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 催眠状態の中で起こる不思議な現象

これまで知られている現象

 18世紀半ばに、ウィーンの医師アントン・メスマーが“動物磁気”を発見したことが、後の催眠研究の嚆矢となった事実は、一般にもよく知られている。もちろん、その後、動物磁気なる流体は発見されず、被験者というか患者は、施術者の“暗示”に反応しているという事実が明らかになったわけである。そして、その暗示によって、実に不思議な現象の起こることがわかってきたのであった。

 イギリスの心理学者アラン・ゴールドは、大著『催眠の歴史 A History of Hypnotism』の中で、これまで報告された、催眠によって得られた器質性疾患の治癒についてまとめている(同書、pp. 486-487)。それによると、癌、多発性硬化症、脳卒中後の麻痺、皮質切除後の後遺症、癲癇などが、催眠を用いた治療に成功しているという。その中で紹介されている実例を2、3あげると、H・シュタッデルマンが1896年に報告したところによれば、53歳になる乳癌の女性に催眠療法を行なったところ、腫瘍が著明に退縮を起こしたという。ところが、催眠療法を中止すると、2ヵ月後に再発し、望ましい条件で催眠療法が継続できる状況になかったため、この女性はまもなく死亡したという。また、J・フォンタンらによる1887年の報告によれば、多発性硬化症という確定診断が下された患者に催眠療法を行なったところ、症状が大幅に軽減されたという。その後、この患者は肺結核で死亡している[註1]

 また、催眠によるイボの治療については昔から広く知られており、1993年にアメリカ心理学協会から出版された『臨床催眠学ハンドブック Handbook of Clinical Hypnosis』という教科書的な大著の中にも、「イボの心理的治療」という章が設けられている。イボは、ウイルス性の皮膚疾患とされているにもかかわらず、催眠を用いて行なわれた研究が数多く発表され、治癒率はかなり高いものが多いけれども、イボの消失を的確に説明する仮説は、これまでのところでは提出されていない。

 ブライアン・イングリスは、催眠中に発生する変わった現象を、超常的なものも含め、詳細に調べあげ、『トランス』(春秋社)という自著の中でまとめている。こうした現象は、数多の著書や専門誌の中に埋もれて見えにくくなっているが、この著書は、それらをまとめて整理しているという点で、きわめて貴重なものと言える。とはいえ、逆に見れば、これまでの研究者が、こうした重要な現象を真正面から取りあげるのを避けてきたということなのであろう。その中で扱われている現象としては、たいていの催眠関係の書籍などにも紹介されている知覚麻痺および痛覚消失、知覚の捏造ないし幻覚の誘発、感覚の鋭敏化、極度の集中力などの他に、正確な時間知覚、心身症的な身体的変化、火傷をはじめとする皮膚の変性の発生および消失、潜在的能力の発揮、電光石火の計算能力などがある。次に、この著書から、代表的な実例を紹介する。

 ヒステリーの場合であれ、催眠の場合であれ、トランス状態では痛みに対して無感覚になることも、しばしば確認された。デルブーフは、痛みを超越する精神力に関する知識を一歩進め、後に言うところの“管理”実験を行なった。催眠をかけた女性被験者に、左腕だけが痛いという暗示を与えながら、真っ赤に焼けた鉄鏝を両腕に当てた。まさしく被験者は、左腕の痛みを訴えた。そこでデルブーフは、被験者の両腕に包帯を巻いた。翌日、包帯をはずしてみたところ、左腕に水泡ができていた。右腕には、鏝の輪郭は認められたものの、水泡はなかった。暗示は痛みを軽減させたのみならず、ふつうなら火傷に伴って発生したはずの症状の発現を抑制したのであった。

 さらに驚くべきことに、催眠状態の中で与える暗示によって、火傷その他の外傷を被験者に発生させることができるという事実が発見された。……ジャネは患者のひとりに催眠をかけることによって、どう見ても本物の火傷としか思えないものを生じさせることができた。その火傷は水泡を伴い、最終的には痂皮まで形成されたのである。そのような形で発生する斑点ないし変性は、患者の思い込みを反映していることもあった。ある女性患者に、胃の上に芥子湿布を当てたという暗示をかけたところ、丸みを帯びた長方形の赤みがそこに発生したのを見て、ジャネは驚いた。すると、患者は、その形も大きさも、自分がいつも使っている芥子湿布と同じだと言ったのである(イングリス、1994年、100-101ページ)。

 イリノイ大学心理学科のゴードン・L・ポールは、このふたり──リエージュ大学の哲学者ジョゼフ・デルブーフとフランスの精神科医ピエール・ジャネ──の研究までは包含していないけれども、1886年から1957年までに報告された、催眠暗示による“火傷”誘発実験を厳密に検討している(Paul, 1963)。それによると、大半の実験では、管理が不十分で実験計画に不備があり、したがって他の解釈が入り込む余地があるなどの問題が見られたという。たとえば、暗示をかけるとすぐに“火傷”が発生するわけではなく、ある程度の時間がかかるため、その間に被験者を厳密な管理下に置いていない研究では、“火傷”が別の要因によって発生した可能性が考えられるのである。しかしながら暗示以外の要因がほぼ完全に棄却される実験も3件あることが明らかになった。

さらに驚異的な現象

 ロンドンにあるクイーン・ビクトリア病院の麻酔医であるアルバート・A・メイソンは、イボ(疣贅)を催眠暗示によって除去する経験を積み自信を深めていた1951年に、15歳の少年の麻酔を外科医から依頼された。少年の両腕は、数千にも昇る黒く固いイボ状のもので覆われていた。あらゆる治療が失敗に終わっていたため、その外科医は胸部の皮膚を両腕に移植することを考えていたのであった。その皮膚病を重症のイボと勘違いしたメイソンは、試しに催眠療法で治療させてほしいと申し出た。「当時の私は、無知であったためと自らの技量を見せびらかしたいという願望があったため、尋常性疣贅──ウイルス性腫瘍──と、実際にはまったく別種の疾患とを区別することができなかった」(Mason, 1994, p. 645)。そして、皮膚移植を事実上断念した外科医から、自由に治療してよいという許可を得たメイソンは、少年を催眠誘導し、「右腕のイボは小さくなって死に、下からきれいな皮膚が出てきます」という暗示を与えた。すると1週間後には、右腕が8割方きれいになっていたのである。それを見たメイソンは、喜んだものの、さほど驚きはしなかった。ところが、それを見た外科医は仰天した。その皮膚病は、それまでいかなる治療によっても好転した症例のない先天性の魚鱗癬様紅皮症だったからである。その後、6週間にわたり残りの部位の皮膚病を催眠療法で治療した結果、7割方の症状が消えた(Mason, 1952, 53

 3年後に追跡調査を行なったところ、7割ほどの好転が維持されていることがわかった。メイソンは、症状をさらに改善させるべく、もう一度催眠療法を施行しようと試みたが、患者自身の抵抗によりトランス状態に導入することはできなかった(Mason, 1955)。また、その後も、同じ疾患を持つ別の患者を催眠療法によって治療しようとしたが、“治療不能”であることを既に知ってしまったためか、治療には一件も成功しなかったのである(Mason, 1994, pp. 645-46)。

 催眠状態の中では、このようにきわめて不思議な現象が発生する。また、稀には、解除反応に伴って、いわゆる心身症的レベルを越えた身体的変化が見られることもある。たとえば、ロンドンの医師ロバート・L・ムーディによれば、10年ほど前に起こった出来事を想起した時、ある患者の右前腕部にロープできつく縛られていたかのように見える痕がいく筋か出現したという(Moody, 1946, p. 934)し、別の患者が20年ほど前に起こった出来事を想起している最中に、その患者の皮膚が腫れ上がって打撲傷のようなものが出現し、出血が見られるという変化が、少なくとも30回は起こったという(Moody, 1948, p. 964)。また、ヴァージニア大学精神科のイアン・スティーヴンソンによれば、前世でコブラに噛まれて死亡したと主張するインド女性が、その前世を想起した時に、実際にコブラに噛まれた時のように、その女性の舌と口内がどす黒く変色する現象が何度か観察されたとする証言が得られているという(スティーヴンソン、1995年、162ページ)。このような、特に局所的に発生する現象については、従来の立場ではどのように説明されているのであろうか。

従来の説明で“説明”できるか

 アメリカの心理学者T・X・バーバーは、1955年から58年までの間に、深いトランス状態にある30名の被験者に暗示をかけ、皮膚に水泡を生じさせる実験を試みたが、わずかな皮膚科学的変化すら観察されなかった(バーバー、1975年、121ページ)としながらも、これまでの報告から、「催眠誘導手続きとともに与えられる暗示もそしてまた催眠誘導手続きなしに与えられる暗示も、皮膚描記群の被験者の一部に発疹あるいは水泡様構造を引き起こすであろうこと」(同書、123ページ)を認めている。しかしながら、そうした現象の起こる機序については、その体験を想起すると局所的な発疹を発生させる者の中に、「適当な暗示が与えられるとき、発疹あるいは水泡様効果をあらわす」者が存在する可能性を指摘したうえで、「蕁麻疹の丸い発疹、皮膚描記の直線状の発疹、および火傷から生ずる水泡は、ヒスタミン様物質の遊離、毛細管の局所的な拡張と増大する浸透性、ならびに広範囲に亘る小動脈の拡張とからなる、傷害に対する皮膚の……反応のバリエーションと見なすことができる」(同書、p. 122)と述べるに留まり、それ以上のメカニズムには一切触れていない。この点については、催眠により皮膚に炎症を起こす実験に成功した後に書かれた論文(Barber, 1978)でも、基本的な進展は見られない。

 しかしながら、たとえばヒステリー性の麻痺などが、神経の分布によっては説明できないことを認めるのであれば、先述のように、昔の体験を想起する時に生ずる皮膚の局所的変化や暗示による水泡の発生が、これまでの生理学的知識では説明できないことも認めるべきなのではなかろうか。ところが、この点について率直に述べている研究者はほとんどいないようなのである。

暗示と念力の境界線

 ハイデルベルク大学生理学研究所のH・シェファーは、心身問題を研究する手段として心身症を検討する中で、広義の偽薬を用いた実験のうち、最も奇妙なのは、真っ赤に焼けた鉄鏝が押し当てられたとか、水泡のできる湿布が貼付されたという暗示を与えた時に、強い発赤や、場合によっては水泡を伴った火傷が発生するという現象だと述べ、そうした現象を発生せしめる生理学的機序を明らかにする必要があるとしている(Schaefer, 1965, pp. 530-33)が、全身性に発生する心身症症状とは異なり、精神身体的なメカニズムで発生する火傷や湿疹その他の局所的現象を説明することは、不可能ではないにしてもきわめて困難であり、これまでのところではその生理学的基盤は見つかっていないことを認めている(ibid, p. 533)。

 また、ウォータールー大学心理学科のケネス・S・ボワーズも、この種の現象を検討し、「こうした暗示は、それが及ぼす影響という点で、高度に選択的であり、局所的であるため、自立神経系の覚醒による全身的変化に起因するとして説明するのは難しい」と述べている。そして、魚鱗癬などの先天性皮膚疾患の催眠による治療を検討する中で、多少なりとも予測通りに、こうした抗療性皮膚疾患が催眠によって段階的に好転するという事実があることから、「身体的ストレスが全般的に減少した……として説明することはできない」(Bowers, 1977, pp. 228-29)としているのである。

 このように、先天性魚鱗癬がストレスの減少はもとより、通常の“暗示”によっても治療できないことは、先に紹介したアルバート・A・メイソンの証言からも明らかであろう。したがって、現段階では、心因性の局所的反応は、これまでの生理学的知識では説明できないと考えてよいのではなかろうか。

 さらに一歩進んで、オクスフォードの開業医C・A・S・ウィンクは、やはり先天性の魚鱗癬様紅皮症を“催眠”により治療した2例を報告する中で、「心理的作用が局所的組織の代謝に直接的に影響を及ぼした」可能性を示唆している(Wink, 1961, p. 742)。そうすると、このようなものを念力による現象と区別することは困難になってくる。念力との相違点は、“暗示”としてターゲットを指示したか否かという形式的な点にしかないことになるからである。

 この種の現象自体は昔から知られてきたにもかかわらず、「それは暗示の結果にすぎない」などとして説明されてきたけれども、以上の検討からもわかるように、暗示の本質についてはまだ何もわかっていない。にもかかわらず、そこから先については、暗黙の了解のもとに、誰も踏み込まないようにしてきたのである。こうした現象を客観的に考えれば、人間は、自他の肉体をある程度にせよ自在に操れることになるわけであるが、誰もそのようには考えたがらない。これはいったいなぜなのであろうか。ここには、人間の心の謎を解く重要な鍵が隠されているのではなかろうか。このような現象を通じて、心身症のみならず、さまざまな疾患の症状発現の原因を説明してくれる要因に迫ることができるかもしれない。

念力としての暗示

 このように、厳密には両者を区別することができない場合があることからすると、催眠状態の中で起こる少なくとも一部の現象は念力によるものである、という仮説が必然的に浮かび上がる。イギリスに心霊研究協会が創設された19世紀末頃には、超常現象とともに催眠現象が研究対象に含まれていた。ところが、いつしか催眠は、心霊研究や超心理学の研究対象から外され、医学や心理学の範疇に含まれるようになった。そして、それ以降は、不思議なことに、そのような着想を明言する研究者が、ごく一部の例外を除いてほとんど存在しなくなってしまったのである。そうした例外のひとりは、エジンバラ大学の心理学者ジョン・ベロフであろう。1964年に出版された自著の中でベロフは、次のように述べているからである。

   あえて私見を言えば、催眠は、単なる心理現象ではなく、ある種の超常的要素をも含んでいるのではなかろうか。このような発言をすれば、特に、悲惨でありいかがわしくもあった初期の催眠時代に照らして考えれば、多くの者から、話にもならない時代への逆行と見なされることはまちがいないであろう。それでも私は、これにまつわる全ての事実群を、生理学用語や“被暗示性”ないしは“選択的注意”といった正統的な心理学的概念で完全に説明できる可能性を疑っている。……催眠は、実際に、われわれが自らの生体に超常的に影響を及ぼしている数少ない事象であることがわかるかもしれないのである(Beloff, 1964, p. 236)。

 もうひとりの例外は、ピッツバーグ大学の生物学者ロバート・マコンネルである。マコンネルは、自著に「念力としての催眠」という章を設け、その中で、レニングラード大学の生理学教授L・L・ワシリエフが、遠方の遮蔽室に置かれた被験者を超常的に眠らせようとした“遠隔暗示”実験(Vasiliev, 1963; ワシリエフ、1982年,136-49ページ)を検討し、次のように述べている。

   ワシリエフの実験は、催眠という背景の中で行なわれ、実験者も被験者も、自分たちが催眠実験に従事しているものと考えていた。遠方から運動の暗示を与えるという実験について述べているワシリエフの著書の第4章では、被験者の行動が典型的に“催眠的”なものであることに疑いを挟むことはできない。“単なる暗示”に対する反応とは異質な、真の催眠を規定する要素は、施術者が念力を用いることではないかとする推論を否定してよい根拠は、私には見当たらない。……1960年頃から、催眠は、超能力を高める訓練のための手段および、ESPがより誘発されやすい解離状態という二通りの形で超心理学に戻ってきた。私の知る限り、催眠が念力による作用かもしれないという指摘は、信頼の置ける文献の中では一度も行なわれていない。……大半の超心理学者はこの〔念力はまずまちがいなく催眠の本質であるという〕考え方を拒絶するのではないかと推測されるし――おそらくはそうすることであろう(McConnell, 1983, pp. 161-63)。

 そしてマコンネルは、もしそれが事実なら、長年の間、念力は、催眠という名のもとに心理学者によって真剣に研究されてきたことになると指摘しているのである。ただし、ここでひとつ訂正しておかなければならないことがある。同様の着想を述べた研究者は、マコンネルの主張とは異なり、ひとりもいないわけではない。私の知る限りでも、先のベロフ以外に、イギリスの医師フレデリック・W・ノウルズが、やはり遠隔催眠について触れる中で次のように述べているからである。「私の仮説は、簡単に言えば、医師の思念が超心理的過程によって患者に影響を与えるということである」(Knowles, 1956, p. 116)。

 ところで、コロラド州デンヴァーの精神分析家ジュール・アイゼンバッドは、催眠法の前身とも言うべき動物磁気学説の提唱者であるメスマーからワシリエフに至るまで、この「ほとんど無視されてきたとも言うべき」遠隔暗示現象を歴史的に概観し、「遠隔暗示の持つ意味や重要性に対しては、私自身も奇妙な無関心を示していたという点で、他の人々と同罪であることを告白しておかなければならない」と前置きしながら、自ら行なって成功したという予備的実験を紹介している(Eisenbud, 1982, p. 148)。フランスの代表的心理学者であったピエール・ジャネの詳細な観察報告(Janet, 1968a, b)を含め、散発的にではあるが100年以上にもわたって続いてきたこのような報告を見る限り、ワシリエフの実験そのものについては、簡単に否定してよいものではなさそうに思われる。

 マコンネルは、先の論文の中で、催眠は脳に念力が作用した結果起こる現象だとする仮説を唱えているわけであるが、これまで、マコンネルの発言を真正面から取りあげている研究者はほとんどいない。唯一とも言える例外である、ヴァージニア大学人格研究室のエミリー・W・クックは、その論文の問題点を批判し、「残念ながら、マコンネルの論文は、ひとつの見解を述べた以上のものではないし、ましてや何ら理論的に重要なものでもないが、それは、そこで提出されている仮説が明白に不当なものであるということではなく、わずかにせよそれを支持する証拠を提出してその仮説を擁護することができていないからである。マコンネルは単に……奇妙な推断にのみ基づいて、『念力が催眠の本質であることはほぼ確実である』と主張している」にすぎないことを指摘している(Cook, 1984, p. 375)。

 クックの批判は正しいのであろう。とはいえ、その中でも述べられているように、催眠を全て念力による現象と考えてよい根拠がありさえすれば、催眠を念力によって起こった現象と考えて差し支えないことは言うまでもない。しかしながら、催眠現象自体が念力によって引き起こされた状態と考える必要があるようには、少なくとも現段階では思われない。本考察を続けるうえでは、これまで“単なる催眠”や“単なる暗示”として片づけられてきた中に、念力によって起こった現象が、一部にせよ含まれているのではないかと考えさえすれば十分なのである。そして、その根拠としては、先述のように、火傷類似の変性が“暗示”によって発生するという事実や、ウイルス性疾患であるはずの疣贅(たとえば、成瀬、1960年、173ページ; バーバー、1975年、118-20ページ; Dubreuil & Spanos, 1993; Ullman et al, 1960)や先天性魚鱗癬(Kidd, 1966; Mason, 1952, 53; Wink, 1961)が“暗示”によって治療できるという事実がある[註2]

 これまでは、こうした症状が“暗示”によって発生ないし消失する事実があるとすれば、それは、当然とは言わないまでも、現行の生理学的、心理学的知識の枠内およびその延長線上で十分説明できると、暗黙のうちに考えられてきたように思われる。しかし、先述のように、暗示とは何かという疑問に的確に答えることができない限り、この考え方は憶説以上のものにはなりえない。逆に、催眠状態にない被験者に対して、さらには動物に対して生体PKが働くという実験報告(たとえば、クリップナー他、1986年、64-86ページ。Benor, 1993a, b, 94; Dossey, 1994; Solfvin, 1984 の総説参照)が少なからず存在するという事実からすれば、念力によって生体が目標志向的に変化したとする仮説の方が、“単なる暗示”によってそうした変化が起こったとする仮説よりも優位な立場にあるのではなかろうか。

 そのように考えると、念力という、心の力があからさまにわかるような名称の代わりに、暗示や催眠という名称を使いさえすれば、それによって起こるとされる現象自体は、抵抗なく受け入れられるし、実際にも受け入れられてきたことになる。しかし、それには条件があって、暗示や催眠の本質にまで踏み込んではならないということなのである。そして、その本質に踏み込もうとすると、超常現象に対する抵抗が遅延して発生するのではなかろうか。逆に言えば、そのためにこそ暗示や催眠が、その本質に踏み込まれることのないまま研究され続けてきたということになるのかもしれない。そう考えると、暗示や催眠は、超常現象というか、心の力に対する抵抗のひとつの緩衝材になっていることになる。

[註1]癌を催眠によって退縮させようとする試みは、これまでのところではそれほど行なわれているわけではない。どのような研究があるかをお知りになりたい方は、ヘンドリカス・J・スタムの論文(Stam, 1989)やAmerican Journal of Clinical Hypnosisの「催眠と癌」特集号(Vol. 25, Nos. 2 & 3, 1982/83)を参照されたい。

[註2]イボは自然治癒率が高い(バーバー、1975年、119ページ)ため、催眠を用いずとも消失する可能性はあるが、被暗示性の高い被験者の治癒率が高い(Bowers & Kelly, 1979, p. 497)ことや、暗示をかけた部位から段階的に好転する(たとえば、Holroyd, p. 208)ことからすると、自然治癒とは別の機序によって消失していることがわかる。

参考文献


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