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心理療法随想 1

 精神科病院での経験

 コンラート・ローレンツとニコ・ティンベルヘンの研究に引かれていた私は、大学を卒業した翌年の1971年、春先のニホンザル観察に続いて、夏に3週間ほど、北海道の天売島で鳥の観察をしていた。その頃の天売島では、まだ数多くのウミガラスやケイマフリが営巣しており、今となっては信じがたいことであろうが、港の防波堤を歩くと、漁網にかかって溺死した、おびただしい数のウトウやウミガラスやケイマフリが、漁船から投棄され、海面に浮かんでいるのを目にすることができた。翌72年春、それまでアルバイトで勤めていた八王子の精神科病院が廃院になったのを契機に、鳥類の行動観察を目指して北海道に渡った。比較行動学的な観察をしばらく続けようと、漠然と考えたためである。そして、小樽市のある精神科病院に就職したが、片手間に勤めたはずのその病院で、まもなく私は、動物観察から人間観察へと、大きく方向転換を迫られることになった。

 自閉症児研究会で親しくしていた、大学の心理学科の1年先輩に当たる片桐充さん(中尾ハジメ。元京都精華大学学長)からその存在を知らされたアーサー・ケストラーの影響も、その一方で受けていた私は、行動主義心理学やネオ・ダーウィニズムとは対極的な立場に立つようになっていたため、ネオ・ダーウィニストらしきローレンツとは、思想的には別の陣営に属していた。

 その精神科病院では、精力的にシステム改革を進めようとしていた、まだ三十代の院長の方針のおかげで、当時としては先進的な「心理科」に所属し、かなり自由に活動することが許されていた。既にタブーとなりつつあった、小坂英世先生の創始になる精神分裂病の心理療法(小坂療法)を、6年近くもの間、大変な迷惑をかけつつ院内で実践し続けることができたのも、ひとえにこの院長のおかげであった。

 この病院では、他にも、貴重な経験を数多く積むことができた。その中で、よきにつけ悪しきにつけ、職員からも患者からも、直接間接に、たくさんのことを教えられた。電撃療法や薬物療法を長年にわたって受け続けても、幻覚妄想や異常行動の消えない分裂病患者は決して珍しくないこと、それでも分裂病の治療法は、事実上他に存在しないこと、長期入院者の場合には、口では退院を希望しながら、実際に退院を迫られると強い拒絶をする患者がほとんどであること、アルコール依存症の患者は、長期にわたって(極端な場合には20年近く)入院していても、特に飲酒を渇望するわけではないが、それでいながら退院するとすぐ元に戻ってしまうこと、神経症患者に対しても、ほとんどの場合、心理療法ではなく薬物療法で対応していることなど、精神科の一般的知識も身についたが、薬物の投与が続けられている入院中の分裂病患者でも、時おり再発を起こし、それは、自宅での外泊中や家族の面会の直後に比較的多く見られること、分裂病患者の場合には、たとえば結婚して両親と別居していても、受診に際して配偶者ばかりか親まで付き添って来ることが多いのに対して、躁うつ病患者の場合には、結婚していれば、多くは配偶者しか来ないこと、アルコール依存症は、大酒家とはさまざまな点で異なっており、意志が弱いどころか、逆に自滅の意志が強く働いていることなども、経験的にわかるようになった。

精神科での臨床経験

 分裂病の再発は、きわめて間遠な場合があることも、実例を通じて学ぶことができた。分裂病で入院した弟に付き添って来た女性に、ソーシャル・ワーカーと一緒に話を聞いている時、この女性は、「実は私も、20年ほど前、分裂病でこの病院に入院したことがあるんです」と驚くべきことを口にした。結婚しているこの女性は、ふつうの生活を営んでいるようであったし、特に変わった徴候も見られなかったので、私たちは耳を疑った。探してみると、幸い、倉庫から古いカルテが見つかった。それによると、確かにこの女性は、20年前ノ19歳の時に、分裂病の診断で入院していたのである。私は、誤診ではないかと思った。ところが、それからまもなく、今度は何とその女性自身が、典型的とも言える分裂病を再発させて入院してきた。まさしく20年ぶりの再発となったわけである。

 分裂病患者の母親たちに見られる驚くべき特徴も、数多くの実例により教えられた。それまで、家族研究の文献などから、分裂病の母親の心理的傾向はある程度承知していたが、観念的に理解していても、現実の母親たちに直面すると、驚かされることが多かった。ある母親は、二十代半ばの分裂病の娘を、どうせろくに働かないだろうから、給料分のお金は払うので、それを本人に給料として渡してほしいと頼み込んで、福祉施設に勤めさせていたし、また、ある母親は、やはり二十代半ばの息子に徹底的に手を差し延べ、「私が生きてる間だけかわいがれればいいんです」と、私たちの前で平然と言ってのけ、私たちを仰天させた。

 司法精神鑑定の鑑定助手も、何度か務めたことがあった。興味深い例が多かったが、その中でも印象に残っているのは、畑の中の一軒家に妻と一緒にいる時、アルコール性の譫妄状態に陥り、追跡者に家の回りを囲まれたという迫害妄想から、燃え盛る石油ストーブに灯油をかけ、自宅を全焼させた結果、妻が焼死したアルコール依存症の男性の証言である。それによると、家が燃え始めたため、あわてて外に逃げたら、その瞬間に譫妄状態から抜け出したというのである。

精神科医の観察

 最初の頃、私は、経験豊富な医師の外来診察に時おり同席させてもらっていた。ある時、分裂病で入院している妻の面会に訪れた男性が、自分にも神経症があるとして、外来で診察を受けた。学校の教師をしていた三十代のその男性は、医師の問診に対して、「学級経営がうまくいかない」と訴えた。短い診察を終え、処方を書いてその患者を送り出した医師は、いつも通り私に講義をしてくれた。今の患者は、かつて軽い初発をして現在は寛解状態にある分裂病であろう。表情が硬いことに加えて、“学級経営”などという奇妙な“言語新作”をしたことがその証拠である。その説明を聞いた私は、しろうとには見えない病変をレントゲン・フィルムから鋭く読み取るように、経験の長い医師は、心の隠された本質も、わずかな手がかりからみごとに探り出すものであると、その慧眼に感服した。無知な私が、“学級経営”という専門用語の存在を知ったのは、それから数年後のことである。

 まもなく行なうようになった小坂療法との関連でも、医師たちとの間で、何度か興味深い経験をした。ある医師は、家族の依頼で分裂病と思しき新患の家庭を訪問する際、何度か私を同行させ、かなり自由にふるまわさせてくれた。懐の深いこの医師の見守る前で、私は、何人かの患者とやりとりし、短い時間の中で運よく心理的原因が探り当てられたことが一度だけあった。その瞬間、それまで1週間ほど続いていた患者の幻覚妄想や異常行動が消失した。その結果、この患者は入院の必要がなくなり、外来で心理療法を受けるようになった。

 ある病棟に、長年、薬物療法を受けながら、首を横に傾けた独特の姿勢で、表情を硬くして廊下を急ぎ足で機械的に往復し続ける長期入院の分裂病患者がいた。この男性は、話しかけても硬い表情のままで、会話もあまり成立しなかった。しばらくして、この患者の様子がまったく違って見えることに気がついた。ロボットのごとく廊下を歩くこともせず、落ち着いた状態で柔和な表情を浮かべ、デイルームの椅子に腰かけているのである。話しかけても身構えることなく、会話も比較的ふつうに成立した。常同行動を持つ、半ば慢性化した患者に、このような変化が突然起こった事実に驚いた私は、患者のカルテを調べてみた。すると、家庭訪問に私を同行してくれていた医師が、この患者と時間をかけた面接を行ない、患者から発病前後の状況を含め、生活歴を細かく聞き出していたことが判明したのである。おそらく、その中で、何らかの心理的原因が患者の意識に浮かび上がったのであろう。1、2時間の面接をしただけで、そのような慢性的症状が急速に消えるはずはないからである。

 それまで長年にわたって常同行動を続けてきた患者が、わずか1回の面接により、それをやめ、リラックスした表情で椅子に座っていられるようになった。これは、まさに劇的な好転の実例と言える。しかし、この医師は、患者の好転を喜ぶ様子も見せず、その後、こうした面接をやめてしまったのである。

 ある時、長期入院中の分裂病患者が院内で再発し、緊張性昏迷に陥った。これは、外界の刺激にまったく反応しなくなるとされる状態である。しかし、その直前に家族の面会はなかった。その患者に関係して院内で発生した出来事を探っている中で、ある看護婦から、病棟の図書係になるよう本人に勧めた直後に昏迷に陥ったらしいという情報を得た。時間的な近接性と内容とから判断して、おそらくそれが、昏迷の原因であろう。そこで一計を案じ、私の面接に、熱心な若手の精神科医を同席させることにした。その患者の昏迷状態が一瞬のうちに解ける場面を見れば、それまで分裂病の心理療法に懐疑的であった精神科医も、さすがにある程度は納得するのではないかと期待したからである。

 病室のベッドでの面接の前に、その医師に、患者をあらためて診察してもらった。医師は、患者の見開いた眼の前で手を振るなど、型通りの診察をして、「昏迷にまちがいありません」と言った。「大丈夫ですか」という私の念押しにも、自信を持って肯定してくれた。そこで私は、看護婦から聞いた話をそのまま患者に伝えた。「図書係になるように勧められたら、そうなったらしいね」と2、3回繰り返したところ、それだけで患者は、まばたきを始め、涙を流し、まもなく昏迷から抜け出した。わずか数分の出来事であった。言葉をひとことかけられただけで、数日にわたって続けてきた、何ごとにも反応しないとされる状態から、患者が一瞬のうちに抜け出した場面を目の当たりにした医師は、しかし、「昏迷という診断がまちがっていた」として、あっさり前言を翻したのである。

 この連載では、心の専門家たちの不思議な行動が包み隠さず紹介される。もとより、それは、心の専門家たちを揶揄するためではない。心の専門家の周辺では、人間の心を対象にした仕事をしていながら、その本質を教えてくれそうな興味深い観察事実をあえて無視するかのごとき行動が繰り返し観察される。ここでは、それらを客観的に眺めることにより、そうした回避が偶然に起こっているのではなく、ある種の法則に従って目的的に行なわれているらしいことを明らかにしたい。そのような観察事実も、心の本質を解明する重要な糸口になりうると考えるからである。

参考文献

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心理療法随想 2

 “断片視”症候群

 心の専門家の多くは、人間の感情や行動や症状を断片化、平板化してとらえようとする傾向を、なぜかきわめて強く示すように見える。そのことにも関係しているのであろうが、催眠療法などを除く現行のさまざまなカウンセリング技法や心理療法は、特に本格的な心身症や精神病を対象とした場合には、治療法として効果的とはとうてい言えない状況にある。今回と次回は、そうした専門家に見られる、感情や行動や症状の断片視、平板化の傾向について検討することにしたい。

“断片視”症候群

 ある精神科医から、診察直後に聞かされた話である。タクシーの運転手をしている分裂病患者が、勤務中にいつも自分でタクシーを運転して来院、受診するが、少し前から、診察室に入って椅子に座ると、外部の刺激に反応しないとされる昏迷状態に陥るようになったという。ところが、診察が終わるとすぐに昏迷から抜け出して立ち上がり、再びタクシーを運転して帰って行くというのである。その精神科医自身も、状況性昏迷とも言うべきこの現象については、不思議がっていたものの、医局で話題にする以上のことはしなかった。

 小樽市の精神科病院時代には、別の興味深い経験をしている。外来の診察に同席していた時、分裂病の再発患者が、母親に伴われて興奮した形相で診察室に入ってきた。その若い女性は、母親にうらみがましい言葉を激しくぶつけたり、妄想を口走ったり、私たちに罵詈雑言を浴びせかけたりしていた。傍らにいる母親に自宅での様子を尋ねたところ、やはり同じような状態だったという。病院まではタクシーで来たというので、その中での状況を聞くと、母親は、「そう言えば、タクシーの中では、15分くらいありましたが、ひとこともしゃべらず、おとなしかったです」と答えた。ところが、病院に到着したとたんに、再び自宅と同じ興奮状態に陥ったというのである。

 以上の2例をはじめ、この種の少なからぬ実例は、分裂病の昏迷や興奮という症状が、従来考えられてきたように固定されたものではなく、本人の置かれている状況に従って、大幅に変動する可能性のあることを示している。にもかかわらず、専門家の間では、“軽い症状”の場合には、そのようなこともあるとして片づけられてしまい、分裂病の症状が実はかなり恣意的に発現、抑制できるという事実は完全に看過される。

 間脳の病変に起因するとされるパーキンソン病についても、興味深い観察事実がある。パーキンソン病とは、四肢のこわばりやふるえを特徴的に示し、運動性が次第に低下する、予後の不良な進行性疾患であるが、外出する場合、行き先や目的によって、そうした症状にしばしばかなりの変動が観察される。ある女性は、パーキンソン病の母親を、大学病院の権威のもとに受診させていた。ある診察のおり、その教授に、母親の大好きな芝居に連れて行く時には、特に帰路には歩行がかなりスムーズなのに対して、病院を受診させる時などには動きがかなり悪いという話をしたら、教授は話を遮り、それ以上聞こうとしなかったという。後に、その女性は、この教授が、パーキンソン病の“心理的傾向”などを調べる、ありきたりの心理学的研究を大規模に行なっていることを知って驚くことになるのである。

 パーキンソン病では、ある意味でこうした現象と同質な、逆説動作と呼ばれる現象(たとえば、Glickstein & Stein, 1991)も知られている。昔の教科書では、こうした現象が大きく扱われていた(たとえば、伊藤、1978年)が、薬物療法全盛の最近の教科書は、この種の現象にはほとんどふれていない。そのためもあって、そのような事実に着目する研究者は、特に最近では皆無に近いようであるし、それどころか、病院でしか診察せず、家族の証言にも耳を傾けようとしないためか、そうした事実を承知している専門家も、数少なくなったようなのである。

 ある若年性パーキンソン病の女性は、入浴しようとして着替えている最中に、立ったまま、なぜか10分ほど眠り込んでしまったという。ふつうの人間でも、立ったまま、寄りかかりもせず10分間も眠り込むことなどは不可能であろう。それがなぜ、ふだんは歩行や方向転換に難渋するほどふらつきの多い、筋運動の協調を欠くとされるパーキンソン病の患者に可能なのであろうか。その女性は、ソファーに座っている時、意識して座り直そうとすると体を動かすのに大変苦労するが、意識しないまま座り直す時には、見ている私が驚くほど、ふつうの動きをする。そのような観察所見からすると、パーキンソン病の患者は、自分の体に意識を向けていない限り、体はかなり円滑に動くらしいことがわかる。事実、この女性は、「大地震が来た時には、体の動きはどうなると思いますか」という私の問いかけに対して、「その時にはだいたいふつうに動けると思います」と答えている。

 この疾患では、患者が入眠すると、それまであった筋肉のこわばりやふるえが止まることが知られており、その原因は不明ということになっている。だが、意識を向けている間だけこわばりやふるえが起こると考えてよければ、その疑問は簡単に解消される。しかし、そうなると、今度は、間脳の病変に由来するとされるこの疾患に、心理的要因が大きく関与してくるという大問題が発生してしまう。しかしながら、催眠を用いて重症のパーキンソン病の症状を好転させたとする実例(Wain, Amen & Jabbari, 1990)が存在することなどからしても、その可能性を考えずにすませるのは難しいであろう。

 小児自閉症患者のほとんどは、少なくとも幼少期には、人と視線が合わないという顕著な特徴を持っている。ある専門家は、その理由を、自閉症児には“図と地”の区別ができない──つまり、眼を、顔の他の要素と区別できない──ためだとしている。しかし、それなら、偶然に視線が合うこともあるはずなのに、視線が合わない子どもの場合、人とは絶対と言ってよいほど視線を合わせないし、何よりも顔をそむけようとする傾向が強い。ところが、相手が人間でなければ、顔をそむけることもまずないし、人の顔を描かせれば、あるべき位置に目鼻をきちんと描くのである。しろうと目にも大変奇妙に映るこの仮説を反証するのは、実は簡単である。自閉症児の顔を両手で押さえて、むりやり視線を合わせようとしてみるだけでよい。そうすれば、自閉症児が視線を合わせまいと必死に努力していることがすぐにわかる。自閉症の専門家が、この程度の観察もせず、的外れな憶説を堂々と展開するのはなぜなのであろうか。

 登校拒否(最近の言葉では“不登校”)についても、同様の断片歯が観察される。本人の主張通り、いじめをその原因と考えるにしても、現在の教育制度に対する(無意識的)拒絶をその原因と考えるにしても、それで説明できるのは、小学校から、せいぜい高校の登校拒否までであり、大学の登校拒否については、それでは説明しにくいであろう。ましてや、本人が希望して入学した専門学校や自動車教習所でも、登校が迫った時の身体症状を含め、まったく同じ登校拒否が存在するという事実については、どのように考えたらよいのであろうか。これまで私は、すべての登校拒否を統一的に説明する理論を見聞きした記憶はない。専門家は、このような事実を知らないのであろうか。あるいは、知りながら無視しているのであろうか。

“ペット・ロス症候群”

 それまでかわいがっていたペットが死んだことによる、強い悲しみや落ち込みなどを中心とした症状群を意味する“ペット・ロス症候群”という言葉が、最近、あちこちで散見されるようになった。これは、現象としては昔から知られていたが、時代の要請により、専門家がこのような症候群を取り上げるまでは、取り立てて問題にされることはなかった。しかし、この症候群の取り上げ方には大きな問題がある。私見によれば、このような症候群を示す人々のほとんどは、その一方で、肉親の死に際して、悲しみが意識に表出しないよう強く抑制する傾向を持っている。つまり、肉親が死んでも、涙も流さなければ、悲しそうな態度を取ることもなく、日常的な出来事ででもあるかのような受け止め方をするのである。その場合、もちろん本人の意識では、愛着のない肉親よりも、自分を“癒して”くれたペットの方がよほど愛着が強かったため、肉親が死んでも悲しくないが、ペットが死ねば、悲しみ、落ち込むのは当然だということになっている。

 しかし、肝心なのは、ペットや同僚の死などに際して強く悲しみ、落ち込み、種々の心身症状を発現させるという点ではなく、肉親の死に際して、きわめて冷淡にふるまうことの方なのである。しかし、この時には、たいていの場合、落ち込みもなければ心身症状もない。私は、それを、死亡した肉親に対して本人が愛情を持っていないためではなく、幸福否定(笠原、1997年)から、その肉親に対する自らの愛情を否定した結果だと考える。悲しみは、愛情があって初めて生ずるため、愛情を否定すると、悲しみも否定せざるをえなくなる。そして、その肉親に愛情を抱いていないことを自らの意識に対して際立たせる目的で、その肉親が死んだ時には、いわゆる無意識のうちに平然とした態度を取る一方で、ペットや遠い知人が死んだ時など、悲しみが本来的に弱い時にはそれを増幅させ、作りあげたその悲しみが本物であることを自分の意識に見せる(という自己欺瞞の)ために、先述の症状を作るという、実に手の込んだ戦略(私の言う“状況的対比”ないし“対人的対比”)を用いるわけである(同書、92-98ページ)。したがって、このふたつの状態は、いわばセットになっており、症状を発現させた時だけを取り出して扱うことは、一見もっともらしいが、現実には、理論的にも治療的にもナンセンスであることになる。「酒に溺れないように」という助言と同列の、「ペットと距離を置いてつきあうように」などという専門家のありきたりの助言を受けても、このような人々が肉親に対する愛情否定を続ける限り、それを実現するのはきわめて難しく、その助言によって症状が消えることもほとんどないであろう。

参考文献

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心理療法随想 3

 “平板化”症候群

「だらしがない」の意味

 締切のある仕事を片づけようと計画を立てても、締切が近づくまでそれに着手できない人たちは、全人口中でどれほどの割合を占めるものであろうか。さらには、締切がなく、自発的に仕事を片づければよいとなると、ほとんどの者がその仕事をせずにすませてしまうことであろう。人間は、一般に、無益な時間つぶしであれば際限なくできるけれども、自発的に前向きな行動を取るのはきわめて難しい。経済的に保証された状況に置かれ、何の制約も課さないので自由に過ごしてよい、と言われた時を想定してみるとよい。そのような状況では、ほとんどの者が、ほとんどの時間を暇つぶしに費やすか眠ってしまうかの、いずれかの道を選ぶであろう。多くの者には、その状態が一過性に出現する時がある。何の予定もない休日である。眠ってしまうというパターンを取る者では、周期性特発性過眠症とでも呼ぶべき状態に陥る。

 やはり多くの人びとにとって難しい部屋の片づけなども、誰かが訪ねて来るという条件があれば簡単にできるが、誰が来るわけでもなく、自分のために自発的に片づけるという条件では、かなり難しいようである。中には、数年にわたって、片づけどころかゴミすら捨てられない──つまり、個々の物品をゴミとして処分してよいかどうかの判断ができない、あるいは判断できても、まとめたり部屋から運び出したりすることができない──ほどの重症例もある。重症と言っても、このような人々の多くは、他に特に大きな心因性疾患を持っているわけではない。そして、いざ片づけようとしても体が動かないし、むりに片づけようとすれば、実際に着手する前に、それを考えただけで、鼻炎などのアレルギー症状が出たり、脱力発作が起こったり、眠ってしまったりして、結局はまったく手つかずのまま終わってしまうのである。

 独り暮らしをしている三十代後半のある女性は、やむをえない事情で収入が半減したため、毎月の家賃が払いきれなくなったが、経済的に自立できる低家賃のアパートへ転居するには、まず、どの部屋にも足の踏み場もないほど散乱している生活用品や資料をゴミと分別し、荷物をまとめなければなければならない。しかし、家賃分の借金が毎月、着実に増えてゆくという状況にあっても、いっこうに片づけができず身動きが取れなかった。そして、このままでは破産状態に陥るのは免れないと考え、その打開策として心理療法を受けることにしたのである。その女性によれば、精神科でその話をしたところ、「自分でできないのなら、友だちにでも手伝ってもらったらいいでしょう」と言われたという。現在の精神科は、薬物以外の治療手段を事実上持っていないため、薬物が効かない症状を扱うのは難しい。そのような事情はあるにしても、それ以前に、片づけができないというこの女性の訴えの意味を、この精神科医がまったく理解できなかったのも事実なのである。

感情に鈍感な専門家

 ある時、わが国で指導的立場にある心理学者に、「かわいそう」と「悲しい」の区別のつかない心身症患者がいるという話をしたことがあった。すると、その心理学者は、「えっ、かわいそうと悲しいとは違うんですか」と聞き返した。これでは、専門家といえども、しろうとと違いがないどころか、それ以下ということになろう。「かわいそう」と「悲しい」にせよ、「楽しい」と「うれしい」にせよ、「ありがたい」と「うれしい」にせよ、このような感情の区別は、ほとんどの者には、教えられなくとも難なくできるが、できない者には、専門的な教育や経験をいくら積み重ねてもできないのである。末期癌で入院していたある女性は、毎日入れ代わり立ち代わり付き添い、世話をしてくれる家族に対して、「ありがたい」と言って涙を流したが、付き添ってくれること自体についてはうれしいと思いますか、という私の質問には、一緒にいてくれるだけでは別にうれしくありません、と答えている。これでは家族を他人と同列に見なしている──つまり、家族と心理的な距離が遠い──ことになるが、その程度のあたりまえのことがわかる専門家は、はたしてどれほどいるものであろうか。

 心の専門家の中には、フロイトをはじめ、感情的に“鈍い”人たちが少なくないらしく、心の専門家は、しろうとが自然に行なっている感情の区別をしていないことが多い。その代表格が、“正当なうらみ”と“逆うらみ”の区別であろう。両者はまったく別種の感情であるにもかかわらず、多くの心理臨床の場面では、信じられないことに、その区別がほとんどされていないようなのである。念のため両者の違いを説明しておくと、正当なうらみでは、その部分については相手にのみ責任があるのに対して、逆うらみでは、その部分について相手には非がなく、自分の側にこそ責任がある、ということになろうか。具体的に言うと、たとえば夫婦げんかのやつあたりで、何も悪いことはしていないのに父親にひどく殴られたとして、その子どもが父親をうらむのが正当なうらみであるのに対して、とりたてて異常はないのに具合が悪いと言って仕事もせず、自宅でごろごろしている青年が、それを見かねた母親に、「お金は出してあげるから、気分転換に旅行でもしてきたらどう」と勧められた時、「おれをやっかい払いする気か」と母親をうらむのが逆うらみである。このように、非がないどころか、自分に愛情を注いでくれる相手に対して非難やうらみの念を向けるからこそ、逆うらみと呼ばれるわけであり、心理臨床の中で問題になるのは、ふつう、逆うらみだけなのである。昨今の専門家の中には、そのような母親の言葉の裏に“悪意”を読み取るまでして、やみくもに子どもの側に立とうとする者が少なくないのではなかろうか。

 ついでながら、正当なうらみ(怒り)を問題にしなければならないとすれば、それが意識に昇るべき時に昇らない場合に限られる。たとえば、ある三十代半ばの女性は、強い腹痛があったため病院を受診し、虫垂炎と診断されて手術を受けたが、それが誤診であったばかりか、妊娠を知らないまま受けた手術をはじめとする治療の結果として、胎児が死亡してしまった。この女性は、子どもがほしかったのに、長い間、妊娠せず、これが初めての妊娠だったのである。にもかかわらず、この重大な医療ミスに対して、この女性は、怒りの気持ちを意識に昇らせることすらなかった。

 精神分析や他の心理療法が、“逆うらみ”やそれに相当する概念を持っていないことから、さまざまな問題が発生する。子どもに何か起こった場合、それはすべて、両親が子どもに愛情を注がなかった結果であるとして、あるいは一方的に虐待を加えた結果であるとして、両親は無条件で加害者の立場に置かれるとともに、子どもはすべて、そうした処遇を一方的に受けたとして、やはり無条件で被害者の立場に置かれるのである。あるいは、家庭内暴力をふるう子どもを持つ親に対して、実態を把握していない専門家は、「暴力も含めて子どもを“受容”しなさい」などという、およそ現実離れした助言を与える。これが、経験から導き出された指導ではなく、単なる観念論にすぎないことは、その結果を見れば明らかであろう。

 いずれにせよ、心理療法が“逆うらみ”という概念を持っていないと、本人の非や責任が完全に無視されるばかりか、相手の愛情も完全に無視されてしまう。その結果、心因性疾患を持つ患者の両親は、子どもに愛情を持たない、冷酷な親というとらえ方をされてしまう。これでは、まるで現実が把握されていない。昔から、「かわいさ余って憎さが百倍」と言われるように、互いに愛情がある(ため、それを否定する)からこそ両者の間に問題が発生するわけであり、それゆえ事態は複雑になっていることが多いけれども、子どもの側が親を逆うらみしている場合には、親の愛情がどこかに隠されているのである。この点を詳しく説明する紙幅がないので、具体例に関心のある方は、拙著(笠原、1997年)第4章「愛情の否定」を参照していただくことにして、ここでは、逆うらみの特徴を列挙しておくに留めよう。(1)本人が、そのうらみの正当性を必要以上に強く主張すること、(2)内容的には、他人から見て些細な出来事がほとんどであること、(3)「では、どうして嫌だと言わなかったのか」などとすぐに反論されそうなほど、本人の非が明瞭に見て取れること、(4)それでいながら、きわめて長い間、場合によっては相手が死んでからも延々とうらみが続くこと。

 さて、先の観念論の裏にあるのは、子どもは“白紙”で生まれて来るという根拠を欠く思い込みであり、子どもは、環境に対して受け身的な対応をする以外ない脆弱な存在だというロボット的人間観である。この点については、精神分析も、その対極にあるとされる行動療法も、同じ陣営に属している。これらが唯物論的な世界観に基づく観念的な思い込みであることは、次の2点からもわかる。一卵性双生児は、遺伝形質が同一のはずなのに、ふたりの性格が最初から大幅に違っている場合が少なくないこと、特に、ベトちゃん・ドクちゃんのような接合型双生児では、遺伝形質ばかりか生後の環境もほぼ同一なのに、両者の違いが分離型の一卵性双生児よりも際立っている場合が多いこと(Luckhardt, 1941)。現在のわが国のような政治的、経済的に比較的安定した社会を除けば、かつてのわが国も含め、子どもたちはもっと厳しい、場合によってはきわめて過酷な環境で育てられているが、にもかかわらず特に問題なく生育していること。

専門家は何を避けているか

 以上のように、現行のカウンセリングや心理療法は、心因性疾患、特に重度の疾患や精神病にはほとんど歯が立たないが、では、専門家が、現実に役立つような方法を真剣に開発しようとしているかと言えば、それには疑問を抱かざるをえない。これまで見てきたように、臨床の中で遭遇するさまざまなヒントをほぼ完全に無視しているからである。どうしてこのようなことが起こるのであろうか。それには何か重大な理由があるはずである。

参考文献

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心理療法随想 4

 無視される事実群

 『精神身体医学の進歩』誌編集長ハリス・ディーンストフライは、ごく最近の論文の中で、心を扱っているはずの心身医学ですら、実際には心が不在になっている事実を的確に指摘し、「心の存在がなければ、心身研究の潜在的に革命的な医学的発見が意味をなさない」と述べている(Dienstfrey, 1999, p. 231)。同じことは、精神分裂病についても言える。その点から見ても、分裂病をめぐる専門家の態度はきわめて興味深い。

 小坂英世先生は、自ら開発した心理療法に関連して興味深いのは、それに対する専門家たちの態度だと語っていた。群馬大学で創始された生活臨床と似通った社会生活指導(小坂、1970年)という方法を採用していた段階では、小坂先生もまだ学界に受け入れられていたが、その後、分裂病の抑圧理論を前面に押し出すようになってからは、次第に無視されるようになり、現在ではその存在は完全に抹殺され、小坂先生自身も漢方医に転身してしまっている。学会の中ですら、根も葉もないうわさが流されたと聞いたが、私が直接耳にしたのは、当時、わが国で指導的な立場にあった精神科教授の発言である。ある会合で紹介された温厚そうなその教授は、私が小坂療法を行なっていると聞くや、「君、小坂の言ってることはみんなうそだよ」と即座に断言した。しかし、実際には、単にうわさを耳にしているだけで、小坂療法についてはほとんど知らなかったのである。

分裂病の原因論

 分裂病のような難治性の奇妙な疾患が心理的原因によって起こるとは、常識的には確かに考えにくいであろう。分裂病の心因論や家族研究が多少なりとも真剣に取り沙汰されていたのは、それほど昔のことではないが、向精神薬による治療が排他的に行なわれるようになった昨今では、分裂病の脳内異常仮説が流行の先端を行くようになったかに見える。この流行は当分続くことが予測されるが、この種の仮説は、実は、ほとんど意識されることのない、きわめてあやういいくつかの前提に立っていることを知っておかなければならない。つまり、いずれは、その学説に沿った治療法により、分裂病患者全員を少なくとも現段階より好転させることができなければならないことに加えて、次の5条件を、最低でも満たさなければならないのである。

 ここで、分裂病の“完治”の定義を述べておく。それは、ひとことで言えば、ふつうの人になること、つまり、分裂病については一切の治療を受ける必要がなくなり、常識を発揮するようになり、経済的、心理的に自立するということである。特に、自発的に前向きに生活するという意味での心理的自立は重要である。最近は精神科医の中にも“治癒”という言葉を使う人々が見られるようになったが、昔はその言葉は禁忌とされ、症状が収まった状態は“寛解”と表現されていた。しかし、治癒という表現を使う昨今の精神科医たちの中にも、“本物”の分裂病がそのような意味で完治する可能性があると考える者は、まず皆無であろう。

専門家に無視される事実群

 先の五条件には重なり合う部分があるが、ここでは、とりあえず別に扱うことにしよう。さて、(1)の仮説を反証する証拠はいくつかある。弱い方からあげると、(イ)いわゆる分裂病症状を生涯示すことのない者の中にも、経済的、心理的自立を拒絶する一群の人たちが見られること。その人たちの示す傾向は、暗黙のうちに、分裂病患者のそれとは起源が異なることにされているが、これまでのところでは、そのことが直接に証明されているわけではない。(ロ)心因反応のように、一見したところ分裂病と酷似した症状を示すけれども、まったく異なる経過を辿り、放置しておいても後に完治してしまう疾患を持つ者が、少数ながら存在すること。これについても、経過以外には、原因論的に分裂病とどこがどう違うかが明確にされているわけではない。(ハ)ほとんどの分裂病患者は、分裂病症状を発現させる以前から、経済的、心理的自立を絶対的とも言えるほど回避ないし拒絶していること。この場合の心理的自立には、人に迷惑をかけるような行動を取らないことも、当然のことながら含まれる。これに対する反論としては、この観察を誤りとするか、そのような傾向も脳内の異常に起因すると考える以外ないであろう。

(2)分裂病患者には、その幻覚・妄想にも反映される通り、極度の他罰傾向が顕著に見られ、その傾向は、日常生活という現実の中で患者と接している家族や同僚などには十二分に知られているが、精神医学では、その事実は、重視されていないどころか、まったくと言ってよいほど知られていない。そのため、このような傾向については、説明する用意すらできていないであろう。

(3)分裂病を発病した者の予後は、先進工業国と発展途上国とでは大幅に異なるようである。マサチューセッツ精神保健センターのナンシー・ワクスラーがスリランカの農村部で行なった、かなり厳密な調査によれば、「医学的疾患モデルに従うと、患者がどの社会で見つかるにしても、分裂病はそれ自体、基本的に同じ現われ方をすると考えなければならない」(Waxler, 1979, p. 145)のに対して、現実には、スリランカ農村部では、先進諸国の分裂病患者と比較すると、世界保健機構の報告と軌を一にして、臨床的にも社会的にも予後が格段によかったという。医学的疾患モデルに従う限り、このような結果が得られたのは、調査法に問題があったためとする以外ないであろうが、ワクスラーの研究では、そうした問題点が、あらかじめかなり慎重に排除されている。そして、興味深いことに、このような調査は、他にはほとんど存在しないし、この研究自体も、専門家からほとんど無視されているのである(批判的な論説〔Edgerton & Cohen, 1994〕はあるが、その批判に沿った調査が行なわれているわけではない)。また、しばらく前から注目されている、分裂病のいわゆる“軽症化”傾向も、脳内異常仮説では説明困難な現象である。(しかし、幻覚・妄想ではなく、「ふつうの生き方をしようとしないこと」を中核症状と考えるとすれば、分裂病は現在でも軽症化しているわけではないことがわかる。)

 また、(4)分裂病の症状を、偽薬によって抑えることなどできるはずがない、とほとんどの専門家は考えるであろうが、少なくとも慢性症状についてはそうでもなさそうである。研究によってその数値は異なるが、20パーセントから40パーセント弱の慢性分裂病患者で偽薬効果が観察されたとする報告があるからである(たとえば、Karon, 1989; Talminen, et al., 1997 を参照のこと)。

 最後に、(5)専門家はほとんど例外なく信じないであろうし、そのような主張に対してはきわめて強い不快感さえ示すことであろうが、分裂病の幻覚・妄想を心理的方法によって消失させることは、実際にはそれほど難しくない。私は、精神科病院に勤めていた6年弱の間に、主として明確な急性症状を示す分裂病患者100名強に、小坂療法的な観点から面接を行ない、数分から一時間程度の面接を平均で2.7回繰り返し、7割強の患者の分裂病症状を眼の前で軽快ないし消失させることに成功している。本連載の第1回目で紹介した2例もその中に含まれる。中でも興味深かったのは、父親の葬儀に出席したにもかかわらず、父親が病院の近くの町で暮らしているという妄想を、電撃療法や薬物療法が継続されてきたにもかかわらず、10年近くも訴え続けてきた五十代の分裂病患者の症例である。町内の住宅地図を持参し、「お父さんが暮らしている家を教えてください」と求めただけで、本人は、その地図を見ることなくその場を逃げ出したが、その直後から、その妄想を消失させてしまったのである(笠原、1997年、173-74ページ)。

 また、分裂病の症状は、決して固定されたものではなく、症状出現の心理的原因に近づくと強まり、それから遠ざかると弱まるという性質を、他の心因性症状と同じく持っているので、細かく観察すれば、特定の場所や状況や人物に近づくと悪化し、それらから遠ざかると軽快することがわかる。

 ところで、分裂病の症状を、心理的方法によって大幅に軽減させうることを別の方向から示す、きわめて興味深い実験的研究がある。厚生連安曇病院の栗木藤基が発表したその研究によると、長期にわたって幻聴や誇大妄想を持ち、職員との接触性が悪く対応に苦慮していた、長期入院中のふたりの分裂病患者の母親を、内観療法を受けさせた後に、それぞれの患者と対面させたところ、双方の患者ともその直後から幻聴や妄想を大幅に軽減させ、接触性も際立って改善されたという(栗本、1980年)。しかし、こうした研究に注目する専門家もなぜか存在しない。

 分裂病の脳内異常仮説は、以上のようなさまざまな証拠を無視したうえで、初めて成立すると言える。逆に言えば、専門家の間では、分裂病が心因性疾患であることを否定しようとする意志が、ここまで強く働いていると考えることができるであろう。

参考文献

§
心理療法随想 5

 盲点について

 精神病の原因を脳内の異常に求める人たちが、人間の心について、さらには自らが人間の心を知らないことについて、いかに無知かを知ると唖然とするが、その天真爛漫な理論は、行動主義心理学を創始したJ・B・ワトソンらの天真爛漫さと奇妙に通ずるところがある。それに対して、人間の心を詳細に観察すると、そのような理論では説明できない現象群が数多く存在することが明らかになる。それらは、これまでの常識とは大幅に異なり、従来の人間観の根本的修正を迫るのである。今回は、そうした観点から、心の専門家が抱いている共同幻想の盲点について述べることにしたい。

ストレス理論の盲点

 心因性疾患の原因ということになると、現在では、どの文化圏でも心理的ストレスを考える。ストレスによって“心”に負担がかかり、その結果、心身症をはじめとする心因性疾患が起こるというのである。この仮説は非常にわかりやすいけれども、では、それが臨床的に実証されているかといえば、必ずしもそうではないし、この理論のおかげで心因性疾患の治療が進展したかというと、これも必ずしもそうではないのである。その具体的論証については拙著(笠原、1995年)第3章を参照していただくことにして、ここでは、ストレスという考え方の盲点を明らかにすることにしよう。

 試してみるまでもなかろうが、人間は一般に、悪いことは際限なく考えることができる。しかし、そのこと自体が原因で心因性の症状が出ることはない。それに対して、自分にとって幸福なことを、空想的にではなく現実的に考え続けるのはきわめて難しく、実感を伴ってそれを考えようとすると、強い抵抗が起こる。これは、常識的には非常に考えにくいことであろうから、実際に試してみられるとよい。たとえば、病気や不安があれば、それが解消した状況でもよいし、さらには、周囲から認められたり信頼されたりしている状況でも、自分の能力が十分に発揮されている状況でもよい。

 最初はどうしても空想的になるので、それほどではないかもしれないが、時間を追うにつれて雑念が湧きやすくなり、それとともに次第に苦痛が増してくるであろう。悪いことであれば、ほとんど雑念もなく、そのつもりはなかったにせよ、結果的に丸一日考え続けることすら難なくできるが、自分にとってよいことを、一時間程度であれ持続的に考えることは、たとえ瞑想の達人であっても、空想にでものめり込まない限り、このうえなく難しい。加えて、途中から、あくびが出たり、眠ってしまったり、不安が湧いたり、頭痛や脱力や鼻炎などの身体症状が出現したりするのである。あくびや眠気は退屈の結果として片づけることができるかもしれないが、不安や身体症状については、どのように説明したらよいのであろうか。こうした現象をストレス仮説で説明しようとすれば、人間は、悪いことよりもよいことの方がストレスになると考えなければならないであろう。これは、ストレス仮説の大きな盲点である。

 ところで、昔から、戦争が始まると喘息患者がほとんどいなくなることが経験的に知られているが、阪神大震災の後にも、アトピー性皮膚炎を持つ患者のほとんどが、皮膚症状を好転させたことがわかっている(『朝日新聞』大阪版、1995年4月20日夕刊)。病院に受診できないため薬物も使えず、入浴もできないため皮膚は清潔に保てず、食事もそれまでとは大幅に異なるうえに、家屋や家族に大きな被害が発生するという大変なストレス状況のはずなのに、どうして皮膚症状が好転しなければならないのであろうか。緊急時にはストレスによる反応が持ち越され、ストレス状況が過ぎてからその反応を遅延して発生させると考えることができれば好都合であろうが、それにしても症状の好転を説明することはできないし、このように考えると、主として動物実験から導き出されたストレス仮説自体が破綻してしまうため、この現象をストレスによって説明できないのは明らかである。

 やはり阪神大震災で話題になった心的外傷後ストレス障害(PTSD)という考え方にも、大きな問題が潜んでいる。これは、もともと、ナチの強制収容所から解放された人たちに、解放後しばらくしてから観察された、さまざまな心身症状をもとに考え出された理論で、同様の症状が、ベトナム戦争から帰還した数多くのアメリカ兵にも観察されたことから、この考え方は一挙に注目されるようになった。しかし、このような症状は、その名称の通り、解放後に起こっていることに注意しなければならない。

 震災後のあるアンケート調査(たとえば、岡本他、1998年)によれば、その時の「ショック体験以後、感情が鈍くなり、心が死んでしまったように感じる。優しさ、愛情などの感情を感じにくい」など、心身の不調に関連する質問に肯定的に回答した被災者が少なくなかったという。PTSDの理論では、その原因を、大震災によるショック体験と断定的に考える。しかし、その統計的データの精度が高かったとしても、このような結果から言えるのは、被災体験と感情の変化との間に高い相関が認められたということにすぎず、両者の間に因果関係のあることが証明されたわけではない。にもかかわらず、何のためらいもなく因果関係があることにされてしまうのは、心理的原因はストレス以外ありえないという思い込みが、暗黙の前提としてあるためであろう。

 人間の心は、それほど単純なものでもなければ、弱いものでもない。また、このような大天災の後には、他にも種々の体験が必然的に続発するので、原因の特定にあたっては、当然のことながら、そうした要因をも考慮しなければならない。幸福の否定理論(笠原、1997年)からすれば、たとえば、大惨事に遭ったにもかかわらず、それを切り抜ける力が自分にあることがわかったとか、家族の愛情の強さが明らかになったとかの要因が、そうした症状の原因としてまず推定されるであろう。したがって、ショック体験を原因とするためには、このようなものを含め、他の可能性が否定できなければならない。ところが、その点についての考察は、これまで全く行なわれないまま、そのような断定がなされてきたのである。

妄想や異常行動にまつわる盲点

 正常と異常の境界は意外に不明瞭で、明確な線引きはかなり難しいことが多い。主としてそれは、“正常者”と言われる人たちにも、いわゆる異常行動がかなりの比率で見られることによる。とはいえ、分裂病を筆頭とする精神病についてはその限りではない。ある精神病理学者は、「家族や友人の……判断の的確さは一驚に値する」(木村、1994年、5ページ)と述べているが、このように、本当に素人が鋭いということなのであろうか。それとも、分裂病患者の側が、誰から見てもすぐに異常とわかる発言や行動をするのであろうか。

 それを明確にするには、幻覚や妄想の内容を検討すればよい。幻覚にせよ妄想にせよ、おおよそ次のような特徴を持っている。

 の3点である。つまり、現実に反しているにもかかわらず、それを訂正不能なほど強く思い込んでいるのがその特徴ということになる。この場合の核心は、「現実に反している」という点にあるが、現実に反していれば何でも妄想になるのかと言えば、もちろんそうではない。たとえば、貯金をほとんど持っていない者が「100万円の貯金がある」と思い込んでいても、理屈の上では妄想ということになるが、今とは貨幣価値の大幅に異なる時代に生まれた、よほど年配の患者でもない限り、現実にはそのようなことはまずない。実際には、「何十億円の貯金がある」というふうに、より非現実的な形を取るのである。

 被害的、関係的な妄想についても同じことが言える。「テレビを通じて自分のうわさが世界中に流されている」とか、「会社の同僚がテレパシーで自分の悪口を頭の中に吹き込んでくる」とか、「自分の考えが人に取られてしまう」などのように、ほとんど例外なく、誰が考えてもありえない、根本的に非現実的な内容なのである。しかも、幻覚にせよ妄想にせよ、その内容は、迫害・侮蔑的なもの、命令・誘導的なもの、慰撫・賞揚的なものにほぼ限定される。加えて、相手のとまどいをまるで無視した、憑かれたような異様な態度でそれを一方的に主張するため、超常現象の実在を認めている者からしても、強い違和感を覚える表現形態になってしまうのである。それなら、精神病の知識がなくとも、誰であれ直観的におかしいと思うであろう。やはり、素人が鋭いということではなく、誰が見ても(他の分裂病患者が見てすら)すぐに異常がわかるほど極端なのが妄想の特徴なのである。

 そうすると、きわめて大きな問題が発生する。なぜ誰から見ても異常と思えることしか妄想の内容にならないのであろうか。ここに至ってはっきりしてくるのは、うそをつくには本当のことを知っていなければならないのと同じように、正常と異常の区別を、患者がどこかで明確に行なっているはずだということである。妄想の原因を脳内の異常に求める人たちは、そのような区別が行なわれている理由をも、脳内の異常により説明しなければならないという難題を負わされる。いずれにせよ、分裂病の妄想は、(その時代や文化圏における)正常とは何かを(もちろん無意識的にではあるが)熟知していることが出発点となって成立する思い込みと言えるであろう。

 分裂病の患者もそうであるが、やはり脳内の異常が原因とされている小児自閉症の患者でも、その行動に興味深い特徴が観察される。それは、他者の指示によらず、自発的に何らかの行動を起こす場合、日常的な習慣的行動を除けば、ほとんどが人を困らせる結果になってしまうということである。たとえば、小児自閉症の場合、登校時や下校時には親がつき添わなければ電車やバスの乗り降りが速やかにできない子どもでも、無断で遠方まで電車を乗り継いで行く時などは、迷わずに目的を果たすことが難なくできるのである。一般に考えられているように、善悪の判断がつかないだけであれば、偶然に人を喜ばせる行動を取ることも時にはあるはずなのに、家族や周囲を喜ばせる行動を自発的に取ることが(年長になるにつれ、徐々に改善されてくるけれども)ほとんどないのは、なぜなのであろうか。ここでも、やはり、善悪の判断が実はどこかで適切にできていると考えざるをえないであろう。

参考文献

§
心理療法随想 6

 時間という問題

 ある作家は、新聞のコラムで、さまざまな具体例を列挙したうえ、「退屈との戦争にいかに勝利を収めるか? これは大問題である」(『朝日新聞』1997年1月7日夕刊)と述べている。この作家が、どこまで真剣にこの主張をしているのかはわからないが、心の専門家がこれまで、ごく一部の研究者(たとえば、小木、1974年)を例外として、退屈や時間という問題に真剣に取り組んだことがほとんどなかったのはまちがいない。それは、心の専門家が、そうした問題にそれほどの意味がないことを先刻承知しているためなのであろうか。それとも、この作家の方が、この問題の重要性を鋭く見抜いているということなのであろうか。

 ところで、退屈な時に発生しやすい、「ゲームにはまる」という現象を生理学的に検討しようという試みが、わが国で始まっているという(『朝日新聞』1998年5月21日夕刊)。その記事によれば、脳内で産生される化学物質の影響によって、「はまる」が「依存」に移行するのではないかと推定されているようである。とはいえ、仮にそのような状態にある者の脳内に、特定の化学物質が有意に多く検出されたとしても、それがゲームのようなものに「はまる」(あるいは依存する)原因になっているのかどうかは、それだけではわからない。そのような化学物質が検出されたとしても、それは、「はまった」(あるいは依存するようになった)結果かもしれないからである。前回の連載で指摘したように、そうした化学物質によって人間の行動を説明するためには、人間の行動について観察される、さまざまな側面をことごとく無視する必要がある。このような話を聞くと、現代科学は、人間をロボットと見なす傾向をますます強めていることがわかる。今回は、少々寄り道のように感じられるかもしれないが、これまで心理臨床でほとんど無視されてきた時間という側面から、いわゆる異常行動を眺めてみることにしたい。

時間をつぶすことの意味

 二十代のある女性は、仕事で拘束される以外の時間に、友人と会うなどの予定を、2週間先まで入れておかないと不安で、ひとり暮らしであるにもかかわらず、自宅に早く帰るのを極度に嫌うという、いわば帰宅恐怖症の状態に陥っていた。たまたま何の予定もなく、しかたなく早く帰宅した場合や、仕事がなく、朝から自宅にいる休日などは恐怖である。テレビやビデオを視て、あるいはゲームなどをして時間をつぶすどころか、食事を採ることすらできず、ひたすら眠り続けるか、それもできない場合には、パニックを起こし、夜中でも友人宅にタクシーで押しかけ、泊めてもらったりしていたのである。また、四十代のある女性は、朝、夫が出勤する時間になると、毎日のようにパニック発作を起こす。そして、出勤しようとする夫にすがりつき、出勤を止めようとするため、やさしい夫は、できる限り妻の要望に応えようとした。しかし、現実には職場を何日も休み続けることはできず、結婚して別居している娘に来てもらい、アルバイト料を払って母親の相手をしてもらっていた。

 このふたりの女性はいずれも、精神病など重度の疾患を持っていたわけではない。パニックを起こす時以外は、特に異常な行動は示さないし、誰かと一緒にいさえすれば、落ち着いてふつうの行動を取るのである。心の専門家は、このような事例について、心理的に未熟であるとか、自立心が弱いなどとして片づけようとすることが多いが、そのような“診断”を行なったところで、言葉の遊び以上のものにはならず、何の解決も図れない。被治療者に対して、そのような断定を行なうのであれば、専門家には、具体的な解決策を提示する義務や責任があるのではなかろうか。

 さて、以上の事例からわかるのは、こうした形のパニック症候群は、基本的に幸せな状態にあって、家事や仕事から解放されており、趣味や娯楽などの通常の時間つぶしができない状況で発生するということである。ところで、時間つぶしにふけろうとするのは、時間が自由に使える状況の中で、自律的生活であれリラックスであれ、前向きの行動を回避しようとする時だと言えよう。ところが、時間つぶしすらできない者の場合には、自らの前向きの行動を避ける手段として、パニックなどの症状が作られることになる。もちろん、パニックは、その場合に選ばれるひとつの症状にすぎず、飲酒や多食にふけったり、自傷行為に走ったり、自己憐憫に陥ったり、頭の働きを止めたりなど、他にもさまざまな症状がある。これは、単に私の推定を並べているわけではない。そのような角度から治療を行なった結果、先の女性は、現実にパニックその他の症状を消失させ、自宅でゆったりとすごせるようになっているからである。

 四〇代のある男性は、自宅の新築を人一倍楽しみにしていたが、いざ家が引き渡されると、その直後から強い強迫神経症を出現させた。引っ越しうつ病という名称はよく知られているが、一般に、単なる引っ越しでは症状は出ないので、これまでの引っ越しうつ病は、新築うつ病と呼ばれるべきであろう。また、家の新築に際しては、うつ病ばかりでなく、さまざまな心因性疾患が発生する。この男性の強迫神経症は、そのひとつのパターンなのである。この男性は、玄関の鍵の開閉やつり銭の確認を長時間繰り返すなど、よく見られる強迫症状を持っていたが、症状が最も強い時でも、車の運転中には強迫症状を起こすことはなかった。これは、四六時中、喘息の発作が続いている患者でも、運転中には発作が消えるか弱くなるのと軌を一にする現象である。

 心の専門家は、たとえば、強迫症状の原因は行動の不全感にあるなどと断定的に主張する。そして、それは、幼少期に両親から行動を途中で阻止されたためだ、などというのである。確かに、不全感は本人の意識にはあるが、それは強迫症状の必然的な随伴症状であって、強迫神経症の原因ではない。そのため、不全感を原因として治療を進めても、強迫症状を消すことはできない。

 ところで、詳細に観察すると、強迫症状には次のような特徴のあることがわかる。

 つまり、強迫神経症の患者は、たとえば家の新築などで、幸福感を感ずるはずの状況に置かれていて、しかも時間的、心理的にある程度──その程度には多少の個人差はあるが──余裕がある時に限り、無意味なばかりか確認ずみの事柄にのみ執着して、そこから抜け出せないという、自分の首を絞めるような状態を自ら作りあげるということである。そのためもあって、幸福感は意識から完全に隠蔽されてしまう。(私見によれば、これは、強迫症状の部分をそれぞれの症状に置き換えれば、心因性疾患全体に共通するメカニズムである。)このような視点からすれば、パニック障害や強迫神経症の症状には、原因の内容とは無関係に、時間浪費的な要素も含まれていることがわかるであろう。

時間の問題の本質

 ほとんどの人々は体験的に承知しているであろうが、時間つぶし以外の行動の場合、同じことをするのでも、時間がない時の方ができやすく、時間があるとかえってできにくいという、パラドックスのような法則が一般に存在する。人間にとって最も難しいのは、自由に使える時間がある時に、自分が本当にしたいことを自発的にするという、ごくあたりまえのことである。とはいえ、自分が本当にしたいことを意識で完全に自覚している者はきわめて少ない。

 音楽のある部門では、全国的なレベルでかなりの能力を持っている四十代の女性は、たまたま心理療法の中で、書道に深い関心のあることが確認された。振り返って見ると、これまでも書道には何度か挑戦していたが、いつも途中で挫折していたのであった。そこで、さっそく書道の道具を買い揃え、自宅近くに有力な書道家を見つけて弟子入りした。最初の稽古日に、その先生がいくつかの手本を書いてくれた。最後に、中腰になった先生が、畳に置いた大きな紙に字を書いているのを見た瞬間、本人は、弟子たちが居並ぶ中で、強い眠気に襲われ、一瞬のうちに眠り込みそうになったのである。そうした経過から、この女性は、大きな字を書くことに、なぜか強い抵抗のあることが推定された。そこで、心理療法の中で、大きな字を自分が書いている場面のイメージを作らせると、それだけで強い眠気に襲われ、わずか数十秒程度で熟睡してしまうのであった。それからは、書道の稽古への直面を避けるため、帰宅が遅くなり、家事も、一時的にではあったが、放棄するようになった。

 本当にしたいことは、もちろんひとつだけではないけれども、このように強い抵抗のあるものが、実は本人が本当にしたい事柄のひとつだと考えてよい。その理由については、ここで説明する余裕はないので、関心のある方は、拙著(笠原、1995年)第2章を参照されたい。意識で自分のしたいことがわかっている場合もいない場合も、時間がない時の方が、それに充てられる時間が少ない分だけ抵抗が少なく、時間が多い時の方が逆に抵抗が強くなる。そのため、人によっては、休日には、外に出かける約束や予定をいつも入れてしまうか、それができない時には一日中寝ているという形を取ることになる。そして、起きている場合でも、不安やパニックなどの心因性の症状を作るか、つまらないことで時間をつぶすか、一過性の痴呆状態を作るかするのである。このような症候群を、私は、有閑症候群と呼んでいる(笠原、1997年、第7章)。ところで、家事労働にそれほど時間を割く必要がない、子育ての終わった専業主婦や、仕事がなくなった定年後の人々にとっては、毎日が休日のようなものである。この場合、有閑症候群は、一過性のもので終わらず、時間との戦いが最後まで続くことになる。

 とはいえ、時間の余裕がある時に、自分が本当にしたいことを自発的、主体的にすることが、あらゆる人間の行動の中で最も難しいのは、なぜなのであろうか。その理由を、私は、幸福を否定しようとする心の動き(笠原、1997年)に求めている。

 では、心の専門家が心の主体性を無視しようとするのは、つまり、人間の行動を、受身的、環境因的、機械論的に説明しようとするのは、なぜなのであろうか。この問題については次回の最終回で検討することにして、ここでは、生活の心配がなく、義務から解放され、時間の余裕がある時に、周囲から迫られてではなく自発的に取る行動を、難しい順に並べておくことにしよう。ただし、5と6は、ふつうの人には難しい選択肢であろう。

 このうち、4と5の間には、心身症と精神病の違いに匹敵するほどの開きがあるが、1と2の間には、それよりもはるかに大きな開きがあるのである。

参考文献

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心理療法随想 7

 心の実在

共同幻想再考

 ある精神科医は、恋愛感情について次のように述べている。「恋愛という特殊な精神状態を精神科医がみると、その恋人がいなければ自分は生きていけないと思い込む一種の妄想状態である」(中村、1989年、191ページ)。この精神科医が、妄想の本質をまったく理解していないことについては驚くほかないが、ここでの問題は、この程度の思い込みや妄想的とも言える断定が、さまざまな立場の心の専門家に少なからず見られるという事実である。

 しかし、このような発言は、誤りがすぐにわかるので、まだ罪が軽いと言える。もっと重大なのは、脳や脳内産生物質の専門家による、次のような発言であろう。「心の世界は、測定もできず、観察もできない。ましてや心の働きを法則を立てて予測することなどできそうにない。……常に動いているのが心であり、その方向は本質的に不定である」(山鳥、1998年、190、202ページ。傍点、引用者)。「脳内をかけめぐる伝達物質の種類と量によって、“心”が決まるのだ」(生田、1999年、5ページ)。これらは一般向けの著書に書かれた文章ではあるが、著者の基本的姿勢がそのまま現われていることに変わりはない。こうした発言からわかるのは、脳や脳内産生物質の研究を専門とする人々は、心に関する粗雑な観察や思い込みを出発点として、その理論を組み上げようとしていることであり、どうやら、このような態度こそ科学的だと思い込んでいるらしいことである。

 その点については、これまで見てきたように、心の専門家も同じである。その程度の思い込みを出発点として、もっともらしい原因論を組み立て、それに基づいて心因性疾患を治療しようとするが、現実にはほとんど歯が立たず、根本療法にはほど遠い薬物療法にほぼ完全に依存するという状況が、今なお、世界中で続いているのである。のみならず、特に分裂病を筆頭とする精神病の患者に対しては、「薬は一日も欠かさず、一生飲み続けてください」とか、「病気と仲よくしなさい」などという仰天すべき発言が、ぼかした表現を使うことはあるにせよ、当然のように行なわれている。

 では、その指示に従って、一日も欠かさずに医師の処方する薬物を服用し続ければ、再発を免れ、真の意味で病気から立ち直る可能性があるのであろうか。残念ながら、それに対しては、きわめて難しいと言わざるをえない。また、病識がないとされる人たちに対して、病気と仲よくせよとは、どのような意味なのであろうか。心の専門家は、このような、根拠を欠く恐るべき発言を一方で行ないながら、これまで見てきたように、精神病を含む心因性疾患の根本療法の手がかりになりそうな観察事実を、ことごとく無視してきたのである。「精神病は治らなくて当然」とでも言わんばかりの、自らを説得するためとも思える態度に加えて、心の専門家は、おそらく無自覚のまま、ある種の見下しをしながら被治療者と接している。それは、自らの心の動きと被治療者の心の動きは、まったく別種の法則に従うはずだと思い込もうとしているためなのであろうか。

私の人間観

 これまでの経験から、私は、幸福の否定という奇妙な心の動きがおそらく万人に潜んでいることや、それがいわゆる心因性疾患を作りあげる出発点になっていることを次第に確信するようになった。拙著『隠された心の力』と『懲りない・困らない症候群』(いずれも春秋社刊)は、そのような視点から書かれたものである。私は、分裂病と診断された患者が、薬物を服用せずとも分裂病症状を完全に消失させ、経済的、心理的に自立し、いずれは親の面倒を見なければならないことなど、将来直面することになる現実的問題についても前向きに考え、常識や能力を自発的に発揮しながら生活するようになった──つまり、誰から見てもふつうの人になった──のを自分で確認している。さらには、痴呆状態にまで陥っていた分裂病の患者であっても、再び動作が機敏になり、手先が器用になり、要領がよくなり、頭の働きが格段に改善されるまでの経過も追うことができた。

 また、感情がまったく意識に昇らなかった人でも、喜びも含め、自然な感情が次第に湧き上がるようになるのも見てきた。そして、精神病であれ、心身症や神経症であれ、登校拒否や出社拒否であれ、心因性の疾患や行動異常は、“感情の演技”という、ひとつの方法で根本的に治療できることもわかってきた。さらに私は、幸福の否定を弱めた人たちが、それまで発揮できなかった能力を自然に発揮するようになる過程も観察し続けてきた。このような観察事実からすると、幸福の否定は、心因性の症状を作る出発点であるばかりか、能力の発揮を妨げる主体にもなっていることがわかる。

 人間は誰しもが、潜在的にかなりの自信や能力を持っている。にもかかわらず、自らの幸福を否定するために、そうした自信や能力を自らの意識に隠し、いわゆる心因性の症状を作ったり引っ込めたりしながら、自分には自信も能力もないとする芝居を、自らの意識に見せるため、現実の中で打っているらしいのである。幸福の否定などというふしぎな心の動きがなぜあるのかはまだわからないけれども、これが、現在の私の人間観である。この人間観は、進化論を含め、現行のいずれの理論とも根本から対立してしまう。

 このような考え方が、常識からどれほどかけ離れているかを、私はよく承知している。私とて、最初からこうした奇妙な考え方を取っていたわけではない。長い時間をかけ、次第に常識を乗り越えながら現在に至ったのである。私は、その理論体系を裏づけてくれる証拠を豊富に蓄積してきたので、今ではその事実性を確信しているが、常識からすれば、こうした考え方が奇異に映ることもわかる。そこで、仮にこうした理論体系が真理であるとすれば、心の専門家の態度はどのように説明できるかを考えてみることにしよう。

小坂理論の本質

 心の専門家の持つ問題点は、小坂英世先生の分裂病理論(小坂理論)にまつわる態度に、最もはっきりした形で現われている。“抑圧解除”により、分裂病症状が一瞬のうちに消えるとする小坂先生の主張に対しては、ごくわずかの例外を除いて、関心を示した専門家はいなかった。そして、小坂先生の人格攻撃まで行ない、追試もしないまますべてを却下し、現在はその存在すら抹殺してしまったのである。心の専門家は、なぜこうした異常な態度を取ったのであろうか。追試などせずとも、その理論がまちがっていることは明白だったとでも言うのであろうか。

 小坂理論を6年弱にわたって追試し、その後も、自前の心理療法で分裂病の患者を治療してきた私は、症状出現の直前にある、記憶の消えた出来事を想起させれば、その瞬間ないし直後に分裂病症状が消えることを繰り返し確認している。もちろん、それだけでは、分裂病症状の再発傾向は解消できないので、長期にわたって治療を継続しなければならない。その後の再発は、それまでのものとは質的に異なってきて、その解消に相当の時間とエネルギーを割かなければならないが、心理的方法だけで分裂病に対処できるばかりか、同時に、それ以外の方法は、根本的な治療法としては無効であることが明らかになるのである。心理的方法だけで根本的な治療ができ、脳をターゲットにした治療が対症療法以上のものにはならないということは、分裂病は、心に直接働きかけない限り、真の意味での治療はできないということである。

 ところで、現在の科学知識では、心は脳の活動の産物にほかならないとされている。心は脳から独立して存在するわけではなく、脳が活動する結果、心(というか意識)が生じ、それがあたかも自律性を持っているように見えるにすぎないというのである。端的に言えば、人間を、学習機能が不完全で、いつまでも壁にぶつかり続けるロボット類似のものと見なす現行の科学知識体系は、心が脳とは別個に存在するという考え方を、およそ非科学的な盲信と断定する。それに対して、アンリ・ベルクソンは、人間が死ぬと何もなくなるように見えるため、そのように主張されている以上のものではないことを、実に的確に指摘している(ベルクソン、1992年、97ページ)。つまり、現在の“科学的人間観”は、科学的根拠を完全に欠きながら科学の装いをしているにすぎないのである。

心の実在の否定

 ベルクソンは、また、次のようにも述べる。「哲学と科学は、この仮説〔心は脳の活動の産物だとする仮説〕と矛盾するもの、或いはそれに反するものを本能的に避けようとする傾向があります」(同書、88ページ。傍点、引用者)。この指摘は、心の専門家たちの奇妙な態度の本質をも鋭く見抜いたものと言える。本連載で紹介してきたように、心の専門家たちは、本能的という言葉がまさにそのまま当てはまるかのように、心(この場合、いわゆる無意識)にじかに働きかける心理療法を、無条件に否定してきたのである。

 では、小坂理論という分裂病の心理的原因論が、心の専門家によって、いわば感情的に忌避された理由と、心が脳から独立して存在するという考え方が、一般の科学者から不当に却下される理由とは、本質的な意味で関係があるのであろうか。理不尽な理由で拒絶されるという点ではむろん両者は共通しているが、ここで問題にしているのは、そのようなことではなく、その理不尽さが、同じ根から発したものかどうかということである。

 もし、このふたつの根が共通しているとすれば、心の専門家が、心理的原因をストレスのようなものと考えたがる理由もはっきりしてくるし、それとともに、心を扱っているはずの心身医学ですら、実際には心が不在になっているという、4回目の連載で引用したハリス・ディーンストフライの指摘も、意味がより明確になってくる。さらには、精神科医や心理療法家が、心にじかに働きかける方法を工夫しようとしないどころか、そのヒントとなりそうな観察事実をことごとく無視したがる理由も明らかになってくる。

 とはいえ、心の専門家が、心の実在を、本能的とも思えるほど感情的に強く否定しているとすれば、それはなぜなのであろうか。残念ながら、その理由は未だ明確ではないが、私の人間観をそのまま適用するとすれば、心の専門家は、心の独立的実在を無意識のうちに承知しているからこそ、それを避けていることになる。人間は誰しも同じような性向を持っているのであろうが、心の専門家は、職業柄、この問題に直面しなければならない分だけ、一般人よりも抵抗が目立ちやすいのであろう。

 人間には、現代科学からは想像もつかない側面が、依然として数多く残されている。そのためにこそ、私は、自らの人間観や、心の専門家たちの抱える根本的問題の核心に関する推定が正しいかどうかも含め、今後とも、人間の心自体の探究を続ける必要性を強く感ずるのである。

参考文献

月刊『春秋』誌に1999年8・9月合併号から2000年10月号まで、不定期に連載したものを改変。


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