前の絵を見る 前へ   鉛筆画[U]−都市 の一覧に戻る ホーム   次の絵を見る 次へ
 
清澄庭園・江東区 (鉛筆画・F8号)

泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」である。この庭園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものであるが、明治時代の造園にも受け継がれ、清澄庭園によって近代的な完成を見たと云われている。一説には江戸の豪商紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられている。その後、享保年間(1716〜1736)に下総国、関宿の城主久世大和守の下屋敷となり庭園の基が形造られた。明治11(1878)年に岩崎弥太郎が荒廃していたこの邸地を買取り社員の慰労や貴賓を招待する場所として造園を計画、明治13(1880)年に「深川親睦園」を開園した。その後も隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配すること等により庭園は完成した。清澄庭園は関東大震災で大きな被害を受けたが、この時図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし多数の人命を救った。尚清澄庭園はその後昭和54年に東京都の名勝に指定された。