プレス集2002年
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2002年版
●「2002プロレスラー写真名鑑号」

趣味または特技「飯を食らう」、好きな有名人「マッスル北村」、ライバル「ちくのう」、抱負「人の技をパクらないようにする」
(『週刊プロレス』2002.1.15号)

●2002.1.23後楽園ホール vs 小川内潤戦

T2P独自の複合関節技が爆発
(『東京スポーツ』2002.1.25号)

近藤VS小川内、いきなりホールを温める
今大会のオープニングマッチとなったのが近藤修司VS小川内潤のシングル対決。おたがいに真っ向からテクニックをぶつけあい、ホール内の空気をほんのりと温める熱戦を展開した。最後は 近藤がジャックハマーからのゴリラクラッチで快勝
(『週刊プロレス』2002.2.12号)

清水勉氏〈週刊ゴング〉「(吊り上げコブラについて)こういう形の十字吊りというのがあるんですけど、それをコブラツイスト風というかヘッドロック風に入れた…変わった技ですね。ただ不安定なんで、ギブアップさせるには無理があると思うんですけど」
〈中略〉
清水「この2人の試合を観ていると、昔の新生UWFを観ているような…」
〈ゴリラ・クラッチ〉
清水「ヤングドラゴン杯の決勝で出したくて出せなかったというのが、彼にとって悔いが残ってたことらしいんですが」
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門#26 T2P日本逆上陸スペシャル第2弾』2002.2.16放映)

●2001.11.19佐久市総合体育館(の当日) vs TARU戦?

早朝のホテル前、出発を待つ近藤修司に、TARU選手のカメラが…
TARU選手「コンちゃんです。近藤起きろ!起きろ!起きろってだから!起きろ!」
近藤「いや、起きてますって!(と、指で目を開きながら)」
TARU「え、起きてんのこれで!うわ、ちっこい目やなオイ。立ちながら寝てるもんな…。
パワーファイターのコンちゃんでございますけども、今ちょっとホモ疑惑が出てますけど…」
近藤「(あわてて)いや、ホモじゃないです!自分がホモなんじゃなくって、
○○(練習生)が…、○○と(自分の)二人が、ホモに好かれるタイプ…」
TARU「男に好かれるタイプ、ですね。これ、全国放送やからなあ〜」
近藤「いや、ヤメてくださいよ(笑)」
TARU「コンちゃんでございました」
(近藤修司、カメラに向かって一礼)
(『info@闘龍門』2002.2.1放映)

●2002.2.27〜3.3『実力査定リーグ戦』パンフレット

近藤修司「ランサルセでリーグ戦を熱くする」

●2002.2.17ヒムナシオ・デ・ラ・ウニダ・クアウテモック vs 大鷲透戦(実力査定リーグ戦Bブロック予選)

「この日のベストバウトをあげるとしたらこの大鷲VS近藤の一戦だろう」(ウルティモ・ドラゴン校長)。体格差のある大鷲にパワーでまったく引けをとらない近藤。YD杯決勝カードの再現は、近藤が勝利を献上せず。開幕戦の波乱はこの試合か
(『週刊プロレス』2002.3.12号)

千秋楽固めに持ち込んだが、近藤が耐えて時間切れ。大鷲はレフェリーに当たり散らす
(『週刊ゴング』2002.3.14号〜2.17大鷲戦)

●2002.3.2名古屋市総合体育館第3競技場 vs 川畑憲昭戦(実力査定リーグ戦Bブロック予選)

パワーではT2Pで1、2を争う近藤が川畑を圧殺。最後は得意のゴリラクラッチで仕留めた
(『週刊プロレス』2002.3.19号)

●2002.3.3ディファ有明 vs 大鷲透戦(実力査定リーグ戦Bブロック代表決定戦)

メキシコでの借りを返そうと近藤が大奮闘。粘る近藤にキレてしまった大鷲が大荒れ
(『週刊プロレス』2002.3.19号)

藤本かずまさ氏〈週刊プロレス〉「筋肉の量自体は近藤選手の方が多そうなんで、ヒケを取っていないと思いますよ」
〈スタンディング・スリーパー〉
藤本「今、スリーパーはみんな寝てかけるんですけど、スタンド式のスリーパーって、最近珍しいですよね。あんまりやる人いないですよね」
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門#29 T2P日本逆上陸スペシャル第3弾』2002.3.30放映)

●2002.3.3ディファ有明 vs ミラノコレクションA.T.戦(実力査定リーグ戦決勝トーナメント準決勝)

決勝トーナメントでミラノが三島に続いて近藤をも秒殺。近藤は一日で2試合闘うというハンディを克服できなかった
(『週刊プロレス』2002.3.19号)

Aブロックは全勝のA.Tが決勝リーグへ順当に進出。近藤をパラダイス・ロックで秒殺するも、資質は見抜いていた!?
(『週刊ゴング』2002.3.21号)

藤本かずまさ氏〈週刊プロレス〉「(試合前に)ちょっと楽しみですよね。近藤vsミラノコレクション、シングル初対決。ゴリラvsモデル、ですね」
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門#29 T2P日本逆上陸スペシャル第3弾』2002.3.30放映)

ミラノコレクションA.T.選手「まあ大鷲透になんかボコボコにやられてたみたいなんで、軽く倒すことができたから、あとは決勝。ベルトを獲ります。グラッチェ!」(試合後のコメント)
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門#29 T2P日本逆上陸スペシャル第3弾』2002.3.30放映)

●2002.3.3ディファ有明 イタリアン・コネクション結成

ミラノが作る新チーム入りを拒否するかに思われた八木と近藤だが、T2P穏健派の森や土井に攻撃を加えることで加入を宣言。決め手となったのはミラノの「はっきりいって(入ると)おいしいよ」との口説き文句だったか
(『週刊プロレス』2002.3.19号)

「5月に対C-MAX戦が決まっています。その時までT2Pで新たにチームを作って動き出そうと思っています」ミラノの指名したのは、いつもパートナーを務める吉野、辻本の他に八木隆行、近藤修司だった。
「僕の調べたところ、この4人は非常にイタリアに縁のある人物です」とこじつけ、「この5人で新しくイタリアのチームを作ろうと思っています」
戸惑う八木と近藤に「入りますか。ハッキリ言ってチャンスだぞ」というこの一言が彼らに火をつけた。八木は森に、近藤は土井に、それぞれ襲いかかり、新チーム加入と忠誠を誓った。
ミラコレはチーム名を"イタリアン・コネクション"と発表し、メンバー一人一人に新リングネームを付け始めた。近藤には、ローマで一流ブランドの専門店が並ぶコンドッティ通りからコンドッティ修司と命名。漁師の八木にはペスカトーレ(イタリア語で漁師)八木とつけられた。
辻本は愛称ヤッシー(恭史)からbrotherを残してYASINNI(ヤッシーニ)(※原文ママ)、吉野はそのままYOSSINO(ヨッシーノ)とイタリア風味にアレンジされた。
(『週刊ゴング』2002.3.21号)

●「連写分析 T2Pジャーベ講座」

ゴリラ・クラッチ〈コンドッティ近藤〉※原文ママ ★★★☆☆
腕を使ったインディアン・デスロック。これはしっかり足を決めないと、相手の脚力で返されてしまう。パワーに自信があるのだろう。そのまま引っくり返して、グランドに持ち込みボディシザース。これで安定感が出た。
(『週刊ゴング』2002.4.4号〜特集グラビア)

●「ITALIAN CONNECTION INTERVIEW」

コンドッティ修司「ローマ出身です。自分自身も気付いていませんでしたけど、ミラノさんにイタリア人だって言われて、最近、やっと自覚が出てきました」
修司「ウチらは斉藤了のチームと6人タッグで戦ったけど、アンソニー、セカンド、あの2人はまったく問題なかったね。でも斉藤了に、てこずりました?」
八木「ちょっとてこずっちゃいましたね。(中略)でも最後、向こうは3人がかりでベルリネッタを潰しにかかったからね」
〈中略〉
----ミラコレさんたちは彼らの試合はご覧になっていたんですか?
ミラコレ「見てなかったんですよね。ちょうど新しいブランドの本が入ってたので、そっちに夢中になってしまって。(中略)ベルリネッタがやられてる間、他の2人は何やってたの?」
修司「ちょうどブランド品の本を…」
(『週刊ゴング』2002.6.13号)

●2002.5.29〜『闘龍門2000プロジェクト』パンフレット

グッチ、フェラガモ、プラダ、アルマーニ…。世界に名だたる有名ブランドが立ち並ぶローマのメインストリート、それがコンドッティ通り。パワーファイターで鳴らしていた近藤修司は、その名前がイタリアにゆかりが深い(?)ことをミラノに見抜かれ、イタリアン・コネクションに加入した。ラグビーで鍛えた強靱な肉体から繰り出される豪快な技の数々は、イタコネの中にあっても異彩を放つ。図太さも加わって、手がつけられない存在になる!

●2002.5.29小倉北体育館 vs 福政淳也&菅原拓也組戦(P:ペスカトーレ八木)

第1試合ではイタコネのK・修司(※原文ママ)&P・八木が強さを見せた。修司がゴリラクラッチで日本初登場の菅原拓也を撃破
(『週刊プロレス』2002.6.18号)

コンドッティ&ペスカトーレはタッグで息の合ったところを見せた。最後はゴリラクラッチで勝負あり。見事、初陣を飾った。
(『週刊ゴング』2002.6.20号)

●2002.6.6後楽園ホール vs 斉藤了&アンソニー・W・森&セカンド土井組戦(P:YOSSINO&"brother"YASSINI)

闘龍門2daysのベストマッチは、これだ!
世界最速の地上戦
セカンド土井は闘龍門の5期生である。(中略)その土井が、遅ればせながら2月末に日本デビュー。そして今回、後楽園の大事なセミに”スタメン出場”することになった。一方のイタリアンコネクションは、ミラノがメインで闘うため、6人タッグでははじめての編成が試された。コンドッティ修司が加わったのだ。両チームの構成を考えれば考えるほど、この試合がメイン級の盛り上がりになった意義は大きい。空中殺法が皆無に等しいにもかかわらず、まるで大空中戦を見ているかのようなスピーディーな展開。見慣れたサブミッションでも、入り方がすべてにおいて新鮮。2人で1人を決めるものや、逆に1人で2人の関節を捕えるものなど、その種類は多岐にわたる。そこにカットプレーが加えられるから、本当に一瞬たりとも目が離せない。2日間を通し、この試合がベストマッチとの声が多い。土井もコンドッティも、見事に役目を果たしたといっていいだろう。
(『週刊プロレス』2002.6.25号)

ミラノ抜きの編成でも、タイトなイタリアンコネクション/
イタリアン・アート オブジェのようなジャベ/
YOSSINO、YASSINI、コンドッティの3人で試合に臨むのは、意外にもこれがはじめて/
イタリアンコネクションのジャベが、3方向で同時に決まる。2日間を通じてのベストマッチが、この試合だった。こんなスピーディー&スリリングな地上戦は、T2Pでしか見られない!/
コンドッティにサイクリングヤッホーを仕掛けた斉藤だが、投げっ放しジャーマンで切り返された。
(『週刊プロレス』2002.6.25号)

清水勉氏〈週刊ゴング〉「(コンドッティ本人は)オシャレ大好きとか言ってんですけども、とてもオシャレ大好きそうな顔には見えないんですけどね」
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門#33 T2P日本逆上陸スペシャル第4弾』2002.6.28放映)

6・6 T2P後楽園ホール大爆発!
C-MAX VS T2P激しすぎる開戦!!
満員に埋まった会場をあとにしたお客さんの顔は皆満足そうだった。愛すべきプロレスの本当の魅力に出会いたいなら、聖なるライブに参加するしかないだろう。アルティメット・ウォリアーに変身したコンドッティー修司(※原文ママ)、たこ壷固めを持つ漁師ペスカトーレ八木、永田裕志風の三島来夢は次回からは闘龍門の方に送り込まれた。熱のこもった王道プロレスの戦争は始まったばかりなのだ。
(『紙のプロレス』2002.51号)

●2002.6.7後楽園ホール イタコネ、JAPAN会場に初乗り込み

イタコネが逆殴り込みで宣戦布告
「闘龍門JAPAN全員が敵!!全面対抗戦です!!」
前日のT2P興行での乱闘で火がついたイタコネは、翌日の闘龍門JAPANへの殴り込みを宣言した。彼らがその勇姿を初めて闘龍門の会場に現わしたのは休憩明けのMCでミケーレを連れたC-MAXがリングを占拠した後のことだった。南側の雛段の中央通路にミラコレを始め、イタコネ6名が姿を現した。すると場内から一斉にブーイングが上がった。ブーイングだけではない。「帰れ」コールまで起こった。闘龍門で育ったファンにとって彼らは他人、異分子、よそ者なのだ。
(『週刊ゴング』2002.6.27号)

●2002.6.15豊橋市総合体育館第2競技場 vs セカンド土井&岩佐卓典&菅原拓也組戦
 2002.6.16四日市オーストラリア記念館 vs セカンド土井&福政淳也&菅原拓也組戦
(P:ペスカトーレ八木&ベルリネッタ・ボクサー)


JAPAN vs T2P、開戦には至らず。
闘龍門ジャパンとの全面対抗戦を要求したT2Pのイタリアン・コネクション。しかしながら、現段階では全面はおろか、C-MAXとの対戦すら微妙な状況に置かれてしまった。ミラノは、メンバーのうち3人を日本に残留させた。豊橋大会から全大会におけるジャパンとの対戦を想定していたに違いない。ところが、いざフタを開けてみると対戦カードに名前すらないのが現実。当然、3人はカード変更を執ように要求する。それに対し、ジャパンの面々は冷ややかな反応…。望月と岡村社長が出した結論はセカンド土井らとの第0試合だった。まずはT2P対決を披露せよということだ。(中略)確かに、T2Pならではのジャベが何回も顔を出した。それでも、本来のT2Pだったかと問われれば疑問が残る。とくに前半、ジャパンとの対戦や日本のファンに向けた6人タッグをしてしまったような気がしてならない。6・6での番外戦が殺気だったのは、双方からまったく異なるカラーを感じたから。それだけに、ここはまったく受け入れられずともT2Pにしかできない闘いをするべきだったと思う。アラケンは試合後、八木に向かい「キャラがかぶってるから」ということで一応の受諾をした。とはいえジャパンでは現在3軍による争いが満開で、T2Pの存在感は大会が進行するにつれて薄くなっていった。たとえキャラがかぶろうとも闘い方がかぶっては…。
(『週刊プロレス』2002.7.2号)

2日間ともコンドッティ修司がフィニッシュをとった。しかしながら、ジャパン勢は冷めた反応。今後、イタコネはどう打って出る!?
(『週刊プロレス』2002.7.2号)

●2002.7.7神戸ワールド記念ホール vs 新井健一郎&スペル・シーサー&三島来夢組戦(P:ペスカトーレ八木&ベルリネッタ・ボクサー)

イタコネ、神戸に殴り込み アラケンからギブアップ勝ち!
闘龍門ジャパンとT2Pの対立がいよいよ本格化してきた。コンドッティ、八木、ベルリネッタのイタリアンコネクション勢がジャパンのビッグイベントに殴り込み。なんと、正規軍の事実上のナンバー2であるアラケンから完璧なギブアップ勝ちを奪った。(中略)イタコネが日本の大会場で試合をおこなうのは今回が初めて。しかしながら、3人はじつに堂々とした闘いっぷりを披露。(中略)イタコネの3人は対ジャパン勢では現在のところ負けなし。そしてさらに、今大会では二期生のトップを走るアラケンまでをも破ってしまった。イタコネはこのまま9・8有明まで突っ走るのか。全面対抗戦の結末やいかに……。
(『週刊プロレス』2002.7.23号)

コンドッティがアラケンをゴリラクラッチで捕獲。このままグラウンドに引きずり込み、アラケンからギブアップを奪った。「C-MAX、M2Kと闘ってきた自信が裏目に出た。きょうは負けを認めます…」(新井)
(『週刊プロレス』2002.7.23号)

藤本かずまさ氏〈週刊プロレス〉「レスラーとしてのキャリアはまだ少ないんですけど、雰囲気出てきましたよね。やっぱり闘龍門JAPANにケンカを売ったので、度胸がかなり座ってるんじゃないですか」
〈足へのラリアット〉
藤本「足へのラリアットですか?中西(学・新日本プロレス)選手の"マッケンロー"とちょっと似てましたね」
〈新井選手からゴリラ・クラッチで勝利〉
藤本「これは金星でしょう」
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門#35 7・7神戸ワールド記念ホール大会スペシャル』2002.7.15放映)

ミラノコレクションA.T.選手「やっぱり日本人とイタリア人の差…。闘龍門JAPANは大したことないですね」
コンドッティ「あいつらはね…やっぱねえ、顔が違う。坊主のヤツ(新井)は間違いなく日本人の顔してる」(試合後の控え室で)
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門#35 7・7神戸ワールド記念ホール大会スペシャル』2002.7.15放映)

●マル秘 オフレコ通信「イタリアン・コネクションの夢」

イタリアン・コネクションには夢がある。それは6人揃って母国・イタリアに帰郷することだ。現在は全員がメキシコを生活の拠点としている。(中略)ここで6人の間に共通の案が思い浮かんだ。ペスカトーレ八木の所有する漁船で故郷に帰ろうというのだ。プロレスラーであり、バリバリの漁師でもある八木の漁船の名はミウミウ号。この船に乗ったことがあるのはコンドッティ修司ただ一人らしい。あとの4人は見たことがなければ、存在すらも疑う始末。それでも「まあよくある漁船ですけどね」と話す八木の言葉には、とにかく興味津々なのだ。ただ普通に考えてもメキシコからイタリアまで漁船で行くとなるとかなりの冒険である。飛行機で帰れば手っ取り早い、という声が聞こえてきそう。だがそれ以上に彼らの興味を引いたのが八木の漁船の話だ。帰郷の話など何処へやら。いつしか話題はミウミウ号でもちきりとなってしまった。イタコネは結構、移り気だったことが発覚した…。
(『週刊ゴング』2002.7.25号)

●2002.7.20博多スターレーン vs 岩佐卓典&福政淳也&菅原拓也組戦(P:ペスカトーレ八木&ベルリネッタ・ボクサー)

ベルト挑戦に向けて徐々に調子を上げてきているイタコネの面々。とくにコンドッティ修司のパワーファイトは魅力的だ
(『週刊プロレス』2002.8.6号)

●2002.8.11ディファ有明 vs アンソニー・W・森&フィリップ・J・福政&ヘンリー3世菅原組戦(P:ペスカトーレ八木&ベルリネッタ・ボクサー)

コンドッティ修司、ペスカトーレ八木、ベルリネッタ・ボクサーのイタコネ勢が9・8有明のマグナム組の対戦相手に名乗り。試合では連係を駆使してロイヤル・ブラザーズをいたぶった/修司らからケンカを売られたM2Kがこの一戦を視察。マグナムがT2Pの会場を訪れるのは初めてのこと
(『週刊プロレス』2002.9.3号)

ここ(同日行われたイタコネ6選手によるUWAトリオ王座挑戦者決定戦出場権争奪6WAY戦)で敗れたコンドッティらはマグナムに有明での対決を迫ったが、正規軍にも敗れ…。
(『週刊ゴング』2002.9.5号)

●2002.8.24札幌テイセンホール vs アンソニー・W・森&ヘンリー3世菅原組戦(P:ペスカトーレ八木)

札幌2連戦初日にはミラノも登場。試合に敗れた修司と八木にカツを入れて王子を襲わせた。すると斉藤が救出にやってきた。「アンソニーに手を出す奴は俺が許さない」(斉藤)。2人の関係はどうなる?
(『週刊プロレス』2002.9.10号)

●2002.8.25札幌テイセンホール vs 望月成晃&斉藤了組戦(P:ペスカトーレ八木)

大鷲透という男は危険極まりない男だ。(中略)まずは第4試合の望月&斉藤組VS修司&八木組戦に乱入。望月とイタコネの注目の初遭遇は、大鷲の大暴れという形で幕を閉じてしまった。(後略)
(『週刊プロレス』2002.9.10号)

●「闘龍門JAPAN×T2P チーム別選手名鑑」

「イタリアン・コネクション」
"56のジャベを持つイタリアの伊達男"ミラノコレクションA.Tが結成したT2P最強のユニット。もともとは、ミラノ、吉野、ツジモトがT2Pのトップ3としてトリオを結成していたが、今年3月に「T2P内にイタリアと関係の深い人物が5人いた」(ミラノ)として、吉野ら5人をイタリア風(?)のコスチュームとリングネームに変え、晴れて「イタリアン・コネクション」として6人で再結成。ミラノをリーダーに、"ターザン"YOSSINO、"brother"YASSINI、"イタリアの漁師"ペスカトーレ八木、"ストリートパワーファイター"コンドッティー(※原文ママ)、"音速のボクサー"ベルリネッタボクサーが、イタリア人としての誇りを胸に、エレガントかつファッショナブルな闘いを目指す。
(『紙のプロレス』2002.53号)

●2002.8.30釧路鳥取ドーム CIMA vs 川畑戦に乱入

重大危機!CIMA、肋骨負傷
勝利の瞬間にコンドッティ修司とペスカトーレ八木が襲撃。/猛烈なアタックを浴びせて「クレイジーの弱点はCIMA」と。
(『週刊ゴング』2002.9.19号)

●「プロレスカード2002」

KONDOTTI SHUJI(※原文ママ)
ラグビー出身のガッチリした体格から繰り出すパワー殺法を特長とする、イタリアン・コネクションの斬り込み隊長。イタコネ加入で近藤修司から改名したリングネームは、有名ブランド店が立ち並ぶローマの目抜き通りの名に由来する。
(ベースボールマガジン社「プロレスカード2002」2002.9.5発売)

●2002.9.8『闘龍門 ABSOLUTAMENTE』パンフレット

パンパンに鍛え抜かれた分厚い肉体を誇る、イタコネきってのブルファイター。8・11ディファでのイタコネ代表決定戦ではミラノに一蹴されてしまったが、彼も伊達や酔狂でイタコネに加入したわけではない。早速、9・8有明ではマグナム率いる国際的ダンス・ユニットに焦点を絞った。上を目指す野心は人一倍強いだけに、ここは一発、大物食いを期しているはず。そのパワー殺法とジャベで、ブレイクの瞬間を虎視眈々と狙う!

●2002.9.8有明コロシアム vs マグナムTOKYO&ディスコ・インフェルノ&ラティン・ラバー組戦(P:ペスカトーレ八木&ベルリネッタ・ボクサー)

藤本かずまさ氏〈週刊プロレス〉「この中に入ると、さすがのコンドッティ選手もあんまり大きく見えないですね」
〈あっけない幕切れに〉
藤本「いやもう相手の空気に呑まれましたよね」
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門 LIVE SPECIAL〜ABSOLUTAMENTE〜 9・8有明コロシアム』2002.9.8放映)

マグナムTOKYOを中心に、元WCWのディスコ・インフェルノとAAAの貴公子ラティン・ラバーがわきをかためる。日本、アメリカ、メキシコの"ファイティングダンサー"が一堂に会したのだから、それだけでも大きな見せ場である。とはいえ、ジャパンとT2Pの全面対抗戦と銘打つ大会だけに、対するイタリアン・コネクションは"バックダンサー"におさまるつもりなど毛頭ない。抽選により六角形リング使用の権利を得るとコンドッティ修司が「踊らせねえ!」と、挑発。(中略)しかしながら結果は、イタコネの完敗。マグナム組の圧勝だった。
(『週刊プロレス』2002.9.24号)

イタコネたちの見せ場は前半のジャーベ合体だけ。あとはダンシング・トリオが圧倒。
(『週刊ゴング』2002.9.26号)

コンドッティ「だいじょうぶか、おい?」
ペスカトーレ八木選手「だいじょぶだいじょぶ」
コンドッティ「なんだおまえあいつら?ダンサーって聞いてたからよ、おまえなあ、あんなレスラーを連れてくると思わなかったよ、俺ら。なんなんだよおまえ」
八木「ホントだよ!あんなワケのわかんない外人連れて来やがって!おい!」
コンドッティ「ダンス軍団っていうからおまえ、いつものよお、なあ。日本人2人踊ってるヤツかと思ったよ」
八木「ホントだよ!」
コンドッティ「フザケんじゃねえよなあ…。(ベルリネッタ・ボクサー選手に)しゃべんねえか?おお?苦しい?(B・ボクサー選手、手振りで「しゃべれない」のポーズ)」
八木「まあ今日は…。今日はよお、あいつらのダンスでちょっと調子狂っちまったけどよお」
コンドッティ「ホントだよ!だいたいおまえ六角形だって決めてんのにおまえ、なんで四角形でやるんだ?」
八木「今度やるときは六角形で勝負だ!おい」
コンドッティ「あいつら(外国人2人)M2Kじゃねえよなあ?(今度は)M2KだM2K!おまえらだ、おまえら!あんなダンスマン連れてくるな!」
八木「この借り、絶対返してやるからな!」(試合後のコメント)
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門 SPECIAL〜ABSOLUTAMENTE〜 9・8有明コロシアム(再編集版)』2002.9.13放映)

ミラノコレクションA.T.選手「今日、他の3人(コンドッティ&八木&B・ボクサー)はちょっと負けてしまいましたけどね。まあ彼らも器がでかいですから、こういうお祭り的な場に呼ばれたあの外人どもに花を持たせてやったっていうね、そういう彼らは器がでかいものを持っていますから。これからイタコネでもっともっと面白い試合、やって行きたいと思います。そして、みんなでファッションショーに出れたらいいなって、そう思います」(コンドッティらの試合評)
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門 SPECIAL〜ABSOLUTAMENTE〜 9・8有明コロシアム(再編集版)』2002.9.13放映)

「知恵の輪?」
プロレス史上最も難解な技を目撃。
かけた方もかけられた方も何が何だかわからない、まさに闘龍門ワールド。
2002年9月8日 有明コロシアム  東京スポーツ新聞社 内田忠宏)
(第7回プロレス写真記者クラブ写真展『激闘』2003.7.4〜23開催時に出展された「合体オブジェ・ジャベ」の写真についたキャプション)

●2002.10.27ディファ有明大会を病気欠場

「D ARENA マット界一刀両断!〜ウルティモ・ドラゴン〜」
コンドッティが欠場しました。一体何?あんまり笑えないんだけど、昔、カズ・ハヤシがやったのと同じやつです。右なのか左なのか?まあそんなことはどっちでもいいんだけど、1日も早い復帰をお祈りしております(笑)。注:かわいそうなので本人には聞かないように!
(『週刊ゴング』2002.11.14号)

CIMA選手「イタコネはデブが1人いてないようですけど、ほぼベストメンバーですよね」(10・28後楽園大会。神田教頭に、UWAトリオ王座戦リターンマッチをアピールするCIMA選手のMC)
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門#41』2002.11.23放映)

●「闘龍門 ここで差がつく 冬季集中講座!」

「凄技チェック」
3位 ランニング・ノド輪落とし(大鷲 透)
〔選手たちの証言〕「高くて怖い」(コンドッティ修司)
次点 ランサルセ(コンドッティ修司)
「記憶が飛んだ」(フィリップ・J・福政)
「そりゃあ、あんな体格で突っ込んできたらねぇ」(鯱魔神壱号)
※5位以下、3つの技が次点に。
(『週刊プロレス』2002.12.24号)

●2002.12.7ヒムナシオ・デ・ラ・ウニダ・クアウテモック vs 石森太二戦(第6回ヤングドラゴン杯決勝戦)ほか

「D ARENA マット界一刀両断!〜ウルティモ・ドラゴン〜」
第6回ヤングドラゴン杯、メチャよかったですよ!特に決勝戦は大会史上一番の好勝負でした。まあ、誰が優勝したかは、来週のゴング誌上をお楽しみに。(後略)
(『週刊ゴング』2002.12.26号)

ミラコレ(※原文ママ)のコンドッティは格上であり今大会のダントツ本命候補。/ウルティモ校長は「特に石森-コンドッティの試合は素晴らしかった」と感想。また層が厚くなる。
(『週刊ゴング』2003.1.2号)

1回戦でのダメージが残るSUWAシートをいたぶりまくったコンドッティ。ゴリラクラッチで決勝進出を決めると、B・ボクサーと2人でC-MAXの旗をビリビリに…/
逆上陸が本当に楽しみな石森。本命のコンドッティを破り、大きなインパクトを残してみせた。/
本格始動とはいかない段階ながら、闘龍門XがT2Pを上回る大殊勲。優勝した石森は「先輩には勝てないだろうと思う一方で、Xの名を上げるためになんとしても勝ちたかった」。セレモニーでは準優勝のコンドッティが石森に握手を求めたが、これは罠。トロフィーがイタコネに持ち逃げされてしまった!
(『週刊プロレス』2003.1.7号)

清水勉氏〈週刊ゴング〉「コンドッティなんですけど、昨年準優勝ということで、今年はどうしても欲しいと(思います)。これまでのヤングドラゴン杯を見ますと、1回目から3回目までが闘龍門JAPANの選手。そして4回目5回目がT2P。つまり今回勝てば3年連続T2Pということなんですけども、もしここで負けてしまうことがあると、早くも(闘龍門)Xに切り替わってしまうんですよ。近藤選手(※ママ)としては、阻止しなくてはならないところですよね。ただ、斉藤了選手が2年連続準優勝っていうのもありますからね。(中略)コンドッティとしては、このタイトルを獲って日本に帰ればかなりハクがつきますからね」
〈試合後の表彰式シーン〉
高柳謙一アナ「これはコンドッティにしたら、悔しいですよね」
清水「もう十中八九勝ったと思ってたんじゃないですか」
高柳「ああ、(石森選手に)握手を求めていますコンドッティ修司。意外といいところがあります。まあ校長の前ですからね。2年連続準優勝という形になりましたコンドッティ修司。…カップを奪い去りました!何というヤツでしょうか!」
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門#44 T2P日本逆上陸スペシャル第6弾』2003.1.17放映)

●2002.12.20後楽園ホール CIMA&SUWA&エル・キングコング組 vs YOSSINO&"brother"YASSINI&ペスカトーレ八木組戦のセコンドについたコンドッティについて

CIMA選手「(リング)下にいてる…名前何でしたっけ?」
高柳謙一アナ「覚えましょうよ!T2Pのも…。コンドッティ修司」
CIMA「そう、コンドッティは…すごい力でしたよ。我々の中では、フジイさんよりもしかしたらあるんじゃないかなというくらい…。1回だけ対戦したんですけど、そこはビックリしましたね」
高柳「あ、そうなんですか?ゴリラ・クラッチっていう十八番を持ってますけど」
藤本かずまさ氏〈週刊プロレス〉「下半身とかしっかりしてますからね」
高柳「T2P唯一の…唯一じゃないですね。大鷲を抜かしたら、かなりパワーを持っています!」
藤本「ある意味、大鷲選手よりパワーあるかもしれませんよ」
CIMA「いや、いちばんありますよ、たぶん」
高柳「ということは、コンドッティ修司はCIMAさんはかなり買ってるという…?」
CIMA「買ってるっていうかまあ、とりあえず力はあります」
藤本「だからT2P含め、闘龍門の中にパワーファイター系の選手ってあんまりいないじゃないですか。だから、ある意味特長があっていいと思いますよ」
(『VAMONOS AMIGOS!闘龍門#45』2003.1.24放映)

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