、その150年近く後の時代の、そこから1200キロ以上離れた場所にいたというのだ。これが本当であれば、その間シャラーダは、何をしていたのだろうか。

 この例は、生まれ変わりと違い、ひとつの肉体の中にふたつの心があるように見える。こういう現象は、憑依(ひょうい)と呼ばれる。この例では、憑依した人格が現れているときに真性異言という現象が起こっている。これも、スティーブンソン教授がインドの心理学者とともに調べたものだ。その調査によると、ウッタラ・フッダルは、マラーティー語とヒンドゥー語と英語は話せるが、ベンガル語についてはほとんど知らないことがわかった。

 このような例が本当なら、人間の肉体と心とは別のものだということになる。そう考えてはいけないのだろうか。いけないとすれば、なぜいけないのだろうか。

 もし人間の心(=魂)が、肉体の死後も生き続けるとすれば、肉体とは別に心が存在することになる。ところが、現在の科学知識では、心は脳の働きによって生じると考えられており、肉体や脳が死んで活動を止めれば、心も消えてしまうことになっている。つまり、人間の心が死後にも肉体を離れて存在することが事実だとすると、現在の科学知識のほうがまちがっていることになる。しかし、ここには、もっと重要な問題が潜んでいる。

 その前に、科学について少し話しておこう。科学とは、実験と観察というふたつの科学的方法を用いて自然界の真理を探求しようとする試みだ。その結果得られたデータが他の科学者から事実と認められれば、それは科学知識となる。科学知識は、教科書や事典や図鑑にのり、一般の人の目に触れることになる。それまでは、迷信や民間信仰と呼ばれることもあるし、仮説と呼ばれることもある。みなさんがよく知っている血液型と性格の関係を例にあげて、この点を具体的に説明しておこう。

 A型の人はこれこれの性格で、B型の人はこれこれだ、などと言われるが、このことは、教科書や事典や図鑑にのっていないことからわかるように、科学知識ではない。人間の性格を扱う心理学がこの場合の科学になる。したがって、心理学者が、たとえば、A型の人は明るい性格だという仮説を立てて、実験や観察という科学的方法を用いて研究した結果、A型に明るい性格の人が実際多いことがわかり、別の心理学者が行った研究でも同じ結果が得られ、最初の心理学者の研究がまちがっていないことが確かめられれば、この仮説は科学的事実、つまり科学知識となる。ところが、もし何人もの心理学者が別々にそういう研究をした結果、その仮説が正しくないことがわかれば、“血液型性格学”はただの迷信ということになる。ここで大切なのは、正式な研究が行われ、はっきりした結論が得られるまでは、科学知識ともいえないかわり、迷信ともいい切れないということだ。

 ここで、現在の科学知識では人間の心は死後に残るとはされていない、という問題に戻ることにしよう。

 現在の科学知識では、人間の心は死後に消えてなくなることになっている。このことについては、ほとんどの科学者が事実と考えている。ところが、人間の心が肉体の死後に消えてなくなることを証明した科学者は、いまだにひとりもいない。人間の心は死後に消えてなくなるという考え方は、科学的に証明された事実ではない、つまり科学知識ではないのだ。これは大変重要な問題だ。

 現在の科学知識は、自然界の現象は全て物理的に説明できるとする唯物論(ゆいぶつろん)という考え方を基盤にしている。唯物論に基づく科学知識はたしかに、現代の科学技術を生み出す原動力になった。コンピュータも宇宙ロケットも最先端医療も超高層ビルも、全て唯物論的な科学知識のおかげで実現したものだ。このように、相手が物質や機械であれば、今の科学知識は大変役に立つ。複雑な働きをするロボットを作ることもできるし、遠い天体に宇宙船を正確に送り込むことも、遺伝子を操作して新しい生物を作り出すこともできる。ところが、人間の心が関係する現象になるとそうはいかなくなってくる。

 人間の心が関係する分野としては、心理学や精神医学や心身医学がある。このような分野は、それぞれ科学として認められており、ほかの自然科学とは特に対立しない。(本当は心を直接に扱わなければならない分野であるのに、間接的に扱ってすませているため表面的にはあまり大きな問題が起こらないだけなのではないか、と私は考えている。この問題については、最後のほうでもう一度考えることにしよう。)ところが、肉体が死んだ後にも生き続ける心という問題になると、この対立が浮き彫りになる。前に説明したように、心は肉体から離れては存在しないという前提で唯物論的な科学知識が積み重ねられてきたので、このような対立は当然のことなのだ。

 そうなると、唯物論という考え方と、人間の心が肉体とは別個に存在するという考え方のどちらが正しいのか、という点に焦点が絞られる。生まれ変わりや憑依や真性異言とともに、テレパシーや念力といった問題を扱う分野は超心理学と呼ばれるが、超心理学者がこのようなテーマを真剣に研究しているのは、単に物珍しいからではなく、このように、現在の科学知識の根底にある唯物論が正しくないかもしれないと思っているからなのだ。

 インドのウッタル・プラデーシュ州で1954年に起こった出来事だ。ジャスビールという3歳半の男の子が天然痘で死んだ。インドでは、おとなの場合は火葬されるが、五歳未満の子どもの場合には土葬にする習慣がある。埋葬の準備をしていたが、夜も遅かったので、翌朝に延期された。ところが、2、3時間ほどしたとき、ジャスビールの“死体”がかすかに動きはじめ、結局、完全に生き返ってしまったのだ。

 口がきけるようになると、驚いたことにジャスビールの行動はひどく変わってしまっていた。そればかりか、ヴェヘディ村のシャンカルの息子だと言いだし、その村に行きたがった。さらに、自分はバラモンという最上級のカーストに属する人間なので、この家の食物は食べられない、とも言い始めた。たしかに、インドでは、カーストが違うと食物も違う。近所に住むバラモンの女性がジャスビールのために食事を作ってくれなかったら、本当に飢え死にしたかもしれないほどだったという。

 そういう状態が1年半ほど続いたが、ときどき家族がジャスビールをだまして、自宅で作った食事を出していたが、ジャスビールに見破られてしまった。しかし、そのことと家族が強制したことがきっかけになり、2年ほどしてからは、家族と一緒に同じ物を食べるようになった。

 一方、ジャスビールは、ヴェヘディ村での生活について次第に詳しく話すようになった。特に、結婚式の行列をしているとき、毒入りの菓子を食べて死んだときのもようを詳しく話した。その菓子は、本人から借金している男からもらったという。そのため、めまいを起こし、乗っていた馬車から落ち、頭を打って死んだというのだ。

 家族はジャスビールの話を村人に隠していたが、バラモンの女性に食事を作ってもらっていたこともあって、いつしかその話が周囲に知られるようになった。そして、あるバラモンの女性をジャスビールが「おば」と見分けたことがきっかけになって、ジャスビールの話は、ヴェヘディ村に住むシャンカルの、22歳で死んだ息子の生涯と死亡の状況と一致することがわかった。息子のソバ・ラムは、ジャスビールが語ったとおり、1954年5月、結婚式の行列の最中、馬車の事故で死亡していたのだ。

 ヴェヘディ村に住むシャンカルの息子のソバ・ラムは、ジャスビールの言うように、たしかに結婚式の行列をしていたとき、馬車から落ちて死んでいた。しかし、ソバ・ラムの家族は、毒殺されたのではないかとは思ったものの、はっきりした証拠は持っていなかった。

 その後、ソバ・ラムの父親や家族がジャスビールを訪ねた。ジャスビールは、全員を正確に見分け、ソバ・ラムとの関係を言い当てた。2、3週間後、ヴェヘディ村のある人がジャスビールを、ヴェヘディの駅の近くに連れてきて、ソバ・ラムが住んでいた家まで案内してほしいと行ったところ、ジャスビールは、初めて来たところにもかかわらず、家までの道が簡単にわかったという。

 ジャスビールは、ソバ・ラムが住んでいた家に何日か滞在し、家族に、その家で起こった出来事などについてかなり詳しく語った。そして、その村がすっかり気に入り、自宅に戻ることをいやがった。

 この例も、アメリカの精神科教授のスティーヴンソンが詳しく調査した結果、インチキや記憶違いなどでは説明できないことがわかっている。もしそうだとすると、この例は、ふつうの生まれ変わりとして考えることはできない。ふつうの生まれ変わりの場合は、前世の人物が死亡してしばらくたってから別の人間として生まれてくる。ところが、この場合は、“前世”の人物のほうが後で死んでいるのだ。

 ジャスビールが3歳半のとき、天然痘で“死んだ”のと、ソバ・ラムが馬車から落ちて死んだのとが同時かどうかについてははっきりしない。しかし、ジャスビールが生き返ったときには、もとのジャスビールではなくなっており、ソバ・ラムと入れ替わっていたといえる。とすれば、この例は、ウッタラ・フッダルの場合と同じ“憑依(ひょうい)”ということになるだろう。ふつうの憑依の場合は、短時間で終わり、元の人格がまたあらわれるだが、ジャスビールの例では、そのままソバ・ラムに変わってしまった。このような場合、いったい前のジャスビールはどこへ行ってしまうのだろうか。人間の人格は、いったいどのようになっているのだろうか。

 前世リーディングは信頼できるか

 これまで、生まれ変わりや憑依(ひょうい)の実例を話してきた。君たちの中には、自分の前世に興味を持っている人があるかもしれない。あるいは、すでに誰かにどういう“前世”だったかを教えられている人もいるかもしれない。そこで今回から、“前世リーディング”や“チャネリング”や催眠による年齢遡行(そこう)などの中で出てくる“前世”がどこまで信頼できるかについて話すことにしよう。

 前世リーディングでは、たいてい、多額の金銭が要求される。このようなリーディングで出てくる“前世”は、ほとんどの場合、過去の有名な事件や人物が関係している。戦国時代の有名な武将であったり、ローマ時代の有名な政治家であったりするのだ。前世リーディングを受ける人はほとんどが、このような言葉をそのまま受け入れてしまうが、もう一度、別の“能力者”のリーディングを受けて、どこまで一致するかを確かめようとする人はほとんどいないらしい。

 たとえば、ある女の子が、「あなたは、武田信玄の側室(そくしつ)でしたが、別の側室からねたまれ、いじめ抜かれたあげく、井戸に飛び込んで自殺しました」と言われたとしよう。たしかに、そうではなかったことは証明できないが、だからといって、本当にそうだった可能性がどの程度あるものだろうか。また、ある男の子が、「あなたは、ローマ時代に、クレオパトラ・アントニウス連合軍と戦った、ローマの武将オクタヴィアヌスの片腕だった人でした」と言われたとしても、やはり、本当だともまちがっているとも言えない。とはいえ、本当にそうだった確率(かくりつ)は、ほとんど○パーセントだろう。

 ある研究者は、自分の前世を8人の“能力者”に見てもらったという。どの人も誠実だったし、自分の能力には絶対の自信を持っていた。ところがどの“前世”をとっても、他のものとは全く一致しなかった。同じ時代に、別の場所にいたことになっていたのだ。だからといって、もちろん、他人の前世が本当に読み取れる人がいないとは言えないが、そのような能力があると主張している人たちのほとんどには、そういう能力はないということなのだ。

 “前世リーディング”の他に、催眠(さいみん)により“前世の記憶”をよみがえらせる方法もよく知られている。つまり、誰かに催眠をかけ、だんだん昔のことを思い出させながら、その人が生まれる以前までさかのぼり、それによって前世の記憶を引き出そうという方法だ。

 たしかに、催眠状態の中で、たとえば2歳の時のできごとなどを非常に詳しく、しかも正確に思い出せる人もある。だからといって、本当に前世があるとしても、こういう方法で前世の記憶が出てくるとは言えない。

 催眠状態にある人は、催眠をかけている人の指示にできるかぎり従おうとする。そのため、生まれる以前のことを思い出すよう指示されると、自分の心の中にあることをそれらしく変形して、“前世の記憶”としてしまう。日本史や世界史で習ったことや本で読んだことを材料にして、自分の前世を作りあげてしまうのだ。その結果、“前世リーディング”の時と同じように、有名な人物や事件がそこに登場するか、あいまいな内容になってしまうかのいずれかになる。

 催眠状態にある人のもうひとつの特徴は、夢を見ている人と同じで、ふつうの批判力がなくなってしまっていることだ。そのため、君たち中学生が見ても驚くような、歴史上の誤りが見られることも多い。たとえば、ある本に出ている例では、十字軍の時代にフランス王の飛脚をしていたという“前世”の人物は、ヴェルサイユ宮殿とボルドーの間を往復していたという。ところが、ヴェルサイユが歴史上重要な位置を占めるようになるのは、君たちの知っているように、十字軍の時代よりも4百年以上後なのだ。

 以上の説明で、“前世リーディング”や催眠によって出てくる“前世”がどれほど現実からかけ離れているかがわかったと思う。そういうものと、前に説明してきた子どもの例とは全く違う。前世の記憶を持つ子どもの場合は、記憶だけではなく、生まれつきのあざがあったり、誰からも教わらないのに、何かの技術を持っていたりするわけだが、これも、このような例とは違う点と言える。

 霊姿(れいし)

 霊が、生きている人間にのりうつったかのような、憑依(ひょうい)と呼ばれる現象が本当だとすれば、霊が、人間に何らかの働きかけをしていることになる。今から1810年以上昔の1810年に、インドで、霊が人間にいたずらをしたらしい事件が起こった。この事件の中心にいたのは、シシール・クマールという15、6歳の少年であった。

 最初に起こったのは、屋敷の中にレンガなどが投げ込まれたり、台所に置かれていた料理が消えてしまったりなどの、いわゆるポルターガイスト現象であった。ふつうのポルターガイストは、いずれ取りあげるつもりだが、物が飛んだり空中に浮かんだり一瞬のうちに消えたりなどの物理的現象が、主に思春期の少年少女の周辺で起こるものである。ところが、シシール・クマールの周辺で起こったのは、物理的な現象だけではなかった。女の霊姿(れいし)、つまり幽霊(ゆうれい)も現われたのだ。

 霊姿は、ひとりだけで見た時と、何人かで見た時とでは、それが現実のものかどうかを問題にした場合、意味が大きく違ってくる。ひとりしか見ていない時には、錯覚(さっかく)や幻覚(げんかく)で説明できると言われることが多いのに対して、複数の人間が同時に見た場合には、そういう説明が難しくなる。つまり、その霊姿が本物の可能性が高くなるのだ。

 シシール・ルマールの周辺で女の霊姿を見た人は、本人以外にも何人かいる。シシールのおばは、この霊姿がレンガを拾って屋敷の中に投げ込むところを見ているという。それとともに、シシールの今は亡き父親の霊姿も何回か目撃されている。また、「霊がおまえに悪さをしようとしておるが、心配せんでいい。わしがついておる」という亡父からの声も聞こえたという。

 ある晩、黄色い布に包まれた草の根が、突然シシールの手の中に現れ、それと同時に、女の霊の悪い企みから身を守るため、それを、銅の腕輪で腕に巻き付けておくようにという、亡父からの交信を受けた。シシール一家は、この指示を一部しか守らず、最初はひもで、次には、鉄の腕輪で巻き付けておいたが、いずれも原因不明の切れ方をして、根が下に落ちた。結局、指示通り、鍛冶(かじ)屋を呼び、銅の腕輪で巻き付けてもらったところ、その後、二度と切断されることはなかった。

 シシールは、その女の霊姿からも交信を受けている。最初に受けたのは、シシールの腕に巻かれていた布のひもが切れたことに関係したもので、「草の根のお守りを取ってやったぞ」と勝ち誇ったようにいう声だった。

 その後、この霊姿から受けた交信によると、その女は、バナーラスの前世時代にシシールと夫婦関係にあったという。そして、前世では、シシールに捨てられ、しばらくの間待ったが、結局自殺した。その年(1919年)の3月に、何人かの家族とともにシシールが聖地バナーラスに出かけた時、この女が本人の姿を見かけ、追ってきたというのだ。女の霊は、20年前までシシールと暮らしていたというバナーラスの住所を告げたが、ふたりがそこで本当に前世を送っていたかどうかは確認できなかったという。

 トランスといわれる、意識がどこかへ行ってしまったように見える状態の時に、シシールは、この女の霊が飲食物を持ってくるのを見ている。そうすると、亡父の霊がすぐに現われ、毒か何かが入っていたためか、その飲食物を引ったくったという。

 このような物理現象や霊姿は2ヵ月ほど続いたが、シシールは、次第に女の霊の影響を強く受けるようになった。この女の意のままに行動したりしているように見えたが、体重も減少してきたため、家族は、本人をとなり村のカーリー寺院に連れていき、そこで、“除霊”してもらった。その結果、ポルターガイスト現象も、霊姿現象も、シシールのトランス状態も、完全に消えたという。

 この例は、古いうえに、調査が行われたのも、事件から50年ほどたった後なので、この例を文字通り解釈してよいかどうかについてははっきりしない。しかし、もしこれが事実だとすれば、生まれ変わりがあることのほかに、“悪霊”といえるものが本当に存在し人間にいたずらをする場合があることや、そのいたずらを止めようとする霊も別に存在すること、この世のうらみは死んでも忘れない場合があること、霊はこの世の物体を移動させられることなどがわかる。

 1921年9月、アメリカのノース・カロライナ州に住んでいた農場主ジェイムズ・チャフィンは、高所からの転落が原因で死亡した。1905年に作成された遺言(ゆいごん)状には、自分の農場は三男に譲ると書かれていた。妻と残る3人の息子には何も残さなかった。

 ところが、4年ほど後の1925年6月、次男が父親の鮮明な夢を繰り返し見るようになった。はじめは枕元に立つだけで何も話さなかったが、ある時の夢では、自分の着ているオーバーを裏返し、「オーバーのポケットに遺書が入っている」と言って消えた。次男は、父親が生前着ていたそのオーバーを捜し当て、内ポケットを探ったところ、縫い合わされた中から、丸めてひもで結わえた紙が出てきた。その紙切れを見ると、確かに父親の筆跡(ひっせき)で、「おじいさんの形見の聖書の創世紀(そうせいき)第27章を見よ」と書かれていた。

 そこで次男は、近所の人を立会わせ、その聖書を調べてみると、創世紀第27章の部分の両ページが内側に折り込まれていた。開いてみると、そこに、1919年にあらためて書かれた遺書が入っていた。それによると、遺産はすべて、4人の息子に均等に配分するよう指示されていた。

 1925年12月、この遺産相続に関する裁判によって、後で見つかった遺書が正式なものと認められ、遺産は4人の息子に均等に配分された。

 ジェイムズ・チャフィンは、最初に書いた遺書が不満で、新しく書き直したものの、それをだれにも告げず死んでいった。そのことを死後に知らせるため、次男の夢に霊姿(れいし)となって登場したのだろうか。それとも、遺産がもらえなかった次男が、透視(とうし)によってその遺書の存在を捜し当てたのを、無意識のうちに父親の霊が知らせてくれたことにするため、父親をもっともらしく夢の中に登場させたのだろうか。本当に父親の霊が夢に出てきて知らせたと考えたほうが自然だろうが、研究者の中には、そう考えたがらない者もある。この点については、現段階ではどちらが正しいとも言えないのだ。

 この例も、かなり昔のものだ。1912年、旧ロシア帝国に住んでいたプラトン・ビベリは、肺結核にかかった甥(おい)のアレクサンドル・スコルデリを、本人の希望に従って、ある病院に入院させた。最期(さいご)をさとった甥は、ビベリに別れの言葉を述べた。2ヵ月後、病院から甥の死亡が知らされた。しかしビベリは、病気のため葬儀に出席できなかった。

 その2ヵ月後、ビベリは用事でその病院がある町の旅館に泊まった。その晩、ベッドに入り意識が薄れてくると、廊下から、スリッパを引きずって歩くような物音がはっきり聞こえてきた。その足音がドアの前で止まった時、そこにいるのは、死んだ甥にまちがいないということが“わかった”。その時、甥がドアのノブに手をかけ、「開けて、おじさん、開けて」と言うのが聞こえた。恐ろしくなったビベリは、黙って返事をしなかった。すると、「ぼくがドアを通り抜けられるとは思わないんですか」という声が聞こえてきた。そうなっては大変だと思い、勇気をふるって、どうしてほしいのか聞いたところ、「私をきちんと埋葬してください。お棺が狭いのです。短いのです」という答えが返ってきた。弱々しい声で2回そう言うと、甥らしき存在は、またスリッパを引きずりながら、ゆっくり遠ざかって行った。

 翌年、また用事があって同じ町に出かけ、旅館の部屋に入ると、女の人が本人を待っていた。聞いてみると、甥が入院していた病院で病棟婦(びょうとうふ)をしていたことがあり、甥の死に立会ったという。その時の様子を聞いたところ、その女性は、次のような話をしてくれた。「あの方は、私が付き添っている時に亡くなりました。その時ひとつだけまずかったことがありました。お棺が特別に注文できず、病院のひつぎに納められたことです。ところが、このお棺は幅が狭すぎるし短すぎるしで、遺骸(いがい)を納めた時、骨がポキンと折れてしまったのです」。

 ビベリの体験が事実だとすると、甥が、狭いお棺に不満を持って、そのことを本当に知らせてきたのだろうか。

 霊姿(れいし) は、昔の約束を果たすため現われるように見えることもある。次の例は、イギリスの有名な政治家・ブルーアム卿(きょう)が、スウェーデンを旅行中、ある宿屋で入浴している時に体験したものだ。

 ブルーアムは、エジンバラ大学時代の親友Gと、霊魂の不滅について話している時、どちらか一方が先に死んだら、残った方の前に姿を見せる約束をしていた。卒業後、Gはインドへ行き消息も途絶えてしまったので、Gの存在もほとんど忘れていた。

 1799年12月19日、湯舟につかっていたブルーアムが、風呂からあがるつもりで、脱いだ服を載せてある椅子に目をやると、そこにGがすわっていた。ショックがあまりに大きかったため、ブルーアムはその時の経過をかなり詳しく日記に残している。湯舟の中でいったん眠ったのはまちがいなかった。しかし、それほどはっきりと目の前に出てきたものが夢とはとても思えなかった。スウェーデンを旅行中は、Gを思い出すようなこともなかった。ブルーアムは、すぐに昔の約束を思い出した。Gが死んだのはまちがいないと思った。

 エジンバラに戻ってまもなく、インドから手紙が届いた。Gの死を知らせる手紙だった。そこには、確かにその年の12月19日にGが死亡したことが書かれていた。ブルーアムは次のように書いている。「何という偶然の一致であろうか。毎夜頭の中を通り過ぎる大変な数の夢を考えてみると、夢の内容と出来事が一致する比率は、偶然で起こる確率から考えられるよりは低いであろうし、それほど高いものでもないであろう」。

 もしこれが夢だとしても、このような一致が起こる確率はきわめて低いものになる。しかし、夢ではなく本当に霊姿が現われたのだとしたら、死者が約束を果たすために親友の前に姿を現わしたと言えるのだろうか。そのような疑問に答えることは今の段階ではできない。しかし、遠い戦場で戦死した兵士が、母国の家族のもとに“帰って来た”などという、よく聞く話が本当だとすれば、それもありうることかもしれない。

 霊姿(れいし)が本当に存在することを実験で確かめることはできない。しかし、霊姿を目撃したという報告を、科学的方法によって検討した研究ならある。

 1973年10月、ニューヨークに住む若い女性が、アパートの廊下で人影を見た。すぐに調べてみたが、そこには誰もいなかった。次の日の晩、同居している母親も同じような体験をした。その話を聞いたニューヨーク市立大学の心理学者が、そのアパートに本当に幽霊(ゆうれい)が出るのかどうか調べることにした。

 まず、そのアパートの間取りを20区画に細かく分け、ふたりの目撃者の証言から作った項目(たとえば「遠ざかってゆく」「全体に黒っぽい」)とそれとは矛盾する項目(たとえば「飛んでいる」「全体に明るい」)を混ぜ合わせたチェックリストを作成した。そのうえで、霊的な能力があるという者4人と、こういう現象に疑いを持っている者8人とをひとりづつそのアパートに行かせた。霊的能力のある者に対してはどこに幽霊が見えるかを、疑いを持っているものに対してはどこで幽霊が目撃されたと思うかを報告させた。そのうち、霊的能力のある者ふたりと疑いをもっている者5人がチェックリストに記入した。

 その結果、霊的能力者ふたりの報告は、実際の目撃者の報告とかなり一致した。しかし、どの辺で幽霊が見えやすいかをもとにチェックリストに記入した、疑いを持っている者の場合には、一致はひとつもなかった。つまり、いかにも幽霊が出そうな場所で目撃されていたのではなかったのだ。

 また、1974年5月、ある写真家にアパートの要所要所を赤外フィルムで撮影してもらったところ、中ほどのコマに、現像焼き付けの過程で起こったとは考えられない、不思議な放射状の光が映っているのがわかった。

 この研究は、ある程度科学的な方法を使って、霊姿の目撃報告が事実がどうか検討しているという点で興味深いが、これだけでは、霊的能力者が、テレパシーを使って目撃者から霊姿の見えた場所を知ってしまったためにこのような結果が得られたと考えることもできるので、残念ながら、霊姿が本当に出たことの証明にはなっていない。

 体脱(たいだつ)体験

 これまで話してきたのは、全て死者の霊姿(れいし)だった。日本では、昔から生霊(いきりょう)というものがあると言われている。この点についてはどうなのだろうか。

 生霊とは、まだ生きている人間の“魂(たましい)”が肉体を抜け出し、それが別の人間によって目撃されるもののことだ。“魂”が身体から抜け出すという体験は、体脱体験と言われ、よく聞くが、抜け出した魂が目撃されるなどということがあるものだろうか。

 現在、イギリスのエジンバラ大学超心理学教授をしているロバート・モリスさんは、1973、4年に、自由に体脱体験ができるという有名な能力者のブルー・ハラリーを対象にして実験を行った。体脱体験というのは、ただ身体から抜け出した感じがするというだけのことなので、本当に肉体から何ものかが抜け出したことを証明するには、抜け出したとされるものを何らかの方法でつかまえなくてはならない。もちろん、ふつうに見えるものではないので、工夫が必要となる。モリスさんたちは、その実験の中で、ハラリーに、肉体を抜け出して、別の決まった部屋に行くよう指示した。そしてその部屋に、ハラリーがかわいがっているネコを置いておいた。

 その結果、ハラリーが身体を抜け出してその部屋に“来て”いるはずの時間には、ネコはいつもおとなしくなった。他の時には、毛を逆立てたりしておびえていたのに、その時にだけおとなしくなったということは、主人であるハラリーが本当にその部屋に来ていたということなのだろうか。

 この実験でテレビ・モニターを見ていた研究者は、いつハラリーがその部屋に“来る”はずか知らされていなかったのに、ハラリーが来ている感じが強くしたことが4回あった。そして、その4回ともが正しかったという。逆に、ハラリーが“来て”いない時にそういう感じがしたことは一度もなかった。また、4回のうち1回は、ハラリーが部屋の隅に来ているのがモニターに映し出されたのだという。たしかにそれは、ハラリーが来ているはずの時間だった。ただし残念ながら、録画されていなかったため、その証言をこれ以上確認することはできない。

 前回簡単に説明したように、体脱体験とは、自分の肉体から意識が抜け出したように感じられる体験のことだ。このような体験は非常に多いので、君たちの中にも体験したことのある人がいるかもしれない。私の知っているある小学校の先生は、中学生の時、下校している自分の姿を電柱くらいの高さからいつも見ていたという。

 体験者から見ると、体脱体験には、いくつかの種類がある。(1)肉体とよく似た身体が肉体から抜け出す感じのするもの、(2)抜け出した意識がもやのようなものに包まれていたり光の玉だったりして、体を伴っていないもの、(3)意識が肉体から抜け出すが、何の形も伴わないもの、などだ。次の例では、意識だけが抜け出したように見える。

 「自分の″外側 に抜け出した感じのすることがよくありました。……たとえば、先生や目上の人から叱られたりするとそうなったわけです。……こういう時に、“私”は、自分の頭上ななめうしろにいて、自分の行動を見下ろしているのですが、相手に話しかけなければならない時になると、すぐ自分の中に“戻れる”のです。」

 体脱体験にはこのように漠(ばく)然としたものが多いが、次のように驚くべきものもある。

 「夜中に、意識がなくなっている時、病室の私のベッドの脇にいる女医のG先生……が見えました。G先生は、私の方にかがんで、聴診器を私の心臓に当てて、手首で脈を取っていました。同時に、ベッドにねている私の体の上に、私のもうひとつの体が、宙に浮いているのが見えました。おへそにつながった紐(ひも)みたいなものが……ぶら下がっていました。……自分の体が[見ている自分の他に]ふたつあるということしかわかりませんでした。」

 このような体験は、そういう感じがするだけでは、超心理学的に見る限りあまり意味はない。実際に何かが抜け出したかどうかは、それだけではわからないからだ。そのため超心理学では、前回紹介したような実験を行なって、単なる感じだけではなく、本当に肉体から何かが抜け出しているのかどうかを確認しようとしてきたのだ。

 カリフォルニア大学の有名な超心理学者チャールズ・タート教授は、自由に体脱体験が起こせるという若い女性を使って、脳波を測定しながら実験を行った。Zさんと呼ばれるこの女性を、夜、実験室で眠らせ、睡眠中に体脱体験を起こさせる。Zさんの眠っているベッドの上、160センチほどのところにある棚には、1回ごとにタートさんがでたらめに作った5桁(けた)の数字が書かれた紙が置かれる。もちろん、Zさんはその数字を見ることはできない。その数字をZさんに、体から抜け出して″見させ ようというのだ。

 Zさんは、初めの3晩は、思うような体脱体験が起こせなかった。4晩目の朝方6時過ぎに目を覚ました時、Zさんは、「25132」と、初めて5桁の数字を言った。間違いなく、紙に書かれた数字だった。完全に起きてからZさんは、この時の体験を次のように話している。

 「目を覚ましたら、部屋の中が息苦しい感じでした。5分ほど起きていました。……体から離れて、だんだん浮き上がる感じになりました。その番号が上にあるので、もっと高くあがらなきゃいけませんでした。5時50分から6時までの間に、それに成功しました。となりの部屋の番号も読みたかったんですが、この部屋から出られなかったし……エアコンのスイッチを切ることもできませんでした。」

 タートさんは、となりの部屋の棚にも別の番号を書いた紙を置いていたが、Zさんはそれを“読む”ことには成功しなかった。また、息苦しかったので温風機のスイッチを切りたかったらしいが、それを切ることもできなかった。

 Zさんは、脳波の電極をたくさん付けられていたため、それをはずさない限り、ベッドから立ち上がることはできなかった。もちろん、脳波をずっと取り続けているため、電極を自分ではずせば、すぐにわかってしまう。もし25132という数字が偶然に当ったとしたら、その確率は10の5乗分の1になる。したがって、偶然に当ったとは考えにくい。では、本当にZさんは、本当に自分の体を抜け出してその数字を見たのだろうか。

 Zさんが、5桁(けた)の数字を正確に言い当てたとしても、本当にZさんが自分の体から抜け出して、紙に書かれた数字を見たという証拠にはならない。つまり、Zさんが、透視(とうし)という、一種のESPを使って、ベッドに寝たまま、その数字を読み取ってしまった可能性があるのだ。

 つまり、遠くにあるものがわかった、という証拠だけでは、何ものかが肉体から抜け出した証拠にはならないということだ。肉体から何かが確かに抜け出したことを証明するには、抜け出したものを直接つかまえる方法を考えるしかない。

 そこで、アメリカ心霊研究協会のカーリス・オシスさんは、自由に肉体から抜け出すことができるという“体脱能力者”を使って、おもしろい実験を行った。透視が働く可能性を低くするためには、固定した物体をターゲットにすることはできない。そのため、特殊な箱を作り、その中にスライド映写機のような物を入れ、その箱ののぞき窓からのぞいた時に限って、虚像が見えるようにした。そうすると、ふつうの透視を使ったのでは、箱の中身は見えるかもしれないが、窓からのぞかない限り、そこに映し出された映像は見えない。

 さらに念を入れて、オシスさんは、そののぞき窓の前に特殊な装置を置き、そこに何ものかが来たら、その装置に変化が起こるようにしておいた。

 もちろん、能力者は、その箱が置いてあるのとは違う部屋にいるし、その箱の仕掛けについても知らされていない。そして、その箱ののぞき窓から中をのぞいてくるように言われるのだ。

 このようにして、自由に自分の体から抜け出すことができるという人たちがいるが、そういう主張が本当に正しいかどうかも、この実験である程度わかるかもしれない。昔の有名な体脱能力者としては、スウェーデンの科学者スウェーデンボルグがいる。このような人たちには、肉体から抜け出してどこまで行けるのだろうか。スウェーデンボルグは、霊界まで行ってきたというが、本当なのだろうか。

 オシスさんの実験で、遠方の部屋に置いてある箱ののぞき窓から中をのぞいてくるように言われた能力者は、実際に体から抜け出してその窓のところまで行ったのだろうか。この時の能力者アレックス・タナウスさんは、以前からオシスさんの実験に協力し、かなり説得力のあるデータが得られていた。しかし、そのデータは、透視のようなESPでも説明できるものだったので、本当にタナウスさんが肉体から抜け出すのかどうかを確かめることはできなかった。では、今度の実験で、そのことが証明できるデータが得られたのだろうか。

 結論を先に言えば、この実験で、タナウスさんが、確かに自分の肉体から抜け出して、遠方の研究室に置かれた箱のところまで来て、のぞき窓から中をのぞいたらしいことを裏付けるデータが得られたという。つまり、肉体を抜け出した“体脱”体が、そこに来ているはずの時間帯に、のぞき窓の前に置かれた検出装置に実際に変化が起こったことがわかったのだ。

 ところが、それに対して、イギリスの研究者が反論した。のぞき窓の前に置かれた装置に、体脱体が来ていたはずの時間帯に、実験に関係した誰かが念力(ねんりき)を働かせて変化を起こした可能性があるのではないか、というのだ。

 念力については、いずれふれる予定だが、ここで簡単に説明しておくと、たとえば“スプーン曲げ”や念写(ねんしゃ)のように、心の力だけで、物理的な変化が起こせる能力のことだ。つまり、この研究者は、念力なら、実際にその場所にいなくても検出装置に物理的影響を与えることができるので、なにも、体脱体がそこに来たと考えなくてもよいのではないか、というのだ。

 それに対して、オシスさんは、他の“能力者”を使った時には、窓の前に置かれた装置には何の変化も起こっていないこと、ターゲットを当てた時と当てなかった時を比べると、当てた時の方で変化が見られることから、イギリスの研究者の反論は正しくないと答えている。やはり、タナウスさんの体から何かが抜け出して来たのだろうか。

 臨死(りんし)体験

 タナウスさんが、本当に肉体から抜け出したかどうかははっきりわからない。肉眼で見えたわけではないからだ。その点については、最近よく知られるようになった臨死体験でも同じだ。臨死体験とは、人間が死んだように見えたにもかかわらず生き返り、あとで話してくれる、その間の体験のことだ。本当に心臓が止まり、場合によっては脳死(のうし)のような状態になったのに、その後で生き返る人がごくまれにいるが、その中に、“死んで”いた間の体験を話してくれる人がいるのだ。

 このような人たちが本当に“死後の世界”を見てきたかどうかはともかく、体験の内容はかなり一貫している。自分が肉体から抜け出したようになり、光り輝く世界の中で、今は亡き親族や、宗教的人物に出会う。宗教的人物は、文化圏(けん)により異なる。日本なら阿弥陀如来(あみだにょらい)かもしれないし、インドならヤマ(えんま大王)かもしれないし、アメリカやイギリスならキリストかもしれない。その世界には、きれいな花園があり、そこから先に行ってはいけない境界線がある。その先へ行かずに戻ってくると、いつのまにか元の肉体に自分がいるのだ。

 臨死体験と体脱体験は、肉体から抜け出した感じがするという点で同じだが、体脱体験は死と関係ない状況で起こるのに対して、臨死体験は“死が近い”状況で起こるという点で違っている。また、体脱体験の場合には“この世”を見て歩くのがほとんどなのに対して、臨死体験では、ほとんどが“あの世”まで行くという。

 では、臨死体験をした人は、本当に“死後の世界”を見てきたのだろうか。そのことを確認するにはどうすればいいのだろうか。本当に死後の世界を見てきた人がいれば、それと照らし合わせて判断すればいいが、生きている人間が死後の世界を見て返ってくることはない。あるのかもしれないが、それを科学的に確かめることはできない。そうすると、間接的に確かめるしかないことになる。

 臨死体験という言葉は、1976年に、アメリカの精神科医レイモンド・ムーディさんが考え出したものだ。ムーディさんは、自分が通っていた大学の先生から臨死体験の話を聞いた後、同じような話を何人かの人から聞いたことがきっかけとなって、その研究を始めたという。そして、150例ほどの臨死体験を集めてその研究を発表するのだが、その時点では、超心理学の中で昔から臨死研究が行われてきたことは知らなかった。もちろん、超心理学では、臨死研究を死後生存研究のひとつとして行っていたのだ。

 超心理学で行われていた臨死研究は、正確には、臨終時体験の研究だ。つまり、人間が死ぬ直前にした体験を、その場に立ち会っていた医師や看護婦から聞き出し、それをもとに行った研究なのだ。直接に患者から聞き出したのではなく、間接的に医師や看護婦を通じて聞き出したものなので、多少のゆがみが起こるおそれはある。しかし、臨死体験を体験者からじかに聞いたとしても、実際にはその人は生き返っているのだから、本当に死んだ時と同じ体験をしているとは限らない。その点、臨終時体験は、患者がそのまま死ぬわけだから、実際に死が差し迫ったときの体験と言える。

 臨終時体験も臨死体験も、アメリカとインドで調査されているが、それを見ると、このふたつの体験は基本的にはよく似ていると言える。両方とも、今は亡き親族や宗教的人物の霊姿(れいし)が現われ、天国のような光あふれる風景を見ているのだ。そして、両方の体験者とも、安らかな気持ちになっている。臨終時体験の場合は、患者がそのまま死んでしまうが、臨死体験の場合には、生き返った患者は死に対する恐怖がなくなるのだ。

 ところが、ふたつの体験の内容は、文化圏によってかなり異なることがわかっている。ここでは、かなり研究されているアメリカとインドの例で比較してみよう。たとえばアメリカでは、自分の肉体を上から眺(なが)めるという体験があるのに対して、インドではそのような例はこれまでのところ見つかっていない。また、インドでは、“天国”に行った者が“人違い”だと言われて戻される例が多いのに対して、アメリカではそのような例は1例もない。

 インドのあるヒンドゥー教徒は、死にかかり、しばらくして意識を回復した。そして、「今、白い服を着たみ使いたちに連れて行かれて、きれいなところまで行ってきた」と言った。そこには、帳簿を持った白装束の人物がおり、その人物がみ使いたちに「お前たちは人違いをした」と言って、その人を連れ戻すよう命令したという。その人の話では、そこはとにかく美しいところで、そこから戻りたくないくらいだったという。

 その患者を見ていた看護婦によれば、その病院に同姓同名の患者がもう一人入院していて、その患者が意識を取り戻した時に、同姓同名の患者が入れ替わるように死んだというのだ。いわば″あの世のお役所の“ミス”でまちがって連れて行かれた患者が連れ戻されると、本来死ぬことになっていた者が入れ替わるように死ぬなどということが、本当にあるのだろうか。

 この例は、アメリカ心霊研究協会のカーリス・オシスさんがアイスランドの心理学者のハラルドソンさんと一緒にインドで調べたものだが、それとは別にインドで臨死体験の調査を行っているヴァージニア大学精神科のイアン・スティーヴンソンさんによれば、このような例は、インドでは決して珍しくないという。しかしアメリカには、このような“まちがい”は見られないらしい。では、どうしてこのような違いが出てくるのだろうか。

 インド人は、君たちの知っているように、ほとんどがヒンドゥー教徒だが、一部にキリスト教徒もいる。そのキリスト教徒の中にも同じような体験をしている人がいることからすれば、宗教の違いというよりも、文化の違いによって、このような差が生まれるのかもしれない。もしそうだとすれば、“あの世”で出会う宗教的人物ばかりか、臨死体験の内容までも、文化圏によって違ってくることになる。これが、いろいろな文化圏で臨死体験の調査をする必要がある理由なのだ。そうしなければ、文化や教育によって色付けされていない本当の臨死体験が突き止められないことになる。

 逆に、アメリカの臨死体験で見られて、インドの臨死体験では見られないものに、体脱体験がある。アメリカの体験では、自分が死んだ感じがした後に、上の方から自分の“遺体”を眺めているように感じられる体験があるが、インドの体験では、そういう例はあまり知られていない。

 臨死体験の中で起こる体脱体験について厳密に研究しているのは、アメリカの心臓病専門医マイクル・セイボムさんだ。セイボムさんは、このような体験を、“自己視型臨死体験”と名付けている。

 ある男性は、59歳の時、心臓発作を起こし、心臓が停止した。その最中に自分の肉体を外側から見ていたという。「けいれんを起こしかかった時、振り返ってみると自分の身体がそこに横になってるのが見えたんです。……初めはそれが誰かわからなかったんですが、近づいて見ると何と自分だったんです。……先生たちは俺をバンバン叩いてたですよ。俺の上に膝で乗っかってね。……それから先生たちが俺の胸の真ん中のちょっと左寄りに針を刺してるのが見えました。……それから、みんなが廊下を向こうにいくのがはっきり見えたのを覚えてますよ。そのうちの3人はそこに立ってました。女房と長男と長女と先生でした。」

 セイボムさんは、この男性が見たという治療の場面と、3人の家族が廊下にいた場面が事実あったかどうか調べている。それによると、この時の治療のもようについては、病院のカルテに書かれていなかったのではっきりしないが、3人の家族が予定外に病院を訪れたものの、患者の位置から見えたはずはないという。そうすると、やはり、この患者は自分の肉体を抜け出して、自分の治療の場面や、家族が廊下を歩いている場面を本当に見たのだろうか。この場合、肉体は、単なる体脱体験とは異なり、心臓が止まり、意識もない状態にあるのだ。

 臨死体験は、本当に肉体から心や“魂(たましい)”が抜け出して、“あの世”まで行ってくる体験なのだろうか。それとも、そういう感じがするだけのことなのだろうか。

 臨死体験については、日本でも、何人かの科学者が、医学的、心理学的に説明できる体験だと発言している。この点については、欧米も同じ状況にある。意識的、無意識的に作り話をしているのではないかとか、精神病的や薬物による幻覚(げんかく)なのではないかとか、死ぬ間際に脳がおかしな状態になり、その結果起こる結果なのではないかとか、夢の一種なのではないか、などという説明が行われているのだ。

 それに対して、オシスさんやセイボムさんたちは、単なる夢や作り話でも、精神病や薬物による幻覚でもないことを確認している。実際、前回説明したような、肉体の置かれている場所からは見えないはずの場面や出来事が見えたという例は、このような説明では片付けられない。では、本当に心や魂が抜け出したのかということになると、現段階ではそう言い切ることはできない。死ぬ間際だったり、いったん“死んで”も生き返ってくるために、厳密な意味では、実際には死んでいなかったことになるからだし、遠方の場面や出来事が正確にわかったとしても、いずれ取りあげるESP(超感覚的知覚)によってその情報を得たと考えることもできるからだ。

 しかし、ESPによって説明するのが難しそうに見える例もある。オシスさんたちが、インドの医師から聞いた、ヒンドゥー教徒の女の子の例もそのひとつだ。この女の子が、息を吹き返した後話してくれたところでは、あの世から来た使いがふたりでその女の子を担架に縛り付け、神様のところまで運んで行った。しかし、人違いということになって、その使いたちが女の子を送り返してくれた。ところが、後で調べてみると、両足にロープで縛られた跡がはっきり残っていたというのだ。インドには、火葬場に遺体を運ぶ時、遺体を担架に縛り付ける習慣がある。しかし、この女の子は、肉体を本当に縛り付けられていたわけではなく、そういう感じがしただけなのに、肉体にロープの跡のようなものがあったのだ。これは、いったいどういうことなのだろうか。

 臨死体験は、死後の世界の存在を証明したと言えるだろうか。

 臨死体験について、これまで言われている結論を簡単にまとめれば、次のようになる。(1)死後の世界など存在するはずはないので、臨死体験は幻覚や錯覚のようなものにすぎない。(2)死後の世界はあるかもしれないが、臨死体験だけでは、今のところ、その証拠としては不十分だ。(3)臨死体験は、死後の世界が存在する十分な証拠になる。

 (1)は、前に説明したことがあるように、唯物論が絶対的に正しいという考え方であり、したがって、科学的な結論とは言えない。(2)と(3)は、主として、超心理学者たちが考えている結論だ。現段階では、どちらが正しいとも言えない。つまり、これまで集められた証拠によって、死後の世界の存在が十分裏づけられるとその人が考えるかどうか、という問題なのだ。

 たとえば、ネッシーという、まだその存在が科学的に確かめられていない爬虫類が本当に存在するかどうかを確認しようとする時、私たちはどうするだろうか。ネス湖に行って、ネッシーが出て来るのを待っていても、簡単にはそれらしい動物を見つけることはできないだろう。だが、その存在を裏づけるらしい写真などの証拠は、ある程度得られている。また、映画に撮影されたこともある。しかし、ネッシーが本当にいることを証明する決定的な証拠は、まだ見つかっていない。つまり、ネッシーを捕まえるか、その死骸を見つけるかして、それが、これまで棲息(せいそく)の確認されていない動物であることを証明する必要があるのだ。

 臨死体験については、ネッシーで言えば、ネス湖らしいところを泳いでいるネッシーらしい動物の写真がたくさん撮られているという状況に近いだろう。では、そのような証拠から、臨死体験は死後の世界をかいまみてきた体験と言えるだろうか。

 実際、そのような研究をしている科学者の中には、臨死体験を死後の世界が実在する証拠と考える人が多い。しかし、厳密に証拠を検討する人たちからすれば、死後の世界があると考えるのはまだ早すぎるのかもしれない。

 霊媒(れいばい)を通じた死者との交信

 死後生存の問題を検討できる分野はもうひとつある。最近よく耳にする“チャネリング”とよく似た、霊媒を通じて行う死者との交信だ。チャネリングでは、チャネラーが語る内容は事実かどうか検討できない場合がほとんどのようだが、霊媒による交信では、たいていの場合、それが事実かどうかを確認することができる。

 霊媒を通じて“死者”が交信してきたとしても、死後の世界の存在を証明するには、その“死者”が本当の死者だということが確認できなければならない。そのためには、その″死者 がだれなのかを突き止める必要がある。

 たとえばAさんが死んでしばらくした時、Aさんの遺族が霊媒に頼んでAさんの“霊”を呼び出してもらったとしよう。人間同士は、ふつう、相手を顔で見分けている。霊媒を通じてAさんが遺族に呼びかけてきたとしても、遺族にはAさんの顔は見えないため、その“呼びかけ”が本当にAさんによるものであることを確認するには、顔以外の特徴を利用するしかない。

 Aさん以外の人間は知らないはずの家族内の事情を、Aさんの“霊”が正確に言い当てても、それだけではAさんが死後にも生き続けていることの証拠にはならない。霊媒が、意識的、無意識的にESPを使ってそれを知り、あたかもAさんが“霊界”から語りかけているように遺族に話した、という可能性があるからだ。

 では、顔以外の特徴で確実にAさんと見分けることのできる方法があるだろうか。よく考えてみると、性格や癖や話し方などの特徴だけでは、人間をまちがいなく本人と見分けることはできないのだ。よく知っている人でも、顔を隠していると、「たぶん、Bさんだろう」とは思っても、顔を見るまではやはり不安が残る。生きて目の前にいる人物を見分ける場合でも、このように不確実だとすれば、死んでから霊媒を通して語りかけてくる存在を、特定の人物と確認するのはきわめて難しいことがわかるだろ う。

 霊媒は、昔から世界各地に見られた。だが、超心理学の方面で有名な霊媒は、19世紀後半の欧米にたくさん登場した。当時、心霊研究者(超心理学者)たちが実験の対象にした有力な霊媒には、リアノラ・パイパー夫人やオズボーン・レナード夫人がいる。霊媒には、物理霊媒と精神霊媒とがある。物理霊媒というのは、霊媒を囲んで行なう交霊(こうれい)会の中で、念力による現象を起こすとされる霊媒のことだ。それについては、いずれこの中でも取りあげるつもりだ。ここで問題にしているのは、精神霊媒の方だ。

 霊媒にも、インチキな者もあるし、本人は真面目でも実際にはそのような能力のない者も多い。しかし、パイパー夫人やレナード夫人は、会席者(交霊会に出席している者)の家庭の中で起こった出来事など、知らないはずのことをかなり言い当てているし、研究者が厳密に検討しても、ふたりがインチキをしている証拠はひとつも見つからなかった。

 パイパー夫人にしてもレナード夫人にしても、通常は“トランス”状態と呼ばれる変わった意識状態で交霊会を行う。そして、その状態の霊媒に、支配霊と呼ばれる存在が乗り移る。支配霊は、会席者が呼び出す死者の霊と霊媒の仲立ちになるのだ。

 そして、呼び出したい霊を呼び出すことに成功したように見えても、前回あげた問題の他に、ESPによって知った内容を霊媒が話しているにすぎない、という可能性が考えられる。つまり、Aさんの遺族が霊媒の前に来て、Aさんを呼び出してほしいと直接頼んだのでは、霊媒が、目の前にいる遺族からAさんのことをESPで知ってしまい、それを、Aさんの霊がいかにも霊媒を通じて語っているかのように演技している可能性があるのだ。

 そのため、交霊会に,Aさんを直接知らない代理を出席させるなどの方法がとられたが、批判者から見ればそれでも十分ではなかった。つまり、霊媒が強力なESPを発揮して、世界のどこかにあるAさんに関する情報を探し出してしまう可能性がある、ということだ。このようなESPは超ESPと呼ばれる。超ESPが本当にあるのかどうかはわかっていないが、その可能性がある限り、死者の霊が本当に霊媒を通じて交信してくるのかどうかはわからない。

 超ESPなどの可能性がある限り、霊媒を対象にした研究では、死後生存問題を解決することは難しい。それはともかく、実際にはどのような例があるかを見てみよう。

 1921年に行なわれたレナード夫人の交霊会で、支配霊のフェダは次のように語った。

 「それからこの男性はこう言います。『‥‥受け取りが一枚入った古い札入れがあった。受け取りは小さな紙切れだ。君がそれを見つけてくれるとありがたいんだが。‥‥他のがらくたと一緒に入っていると思うが』。この男性は‥‥その受け取りを控えだと言ってます。‥‥そばに細長いひもがあります」

 その男性(霊)の母親は、その紙切れを捜している時、納戸にしまってあったトランクに、長いひもが掛かっているのを見つけた。トランクを開けて中身をかき回すと、すりきれた古い札入れが出てきた。そして、その中から、古くなってすりきれた、為替を送った時の控えが出てきたのだ。

 その後、母親は、“敵国負債返済局”から、ハンブルクの会社から借りた金を返済するようにという手紙を受け取った。母親は、息子が返済したことを知っていたため、担当者にそのことを手紙で知らせたが、まだ受け取っていないという返事だった。その時、レナード夫人の交霊会で聞いた言葉を思い出し、例の受け取りを見たところ、その借金の返済を証明する領収書だということがわかった。そこで母親は、担当者にその取引の計算書を送ったところ、担当者はそれを認めてくれ、謝罪の手紙を書いてきたという。

 このような例はどう考えればよいのだろうか。インチキによるものではないとしたら、レナード夫人がESPや超ESPでこの息子のことや為替の控えのことなどを知り、いかにも死んだ息子からそのことを知らせて来たかのように演技したのだろうか。その可能性はないわけではなかろうが、高くはなかろう。

 次に、このような古い例ではなく、比較的最近行われた実験について話すことにしよう。

 霊媒の研究を通じて、人間が死後にも生存を続けるかどうか検討するためには、これまで述べてきたように、交霊会に代理を出席させるなどの方法では不十分だ。ヴァージニア大学精神科のスティーヴンソンは、この問題を解決するため、おもしろい研究法を考えた。

 霊媒を囲んで交霊会を行っていると、呼び出す予定ではなかった別の″霊 が飛び込んで来ることがある。“飛び入り交信者”と呼ばれるこの“霊”は、その時点では霊媒にも会席者にもその存在を知られていないため、そこで得られたデータを、この世にいる人間からのテレパシーなどによって説明するのが難しくなる。つまり、死者から直接に交信してきた可能性が高くなるということだ。

 しかし、インチキではないか、という批判はかえって起こりやすくなるかもしれない。霊媒がその気になれば、それらしいことをいくらでも言えるし、昔知っていたことを霊媒が意識のうえで忘れていて、それが、まるで死者からの交信のように意識にのぼってきた可能性も考えられるからだ。

 そのような点に注意すれば、死者が本当にこの世の人間に交信してくるのかどうかを調べることができるかもしれない。このような事例の中でも有力なものでは、交信してきた存在の身元を後で突き止めることができ、その交信者が霊媒を通じて語った内容が、生前の本人の特徴と一致するかどうか確認することができる。

 話がややこしいので、少し整理してみよう。たとえばAさんが霊媒のところへ行き、死んだ母親を呼び出してもらったとしよう。この時、母親の“霊”が出てきて、Aさんの知らなかったヘソクリのありかを知らされたとしても、霊媒がそのありかを自分の透視能力を使って知ってしまい、それを、Aさんの母親が教えたように話した可能性が残る。でも、霊媒もAさんも知らないBと名乗る存在が突然出てきて何かを語り、後でBさんという人が本当にいたことがわかり、その話の内容が生前のBさんの特徴と一致すれば、Bさんの“霊”が本当に交信してきた可能性が高くなるということだ。

 ヴァージニア大学のスティーヴンソン教授は飛び入り交信者の例をいくつか研究している。その中の一例では、スイスのチューリヒで時々交霊会を行っているアマチュアのトランス霊媒シューツさんのもとに、1962年2月、″飛び入り交信者 が姿を現した。その時の交霊会には、大学の教授夫妻をはじめ、3人が列席していた。トランス状態にあるシューツさんは、次のような言葉を口にしている。

 「今まきばにいる。小さな男の子が来た。‥‥その子は盲腸になったことがある。‥‥小児病院で死んでる。‥‥この子はインド人の名前だった。‥‥この子は、こういう茶色の‥‥パソナ。‥‥〔チューリヒの〕第7区に住んでた。今この子が言っているけど、ただの盲腸じゃなかった。かなり熱が出る珍しい病気だった。‥‥この子は髪の毛が黒で茶色の目をしてる。まだ兄弟がふたり生きてる。‥‥たぶんお父さんがお茶に関係してたのかな。‥‥お母さんによろしくって言ってる‥‥」

 この時の会席者は、この交信に興味を持ち、パソナという名字をチューリヒの電話帳で探したところ、パソナはなかったが、パサナという名字の家族が実際にいることがわかった。この家族と連絡をとった結果、この一家が茶の輸入商をしていること、家族全員がよく茶を飲むこと、チューリヒの第7区に住んでいたことがわかった。そのうえ、かなり以前に4歳の男の子を小児病院入院中に虫垂炎で亡くしていることがわかったのだ。

 その子は三男のロバートで、ふたりの兄とともにインドで生まれていた。ロバートが生まれてから一家はチューリヒに引っ越した。そこで父親はインドから茶などの商品を輸入する仕事を始めた。スティーヴンソンがロバートの病院のカルテを調べたところ、虫垂炎ではなく、確かに高熱の出る珍しい病気で死亡していることがわかった。また、ロバートは髪が黒く、目は茶色だった。

 スティーヴンソンは、この事例を丹念に調べた結果、霊媒が昔ロバートの話を聞いていたのに意識ではそれを忘れていて、まるでロバートが交信してきたかのように話した、などという可能性はあまり考えられない、という結論に達している。

 アイスランドの心理学者エルレンドゥール・ハラルドソンとアメリカの精神科医スティーヴンソンが共同して、アイスランドの有名な霊媒ハフスタイン・ビヨルンソンを対象に、10名の会席者を用いた実験を1972年にアメリカで行っている。代理交霊会などでは、霊媒がふだんとは違う方法を使うため、本来の能力が発揮(はっき)されない可能性がある。そのためこの実験では、ビヨルンソンのいつものやり方に近い条件を採用している。

 その時の交霊会は、会席者をひとりずつ霊媒の前に呼び、全部で10回行われた。会席者がそのまま霊媒の前に来ると、当然、五感やESPを使って情報を察知してしまうかもしれないので、霊媒と会席者の間には厚いカーテンが下げられ、互いの姿が見えないようにされた。会席者は10人とも、霊媒とは個人的に接触したことはなかった。

 会席者はカーテンを隔て、霊媒の前にひとりずつランダム(でたらめ)な順に座った。また、そのあいだ霊媒が何を言っているのかわからないようにするため、会席者の耳にはイヤフォンが付けられ、音楽が流された。

 霊媒は、それぞれの会席者がカーテンを挟んで座ると、その会席者の回りに見える(という)死んだ肉親や友人のイメージをテープに吹き込む。それを10人に繰り返した後、そのテープから書き起こした記録をランダムな順に並べ換え、それぞれの会席者に渡す。会席者はそれを、霊媒が自分の番のときに語ったと思う順に並べる。その結果、自分が座ったときに霊媒が語った記録を当てたのは、4人だった。この数字は、偶然に当たるとは考えにくいほど多かったといえる。また、霊媒が、死んだ肉親や友人の名前を正確に言い当てた例もかなりあった。

 ところが、ハラルドソンが別の心理学者ともう一度行なったビヨルンソンの実験では、はっきりした結果が得られなかったという。同じ条件で同じ実験を繰り返したとき、同じ結果が得られることを、“再現性がある”というが、この実験は再現性がなかったことになる。

 霊媒の実験には限らないが、超心理学の実験には前回話したような再現性があまりないものが多い。ただそれは、物理学や化学と比べた場合の話であって、人間を対象にした、たとえば心理学などの場合には、再現性はそれほど高くない。超心理学の批判をする人たちの中に、再現性が低いことをその理由にする人が多いが、心理学などの一般的な基準をよく知ったうえで批判するのでなければ、あまり意味のある批判にはならない。

 ところで、霊媒とよく似たものに、最近登場したチャネラーがある。チャネラーについては私はあまりよく知らないので、詳しく話すことはできないが、霊媒と混同する人がいるかもしれないので、ここで簡単にふれておくことにしよう。霊媒もチャネラーの中に入るという人もいるが、ここでいちおう分けて考える。しかし、定義を見る限り、両者の間にあまり差はないようだ。強いて言えば、霊媒の起源の方がチャネラーよりも歴史的に古い、ということだろうか。

 定義については、そのようにあまり差はないが、超心理学的には、かなりの差があるように見える。つまり、霊媒の中には、ごく少数だが実験に協力してある程度の成果をあげている者があるのに対して、チャネラーの中には、現在までのところでは、そのような者はほとんどいないらしい。それは、チャネラーが登場してまだ間がないからなのか、それとも、チャネラーと言われる人たちには、信憑(しんぴょう)性が確かめられる例が霊媒と比べて少ないからなのか、今のところどちらとも言えないように思う。

 私の調べた範囲では、チャネラーが語った言葉が本当かどうか確認できる例はほとんどなかった。霊媒でも圧倒的多数はそうなので、正式に報告されているチャネラーの実験がほとんどない現在、チャネラーの信憑性について考えるのは難しいのかもしれない。ただし、霊媒の場合にもそうだが、チャネラーが語ったことをそのまま事実と考えることはできない。占いと同じように信じることはかまわないが、それが事実かどうかは、科学的に検討してから決めなければならないからだ。

 これまで長々と、死後生存の超心理学的研究を紹介してきたが、ここでまとめておくことにしよう。

 超ESP仮説

 死後生存の科学的研究は、1882年、ロンドンに心霊研究協会(SPR)が設立された時に始まったと考えてよい。主として、ケンブリッジ大学の学者たちが集まって、ESPや念力の研究とともに、人間は死後にも魂か何かとして生き残るかどうかを真剣に研究するようになったのだ。その中には、今では考えにくいが、ノーベル賞をもらった科学者や研究者が何人か入っていた。当時は催眠(さいみん)も研究の対象になっていたが、これはその後、心理学の中で扱われるようになった。

 当時の死後生存研究の中心は、霊姿(れいし)と精神霊媒の研究だった。霊姿の研究では、体験者の証言を集め、その裏付けを取り、厳密に検討するという方法が多く取られた。精神霊媒の研究では、交霊会の中で霊媒が語る、死者からの言葉とされるものが事実かどうかを、やはり厳密に検討している。

 当時は、生まれ変わりや真性異言の研究は、厳密に検討できる事例が知られていなかったため、ほとんど行われていなかった。また、体脱体験や臨死体験の研究も行われてはいたが、今から百年以上も前のことなので、研究法も限られ、厳密な検討はどうしてもできなかった。

 そのうえ、ふつうの人間にもESPや念力があることがアメリカのJ・B・ラインらによって証明されてくると、死後生存の研究は非常に難しくなり、研究者の数が次第に少なくなって行った。

 死後生存研究があらためて注目を浴びるようになったのは、1960年代に入ってからだ。その頃になると、アメリカ心霊研究協会のカーリス・オシスやヴァージニア大学のイアン・スティーヴンソンらが中心になり、新たに使えるようになった研究法を駆使して、厳密な死後生存研究が再開された。このようにして、現在では死後生存研究が、超心理学=心霊研究の重要な分野として認められるようになったのだ。

 死後生存研究はこうして盛んになったが、その一方で大きな問題は相変わらず残されていた。いちばん大きいのは、超ESP仮説と呼ばれる考え方だ。

 ESP(超感覚的知覚)は、テレパシー、透視、予知の3種類を含むが、それらは時間や距離を超越するとされている。しかも、その限界がわかっていない。つまり、予知で言えば何年先までわかるのかとか、テレパシーや透視で言えばどのくらい遠くのことまでわかるのかがわかっていないということだ。“ノストラダムスの予言”のように、何百年か先のことまで本当に予知できるのだろうか。また、地球の裏側だけでなく、宇宙空間からのESPも働くのだろうか。

 もうひとつの問題は、ESPの精度(正確さ)だ。これまでの証拠からすると、ESPはあまり正確な情報を伝えてくれないし、いつも伝わるわけではない。ESP能力者と呼ばれる人たちですら、いつも能力が発揮できるわけではない。

 このような、まだよくわかっていないESPの限界をすべて取り払い、ESPによって何でもわかると考えるのが超ESP仮説だ。このような超ESP仮説を使えば、死後生存の証拠とされているものがほとんど説明できてしまう。前世の記憶らしきものも、その人物を知っている人間から超ESPによって情報を得たことになるし、霊媒が死者からの通信として語ったことがらも、その故人を知っている人間からやはり超ESPによって得た情報をそれらしく語っているにすぎないことになる。

 このように、超ESP仮説は万能(ばんのう)のように見えるが、大きな欠点がふたつある。ひとつは、超ESPと呼べるほどの能力を持った人間が本当にいることがわかっていないことだ。先ほど書いたように、ESP能力者といっても、それほど強力な能力を持っているわけではない。もうひとつは、超ESPはESPと質的には同じものなので、ESPによって伝わらないものは伝わらないことだ。そのため、真性異言や生まれつき持っている何らかの技能は、超ESPでは説明できない。そのために超心理学者は、真性異言や、習ったことのない技能を生まれつき持っている子どもの研究を重視しているのだ。

 死後生存研究でこれまで得られている証拠を厳密に検討してみよう。

 まず第一に問題になるのは、その証拠が、うそやかん違いなどによるものかどうかだ。真性異言の場合には、昔習ったことや聞いたことがあったのに、そのことを忘れていて、あるいはそのことをかくして、まるで知らない外国語を話してでもいるかのようにふるまっている、という可能性だ。ヴァージニア大学のスティーヴンソンは、特にこのような可能性を徹底的に調べあげ、その可能性がほとんど否定できた事例だけを発表している。

 うそやかん違いではないことがわかったとして、次に問題となるのがESPや超ESPだ。しかし、ESPや超ESPでは、これまで何度も書いてきたように、真性異言や、習ったことのない楽器を演奏できる能力を説明することはできない。また、前世の記憶を持つ子どもが、前世時代に受けた手術の痕(あと)だとして説明した生まれつきのあざが、その子どもの前世の人物として突き止められた者に本当にあったことが確認できた場合なども、やはり超ESPによっては説明できない。

 アメリカや日本の臨死体験でも、肉体のある場所からはわからないはずのところで起こった出来事がわかった、という例が知られているが、このようなものはESPで説明することが可能だ。しかし、インドの臨死体験のように、死んだ後に“閻魔(えんま)”大王のところへ行き、そこで“人違い”だとわかって送り返されたところ、同じ病院に入院していた同姓同名の患者が入れ替わるように死亡した、という事例は、超ESPでは説明できにくい。

 スティーヴンソンは、死後生存研究を20年ほど続けた後、次のように述べている。「私は現在、人間の死後生存の証拠は、その証拠を根拠に死後生存を信ずることが可能なほど有力であると考えている。ところがこの証拠は、現段階ではまだ不完全なので、説得力が乏しいことは確かである」。

 この言葉は、かなり控えめなものだが、だからこそ逆に説得力を持っているといえるかもしれない。

 サイ現象

 超心理学の研究は、これまで話してきた死後生存研究ばかりではない。君たちがよく知っているテレパシーや透視や念力の研究もある。

 テレパシーや念力は、昔から世界各地で知られていた。しかし、科学的な研究が始まったのは、19世紀の終わりになってからだ。その少し前、アメリカやイギリスに霊媒と呼ばれる人たちがたくさん出現した。その人たちは、前回まで見てきたように、死後の世界との交信の証拠としていろいろな現象を見せていた。インチキによるものも少なくなかったが、そうではないものもあった。その中には、死者からの交信と考えるよりも、霊媒にテレパシーや透視の能力があると考えた方がつじつまのあう事例がかなりあったのだ。

 テレパシーは、人間と人間の間の、あるいは人間と動物の間の心と心の直接的交信だ。それに対して透視とは、見えないところにある物や、遠いところでその時起こっている出来事が五感を使わずにわかることだ。また、予測も推測もできない未来の出来事を知る予知という現象もある。テレパシー、透視、予知の3つを一緒にして、超(ちょう)感覚的知覚(ESP)と呼ばれる。

 五感ではわからないことを知るESPに対して、物理的な力を使わずに物体や物理的過程に影響を与える念力という現象がある。スプーン曲げや念写などがそれに当たる。ESPと念力を合わせ、サイ現象と呼ばれる。サイ現象の研究が科学的方法を用いて行なわれるようになったのは、死後生存研究が始まった理由と同じく、今の科学知識で説明できない現象だからだ。最初の頃にその話をしておいたので、覚えている人もいるだろう。もう一度簡単に触れておくと、もしこういう現象が本当にあるとすると、唯物論(ゆいぶつろん)という、自然界は全て物理的に説明できるという考え方がまちがっていることになる。そうなると、今の進化論も心身医学も物理学自体も根本から検討し直す必要がでてくる。そのような重大問題だからこそ、慎重に検討を続けて行かなければいけないのだ。

 まず、テレパシーの話をすることにしよう。テレパシーとは、前回説明したように、人間どうし、あるいは人間と動物の間に起こる心と心の直接的交信だ。内容的には、テレパシーを“発信”する者が、死に瀕(ひん)しているなどの危機状況にあることを知らせるものが多い。“受信者”は、発信者と個人的に親しい、たとえば肉親や友人がほとんどだ。つまり、愛と死がテレパシーのテーマになっており、この点は、死後生存に関係するいろいろな現象の場合と同じといえる。

 1959年、イギリスのある女性は、いつものように夫がアイスクリーム工場の夜勤に出た後テレビを見ていたが、その晩に限って胸騒ぎがして、工場に3回電話してみた。ところがだれも出なかったため、夜中の2時に、生後2ヵ月の子どもを置いて、4キロほど離れた工場まで歩いて行ってみることにした。工場に着くと、返事もなく、入口には鍵がかかっていた。ところが、胸騒ぎはますます強くなり、覚悟を決めて倉庫の窓ガラスを割って中に入ってみると、夫が冷凍庫に閉じこめられているのがわかった。後で話し合ったところ、夫が冷凍庫に閉じこめられたのは、電話をしなければと最初に思った数分前だということがわかったのだ。

 この女性は、後にも先にもそのような奇妙な行動は起こしていないというが、どうしてこの時だけそのようなことをしたのだろうか。また、夫がそのまま放置されていたとしたら、大変なことになっていたはずだ。妻の“直観”のおかげで助かったわけだが、この直観はテレパシーだったのだろうか。

 このような事例は、偶然の一致で説明できるだろうか。こういう事例がほとんどなければ、偶然ということで説明できるかもしれない。しかし実際には、偶然で説明するには数が多すぎるし、細かい部分が事実と一致する事例が多すぎる。

 また、興味深い例としては、遠方にいる娘が出産している最中に、その出産はもちろん、娘の妊娠すら知らないはずの母親が、自分が出産している時のような陣痛を感じるなど、意識ではわからないが、体に変化の起こるものもある。

 テレパシーは、人間や動物の心と心の間に起こる交信だったが、次のテーマの透視は、見えないところにあるものや、遠方でその時起こっている出来事が五感を使わずにわかるという能力を指している。たとえば、なくした物のありかが夢の中でわかったとか、本人も知らないはずの病気を、偶然では説明できないくらい正確に言い当てたとかいう話があるが、これも、事実なら透視の可能性がある。

 テレパシーと違って、透視では、自然に起こる場合にも実験の中で起こる場合にも、確認が容易だ。誰も知らないはずのことなら、テレパシーが関係している可能性が否定できるからだ。超能力者のユリ・ゲラーが仕事にしているという、科学的方法を使わずに行なう鉱脈探査などは、科学的方法を使ったときよりも成功率が高いようなら、テレパシーの可能性は考えられないので、透視と言える。よく切り混ぜたトランプを、誰にも見せずに伏せたものを、偶然で当たる以上に当てたことがわかれば、これも透視の実例になる。

 透視の能力も、万人に備わっているのかもしれないが、“超能力者”といわれる人たちを除けば、一生に1、2度程度しか発揮されないことが多いようだ。それも、やはりテレパシーの場合と同じく、人の生死に関係した状況で起こりやすいといえる。

 ただし、次のような場合には、話が込み入ってくる。その昔、「本の実験」と呼ばれたものでは、超能力者ないしは霊媒(れいばい)が、本人の行ったことのない家や図書館にある特定の本の特定のページに書かれた内容を、正確に言い当てるという例だ。一部の人たちはこれを、死者の“霊”がその場に行き、その本のそのページを開いて読み、それを超能力者や霊媒に伝えてくれるために正確にわかるのだ、と主張した。それが事実かどうかはともかく、そのような可能性も否定することはできない。それが事実なら、このような“透視”は、実は死者からのテレパシーということになってしまう。

 透視の存在は、死後生存よりも実際には証明しやすいので、この場合は、透視で説明できれば死者からのテレパシーを考える必要はないが、本当のところははっきりしないのだ。

 これまで話してきたように、超心理学では、ふつうの科学では問題にならないさまざまな可能性まで考える。それは、ものごとの本質を突きつめて行くと、どちらとも簡単には決められない現象が多いことのあらわれでもある。たとえば、人間の心とはどういうものかとか、雷はなぜ発生するのかとかの非常に基本的な問題も、今の科学知識で十分説明できているわけではないのだ。

 次に、君たちが簡単にできる透視の実験を紹介することにしよう。純粋テレパシーの実験は非常に難しく、そのため、これまでほとんど行なわれたことがないが、透視の実験はそれに比べると非常に簡単だ。ESPカードという、5種類の単純な模様のカードが5枚ずつ25枚1組になったものを用いてもよいが、ふつうのトランプを使ってもさしつかえない。トランプを使う実験でもいろいろな形が考えられるが、ここではふたりでできる実験で簡単な方法を説明しよう。

 後で計算しやすいように、絵札を除いて10枚ずつ40枚のカードを取り出す。実験する人は、それをよく切り混ぜ、被験者(ひけんしゃ=当てようとする人)にも自分にも表が見えないようにして伏せる。それを上から順番に、やはり表がふたりに見えないように実験者が一枚ずつ伏せ、それに対して被験者が、模様なら模様を、数字なら数字を当てようとする。実験者は被験者の言った模様や数字を順番に書き留める。40枚が全部終わったら、カードを裏返し、1枚ずつ当たりとはずれを調べてゆく。そのような実験をたとえば10回繰り返したとすると、模様の場合なら平均して12.2枚以上当たれば、数字の場合なら5.5枚以上当たれば、その人が超能力を発揮した証拠が得られたと言える。

 超心理学では、このような実験ばかりでなく、実にさまざまな方法を用いて実験を行ない、透視能力を持った人間が確かにいることを裏付ける証拠が得られている。そしてそれは、偶然で当たったと考えた場合、全体では、天文学的な数字になっている。このように、実験的にも透視が実在することはすでに確かめられているが、一般の科学者はほとんどが、そのような証拠を認めようとしないのだ。

 透視やテレパシーは、その時点で起こっている事柄を、五感を使わずに感知するという現象であるのに対して、予知は、未来に起こる出来事をあらかじめ感知する現象だ。しかし、台風の進路などのように、科学的に予測できるものの場合には、予知とは言わない。科学的方法も含め、通常の予測や推測ではわからないものでなければならないのだ。

 私の知っているある医学研究者は、いつも、研究に使った資料や書類を机のうえに広げたまま帰宅していた。ところがある日、どうしても大切なデータや書類を安全な場所にしまってから帰りたいという、ふつうに考えればばかげた考えにとらわれた。結局、その衝動に負け、全部片づけてから帰宅した。ところが、その晩、地震が発生し、いつものように書類を出したままにしていたら、燃えてしまうところだったという。

 ある時、アメリカのフィラデルフィア州に住むある男性は、商用でボストンに出かけていた。予定では、そのままワシントン行きの飛行機に乗ることになっていたが、留守宅の妻は、夫がその飛行機に乗ってはいけない気がして、そのことを、たまたま来ていた友人に話した。そして、次の日に夫と連絡がつくまで胸騒ぎが続き、夫には電話で、お願いだからその飛行機乗らないでほしいと頼むことまでしている。

 たまたま夫は、ワシントンに行く必要がなくなり、出発間際になってその便をキャンセルした。ところがその飛行機は、ポトマック川に墜落し、乗客全員が死亡したのだ。もしその男性が乗っていたとしたら、まちがいなく死んでいただろう。

 このような話は決して少なくないが、偶然の一致や記憶違いやうそではないことが証明できない限り、予知とは言えない。その出来事が起こる前に、予知した内容を誰かに話していたり、書き留めてあることが確認できれば、記憶違いやうそという可能性は低くなるけれども、偶然の一致ではないことの証明は難しい。しかし、細かい点まで正確に予知できている場合には、予知が働いた可能性が高いと言えるだろう。

 これまでの研究では、偶発的な予知はどうやら存在すると言えそうだが、実験的にはどうなのだろうか。

 偶発的に起こる予知の研究とは別に、予知の実験も昔から行なわれている。アメリカ、デューク大学超心理学研究室の故J・B・ラインは、1933年に、32名の小学生を含む49名を対象にして、ESPカードを使い予知実験を行なった。前にも話したように、ESPカードというのは、丸や四角のような5種類の模様のカードが5枚ずつ、25枚で1組になった、ESP実験用に考案されたカードだ。

 ラインは、まず被験者にその順番を予知させ、その後にESPカードを切り混ぜ、当たっている数を調べた。それを4523回行なったところ、偶然では考えられないほど高い得点が得られた。ところが、被験者が予知したものと一致する率が高くなるようにカードを切ることのできる実験者がいることがわかった。そうすると、予知の証明にはならないので、その後は、機械を使ってカードを切るようにした。しかし、それでも、偶然では説明できないほど高い得点が得られたのだ。

 予知の実験は他の方法によっても行なわれている。アメリカのスタンフォード研究所(SRI)で始められた、「遠隔視」という実験法がある。これは、被験者も、被験者と一緒にいる実験者も知らない場所に、別の実験者が出かけ、その時に被験者がその実験者の見ている場面を超感覚的に知ろうとする、というESP実験だ。これを予知実験として使った研究もいくつかある。つまり、たとえば24時間後にある実験者がいるはずの場所がどういうところかを、まず被験者に当てさせ、被験者が何を話したか知らない実験者が、24時間後に、特殊な方法ででたらめに選ばれた場所に出かけ、そこの写真を写したり、スケッチをしたりしてくる。そのような方法で何回か実験を繰り返し、それぞれを突き合わせ、どれくらい当たっているかを判定するのだ。

 この判定については、いろいろな批判があり、そのため、たとえばプリンストン大学などでは、機械的に判定できる方法が用いられている。その結果、偶然ではやはり説明できないほど高い一致が見られている。そのような結果を見ると、やはり予知という現象は実在するようだ。

 念 力

 サイ現象にはESPと念力のふたつが含まれることは、前に話した通りだ。続いては、念力の話をすることにしよう。念力とは、心の力だけでものを変化させる現象のことだ。スプーン曲げや念写については、君たちもよく知っているだろう。しかし念力には、その他にも、たくさんの種類がある。昔、交霊会で物理霊媒が見せていたテーブル浮揚も、さまざまな物理的現象が自然に起こるポルターガイストも、一部の宗教の中で行なわれている信仰治療も、さいころを振って念じた目を多く出すことも、ふつうの力によるものでなければ、念力によるものとされる。

 ESPと同じく念力も、偶発的に起こるものと実験的に確認されるものとに分けることができる。そして、偶発的な念力現象の代表がポルターガイストだ。ただし、前にも話したように、ポルターガイストにも、生者の中心人物がいるものといないものとがある。生者の中心人物のいないものは、死者の念力によって起こるのかもしれないが、ここでは生者の念力による現象だけを取りあげることにする。

 ポルターガイスト現象として多いのは、物体の移動や運動、物音や叩音(こうおん)、閃光などだ。物体の移動としては、空中に浮揚したり、空中をジグザグに動いたり、空中で急停止したり、軌道を直角に変えたりなど、ふつうには考えられない動きをすることも少なくない。(このような動きは、不思議とUFOに似ている。)また、現象の持続期間は、短いもので一日、長いものでは6年にも及び、平均は5.1ヵ月ほどだったという研究もある。

 その研究によれば、生者の中心人物は、年齢が8歳から70代にまで及んでおり、平均年齢は女性で15歳、男性で17歳だったという。つまり、ポルターガイストの中心人物は、思春期の少年少女が圧倒的に多いのだ。また、性別では、男性よりも女性の方がかなり多いらしい。

 この種のポルターガイストでは、中心人物が眠ったり、外出したりすると、現象が止まってしまう。また、現象が外出先にまでついて行く例もあるという。つまり、この種のポルターガイストは、幽霊屋敷とは違って、場所ではなく、人物中心に起こるということだ。

 ポルターガイスト現象では、偶発(ぐうはつ)的な念力が繰り返し起こるが、繰り返し起こらない偶発的な念力現象もある。遠くにいる肉親が死亡すると同時に、掛け時計が止まるとか、その肉親の写真が棚から落ちるとかだ。この場合も、ESPと同じく、肉親や知人の死や危機状況に関係して起こることが多いようだ。

 もちろん、それが本当に念力によるものかどうかは、詳しく調べてみなければわからない。しかし、ポルターガイストの場合には、現象が繰り返し起こるおかげで注目されやすいし、確認もある程度できるだろうが、単発的な念力現象の場合には、わかりにくいし確認も難しい。そのためか、アメリカのFRNM超心理学研究所のL・E・ラインさんが一般市民から集めた1万例以上のサイ体験の中でも、偶発的な念力現象と思われるものは178例にすぎなかったという。

 この研究所に所属していたウィリアム・コックスさんは、おもしろい研究を行なっている。4人続いて同じ性別の子どもが生まれたら、両親としては別の性別の子どもをほしがるのではないか、と考えたコックスさんは、4人続いて同じ性別の子どもが生まれた後に5人目の子どもが生まれている家族の家系図を661件集めた。別の性別の子どもがほしいという気持ちが、無意識のうちに念力となって働くのではないか、と考えたからだ。

 調査の結果、興味深いことがわかった。男の子が4人続いて生まれている場合には、5人目が男の子だったのが207例(50.7パーセント)、女の子だったのが2101例(49.03パーセント)とほとんど差がなかったのに対して、女の子が4人続いている場合には、5人目が男の子だったのが144例(56.9パーセント)、女の子だったのが109例(43.1パーセント)と、男の子が生まれていることの方がかなり多かったのだ。しかし、統計的な計算をしたところ、はっきりした違いとは言えないことがわかった。

 念力の研究は、実験を使っても行なわれている。昔は、特定の目が出るように念じながらサイコロを転がし、その結果を統計的に計算して、そこに念力が働いていたかどうかを検討する研究が中心だったが、今はいろいろな方法で研究が行なわれている。

 ここまで読み進んできた君たちは、どうして日本の研究が出てこないか不思議に思っているかもしれない。理由は簡単で、日本では超心理学の研究がほとんど行なわれていないからなのだ。しかし、知っている人もいるだろうが、世界に先駆けて、明治の終わりから大正のはじめにかけて念写の研究をした日本人があった。東京帝国大学(今の東京大学)心理学助教授の福来友吉さんだ。福来さんは、今でも、欧米の研究者の間ではよく知られている。

 催眠(さいみん)の研究者だった福来さんは、催眠状態にある被験者を使って透視の研究をしていた。そして、未現像のネガに写っている像を被験者が透視できるかどうか実験している時に、被験者の“念”によって感光が起こるらしいことがわかり、それがきっかけとなって、念写の研究をするようになった。念写能力を持っているとされる被験者が何人かいたおかげで、当時としては、かなり詳しい研究ができたのだ。

 しかし、超常現象特有の“とらえにくさ”のため、批判者を納得させるだけのデータが得られず、結局、日本では福来さんの研究はほとんど否定されてしまった。そして、福来さんは、東京帝国大学をやめざるをえなくなった。この事件の影響で、日本では超心理学が正当に評価されないまま来ているのではないか、と考える人もある。

 福来さんの研究を参考に念写の研究が再び行なわれるようになったのは、皮肉なことに、日本ではなくアメリカだった。コロラド州デンヴァーに住む精神分析医ジュール・アイゼンバッドさんが、管理をきちんとしていればインチキを疑われにくいポラロイド・カメラを使って、テッド・シリアスさんを被験者として1964年に念写の研究を始めたのだ。

 その後私たちも、清田益章さんを対象に、1979年から念写とスプーン曲げの研究を行なっている。シリアスさんは、ポラロイド・カメラを自分に向けてシャッターを切るという方法で念写を行なったが、清田さんは、旧型のポラロイド・カメラから電池を抜いて、シャッター・ボタンを押してもシャッターが切れないようにして実験を行なっている。そして、調子のいい時にはカメラに触れないようにして、一度に複数の印画紙に感光させることに成功しているのだ。そのような結果からすると、やはり念写という現象はあると言わざるをえない。

 スプーン曲げについては、君たちもよく知っているだろう。しかし、手品という疑いを持たれやすいものだけに研究が難しい。“とらえにくさ”という問題さえなければ、ことは簡単なのだが、万人を納得させるための決定的証拠をつかもうとすると、ほとんど不可能になってしまう。そういうと、批判的に見る人たちは、インチキだからそうなのだと主張するだろうが、実際にはそうではない。

 私たちが清田益章さんを対象に実験を行なった結果、調子がよければ清田さんは、スプーンの首の部分を念力だけでねじれることがわかった。ところが、自分の目で見ないと信じられないかもしれないが、そのような場面をビデオで録画しようとすると、その瞬間にスプーンの変形が止まってしまったり、焦点が合わなくなってしまったり、ひどい場合にはビデオのスイッチがひとりでに切れてしまったりして、第三者を納得させることができる証拠が結局得られないのだ。

 スプーン曲げに関する研究は、日本では、電気通信大学の佐々木茂美教授のグループや私たちのグループが、外国では、念写の研究で有名なアイゼンバッドさんや、生まれ変わりの研究で有名なヴァージニア大学精神科のスティーヴンソン教授のグループその他が行なっているが、残念ながらどこで行なわれた実験でも、その場に立ち会っていない第三者を十分納得させることのできるデータは得られていない。

 スプーン曲げや念写など、肉眼で確認できる念力現象をマクロPKというが、統計的な処理をしてようやく現象の確認できるミクロPKとは違って、マクロPKは、“とらえにくさ”の影響を直接に受けやすい領域といえる。マクロPKの一種であるポルターガイスト現象が注視している時に起こりにくいのも、“とらえにくさ”に関係しているいえよう。逆にいえば、インチキや手品や暗示などで説明がつきやすい状況の方が、本物のサイ現象も起こりやすいことになる。

 次は、そのような意味で興味深い心霊治療について話すことにしよう。

 心霊治療には、患者の体に手をかざしたり、“指導霊”や祖先の“霊”の力を借りる、神や聖者に祈る、魔法の薬を使う、病気を去らせるよう念を込めるなど、さまざまな方法がある。このような方法は、いくつかの新宗教の中でも行なわれている。では、その結果病気が治ったとしたら、心霊治療の効果によるものと考えてよいのだろうか。

 もちろん、そう簡単にはいかない。たとえば、癌(がん)のような難病でも、“自然退縮(たいしゅく)”といって、医学的には説明のできないような形で好転する例があるし、心身症のように心理的原因で病気が起こっている場合には、暗示の力などによって症状が軽快することが知られているからだ。そのため、心霊治療が本当に効果があったかどうか確かめるのはかなり難しい。

 超心理学では、“心霊治療師”が実際に治療を行なった結果を研究することはもちろん、治療師に実験的に動物を“治療”してもらい、それを厳密に検討するという方法も使っている。相手が動物なら、人間の場合と違って、暗示による効果を考えずにすむからだ。

 カナダのある大学の研究者であるバーナード・グラッドさんは、背中の皮膚を一定の大きさだけ切り取ったネズミを20匹ずつ計60匹使った実験を行なった。エステバニーさんという心霊治療師がカゴの上から一定の時間ずつ手をかざすグループ、手の温かさと同じ温度を与えるグループ、何もしないで放置するグループに分けて実験したところ、エステバニーさんが手をかざしたグループのネズミが、放置しておいたグループのネズミよりも、傷の治りがよかったことがわかったという。

 この他にも、心霊治療という現象があることを裏付ける証拠はかなり得られている。一方、フィリピンの心霊手術などのように、インチキがかなり見つかっているものもある。しかし、フィリピンの心霊手術でも、アメリカの医師が医学雑誌に、医学的には考えられない治癒例を報告している。“とらえにくさ”という点から考えると、インチキや暗示効果や錯覚などで説明しやすい状況の方が、本物の超常現象も起こりやすいといえるのではなかろうか。次に、その問題に触れることにしよう。

 超常現象の特徴

 これまで、いろいろな超常現象について話してきた。これからは、超常現象の特徴について話すことにしよう。

 これまででわかったかもしれないが、超常現象は非常にとらえにくいものだ。暗闇や後ろ向きなど、見えにくい条件の時に比較的起こりやすいけれども、明るいところや人が見ている時などにはほとんど何も起こらなくなってしまう。批判者から見れば、全てインチキであって本当には超常現象など存在しないため、インチキができにくい状況で何も起こらないのは当然だということになる。しかし、超常現象が本当にあるとすると、人間の視線やカメラのレンズを避けるようにして現象が起こることこそ超常現象の特徴ということになる。これまで見てきたように、超常現象が実在するとすれば、超常現象は、必ず人やカメラの視線を避けるようにして起こるといえる。

 そのことは、イギリスの心理学者ケネス・バチェルダーさんの実験でも証明されている。バチェルダーさんは、昔の交霊(こうれい)会のような状況で何人かでテーブルを囲み、実験を行なった。初めは“サクラ”が手や足でテーブルを持ち上げたりするが、そのようなきっかけによって、その場にいる者が、超常現象は本当にあると思い込むと、今度はテーブルが、手足で触れなくとも空中に浮かんだりするという。ところが、完全に明るいところではそこまでの現象は起こりにくいし、その場にいる者に、これは不思議な現象なのではないかという疑いが起こると、浮かんでいたテーブルはたちまち床に落ちてしまうという。

 超常現象は確かに不思議だが、超常現象そのものよりも、このように、決定的な証拠を残さないように起こるという特徴の方がもっと不思議なのではないだろうか。このような特徴は、超常現象が人間の心と密接に関係していることを裏付ける証拠になるし、このような特徴こそ、超常現象の謎を解く鍵になるのではないだろうか。ところが不思議なことに、この点に関心を持って研究している超心理学者はほとんどいないのだ。これはどういうことなのだろうか。

 とらえにくさということに関連して、超常現象には他にも、いくつかの特徴がある。“サイ・ミッシング”と呼ばれる現象もそのひとつだ。たとえば、よく切り混ぜたトランプを1枚ずつ伏せて透視の実験を行なった場合、超能力がなくとも、偶然だけで何枚か当たるはずだが、偶然では考えられないほど少ない数しか当たらない場合がある。これを、サイ・ミッシングという。本当は正解を知っているからこそ、偶然以下の得点にすることができると考えられているわけだ。たとえば、5者択一式のテストを考えてみよう。100問の問題があるとすると、全部でたらめに○を付けて正解する確率は5分の1なので、偶然では20点前後の得点になるはずだが、それが〇点だとすれば、正解を知っているからこそ当たらないように○を付けることができたと言える。それと同じことがサイ現象の場合にもあるのだ。

 “ズレ効果”と呼ばれる現象もある。これは、本来のターゲットのたとえばひとつ前、あるいはひとつ後のターゲットを当てるという現象で、実験ばかりか偶発的状況でも見られる。1から5までの数字を当てる実験であれば、ターゲットがたとえば53142だとすると、被験(ひけん)者が45314と言った場合、ふつうに見るとひとつも当たっていないけれども、ひとつ前のターゲットと対照させると、四つも当たっていることになる。

 “下降現象”もよく知られている。サイ実験を続けて行くと、最初はかなり超能力を発揮していたのに、次第に能力が低下し、最後には、偶然で起こる程度の成績に落ちてしまう現象のことだ。ふつうはこれを、実験にあきがくるために起こる現象と考えるが、それよりもやはり、とらえにくさのひとつの側面と考えた方が的確のようだ。

 それ以外にも、超常現象にはいくつかの特徴がある。しかし、特にこの3つの特徴は、だれが見てもまちがいなく超常現象の証拠と考えられるような形ではなぜか現象が起こらないという、超常現象最大の特徴の側面と考えることができるのだ。

 とらえにくさの重要な側面は、もうひとつある。それは、超常現象や、それを研究する超心理学に対する、一般の科学者の批判だ。サイ現象が存在するかどうかは別にしても、肉眼で見えない世界を探る天体物理学や原子物理学が正当なのと同じく、サイ現象の研究も正当なのだ。ところが、超心理学の批判者は、非常に変わった論理を使って超心理学の批判をする。

 ひとつは、超常現象などインチキに決まっているという批判だ。確かに、多くの超能力者は時々インチキをするけれども、だからといって全部インチキとして否定することはできない。ある科学者は、「もともと物質的な力以外のものでスプーンを曲げたり折ったりすることなんかできっこない」と述べている。科学とは、最初からこのように結論を出してしまうものではなく、科学的方法(つまり、観察と実験)を使って厳密に研究した結果、初めて結論が出せるものなのだ。

 また、超心理学などは科学ではない、という批判もある。しかし、科学は、研究する対象によって決まるものではなく、科学的方法を使って研究しているかどうかによって決まると考えるべきだ。そうしなければ、新しい分野の研究が最初から否定されてしまうからだ。したがって、科学的方法を使っている超心理学は、科学の一分野と言える。

 もうひとつは、完全な超心理学実験などないではないか、という批判だ。他の、たとえば物理学や化学などと比べると、だれが行なっても同じ結果が得られるかどうかで見る限り、超心理学の実験は確かに再現性が低い。つまり、物理学や化学の実験と違って、超心理学の実験では、別の実験者が別の被験者を使って同様の実験を行なった時はもちろん、同じ実験者が同じ被験者を使って同じような実験を行なっても、同じ結果が得られるとは限らないのだ。しかし、一部の実験については、かなり明確な証拠が得られているので、こうした批判は当たらない。

 このような批判のおかげもあって、超常現象の証拠が不明確になっていることを考えると、このような批判者の心の動きは、とらえにくさに関係していると考えられるのではないだろうか。

 このエッセイでは、まず、死後にも人間は魂となって生き続けるかどうかの研究(死後生存研究)について話すことから始め、後半に、急ぎ足ではあったが、ESPと念力の研究について触れ、最後に超常現象のとらえにくさの問題を考えた。

 ここでまとめてみると、超心理学が扱っている現象から、大きな問題がふたつ引き出せる。ひとつは、人間の死後生存の問題だ。もし人間が死後にも生き続けるとしたら、進化についての考え方を大幅に改める必要が出てくる。肉体と心が別々に存在することになるので、肉体の進化ばかりでなく、心の進化も平行して起こったと考えなければならなくなるからだ。また、心と肉体がどのような形で結び付いているのか、という疑問についても新たに考えなければならなくなる。今の科学知識では、脳が活動する結果、心が生まれることになっているが、その考え方がまちがっていることになるからだ。

 もうひとつの問題は、超常現象のとらえにくさだ。超常現象がこれほどまでにとらえにくいということは、だれかが、あるいは何者かが、超常現象の決定的証拠を残さないよう厳重な監視を続けていることになる。それが本当だとすると、いったいだれがそのようなことをしているのだろうか。また、何のためなのだろうか。

 そのように考えると、人間は、今の科学知識で考えられているような精密機械のような存在ではなく、もっと大きな能力を持った、非機械的な存在であることになる。しかも不思議なことに、人間は、そのようなとてつもない自分の能力を、自分自身に隠そうとしていることになるのだ。

 人間とは、生物とは、いったい何者なのだろうか。また、それを生み、育んだ宇宙とは、いったい何なのだろうか。今の科学知識では答えようのない、このような疑問こそ、21世紀の科学者が研究の対象にすべきものなのではないだろうか。君たちの中から、このような大きな問題について真剣に考える科学者が出てくることを心から願っている。

 参考図書

K・オシス他『人は死ぬ時何を見るのか』日本教文社
笠原敏雄編『霊魂離脱の科学』叢文社
笠原敏雄編『死後の生存の科学』叢文社
I・スティーヴンソン『虫の知らせの科学』叢文社
I・スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち』日本教文社
M・セイボム『「あの世」からの帰還』日本教文社
『別冊QA―チャネリング』平凡社
松谷みよ子『夢の知らせ・火の玉・ぬけ出した魂』立風書房
R・ムーディ『かいまみた死後の世界』評論社
L・E・ライン『PSI――その不思議な世界』日本教文社
K・リッチモンド他『死後生存の証拠』技術出版
〔『毎日中学生新聞』(1992年7月-1993年6月)所収の拙論を一部改変〕
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