サイトマップ 
心の研究室バナー

 心理療法研究

心理療法研究の出発点

 1952年に、イギリスの著名な心理学者ハンス・J・アイゼンクは、心理療法などほとんど受けないまま入院を続けていた神経症患者が、どの治療施設であっても70パーセント前後の治癒率で退院していることを明らかにしたうえ、それまで報告された心理療法の治癒率に関する論文(精神分析療法に関するもの5件、折衷的な療法に関するもの19件)を検討している。その結果、精神分析的な治療を受けた場合の44パーセント、折衷的な治療を受けた場合の64パーセントと比べ、単に保護的状況に置かれていた患者や一般医に治療を受けていた患者の方が治癒率がはるかに高い(72パーセント)ことがわかったと主張したのである(Eysenck, 1952, p. 322)。それに基づいてアイゼンクは、以上の数字から治療による効果の可能性が必ずしも否定されるわけではないとしながらも、「こうした数字からは心理療法によって神経症的障害からの回復が促進されるという仮説は支持されない」(同書、323ページ)と結論し、科学的立場から心理療法、特に精神分析療法の効果は擁護されえないとしたのであった(註1)。

 その後、この論文に対しては、検討の対象とされた文献の水準が低いこと、患者の診断に関する正確な情報が文献中にほとんど盛り込まれていないこと、治療の対象となった患者とならなかった患者とでは置かれていた環境が全く異なっていること、同じ診断基準を用いていない研究者が多かったこと、精神分析を受けた群と受けなかった群とでは年齢、社会的階層その他の要因が異なっていたことなど、さまざまな反論があった(アイゼンク、1988年, p. 73)。

 次いで、1965年にアイゼンクは、神経症患者と情緒障害児を対象にした心理療法の効果を検討し、要するに

 の2点を結論として述べている(Eysenck, 1965)。アイゼンクの言うように、行動療法(および、その近縁療法)を除き、心理療法の効果は本当にないのであろうか。ここでは、この問題の裏に潜む、さらに大きな問題点を浮き彫りにすることにしよう(註2)。

心理療法研究小史

 アイゼンクが検討の対象としたのは、主として神経症患者の経過であるが、そのターゲットは何よりも精神分析であった(註3)。確かに精神分析は、実証性よりも“解釈”を中心に据えた理論体系なので、精神医学に力動的潮流を定着させるうえで大きく貢献した(エレンベルガー、1980年)のは事実であるとしても、厳密な科学的批判には耐えられない(Stevenson, 1994、188ページ)かもしれない。そして、こうしたアイゼンクの挑戦的研究が引き金となって、心理療法の効果についての検討が開始された。いずれにせよアイゼンクのこうした主張から、精神分析のみならず、さまざまな心理療法の効果に関する対照群を用いた研究や、心理療法の中で起こる事柄の研究など、いくつかの潮流に分かれて研究が進展することになったのである(Malan, 1973)。

 その成果の一端として、ペンシルヴァニア大学精神科のレスター・ルボースキーは、1974年6月に開催された心理療法研究協会の会長講演で、「心理療法の比較研究」と題する論文(Luborsky et al., 1975)を発表している。この論文は、様式の異なる心理療法同士あるいは心理療法と物理的(薬物)療法の比較、心理療法のみ施行された場合と心理療法と物理的療法が併用された場合が比較されている、百件以上の研究を再検討したものである。その結果、共同研究者とともにルボースキーは、次のような結論に到達している。すなわち、

 の4点である。そして、これらが、問題の多い研究法によって誤って導き出された結果かどうかについても検討し、以上の結論を研究計画上の欠陥その他によって説明することはできないと主張したのである。

 しかしながら、(1)さまざまな形態の心理療法によって好転した患者の数が同程度であったとしても、好転の内容までが同じとは限らないこと、(2)この論文で検討した研究は、ほとんどが短期の心理療法に限定されていること、(3)この結論は、いくつかの治療法を比較した結果について当てはまるということであり、たとえば、どのような治療法でも、支持的で暖かく共感的な治療者の資質が治療効果を生み出しているのかもしれないこと、(4)心身症の症状に対する心理療法と適切な医学的治療法、および明らかな恐怖症に対する行動療法という適切な組み合わせが見つかっているので、他にも同じような組み合わせが見つかるかもしれないこと、という四通りの理由から、どの患者にどの心理療法を行なっても同じだと考えるべきではないという留保を、ルボースキーらは付している。

 そして、さまざまな心理療法を比較した場合、いずれも他と比べて明らかに優れているわけではないという結果が得られたことについては、(1)いずれの形態の心理療法も症状を高率に好転させる力を持っているため、どの心理療法同士を比較しても、他の心理療法よりも優れているという結果は得られなかったこと、(2)それぞれの心理療法の基盤にある要素はそれぞれ異なっているけれども、いずれも患者の抱えている問題をもっともらしく説明し、今後の行動の指針を与えていること、(3)いずれの形態の心理療法も、根本的な点で共通した要素を持っていること――つまり、治療者との援助関係とともに、暗示や解除反応のような非特異的効果が存在すること――という三通りの理由が考えられるとしているのである。

 この研究に対しては、そうした結論に同意する者(たとえば、Stevenson, 1994; Torrey, 1975)がある一方で、その方法論に対して反論する者もある。たとえばアイゼンクは、「〔ルボースキー〕は主観に走り、思いつきでいろいろな研究を取捨選択して、結論をひき出して」いるとして批判している(アイゼンク、1988年、p. 81)し、シェフィールド大学の心理学者デイヴィッド・A・シャピロは、それとは逆の立場から、肯定的(すなわち統計的に有意な)結果と、無効な(すなわち統計的に有意ではない)結果とが同列に扱われてきたため、それぞれで用いられている統計法が不適切であれば、全体での統計的妥当性に関する問題が大きくなる(シャピロ、1992年, p. 206)として、メタ分析(Smith & Glass, 1977)という手法を採用するに至るのである。

 しかしながら、行動療法(やその近縁の療法)を、アイゼンクの主張に従っていちおう別にしても、アイゼンクの主張とは異なり、いずれの心理療法であれ、(1)何の治療も行なわれなかった時よりも有効である(VandenBos, 1986, p. 111)反面、(2)症状消失の“効果”という点では、それぞれの間にそれほどの違いは見られない(Smith & Glass, 1977, p. 752)という点で研究者の意見はほぼ一致していると言える(註4)。その点を述べておけば、ここでは十分であろう。

註1 自らが鬱病になり、精神分析療法を体験した、イギリスの実験心理学者スチュワート・サザランドの著書(サザランド、1981年)も参照されたい。

註2 心理療法研究に関心のある方は、1986年に American PsychologistJournal of Consulting and Clinical Psychologyから特集号が連繋的に発行されているので、それを参照されたい。

註3 アイゼンクは、最近まで、一貫して精神分析をターゲットにした攻撃を続けている(たとえば、アイゼンク、1993年。Grossarth-Maticek & Eysenck, 1990; Eysenck & Grossarth-Maticek, 1991を参照のこと)。
註4 ただし、ジェローム・D・フランク(Frank, 1977, 83)のように、心理療法には偽薬効果程度のものしかないという主張を依然として続けている者もある。そうした主張の裏づけになるかもしれないが、心理療法により症状が好転するのではないかという期待が患者側にある場合には、症状、特に不安や鬱状態の好転する比率が高いという報告(Friedman, 1963)もある。

参考文献


Copyright 2008 © by 笠原敏雄 | last modified on 3/11/11