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 多重人格の人格交替に伴う精神生理学的変化

多重人格とは何か

  『私という他人』(セグペンら、1973年)、『シビル』(シュライバー、1974年)、『24人のビリー・ミリガン』(キイス、1992年)、『失われた〈私〉を求めて』(プリンス、1994年)などの邦訳書を通じて日本でも知られているように、アメリカでは多重人格障害(MPD)の事例が古くから(Carlson, 1981)数多く報告されており、これまで6、7例しか報告されていない日本(一丸、1993b、56ページ)とは違って、近年、なぜかその数が増加しているようである(Goettman et al., 1994, p. xii)。そのこととも関係しているが、アメリカでは各地にMPDの支援団体があり、患者たちの手記を集めた編著(Cohen et al, 1991)も出版されているし、1791年から1992年までの200年間に発表された文献の目録(Goettmann, et al., 1994)も公刊されている。インディアナ大学精神科のフィリップ・M・クーンズらによれば、インディアナポリス周辺で13年にわたって集めた50例の多重人格障害の患者は、92パーセントまでが女性であり、離婚している(30パーセント)か結婚経験のない(36パーセント)白人がその98パーセントを占めたという(Coons et al., 1988, p. 520)。

 多重人格障害(解離型同一性障害)とは、(イ)環境や自己に対する感覚や関係のあり方、およびそれに関する考え方が比較的持続している複数の個 性ないし人格状態が存在すること、(ロ)こうした個性や人格状態のうち少なくともふたつが、本人の行動を繰り返し支配すること、(ハ)通常の忘却として説明することができないほど広範に、重要な個人的情報が想起できないこと、(ニ)この障害が何らかの物質の(アルコール酩酊中の意識喪失や混乱した行動などの)直接的影響によるものでも、一般的な(複合的な部分発作などの)医学的障害でもないこと、という4条件を満たす状態とされている(American Psychiatric Association, 1994, p. 487)。また、各人格間に「視力、耐痛性、喘息症状、アレルゲンに対する感受性、血糖のインシュリンに対する反応などの差」が見られるという報告の存在することも、そこに付記されている(同書、p. 485)。

人格変化に伴って見られる精神生理学的現象

 いずれにせよ、このように、多重人格障害を持つ患者の示す各人格の間に生理学的相違が見られるという事実は、既に今世紀初頭には知られていた(通常の状態と解離状態との間で精神生理的状態が異なるという事実であれば、既に19世紀半ばから知られていた〔Alvarado, 1989〕)。1906年に出版された著書(邦訳、『失われた〈私〉を求めて』〔プリンス、1994年〕)の中でプリンスが、「そのような〔双方の人格の間に見られる〕大きな違いは、環境への心の(あるいは脳の)反応の違いによってのみ説明できる」(同書、206ページ)と述べているからである。たとえば、ある人格が頭痛などの自覚症状を訴えても、他の人格がそれを否定したり(Putnam, et al., 1986, p. 289)、同じ薬物を用いても、それに対する感受性が人格によって異なっていたり(プリンス、1994年、287ページ; Coons, 1988, p. 51)、アルコールや食物やアレルゲンに対する反応性が人格によって違っていたり(セグペンら、1973年、137-38ページ; プリンス, 1994年、286ページ; Putnam, et al., 1986, p. 289)、利き手(Coons et al., 1988, p. 522; Putnam, et al., 1986, p. 289)や筆跡(Coons, 1980, p. 334; Coons et al., 1988, p. 522)が異なっていたり、刺激に対する順化速度(Putnam, 1991, p. 493)、認知能力(Silberman et al., 1985, p. 258)、視覚機能(Putnam, 1991, p. 491)、吃音などの言語機能(Putnam, et al., 1984, p. 173)、心拍や血圧や呼吸(Putnam et al., 1990)、皮膚電気反射(Brende, 1984, pp. 44-48)、視覚誘発電位(Putnam, 1984, pp. 35-36)、脳波像(Thigpen & Cleckley, 1954, p. 145; Larmore et al., 1977, pp. 38-39)などの生理的機能に違いが見られたりするのである。

 しかしながら、臨床的に各人格間に違いが観察されたとしても、それが別人格であることに起因するものなのか、それともそのような無意識的思い込みや感情的状態、筋肉の緊張度の違いなどに起因するものなのかを明確にするには、対照群を用いて厳密な実験をする必要がある。そしてその場合、多重人格障害(MPD)を持った患者を、別人格のふりをさせた対照群や催眠状態に導入した対照群と、生理学的測定値によって比較しなければならない。

このような変化は“暗示”で説明できるか

 そのような要請から、この方面の中心的研究者であるアメリカ精神衛生研究所のフランク・W・パトナムが、MPDのふりをする対照群と催眠状態に導入する対照群とを用いて行なった、9名のMPD患者の自律神経系の活動(皮膚抵抗、心拍、呼吸)を測定した実験によれば、8名の患者が、生理学的に明確に区別できる変容人格状態を一貫して示したという。5名の対照群でも生理学的に明確な状態は観察されたけれども、MPD患者のものとは異なっていたのであった(Putnam, 1990, pp. 254-56)。

 また、カリフォルニア州キャニオン・スプリングズ病院のスコット・D・ミラーは、9名のMPD患者とやはり九名の対照群(病院職員)を用いて、盲検法により眼科的検診を行なった。9名の対照群は、MPD患者(“シビル”)の記録映画を見せられ、それをもとに、三通りの別人格を真似るよう求められた。その結果、全体として両群間に差が見られたが、MPD患者の場合には、個々の人格の間にも、それぞれに特異的な視覚機能がいくつか観察された。たとえば、子どもの人格が出てきた時には、幼児にしばしば見られる調節性内斜視が観察されたにもかかわらず、年輩の人格が同じ患者に出現した時には、その症状が消失してしまったのである(Miller, 1989, pp. 483-84)。また、ミラーらは、この研究の追試にもある程度成功している(Miller, et al., 1991)。

 脳波についても、対照群を用いた研究が行なわれている。フィリップ・M・クーンズらが、ふたりの被験者とひとりの対照群(クーンズ自身)を用いて実験を行ない、各人格間の脳波像の違いは、「感情的状態の変化を反映」したものにすぎないという結論を導き出しているのである(Coons et al., 1982, p. 825)。しかしながら、この研究では被験者が少なすぎるので、これのみで明確な結論を出すのは早急にすぎるであろう。

 したがって、脳波を指標として用いた研究を除外したとしても、MPDのふりをさせる対照群や、催眠状態に導入する対照群を用いたこれまでの研究から、多重人格障害に見られる各人格の間には、通常の催眠によっては再現できないほどの差異が認められたと言えよう。そしてこの差異は、これまでの医学知識では説明がきわめて困難なのである。一方、1992年の論文の中で、フランク・W・パトナムは、「MPDを持つ個人が、人格状態を変化させることにより自らの生理的状態を激変させることのできる機序が解明できれば、心が健康や癒しに及ぼす力を、これまでよりも的確に探求するための糸口が得られるかもしれない」(Putnam, 1992b, p. 147)と述べている。躁病などでも、視力が向上するなどの生理的変化が見られるが、アメリカのように多重人格障害が頻発する国では、そのような症例を待つよりも、そのような患者の人格変化を待つ方が、はるかに研究は進みやすいのである。

通常の暗示による現象と、類似の現象との相違点

 ここで、通常の催眠や暗示と、それと同種の効果を生み出すさまざまな方法とは、どこがどのように違うかを簡単に検討しておきたい。イメージ療法やバイオ・フィードバック、偽薬効果、さらには多重人格障害の症例で見られる生理的変化は、通常の“被暗示性”とは無関係に起こるし、それどころか、場合によっては負の相関関係すらあるらしいことがわかっている。しかし、いずれについても、根本的には“暗示”が関係した現象と考える方が自然であろう。そして、こうした現象群を科学的、医学的知識によって説明することは、不可能とまでは言えないまでも、きわめて困難なのである。

 こうした方法や状態の中では、通常の催眠や暗示を用いた時よりもめざましい結果が観察されることが多いようである。イメージ療法による癌の退縮を見れば、催眠暗示をじかに用いた時よりもはるかに効果の大きいことがわかる。また、多重人格障害で観察される生理的変化も、催眠暗示によって再現されるものより大きいことが明らかになっているのである。偽薬効果の場合にも同じことが言える。催眠や暗示という直接的方法よりも、このようにいわば間接的な方法の方が、なぜ大きな力を持っているのであろうか。一般に、心の力が不明確になる条件の方が念力による現象は起こりやすいわけであるが、この場合にも、同じ法則が当てはまるのであろうか。

 催眠や暗示と他の現象群との共通点としては、他に、いずれも低劣なものとされているという点が挙げられる。つまり、催眠や暗示や偽薬効果は、高い能力と結び付けられて考えられるよりは、人間の原始的側面と結び付けられて軽蔑的に片づけられることが多いという印象を受けるわけであるが、多重人格も、ヒステリーとして、つまり退行的、原始的な反応の一型として、軽蔑的に見られることが多いのである。この点についても、そこに大きな心の力が働いているのを内心が知っているため、それに対する抵抗がそのような形を取って現われたと考えることができるかもしれない。

催眠や暗示に対する抵抗

 このような状況からすれば当然のことなのかもしれないが、多重人格障害という疾患の存在に対しては、きわめて強い否定論が見られる(Dell, 1988a,b)。この点については、イースタン・ヴァージニア医科大学の精神科ポール・F・デルの論文から引用しよう。

〔デルが多重人格障害を扱っている専門家に対して行なった〕調査の回答者の50パーセント以上が、自分たちや自分たちの患者が、その患者の治療環境の中で、悪意に満ちた嫌がらせや軽蔑的な嘲り、意図的な治療妨害に繰り返し遭っていることを報告している。……こうした極端な懐疑的態度は、通常、検討すべきを検討した結果でもなければ、この問題を熟知したうえでの異論でもない。それどころか、概してこの問題に関する知識があるわけでもなく、その場で即座に起こる、反応的で断固たるものなのである。たとえば、(多重人格障害や解離に関する専門文献についてほとんど知らない)医学部の学生や看護者や精神科のレジデントや精神衛生の専門家たちが、先輩格の臨床家に向かって、多重人格障害など存在しないとか、その患者は多重人格障害などではないとかと、反射的に物言いをつけるのである。また、多重人格障害に関する臨床的、学問的知識を事前に、ほとんどないしは全く持っていないにもかかわらず、こうした極度の懐疑論者たちは、概して、この問題に関する情報源(たとえば、講演、職場内での発表、最新の文献)に接するのを断固として拒絶する。……多重人格障害という考え方は、最初、ほとんどの者にある程度の不安を引き起こすのではないかと思われる。また、そうした人々は、否定的に(疑念、否認、感情的反応を通じて、ないしは誰かを犠牲にすることによって)あるいは肯定的に(熱狂的に、ないしは魅せられたようになることによって、さもなければこの問題の教化に熱中したり、この問題にどっぷりと浸かることによって)この不安に何とかして対処するのではないかと思われるのである(Dell, 1988b, p. 537)。

 多重人格障害を持つ患者の手記を集めた編書にも、「懐疑論者」という章が設けられており、その中である患者は、「治療者がこの障害に対する懐疑論に直面しているとすれば、MPDと診断されている私たちが何をされているか、ちょっと考えてみてください」と述べ、治療施設で受けてきた処遇について訴えている(Cohen et al., 1991, p. 85)。

 これらは、拙編書『サイの戦場』(平凡社)で詳述した超常現象に対する否定論と、さまざまな点できわめてよく似ている。多重人格障害について経験のない者が、その知識を身に付けようともしないまま、経験ある先輩格の専門家に対して、根拠を欠く没論理的、感情的反論を繰り返し振りかざすという点や、多重人格障害という考え方が「ほとんどの者にある程度の不安を引き起こす」という点はもとより、否定する側がそのような態度を取る一方で、肯定する側のほとんどが魅せられたようになるという点も、超常現象に対して双方の陣営が示す態度と瓜ふたつである。

 そこまで激烈な批判でなくとも、やはり問題はある。たとえば、ある精神科医は、「多重人格障害は、その概念の妥当性に疑問がある」(大野他、1993,55ページ)として、次のように述べている。

 多重人格障害概念を支持する研究者によれば、人格の変化にともなって随意的なコントロールが不可能なはずの生理学的反応まで変わってしまうと言う。例えば、老眼になっていた初老の患者の場合、「18歳」の人格になった時には老眼鏡が必要なくなった。また別の症例では、「3歳」の人格になった時に、生理学的には当然3ないし4歳頃に消失しているはずの調節性外[ママ]斜視が現れた(同書、50ページ)。

 この精神科医は、「随意的なコントロールが不可能なはずの」生理的反応が人格変化に伴って変わると主張していることからすると、パトナム(Putnam et al., 1986)やクーンズ(Coons, 1988)やミラー(Miller, 1989; Miller et al., 1991)らが多重人格障害の有力な根拠とすべく行なっている、各人格間に見られる生理的機能の違いに関する探求を疑問視しているように思われる。この精神科医は、催眠や暗示や偽薬によって引き起こされる、これまで紹介してきたようなレベルの現象についてはどう考えるのであろうか。いずれにせよ、懐疑論者のこのような態度を見ると、多重人格障害に対する抵抗の源は、やはりこの点にあるのではないかと推測したい気持ちに駆られるのである。

参考文献


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