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 反応とは何か

 私の心理療法で反応と呼んでいる現象は、眠気にしてもあくびにしても心身の変化にしても、出現の仕方に特徴があります。ひとつは、急速に出現して急速に消失することです。眠気はもちろん、鼻水や蕁麻疹や喘息発作などのいわゆるアレルギー症状ですら、急速に出現、消失します。感情の演技の中で鼻水を流していた人が、2分が経過して感情の演技を終えると、その瞬間に鼻水が止まる、などというパターンを示すわけです(下図参照)。

 第2の特徴は、先ほど説明したように、3種類の反応が、ごく一部の例外を除いて互いに排他的に出現することです。ふつうの眠気はあくびを伴うことが多いのですが、反応としての眠気とあくびの場合には、双方が同時に出現することはまずありませんし、たとえばアトピー性皮膚炎患者のかゆみにしても、日常生活の中では入眠時や睡眠中に起こりやすいのですが、眠気とかゆみが反応として出現する場合には、ふたつが同時に出ることはまずありません。最初かゆみが出ても、反応が眠気に移行するとかゆみは消えてしまうのです。

 第3の特徴は、反応の眠気の場合、たいてい、それをきわめて気持ちよく感ずることです。テーブルを挟んで一対一で坐って面接しているという状況にもかかわらず、「このまま眠りたいと思いました」などと言う人も少なくないほどです。

 第4の特徴も眠気に関係しています。抵抗のきわめて強い話題を取りあげている時には、若い女性のように、それが最も考えにくい条件を持つ場合であっても、明るい部屋の中で向き合って一対一で話している最中に、急速に眠ってしまうことすらあるほどです。そのような場合には、その話題から離れない限り、覚醒させるのは難しいでしょう。覚醒させるには、話題を変えるのが最も簡単です。そうすれば、ほとんどの場合、一瞬のうちに眠りから覚めるでしょう。同じような口調と音量で、たとえば「今の会社の同僚は誰でしたか」などと質問したとすると、完全に眠っているように見えた人が、一瞬のうちに目を覚まし、眠っていたはずの間に尋ねられた質問に答えることも少なくありません。こうした観察事実からすれば、「耳は覚めている」ということであり、つまりはこの眠りは催眠様睡眠ということになるのではないでしょうか。これが、反応と自己催眠とが関係している可能性を私が推定しているひとつの根拠です。

 抵抗は、いわば二段構えになっています。最初は、雑念が湧きやすいという段階です。雑念という最初のハードルは、感情の演技を繰り返して行けば、まもなく越えられます。次のハードルとして、3種類の反応が待ち構えています。眠気とあくびと心身の変化です。この場合のあくびは、いわゆる生あくびなので、眠気と一緒に出ることはほとんどありません。

 身体的変化には、身体各部の痛みやかゆみ、しびれ、熱感、冷感、脱力感、便意、尿意などの自覚的反応と、鼻水や喘鳴、蕁麻疹、げっぷ、嘔吐、下痢などの他覚的反応とがあります。数は少ないですが、古典的ヒステリーに見られるような、激しい身体運動が起こることもあります。心理的変化としては、不安や恐怖心や緊張などが多いのですが、思考停止や空白状態が起こることもあります。わずか二分の間に、そうした反応がすみやかに起こるわけです。ただし、どのような反応が出るかは、事前にはわかりません。そして、感情を作る努力をやめると、反応もすみやかに消えます。実際に書店や図書館で便意を催す人の場合には、感情の演技の中でも、反応として便意が起こるかもしれません。

 ここで、非常に重要な、身体的反応の解釈という問題にふれておきます。催眠や精神分析の専門家は、このようなものを“解除反応”などと呼んで、“トラウマ”が隠れている証拠と考えるようです。しかし、そう考えると理解しやすいだけのことで、何らかの裏づけがあるわけではありません。逆に、その反証はたくさんあります。たとえば、最近の矯正教育では、少年犯罪者に、自分の犯行に直面させ、反省させるという方法が取り入れられるようになったそうですが、その際に「事件と真剣に向き合う少年が苦しみ、吐いてしまうケース」(『朝日新聞』2005年11月5日付朝刊)もあるのだそうです。

 私の考えでは、これは、“トラウマ”に直面した結果ではなく、反省という、自分の人格を高めようとする行為に対する抵抗によって起こる、幸福否定に基づく反応にほかなりません。そこで起こる症状を嘔吐に限定しなければ、こうした反応は、少年の犯罪者でも成人の犯罪者でも、真剣に反省しようとすれば、おそらくごくふつうに起こると思います。

 話を戻すと、ほとんどの人は、そうした反応が出る前にやめてしまうでしょうが、数回から十数回ほど続けると、ほとんど例外なく反応が出るようになります。ただし、ふたつの“逃げ道”があるので、それをふさがなければ、反応は出にくいでしょう。

 ひとつは、空想的、観念的にしてしまうという逃げ道です。もちろん、感情の演技は、しょせん空想にすぎないのですが、その中でなるべく現実的に感情を作ろうとしなければ、反応は出にくくなります。 もうひとつの逃げ道は、物語を発展させるという方法です。感情の演技では、感情を作ることが目的であり、イメージはその手段にすぎません。ですから、書店に入って、まずどのコーナーに行って、次に何をしてなどと物語を発展させる形にすると、イメージだけに終始してしまい、感情を作ることから遠ざかってしまうわけです。そのため、たとえば、特定の棚の前で本を見ている場面を選んだら、そのイメージだけに固定します。そして、「本が好きだ」、「読みたい本を探したい」、「読みたい本が見つかってうれしい」などの感情のうち、自分にとって難しいものを繰り返し作るようにするのです。

 ふたつの逃げ道を封じ、感情を作る努力を何度か繰り返せば、次第に抵抗が強くなり、眠気とあくびと心身の変化という3種類の反応のいずれかが出るようになるでしょう。さらにそれを続けると、反応はもっと強くなります。身動きできないほど脱力感が強くなったり、実際に下痢が始まったり、急速に眠り込んでしまったりすることもあるほどです。しかし、感情を作る努力をやめれば、そうした症状はたちどころに消えます。この瞬間的変化も、ストレス仮説で説明することはできません。このような反応は、ほとんどの人たちに起こります。

参考文献

『幸福否定の構造』第5章および『本心と抵抗』第1章 より再編集して引用。

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