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翻訳書『前世を記憶する子どもたち』

 著者の人物像

 不世出の科学者であったイアン・スティーヴンソン(1918-2007年、以下、著者)は、前世の記憶をもつ子どもたちの実地調査を、科学的な角度から世界各地で初めて組織的に行なった研究者として、わが国でも、つとにその令名を馳せているわけですが、それに対して、他の分野での功績はほとんど知られていないようです。実際には著者は、39 歳の若さで名門大学の精神科主任教授に就任したほどの大変な俊才であり、したがってそれまでの経歴も非常に華々しいものでした。のみならず、人格的にもきわめて高潔な人物だったのです(著者の人となりについては、1985 年から 86 年にかけて著者のもとに留学した経験をもつ眼科医、東長人の回想録も参照されたい)。

 著者は、「理論の奴隷」(今西、1973年、353ページ)になることを極度に嫌い、さまざまな圧力に屈することなく、常に先端的な研究を、アカデミズムの代表たる大学の中でたゆみなく続けてきました。その結果として、人間の本質を解明するうえで最重要とも言うべき研究分野を独力で切り拓くことができたばかりか、著者亡き後も大学の中で従前どおり研究を続けることが可能な体制を整えることができたわけです。それは、ひとえに科学的研究と生きかたとが不即不離の関係にあったためなのでしょう。

『前世を記憶する子どもたち』文庫版

 時代を画する仕事をしたにもかかわらず、生前に正当な評価を受けることのなかった人たちは、その生涯がひとつの絵巻物のようになっているものです。そのため、私たちは、それらの人々が紡ぎ出した作品ばかりでなく、その作者自身にも強く引きつけられることになるわけです。日記が読まれ多くの伝記が書かれるのも、そのひとつの現われなのでしょう。二十世紀のガリレオと呼ばれる(Lief, 1977, p. 171)著者も、その点では同じ位置づけにあるように思います。

 1918年10月31日にカナダのモントリオールで生まれた著者は、幼時から気管支炎をくり返していたため、病臥を余儀なくされる時間が長かったこともあって、母親の書棚に並んでいたさまざまな領域の本を、関心に任せて読破したそうです。就学前に、ふたりの息子にモンテッソーリやドルトン方式(個別学習を中心とした教育法)の教育を施していたという教育熱心な母親の蔵書の中には、超常的現象や神智学や東洋の宗教の本がたくさんありました。著者の超常現象研究は、ここに胚胎していたのです。

 「異常に記憶力のよかった」(Stevenson, 2006, p. 13)著者は、必然的に成績がたいへんに優秀だったため、16 歳で高校を卒業すると、奨学金を得てスコットランドの大学に入学し、そこで2年を過ごします。そして、それまで魅了され続けていた歴史を正規に学んだのです。帰国後も歴史の勉学を続けたそうですが、20 歳の時に進路を変え、地元のマギル大学で医学を修めます。歴史の研究は、自分の進むべき道ではないことがはっきりしたためでした。その点では、尊敬する父親(オクスフォード大学出身のタイムズ紙のオタワ主席特派員)の仕事であるジャーナリストも同じでした。父親の書いたものは、否定的で酷評的なものが多く、歴史の研究もそうですが、人間の幸福にはあまりつながらないように思えたからです。

 しかしながら、歴史に対する関心はその後も消え去ったわけではありませんでした。そしてそれが、医学的研究や超常現象研究に、さらには本書で扱われる生まれ変わり型事例(「憑依型事例」に対する用語)の調査研究に直接、間接に生かされることになります。本書の随所で見ることができる正確な知識は、付け焼刃のようなものではないのです。歴史の勉強からは、物質的なものの “はかなさ” と、その対極にある人間の向上心の永続性(2歳年長である実兄の表現を借りると「果てしなき苦悩」〔White, 2008, p. 16〕)とを学んでいました。事物の本質にまつわるほとんどの着想は、理論と呼ばれる段階になっていても露と消えるという現実を思い知らされたことから、当代の医学的常識に挑戦し続ける決意を固めたわけです。

 現行の科学知識体系は、おおいに疑問を差し挟む余地のあるものであって、多くの科学者たちは、科学という方法論と、それによって導き出される、絶えず塗り替えられるべき宿命にある科学知識とを、そうでなければ科学の進歩などありえないはずなのに、なぜか混同しているのです(Stevenson, 1989, p. 1)。

 超常現象研究へ―唯物論への挑戦が始まる

ian stevenson  著者は、通常科学の枠内での多大な業績が評価されて、1957 年に、39 歳の若さで名門ヴァージニア大学の第2代精神科主任教授に就任するわけですが、超常現象に対する関心は、それと相前後して再び高まっていました。そのため、精神科教授にまで昇格していたルイジアナ州立大学の時代から、超常現象関係の資料に幅広く眼を通すようになっていました。そして、医学教育を受けたおかげで身につけることのできた科学的方法を使って、それまで本で読んできた事例の裏づけを得ることを考えるようになるのです。そのため、心霊研究協会(SPR)の創設者であり、敬服しているフレデリック・マイヤーズエドマンド・ガーニーの著作を中心に、心霊研究関係の文献をそれまでよりも組織的に読み進めるようになりました。

 最初は超常現象関係の本の書評を書いていたのですが、書くことによって理解が深まることを知ったため、1949 年から医学関係の評論を寄稿していた『ハーパーズ・マガジン』という老舗の一般向け月刊誌に、「超感覚的知覚にまつわる心地よからぬ諸事実」という論考を発表します。1959 年7月のことでした。その論考が、デューク大学で超常現象(ESPおよび念力)の統計的な実験的研究を行なっていたジョゼフ・B・ラインの目にとまり、その縁で著者は、まもなくラインの研究所を訪れます。ライン夫妻らと超常現象に関する雑談をしていると、寄せられた私信をもとに偶発的超常体験の事例の統計的研究をしていた妻のルイーザが、著者を別室に呼びます。好意からなのでしょうが、個々の事例は科学的には全く無意味なものであることを教え諭そうとしたのでした。しかし、時は既に遅しで、著者は、ひとつひとつの事例の信憑性を、体験者やその周辺にいる証人たちに丹念に確認し、それを公平な立場から記述するという古典的方法の重要性を、SPRの創設者たちから十二分に学んだ後だったのです(Stevenson, 2006, p. 14)。この時点で、双方の旗幟の違いがより鮮明になったと言えるでしょう。

 その後、著者は、実際に偶発例の研究を幅広く行なうようになります。さまざまな文献や資料から渉猟した、タイタニック号沈没にまつわる予知体験(Stevenson, 1960c, 1965)を収集して発表したり、超常現象関係の文献に通じている編集者の協力を得て、英米の心霊研究協会の刊行物から集めた古典的事例とともに、自ら調査した、“虫の知らせ” に代表される 35 例のテレパシー的印象体験を詳細に調査したうえで、1970 年に Telepathic Impressions: A Review and Report of Thirty-Five New Cases という著書(邦訳、『虫の知らせの科学』1981 年、叢文社)として発表するのです。

 生まれ変わり型事例の調査研究の始まり

ian stevenson  著者がヴァージニア大学に着任した翌年の 1958 年に、アメリカ心霊研究協会が、創設者のひとりであるウィリアム・ジェームズを記念して、「超常的心理現象および、そうした現象と人間の肉体の死後生存問題との関係」についての論文を募集します。著者は、ヴァージニア大学精神科主任教授の選考面接の際に、超常現象に関心をもっていることに加えて、「生まれ変わりという考えかたに引かれていて、これまで読んできた中でも、前世を記憶しているという人たちの報告にぶつかっています」と率直に語ったそうです(Tucker, 2008, p. 36)が、その言葉に違わず、このコンテストに応募して首尾よく優勝するのです。もちまえの読書癖から集まった四四例(多い順に、インド、ビルマ、イタリア、アメリカ、英国、ベルギー、ギリシャ、キューバ、モーリシャス、フランス、シリア、カナダ、日本)の古典的事例を分析したものでした。その中で、7例の実例を簡単に紹介していますが、その第一例は、幕末に平田篤胤が調査し、ラフカディオ・ハーンが英文で紹介した勝五郎の事例(小泉、1986 年)でした(Stevenson, 1960a. p. 65)。本書についても同じことが言えますが、二部に分かれたこの論考(Stevenson, 1960a.b)は、目を通すと著者の博覧強記ぶりを思い知らされて、優勝しなければかえってふしぎな感じがするほどのものです。

 この論考を書いた時点では、そうした事例を自分で調査することまでは考えていませんでした。本業が忙しすぎて、時間がとれなかったからです。そこに恩人となるふたりの人物が登場します。ひとりは、ニューヨークに超心理学財団を設立していた、精神霊媒(死後の存在と交信するとされる霊媒)としても著名なアイリーン・ギャレットであり、もうひとりは、乾式複写(ゼロックス)の発明者である物理学者、チェスター・カールソンでした。ふたりとも、この論考に注目していたのです。

 インドに新しい事例があるという知らせを受けていたギャレットは、1957 年頃に著者から生まれ変わりに関心のあることを聞いていたためもあって、その調査行の費用の負担を申し出ました。もう一方のカールソンは、その調査研究のために高額の寄付をしようとしたそうですが、著者はそれを謝絶し、テープレコーダの購入費だけを負担してもらいました。この調査を単発的なものとしか考えていなかったためですが、夏休みを使っていざ現地に行ってみると、4週間ほど滞在したインドでは 20 例前後が、1週間ほど滞在したセイロンでも5例が見つかったのでした。さらには、文献的研究からは知りえなかったこともわかりました。子どもたちは、前世の記憶をもっているだけではなかったのです。ひとつは、その家族の中では変わっているとしても、その記憶とは符合する行動を示していたことでした。そのような事情から、調査行を重ねる必要が出てきたのです(Stevenson, 2006, pp. 16-17)。本書でも繰り返しふれられているように、後にこの研究が、2巻の大著(2268 ページ)として結実するのです。また、著者は、前世の記憶をもつ双生児の事例も、前世で双方が親密な関係にあったことが判明したことから特段に重視しています(Stevenson, 1997. vol. 2 , pp. 1931-2062; 1999, pp. 1359-60)。双生児に着目したのは、著者の8歳下の弟妹が双生児であることとも無関係ではないのかもしれません。


スティーヴンソン著『前世を記憶する子どもたち
図3 『前世を記憶する子どもたち』

スティーヴンソン著『前世を記憶する子どもたち 2 ヨーロッパの事例から』
図4 『前世を記憶する子どもたち 2』

『前世の言葉を話す人々』
図5 『前世の言葉を話す人々』


スティーヴンソン著『生まれ変わりの刻印』
図6 『生まれ変わりの刻印』

スティーヴンソン著『虫の知らせの科学』
図7 『虫の知らせの科学』

笠原敏雄編著『死後の生存の科学』
図8 笠原敏雄編著『死後の生存の科学』。収録論文のほとんどが著者のもの。

 カールソンは、2番目の妻のドリスがESP能力をもっていたことから、超常現象の研究を支援することを真剣に考えるようになっていました。そのため、その後の調査研究が可能になるようにとり計らってくれたのですが、他の支援者と違って、匿名にすることを求めたうえ、著者の研究を詳細に知ろうとしたのです。そして、著者の聞きとり調査を見学したいと言って、アラスカのトリンギット民族の調査に同行し、自ら対象者に向って時おり控え目な質問までしたそうです(ibid., p. 16)。

 著者の研究に対する評価

 著者は、超常現象関係の論文をその方面の専門誌に発表することはもちろんできていましたが、医学や心理学などの正統的専門誌からは掲載を拒絶されていました。最初に突破口を開いてくれたのは、ヴァージニア大学出版局の創設者であるウォーカー・コーウェンでした。1970 年6月に著者が先述の Telepathic Impressions という長文(198 ページ)の論文を『アメリカ心霊研究協会紀要』に発表すると、著者の本は「未来のため」のものだと考えるコーウェンは、それを書籍として同時に出版してくれたのです(その邦訳が、先述の『虫の知らせの科学』です)。以後、コーウェンが死去する 1987 年まで、著者は同出版局から著書を出すことができました(Stevenson, 2006, pp. 18-19)。それは、『前世を記憶する20人の子供』(“邦訳”は、問題があったため、著者の指示により絶版)、生まれ変わり型事例を扱った4点の事例集、真性異言の事例を扱った2点、そして、著者が初めて一般読者に向けて書いた本書です。

 そのうち 1974 年に出版された『20人の子供』は、肯定的な書評が主流専門誌を含めていくつか出たのですが、一般の科学者からはほとんど無視されました。ところが、1975 年に出版された事例集の第1巻(インドの 10 例)に対して、アメリカ医学協会誌(JAMA)の元編集主幹が書いた好意的短評(King, 1975, p. 978)がまもなく同誌に掲載されると、それに感銘を受けた、老舗の精神医学・神経学専門誌である Journal of Nervous and Mental Disease の編集長、ユージン・ブローディ(メリーランド大学精神科主任教授)が、生まれ変わりに関する著者の理論的論文(The explanatory value of the idea of reincarnation)を同誌に掲載してくれました(Tucker, 2008, p. 38)。すると、その別刷りを求める手紙が、千人を超える世界中の科学者から著者のもとに届いたのです(Stevenson, 1989, p. 17)。

 ブローディは、その年の同誌 11 月号(第 165 巻3号)を Ian Stevenson on Reincarnation と銘打ち、著者の生まれ変わり研究の特集号として発行し、巻頭に自らの見解を明記しました。執筆者が科学的にも個人的にも信頼に足る人物であり、正当な研究法をとっていて合理的な思考をしている限りにおいて、「人間の行動に関する知識の増進をめざす雑誌が、このようなテーマの論文を自動的に不採用にすべきではないし、そうしてはならない責務がある」(Brody, 1977, p. 151)というのです。これこそが、科学の国に住む科学者のあるべき態度です。著者がそれまで通常科学の領域で培ってきた信頼が、ここで大きな役割を果たしたのでした。

 同誌はその後も、著者のものを含めた超常現象関係の論文を何編か掲載していますし、2010 年に死去したブローディの跡を継いだジョン・タルボット(メリーランド大学精神科教授、元アメリカ精神医学協会会長)も、生まれ変わりを含む超常現象研究の論文を何編か掲載しています。著者や共同研究者による超常現象関係の論文が掲載された医学雑誌や心理学雑誌は、他にも、American Journal of Psychiatry, Archives of General Psychiatry, British Journal of Psychiatry, JAMA, Lancet, Medical Hypotheses, Psychiatric Annals, Psychological Reports などいくつかもあるのです。また、行動療法の創始者である英国の著名な心理学者、ハンス・アイゼンクも、著者の生まれ変わり研究について、「真の意味できわめて重要なことがわれわれの前に明らかにされつつあるという見解からむりやり目を逸らせることは,誠実であろうとする限りできない」(Eysenck & Sargent, 1993, p. 173)と述べています。では、こうした研究が正統派科学者から受け入れられる日が近づいたのかというと、19 世紀後半に死後生存研究が始まって以後の 140 年ほどの経過を俯瞰する限り、そのようなことはほとんど考えられません。関心が個人のレベルで止まってしまい、広がらないからです。 ian stevenson

 とはいえ、著者は私たちにたくさんのものを遺してくれました。ふつうの意味で最も大きいのは、言うまでもなく、人間の心ないし魂の実在を裏づける大量の著作と、信頼に足る膨大なデータです。私たちは、それをもとに人間の最も重要な問題について自分なりの判断ができるわけです。ところが、著者の後継者である児童精神科医、ジム・タッカーによれば、著者の関心はそこにはなかったようなのです。著者は、ある時、冗談半分に語っていたそうです。生まれ変わりの可能性を主流科学が真剣に考えるようになることが今生の目標なんだが、それが達成されなければ、自分の人生は失敗だったことになるね(ibid., p. 41)と。

 いつかはそうなるはずですが、著者が生きている間にはそのようなことはもちろん起こりませんでした。それどころか、私たちが生きている間にも、おそらくそのようなことにはならないでしょう。ここには大きな抵抗が絡んでいるからです。そうであるとしても、著者が遺してくれたのは、かけ値のない膨大なデータばかりではありません。生きざまがひとつの作品のようになる人物が現実に存在するという確たる証拠も、同時に遺してくれたのです。(『前世を記憶する子どもたち』文庫版解説を改変)

参考文献(本文でリンクしておいたものは除く)

 以下に目次を掲げておきます。なお、本来は本書に収録すべきであった「当事者名索引」が、紙数の関係で入らなかったため、ここに収録しておきます(目次の一番下にリンクがあります)。

目 次

はじめに
日本版序文
まえがき
第1章 序 論
第2章 生まれ変わり信仰
第3章 生まれ変わりを裏づける証拠の種々相
第4章 前世を記憶する子どもたちの一二の典型例
第5章 生まれ変わり型事例の典型例の特徴
第6章 研究の方法
第7章 事例の分析と解釈
第8章 さまざまな文化圏に見られる変異
第9章 生まれ変わりという考え方によってどのような現象が説明できるか
第10章 前世を記憶する子どもにまつわるその他の問題
第11章 生まれ変わりに関係する可能性のあるプロセスの考察
付 録
原 註
参考文献
解 説
索 引
当事者名索引

著 者: Ian Stevenson, M.D.
翻訳者: 笠 原 敏 雄
出版社: KADOKAWA
定 価: 1,624円
体 裁: 文庫版,ソフトカバー
総頁数: 608 ページ
発売日: 2021 年8月 24 日


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