前回は、名鉄三河線の三河広瀬駅まで来ていますので、今回はここから雲興寺を目指します。
三河広瀬駅は矢作川のほとりにあり、この辺りは広瀬梁のある渓谷です。
矢作川を渡ると田んぼの畦道から山道へと入っていきます。途中、西広瀬城址の横を通ります。
しかし、城址らしき遺物は見ることは出来ません。
山道をぬけて林道に入ると昭和の森にやってきます。
昭和の森は昭和天皇御在位50年を記念して、緑化センター隣の県有地を整備した公園です。
森の中には昭和の小径・ファミリーコースなどの遊歩道が整備され、交流館では野鳥などの公園内の自然が学べます。
西中山を経て猿投神社に至ります。
猿投神社は、古くから神様の領域として神聖視されてきた猿投山に開かれた神社で、山麓と東宮・西宮の3つの社があります。
歴史は古く、日本武尊と双子であった大碓命がこの地に住まわれて没したところから、この大碓命とその父・景行天皇、祖父・垂仁天皇を奉っています。
また、山麓の社のほど近くに、この地方で陶器を作るために古くから使われたトロミル水車が復元されています。
神様の山・猿投山を下りると雲興寺に着きます。
今回は約18km7時間の道のりです。
金曜日の夜、ムーンライトながらに乗るべく準備の最終点検をしていた僕は、重大な事態に気が付きました。
カメラの電池が切れている!
昨年、尾瀬に行ったときも尾瀬が原に入ってから電池切れに気づき、高い電池を買うはめになったのです(尾瀬価額と言う奴ですね)。
今回も電池を売っているような場所を通るとは思えません。
電池買うべし!
しかし、列車の時間も迫ってきていたため、僕はリュックを背負って、雨の降りしきる深夜の東京の町にさまよい出たのでした。
コンビニのはしごでようやく電池を入手し、そのまま山手線に乗り込みました。
当初、ムーンライトながらには東京駅から乗り込もうと考えていたのですが、時間的に無理と判断し、品川乗車に変更しました。
まあ、指定券を持っていることだし、問題はないでしょう。
品川で乗車したら、すぐにホームページを通じて知り合った同好の志・がんさんが僕の席に来訪してきてくれました。
あな、うれしや。
がんさんは、ウイスキーのミニチュア瓶とマンゴーチップスを差し入れてくださいました。
有り難い事です。
ちなみに、がんさんもこの週末で丁度同じコースを歩くのです。
ただし、がんさんはお仲間との集合時間の関係で歩き始める時間が僕より遅くなります。
さて、爆睡のうちに愛知県にはいり・・・と言いたいところですが、隣の席の太ったおじさんじがズーッとかっぱえびせんをボリボリやっていて(やめられないとまらないのは分かるんだけどねぇ)、なんやしらんボリボリが気になってなかなか寝付けません。
ようやく食い終わったなと思ったら、今度はでかい鼾を掻いてゴーゴー眠り始めました。
そんなこんなで、結局静岡のあたりまでよく眠れませんでした。
豊橋で前回田口まで送ってくださった同好の志・小原さんが乗り込んでくるかもしれないので、豊橋になったら起きようと思っていたのですが、結局東刈谷まで寝てしまいました。
刈谷駅で下車する前に同じ車両に乗車されていた小原さんにご挨拶をします。
小原さんも今日は東海自然歩道を歩行される予定で、予定では今日の行程を終えれば東海自然歩道完全制覇を成し遂げられます。
小原さんの安全歩行をお祈りし、やはり小原さんに会いに来たがんさんとともに刈谷で下車しました。
がんさんは、時間に余裕があるので、ぼくの名鉄始発待ちに付き合ってくださって、色々お話しをしながら始発を待ちました。
6時になり、ぼくは始発に乗り込みました。
がんさんは再びJRに乗り込み名古屋まで一旦向かうとの事。
さて、三河地区の名鉄に乗るのは初めてなので、キョロキョロしながら、知立・猿投乗り換えで、7時31分に三河広瀬に到着しました。
靴紐を結び直して、たまたま駅にいた女子高生に駅前で写真を撮ってもらって、いざ出発です。
三河広瀬の駅を出るとすぐに矢作川を渡ります。
このあたりの矢作川はちょっとした渓谷のようになっていて涛々と流れています。
橋のたもとには広瀬梁の看板がでています。そろそろアユの季節ですなぁ。
橋を渡り切ったところにあった新設のトイレでちょっと休憩します。
そして再び歩き出します。
すぐに、小学生が大勢うんこ座りしてたむろしているのに出くわしました。
元気に朝の挨拶をしてくれたので、感心感心。
西広瀬城址をぐるっと回り込むようにして山道に入っていきます。
この城址も少し気になるところですが、今日はまだ先がありますし、看板を読むだけにしました。
右手には田んぼが広がり、農作業にいそしむ方々の姿が見下ろせます。
働いている方を横目に遊びで歩いているのは何やら申し訳なく、足早に通り過ぎました。
さて、山道には行っていくのはいいのですが、ちょっと草が生い茂っており、道の具合からもそれほど人通りがあるようにはおもえません。
ここまで歩いてきて養った勘を働かせて、安全策をとり、手前の標識まで戻ることにしました。
そして、標識が指す方向をもう一度確認し、道が間違えていないとある程度確信を得た上で、再び山道に入ります。
これをしないで闇雲に突っ込むと、間違えていたときが悲惨です。
山道に入り田んぼの畦のようなところから左手に少し登ると、すぐにベンチのある休憩所にでました。
が、この休憩所、何やら今までのものと雰囲気が違います。
お手製の地図を書いた看板、地図を入れたポスト、カラフルな色に塗られた石による石積、そして何とお御籤。
実はこのあたりの自然歩道は、西広瀬小の学童達が、看板をはじめとした整備に一役買っているらしいのです。
先ほどのうんこ座り集団も実は整備活動にいそしんでいる小学生なのかもしれません。
僕も、微笑ましい気持ちになって、ポストから地図を一枚頂きます。
ちなみにお御籤もひいたのですが(中吉でした)また御籤箱に返しておきました。
どんどん取っていったら無くなってしまいますもの。
先に進むと、ささゆりの階段、自然トンネル、どんぐりの道など、子供たちの命名した道が出てきます。
そして、手書きの看板。
とても、ほのぼのとした気持ちになります。
広場に出ると、そこはいっぷく峠。
テーブルに荷を下ろし、看板のたもとに備え付けてあった一言ノートを取り出して書込みをします。
何と、ここでの書き込みに住所氏名を添えておくと、後で学童から手紙が来るとの事。
偉い小学生だねぇ、と感心してしまいました。
僕は住所は書かずに、ホームページアドレスを書いてきました。
キャラメルの丘を越えて、山を下り、車道を横切ってから林道に入っていきます。
このあたりから昭和の森という愛知県が指定した自然保護地域なのです(きっとそうに違いない)。
公園として整備されていて、遊歩道が設けてあります。
遊水地を渡ったところにある休憩所で一服。空を見上げて、好天に感謝します。
林道を抜けて左に折れ、車道に出て歩くと、交流館という昭和の森の施設に出てきました。
愛知県から送って頂いた地図では、このあたりから迂回路が設定してあるので、その情報を仕入れるために交流館に入ります。
管理人らしきおじさんに伺いましたが、このおじさんは東海自然歩道のルートについて全く知らない様子です。
しかし、人はとてもよさそうで、一生懸命ルートを考え、説明してくれました。
このおじさんの優しさに好感を抱き、一緒に写真を撮る事にしました。
あと、ここには東海自然歩道のスタンプがあったので、すかさず地図に押しました。
昭和の森を通りぬけ、取り敢えず迂回路ではなく本線を行きます。
すると、西中山という地点までは難なく着けました。
なーんだ本線通れるんやん、と思い、その先に出て来た『迂回路を進むべし』の看板を無視して再び本線に突入しました。
しかし、住宅地に入って来たところで、道が良く分からなくなってしまいました。
たまたま家の前を掃除していたおじいさんがいたので、道を伺ってみます。
すると、確かに次の目標地点である猿投神社まで行けない事はないが、示した地図通りには行かないとの事。
やっぱり本線は通れないようです。
出て来たお嫁さんに猿投神社までの簡単な地図を書いて頂き、迂回路に戻る事にしました。
そのお嫁さんの話によると、迂回路を通った方が無理に本線を通るより遥かに近いそうです。
迂回路は、愛知県の地図が示しているのとは少々違う道で、大池と言うその名の通り大きな池の横を通っていきます。
地図では違うが、所々に標識で「東海自然歩道迂回路」と示してあるので間違いないでしょう。
現地優先の原則です。
棒の手会館という建物の脇を通り、信号待ちのトラックの運ちゃんに道を尋ねて、猿投神社に入ったのは、11:40。
考えていたよりちょいと遅くなりましたが、まずまず許せる範囲内のタイムです。
お参りをして、御籤をひいて(またまた中吉でした)、浄水横の木陰に腰を下ろします。
腹が減ったので、昼飯にします。
今回は凝ったものは作らず、カップヌードルを持ってきています。
お湯を沸かせばお昼御飯ができたようなものです。
さて、一服してから12:20に出発。
すぐに大悲殿東昌寺といういかにも悲しい謂れのありそうなお寺に着きました。
お寺の中を一回りしてすぐに再出発。
トロミルの水車を横に見て猿投山の登りに取り付きます。
舗装路から山道に入り、ぐんぐん高度を上げる、と書くといかにもグイグイ突き進んでいるようですが、じつはヒイヒイ言いながら登っていたのです。
今回はテントや寝袋を持っていない軽装です。
従って、歩いていても楽だし、猿投山(649m)程度なら鼻歌交じりで登れるわいと当初思っていました。
しかし、これが案外きつかった。
やはり気持ちが緩むと体も鈍るのでしょうか。
途中すれ違ったクラブ活動の学生達の元気よく下山する様を見て、こちらも元気よく行かなきゃと思うのでした。
ようやくの思いで東宮に着きました。
東宮には壮年の男性2名女性1名のパーティーが休憩中でした。
僕もこの方達の近くに荷を下ろします。
どちらともなく話が始りました。
僕が東海自然歩道を東京からテントを背負って歩きつづけていることなどを話すと、東海自然歩道についていろいろと質問をしてきました。
道の状況、愛知県内の歩道の概要などをお話すると、皆さん感心したように聞いていらっしゃいます。
そのうちの一人の方が、
「俺はもうすぐ定年だが、そうしたら愛知県内だけでも東海自然歩道を歩いてみたい。」
とおっしゃいました。その言葉をうかがって、自分が今とても贅沢な時間を過ごしていることを再認識したのでした。
その後、話が弾んで、一緒に猿投山山頂まで行く事になりました。
久し振りにグループで歩いたのですが、一人出歩いているときに比べて、大勢で話しながら歩くとかなり楽なような気がします。
地図では東宮から山頂までは等高線が狭くなっており、険しそうなのですが、それを感じることもなく、グループ歩行の効能たるや大であると認識したのでした。
山頂には2:10到着。
眺めは残念ながら霞んでいたのですが、梅雨時にお天気が良いだけでも感謝しなければなりません。
ベンチで休憩し、皆さんのお仕事を中心に再びいろんなお話しを伺います。
最後に写真を撮ってお別れしました。
皆さんは西宮経由で下山されるそうです。
さて、あとは雲興寺への道をたどるだけです。
荷物が軽いので膝の事をあまり気にせず、スイスイ下れます。
何組かのハイカーとすれ違い、挨拶を交わしながら高度をぐんぐん下げました。
下りの感じからすると、猿投山は猿投神社から登るよりも雲興寺から登るほうがきついようです。
一旦林道に出て、東に向かいます。
再び山道に入る時、かなりエグイ轍が付いているのに気が付きました。
こりゃあ、MTBではなくてオフロードバイクだなと思いました。
この勢いだと、道を掘り返すだけでなく、階段も壊してしまいかねません。
案の定、少し歩くと、約5台のオフロードバイクが止められライダーが休憩していました。
東海自然歩道は歩行者専用の道なのでバイクはおろかMTBも大きな顔をして通れない道なのです。
それを知ってか知らずか、僕がライダーに派手な轍を付けない様に、後ろから僕を轢かない様に声をかけると、はにかんでいました。
さて、先に進むと、今度は捕虫網を振る青年二人に出会いました。
こんにちはと声をかけると、その後ろから引率者のような人が出てきました。
そのかたの顔を見て、アッと驚いてしまいました。
なんと、前回の歩行で寧比曽岳から香嵐渓にむけ豪雨の中を下る時にすれ違い、互いの物好きさ加減を笑いあって写真を撮った古川さんではないですか!
実はその後、件の写真を送った時に、お礼のお手紙をいただき、その中に次に来る時は予定を教えて欲しい旨が書いてあったので、今回の歩行に出掛ける前に葉書を出しておいたのです。
ひょっとしたら三河広瀬の駅に来ているかなと淡い期待を抱いていたのですが、来ていなかったので今回は会えないだろうと思っていたのです。
それが、こんな所で待ち伏せしてくれているとは!
古川さんは奥さんとお子さんも連れてきていて、捕虫網の二人は古川さんの経営していらっしゃる塾の教え子だと言う事。
古川さんは蝶の収集の趣味を持っていらして、前回のゴールデンウィークの歩行時も蝶の収集をしながら歩いていらっしゃったのです。
そして、今回も蝶を収集しながら皆さんでのんびりと僕を迎えに来てくださったとのこと。
それでも、僕が余りにのんびりしたペースだったので、すでに雲興寺に到達してしまったものと考えてしまったらしく、そろそろ引き返そうかと考えていらしたようです。
何はともあれ、再会が出来て良かった!
再会をひとしきり喜び合った後、再び雲興寺に向けて出発です。
単独行がここで一気に6人のパーティーになってしまいました。
歩きながら、古川さんから蝶のこと、この辺りの植生のこと、万博開催で揺れる海上(かいしょ)の森のことなどをうかがいました。
雲興寺に至る前に(途中で例のオフロードバイク集団に追い越された)、6人でベンチに休憩します。
そこで、古川さんが教え子に背負わせたリュックから取り出したものは、なんとBeer!
まさに、先ほどから頭に去来していたものです!
喜んでグビグビッといきます。いやぁ、美味いねぇ!
さて、程なく雲興寺にたどり着き、みんなで写真を撮りました。
古川さんは僕を夕食に誘ってくださいましたが、今夜は尾張旭に住む大学時代の旧友のところに泊まることにしていたので、お礼を言ってお断りしました。
そして、古川さんは尾張旭の友人の家の近くまで送ってくださいました。。
途中、瀬戸の街の解説をして頂き、次回の定光寺からのルートは是非御一緒しましょうと約束してお別れしました。
意外な出逢いに、本当に嬉しかった。有り難うございました。
その夜は、ほぼ10年ぶりに会った大学時代の友人と夜半まで酒を酌み交わしました。 こう話していると大学時代と何も変わりません。 10年一日とはこのことです。 良い気分で布団にもぐったのは1時でした。
三河広瀬の駅を出て矢作川を渡ると、右手に広瀬梁、左手に新設のトイレがあります。
トイレの前の車道を渡って、左方向に進み、すぐ右に折れます。
このあたりは標識もしっかりしていますので、迷うことはないでしょう。
右折して真っ直ぐに行くと、西広瀬城址の看板があり、その少し先に標識があります。
この標識は全面的に信頼して山肌に沿って進みましょう。
このあたりから、西広瀬小の学童達の作った看板が出てきます。
奥まった田んぼの畦道を通り、山肌に突き当たったところで、左右どちらに進むべきか迷うところですが、ここは左に進み、ちょっとした登り坂を登りましょう。
上り切るとすぐに、小学生の作ったカラフルな看板が見えます。
ここからは、ほぼ一本道。
カラフルな看板にしたがって、いっぷく峠、キャラメルの丘と歩を進めましょう。
車道に出ると、向こう側に砂利道が見えます。
車道を横切って砂利道に入ってください。
ここを真っ直ぐ行くと、昭和の森の外れに出れます。
貯水池のほとりに休憩の東屋があり、この近くから昭和の森の遊歩道がのびています。
ハイキングの方は、ここから昭和の森に入っていくのもいいでしょう。
砂利道を抜けるとアスファルトの道になります。
三叉路で左手に折れれば、交流館までは真っ直ぐです。
愛知県の作成している地図では、この昭和の森のあたりも迂回路が設定してありますが、実際には本ルートを通れますし、地図通りの迂回路は見当たりません。
大きな池を見下ろすように通り、池を通り越したところで、右手に昭和の小経という遊歩道が現れます。
この入り口には、小規模なフィールドアスレチックの施設があります。
昭和の森の園内のルートは交流館でもらえるパンフレットにも出ていますので、入手すると良いでしょう。
さて、採石場の脇を通って山道を抜けると、車道に突き当たります。
ここは右折をします。
すると西中山で交差点に出ます。
ここは直進して細い道に入っていくのですが、標識があるので迷わないでしょう。
西中山では写真のような迂回路の表示が出てきます。
この表示にはしたがってください。
本文中にもあるように、本線を通行することは困難な状況です。
大池の脇を通ると太い車道に出ます。
ここは左折して、棒の手会館を脇に見ながら進みます。
交差点の少し先に右に折れて少し下る道がありますので、ここを入ります。
この道沿い、左手には猿投神社の駐車場があります。
猿投神社からは、神社脇の道を進みます。
神社のすぐ裏手に東海自然歩道の休憩施設がありますので、猿投神社を休憩ポイントと考えている人はこちらに回るといいでしょう。
この休憩ポイントのほぼ向かいが大悲殿東昌寺です。
さて、猿投山に向かう道は最初はアスファルトです。
トロミル水車を左手に見ながら進むと、やがて御門杉という巨木の脇を登る山道になります。
ここから、少々急な登り道を登り、一度車道を横切って東宮へ進みます。
このあたりは、今回の行程で一番きついところでしょう。
しかし、道は単純で、迷うことはありません。ひたすら上を目指して一心不乱に歩けます。
また、車道と横切るところでトイレがあります。
東宮を経て猿投山頂上に至ると、今回の登り坂は終わったようなものです。
ここから林道までの道は少々急な下りになりますので、足元には気を付けてください。
林道を道なりに進むと、トイレが出てきます。
ここから左に折れて、自然歩道は細い山道になります。
この細い道には途中で左に鋭角に折れる道がでています。
しかし、こちらに進むと雲興寺にはつきませんのでご注意ください。
あいにく、ここには標識はありません。がんさんは、轍につられてこちらへコースミスをしたそうです。
山道を抜けるとすぐに雲興寺です。広い境内にそこそこ立派な休憩所があり、裏山を越えるとキャンプ場もあります。
雲興寺からの交通機関は、寺の前にバス停がありますが、本数が非常に少ないので、20分ほど歩いて赤津の停留所に出るほうが良いでしょう。
ここから尾張瀬戸駅へ名鉄バスが出ています(0561-82-7141)。
また、周辺には宿泊施設はなく、瀬戸市内まで出たほうがよさそうです。
途中の猿投神社近辺でしたら、猿投駅付近に宿泊施設があるようです。
詳細は豊田市商業観光課(0565-31-1212)、瀬戸市商工観光課(0561-82-7111)へお問い合わせください。