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 スタンダール症候群

異質な原因による反応や症状

 反応や症状は、発生率が低いとはいえ、これまで説明したものとは異質な原因によっても起こる。たとえば、内外の美術館や博物館で、あるいは、特に奈良や京都、あるいはアテネやフィレンツェなどの寺院や神殿や教会で、そこに設置ないし収蔵されている絵画や彫像などを見た時に、同じような反応や症状を示す人々は少なくない。これは、“青木まりこ現象”(吉岡、2003年:笠原、2010年)と違って、まだ一般にもほとんど知られていないが、実際にはごくふつうに起こる現象である。美術館の場合には、入館しただけで反応や症状を出現させることは少なく、特定の作家やジャンルの作品に対面した時点で初めて起こることが多い。それに対して、社寺や会堂の場合には、建造物自体が作品になっているためかもしれないが、境内や敷地に入っただけで反応を起こす比率が高い。そして、どちらの場合でも、そこから離れると、急速に反応が消えるのである。

 この現象は、フランスの作家スタンダールが、1817年のフィレンツェ訪問の際に起こしたとされる心身症的反応から名づけられた“スタンダール症候群”(Magherini, 1995)と呼ばれるものや、歴史的な聖地であるエルサレムを訪問した旅行者が起こすという “エルサレム症候群”(Bar-El, et al., 2000)と呼ばれる精神病的反応の、少なくとも一部と同質のものであろう。スタンダール症候群は、数多くの名作に圧倒されることによる反応と解釈されているが、実際にはそうではない。ひとつの作品の前に立っただけでも、気を失うほど猛烈な睡魔に襲われることもあれば、大きな生あくびが何十回となく出ることもある。また、思わず座り込んでしまうほど強い脱力感が起こることも、強い吐き気を繰り返し催すこともある。

“中級者クラス”の症状

 同様の反応は、写真を見ただけで起こることも多い。たとえば、30代前半のある男性デザイナーに、龍安寺石庭の写真を見せたことがある。すると、その瞬間に、男性は、「これは拷問です」と言いながら、きわめて強い反応を示した。気体だけが絞り上げられてくる激烈な吐き気を、写真を見ている間中、脂汗を流しながら、繰り返し出現させたのである。しかし、いかに強い吐き気であっても、反応には違いないので、実際に吐くことはまずないし、その写真から目をそらせば一瞬のうちに消える。この男性は、それまで龍安寺の石庭を、写真を含めて、一度も見たことがなかったという。 そして、このうえなく感動しながら、 この石庭は、宇宙を現わしており、「芸術の一番底にあるもので、これ以上のものはありません」と述べたのである。

 ローマ市内のアウグストゥス廟で強い眠気に襲われたという40代の男性に、ローマ帝国時代からルネッサンス期にかけて造られた建築や銅像の素描集を見せたところ、そのうちのいくつかに対して、眠気やあくびなどの反応を出した。そこで、反応が出たものと出なかったものとを調べてみると、反応は、アウグストゥス廟を除いて、紀元前に造られた建造物にほぼ限られており、紀元後に建造されたものには出ていないことが判明した。この男性は、それらが建造された時期を、意識の上では知らなかったが、反応では、紀元前の建造物と紀元後の建造物とを、建造された時期にそれほどの差がないにもかかわらず、なぜか明確に区別したのである。

特定の場所に対する反応

 この例と同じように、特定の場所に近づくだけで、大きな症状が反応的に出ることは、決して少なくない。30代半ばのある男性は、思春期以降に発病した気管支喘息が、心理療法によってほとんど治まっていたにもかかわらず、アジア全域を半年ほどかけて旅行している中で、中国甘粛省の敦煌に立ち寄った際、久しぶりに再発した。敦煌に向かうバスの中から喘息様の咳が出始め、敦煌に着いた時点では、数年ぶりに本格的な喘息発作になっていた。敦煌には10日ほど滞在したが、そのうちの7日間は、ホテルで寝込んで過ごしたという。結局、見学したかった莫高窟には行かず、そこでは、ほとんど何も見ることなく終わってしまったのである。敦煌は高地にあるが、気圧の関係で喘息が再発した可能性は考えにくい。この前後に、もっと標高の高い場所に何度か行っているにもかかわらず、他の場所では出ていないからである。

 喘息やアトピー性皮膚炎をはじめとするアレルギー症状は、それまで続いていたとしても、住み慣れた自宅を離れると、即座に消失するか軽快することが多く、自宅にいてすら治まっていた症状が、海外に出て再発する確率はきわめて低い。そして、この男性が敦煌を離れると、続いていた発作もすみやかに治まったのである。症状や既往を別にすれば、この経過は、エルサレム症候群(特に、その第V型)のそれとよく似ている。

参考文献

『幸福否定の構造』第5章 134-136ページより再編集して引用。

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