前回は三河大野まで来ていますので、今回はここから鳳来寺山に登り棚山高原・宇連山を経て仏坂峠を目指します。
また、この2日間で三河大野から鳳来寺山系を抜けて設楽町の田口に至る予定です。
三河大野は鳳来寺・秋葉街道の宿場町で、今でも昔の旅篭の雰囲気を残した旅館が見られます。
鳳来寺は1200年以上の歴史を持つ古刹で、モリアオガエルが生息しブッポウソウが鳴く自然豊かな山としても有名です。
東海自然歩道は、昔修験者たちが通ったと言われる行者越えの道をたどり、鳳来寺に至ります。
一般の参拝者は門前町から登りますが、この参道は見事な杉林の中を1425段の石段を伝ってくる道としても有名です。
寺の本堂などは山頂付近に固まっています。
寺の創建は大宝2年(西暦702年)のことで、天武天皇の命によるものとされています。
峰薬師如来を祭っている寺として、信仰を集めてきました。
また、日光・日本平と並ぶ三東照宮の一つがある場所でもあり、徳川家康の母堂がこの寺にお参りをしたところ家康を授かったといういわれから、東照宮が建てられました。
自然歩道は行者越えを経て東照宮から鳳来寺に入ってきます。
本堂・鐘楼と抜けて、高度を上げて奥の院に至ります。
奥の院からはすぐに鳳来寺山の山頂に至り、尾根を伝って棚山高原に至ります。
棚山高原はかつてキャンプ場などがあり、また近くには瀬戸岩という巨岩があり、キャンプシーズンはにぎわったということですが、現在は静かな高原です。
棚山高原を過ぎて更に進むと宇連山に至ります。この山は流紋岩からなる山です。
宇連山から尾根を伝って海老峠を経て仏坂峠に至ります。ここもかつては四谷の集落と田代の集落を結ぶ重要な峠でしたが、現在はトンネルが通り、峠はひっそりとしています。
仏坂峠から車道に沿って少し下ると四谷の集落が見えてきます。
今回は約21km11時間の道のりです。
次回の行程はどうしようか、歩き終えると次の思うのはそのことです。
帰りのバスを待つ停留所でも時刻表を見て次回はここに何時頃に着けるのかとか、帰りの列車の中でも地図を見てどこまで歩けるかと考えます。
今回の行程も例外ではありませんでした。
「家を朝出てきたらよいものか、前日から乗り込むか・・・。」
もうそんなことを考えなければならないほど遠くまで歩いてきてしまったのです。
今回の3連休も一週間以上前から天気予報を気にして、天気はOKということを確認して、準備にかかりました。
今回選んだ交通機関は、東海道線の夜行列車、俗に言う”大垣夜行”、現在の正式名称は”ムーンライトながら”です。
昔から、何度か利用したことがありますが、ここ7・8年は使っていませんでした。
今では車両も変わり、途中までは全車座席指定になっています。
木曜日に指定席券を入手して、金曜の夜、東京駅から乗車しました。
この列車を初めて利用したのは、大学の入学手続きをしに滋賀県まで行ったときです。
当時は普通の車両で快適とはいえなかったこともあり、また志望大学に行けずに傷心の旅立ちだったため、重苦しい気持ちで乗車していたような気がします。
そんなことを思い出しながら、揺れる車中でリクライニングの座席に身を沈めて眠りに就きました。
起きたのは豊橋の手前。中央線の事故の影響で発車が大幅に遅れたのですが、ここまでの区間で遅れは取り戻しているようです。
AM4:35に真っ暗ななか豊橋到着。飯田線のホームのベンチで、始発列車を待ちます。
ベンチで寝ようと思ったのですが、とても寒く、ありったけの衣類を着込んで横になってもなかなか眠れません。
今夜の幕営は大丈夫なのか、寒くて眠れなくなってしまうのではないか、そんな不安が頭を過ぎります。
結局よく眠れずに、始発の飯田線に乗車して、パンを頬張りながら三河大野駅に7:07に到着しました。
荷物を再度点検して、7:15に今回の行程のスタートです。
まずは、宇連川を渡って、大野の古い町並みで東海自然歩道のコースに戻ります。
家の前に出てきた早起きの方と挨拶を交わし、酒屋の前でビールの自販機に熱い視線を投げかけ吊り橋のたもとの桐谷不動へ。
ここでお参りして休憩。
近くで見ると、宇連川も大きな流れです。
吊り橋を渡るとすぐに引地の踏み切りが現れます。
そしてここからが鳳来寺への参道の始まりです。
道端の石碑には「1丁」と刻まれています。
ここから山頂まで36丁の石碑を数えながらの道中です。
林道は小川に沿ったなだらかな登り道で歩きやすく、静まり返ってとても気持ちがいい。
16丁の休憩所で荷を下ろし一服します。
道はここから急な登りになります。
途中2度、車道の上を橋で渡り、2度目の橋を渡ったところが行者越えのポイントです。
この道を鳳来寺で修行する人々が往来したという謂れが記されています。
ここでも再び荷を下ろし休憩。このあたりから視界が開け、秋晴れの下、東三河の山並みが美しく見渡せるようになります。
一休みしてもう少し登るとベンチがあり、すぐ近くには突き出した岩がありました。
再び荷を下ろして岩に登り朝日に光る山々を見渡します。
とても気持ちがいい!心の底から嬉しくなり、山並みに向かって”ヤッホーっ!”と叫んでいました。
やまびこがしっかり返ってきました。
いったんピークを過ぎてくだりに入るとすぐに鳳来寺の建物が見えてきました。
東照宮には9:35に到着しました。
東照宮というとどうしても日光の東照宮を思い浮かべます。
きらびやかといえば聞こえはいいのですが、派手に過ぎるという感もあります。
徳川家康というとどちらかといえば質素なイメージですが、権現様になってしまうと派手になるのでしょうか。
そこへいくと日本平の久能山にある東照宮はそれほど派手ではないでしょう。
ここ、鳳来寺の東照宮は、小ぶりながらも出来るだけ派手に見せましたといったところでしょうか。
階段下のベンチに荷を下ろし、一気に階段を上ってお参りです。
これで三東照宮完全制覇です。
脇の売店で絵葉書を買い、スタンプを借り、はがきやらノートやらにぺたぺた押しました。
階段を降りてくる途中に、外国人の二人連れが上ってきました。
すれ違いざまに挨拶を交わします。
「Good Morning!」
これを聞いた二人に呼び止められました。
「Can you speak English?」
「Year!(ちょっと見栄を張ってみました)」
それからいろいろ英語で尋ねられました。
ここは神社かお寺か(東照宮は神社ですよね?)。
本堂へはどのくらいか。
ここまで車で来てしまったが階段を通って帰りたい、どのように行けばよいのか、などなど。
大見得を切った割にはたどたどしい英語で受け答えをして、リュックから地図を引っ張り出したりしながらわかる範囲で説明をします。
相手にも何とか通じた様子で、感謝していただきました。
少しは役に立ったようで、よかったよかった。
階段下で掃除をしていたおじさんたちとも言葉を交わします。
三河大野から大きいリュックをしょって朝早くから登ってきたことで、感心していただき、これからの行程のことをいくつかアドバイスしていただきました。
ついでにお願いをして東照宮と書いてある石碑の前で写真を撮っていただきました。
再びリュックをしょって本堂へ。
今後の行程に備えて、そろそろ水を補給したいのですが、適当な水道が見当たらず、売店の前を通って本堂に来てしまいました。
本堂前の広場にある休憩所からは、長篠へ続く谷が一望の下に見渡せます。遠くに霞んでいるのは三河湾でしょうか。
まずはお参りをしてから展望を楽しみました。
おりしも、今日からしばらくの間、鳳来寺では”もみじ祭り”が開催されるようです。
かといって特に変わったことをやっている風もなく、紅葉にも少し早いようでした。
近くに地元の方らしい作業着の一団を見つけ、このあたりに水を頂けるところはないかと尋ねてみました。
先ほどの売店くらいしかないとのこと。
そこでペットボトルをもって売店に赴き水を頂きたい旨を話します。
しかし、売店のおばちゃんの言うことには、ここのところの連日の晴天で水が不足していてあげられないとのこと。
少し東照宮よりの橋のたもとに水道があるからそこを使いなさいとのこと。
どうもそこは水道水ではないようなのですが、飲んでも大丈夫とのことなのでそこで補給をしました。
この水不足の状況が後々影響してくる事になろうとは、この時はつゆほども思いませんでした。
本堂に戻ると先ほどの外人の二人連れが大きな赤い幟を見上げていました。
通りがけに、”それはモミジ祭りと書いてあるのだ。祭りは今日から始まるらしい。”と解説しました。
ひとまず”ホウホウ”と納得してから、遠くの山の上にあるお堂を指差し、
「あそこへはどうやって行くのだ?」
と言う事を尋ねてきました。そういわれても、こちらもここを訪れるのは初めてです。
先ほどの作業着の一団に尋ねようとして、彼らの腕に目が留まりました。
作業着の一団は”東海自然歩道調査員”の腕章をつけているではありませんか。
これは心強い。調査員が答えてくれた事をたどたどしい英語で通訳します。まどろっこしいのですが、仕方ありません。
すると、またまた次々と質問がやってきます。
「この辺で一番見晴らしがいいところはどこか、そこまではどの位かかるのだ、お昼ごろに駅に戻れるか・・・」
何だかんだで、本堂前で一時間もすごしてしまいました。
ここまで快調なペースで進んできたので、このくらいの休憩はいいでしょう。これも何かの縁です。
さて、本堂を切り上げて、すぐ上にある鐘楼へ。
ここにもお宮さんがあるのでお参りします。
ここで、また先ほどの外人さんに捉まりました。
「ところで君はそんな大きい荷物を持ってどこへ行くのか?」
ウエストポーチから地図を出して、東海自然歩道の事を説明し、東京から行程を刻んでここに至り、今回はここまで歩く予定であるとの話をしました。
すると、
「OH!Great!」
と言われ、一緒に写真に写ってくれとの申し出を受けました。
もちろん快諾し、私もカメラでも撮ってもらいました。
奥の院へ向かう道の途中まで同行し、握手で別れました。
「Good Luck!」
「Have a Nice Trip!」
思わぬところで時間を取られましたが、また一ついい交流ができました。
選択肢としては2つありました。水がないというヒモジイ思いをしても宇連山で幕営する。
がんばって仏坂峠まで行き、一番近い民家に水をもらう。
どっちにしても、きつい選択肢です。
歩いて疲れているのだし、水くらいは飲みたい(水割りも飲みたい!)。
しかし、膝が痛いのでペースをあげるのはつらいし、今の季節は日没は5時頃のはずです。
仏坂峠に着くころには真っ暗になってしまうし、暗い山道を独りで歩くことになってしまうかもしれない。
西丹沢の夜間歩行が思い起こされます。あの時は佐々木君が一緒でしたが、今回は一人です。
どうしたものか思案を巡らせながら歩き、宇連山のたもとまできました。
ベンチに荷物を降ろし、とりあえず休憩します。時間は3:50。
ここから仏坂峠まではガイドブックによりまちまちです。
ニッチマップでは1時間20分、愛知県の地図では2時間、ウォークガイドでは3時間50分。
見事にこれだけ違うとどれを信用したらよいのかわかりません。
しかし、こうして少しの休憩をしている間も水が飲みたくなってきます。
これは、少々無理をしても、水をたっぷり飲んで体を休めたほうがいい!
膝と時間と日没に不安はありましたが、がんばって峠まで出てしまおう。そうすれば、車道に出るし、車道なら日が暮れてからも歩けるだろう。
そう決断をして、再び荷物を背負いました。
少し歩き始めると、”仏坂峠3時間20分”の表示。
ピッチを上げよう!
気持ちは急いていますが、道はとてもいい道です。
右に左に山並みが見え、とても美しい。
さらに、夕闇迫る空もとても美しい。
しかし、それをゆっくり見ている余裕はありません。
休みも少なく短くし、膝の痛みも我慢して、ひたすら歩きました。
途中、はるか下方に灯りが見えました。
あれが、目指す四谷の集落でしょうか。
いくつかのピークを越え、峠を過ぎ、ひたすら前へ歩きます。
西を見れば、日は更に傾き、今まさに山陰に沈まんとしています。
なんて美しいんだろう、なんだか悔しいなあ。
暗くなる前にヘッドランプを装着し、点灯します。
ここで足をくじいたりしたら大変です。
峠まであと50分の表示で日は沈みましたが、空にはまだ明るさが残っています。
この明るさが残っているうちに・・・。思いが通じたのでしょうか、峠には5:15に到着し、トンネルには5:35にたどり着きました。
なんとも恐ろしいペースです。しかし、車道に出てしまえばひとまず安心です。
ベンチに座ってゆっくり休憩しました。
休憩の後、すっかり暗くなった車道に沿って四谷の集落のほうへ歩きます。
6:05に四谷の案内板に到着。ここで東海自然歩道を外れて、集落のほうへ更に車道を下ります。
最初に見えた民家を目指して歩き、家の前で荷を下ろしました。
民家の前には水道がありました。黙って使ってしまうことも出来るのでしょうが、良心は裏切れません。
しかし、この民家、玄関がよく分からない。しばらく歩き回って、どうやらここらしいという所から入っていきました。
「すいません!」
大きな声で何度か呼びかけると、奥から人のよさそうなおばさんが出てきました。
そこで、東海自然歩道を歩いている旨、水がなくて難渋してここまで下りてきた旨をお話し、ついては水を頂けないだろうか、またこの近くにテントを張らせて頂けないだろうかとお願いしました。
「それはいいんだけれど、どこにテントを張るの?」
「ここにくる途中で少しだけ平地があったので、そこにしようかと・・・」
「そんなら、うちの車庫にするといい。」
「そうしてくださると、とても有り難いです。」
「ところで、ご飯はどうするの?」
「水を頂ければ、自分で作ります。」
「うちで食べていきなさいな。」
それは申し訳ない、水を頂けるだけでありがたいです、まあいいじゃないの食べていきなさいな、なんていうやり取りをしていると、奥からご主人らしきおじさんが出てきました。
おばさんが簡単に事情を話すと、おじさんは、
「うちで食べていくといい。上がりな。」
と言って居間の炬燵に入りました。僕は頭を深々と下げて、ご好意に甘えることにしました。
荷物を土間に置かせていただき、居間にあがって山盛りのご飯と具沢山の味噌汁と煮豆を頂きます。
暖かい食事が腹に染み入ります。有り難いことです。
頂きながら、四ッ谷まで距離を伸ばしたいきさつを話します。
そんなこんなしているうちに、”今夜は泊まってけ”ということになってしまいました。
とてもとても恐縮してしまったのですが、何だかんだ泊めて頂くことになって、お風呂まで頂いてしまいました。
お風呂を頂いた後は、まるで家族の一員になったかのように一緒にテレビを見て、おばさんがひいてくれた布団に包まって寝ました。
朝は、夜の幕営が寒いのではないか心配していましたが、それも杞憂に終わり、暖かな布団と親切に抱かれて眠りに就きました。
三河大野まではJR東海飯田線を利用します。
三河大野駅からは、目の前の国道に沿って宇連川を渡り大野の宿場街に戻って歩き始めます。
宿場街から再び国道に出てきた所に標識などがありますが、ちょっとわかりにくいかと思います。
ここは国道を横切って目の前の細い道を入っていきます。すぐに桐谷不動の標識が出てきます。
吊り橋を渡るとすぐに引地の踏み切りに出ます。駅からこの踏み切りに直接出てくる道もあるようです。
踏み切りを渡ると鳳来寺への参道の始まりです。ここからは鳳来寺まで迷うことはないでしょう。
鳳来寺では東照宮の前を通って本堂へ行きます。ここからは本堂裏の鐘楼に登ってから、鐘楼裏の道を伝って奥の院へ行くことになります。
奥の院から棚山高原の分岐までは迷うことはないでしょう。
しかし、道は険しいので足元はしっかりした靴を履いていくことをお勧めします。
分岐で、僕は迂回ルートを選びましたが、林道の工事の具合を見ると本ルートも通れるような気がします。
通れると保証は出来ませんが、本ルートにかけてみるのも一つの手でしょう。
迂回ルートは道としてはいいのですが、とても時間がかかります。
本ルートはアップダウンが少ないのに対して、迂回ルートはアップダウンがあるのが原因だと思います。
ここでは時間に余裕を持っておいたほうがよいでしょう。
また、迂回ルートは途中まで標識が頻繁に出てきますが、途中からパッタリと標識がなくなります。
迷い様のない一本道ですが不安になるでしょうし、僕のように引き返してしまうかもしれません。
これを避けるために、左側に林道が見える所で林道に出てしまうのも一つの手ですし、黙々と迂回ルートを突き進むのもよいでしょう。
いずれにせよ、迷うことはないと思います。
宇連山の手前の水場は沢の水です。お天気続きのときは枯れてしまっていますので要注意。
僕のような目に会うかもしれません。
また、夏場は水質にも注意したほうがよいでしょう。
ルートは宇連山頂には登らず、その手前を通ります。
たくさんのベンチがある休憩所がありますが、そこから山頂への分岐が出ています。
山頂には東屋があると言うことですし、距離もたいしたことなさそうなので、ひとっ走り行ってみるのもよいでしょう。
宇連山から海老峠を経て仏坂峠までも稜線を伝わるいい道です。
アップダウンがあり楽な道ではないので、ゆっくり歩きたい所です。
標識は比較的少ないのですが、分岐らしい分岐もなく迷うことはないでしょう。
仏坂峠では田代方面への分岐がありますが、ここでは四谷方面へ。
トンネルから四谷までは車道になります。このあたりに公共の交通機関はなく、かなり歩いて滝上と言うバス停まで行くしかありません(豊橋鉄道0532-53-2131)。
また、宿泊場所としては、鳳来寺の門前の門谷か塩津温泉になるでしょう。海老の集落もありますが、ここに旅館があるかどうかは不明です。
詳しくは、鳳来町観光協会(05363-2-0022)か設楽町企画課(05366-2-0511)にお問い合わせください。