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ニコライ堂 (鉛筆画・F6号)

聖橋でスケッチの取材を終えてから、JRのお茶の水駅より本郷通りを進むと近くにニコライ堂が見える。正式名称は東京復活大聖堂で通称「ニコライ堂」は1872 年(明治5年)に日本ハリスト正教会を樹立したニコライ神父(1861年に函館のロシア領事館付司祭として来日)の名に由来する。ロシア人建築家シチュールポフの設計図面を基にコンドルが実施設計・監理を行った。当地は東京市中を見下ろす高台で、大聖堂の大部分が外から眺められ東京のランドマークとなった。1923 年(大正 12年)の関東大震災後、修復工事を歌舞伎座や明治生命館を設計した岡田信一郎が担当し1929年(昭和4年)に完成した。
建築の様式はビザンチン式が基本で壁が厚く窓が小さく中央にドームが有り、外から見ると壮大で堅牢である。細かい部分にイギリスのロマネスク風やルネサンス式が巧みに取り入れられているのはイギリス人のジョサイア・コンドルが工事監理に当たったからであろう。建物の周辺には歯科大学やオフィスビルが建ち並んでいるが、ニコライ堂の象徴性のあるデザインとマッチし一つの美しい都市景観となっていた。