前回は神海までやってきていますので、今回はここから谷汲の山越えをして横蔵を目指します。
神海を出るとすぐに根尾川を渡ります。
この根尾川は断層で有名です。
明治24年に起こった濃尾地震で福井県大野市から岐阜県可児市にまたがる大断層が地表に現れました。
特に根尾川上流の水鳥辺りの変化が大きく、根尾谷断層は特別天然記念物に指定されています。
ひと山越えると華厳寺に至ります。
華厳寺は延暦十七年(798年)創建の古刹です。
延暦年間に奥州会津黒川郷の大口大領という人が十一面観音を建立したいと強く願い、京都にて有名な仏師に彫ってもらいました。
その観音様は仏師の差し出した笠や履き物、杖を自分で突けて歩き出し、この地に来てその仏像が動かなくなりました。
有縁の地に違いないということで社を構えて安置したとのことです。
その後醍醐天皇や花園法皇の庇護もあり、西国三十三箇所を巡拝する際の満願霊場として栄えるようになったとのことです。
参道には桜と楓が交互に植えられ、春も秋も参詣者の目を楽しませてくれます。
門前町には特産のコンニャクや椎茸を売る土産物屋が続いています。
奥の院へと続く道には三十三箇所の小さな祠があり、奥の院へと登ることにより西国三十三箇所巡りをしたことになるといわれています。
妙法ヶ岳を越えると、横蔵寺に至ります。
このお寺も、延暦二十年(801年)創建の古刹です。
時の桓武天皇の勅命で、延暦寺を開山した伝教大師・最澄により創建された、由緒のある天台宗のお寺です。
御本尊は、木造薬師如来座像です。
天竺から持ち帰った一本の赤栴檀の木から二体の薬師如来を伝教大師御自身がお彫りになり、その一体は比叡山延暦寺に安置し、もう一体を奉る場所を求め諸国を巡っていました。
この地で休憩し大岩の上に尊像を立てておくと、尊像が横に臥せってしまいびくともしません。
そこで尊像をこの地に安置することになり、尊像がお告げになった場所に草堂を建てたといいます。
尊像が横に臥せったことから横蔵寺という名になったそうです。
その御本尊をはじめ、二十二体の仏像は全てが重要文化財になっています。
また、境内には入定妙心法師の舎利仏堂があり、その名の通り法師の舎利仏(ミイラ)が安置してあります。
横蔵の地には県の重要無形文化財に指定されている谷汲踊りという武者踊りも伝えられ、毎年二月十八日に横蔵の地を始め谷汲村の三箇所で披露されるそうです。
今回は約18km7時間の道のりです。
前回、雨中で行軍した甲斐がありました。
このゴールデンウィークは区切り良く神海駅から出発できます。
このゴールデンウィーク中に西美濃の交通の便の悪い山里を一気に抜けてしまおやないかという目論見です。
今回は、心強くもボケはシッカリかましてくれる同行者が2名、参加してくれることになりました。
佐々木君と、岡野さん(女性)の2名です。
佐々木君は丹沢の時も同行してくれた、そして僕に山を教えた、いわば僕の山の師匠。
年に一度は共に山に登る仲です。
佐々木君の歩くペースは急がず焦らず足に負担をかけない、僕にとってとても心地の良いペースです。
どんな所もヒョイヒョイ登り、重いものもどんどん背負ってくれるので、とても心強い存在です。
これで阪神ファンならば言う事無いのですが、彼は広島人なので根っからのカープファンです。
岡野さんは、僕らの山行に時々同行する、底抜けに明るい人です。
実は、僕も佐々木君も岡野さんには一目おいています。
岡野さんは僕らにとってラッキーを引き連れてくるリーチ一発ツモど高目!のような人なのです。
実は今回、僕も佐々木君もお天気については露ほども心配をしていません。
なぜなら、それは岡野さんがいるから。
お天気をはじめ、岡野さんがいるとなぜか分かりませんがラッキーがついて回るのです。
でも、岡野さんはこのラッキーには気づいていないよね、なぜなら岡野さんにとってはそれが当たり前だから・・・というのが僕と佐々木君の一致した意見です。
そして、それは今回も最終日において見事に証明されたのでした。
とにもかくにも、僕を含めたこの3人がそろうと、道中ボケとツッコミの応酬で弥次喜多道中+αとなること必定です。
今回もどんな爆笑道中になりますか。
4月30日の深夜、いつものようにムーンライトながらで出発です。
佐々木君と岡野さんは横浜からの乗車です。
車内で合流して、まずは一安心。
安心したと思ったら、岡野さんは早速寝息たててお休みです。
毎度毎度のことやけど、よう寝はりますわ、この人。
3名爆睡の後、6時51分に大垣着、樽見鉄道に乗って神海駅へ。
交通関係の会社に勤めている同行者ご両人は、一両編成のワンマン列車に興味深々。
僕もローカル線には何度となく乗ってきましたけど、何度乗ってもこの長閑な雰囲気は大好きです。
神海駅には7時半過ぎに到着。
駅で列車をバックに早速ボケのこもった写真撮影。
ええ加減年のことを考えたらどないなん?との声が聞こえてきそうですが、この大ボケ三人組が揃えばそんな外野の忠告も全く耳には入りません。
神海駅で支度を整え朝ご飯を食べて出発です。
ちなみに岡野さんは持参のおにぎり、佐々木君と僕は駅前の商店でパンを買ったのですが、佐々木君のパンは見事に賞味期限切れ。
佐々木君、朝から飛ばしまくりや。
ほな、ボチボチ行くでぇ、と出発したのが8時ごろ。
神海の集落をしょーもない事言いながら歩いていたら、右折ポイントを見落としました。
神海の公民館前で右折しなければならないのですが、良く地図も見ずに馬鹿話ばっかりしてたので、通りすぎてしまったのです。
全くこれや、たのむでぇ、東海自然歩道のプロやろぉ、との2人の罵声を背中に浴びながら、少し戻って東海自然歩道のコースに入ります。
根尾川を越えて木村工務店の前で左に入ります。
神社前からいよいよ山道へ。
山道から見下ろした根尾川は澄んでてとっても美しい。
普段、濁りきった目黒川ばかり見ている僕らには新鮮です。
さあ、いよいよ山道や、と思っているとあっけなく舗装道に降りてしまいました。
なんやのん、これぇ、と皆拍子抜けです。
気を取り直してきれいな小川にそって谷深く入り込みます。
かなり歩いていからようやっと山道に入ります。
さすがに山道に入ると気持ちがリフレッシュします。
道がきつい登りになる前に、休憩を入れました。
休憩時に岡野さんがウエストポーチから小さな単眼鏡をとりだしバードウォッチングに挑戦。
バードウォッチングをするために、このもらった単眼鏡をポーチに忍ばせてきたのだとか。
しかし、焦点の合わせ方など良くわからずに、可愛い鳴き声のする鳥は見逃してしまいました。
この直後、僕と佐々木君が二人して声を合わせて
「ホレホレ、岡野さん、鳥や鳥や。」
と指を差しました。
「どこどこぉ?」
と単眼鏡を構えて振返った岡野さんの視線には、真っ黒なカラスが飛んでいくのがうつったのでした。
「カラスなら東京にウンザリするほどいるじゃない!」
とむくれる岡野さんを尻目に、僕と佐々木君は高らかに笑ったのでした。
淀坂峠を超えてスグのベンチで休憩、ココから降りれば華厳寺です。
この辺りから、ヤマヒル注意報発令。
弥次喜多芳名帳には、この辺りから鍋倉山を越えるまでの区間でヤマヒルの被害報告が多数寄せられていたのです。
その報告のおかげで、我々はヤマヒルに対してとてもナーバスになっていたのでした。
これ以降、水溜まりやちょっと湿った地帯に来ると先頭の人が
「ヤマヒル注意報(あるいは警報)発令!!」
と大きな声で注意を促すようになりました。
峠から急坂を下るとすぐに分岐点です。
ルートはここから直接に奥の院を目指すのですが、進んで寄り道・道草をする小学生のような三人ですから、迷うことなく華厳寺への道を進みます。
碧池の脇を過ぎて鐘楼横から華厳寺に至ります。10時10分に華厳寺に到着。
なかなか立派なお寺で、参拝客も絶え間無く来ています。
さすが、西国三十三箇所の満願霊場、僕らはここしかお参りしていませんが、取りあえず満願ということで神妙な面持ちで手を合わせました。
お参りをして満願堂など一通りを見ます。
家に赤ん坊のいる佐々木君はオベベに書かれたお願いやお礼の言葉に興味をそそられた様子。
子供を授かりますように安産でありますようにと言う願いを聞いてくれるお堂もあるようです。
僕は満願堂の回りにたくさんたたずむ信楽のようなタヌキの石像に何の意味があるのか興味をそそられました。
そのタヌキと並んで僕と佐々木君はボケいっぱいのポーズで決めて写真に収まりました。
本堂の脇に荷物を固めて置いて門前通りまで降りていきます。ここで今日の昼飯を仕入れておこうという算段です。
ここの門前通りがなかなか味のある所です。
午前中のせいか人通りも少ない。
そして我々を引き付けたのが寛ぎたくなるようなお座敷の食堂。
いっそのこと、少し早いがここで昼飯を食っていってしまおうということになり、一軒の食堂に入りました。
店先に並ぶトマトに惹かれた我々は、冷えたトマトをもらってかぶりつきます。
とにかく、気持ちのよさそうな事はなんでもやってしまおうという強欲な3人なのです。
ここで食べたます定食、しいたけ定食、さしみ定食は、我々を十分満足させるものでありました。
店のおばあちゃんも笑顔でもてなしてくれ、三人は心身ともに満足して店を後にしました。
華厳寺本堂に戻る道すがら、門の前で一枚、お百度石ならぬ三十三度石の前で一枚と写真を撮りながら戻りました。
さて、先ほどのお店で食事が出てくるのを待ちながら眺めていた店のパンフレットには、本堂の柱に打ちつけられていた鯉の話が出ていました。
この青銅でできた鯉には、西国三十三箇所の巡礼者がこの満願霊場へ来て本願成就した帰りにこの鯉を指でなでてなめ、精進落ちの印にするという古来からの奇習が有るのだとか。
そんな話を目ざとくチェックする三人組みは、三十二箇所を勘弁してもらい満願成就したことにして精進落ちの印にと鯉をベタベタと撫で回すのでした。
先ほどの分岐から再びコースに戻り、奥の院へ向け、11:45スタート。
奥の院への急な登り道の道すがら、小さな祠が33箇所あります。
これで西国33箇所めぐりをしたことになるようです。
お気軽極楽三人組みにとってはなんともコンビニエンスな仕組みです。
もちろん、一つ一つの祠の前で手を合わせて、息絶え絶えに奥の院にたどり着いて、晴れて満願成就となったのでした。
奥の院で居合わせた叔父さんが話し掛けてきました。
我々の本格的山行のいでたちに興味を持ったようです。
こんな低山に登るのに幕営の装備を持っているのですから興味を持っても当然でしょう。
叔父さんは久方ぶりに山登りに来たとのこと。
若いころはスキーを担いであちこちの高山に登ったそうです。
さて、奥の院の裏手から今度は妙法が岳山頂を目指します。
妙法が岳への登りもなかなかきつい。
稜線に出るまで、3名ともヒーハーいいながら登りました。
稜線に出てからは緩やかなのぼりで山頂へ。
見晴らしは利きませんがここで一休み。
ここで3人で輪になってしゃがみこみ、殻付きピーナツを割っては食べ、割っては食べるのでした。
なぜかこの3人が揃って出掛けるときは荷物分担の相談の席上で必ず僕にピーナツ確保の司令が下され、僕も何の疑いも抱かずに殻付きピーナツの調達に奔走するという奇習が有るのです。
地図を忘れてもピーナツは忘れるべからず。
そして、ちょっとした休憩にはリュックからピーナツを取り出し(そのためリュックの一番上にはピーナツを入れておくという鉄則が有ります)3人してポリポリ頬張るのです。
さて、カロリー補給をして再び出発。
ここからは稜線沿いのとても気持ちのいい道です。
何組かのハイカーともすれ違い、いこいの森の上のピークにあったベンチで休憩。
ここで休憩していた御夫婦らしきハイカーから情報収集。
お二人はこのルートを何回か通った事が有るようです。
我々も、丁度3時ということもありティータイムにしました。
自分の荷物を少しでも減らそうとすかさず缶のお茶を出す岡野さん。
わーた、わーた、飲んでやるけん、と佐々木君がそのお茶を暖めるのでした。
そして、先ほどの店で食べ切れなかったトマトもここで食べてしまいます。
この時点で、今日は横蔵泊りだねということで3人の意見の一致をみたのでした。
もう一つ山越えをするにはどうしても3時間くらいかかるのです。
一日の行程としては短いようですが、僕らにとっては楽しく歩くのが第一義、距離を伸ばすだけが能ではないのです。
そして、事前に仕入れた情報では、横蔵にはできたばかりの東海自然歩道ウォーカーのための施設があるはずなのです。
旧本堂跡などを通り、急坂をおりて横蔵寺に着いたのが4:30まえ。
岡野さんのペースがガクっと落ちました。
かかとの後ろの皮が向けてつらい下りになったようです。
しかし、この時間が丁度良くて、横蔵寺のミイラなどの拝観時間が4:30まで。
ぎりぎり間に合い、見せていただきます。
様々な宝物の後、ミイラとご対面。
人間、こんな風になってしまうものなのだと3人とも感慨深く見せていただきました。
ここの受付のおばちゃんは話好きのようで、東海自然歩道を歩いてくる拝観者の話などをしてくれました。
この裏山にはヤマヒルがたくさんいるよぅ、山から下りてきた人がここにヤマヒルを落としていく事もあるよぅ、とはおばちゃんの話。
ヤマヒルが座敷の上でヒョコヒョコうごめいている事がたまにあるようです。
このおばちゃんと写真を撮り、谷汲村のホームページで見つけた横蔵の東海自然歩道の道の駅について伺います。
おばちゃんは、それは赤い橋を渡った所にある建物だ、この地区の区長さんに聞くといい、少し下った所にある"よこくらや"という店に電話があるからそこから聞きなさいとアドバイスしてくれました。
3人で赤い橋赤い橋と呪文のようにつぶやきながら進むと目の前に赤い橋が出てきました。
しかし、その赤い橋を渡った所にある建物はお寺の本堂のよう。
お寺の中に道の駅があるのかね、なんてへんてこな事を話していると先ほどのオバチャンがやってきて”よこくらや”まで連れていってくれただけでなく、そこから区長さんに電話をして道の駅のことを聞いてくれました。
オバチャンの交渉の結果、区長さんがここまで来てくれると言うことなので、ここでお団子をいただいて待ちます。
さて、この”よこくらや”のおばあちゃんは横蔵の有名人らしく、さだまさしも訪ねてきたとのこと。
きれいな白髪の品のいいおばあちゃんで、東京から来たと話すと、おばあちゃんも麻布十番の生まれだと話してくださいました。
こりゃ、生っ粋のお嬢様だ。
区長さんはすぐに軽トラで来てくれて、トレイルセンター(道の駅)まで来いとのこと。
赤い橋をわたった所にあるトレイルセンターで待っていてくれました。
施設を開けてもらい、この中を使ってもいいとのこと。
このトレイルセンターはとてもきれいな広い施設で、とてもありがたいお話です。
「畳の部屋を使うかい?」
と願ってもない話をして下さるので、そりゃぁ使わせてくれるのならば是非使いたいといいました。
身分証明になるものを持っているかと聞かれたので岡野さんの身分証明書(社員証)を見せて、畳のへやまで開けていただきました。
こんないい施設がタダで使えるなんて!
夕食は区長さんに教えていただいた近所のお好み焼き屋さんへ。
ビールをあおり、今日の疲れを癒します。
ここのご夫婦は楽しい方で、山で採ってきた筍の煮物をサービスだと言うことで沢山出していただきました。
また、馴染みというお客さんまで巻き添えにして話は弾みました。
お好み焼きとやきそばで腹いっぱい。
皆さんの温かいもてなしにお礼を言って引き上げました。
その夜はエアコンの効いた畳の部屋でテレビを見ながら寝袋にもぐり、快適な眠りにつきました。
横蔵には本当に親切な人たちがいる。
横蔵の人たちの親切に触れることができて、とても暖かい気持ちで横になったのでした。
神海へは文中にもあるように樽見鉄道で行くしかないでしょう。
神海駅を出るとすぐに右手へ進み南下します。
途中、道が二股に分かれます。
左方が国道、右方は集落の中へ延びる道です。
どちらに進んでも良いのですが、華厳寺方面に行くのなら右に進むのが良いでしょう。
公民館の前で右折。
すぐに樽見鉄道を渡り、根尾川を渡ります。
木村工務店で左折し神社前から山道に入ります。
しかし、この山道は程なく終わり岐礼の集落の外れに降りてきます。
ここから小川を溯ります。
小川を溯って、林道に入ります。
入り口がロープで塞がれていますが、無視してどんどん進んでいきます。
そのまま道なりに進むと淀坂峠に至ります。
淀坂峠からは下りの一本道。
華厳寺との分岐点まで迷う事はありません。
分岐点には標識が立っているので、これにしたがって華厳寺を訪れるならば直進、ルートを突き進むならば右折します。
やがて、華厳寺から延びてきたもう一本の道に突き当たりますので、ここは右折。
奥の院への登りに入ります。
いこいの森まではほぼ一本道です。
いこいの森のピークにあるベンチからは一度林道に降りてから横蔵寺への急な下りに入ります。
この下りは途中で2本に分かれ、一方は一の谷の源平合戦で名高い熊谷直実の墓へ至ります。
ルートは左方の道で、熊谷直実の墓には寄らずに横蔵寺の資料館に至ります。
横蔵では舗装路を直進すると、赤い橋の手前に下辻越へ向かう標識が立っています。
赤い橋を渡るとすぐに左手に駐車場があり、ここから近鉄揖斐駅行きのバスが出ています(名阪近鉄バス0585-22-1207)。
また、途中の交通機関としては、華厳寺の門前町を下ると名鉄谷汲線の谷汲駅へ出ます。
宿泊施設としては、華厳寺の門前町にいくつもの旅館がありますが、横蔵には無いようです。
この辺りの情報は、谷汲村企画観光課(0585-55-2111)へお問い合わせ下さい。