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37.大津谷公園から円興寺越・伊冨岐神社を経て丸山狼煙場まで

  1. コース概要
  2. 茶摘機と奮闘!
  3. ボーイスカウトにご挨拶
  4. キツネは跳ねる
  5. 懐かしの関が原
  6. コースミニガイド

平成11年10月9日(土)

1.コース概要

前回は大津谷公園で降雨のためリタイアしたので、今回はここから関ケ原を目指します。
大津谷公園の近くには願成寺古墳群があります。 ここは岐阜県内最大の古墳群で、4世紀から7世紀前半の円墳が100基以上集中しています。
少し南下すると、霞間ヶ渓公園に出ます。 古く江戸時代から桜の名所として有名な所で、桜の種類は70種以上、春には数千本の花が咲き乱れ、全山を覆います。 国の天然記念物に指定されています。
池田温泉は最近に出来た温泉で、大きくて立派な施設があり(但し宿泊施設はなし)、地元の方々に親しまれている温泉です。
円興寺は延暦9年に最澄法師によって創建された天台宗の古刹です。 もともとは山の頂にあったお堂を江戸時代に現在の地に移築したそうです。 本尊は石上観音とも呼ばれ、最澄法師が刻んだものといわれ、国の重要文化財に指定されています。 石上観音は、お寺が火事に遭った時、自ら石の上に逃れたとの言い伝えからこの名がついたとのこと。
美濃国分寺は7世紀に聖武天皇によって全国に建立された国分寺の一つです。 その後兵火によって焼失しましたが、現在の国分寺は土中より発掘された薬師如来像を本尊にしています。 元々の美濃国分寺跡から発掘された品々は、国分寺の向かいにある大垣市歴史民俗資料館に展示されています。
平尾池は大正時代に完成した灌漑用の池で、2つの池は土管によって繋がっています。
竹中氏陣屋跡は、豊臣秀吉配下で世に聞こえた名参謀であった竹中半兵衛の子、重門が陣屋をおいていた所です。
伊冨岐神社は美濃の国第二の立派な社です。
丸山狼煙場は黒田長政が狼煙を上げて関が原の合戦の口火を切った岡山烽火場があった所です。 石田三成の本陣があった笹尾山方面が見渡せる小高い丘です。
今回は約24km9時間の道のりです。


Map of rute


2.茶摘機と奮闘!

夏の間は、富士山に登ったり、尾瀬を散策したり、涼しい所へ遠征してきました。 特に富士山は、東海自然歩道で山裾をたどった山だったので、是非登ってみたいと思っていました。 この夏はその念願を果たせたわけです。
前日は仙台でお仕事でした。 夕方に出張から飛び帰ってきて、慌てて用意をして、予約しておいたムーンライトながらに飛び乗りました。 このハードスケジュールがかえって幸いし、車中では熟睡できました。
おかげで今朝は比較的すっきりと目覚め、名古屋での車両乗り換えを経て、大垣に午前7時前に到着。 駅の改装で乗り換えの仕方が変わっていたので少し戸惑いましたが、無事に近鉄揖斐線に乗り換え、美濃本郷駅で下車。 車道に出て、しばらくタクシーが通るのを待ちました。 しかし、タクシーの気配は全くなく、こりゃあ久々にヒッチハイクだと意を決めました。 大津谷公園方面へ歩きながら、追い抜いていく車一台一台に向かって親指を立てた手を差し出します。 止まってくれるかは半信半疑、まあ、駄目で元々です。 しかし、意外にすんなりと車は捉まり、気のいいおじさんが大津谷公園まで連れていってくれました。 こりゃあ、幸先がいいぞう!
7:30には大津谷公園に降り立っており、前回幕営したステージに上がり朝食を食べます。 膝にチタンテープを張り、靴紐を結び直して準備万端。 8:05、さあ、東海自然歩道の旅、1999年秋のステージの始まりです。
池田ふれあい街道を南下します。 小寺展望台は池田の町を見下ろせる気持ちのいい所。 今日もいい天気、気持ちがいい! 9:00に霞間ヶ渓公園に到着。 ここは有名な桜の名所とのことで、立派な公園でもあるのかと思いましたが、思いのほか自然のままの姿が残されている所でした。 ベンチで少し休憩。
この辺りは、徳川幕府第三代将軍家光の乳母、春日の局縁の地ということで、春日の局関連の看板がいくつか立っています。 そんなものを見上げながら、霞間ヶ渓から少し進んだ所で、茶摘み機の具合が悪くて往生している老夫婦に遭遇しました。 先ほど、ヒッチハイクで土地の方の親切を受けたばかりですし、ここは一つ手伝うべぇと一緒に機械に取り組みました。 おばあちゃんが見守る中、おじいちゃんと悪戦苦闘。 何とか茶摘み機も復活し、おじいちゃんとおばあちゃんが茶摘みを始めるのを見届けてから、再び歩き始めました。


3.ボーイスカウトにご挨拶

9:45に涼雲寺に到着。 しばしの休憩の後、池田温泉を横目で見ながら真新しい道路に進んでいきました。 この先の円興寺越えは不通になっているという情報を得ていました。 代りに梅谷越えというショートカットコースが設定されています。 しかし、出来れば本来のコースである円興寺越えを歩きたいものです。 不通の看板があれば梅谷越えをするつもりでしたが、不通の看板がない限り円興寺越えに向けて歩きつづけるつもりで歩を進めます。
程なく、真新しいトンネルに行き当たります。 このトンネル工事のため、この区間が不通になっていたと聞いています。 トンネルが開通しているということは、円興寺越えも復活しているということでしょうか。 良く見ると右手に山に分け入る道らしきものがあります。 草ぼうぼうですが、入り口に立つ標識は確かにその道には入れと指示しているように見えました。 大きな期待と少しの不安を抱きながら草をかき分けその道に入っていきました。
すぐに草はと切れ、はっきりとした山道が現れました。 徐々に高度を上げていきます。 そして、円興寺越峠に到着。 ベンチに荷を下ろして標識の前で記念写真を撮ります。 よかった、この峠は越えられそうです。 ほどなく、トンネルの向こう側に降りてくることが出来ました。 そこには、いまだに「通行止め」の看板が立っていました。
再び車道を歩きます。 右手にテントを張っているボーイスカウトの少年の集団が見えてきました。 そして立派な休憩所が現れました。 大垣屋外活動センターです。 休憩所に入っていきます。 ベンチに荷を下ろし、ほっと一息ついた所、そこにいたボーイスカウトの保護者らしき方に声をかけられました。 大垣市のボーイスカウト少年団とのこと。 問われるままに話します。 こんな大きな荷を背負って舗装路を歩いてきたのですから、どんな輩か興味も湧くのでしょう。 東海自然歩道を東京から歩いてきていること、今日は関ヶ原までいくこと、最終的には大阪までいくつもりであることetc そんな事を話していると、その方も自転車で全国を走りまわってみたり、海岸線に沿って日本全国を歩いてみたいという夢を持っていると話して下さいました。 さて、そろそろいくかと思って腰を上げると、ボーイスカウトの少年たちに話をしていってくれないかと言われたので、こんな野郎の話でよければと図々しくも話しをすることになりました。 広場でテントを張り終えた少年たちを集めて簡単に紹介をしていただき、簡単に
「アウトドアで活動することは楽しくて勉強にもなるので、リーダーの言うことを良く聞いて楽しくボーイスカウト活動をして下さい。」
というような内容の話をしました。 最後に皆で写真を撮って別れました。 考えてみれば、住んでいる所の近くにこのような施設があって、また緑豊かな池田山もあって、ボーイスカウトの環境としては羨ましいくらいです。 少年たちも将来きっと逞しいアウトドアマンになってくれることでしょう。
円興寺前で一度荷を下ろし、写真を撮ります。 山門から中を覗いて、見学はおしまい。 再び荷を背負って出掛けようとすると、西からやってきた8名ほどの団体に出逢いました。 大阪から歩いてきているそうです。 何やら先を急いでいる雰囲気だったので、少し言葉を交わしただけで別れます。 もう少し話したかったので、ちょっと残念でした。
橋を渡った所で、庭仕事をしていたおばさんに声をかけて水を頂きました。 関ヶ原まで歩くのだという話をすると、おばさんは笑顔で見送って下さいました。
歩き始めてから何の気なしに円興寺の方を振返ると、先ほどのボーイスカウトの保護者らしき方と一人の少年とが地図とニラメッコしながら歩いてきます。 追いついてくるかなとしばし足を止めたのですが、二人が立ち止まったまま動かないのを見て先に進みました。 東海道線のガードをくぐり、墓地にあったトイレで用を足しおえて出てくると、二人が追いついてきました。 聞けば、ボーイスカウトの訓練として地図を見ながら指定されたコースを歩くということを少年にやらせているのだとのこと。 しばらく話しながら一緒に歩いたのですが、田んぼの際で彼らは北進、僕は南進するので別れました。 あのような訓練までプログラムの一環としてやっていれば、いいアウトドアマンが育ちそうです。 地図とニラメッコしながら歩いていく少年の背中を見て、頑張れよと声をかけたくなりました。


4.きつねは跳ねる

国分寺につきました。 なかなか立派なお寺です。 荷を下ろしてお参りします。さて行こうとすると、子供に引っ張られたおばあちゃんを先頭に大家族がお参りにやってきました。 賑やかにお参りする様は微笑ましく、少しいい気持ちでお寺を後にしました。 お寺の境内にはこんな文句が掲示されていました。
「笑顔に勝る化粧なし」
お寺の真ん前が大垣市歴史民俗資料館。 入場しようか迷って中をうかがいましたが、有料なのでやめときました。 しかし、入り口横のベンチに座って休憩。 ちょうど昼飯時なので、ここでランチタイムにしました。 この場所、隅っこに水琴窟がありました。
12:30には再び出発。 美濃国分寺跡の横を通り、再び東海道線のガードをくぐります。 草道から歩道に上がった所で、こちらに向かって歩いてくるウォーカーに出逢いました。 同胞の匂いを感じて話し掛けてみます。 この方は刈谷から来た近藤さん。 中部地方の東海自然歩道をランダムに歩いていらっしゃるそうです。 今日は関ヶ原駅を基点に歩き始めたとのこと。 さらに聞けば、今日、やはり西進している東海自然歩道ウォーカーに出会ったとの情報を得ました。 その方の特徴を聞くと、どうやら岩村から御嵩まで一緒に歩いた藤原さんのよう。 今日、この辺りを歩くとの連絡は入っていたので、きっと間違いありません。 到底追いつくことは出来ないでしょうけど、藤原さんも歩いていると思うと、頑張らなくっちゃと気持ちを入れ直すのでした。 近藤さんとは並んで写真を撮り別れました。
道は登りになり、平尾池へと続きます。 釣竿を持った若者がウロウロしています。 どうやらバス釣りが盛んな池のようです。 寒洞池でも三つ池でもそうでしたが、最近はどこの池や湖に行ってもバス釣りが盛んなようです。 そのため日本在来種が生存の危機にさらされているとか。 僕が学生時代を過ごした琵琶湖もモロコ等の淡水魚が獲れなくなっていると聞きます。 ビジネスの世界と同様にレジャーにもルールとマナーを守ることは必要です。生態系を崩すような放流は自重してもらいたいものです。 バス釣り自体がいけないのではなく、ルールやマナーをわきまえない釣り人がほんの一握りでも存在していることがとても悲しく思えるのです。
やがて道は山道になります。 ここで初老の御夫婦に出会いました。 箕面在住の方で日帰りの行程を繋いでここまでやってきたとのこと。 今日のエスケープポイントについてアドバイスを求められたので、池田温泉でタクシーを呼ぶ案を提案しました。
山道を過ぎ梅谷の集落へ。 梅谷コミュニティセンターという所でお休み。 日差しが少しきつい。 煙草を一服してから再び歩き始めます。
梅谷の集落を抜けてから次の集落までの間に"藤の森お休み処"というのがありましたが、藤の棚?があるくらいでたいしたことないので素通りします。 このあたり、区画整理された田んぼが広がっています。 ある道を横切った時、南に向けて真っ直ぐに伸びる道の端に軽トラックが停車していて、その横で跳ね回るスマートな犬らしき動物が見えました。 その飛び跳ね方が犬らしくなく軽やかだったので、ばねのある犬だなぁと思って見つめると、どうも尻尾が太くふさふさしている感じがします。 キツネかなぁと半信半疑でしたが、近づいても逃げられるのがオチなので遠くから眺めるだけにしておきました。
住宅地へとはいる入り口の所で畑仕事にいそしむ赤シャツのおじさんに挨拶します。 挨拶をきっかけに話が始まりました。 ユニチカに勤めているというおじさんは、単身赴任先の九州から帰ってきた所だとのこと。 おじさんの話では、この辺りは鹿や猪が多く、最近は特にキツネが増えているとのこと。 そういえば先ほどの軽トラックの近くを跳ね回っていたのもやっぱりキツネかもしれないと思い、おじさんに話すと、そりゃキツネだとのこと。 大垣という大きな街の近くでありながら、なんとまあ野趣にあふれたところでしょう。 おじさんとはたっぷり20分も話してから別れました。


5.懐かしの関が原

集落にはいり、標識の立っている四つ角にでました。 しかし、この標識があいまいな方向を指しているのできょろきょろしたら酒屋の看板が目に飛び込んできました。 道を尋ねがてら店に入っていきます。 ジュースを買って少し休憩。
豊臣秀吉の竹中半兵衛の系譜である竹中家の菩提寺である禅憧寺を過ぎて再び東海道線をくぐります。 竹中家陣屋跡へは100メートルばかりコースを外れなければなりません。 重い荷を背負って寄り道するのは気が引けますが、折角だからと立ち寄ってみました。 陣屋跡は幼稚園になっていて、門の前で写真だけ撮ってきました。
再び東海道線をくぐり東屋でトイレ休憩をします。 今度は東海道線をまたぐ陸橋を越えます。 ここから伊冨岐神社に至る田んぼの中の道は長閑でとてもよい道でした。
伊冨岐神社は美濃の国第二のお社。それだけに立派な社殿ですが、人気は全くありませんでした。 一人でお参りし手を合わせます。
舗装路を西へ。 夕暮れ時は犬の散歩の時間のようで、あちこちの家から犬を連れた人が出てきます。 そのうち一組の御夫婦と歩きながら話が始まりました。 この近くの明神の森から見る夜景は岐阜県内では第三位であること(ちなみに第一位は金華山、第二位は池田山とのことです)、野営するなら丸山狼煙場の辺りがよいこと等々。 しばらく同行した後、曲がり角で別れました。
丸山狼煙場に到着したのは薄暗くなってきた17:30。 小高い所にある狼煙場には誰もいませんでした。 もしかしたらもっとよい場所があるかもしれないと思い、荷物を東屋?に置いて、身軽ないでたちで先に進みます。 溜め池があり、ちょっとした野鳥の観察小屋らしきものがありましたが、虫が多そうなのでやはり狼煙場で一夜を明かすことにしました。 ここは関ケ原の駅にも近いので、テントを張って夕食に駅方面へ出掛けていきました。
関ケ原の駅の辺りは大学時代に何度も来た所。 つい懐かしくてウロウロしました。 駅前のホルモン屋でビールと焼き肉の夕食を済ませた後、つらつらと狼煙場に戻りました。 テントに入って少し本を読み、後はグッスリでした。 いよいよ明日は関ケ原を巡って伊吹山に正面から御対面です。


6.コースミニガイド

文中にもあるように大津谷公園へはこれといった交通機関はありません。 タクシーで行くとしたら近鉄揖斐線を終点の揖斐駅まで乗っていってしまったほうがよさそうです。 この状況は霞間ヶ渓や池田温泉の辺りでも同じだと思います。
涼雲寺までは高台の道を通りますし、真っ直ぐ進めばよいのですから迷うことはないでしょう。 涼雲寺で右折しますが、注意しながら歩けば所々に標識が立っているので池田温泉までは難なく行けると思います。
池田温泉は大型の温泉ですが、宿泊施設は整っていないようです。 以前は円興寺越えがトンネル工事のため不通だったので、ここから梅谷越えに入るルートが迂回路として設定されていました。 工事が終了した現在、地図上では円興寺越えに向かうルートは細い道のようになっていますが、実際には立派に整備された車道になっています。 標識も立っていますので、これに従って下さい。
円興寺トンネルの前まできたら、直進してトンネルをくぐらずに、手前で右側を見て下さい。 草ぼうぼうですが、金網のフェンスに沿って道がついています。 良く見ると奥に標識も立っています。 ここから円興寺越えの峠に入ります。
円興寺越えを反対側(関ケ原の方)から入ると通行止めの標識が立っていると思います(写真参照)。 実際には通れますので(通れましたので)、階段を上がって円興寺越えに挑んで下さい。
大垣市屋外活動センターから国分寺までは標識がちゃんとありますので大丈夫だと思います。 国分寺の前にある美濃国分寺跡の辺りは標識がないので少し戸惑うかも知れません。 大垣市歴史民俗資料館脇の道を入り、道なりに進むとやがて右折して東海道線をくぐる道に出ます。 このくぐる道も草ぼうぼうで道らしくないのですが、くぐった所ですぐ目に入る舗装路脇に標識が立っています。
平尾池から沢沿いの山道に入る所で標識が指している方向が怪しいのですが、沢沿いに進んで下さい。 この沢沿いの道、どうも怪しい雰囲気の道で、すぐ行き止まりになってしまいそうですが、大丈夫、梅谷の集落に出ることが出来ます。
梅谷の集落からはこまめに標識が出てきます。 この標識を見落とさないように気をつけて進んで下さい。 藤の森お休み処までのルートが分かり難かったとの報告も弥次喜多芳名帳に寄せられましたが、僕は大丈夫でした。 僕も迷った集落の中の道は、四つ角にこまめに標識が立っているのですが、文中にもあるようにあいまいな方角を指しているものもあります。 道の方角に不安を感じたら尋ねながら歩くほうが無難かもしれません。
この集落さえ抜けてしまえば、あとは曲がり角ごとに標識が立っています。 竹中氏陣屋跡へはやはり標識が出ていますので、これに従えば行くことが出来ます。 丸山狼煙場はJR関ヶ原駅のすぐ近く。 エスケープポイントとしては丁度いい場所です。
このあたりの交通機関や宿泊情報は池田町産業課(0585-45-3111)、垂井町産業課(0584-22-1151)、関ヶ原町商工観光課(0584-43-1111)にお問い合わせ下さい。

丸山狼煙場ー養老公園へ

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