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 私の超常現象文献渉猟小史

はじめに

 私が超常現象の科学的研究に関心を持ったのは、ご多分に漏れず、1974年にユリ・ゲラーが来日した時点であった。当時、小樽市の精神科病院に勤務していた私は、医局のテレビでユリ・ゲラーのスプーン曲げを見て驚き、自分でもぜひ研究してみたいと考えたわけである。しかし、しばらくの間はその機会もなかった。その後、清田益章君というスプーン曲げ少年が東京に出現したのと時を同じくして、札幌にも加賀君という同年の少年がいることを、当時所属していた、新潟の超心理研究会が発行している『テレパシー』という雑誌を通じて知り、大通り公園近くの喫茶店で同君にスプーン曲げを実演してもらった。その結果、手品などではなく、本当に念力でスプーンを曲げることのできる力が、この世に存在するらしいことがわかった。また、加賀君は、本人が「念書」と呼ぶものも、大通り公園で見せてくれた.幅10センチ、長さ15センチほどの大きさの紙を鉛筆に軽く巻き付け、セロテープで留め、たとえば「笠原って書けろ」と言って投げると、鉛筆はすぐ抜け落ちてしまうのに、紙を広げて見ると、鮮明に「笠原」と書けているのである。

 しかし、当時の段階では、文献を調ペようにも、信頼の置ける超心理学関係の文献は、国会図書館を含め、少なくとも日本にはほとんど存在しなかった。加えて、文献を見つけ出す方法もわからなかった。そのため、とりあえず札幌の丸善に行き、英米の出版目録から超心理学や心霊研究の著書を調べ、それを注文することくらいしかできなかった。そうこうするうち、その丸善に、たまたま、出版されてまもない Handbook of Parapsychology が置かれているのを見つけた。指導的立場にある三十数名の超心理学者が執筆しているこの編書は、本格的な超心理学文献に初めて接する私にほ、大変衝撃的であった。この編著によって、超心理学という分野が本当にひとつの科学分野であることを確認できたからである。

 小樽市は、往年は札幌よりも栄えていたためか、古書の豊富な街で、業界用語でいう「黒っぼい本」ばかりが置かれている古書店が花園町の国道5号線沿いにあり、そこから、福来友吉の『催眠心理学』(1906年)を1800円ほどで手に入れることができた。かなり年配のその店のご主人に尋ねてみたところ、驚いたことに、明治末年の福来事件を覚えていて、「あの時は大変な騒ぎだった」と話してくださった。やはり福来の『透視と念写』(1913年)があるかどうか聞いてみると、ないという返事であった。山と積まれた、明治・大正期に出版された埃だらけの本をひっくり返していると、赤い表紙に扇の描かれた本が出てきた。その時は、国文関係の本だとばかり思ってタイトルを見なかったのだが、後に、神保町の叢文闇という古書店でその幻の本を25000円で見つけた時、その本こそ『透視と念写』であったことがわかるのである。

 その後まもなく、やはり丸善で見つけた一般向けの超心理学書の翻訳出版を考え、仕事で上京したおり、たま出版の瓜谷侑広社長と会い、その企画を話すと、それならこの本を翻訳しないかと言って出されたのが、アメリカ心霊研究協会のカーリス・オシス先生が、アイスランド大学の心理学者エルレンドゥール・ハラルドソン先生(現在、フライブルク大学教授)とともに執筆した At the Hour of Death であった。瓜谷社長は、同社で募った読者たちとともに、アメリカ心霊研究協会などを訪問し、オシス先生より、その著書を献呈されていたのであった。

 大学に在学中、失語症研究について教えていただいていた、2年ほど先輩にあたる大学院生の杉下守弘さん(東京大学医学部教授、2004年退官)に、海外の書籍の入手は、直接注文するのが一番だと教わっていたので、早速、送金小切手を作ってその出版社に注文し、2週間後にその本を受け取った。この本は後に、たま出版より、『人間が死ぬとき』というタイトルの翻訳書として出版された。瓜谷社長のおかげで、これが、論文を除けば私の初めての出版物となったのである(その後、原著第2版の翻訳が、『人は死ぬ時何を見るのか』というタイトルで日本教文社から出版されている)。

ようやく入口に辿り着く

 それと前後して、早稲田大学の大学院に在籍していた友人・石井康智君〔現在、同大学心理学科教授)に、ある精神医学論文のコピーを送ってもらったところ、その次に掲載されている論文の1ページ目が、たまたま最後のページと重なっていた。それが、Archives of General Psychiatry に掲載されている、マイモニデス病院精神科のモンタギュー・ウルマン先生が心理学者のスタンリー・クリップナ先生らとともに行なった夢テレパシー実験に関する論文なのであった。そしてそこには、別刷りの請求先が書かれていた。それによって私は、超心理学関係の論文も、他の分野の論文と同じ方法で入手できるという当然の事実を遅れ馳せながら知ったのである。ウルマン先生から送られたその論文は、発行元のアメリカ精神医学協会およぴ先生の許可を得て『テレパシー』誌に翻訳掲載された。この時、ウルマン先生は、私の求めに応じて、ご親切にも、その実験で使われたターゲット写真の実物を貸与してくださった。

 いちいちタイプを打って、論文の別刷りを請求した超心理学者の中に、ヴァージニア大学精神科のイアン・スティーヴンソン先生がいた。2週間ほどした時、先生からいくつかの別刷りとともに手紙が届いた。その中に、精神医学・神経学の専門誌である Journal of Nervous and Mental Disease に掲載された「性別異和症の東南アジア流解釈」というタイトルの、日本兵であった前世を記憶すると主張するビルマ女性の事例研究論文が入っていた。先生の手紙は、その論文に関係したもので、このビルマ女性の言う条件に当てはまる日本兵を探し当てられる可能性があるかどうかを尋ねてこられたのであった。防衛庁戦史部や厚生省援護局やいくつかの戦友会に問い合わせたけれども、残念ながら、該当する人物はもとより、そうした人物を探し当てられそうな方法も見当たらなかった。しかし、このことを契機に、スティーヴンソン先生からはその後、さまざまなご援助をいただくことになる。

文献の本格的収集を始める

 心理学関係の論文の抄録集である『サイコロジカル・アブストラクツ Psychological Abstracts』に、心理学関係の専門誌に掲載された超心理学論文とともに、超心理学の専門誌に掲載された論文も収録されていることを知ってからは、それまでよりも組織的に文献の収集ができるようになった。その頃、小樽市の病院を退職し、次の勤務先に赴任するまでの2ヵ月ほどの間、病院の同僚であった横野典子さんの紹介で、毎日のように北海道大学教育学部に通い、1940年発行の第14巻から77年発行の第58巻までに掲載されている超心理学関係の論文の抄録から、著者名、タイトル、所載雑誌を図書カードに書き写すという大変な作業を行なった。その結果、一部単行本は含むものの、実に1700編にもの昇る超心理学論文がその中に収録されており、そのうち、超心理学の専門誌を除く心理学雑誌や医学雑誌に掲載された英文論文も、270編ほどあることがわかった。また、Journal of Nervous and Mental Disease をはじめとするいくつかの医学雑誌などでは、超心理学的研究の特集が何度か組まれていることも判明した.欧米では、超心理学が日本とはかなり違った扱いを受けていることが、私にもようやくわかってきたのである。

 1978年4月に上京した私は、その少し前に入会していた、大谷宗司先生が会長を務める日本超心理学会の月例会に顔を出すようになった。そして、同学会を通じて、アメリカの社会学者ジェイムズ・マックレノン先生やヨーロッパで指導的な立場にあり、『ヨーロッパ超心理学雑誌 European Journal of Parapsychology』の編集長でもあったオランダの超心理学者マーチン・ジョンソン先生をはじめ、何人かの外国の研究者と知り合う機会を得たが、文献そのものについては、やはり自分で集めるほかなかった。

 まず最初にしたのは、別刷り請求用のはがきを作ったことであった。その結果、宛名と論文名、掲載誌、巻号を書くだけですむようになったので、いちいちタイプを打って手紙を書く必要がなくなり、作業が大変楽になった。文面に、関連論文も送ってほしいという希望を併記しているため、その論文だけでなく、他の論文も同時に入手できた。カリフォルニア大学の心理学者チャールズ・タート先生に至っては、発表論文のリストを送ってくださり、そのおかげで、超心理学のみならず催眠に関する先生の、それまでに発表されている論文の別刷りを、ほとんど手に入れることができたのである。

 それと並行して、専門誌の購読も始めた。Journal of Parapsychology などは、洋書取次店を通じて取り寄せることもできるが、それではかなり割高になってしまうので、直接購読を考え、まず、Journal of Parapsychology, Journal of the Society for Psychical Research, Journal of the American Society for Psychical Research の主要3誌と、超心理学の情報誌的な役割が大きかった Parapsychology Review(1990年に廃刊)やTheta〔現在、事実上廃刊)の購読を殆めた。続いて、European Journal of Parapsychology や、創刊されたばかりの Anabiosis(後の Journal of Near-Death Studies)なども購読するようになった。そして、それぞれのバック・ナンバーも揃えていった。

 また、必要な文献は、先述のように各著者に別刷りを請求して入手したが、それができないものについては、学生時代から利用していた慶応義塾大学北里記念医学図書館の蔵書からコピーさせていただいた。ここは、国会図書館などを除けぽ、医学関係者なら部外者でも受け入れてくれる例外的な情報センターなのである。超心理学関係の論文が、医学雑誌や心理学雑誌にもかなり掲載されていることについては先ほど書いたが、この図書館には、そうした雑誌がほとんど揃っていた(そこにもない場合には、国際医学情報センターを利用することもできるであろう)。そしてここには、どういういきさつでそうなったのかはわからないが、何と、札幌で対面した、あの Handbook of Parapsychology が置かれていたのである。

専門書の収集

 専門書についても、それまでにもまして組織的に収集するようになった。まず、超心理学関係の書籍をシリーズで出している出版社からまとめて取り寄せることにした。その際、リーア・ホワイトさんとローラ・デイルさんが編集した Parapsychology: Sources of Information という本が大変役立った。この本は、Scarecrow Press から出ているが、ここは、超心理学協会の発表論文集である Research in Parapsychology も毎年出している出版社なのである。その他に、超心理学関係の書籍をたくさん出している出版社には、Ayer(ニューヨーク・タイムズの出版局)、McFarland などがある。否定論者の著書をたくさん出している Prometheus Books からもそのほとんどを購入した。この出版社は、Philosophy and Parapsychology など、中立的な本も2点ほど出している。

 また、個々の出版社のみならず、海外の書店から新刊書をまとめて購入することも考えた。西荻窪のプラサード書店からは、ニューヨークの Yes! Books を教えていただいたが、このような書店はカタログ販売が中心なので、ほしい本が手に入りにくいという欠点があった。

 ところで、日本でも意外な古書が手に入ることがある。神保町の北沢書店からは、シャルル・リシェの Thirty Years of Psychical Research を9800円で、赤門前の古書店からは、ポドモアらが執筆した Phantasms of the Living を2000円で手に入れている。

古書の組織的収集

 ホワイトさんたちが編集した先述の本には、超心理学関係の重要な著書がリストアップされている。そこでまず、その中に列挙されている280点ほどを集めることから始めた。しかし、そのためには英米の古書店の所在がわからなければならない。そこで、ハワイ大学にいた友人のカール・ベッカー先生〔現在、京都大学大学院教授〕にアメリカの古書店のリストを送ってもらおうとしたら、10ヵ所ほどの古書店に私の名前で問い合わせを出してくれた。そのうち、カリフォルニアの書店とニューヨークの書店から返事が届いたが、結局、ニューヨーク Samuel Weiser が、アメリカではこの分野で一番大きい古書店であることがわかった。現在でもこの書店は、数年前に送ったリストに従って、入荷するたぴに連絡をくれるようになっている。

 心霊研究はイギリスから始まったので、19世紀の古書はイギリスにこそ多いはずである。そこで、心霊研究協会事務局のエリノア・オキーフさんに問い合わせたところ、ブリストルの R.A. Gilbert を紹介してくださった。そしてここからは、マイヤーズの Human Personality and Its Survival After Bodily Death をはじめとする19世紀後半から20世紀初頭にかけて出版された重要な古書を数多く入手することができた。その中には、福来友吾の Clairvoyance and Thoughtography も入っている。また、ここからは、Proceedings of the Society for Psychical Research の第1巻(1882年)から30巻までを250ポンドで購入することもできた。その前に、ロンドンの心霊研究協会かち、そのバックナンバーを第1巻2号から入手していたが、欠本が多く困っていたのであった。

 話は前後するが、最近、『世界の古書店』という編著書が丸善から出版され、その中に紹介されている書店に問い合わせたところ、超心理学の古書を扱っているイギリスの古書店を4軒ほど紹介された。そのうちでは、Uroborous Books や Greensleeves が信頼できる店のようである。

専門誌のバックナンバー

 バックナンバーについても、徹底的に揃えることにした。その結果、Journal of Parapsychology, Parapsychology Review, European Journal of Parapsychology についてはほとんど揃えることができた。しかし、International Journal of Parapsychology Psychoenergetic Systems は既に廃刊になっていたため、残念ながら1巻も入手できなかった。アメリカ心霊研究協会の JournalProceedings については、ごく一部は手に入ったものの、現在でも、ほとんどの巻を残したままになっている。

 心霊研究協会は、 Proceedings のバックナンバーの在庫を今でもかなり持っている。19世紀の終わりに発行された雑誌が、現在でも古書としてではなく入手できるのは、イギリスならではのことかもしれない。しかし、Journal に関してはその限りではない。これは一度、R.A. Gilbert のリストに第1巻から最近の第50巻までのセットが500ポンドほどで載っていたことがあったが、残念ながらどこかの図書館に引き取られてしまった。JournalProceedings よりもはるかに入手が難しいのである。ところが、ある時、オキーフさんに問い合わせを出したところ、最後のセットで古いが、それでもよければ送料だけで送るがどうか、という返信が届いた。こうして、途中7巻ほど欠本はあるが、1907年発行の第13巻以降の Journal が手に入ったのである。

 海外の雑誌とともに、国内で発行された雑誌のバックナンバーも並行して集め始めた。その頃、リーア・ホワイトさんの主宰するサイ・センターが、これまで世界中で発行された超心理学関係の論文全てを収録する『国際超心理学アブストラクツ Parapsychology Abstracts International』(後に、Exceptional Human Experience)を創刊した。たまたま私が日本担当の編集委員になり、その収集が重要な仕事になったためでもあった。日本超心理学会で発行した『パラサイコロジー・ニュース』は、大谷先生のご好意で全号を揃えることができたし、仙台の福来心理学研究所から出ていた『福心会報』も、同研究所からやはり全号が購入できた。日本サイ科学会の発行する『サイ科学』(後に、『サイ科学雑誌』と改称)も、電気通信大学の佐々木茂美先生のご尽力のおかげで、その当時までに発行されたバックナンバー全てを入手することができた。

ブック・サーチ

 先述のように、英米の古書店は、カタログ販売が中心なので、ほしい本がカタログに載るのを待つしかない。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの近くにある有名な古書店など、プック・サーチをしてくれる古書店もないわけではないが、ほしい本を実際に探してくれたところは皆無であった。

 そのような状況にあった時、あるミニコミ誌に、群馬県の「星尾ブックシェルフ」の広告が載っていた。この店の存在は、既に『朝日新聞』の記事で知ってはいたが、海外の書店ですら見つけてくれないのだから、日本の書店が探せるはずはなかろうと思って無視していたのであった。しかし、いちおう試してみようという気になり、重要な古書でまだ手に入っていないものを10点ほどリストアップして送ってみた。すると、まもなくファックスが入り、最初の本が見つかったという連絡が届いた。このようにして、現在までにほとんどの本を見つけ出し、この店の実力を証明してくれたのである。

新しい世界へ

 PC-8001の時代からの“パソコン少年”の私は、幸か不幸かパソコンには親近感しかない。1991年から、NEC製のノート・パソコンを使って、エディターで作成した原稿を、アルダス・ページメーカーで割り付けし、レーザー・プリンタで印刷したものを、フロッピー・ディスクとともに出版社に渡していたが、1992年5月には、TBM系のフルタワー・パソコンに乗り換えた。ウィンドウズはバージョンがまだ3.0であったが、17インチのディスプレーに、ようやく使えるようになった高解像度で表示されるテキストは、それまでとはまるで別世界であった。

 リーア・ホワイトさんは既に、PSILINEという超心理学のデータベースを作成し、それを有料で公開するようになっていた。超心理学の世界も、それと並行して大き<変化しつつあった。ある時、FRNM超心理学研究所のリチャード・ブラウトン先生にファックスで問い合わせを出したら、返信の最後に、「今はインターネットを使った電子メールの時代です」と書かれていたことがきっかけとなって、パソコン通信を始めることにした。日本ではまだインターネットという言葉がほとんど聞かれない1993年春のことであった。内蔵型のファックス・モデムを購入し、I/Oボードのジャンパを差し替え、ハード的にCOM2をディスエイブルにするというややこしい手続きを踏んだ後、コンピュサーブに入会するためニフティサーブに入った。当時は、インターネットを介した通信は、ニフティから直接にはできなかったのである。

 コンピュサーブに入会すると、超心理学の情報ネットワークが待っていた。SSE(科学的探検学会)会員のトーファー・クーパー先生が運営していたのである。超心理学関係の学会の会員名簿には、既にインターネット・アドレスの欄ができていた。そのおかげで、手紙というものがほとんど不要になってしまった。また1994年には、FRNMからエジンバラ大学に移ったカルロス・アルヴァラード先生(同年度、超心理学協会会長)により、インターネットを介した Parapsychology Research Forum という専門家向けのフォーラムが開設された。また、インターネットを使った書店も利用できるようになった。

 慶応義塾大学医学情報センターも医学メディアセンターと改称された。しかし、変わったのは名称だけではなかった。それまで抄録集が置かれていた広い部屋の半分ほどにパソコンが何台も置かれ、CD-ROMを使った医学雑誌の抄録の検索が自由にできるようになったのみならず、1970年以前の雑誌は別の場所に移され、必要なものはディジタル回線を使ったレーザー・ファックスでコピー同様に送ってもらえるようになったのである。

 カリフォルニア大学パークレー校の近くにある Moe's Books のようにインターネットにつながっている古書店もある一方で、イギリスの古書店のように、ファックスもなければクレジット・カードも使えない店も相変わらずある。私は、当分、両者から古書を購入することを続けるであろうが、そうして集めた本や雑誌は、いずれ国会図書館に寄贈することになるのかもしれない。

〔追記、その後、インターネットの急速な進歩により、インターネット書店や情報収集法は大きな進化をとげている。そうした情報については、本ホームページ中の「超常現象関係の出版物を扱う書店、出版社、図書館」を参照されたい。〕

〔『春秋』(1995年5,6,7月号)所収の拙論を一部改変〕


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