前回は大湫のお寺でテントを張りましたので、今回はここからの出発です。
大湫は昔から中山道の重要な宿場町で、本陣もあったようです。
街並みもかつての宿場町の雰囲気をそこはかとなく感じさせます。
大湫を過ぎるとすぐに琵琶峠です。
峠には、その昔皇室から徳川将軍家へとお下りになる際に中仙道を通られた、皇女和宮様の歌碑があります。
「住み馴れし都路出でてけふいくひ
ひそぐもつらき東路のたび」
琵琶峠は石畳の続く峠道で、和宮様の通った往時の雰囲気もさもあらんといった風情です。
北野神社は参道の杉並木がきれいなお宮です。
北野神社から少し進んだ所にある弁天池は、池の中の島に弁天様を祭った小さなお宮があります。
狂歌で有名な大田南畝も旅の途中にこの池の脇を通り、"カキツバタ生いしげれり、池の中に弁財天の宮あり"と日記に記したそうです。
細久手は昔ながらの宿場町。ここにある大黒屋は江戸時代から続く旅篭で、尾張藩指定の宿だったとか。
今も営業を続けており、江戸時代に戻ったような旅篭の雰囲気を堪能できるようです。
開元院は戦国武将の土岐氏ゆかりの曹洞宗の名刹です。
本尊である観世音菩薩像は鎌倉時代の作と伝えられます。
ふじあげ坂は昔ながらの街道の雰囲気を残した道です。
津橋を過ぎ、謡坂にはいると御殿場という高台が現れます。
ここは、皇女和宮様がお下りになった際に、休憩所として御殿を建てた跡地と伝えられています。
御殿場を過ぎると、唄清水、一呑の清水と岐阜県指定の名水が相次いで現れます。
特に一呑の清水は和宮様が通行の際の野点にこの水が用いられたという謂れがあります。
ともに、昔から街道を行き交う旅人の渇いた喉を潤してきた清水です。
一呑の清水を過ぎると謡坂の石畳の坂が現れます。
この坂は近年になって往時の姿を復元した物です。
謡坂を下ると耳の病に霊験あらたかといわれる耳神社の前を通り、別名を牛の鼻欠け坂といわれる西洞坂を下ります。
国道21号線に出てくると和泉式部の碑が立っています。
この地は平安時代の女流文学者として、また数々の浮き名を流した人として有名な和泉式部の没した地であると伝えられています。
御嵩の町は昔の宿場町。
江戸より49番目の宿「御嶽宿」として栄え、御嶽宿本陣などが残っていますが、この本陣の建物自体は明治時代に建替えられた物だそうです。
また、中仙道みたけ館は中仙道の歴史を伝える郷土館と図書館の複合施設です。
今回は約13km4時間半の道のりです。
10月10日の夜は宗昌禅寺の東屋横で明かしました。快適に寝る事ができました、と言いたい所ですが、やっぱりコンクリートの上は硬い。
夜中に何度か目を覚ましました。
翌朝は夜明けと共に目覚めるつもりでした。
しかし、今回は快適だった事で、また二人で泊まっているという甘えもあったでしょう、目覚めるとすでにテントの中は明るくポカポカしています。
うわっちゃ、寝坊か!と思いましたが、時刻は6時。
大寝坊と言うわけではないようです。
テントから顔を出すと既にお日様がさんさんと照っています。
大きく伸びをして、ノソノソっと朝の支度をします。
お日様はどんどん高くなるのに、寝ぼけ眼の我々の志気はどうも低いようです。
結局、朝ご飯を食べてからテントを畳んで歩き始めたのは8時近くになってからでした。
歩き始めると、ようやく調子が出てきます。
大湫の街を抜けて琵琶峠にかかります。
中仙道にしては少し荒れた石畳を上がると、和宮様の歌碑が立っていました。
教養に乏しい我々の事とて(大河内君は豊かかもしれないなぁ)、歌を読んでもそれほど感じ入る事もなく、あっさりと通り過ぎました。
ここの下りからしっかりとした石畳になります。しかし、すぐに舗装路になります。
途中、養鶏場を過ぎた辺りの四つ角でしばし迷います。
標識がどちらを指しているか良く分からないのです。
取り敢えず二人で判断して、太めの道を進みます。
しかし、しばらく歩いてから磁石や地図に照らしてみると、どうも道が合っているという確信が持てません。
そこで、大河内君に一旦戻ろうと提案し、四つ角に戻ります。
そして、少し細めの道を少し進むと、ありましたありました、標識です。
時間はロスしましたが大間違いにならずに良かった良かった。
北野神社に着きました。
入り口に荷を下ろして参道の奥のお社を見ます。
この参道が何とも魅惑的な雰囲気を持っています。
そこで、お社まで行ってお参りしようと言う事になり、杉並木の参道をお社まで歩きました。
柏手を打って本日の行程の無事を祈ります。
参道を戻ってきて、再び歩き始めます。
そろそろ、藤原さんと浅野さんに連絡を入れておかないと心配するかもしれないので、大河内君が携帯で電話をします。
しかし、電話がかからない。電源が入っていないのでしょうか。
弁天池を過ぎると、車の爆音がワンワン聞こえるようになってきました。
この辺で族の集会でもやっているのでしょうか。
時たまそれらしき車も通りすぎます。しかし午前中から集会など聞いた事がありません。
なんだろうねぇ、と話し合いながら歩いていると、大河内君がサーキットがあるという友人の話を思い出しました。
ほほう、こんなところにねぇ、と思っていると、すぐに瑞浪サーキットの看板が出てきました。
看板を通り過ぎると、それらしき車がどんどん現れるようになりました。
どれも皆、個性を主張するように手を加えてあって、なかなか面白い物です。
9:30に細久手に到着。
藤原さんと浅野さんの宿、大黒屋がどこにあるのか分かりません。
地図を見ながら歩くと、何の事はない、ルート沿いにありました。
藤原さんと浅野さんは宿の前に出て待ちくたびれた風。
いやぁ、遅くなってスミマセン。
昔ながらの建物だと言う大黒屋を見上げます。藤原さんと浅野さんが中の様子を語ってくれます。
なかなか、入り組んだ構造になっているようです。
ちょっと、心引かれるものがありました。
さて、再び4人になって歩き始めます。
細久手宿の外れから山道に入ります。
山道を抜けると平岩の里です。
ここに開元院と言うお寺があります。
お寺の前で荷を下ろし一休み。
山門の前に大きな碑が立っています。
「不許軍酒入山門(ぐんしゅさんもんをはいるべからず)」
と刻まれています。酒飲みの僕はこのお寺には入れそうもありません。
しばらく舗装路を歩き、太い道からそれて山道に入ります。ここからふじあげ坂。
山道の入り口には3体の観音様が見守ってくれています。
この山道はなんとも良い道です。広くてフラットでとても歩きやすい。
皆の一番後ろからゆっくりと歩いていきます。
山道の出口には畑が広がっています。
その畑の外れに自生している柿の木には赤くなった実がたわわに実っていました。
さっそく食べられる実鑑定家の藤原さんに鑑定をお願いします。
どうやら甘柿のようだと言う事で、めいめい取ってかぶりつきます。
美味しい!
藤原さんによれば、岐阜県は富有柿発祥の地。
その岐阜で自生の柿を食べられて良かったとは、藤原さんの弁。
津橋の集落を抜けて再び山道に入ります。
峠には御殿場と言う広場があります。
道からちょっと階段を登っていくと東屋があります。
その辺りが和宮様のために御殿を立てた場所だとか。
藤原さんを先頭に登っていきます。
先に着いた藤原さんが、
「オオ、お姫様がおる。」
と大きな声を上げました。
その声に慌てて登ってみると、そこには男性と共に一人の女性ハイカーがいました。
藤原さんの冗談に、女性ハイカーも満更ではなさそうです。
御殿場のほど近くにはケーキ屋さんがあります。
こんな所にと思いましたが、車の数を見ると結構繁盛しているようです。
車道を横切って再び山道に入ります。
この辺からが謡坂でしょうか。
しばらく歩くと、何やらピヨピヨと笛のような音がしてきます。
図らずも、この音の正体は唄清水。
清水から流れ出る水が音を立てているようです。
浅野さんが音の謎を突き止めるためにいじると、音はゴボッゴボッという下水のような音に変わってしまいました。
"浅野さんが唄清水をこわしてしまった"と皆でからかいました(もちろん冗談ですよ)。
山道の出口では子供が筵に小豆を広げ棒で叩いてお手伝い。
車道に出ると一呑の清水です。
この清水は飲めるのでは、とチョット期待していたのですが、残念ながら飲用不適の立て看板が立っていました。
ここから登り坂に入ります。
畑に出てきました。
畑の間を進みます。
やがて道は草ぼうぼうになってきました。
クモの巣も張っている道を浅野さんが切り込み隊長になって進みます。
こんな道はいやだぁ、と皆の顔が曇ります。
しかし、まだまだ中仙道のはず。
一般のハイカーもたくさん通るであろう道がこんなに荒れているのはおかしい話です。
"この道は違うんじゃないの?"と僕が声を上げると、皆の思いも同じだったようで、すぐに一呑の清水まで戻る事にしました。
清水の前は交差点になっています。
登り坂ではなく、平坦な道の方を少し進んでみると何の事はない、すぐに標識が見つかりました。
先ほどまで青かった皆の顔も晴れやかに変わりました。
石畳を下ると舗装路に出ます。
さらに下ると右手に耳神社が出てきました。
耳に良い神社と言う事で、今の所間に合っていますが、一応手を合わせておきます。
耳神社を過ぎて右へ曲がる所で、露天が店開きをしていました。
野菜など、いろいろ安いのですが、あまり土産物を買わない主義の僕は眺めるだけで満足です。
藤原さんが生姜を購入していました。
味噌をつけて食べるとビールと良く合うんですよね。
西洞坂、別名牛の鼻欠け坂にかかります。
中仙道を往来する牛や馬がこの坂に難儀し、鼻が欠けんばかりに無理矢理引っ張って歩いた事から別名が付いたそうです。
ここまで、皆の後ろに付いて何も考えずに歩いていた僕でしたが、ボケっとしていた事から水溜まりに突っ込み、滑ってしまいました。
とっさに手を付いたため、ブリッジのような状態になり、泥んこ状態は避けられました。
考える事を人任せにしていると、こんな所でしっぺ返しが来るようです。
しばらく歩くと、国道21号線に出てきました。
藤原さんの案内で、国道からほんの少し入った所にある和泉式部の廟所によっていきます。
「ひとりさへ 渡れば沈む うき橋に
あとなる人は しばしとどまれ」
と石碑に刻まれていました。
道はしばらく21号線を進みますが、すぐに可児川の方へそれます。
こちらも舗装路には変わりありませんが、自動車がブンブン走っている所よりはずっとましです。
先に、御嵩の宿場町が見えてきました。
宿場町に入ると、中仙道みたけ館と言う立派な建物に行き当たりました。
せっかく中仙道と言う歴史のある道を歩いてきたのですから、もう少し中仙道について知っておこうとみたけ館に寄っていく事にしました。
ここは図書館を併設した施設で、2階が資料館になっています。
休憩も兼ねてゆっくりゆっくり見て回りました。
今まで歩いてきた中仙道が様々な歴史の背景となってきた道だと言う事を改めて知りました。
現代における中仙道の保存状況と合わせて、まさに歴史にじむ道なのだなぁと感じました。
みたけ館を出るとすぐに名鉄御嵩駅です。
今回はここでゴールイン。
お疲れ様でした。
通りがかった人に頼んで、駅前の東海自然歩道の看板の前で写真を撮って頂きました。
既に時間は14時半。お昼の時間はとっくに過ぎています。
お昼ご飯を兼ねて祝杯をあげようと、駅近くのお好み焼き屋に入りました。
大きなお好み焼きを焼きながら皆で乾杯!
クゥーッ、ビールが腹に染み入ります。
この2日間お疲れ様でした。そして有り難うございました。
たまにはこんな合同ウォーキングも良いものだなぁと明るく笑う皆の顔を見て思うのでした。
大湫には宿泊施設はありません。
また、大湫からは釜戸駅方面へバス便があります(東濃鉄道バス0572-22-1231)。
大湫から琵琶峠へは標識に従って荒れた石畳の道へと一回曲がるだけです。
琵琶峠からの下りで一旦車道を横切りますが、すぐにまた車道に出てきます。
。
北野神社へ向かい養鶏場を過ぎた辺で、道路が3方向に別れます。
ここは一番細目の真ん中の道を進みます。
ちなみに左へ進むと犬の訓練場を経て細久手への近道になるようです。
北野神社を経て弁天池〜細久手は標識もありますし特に迷う事はないでしょう。
細久手の集落に出てきたら突き当たりで左折します。
すると大黒屋や公民館の前に出てきます。
集落の途中で右折して神社の脇から未舗装の古い道に入っていきます。
細久手には東海自然歩道に関係の無い標識も立っていたような気がします。
地図と見比べて迷わないようにして下さい。
開元院は道から少しだけ外れた所にあります。
車道に出てきた所で少しだけ右にそれるとお寺があります。
ルートは左へ折れます。
ここからしばらく車道を歩きます。
所々で岩肌が道に迫ってきています。
大きな道とのT字路に出た所で右折します。
このポイントに標識があったかどうか、記憶が定かではありません。
太い車道が登り坂になってすぐ左手に林道への入り口があります。このポイントには標識があります。
この林道は道も太くて素晴らしい道です。
右手の岩肌の穴の中に観音様が鎮座しています。
道は徐々に細くなり津橋に出てきます。
一旦車道を横切りますが、すぐにまた素晴らしい山道に入ります。
この山道のピークに御殿場があります。
ケーキ屋を横目で見ながら車道を横切って再び山道に入ります。
少し薄暗い山道ですが、左手に唄清水があります。
真っ直ぐ進むと一呑の清水に出てきます。
ここで道が登り坂と平坦な道とに別れます。
ここは平坦な道を進んで下さい。
すぐに左手に標識が出てきます。
登り坂を登ってしまうと我々が間違えた畑の間の道に入っていってしまいます。
標識に従って石畳の坂道を下ると車道に出てきます。
ここを左折すると下り坂の中腹に耳神社が出てきます。
下り坂の途中で右折します。この先が西洞坂です。
坂を下りきると国道21号線はすぐです。
21号線にぶつかるとしばらくは車道に沿って歩く事になります。
車道を横切って可児川沿いに出てきます。
可児川に沿ってしばらく歩き、やがて街中へ向かいます。
この辺りは標識はあるのですが、西から来た人にとっては少々分かり難いかもしれません。
僕もこの辺りは後ろからひょ子ひょ子ついて歩いていただけなので記憶が定かではありません。
御嵩の街へ入ると御嵩駅へ一直線に向かいます。
その途中に中仙道みたけ館があります。ここまでくれば御嵩駅は目と鼻の先です。
御嵩駅へは名古屋から名鉄広見線が延びています。また、細久手では東濃鉄道バス(0572-22-1231)のバス便があります。
宿泊施設としては、細久手に大黒屋(0572-69-2518)があるほか、御嵩の街中にも宿があるようです。
詳しくは瑞浪市観光協会(0572-67-2222)、御嵩町観光協会(0574-67-2111)へお問い合わせ下さい。