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『小坂英世著作集 全4巻』

 小坂英世という稀代の科学者

 現在の精神医療関係者の中で,小坂英世の名前を知る者はどれほどいるものであろうか。名前だけをかろうじて知っていたとしても,その業績についてはどうであろうか。残念ながらと言うべきか,それを知る者などほとんどいないというのが実際のところであろう。信じがたいほどの業績を,しかも複数の方面であげているにもかかわらず,そうした業績ばかりか,小坂の存在についても,既にほとんど忘れ去られてしまっている。そこには,何か大きな理由がなければならない。

 その理由として考えられることは,いくつかある。最も説得力がありそうなのは,それまでの多作を一変させた1972年から2018年に死去するまでの半世紀近くの間,1980年代半ばの2,3の漢方研究を除けば,世間や学界に向けた著作をなぜか1点も発表しなかったことであろう。とはいえ,科学史を繙くまでもなく,それだけで小坂の業績や存在が忘れ去られたと考えるのは難しい。

 もうひとつ有力な理由として考えられるのは,小坂が1970年前後に心理的原因論へと傾斜するようになってからしばらくすると,当初は盟友であった浜田晋を筆頭として,専門家たちがその理論をなぜか頑強に敬遠ないし忌避するようになったことである。このふたつが,小坂が忘れ去られた理由の大半を占めているのはまちがいない。

 言うまでもないことであるが,一世を風靡しても,その後に世間から忘れ去られる専門家は決して少なくない。精神医学の歴史を俯瞰するだけでも,1950年代半ばに薬物療法が登場するまでのさまざまな対症的治療法については言うに及ばず,ロボトミーを創始して1949年にノーベル賞を受賞したエガス・モニスや,自閉症の冷蔵庫マザー説を唱えたブルーノ・ベッテルハイム,分裂病のダブルバインド仮説を唱えたグレゴリー・ベイトソンの名がすぐに思い浮かぶ。脳内産生物質説をはじめとする生化学的,生物学的原因論を科学的根拠なく唱えた研究者たちも,その範疇に入るかもしれない。これまでの歴史が証言する冷厳たる事実と言えようが,そのような人々が生き残ることができるのは精神医学史の中だけであり,それぞれが提唱した治療法や理論は,その時代にしか,場合によっては非常に短い期間や限られた地域でしか生き残ることができないのである。

 現象面にだけ注目すれば,小坂も,既に同じ運命を辿っているように見える。しかしながら,小坂の業績は,特に自ら小坂理論と呼んでほしいと求めた精神分裂病の心理的原因論や心理療法理論は,決してそのような扱いをしてしかるべきものではない。

 そうであるとしても,小坂の場合には,現状のままでは精神医学史にその名を残すことすらできず,遠い未来において再発掘されるという形をとるしかないのかもしれない。現われては消えていったものの,歴史にはその名を留める人たちと,どこかが決定的に違うのである。では,それはどこなのであろうか。

 街角の精神科医としてすぐれた手腕を発揮していた浜田は,2010年12月に死去する少し前に,小坂の唱えた心理療法理論について,非常に興味深い発言をしている。「たしかにとてもその理論を説明するに都合のいい実例があったことは否定しない」と断言しながら,「『小坂理論』と称するものは,現在ここで論ずる価値はない。歴史に残す意味もない」として断定的に全否定するという,実に不可思議な態度をとっているのである(浜田,2010年,153,161ページ)。小坂の主張する心理療法理論が当てはまる事例が一例でもあれば,それだけで,世界の精神医学に革命的な大変動をもたらすことになるにもかかわらず,このようにアンビバレントな姿勢を示す浜田は,なぜかその認識を回避していることになる。

 さらには,「確かにその霊験あらたかな症例があったことも事実で,私達の眼前で『よくなってしまう症例』を見せられたものです」(浜田,1986年,256ページ)とまで明言し,小坂理論が奏効する場合のあることを率直に認めていた。そればかりではない。本著作集第2巻および第3巻に収録された記録から明らかなように,自らの手でも,その事実をくり返し確認していたのである。その一方で,ある程度にしても,このように自らの矛盾した態度を客観的に眺めることもできていた(浜田,2001年,165ページ)。小坂や小坂療法に対するアンビバレンツを,否定することなく半ば認めていたということである。(「編者序」より)

 この問題については、第4巻に収録される、編者による「小坂療法概説」で詳細に検討している。

 本書の位置づけ

 本著作集は,主に,小坂英世や小坂療法に関心をもつ一部の専門家に加えて,科学的発見に対する抵抗(Barber, 1961)を乗り越えているはずの未来の専門家に向けて出版されるものである。そのためもあって,基本的には入手できた著作を,一部の共著を除いてすべて収録した。例外は,第4巻に収めた未発表論文である。小坂は,“筆不精”を自認していた(小坂,1970年,72ページ)通り,自分の考えをまとめるのに非常な困難を覚えたらしく,重複の多いプリントアウトのみが残されたが,そうした重複やメモ程度のものを除くと,遺稿は数十ページほどに収めることができた。そのため第4巻では,主として未来の研究者に供するために,まとまりを欠いたまま,可能な限り整理して掲載している。

 『小坂教室テキスト・シリーズ』という,手書き謄写版印刷の小冊子は,小坂教室の出席者に向けて第11号まで発行されたが,現在では入手は事実上不可能で,編者のもとに残されたものの一部は,既に文字が読みとれないほどにインクが退色してしまっている。それに加えて,関係者たちも老齢化したり死去したりしているため,小坂の著作集を出版するには,まさに今が最後の機会であった。

 神田橋條治らは,精神分析から発展させたという “自閉療法” と生活臨床を比較する中で,未来の分裂病構造論について述べている。

 むしろ,興味あるのは,そうした根本的にことなった出発点を持つ治療法が,さまざまの点で似かよったものになっているという点である。もしこの両者を統合しうる治療理論が見いだされたならば,それはおそらく臨床の場での経験だけを使って組みたてられた分裂病治療理論になるであろう。さらには,自閉療法や生活臨床がなしえていない分裂病の精神構造論に道を開くものになるかもしれない。(神田橋,荒木,福田,1978年,87ページ)
 これは,出発点を別にすれば,奇しくも,「臨床の場での経験だけを使って組みたてられた」小坂の精神分裂病理論について語っているかのようである。小坂は,1976年の時点で,世界に先駆けて,精神分裂病と呼ばれる,難治性とされてきた精神疾患の構造を,克明に解き明かしたのである。

本著作集の構成

 最後に,本著作集の構成について簡単に説明しておく。第1巻は,初期の著作集で,博士論文となった1960年の分裂病家族研究から,主として栃木県の精神衛生相談所に勤務していた頃に看護学などの専門誌に発表した論文を収録したものである。精神病患者の疾病管理に関する一連の論文では,小坂の行政手腕の確かさを見ることもできるであろう。この時代に,小坂は,分裂病の心理的原因を探るためのさまざまな手がかりを,周辺にいた“しろうと”たちからじかに与えられたのであった。巻末には,小坂の60年来の盟友であった岡田靖雄による解題(「小坂英世さんのこと」)を収録している。

 「社会生活指導から分裂病心因論へ」と銘打った第2巻は,数多の論文に加えて,岡田との共著である『市民の精神衛生』とともに,『精神分裂病の社会生活指導』および『患者と家族のための精神分裂病理論』という2点の主著を収録している。中ほどには,東京医科歯科大学で小坂の後輩に当たり,奇しくも浜田クリニックに勤務した経験をもつ白石弘巳の批判的寄稿を,巻末には,心理療法理論を編み出す以前の小坂の批判者でもあった野田正彰による解題を収めた。

 「小坂理論の確立」と題した第3巻は,最後の著書となった『精神分裂病読本』と「小坂教室テキストシリーズ」の全号および「小坂から患者諸君に」という手書きリーフレットを収めている。この巻が,小坂理論の中核をなす著作群である。解題は編者が執筆した。

 最後の第4巻は,漢方研究の論文2編に加えて,先述のように未発表論文を未編集のまま収録した。漢方研究の論文の後に,小坂の共同研究者でもあった杵渕彰による回想録を収めている。先述のように,未発表論文は小坂の心理療法理論がいったん完成した後に,小坂が辿った思索の跡を知るための資料であり,主として未来の研究者に向けたものと考えてよい。続いて,編者による長文の「小坂療法概説」を併載し,巻末には参考資料を収録した。その内容は,小坂療法に関する略年表および著作目録と,歴史的に重要な位置づけにある「東京あけぼの会」の関係資料である。そして,小坂が40年余にわたって治療を続けてきた,最後までただひとり残った患者「まさ子」による随想を第4巻の解題とした。

著 者: 笠 原 敏 雄
出版者: 心の研究室
定 価: 第1巻 4500 円前後; 第2巻 4000 円前後
体 裁: A5版横組み,ソフトカバー
総頁数: 第1巻 582 ページ; 第2巻 490 ページ
発売予定日: 2022 年 5 月 20 日


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