前回は岩村で暑さと疲労のため挫折したので、今回はここから恵那を経て中仙道を大湫まで歩きます。
岩村から夕立山の先までは、その昔、参勤交代のため岩村の殿様が通った道とほとんど重なっており、大名街道とも呼ばれる道です。
その途中にある希菴橋は、武田信玄に殺害されたという戦国時代の僧にして識者・希菴の謂れのあるところです。
橋の少し先には希菴塚という希菴の墓もあります。
また、戦国時代にはこの橋のある川原は刑場で重罪人が首を跳ねられたといいます。
昔の街道の面影は今も残っており、夕立山へ向かう林道の途中に恵那方面を指した旧い石の道標が立っていたり、馬頭観音が立っていたりします。
夕立山は県営の牧場が広がる夕立高原の中にある小高い丘です。
ここの牧場は岐阜県内でも指折りの規模を誇るそうです。
夕立山から茶屋場跡を過ぎてため池を下ると野井の集落にでてきます。
槙が根では中央本線と中央高速道を越えます。そしていよいよここから江戸時代の主要道の一つ、中仙道です。
中仙道の歴史は今更ここで述べるまでも無いでしょう。
洪水などの被害を受けやすかった東海道に比べ、不通になる事の少なかった中仙道は山道であったにもかかわらず、かなりの交通量があったようです。
歩き始めるとすぐに、明治初期に建てられた「右西京大阪、左伊勢名古屋」の石の道標がいまもしっかりと立っているのに出会います。
深萱の集落からは、その昔信仰の対象だった権現山を前に見ながら進みます。
そして、この辺りはその昔13峠といわれた峠の多い難所であったそうです。
大湫近くの阿波屋観音には、石の室の中に33体の観音様が並んでいます。
その昔、上り下りの多かったこの辺の難所は、人だけでなく馬にとっても難所だったようで、重荷を背負った馬が倒れてそのまま死んでしまった事が多かったようです。
阿波屋観音は、そんな馬たちを供養するために建てられたといいます。
馬が主要交通手段だった時代の人の馬に対する思い入れが偲ばれます。
大湫宿は、中仙道47番目の宿でした。
その昔、徳川家へ皇女・和宮様が降嫁なさるときに、ここに泊まられたとか。
その行列は桁外れなもので、高貴な方の御宿泊にただでさえ大騒ぎの宿場町は、この行列を収容するために仮の小屋を33軒も新築したとか。
大湫周辺には、和宮様のゆかりの史跡があちらこちらに残されています。
また、この街は宿場町の面影を残す趣深いものになっています。
今回は約21km7時間半の道のりです。
10月9日の夜、いつものようにムーンライトながらにのり込みました。
勝手知ったるもので、すぐさま寝る体勢に入りました。
有り難いもので、この東海自然歩道膝栗毛のホームページを開いてから、様々な方からメールを頂きました。
意外と多くの方が、東海自然歩道を歩きとおす旅をしていらっしゃる事を知り、嬉しくもあり、励みにもなりました。
そんな嬉しいメールのやり取りを続けるうち、合同ウォーキングをしませんかと呼びかけて下さる方が出てきて下さいました。
しかも、申し訳の無い事に、私の行程にあわせて、岩村から西へ向かう行程をルートとして選んで下さったのです。
呼び掛けに呼応して下さった有志の中には、この合同ウォーキングにあわせるために、岩村まで無理をなさって行程を伸ばして下さったり、岩村で行程の進行を止めて下さったりと、無理をして合わせて下さった方もいました。
このつたないページを通じて、このような人の輪が広がった事は、とてもとても有り難い事だなぁ、とそんな事を思いながら眠りについたのでした。
翌朝は、金山駅で中央線に乗り換え、恵那を目指します。
途中で、大山のMTBライダーにして、2度目の寧比曽岳登頂の際に大変世話になった大河内君が乗車してきました。
今回は、彼も重い荷を背負って共に歩いてくれます。
恵那駅で明智鉄道に乗り換えます。
駅でも待ち合わせの間に、立ち食い蕎麦で朝食を済ませ、コンビニに買い出しに行きました。
このコンビニの前で、メールでしか知らなかった浅野さんとご挨拶。
浅野さんも東京からの参加です。
そして、今回のために行程を岩村まで進めておいて下さいました。
明智鉄道に乗車すると、前回同行して下さった斎木さんと再会しました。
斎木さんには前回に続いてこの辺りをガイドしてもらう事になりそうです。
列車は緑のトンネルを抜けて岩村駅に到着。
そこで待っていて下さったのは、今回の呼びかけ人の藤原さん。
東海自然歩道を箕面から高尾山まで歩ききり、今度は高尾山発で箕面を目指していらっしゃる大阪の方です。
以前、朝日新聞から取材の依頼を受けたときに協力して下さいました(その時の記事はここから)。
全員そろった所で、まずは岩村駅の前で写真を一枚。
大河内君以外は、全員がインターネットを通じて知り合った人たちです。
大河内君にしても、インターネットでメールのやり取りが無ければ、今ここにこうして一緒にいるかどうか。
そう考えると、インターネットというのはとても面白いものですし、人の縁とは不思議なものです。
さて、駅で水補給をしてから、8時半過ぎに今回の行程の始まりです。
前回と同じように駅のホームを経由して線路を横断し、ルートに入ります。
今回、幕営をするのは僕と大河内君だけなので、この二人だけが大きな荷物を背負っています。
それだけに、皆さんのペースについていけるか心配な所もありました。
今回の合同ウォーキングは、普段ネットの上で交流している方たちと実際に会えるという大きな楽しみがありました。
それと同時に一抹の不安があったのも事実です。
歩くペースや休憩の取り方もその一つ。
休憩などほとんど取らずに歩く方もいらっしゃるようですが、僕はどちらかといえば疲れる前に休憩を取ってしまうタイプです。
こうした方が結局は長い距離を楽に歩けるのだという事を山の師匠である佐々木君に教わったのです。
そしてもう一つはこの旅に対するスタンスの違いです。
行程をどんどん進める事に喜びを見出す人もいるようですが、僕は行程を進める喜びと同じくらいに途中の様々な出来事を楽しむタイプです。
名所があれば見ていく、美味しそうな物があれば食べていく、珍しい物があれば立ち止まる、話し掛けられたらじっくり話していく、お茶に誘われたら有り難くごちそうになる。
そんな一つ一つの些細な出来事がこの旅をとても豊かな物にしてくれている気がするのです。
こうした、この歩く旅に対するスタンスの違いも、個人個人で差があるのは当然ですが、余りにかけ離れているとやはり苦労します。
最も逆の見方をすれば、そうした体力的にも精神的にも個性豊かな人たちが集まって一緒に歩くからこそ面白いのかもしれません。
箒を持って朝の清掃作業にいそしむ町の人の横を通り、トンネルをくぐって道路を渡り、民家の脇を山道に入っていきます。
山道を抜けるとのどかな田んぼに出ます。
田んぼを抜けて小川にかかる橋を渡ります。
ここが希菴橋。
橋のたもとにある小さな碑を見ながら斎木さんや藤原さんの解説に耳を傾けます。
希菴橋を過ぎるとすぐに希菴塚です。
謀殺に遭った人の塚だけに、控えめな塚でした。
次に右手に見えてきたのは高札場。
岩村藩のお達しはこの高札によって周知されたのでしょう。
しばし立ち止まり見上げてみます。
江戸時代の匂いがプンプンする高札が今でも掲げられていました。
更に進み、農家の方に挨拶をして山道へ向かいます。
農家の方は、いい年をした男たちが群れをなして歩いているので、何かあったのかという表情で見送っていました。
今日のお天気は晴れ。快晴というわけではありませんが、それでもお日様が出て適度に暖かいの今日のような陽気は、ウォーキングに絶好といえるでしょう。
そんななか、僕にとってはちょっと速いペースでずんずん進んでいきます。
途中の休憩のときに、藤原さんが木の実を取って食べています。
きけば、昔取った杵柄で、子供の頃の山で食べた木の実を思い出しながら、ウォーキングの途中で見つけては食べているそうです。
このように、植物の知識が豊富なのは、僕には大変うらやましい事です。
幼い頃、山葡萄や野いちごを摘んで食べた記憶はありますが、年を取るにつれ野山の知識も薄れてきてしまったような気がします。
せめて、食べれる植物だけでも見分けるようになりたいものです(食いしん坊ですから)。
平坦な舗装道、未舗装道が続きます。
途中に、恵那方面へ向かう道との分岐点がありました。
そしてそこに、石に彫った文字が読めなくなるくらいに風化してしまった古い古い道標が立っていました。
まさに大名街道だなぁという感じです。
馬頭観音の見物などをして、夕立山の東屋についたのは10時過ぎ。
そこで、はたと気がつきました。今日は平成10年10月10日ではありませんか。
浅野さんや大河内君は既に気づいていて、明智鉄道の切符をもらってきたとの事。
そして、もうすぐ10時10分になるのです。
これは写真でも取らねばなるまいと思って、カメラをセット。
皆で集まって、時間を見計らって写真を撮りました。
この希有な日付の希有な時間に記念となる良い写真が取れました。
東屋のポイントは確かに夕立山なのですが、周囲に見えるのは丘ばかりで当の夕立山がどれなのか判然としません。
地元ともいえる斎木さんでさえ良く分からないそうです。
道は再び未舗装道になります。
車も通るのでしょう、しっかりとした林道です。
農場の所で脇へそれ、山道に入っていきます。ここもなかなか良い道です。
とにかく、岐阜県に入ってから舗装道路ばかりだったので、足にやさしい山道はとても嬉しいのです。
ため池を回り込み、林道へ下ります。この林道を真っ直ぐ進んだ先が野井の集落です。
まず目に飛び込んできたのは立派なバイパス道路。
丘の向こうへまっすぐに伸びています。
旧道を渡って、バイパスの手前の東屋で休憩です。
ここまではかなり良いペースで来ています。
11:20に出発。
バイパスを渡り右折するのですが、ここに立っていた標識が何ともおかしい物でした。
方角を指す矢印の矢尻の部分が標識の幹の方にくっついているのです。
一見した所、左折してしまいそうな標識です。
ここは斎木さんの指示により難なくクリアー。
坂道の舗装道を登り、峠越えをします。
ゴルフ場の間の道を縫って、やまぎし会の農園の横を通ります。
ここまで僕はほとんど一番後ろの方を歩いていたのですが、みなの歩く姿を写真に撮ろうと、少しペースをあげて前の方に回り込もうとしました。
すると、みんな僕にあわせてペースをアップしてきたので、前に回り込む事ができません。
何だかおかしくなり笑ってしまったのですが、皆も荷物の大きい僕や大河内君に合わせてペースを加減してくれている事が分かりました。
国道19号線に出てきました。
そして、高尾山以来の中央高速をくぐります。
大きな川を越えたときと同じような感慨が湧き起こりました。
高速をくぐった所にある小さな神社でお昼の休憩です。
さすがに日が高くなると暑くて喉も渇きます。
30分ほどで休憩を切り上げ、いよいよ中仙道に入ります。
車道の脇から未舗装路に入ります。
未舗装路を歩き始めてすぐに、大きな立て看板が出てきました。
中仙道の案内板です。
皆でひとしきり眺めて、"右西京大阪左伊勢名古屋"の石造りの道標の前で写真を撮りました。
この道標は明治時代に建てられた物だそうです。
斎木さんとはここでお別れ。
我々は"西京大阪"へ、斎木さんは"伊勢名古屋"へ、それぞれの街道を歩くために別れました。
未舗装路は石畳の乱れ坂を通り、小川を渡ってしばらくすると舗装路に合流します。
舗装路を右にカーブしていく所で左手に大きな休憩所が現れました。
2:00丁度、ここで休憩です。
書き込み帳があったのでここでしっかり書き込みをしていきました。
紅坂に出てきました。ここには江戸時代の一里塚が立っています。
紅坂は石畳の坂です。
この辺りから小さな峠がたくさん続きます。
中仙道が主要道として重要視されていた時代は、この辺りを十三峠といい、街道の難所と言われていたそうです。
深萱の集落に出てきました。
ここに、藤原さんの知人でこの辺りの中仙道保存会の会長をなさっている渡辺先生の店があるそうなので、皆で休憩がてら寄っていきます。
渡辺先生は丁度いらっしゃって、皆めいめい飲み物を購入して先生の話に耳を傾けました(ちなみに僕だけがジュースで他の人はビール、フライングだぁ!)。
先生は御自身の話から中仙道の歴史の話までいろいろ語って下さいました。
渡辺先生にお礼を言って再出発です。
ほどなく大きな中仙道の石碑が現れたのでここで写真を一枚。
このあたり、舗装路と未舗装路が交互に出てきます。
そして、だんだんとこの辺りの信仰の山・権現山に近づいてきます。
釜戸温泉に泊まるというグループを抜かして権現山の裾を廻るように進みます。
樫の木坂の石畳を通り未舗装路へ。
この辺りはどうやらゴルフ場の中を抜けている道のようで、道の両側にネットが張ってあります。
ゴルフ場の名前も中仙道ゴルフ場。
しかし、昔ながらの街道もゴルフ場に挟まれ、時にカート道が街道を横断していたりするので興ざめです。
阿波屋観音で一休み。
日が射さない観音様の周囲は薄暗く、虫もぶんぶん飛んでいるので休みもそこそこに再出発します。
最後の山を越えて大湫の集落に降りてきました。
時刻は既に4:00を過ぎています。
僕と大河内君はそろそろ幕営の場所を考えなければなりません。
藤原さんと浅野さんはこの先の集落・細久手の旧宿・大黒屋に予約を入れてあるので、そこまで足を伸ばします。
大湫の宿に出てきた所で、金城山宗昌禅寺というお寺の駐車場にある東屋を発見。
ちょっと高台になった場所です。
しかも下には酒屋さんが見えます。
僕と大河内君はここで荷を下ろし、下の酒屋へ。
酒屋の前で藤原さんと浅野さんと別れました。
酒屋さんでビールを仕入れて、東屋に戻ります。
それから、お寺に幕営の許可をもらいに行きました。
和尚さんの家らしき所で声をかけると、女性が出てきたので幕営の許可を求めました。
快く了解して頂き、おまけにトイレや水道の使用も許して下さいました。
今宵の宿も正式に決まり、早速テントを設営します。
ビールを片手に夕食の準備をしながら憩っている所に和尚さんがやってきました。
「ここに泊まらせてもらいます」
と言うと笑顔で応えて下さり、旅の話から和尚さんが中国に赴いたときの話をして下さいました。
和尚さんが去り、ランタンの明かりの中で夕食です。
仲間との幕営は久しぶり。楽しいものです。
いろいろな話をしながら酒をのみました。
片づけをして寝る前に歯を磨きます。
水道から帰ってくると大河内君が空を見上げています。
誘われるように見上げた空には、たくさんの星が瞬いていました。
明日もきっとお天気です。
今回の区間はポイントとなる地点に標識が立てられているため余り迷いそうな所はありません。
ざっとルートの概要をお話しておきます。
岩村の駅を降りて駅舎を出ると東海自然歩道の案内板があります。
しかし、ルートは駅舎を通らずに、ホームの明智よりの端から降りて線路を渡った所で合流します。
山肌に沿って進むと幹線道路にぶつかります。
ここは道路の下をくぐる道を通ります。
標識に従って民家の脇から山道に入ります。
しかしすぐに抜けて田んぼの間の舗装路を進みます。
希菴橋を渡り車道を横切り道なりに進みます。
希菴塚を右上に見ながら通り過ぎ、しばらくすると右手に高札場が見えてきます。ここが根の上休憩所。
田んぼの間の道を軽く登り山道に入ります。
出た所で車道に突き当たります。
ここを右に折れ、すぐに左に折れて細い道へ入ります。ここからしばらく道なりに進みます。
舗装路ですが、周囲に大きな建物もなく、木立の間を進み気持ちの良い道です。
途中に分岐が何個所かありますが、道なりに進んで下さい。
夕立山を経てほぼ平坦な道を西へ西へと進みます。
牛舎の先で右に折れて山道に入ります。
溜め池(小沢が池)を巻くようにして林道に降り、野井の集落に入っていきます。
集落の中では細かい曲がり角がありますが、標識はしっかり立っていますので見落とさないようにして下さい。
野井でお寺の前の休憩所を経てバイパスを横切ると、田んぼの中に標識が立っています。
この標識はよく見ると幹の部分に矢じりが来ています。
この矢じりの指す方向に進んで下さい。
野井からは中仙道に入るまですべて舗装路です。高台の畑や草地の間を抜けてゴルフ場の間を通ります。
工場の脇を通った所で国道19号線を歩道橋で渡ります。
そして中央高速をトンネルでくぐります。
少し中央高速に沿って歩き神社の前を通ります。
車道を横切って中仙道に入るともう迷う事はないでしょう。
軽くアップダウンを繰り返し、舗装路と未舗装路を繰り返しながら道なりに進むと自然と四谷・深萱・大湫に至ります。
岩村までの交通機関は明智鉄道です。
岩村での宿泊は岩村町観光協会(0573-43-2111)にお問い合わせ下さい。
岩村と大湫の間の交通機関は、野井でのバス便があります(東濃鉄道バス0572-22-1231)。
また恵那市街に行くとホテルをはじめとした宿泊施設が整っています。
恵那市街の宿泊施設については恵那市観光協会(0573-26-2111)にお問い合わせ下さい。
中仙道に入ると瑞浪や恵那からのバス便が深萱・大湫に出ています。
しかし、宿泊施設はありません。大湫からJR中央線の釜戸駅まで出てくると釜戸温泉があります。
詳しくは瑞浪市観光協会(0572-67-2222)へお問い合わせ下さい。