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22.寧比曽岳から金蔵連峠・綾渡を経て香嵐渓まで

  1. コース概要
  2. 切る来るの法則
  3. 物好きな人々
  4. お日様って素晴らしい
  5. 足助に来てくれてありがとう
  6. コースミニガイド

平成10年5月3日(日)憲法記念日

1.コース概要

前回は寧比曽岳の山頂で幕営しましたので、今回はここから紅葉の名勝・香嵐渓のある足助の街を目指します。
寧比曽岳は東海自然歩道が本コースと恵那コースに分かれる交差点です。東海自然歩道完全踏破を目指す方は、この山頂を2度踏みしめることになります。
寧比曽岳から稜線を伝って下山してくると筈が岳の入り口を通ります。 筈が岳は愛知県の百名山に選ばれており、ここの山頂からの眺めは寧比曽岳のそれよりも素晴らしいとのことです。
さらに下ると金蔵連峠にでます。何ともあやかりたい名前のこの峠は、この近くで金が産出されたことから名付けられたものです。 武田信玄の三河進攻のおりに、この峠の下にある金蔵連という集落で金山を発見し、石臼ですりつぶして製錬したとのことです。
金蔵連峠を過ぎると久々の人里、綾渡の集落に入ります。 ここには、愛知県の無形文化財である綾渡踊りが伝えられています。 また、この地にある平勝寺は聖徳太子の開山と伝えられる曹洞宗の寺で、本尊の高さ170センチの聖徳太子像は重要文化財に指定されています。 さらに後醍醐天皇の南朝にまつわる悲話も伝えられているとのことです。
綾渡を経て山ヶ谷を越えると眼下に巴川が見えてきます。 巴川の河畔に出た所が安実京です。 安実京の辺りから始まる渓谷は紅葉が両岸に植えられ、香嵐渓という東海一の紅葉の名所として名高い所です。 この紅葉は香嵐渓の中心にある香積寺の住職・参栄禅師が寛永元年から丹念に植樹をしていったものだそうです。 また、紅葉の時期だけでなく、春は桜の名所として有名だそうです。
香嵐渓には東海自然歩道香嵐渓ビジターセンターがあり、東海自然歩道ウォーカーのオアシスでもあります。 香嵐渓のある足助の町は歴史的にも古く見所満載の所です。
今回は約21km6時間半の道のりです。

Map of rute

2.切る来るの法則

昨夜の風雨はものすごく、テントが風で飛ばされるのではないかと気が気ではありませんでした。
テントの中で目覚めたのは朝の5時。 風はいくらか収まったようですが、雨はまだ降り続いているようでした。 ラジオを付けて情報収集をすると、昨夜来の大雨強風波浪雷注意報は朝になっても解除されていませんでした。 そこで、テントの外を覗く事もせずに、もう一度シュラフのジッパーを上げて2度寝です。 今日は天気の具合を見て、最悪のケースではこのまま山頂にもう一泊しようと考えているので、雨が降っているようならばこのままゴロゴロしていても良いのです。
top in myst 昨日の天気予報では今日(5月3日)の午後には晴れてくるとの事。 しかし、午前中は前線の通過もあって大荒れの危険性もアリとの事です。 次に目覚めたのは7時半。雨の気配も薄らいでいるようなので、テントの入り口を開けて外の気配を伺います。 風は収まり、あたりには霧が立ち込めています。 テントから出て東屋の外に出ると、霧雨になっているようです。 このまま上がれば出発出来ると思い、テントの中でスープとパンの朝食を食べました。 朝食を食べ終えて、着替えを済ませてテントから出てみると、雨は上がっているようです。 これなら出発できる、前線は早足で通過したのかもしれない、と思い半信半疑では有りましたが出発のための準備を始めました。
テントの撤収など全てを終えて9時。 この段階でも雨は降っていません。 1時間も上がったままなのだから、雨雲は去っていったのだと予想し、出発する事にしました。 一日寧比曽岳山頂にいることを覚悟していただけに、ラッキーです。 一応、ザックカバーとポンチョを付けて、昨日は雨で断念した山頂での撮影も清ませ、山頂を後にしたのが9:15。 雨上がりの森の中へ突入していきました。
下り始めると、雨に洗われた新緑が美しく、ラッキー一人占めだと心の中でほくそえみます。 ポンチョを羽織っていると蒸れてきます。 15分程度歩いたところでポンチョを脱ごうとベンチで一休み。 ポンチョを脱いだとたん、空から小雨がぱらぱら降ってきました。 全く、これでは麻雀における切る来るの法則と同じです(メンツを作るのを諦めてパイを捨てるとその直後に待っていたパイを積もってくること)。 再びポンチョを羽織ります。 すぐに止むだろうという楽観的な予測の基、歩を進めると、止むどころか雨は激しさを増し、傘を差す羽目になりました。 しかも、時折カミナリの音も聞こえるようになりました。
急な下り坂は足元が緩く滑りやすいものです。 案の定、雨が激しくなってきた所で一度コケてしまいました。 危うく傘のホネで目をさす所でしたが、眼鏡をかけていたので助かりました。
雨は豪雨になり、軒先でも有れば雨宿りをしたいところですが、人家など一軒も無い山の中では雨宿りなど出来ようはずも有りません。 山頂に戻る事も頭をかすめましたが、一度下って来た道を登り返す気にはどうしてもなれません。

3.物好きな人々

筈が岳北線をたどり、筈が岳入り口まで登ってから、筈が岳南線に入ります。 ほぼ防火線に沿った道は川と化し、出来るだけ水の無い畦などの道の端を選んで歩きます。 転ばない様に、下りでは歩幅を小さくとり、時間は二の次にして安全に進む事を心がけます。
雨は止むどころか雷まで伴って豪雨が続きます。 まったく、一時の晴れ間にまんまとはめられました。 気は急くのですが、怪我をしては元も子もないので、ベンチがあったら雨の中でも出来るだけ荷を下ろして体を休めました。
11:10、金蔵連峠で林道を横切ります。 ここにトイレが有りますが、トイレの中に荷を下ろすのはどうしても抵抗が有ります。 林道へ回避するという気はサラサラありません。 そこで、トイレは横目でにらんだだけで再び川(道)の中に突っ込んでいきました。
MR.FURUKAWA ここからは、たまに右手に林道が現れるようになります。 しかし、ルートはあくまで山道です。 しかも、山道はえぐれて溝になり、その溝の底を雨水が川となって流れていきます。 昨日の朝のOHARAさんのアドバイスがよみがえってきます。
「綾渡までの道は雨が降ったら川になる」
まさに、その通りです。 足を溝の両側につき、溝をまたぐように歩きます。 とにかく転ばないようにしようと思っていましたが、見事に一度コケました。 なんとか、綾渡に着くまでにこの雨があがらないでしょうか。
そろそろ雨の勢いも衰え、カミナリも聞こえなくなり、綾渡の集落も間近という時になって、高台に出ました。 下を覗くと林道が走っています。 山をえぐってきり開かれた林道なのでしょう。
その林道からリュックをしょって上ってくる青いレインコートが有ります。 ほほう、こんな雨の中、物好きなハイカーが居るわいと思い、高台の上で道を譲るために待っていました。 昨日出発して以来、初めて出会うハイカーです。 あがってきた所でどちらからともなく挨拶を交わします。 上って来たのは瀬戸市に住む古川さん。 昆虫の採集をかねて県内の東海自然歩道を歩いているとのことです。 今回は猿投山の方から足助を経て歩いて来たとの事。 昨夜は足助の手前でテント泊をして雨にたたられ難渋したそうです。 お互い、大変な思いをして来たようです。 同胞の匂いのする古川さんと、お互いの物好きさ加減を笑いあい、写真を撮りました。 そして、道中無事を祈りつつ別れました。
一旦林道に降りてから対面に登り返します。 しばらくすると山道を抜け、田んぼに出てきます。 綾渡に近づいている雰囲気です。 今は丁度田植えの時期。 水の溜まった水田を蛙が気持ちよさそうに泳いでいます。
人家が見えてきました。 綾渡に到着。裏谷以来の人里です。 雨も上がり、丁度お昼なので霧の立ち込める集落の中、お寺を目の前に、東海自然歩道の看板の前のベンチに荷を下ろしました。 PM1:00、ようやく昼食です。 止まると体が冷えてくるので暖かいマルチャン天ぷら蕎麦を作りました。

4.お日様って素晴らしい

蕎麦を作る間に、靴を脱いで中敷きを絞ります。 水がたっぷりと滴り落ちてきました。 ついでに靴下も絞ります。 簡単に手を洗ってからピーナツを食べます。 そして、出来上がった蕎麦をすすります。 ああ美味しい。ようやく一息つきました。 半分濡れてしまった煙草を吹かしながら、一時間近く休息しました。
雨は上がりましたが、濃い霧が立ち込めてきて辺りが暗くなってきました。 荷をまとめ、靴を履き、出発です。またポツポツと雨が落ちてきました。
聖徳太子が開いたという平勝寺でお参りをしてから綾渡の集落を過ぎていきます。 道端にはたまにお地蔵さんが立っているので、見つけるたびに手を合わせます。 再び山道に入るところで傘を差し、山道を抜けて舗装道路になると雨が止みました。 山ヶ谷のバス停で荷を下ろし、再び靴の中敷きを絞ったらかなりの水が出てきました。 ここでポンチョを脱ぎ、Tシャツ1枚になりました。そして煙草を一服。 ああ、美味しい。ajikyo 時折顔を出すお日様を見ては、ああお日様って素晴らしいと思うのでした。
安実京には3時半に到着。これで今回の行程は終わったようなものです。 寧比曽岳に端を発した小川は、今や巴川に合流して堂々たる流れになり、雨水を集めて濁流となっています。 店の前に荷を下ろし、家に電話を入れます。 とりあえず、嵐の山を無事に踏破することが出来ました。
安実京で巴川を渡り、川に沿って香嵐渓のビジターセンターまで新緑を見上げながらツラツラ歩きます。 桜並木は徐々に紅葉並木に変わり、みずみずしい新緑を見せてくれます。 足助村、足助屋敷、助庵と過ぎて、本日のゴール・ビジターセンターに4:35に到着です。 しかし、観光客ばかりの中、大きなリュックを背負って歩くのは少し恥ずかしいものがあります。
ビジターセンターに入ろうとすると、おじいさんが「そこの若い人」と手招きをしながら寄ってきます。 周りを見回してもそれらしき人はいないので、どうやら僕の事を呼んでいるようです。 おじいさんは東海自然歩道の調査をしているという足助町の観光協会の人。 「ようきなすった」を連発しながら、どこから来た、どこを通って来た、どのくらいかかった等聞いてきました。 丁度いいので、おじいさんにテントを張れる場所が無いか尋ねてみます。 「あるある、川向こうの公園がええ」というのでホッと一息。
東海自然歩道のスタンプが有るはずだがというと、観光協会の事務所に連れていってくれ、観光協会長さんを呼んでくれました。 スタンプはあったのですが、念のため観光協会長さんにもテントの件を伺うと、そりゃぁ駄目だ、公園は観光協会だけのものではないのでうちの独断で許可はできねぇとなってしまいました。 足助屋敷にも聞いてみろというので、荷物をおじいさんに見てもらって、待月橋を渡ってひとっ走り足助屋敷に行きました。 既に営業の終わった足助屋敷の窓口にいたお姉さんをつかまえて聞いてみます。 お姉さんの言うことには、足助屋敷で管理しているのは屋敷前の広場とバーベキュー場くらいで、両方とも今夜はだめとのこと。 観光協会に確認してもらうと、どうやらもともと会長さんは公園を使わせる気など無かったようです。 お姉さんは、今度は観光協会の事務局長のところへ僕を連れていきました。 これって、お役所の得意技のたらい回し?と思って付いていき、事務局長にお願いすると、観光協会として許可する事は出来ないとの事。 参ったなぁと思っていると、15分程度ルートを戻ったところにある足助村の駐車場なら誰も文句は言わないだろという事になりました。 その代わり、翌朝は早めに出発しなければならないようです。



5.足助に来てくれてありがとう

荷物のところに帰って、おじいさんにいきさつを話すと、おじいさんは「全くけちな連中だ」と憤慨していました。 更についでで、おじいさんにこの近くの風呂の場所を伺うと「それなら百年草がええ!」とのこと。 この近くだし、安いし、おまけにおじいさんの帰り道だという事で車で送ってくれる事になりました。
荷物をビジターセンターの物陰に隠し、風呂道具だけ出して、おじいさんの軽自動車に乗り込みます。 「すぐ近くだから!」と話すおじいさんの車は国道153号線に沿ってどんどん進んでいき、「足助に来てくれて有り難う!」と話すおじいさんに返す笑顔も引きつってきました。 途中出てきた案内板には、「百年草2km」の表示が。 ゲゲッ!すでにビジターセンターから結構走っています。 結局、百年草という保養センターはビジターセンターより3km以上足助川を遡ったところ。 参ったなぁと思いつつ(歩いて1時間程度かかってしまいます)、善意の固まりのようなおじいさんに深々と頭を下げました。 おじいさんの善意には本当に頭が下がる思いだったのです。
温泉の湯船は小さかったのですが、垢を流してサッパリしました。 風呂から上がっても外はまだ日が残っています。 今更散歩でもないですが、そぞろ歩くのもいいだろうとビジターセンターへ向けてぶらぶら帰りはじめました。
国道沿いに歩いていくと足助川の対岸にも街があるのがわかります。 むしろ向こうのほうが古い町並みのようです。 路地の向こうに真弓橋という感じのいい木の橋が見えたので、これを渡ります。
国道沿いの名鉄バスセンターでもらった観光地図を見ながら歩きます。 川沿いの道から商店街へ。 酒屋で缶ビール購入し、肉屋でコロッケを購入し、歩きながら一杯はじめます。ビールが喉に染み渡ります。 店はほとんど閉まっていましたが、古い町並みの足助の街をそぞろ歩くのは気持ち良い。 百年草に連れて行かれて、まさに災い転じて福となるです。
中馬館を過ぎて商店街の外れまで来てしまいました。 足助を紹介したホームページ『ケイ坊の家』にはリンクして頂いているので、出発前にこのホームページで情報収集していました。

kourankei visiter center そこで知ったマンリン書店や小松屋に行かなくちゃと、来た道と違う露地を通り、マンリン小路からマンリン書店という本屋さんにはいります。 このお店、蔵のギャラリーとそれに併設されている喫茶フロアが有名なのですが、あいにくギャラリーと喫茶フロアは遅い時間で閉まっており本屋だけの営業になっていました。 本屋の店内で足助の絵葉書を見つけたので購入し、レジを打ってくれたおばさんに、何とはなしにここに来たいきさつを簡単にお話ししました。 ケイ坊のページを見てやってきたこと、東海自然歩道を歩いていること、昨日・今日と雨にたたられて大変だったこと。 すると、
「あなた時間ある?」
と聞かれました。 もちろん時間ならたっぷり有ります。
「コーヒー飲んでいきなさいよ」
いやはや、閉まっていた喫茶フロアを開けてくれるとのことなので、折角だからいただくことにしました。 さらに、一旦閉めたギャラリーを僕のために再び開いてくれました。 一人で見るギャラリーは静かでとても良い。 そして炒れて頂いたコーヒーは飛び切り美味しかった。(ちなみに、注文を受けてから豆を挽くので美味しいのは当たり前だそうです)
「雨の中大変だったでしょう」
といわれましたが、こんな親切を受ければ疲れなんて吹き飛んでしまいます。 お金も要らないという事なのでお礼をシッカリしてきました。
さて、次は小松屋です。できれば、ケイ坊さんのいる玉田屋にも寄ってみたい、と思いつつキョロキョロしながら歩いていたのですが、見つからないまま巴橋を渡ってビジターセンターの近くまで戻ってきてしまいました。 開いていた床屋さんで小松屋と玉田屋の場所をうかがいます。 なんと、小松屋はマンリン書店の向かいの店だとのこと。 来た道を戻り、まずはケイ坊さんに会いに玉田屋旅館へ行きました。 店先でちょっと迷いましたが、折角だからと顔を出してみます。 ケイ坊さんは残念ながら不在で、いつ帰ってくるかわからないとのこと。 小松屋の帰りにまた寄ることにして、玉田屋を後にします。 余談ですが、玉田屋は江戸時代の旅篭の趣を残した、とても雰囲気のある旅館で、次に足助を訪れる際にはぜひ宿泊してみたいと思わせる所でした。 マンリン書店に戻り、向かいの店を探したのですが、小松屋の小の字もありません。 しかし、暖簾をしまっている店があり、中には人の気配がするので扉を開いて店がやっているのかうかがいます。ここが小松屋でした。 まだ営業しているとのことなので、美味しいという噂の天丼を注文します。
「暖簾が出てないのに悪いねぇ。」
とおばさんに言うと。
「ああ、暖簾なんて朝から出してないのよ。出さなくてもお客さんが引っ切り無しにやってくるからねぇ。」
とのこと。 でてきた天丼は・・・・とても美味!どんな天丼だったかは、食べた人しかわからない(^o^)。
帰りに再び玉田屋に寄ったのですが、ケイ坊さんは戻ってきていなかったので、手紙をしたためお母様に託して玉田屋を後にしました。
その後、OHARAさんなどに電話をしてから、ビジターセンターで荷を担いで、足助村の駐車場へ。 結局テントを張ったのは9時過ぎ。ウイスキー飲んで絵葉書を書いて眠りに就いたのは11時過ぎでした。長い一日でした。

後日談ですが、ケイ坊さんは帰宅後、僕の手紙を読んで足助村の駐車場に来てくださったそうです。 しかし、僕が眠りに就いた後だったのでしょう、テントがわからず帰って行かれたそうです。ケイ坊さん、ありがとう。そして、足助の親切な人たちありがとう。


6.コースミニガイド

寧比曽岳へのアクセスはとても不便です。公共の交通機関を利用していくとなれば、恵那コースの伊勢神峠まで名鉄バス(052-582-5151)を利用することになるでしょう。
寧比曽岳から綾渡まで、何本か林道と交差しますが、標識がしっかりしているので迷うことはないでしょう。 ベンチはありますが、雨宿りできる所は金蔵連峠のトイレくらいしかないので、雨のときは覚悟してください。
綾渡でいったん舗装路になります。平勝寺を過ぎて上下に道が分かれている所で標識が指す方向が少し判然としないかもしれませんが、左が正解です。 一旦山道に入った後、山ヶ谷でふたたび舗装路になります。 山ヶ谷ではバスの停留所が休憩には格好の東屋です。
ここから安実京まではほとんどが舗装道路の一本道。 安実京から香嵐渓までは巴川を右に見ながら歩くことになります。
この区間は標識がしっかりしている上に迷うような曲がり角が少ないので、コースミスはほとんど心配無いでしょう。
足助までの交通は、名鉄の西中金駅から(または豊田駅から)名鉄バスになります。 足助での宿泊は、文中の玉田屋をはじめたくさんあるようです。詳しくは足助町観光協会(0565-62-1272)にお問い合わせください。 また、僕のように幕営を考えている方、足助には幕営を出来る場所は基本的に無いと考えたほうが良いでしょう。少し街外れに行ったほうがよいかもしれません。

香嵐渓ー三河広瀬へ

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