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 自然な感情と、いわゆる“プラス思考”

 このような方法を使っていると言えば、それは、いわゆる“プラス思考”のことではないか、という疑問が返ってくるかもしれない。“プラス思考”という発想と“感情の演技”という方法では、表面的に共通しているように見える部分は一部あるにしても、基本的な概念は根本的に異なっている。そのことについて、ここで簡単に説明しておきたい。

 “プラス思考”とは、おそらく positive thinking の訳語であり、ものごとを肯定的に考えようとする姿勢を指して用いられる言葉なのであろう。癌患者のための心理療法であるサイモントン療法(サイモントンら、1982年)などでは、患者たちに、癌を死に至る病と考えるのではなく、救われる確率の高い疾患と考えることを求めている。そのうえで、癌の塊が小さくなるイメージを描かせるという“イメージ療法”を使って治療を進めることになる。ところが、それ以前に、ほとんどの癌患者は、自分の病気の状態をかなり軽く考えようとする傾向をきわめて強く持っているように思われる(この点については、拙著『懲りない・困らない症候群』を参照のこと)。つまり、このような患者たちは、一見すると、最初から“プラス思考”になってしまっているのである。わかりやすく、具体例をあげて説明しよう。

 50代の肝臓癌の男性患者は、私と初対面した時には、既に末期になっており、全身に黄疸が強く出現していた。いちおう本人に病名を聞いてみると、肝硬変とのことであった。とはいえ、続けて、「肝硬変から肝臓癌を発病する可能性は高いので、もしかすると肝臓癌になっているかもしれません」とも述べている。そして、「今はちょっと具合が悪いですが、これからだんだん持ち直してきます」と、およそ現実離れしたことを主張するので、その根拠を聞いてみると、それに対しては答えずに、「絶対まちがいありません」という。しかし、現実には、本人の予測は完全にはずれ、その2週間ほど後に死亡している。

 私の経験では、癌患者の場合には、このような態度がむしろふつうなのであって、自分の病気の状態を、知的なレベルのみならず感情的なレベルでも正確に受け入れる患者はほとんどいない。それに対して、稀にしか見られない、自分が助かることを諦めた患者の場合には、周囲の予測とは裏腹に、癌が“自然退縮”してしまうことすらある。30代後半の女性の末期患者は、生きているうちに自分の“形見”を関係者に配ってしまった。ところが、本人の予測に反して、また、胸水が多量にたまっていたこともあって、もう1ヵ月は持たないだろうという周囲の予測にも反して、その後、急速に持ち直して退院し、数年後の現在も、良好な経過を辿っているようなのである。

 自分の状態を軽くしか考えないという態度は、現実否定の上に立ったものなので、砂上の楼閣にすぎないが、“プラス思考”を喧伝する人たちは、その問題を考慮しないどころか、それに気づいてすらいないように見える。この場合、肝心なのは、もちろん現実――すなわち、自分の病気の重さ――を正しく認めることである。現実を否定している限り、プラスやマイナスの基準となるゼロ点がはっきりしないため、そもそもプラスもマイナスもないのである。

 “プラス思考”論者は、このように、現実もほとんど見ないまま、機械的、画一的に“プラス思考”の有効性を訴える。これでは、単なる机上の空論にすぎないと言われても、それに対して反論することが難しいであろう。ただし、現実否定の上に立った“プラス思考”であっても、いわゆる自己暗示の結果として症状が好転する場合も稀にあるらしいことは、ここで認めておかなければならない。

 “プラス思考”という考え方の問題点は以上の通りであるが、私の言う“感情の演技”との違いを次に説明しておきたい。感情の演技では、「病気が治ってうれしい」、「試験に合格してうれしい」、「人に評価されてうれしい」など、幸福感を作らせることが多いため、その点を見ると、“プラス思考”と同じように見えるかもしれない。とはいえ、感情の演技では、本来あるはずであるにもかかわらず、意識に昇っていない感情を作らせるのであって、ものごとをひたすら肯定的に考えさせようとするわけではない。それが証拠に、「試験に落ちてくやしい」とか、「母親が死んで悲しい」などの“マイナス”の感情を作らせることもあるし、場合によっては、「母親をうらんでいる」などという、自然ではない、不当な感情(逆うらみ)を作らせることすらあるのである。

参考文献


Copyright 2008 © by 笠原敏雄 | last modified on 3/11/11