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villege of rokugou

36.日坂越から鍋倉山・六合を経て大津谷公園まで

  1. コース概要
  2. 鍋倉山にて一首
  3. 谷山のおばあちゃん
  4. 六合のおもてなし
  5. 次男ともどもラッキーは去る
  6. 懐かしやカレーの味
  7. コースミニガイド

平成11年5月3日(月)

1.コース概要

前回は日坂越え付近のベンチ脇で幕営しましたので、今回はここから鍋倉山を越え春日村を目指します。
日坂越えを越えると、右手に長者平が見下ろせます。 ここにはその昔、山岳民族の豊かな集落があったそうで、そこから"長者"の名がついたとのこと。
日坂越は鍋倉山への入り口です。 鍋倉山は岐阜県内のルートの中で最高峰の伊吹山系の山です。 木立の間から貝月山や伊吹山を望む事が出来ます。
鍋倉山から下山すると谷山集落に出ます。 この集落は12世紀から続いてきた古い集落ですが昭和41年に全戸が離村し廃村となりました。 いまでは、暖かい時期に老人たちが帰ってきて畑作などをしています。
六合は春日村の中心地です。春日村は国歌・君が代に出てくるさざれ石の産地で有名です。
粕川沿いを下ると憩いの泉が湧いています。 さらに下ると瑞厳寺に出ます。 この寺は1336年に美濃の国の豪族・土岐氏が建立した物で、後の南北朝時代に北朝の後光厳院が行所を設けました。
瑞厳寺からほど近くに蘇生の泉が湧いてます。 その昔、瑞厳寺に行幸なさっていた後光厳院を尋ねてきた時の関白・二条良基が疲れ果ててこの水を飲んだ所、たちまちのうちに元気になったという言い伝えがあります。
大津谷公園の近くには願成寺古墳群があります。 この古墳群は岐阜県内最大の物で、4世紀から7世紀にかけての物と思われる円墳が100基以上集中しています。
今回は約24km9時間の道のりです。


Map of rute


2.鍋倉山にて一首

本日も引き続き東海自然歩道三兄弟の行程です。 三兄弟とは、僕(長男)、岡野さん(次男)、佐々木君(三男)の事です。
今回、佐々木君が持ってきたテントはチョット大きなテントです。 以前、仙丈ケ岳に3人で登った時は小さなテントに寿司ずめ状態で寝たものです。 その折は満足に寝返りも打てない、少し息苦しい幕営でした。 仙丈の時にも佐々木君はもう少し大きなテントを持っていたのですが、あいにくテントだけ神戸出張に出だしていたのでした(震災の被災者に貸し出していたのですね)。 復興のために手を差し伸べる所など、さすがに長男の教育が行き届いているようです(^o^;)。 次回は大きなテントにするからねと佐々木君は話していたので、我々も神戸出張から帰ったテントが登場するものだと思っていました。 ところが、出張から帰ってきたテントは新品のものに変わっていたとのことで、佐々木君にとっては親切がラッキーになって帰ってきたというところです。 おかげで、今回は新品のテントでゆったりと快適な一夜を過ごす事が出来ました。
目覚ましが鳴ったのが5時過ぎ。 一番最初に起き出すのはもちろん長男です。 ただし、シュラフにくるまりながら、
「はよ起きなあかん、むにゃむにゃ」
と言っているだけ。 結局、テントから顔を出したのは6時前。 日坂で仕入れたきつねドンベエで朝ご飯です。 幕営の朝にしてはちょっとリッチな気分です。 テントを撤収したら本日の行程に出発です。
じわじわと上り坂を登り長者平との分岐点を過ぎ、日坂越を越えると稜線になり展望が開けました。 このあたり、とても道が良い。 雑木林の中を通る道は、落ち葉が積もってふかふかな所が多いのです。 展望が開けたものの、周囲には朝靄が立ち込め遠望が効きません。 しかし、稜線伝いの道は気持ちの良いものです。
さて、かかとの具合が思わしくない次男は、長男の杖をせしめて歩いています。 この杖の効果は絶大らしくて、それまでいやがっていた下りの階段が楽に下れるとあり、下りで階段が現れると”ワーイ”と喜んでいます。 いやはや現金な次男です。
鍋倉山の山肌の登りは石造りの階段になっています。 この階段は段差がゆるくて登り易く、三男も絶賛していました。 長者平を見渡してから鍋倉山頂に8:55に到着。 今回の3日間の行程の登りはほぼおしまいです。 靄で遠望は効きませんが気持ちの良い山頂でした。 山頂の標識で写真を撮ります。
山頂から20分ほど稜線を歩くと大きな広場に出ました。そこには本当に立派な休憩小屋がありました。 早速入り込む三兄弟。 ここは今までの東海自然歩道の休憩小屋で間違いなくベストです。 一段高い所に板の間があり、裏手にはトイレもついています。 書きこみ帖があったので三人で書き込みをします。 昨日であった熟年三人組の書きこみもあり、そこに一句詠まれていました。
”国見山 どこにみゆるか 五月晴れ”
これに対抗して僕も一句詠まねばならないと次男が言うので駄句を残してきました。
”春霞 心は快晴 東海自然歩道三兄弟”
失礼いたしました。


3.ビーチサンダルの登山者

山頂の霧はますます濃くなり、三兄弟を包み込みます。 写真が取れるうちにという事で、山小屋前で急いでシャッターを押しました。
山頂からの下りは結構長くてそこそこ急です。 見る見るうちに高度を落としていきます。 しかし、この山は広葉樹林が多いとても気持ちの良い山です。 また、きれいな水も豊富に湧き出しています。
広葉樹林が杉林に変わる辺りで標識がありました。 その標識に残されていたのは、激しく引っかいた跡。
「これは熊だなぁ。」
ちょっと緊張する三兄弟でした。
沢で遊んだりしながら、ゆるゆると下りますが、なかなか谷山廃村集落にたどり着きません。 地図に表示のコース所用時間よりもかかってしまいます。 結局谷山に下りて来た時にはお昼近くになっていました。
廃村集落と聞いていたので、人気も無いものだと考えていたのですが、川原からは歓声が聞こえてきます。 谷山集落近辺には山菜取りの人が車で入り込んできているのです。 さらには、工事の人たちが山に取り付いて作業をしており、その下を通る時は警備の方が注意を促してきます。 車を避けるように河原の近くで休憩をとります。 すると、姿勢の良いおばあちゃんが話しかけてきました。 携帯食を食べながら、おばあちゃんと談笑。 おばあちゃんは、この下流の樫という集落に住んでいるとの事。 この時期は谷山に駐車場の整理に来ているのだそうです。 おばあちゃんとは、写真を撮って別れました。
おばあちゃんの声に見送られて、六合への川沿いの道を歩き始めました。 初日からいためていた岡野さんの足が、ここに来てとうとう悲鳴をあげ始めました。 どうやら靴が足に合わないようでかかとが痛むらしいのです。 とうとう足の痛みに耐え兼ねて僕の持っているサンダルに履き替えました。 岡野さんの同行は今日までの予定です。
"なんとか頑張って交通機関のある所まで行ってほしい、そうすればそこから帰路につく事が出来る。"
僕と佐々木君は願うような気持ちでそう思っていたのです ところが、サンダルに履き替えたとたん、「快適快適、こりゃあいい!」と満面の笑顔で大喜び。 相変わらずの次男ぶりを発揮して、長男と三男は心配して損こいたと思ったのでした。 そこで三男、すかさず突っ込みを入れます。
「まったく、山のリュック背負ってビーチサンダル履いてる人なんか、見た事ないわ。」
「へんな奴や、近寄らんとこ。」
と、からかいながら歩を進めていくのでした。


4.六合のおもてなし

ところで、肝心のコースですが、標識通りに歩いてきたはずなのですが、道はだんだんと渓谷から離れ、山の中腹を歩くようになってきました。 ほんとにこれでエエノン?と三人とも疑問を抱きましたが、引き返す頭は毛頭ありません。 ここまで来て引き返すなんてかったるいし、もしかしたらルートから外れてないかも知れないし、外れていたとしてもどっかで合流するさぁ、といった事を言い合いながらアッケラカン三兄弟はぐいぐいと歩を進めるのでした。 見下ろすと遥か下方に渓谷が、そして渓谷沿いに道が走っています。 ううむ、あれが正しいルートかもしれんと思いつつ、どこにあの道に入る分岐があったのか思い浮かばないまま歩を進めました。
山をぐるっと回り込んだ所で人家が現れました。 よかったよかった、このままどっかの山のてっぺんに出てしまうのではないかと一抹の不安を感じていただけに、人家を見たときはほっとしました。 集落の中に商店を見つけ、長男と次男は目ざとくビールのミニ缶を、三男はまだ幼いのでジュースを購入。 いやいや、ようやく人里に出てきたよぉ、と冷たい飲み物に文明のありがたさを感じながら、店の前でプシュプシュッと栓を開けました。 そんな薄汚れた三人組みが、店の前でグビグビップハーッと缶ビール(子供はジュース)を飲んでいるのを見て、この商店のおじさんが我々に椅子代わりのビールケースを出してきてくれました。 かたや、店のおばさんは、ポテトチップを開いて食べろ食べろと勧めてくれます。 思いもよらなかったこのような暖かいもてなしに一同お礼を言いながら、ここまでの行程の話をします。 いやあ、一山越えてもいい人たちばかりだねぇ、と三兄弟は感激しきり。 道端で飲むビールがこの上なく美味しく感じられるのでした。
ビールを飲み干し、さて先へ歩を進めるという段で、このあたりに食堂や風呂屋がないかとおじさんおばさんに伺いました。 すると、色々アドバイスをくれた上に、
「良かったらうちで食べていきなさい」
とのお申し出を受けました。 そこまで甘えていいのだろうかと次男と三男は戸惑っているようでしたが、人の親切はありがたくいただくものだと長男が諭し、ありがたくいただくことにしました。
あげていただいた居間で、
「こんな物しかないんだけど、良かったらたくさん食べてね。」
という言葉と共に出てきたのは山菜尽くしのおもてなし。 今まで山菜取りにいそしむ人を羨ましく眺めていた我々にはなによりものご馳走です。 ふきのとう、ぜんまい、さんしょなどなど、テーブルいっぱいに並べられたご馳走はとてもとても美味しく、長男などは図々しくも三杯メシをいただき、満腹になりました。 いただく間、ちょうどこの家に遊びに来ていたお孫さんと長男はお人形で遊んだりしました。 また、このあたりの山の話なども伺いました。山菜が豊富なこと、猪が出ることなどなど。 六合で受けた思いもよらぬ嬉しいおもてなしは、三兄弟の心に深く染み込んだのでした。


5.次男ともどもラッキーは去る

六合の集落で(正確には上ケ流かも知れない)昼食をいただきながら、長男と三男は明日にかけて関が原まで歩き、次男は今日帰るという話をした所、丁度里帰りしていたお嬢さん(と言っても二人の子供のお母さん、長男が遊んでいたのはこのお嬢さんのお子さん)が池田町まで車で帰るというので近鉄揖斐線の駅まで次男を送っていってくださると言ってくださいました。 これは良いお話だァ、岡野さん、お言葉に甘えなよぉ、と思っていると、脇からやはり里帰りしていた親戚の方が岐阜まで帰るので岐阜羽島まで送っていってもいいよと言ってくださいました。 こんなラッキーあるのかぁ!と顔を見合す長男と三男。 次男はここで大きな大きなラッキーブローをつかんだようです。 岡野ラッキー、恐るべし! 我々の勧めもあって、結局次男は岐阜羽島まで送ってもらうことになりました。
お世話になった皆様とお別れする前に家にいたみんなで写真を一枚。 親切にしてくださったこの方々の優しい笑顔を写真に残しておきたかったのです。 おじさんはしっかりジャケットを着こんで写真に収まりました。

後日談を少々。
この写真は三兄弟協議の上、パネルに加工して御礼として六合に送りました。 しばらくしてお礼状が届きました。 そこには、
「また、近くに来たら、是非寄っていきなさい。」
と、暖かい言葉が添えられていました。
また、次男は送っていただく道中、親戚の方と話が弾んだらしく(このあたりは流石次男!と唸らざるを得ない)、この地方に伝わる祭りのビデオを送ってもらう約束を取りつけていました。 後日、送っていただいたビデオを懇意の居酒屋で流してもらい、三兄弟は祭りの映像を肴に酒を酌み交わしたのでした。

親戚の方の運転する車に乗り込んだ次男を見送って、残された長男と三男も出発です。 深々と頭を下げてお別れした後も、家の方々は見えなくなるまで手を振りつづけてくださいました。
男二人の道中になり、我々は岡野さんの異常ともいえるラッキーについて語り合いながら、徐々に高度を下げていきました。 と、それほど歩かないうちに、見る見るうちに暗雲が立ち込め、先ほどまで真っ青だった空がにわかに暗くなり、ポツポツと雨が落ちてくるではありませんか。 次男がいなくなったとたんにこの始末。 改めて、次男恐るべし!を思い知ることになったのです。
幸い、雨は本降りにはならず、我々は傘をささずに歩を進めました。 粕川ぞいの道に出たところに酒屋があったので、ジュースを購入して一休み。 道端で飲んでいると、先ほどの六合の家のお嬢さんが車で現れました。 後の席にはお子さんが手を振っています。いまから池田町に帰るそうです。 お子さんは、またまた見えなくなるまで手を振りつづけてくれたのでした。


6.懐かしやカレーの味

粕川沿いの道には、春日村の地図が書かれた看板があります。 ここに書かれている『君が代発祥の地』の言葉に、そうだここは細石の産地だなぁと思いを馳せるのでした。 鹿児島の霧島神宮で細石の現物をしげしげと眺めたことのある長男は、迷わずこの看板の前で写真を1枚。
粕川沿いの道を揖斐川町に向けて歩きます。 滝の集落の近くで清水を並んで汲む人たちに遭遇。 我々も500mlのペットボトルに詰めさせてもらいました。 瑞岩寺橋で粕川を渡り、さらに東進、再び清水に出会いました。 今度は蘇生の泉。 先程の水と飲み比べるとこちらのほうが甘くて美味しい。 すべての水筒の水をここの水に詰め替えました。 流石に名水の里、東濃地方、あっちゃこっちゃに清水が湧いています。
池田ふれあい街道に入って南進します。 目の前には池田の町が、そして広大な濃尾平野が広がり、今まで山また山の中にいた我々は新鮮な気持ちでその風景を楽しみました。 しかし、雲行きはますます怪しく、先行き不安です。 途中で、農作業中のおじいさんに話しかけられました。 明日にかけて関が原に行くという話をすると、明日も明後日も大雨警報が出ているとのこと。 この2日間、新聞を目にしていない我々には、この情報は寝耳に水です。 こりゃ、次男は本格的にラッキーをさらっていってしまったようです。
今後どうするかを、歩きながら話します。 明日、歩けないのならば、今日帰ってしまってもよいわけです。 結論は、明日は明日の風が吹く、とりあえず今宵は幕営して、明日の雨の具合を見て考えようと言うことになりました。
とにかく今宵の宿を探さねばなりません。 しかも屋根のある所! テントがグチャグチャになってしまうという事態は避けたいのです。 大津谷公園にやってきました。 東屋を発見したのですが、真中にベンチがあってテントが張れません。 大津谷川を渡る橋の下はどうだろうと三男が提案し、とにかくそこいらにいる人に聞いてみようという事になりました。 大津谷公園ではボーイスカウトがキャンプ中。 その中でも引率者らしき人に伺って見ます。 大津谷公園はキャンプ無料だから自由に使って良いとのこと。 しかし、橋の下は勧められないとのことです。 確かに、大雨で増水してしまう可能性を考えれば、橋の下は危険かもしれません。
どうしようかと迷っていると、引率者らしき人は、いいところがあるとステージに案内してくれました。 このステージ、大きな屋根の下で、すぐ裏にトイレがあり、向かいには炊事場がある、これ以上ない絶好のテン場です。 ここにテントを張ることに即決し、早速設営。 設営を終えるころ、先程の方がやってきて、良かったらカレーを食べないかとのありがたい申し出を受けました。 絶好のテン場確保といい、夕食のカレーゲットといい、長男と三男にも少しはラッキーが残されていたようです。 次男のそれと比べれば、本当にささやかではありますが。
多くの子供たちが飛び回る中いただいたカレーはあまーい懐かしい味がしました。 そして、付け合わせにいただいた天麩羅も美味しくいただきました。 今日は昼ご飯に続いて夕ご飯までいただいてしまいました。 嬉しいやら、申し訳ないやら。 お礼のしるしに皆と一緒に食器を洗ってから、我々は風呂を求めて池田の町に降りていったのでした。

翌朝は大降り。 こりゃあだめだと、歩行をあきらめてタクシーを呼んで帰りました。 関が原まで行けなかったのは残念でしたが、とても楽しく、心温まる三日間でした。 次男、三男、そして道中親切にしてくださった皆様、本当にアリガトウございました。


7.コースミニガイド

日坂越は山の中ですから、当然交通機関などはありません。
日坂越から谷山までは、しっかりと整備された山道ですし、分岐点にはキチンと標識が立っているので、迷うことはないでしょう。 鍋倉山山頂の避難小屋はとても立派なので、テントを持っていなくても寝袋さえあれば十分泊まれます。
谷山は廃村集落なので、交通機関も宿泊施設もありません。 交通機関や宿泊施設は六合に行かなければありません。 六合には、村営の温泉もありますし、宿泊施設もいくつかあるようです。
谷山から六合へ至る間に、何度か高橋谷川を渡ります。 この渡る時に要注意。 下流に向かって右岸が正式ルートです。 右岸から左岸へ渡る時に、右岸を進むルートがあったならば、きっとそれが正式ルートです。 我々は間違えて、素直に左岸へ進んでしまったので、このあたりの確実な情報は提供できませんが、ここの分岐には標識はないはずです。
六合から瑞巌寺までは、粕川沿いなので迷わないでしょう。 ただし、歩道の整備が十分とは言えないので、歩くときは車に注意してください。
大津谷公園は幕営施設の整った公園です。 幕営許可も要らないようなので、気軽に使えます。 また、瑞巌寺や大津谷公園からは揖斐川町や池田町の市街地が近いので(徒歩で30分程度)、市街地に下りていくのもよいでしょう。 ちなみに僕と佐々木くんは、最後の夜は池田町の降りてラドン温泉に行って垢を洗い流しました。
このあたりの交通機関や宿泊情報は、名阪近鉄高速バス(0584-81-3326)、春日村産業経済課(0585-57-2111)、池田町産業課(0585-45-3111)にお問い合わせ下さい。

大津谷公園ー丸山狼煙場へ

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