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 前世の記憶を持つ子どもに関する研究について

 世界には、仏教やヒンドゥー教に限らず、生まれ変わりを信じている宗教や民族が少なくない。むしろ、生まれ変わり信仰を持たない民族のほうが少数派に属するという。しかし、輪廻転生と呼ばれる、人間が動物にも生まれ変わるとする信仰を持っているのは仏教徒やヒンドゥー教徒以外ほとんどなく、動物には生まれ変わらないと考えている民族の方が世界的に見ると圧倒的に多い。また、前世の行ないが来世に影響を及ぼすとする因果応報という考え方を取っている民族も他にはほとんどない。

 一方、主として生まれ変わり信仰を持つ民族の間で、前世を記憶していると思われる子どもたちが見られることが、しばらく前から知られている。そのような子どもたちは、本当に前世を記憶しているのであろうか。それとも、何か別の理由からそう見えるだけなのであろうか。もし、本当に前世を記憶しているのだとすれば、昔からの信仰が事実であるということがわかるのみならず、現在の科学知識に計り知れない影響を及ぼすことになる。

なぜ前世を記憶する子どもの研究をするのか

 現在の科学知識では、心は脳の活動の結果生ずるものであって、肉体が死ねば、それとともに心も消滅することになっている。もしそうであれば、霊魂はもとより、霊界も幽霊も前世も来世も存在するはずはない。しかし逆に、もし脳や肉体とは別に心が独立して存在することになれば、唯物論という現行の科学知識の体系が根底からまちがっていることになる。したがって、真理の探求を目指す者としては、前世の記憶を持つと思われる子どもがあれば、それが本当なのか、それとも別の、唯物論の範疇で説明できる現象なのかを明らかにする必要がある。

 今から110年ほど前、イギリスに、人間は死後にも生き残るのかどうか(死後生存問題)を明らかにしようとする科学者たちが現われた。ケンブリッジ大学の研究者を中心とするその人たちは、ロンドンに心霊研究協会(SPR)という団体を創設した。シャルル・リシェをはじめ、数名のノーベル賞受賞者も含め、この団体に属する研究者たちはこうした研究に真剣に取り組んだが、残念ながら現在に至るまで、死後生存問題に関する決定的結論は得られていない。しかし、このような研究者たちは、科学とは科学知識の集大成ではなく、科学的方法を用いながら新しい科学知識を得ることだと考えたからこそ、こうした一見非科学的な現象の研究を行なったのである。

 1960年頃、アメリカのヴァージニア大学に、前世の記憶を持つとされる子どもたちをこのような理由から真剣に研究しようとする精神科医が現われた。この大学の精神科に主任教授として着任してまもないイアン・スティーヴンソン博士であった。スティーヴンソンは、江戸時代に平田篤胤が調査し、小泉八雲が翻訳して欧米に紹介した勝五郎の事例をはじめ、当時までに知られていた信憑性のある事例をいくつかの文化圏から四十数例探し出し、徹底的に検討を加えた。その結果、こうした研究を行なう価値が十二分にあると判断してインドに調査に出かけ、短期間のうちに二十数例を発見することができたのである。

前世を記憶する子どもたちの事例

 スティーヴンソンは、現在までに、東南アジアを中心とする国々から、前世の記憶を持っていると思われる子どもたちの事例を2300例ほど集めている。インド、タイ、ビルマなど、仏教やヒンドゥー教を信仰している国が多いが、アメリカの白人の間にも決して少なくない。こうした事例には様々な特徴があるが、その説明をする前に、まず、こうした事例の典型例を2、3紹介することにしよう。

   1 コーリス・チョトキン・ジュニアの事例

 アラスカに住むトリンギットのヴィクター・ヴィンセントが、姪に向かって、自分が死んだらおまえの息子として生まれ変わるつもりだ、と語った。そのときヴィクターは、姪に小さな手術痕をふたつ見せ、これと同じ場所にあざがあるから来世ではすぐに見分けがつくはずだ、と言った。ヴィクターは1947年に死亡し、1年半後に姪は男児を出産した。そのコーリス・チョトキン・ジュニアの身体には、ヴィクターが見せてくれた手術痕と全く同じ部位に母斑があった。

 コーリスは1歳半になったとき、ヴィクターの部族名を言った。2、3歳のときには、ヴィクターの未亡人をはじめ、ヴィクターが生前知っていた人物を自分から数名見分けている。また、母親の話だと、ヴィクターの存命中に起こったふたつの出来事を言い当てたうえ、吃音があり、宗教心が篤く、左利きというヴィクターの特徴も示していた。さらには、小さい頃から発動機に関心を示し、発動機を操作、修理する技術も持っていた。これは、ヴィクターの生前持っていた技術ではあるが、コーリスの家族には無縁のものであった。

   2 マイクル・ライトの事例

 マイクルの母親キャサリン・ライトは、自分が今の夫と結婚する前に交際していた恋人の生涯を息子が記憶しているように感じたため、スティーヴンソン教授のもとへ連絡してきた。母親の恋人であったウォルター・ミラーは、1967年に18歳弱で死亡した。ある晩、ウォルターは友人とダンスパーティーに出かけ、帰途、飲酒運転で道路から飛び出し、死亡した。しばらくショックを受けていたキャサリンは、1年後に、もうひとりの恋人フレデリック・ライトと結婚した。ウォルターが事故死して1年少したったとき、ライト夫人は、ウォルターが生まれ変わってくる夢を見ている。しかし1975年にマイクルが生まれた後ですらライト夫人は、ウォルターは別人の子どもとして生まれてくるのではないかと思っていた。3歳頃マイクルは、全く知らないはずの人たちや出来事を知っているらしい兆候を見せ始めた。そしてある日、キャロル・ミラーというウォルターの妹の名前を口にして母親を驚かせたのである。さらには、ウォルターが事故死したときの模様を詳しく語るようになった。

   3 マ・ティン・アウン・ミヨの事例

 母親は、マ・ティン・アウン・ミヨを妊娠中に、上半身裸で半ズボン姿のずんぐりした日本兵が本人の後を追い回し、おまえたち夫婦のもとで暮らすつもりだと宣言する夢を見た。マ・ティン・アウン・ミヨが前世に由来するらしき行動を初めて示したのは、3、4歳の時であった。飛行機が村の上空に飛来したのを見たマ・ティン・アウン・ミヨは、「撃たれる」と言ってひどく恐がり泣き叫んだ。その後それは飛行機恐怖症に発展した。4歳頃、めそめそしていたことがあったのでその理由を尋ねたところ、本人は日本に行きたいからだと答えた。その後次第に、第二次大戦中、村に進駐していた日本兵だったときの記憶を語り始めた。マ・ティン・アウン・ミヨは、前世の自分は炊事兵であり、連合軍の飛行機が村に飛来し機銃掃射を加えたとき、鼠蹊部に被弾して死亡したと語った。そして、自分は北日本の出身で、結婚して子どもを儲けたことや、入隊するまでそこで小さな商店を経営していたような気がすること、日本軍がビルマから撤退している最中に戦死したことなどを話した。

 マ・ティン・アウン・ミヨは、一家から見ると変わった行動を示したが、日本兵の行動とは軌を一にしていた。マ・ティン・アウン・ミヨの行動で最も顕著なのは、きわめて男性的な点であった。男児の服を着用し、男児のような髪型にしたいと強く言い張った。その結果、11歳頃学校を中退せざるをえなくなった。また、本人は、姉たちに限らず、ビルマの女の子はしない、戦争ごっこや蹴球などの男児の遊びを好んで行なった。

前世の記憶を持っているとされる子どもの特徴

 以上でおわかりのように、前世を記憶している子どもには、いくつかの特徴がある。まず、前世で事故死したり戦死したりなど、非業の死を遂げている子どもが圧倒的に多いことや、男児が多いことなどがあげられる。スティーヴンソンは、こうした子どもの典型例の持っている特徴として、次の5点を挙げている。

 このような特徴を全て示す事例は稀であるが、先ほど紹介したコーリス・チョトキン・ジュニアの事例がほぼこれに近い。しかし、このようなことを文字通り受け取ってよいとすると、単に霊魂が存在するにとどまらず、生まれ変わろうとする意志を実現することも、未来の家族を自分で選ぶことも、生まれ変わりに関係する夢をその人たちに見せることも、前世の肉体にあった傷あとやあざを来世の肉体に再現することも、前世時代の知識や技能を来世に持ち越すこともできることになる。これは、現代の科学的世界観とは真っ向から対立する。そこで、きわめて厳密な検討が要求される。

こうした子どもの事例はどのように解釈できるか

 いわゆる前世の記憶は、催眠状態の中で年齢を遡行させ零歳以前に記憶を戻すと出現すると言われることがある。このような事例を厳密に検討した研究者によれば、こうした方法で得られた前世の記憶と称するものは、きわめて稀な例外を除いては、全て現世で本などを通じて得た知識を意識で忘れていて、それを催眠の中でそれと知らず蘇らせたもの(潜在記憶)にすぎないという。また、霊媒によって指摘される前世についても、複数の自称能力者に見てもらったスティーヴンソンによれば、ひとりひとりが全く違うことを言い、同じ時代について語っているはずなのに接点が全くなかったという。スティーヴンソンが偶発的に出現する子どもの事例を対象に研究を行なっているのは、こうした可能性を避けるためでもある。

 しかし、子どもの事例であっても、詐欺的行為を含め、様々な可能性を考える必要がある。まず、通常の説明としては次のようなものがある。

の2通りを考える以外ない。 遠方にいる人物に関する知識を超感覚的知覚によって得たとしても、“記憶”について説明できる以上のものではないし、それすらも、他の点について超感覚的知覚の能力を発揮している子どもがほとんどいないことから、その可能性はきわめて低いのである。したがって、この仮説も実際上は問題にならない。憑依にしても、前世の記憶を持っているらしき子どもは特に人格や意識の変化を示さずにそうした記憶らしきものを話すことから、人格変化や意識変化を必然的に伴うことの多い憑依とは違うと言える。いずれにせよ、この仮説でも、前世の人物の傷あとやあざがそのまま母斑となっているように見える現象については説明できないのである。したがって、生まれ変わりという可能性が最も当てはまる事例が、少なくとも一部残ることになる。

生まれ変わり研究に関する問題や批判について

 こうした、いわゆる偶発例の場合は、実験と違い、同じ条件で再現するわけにゆかず、しかも、主として人間の記憶に基づく証言に頼らざるをえない。この点がこの種の研究の弱点であり、批判の的になりやすい部分である。スティーヴンソンは、この点について、本人や本人から直接話を聞いた人たちに繰り返し面接し、証言の食い違いを徹底的にチェックするという方法を取っている。また、もし食い違いがあれば、それをそのまま提示し、読者に判断を求め、自らの判断は避けている。こうした態度によって、スティーヴンソンは、かえって高い信頼を得ているのである。

 もうひとつの問題は、誰が見ても完璧な事例はこれまで1例も見つかっていないことである。先ほど紹介した3例はスティーヴンソンの収集した2300例の中でも説得力のある部類に属するが、誰が見てもまちがいなく生まれ変わりの証明になるような完璧な事例にはほど遠い。では、いつの日か完璧な事例が見つかる可能性があるかと言えば、今までの様々な経過から考えて、その可能性はきわめて低いと言わざるをえない。とはいえ、少なくとも一部の事例については、生まれ変わり以外の説明が当てはまりそうにないのはまちがいない。

 また、一部の批判者は、現在貧しい家庭の子どもが、裕福だった過去世を空想して、そこに慰めを見い出しているのではないか、前世などということを特に考えずともそれで説明できるのではないか、と指摘する。確かに今なおカースト制の残るインドでは、こうした、いわば降格例と比べると、前世は貧しい家庭環境だったという、いわば昇格例の数は少ないけれども、昇格例が存在するのは事実であるし、その点については、先の批判は当らない。さらに、インドでは、現在貧しい環境に置かれている子どもが、裕福な過去世を送ったと主張し、出された食事を粗末だとして拒否し、昔は召使がやったと言って家の手伝いを拒絶しても、何の得にもならない。一目置かれるどころか、ひもじい思いをし、家族から呆れられるだけだからである。こうした批判は、インドの現状を全く知らない机上の批判者によるものであり、現実的な批判ではない、とスティーヴンソンはいう。また、インドの女性研究者であるサトワント・パスリチャの近著を見ても、そのような批判がインドの実情に即さないものであることがわかるのである。

おわりに

 前世記憶の研究は、体脱体験や臨死体験、霊姿、霊媒を介する死者との交信などと並ぶ、死後生存研究の一大分野である。もし死後生存が事実であれば、現在の科学的世界観を根底から覆すことになるからこそ、私たち超心理学者は、この問題に真剣に取り組んでいる。現段階では、死後生存を裏づける決定的証拠は得られていないし、その点は将来も同じであろうが、死後生存を示唆する証拠は、それぞれの分野に相当量蓄積されている。一方、死後生存を否定する証拠は、肉体が消滅すれば何もなくなるという常識論以外には存在しない。日本でも、この方面の研究に真剣に関心を抱き、研究を行なう科学者が輩出することを切に望むものである。

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