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 ことの重大性と超常現象研究 1

 “ことの重大性”という、一般にもよく使われる概念を導入すると、超常現象に対する態度を含め、さまざまな問題について相対立するように見える状態がきれいに説明できることに、最近、気づくようになりました。この「説明できる」をもう少し正確に言うと、私の心理療法で使っている抵抗や反応という指標を利用することで、単なる説明に留まらず、実際にもそのような心の動きが共通して潜んでいることが、多少なりとも確認されたということです。ここでは、“ことの重大性”と超常現象研究との関係の検討から出発して、人間の心の進化などの問題を5回に分けて考察します。

超常現象論争の特殊性

超常現象研究者の置かれた特殊な立場

 今からちょうど20年前の1987年に、『サイの戦場――超心理学論争全史』(平凡社)という、総計670ページほどの本を編集、出版したことがあります。同書は、そのタイトルの通り、超常現象にまつわる論争を扱ったアンソロジーで、主として超心理学専門誌に発表された、超常現象の肯定論者側による論文と、『サイエンス Science 』や『ネイチャー Nature 』などの英米の科学専門誌や、懐疑論者の論壇誌などに発表された、超常現象の否定論者側[註1]による論文とを系統的に集めたものです。収録する論文を30本弱に絞り込んだ後、福来友吉の正統的後継者とも言うべき、念写研究で知られたアメリカの精神分析医・故ジュール・アイゼンバッドに、同書の序文を依頼しました。後に別の拙編書(『超常現象のとらえにくさ』〔春秋社〕)に収録することになりましたが、アイゼンバッドは、この方面の重要な論文(アイゼンバッド、1963/93年)を書いていたからです。

 アイゼンバッドは、私の依頼に応えて、序文の執筆を承諾してくれました。しかし、義理にも快諾という感じではありませんでした。どうして今さら超常現象論争を扱った本などを出版するのか、と私に反問してきたからです。超常現象にまつわる論争は、既に120年もの昔から何度となく繰り返されてきましたし、これからも折りあるごとに繰り返されてゆくはずです。そうした歴史的事実や経緯からもわかるように、よほど革命的なことでも起こらない限り、この論争が膠着状態から抜け出すとは考えにくく、したがって不毛なものなので、今さらこのような問題を扱った本を出版しても意味はないだろう、というのがその理由のようでした。従来的な立場から見れば、全くその通りでしょう。

 超常現象をめぐる論争も、ほとんど例外なく一般の論争と同質であり、双方の立場から対等に意見を戦わせる形式の、あくまでふつうの意味での論争です。そして、両陣営ともが、なぜか相手を説き伏せることができず、互いに不満を募らせたまま、あるいは遺恨を抱いたまま引き下がらざるをえないという状況を繰り返してきたのです。両者間の論争の根底にある、絶望的とも言うべき行き違いの一端について、アイゼンバッドは、先ほどふれた論文の中で、次のように述べています。

 組織的研究が開始されて〔以来〕超心理学者たちは、研究を進展させるため、方法論上の工夫を次々と重ねて来たけれども、科学知識に囲まれている者たちの大多数は、心霊研究に対して相変わらず無関心であるか敵対心を抱いているという事実が明らかになったのみであった。(アイゼンバッド、1963/93年、595ページ)

 政治的論争などでもある程度は同じなのかもしれませんが、両者の間には、歩み寄り不能とも言うべき、決定的な思惑の違いがあるにもかかわらず、不毛な論争を、これまで120年以上も性懲りもなく続けてきた歴史が、否定しようもなく存在するわけです。この論争が不毛であることを多かれ少なかれ経験的に知っているはずなのに、あるいは知っていなければならないはずなのに、両陣営ともがこのように、時間のむだとしか思えないことを繰り返してきたのは、いったいなぜなのでしょうか。加えて、超常現象研究者の側に発生する問題について言えば、こうした論争に巻き込まれた場合はもちろん、たとえこうした論争から距離を置いていたとしても、超常現象の研究を発表し続けようとする限り、その影響を免れることはできません。これまで以上に批判を受けにくい方法論を次々と探し出さなければならなくなるでしょうし、そうした努力をけなげに続けたとしても、一般の科学者からは相変わらず相手にされず、孤立した状況を必然的に続けざるをえないからです[註2]

超常現象の否定論者側の特殊な立場

 このように、超常現象の研究者は、批判者側からの反論を絶えず意識しながら――つまり、どうすれば批判者を納得させることができるか、あるいはどうすれば批判を受けずにすむかを常に念頭に置きながら――研究に従事しなければならない状況に置かれています。その結果、超常現象の研究法はますます慎重で精密なものとなり[註3]、そうした研究法を使って得られた結果は、それが統計的に有意な場合には、ますます説得力を持ったものになるはずでした。中立的な立場から見れば、確かにその通りの結末になるはずなのですが、ふしぎなことに現実には、そのようにはならなかったのです。そこには、科学者一般を自然に味方につけてしまうという、超常現象の否定論者の面目躍如たるべき立ち位置が関係しているからでしょう。

 次に、否定論者が、その建前や品性をかなぐり捨ててまでして、頑強にその立ち位置を変えようとしないことを端的に示す好例を、ひとつ紹介しましょう。これは、論理学的に見ても、精神病理学的に見ても、美学的に見ても、非常に興味深い実例だと思います。

 ガンツフェルト法と呼ばれる超心理学実験法があります。これは、「両眼にピンポン玉を半分に割ったものを当て、耳からホワイト・ノイズを流すなどして、被験者の通常の視聴覚を遮断した条件で行なうESP実験法」のことです。この方法によって得られた結果の半数ほどは、統計的に高度に有意(つまり、非常に有望)なもので、それによって批判者を説得できるのではないかと期待されたわけです。そこに、CSICOPという団体[註4]に所属するレイ・ハイマンというオレゴン大学の心理学者が登場します。

 それまでのCSICOPの会員とは違って、ハイマンは、超常現象研究者の提示する証拠を、公平な立場から丹念に検討しようとする姿勢を見せます。そして、心霊研究協会の創立100周年を記念して、1982年にロンドンで開催された超心理学協会年次大会で、ハイマンは、ガンツフェルト実験でそれまで得られた統計的に有意な結果は、要するにその実験法に不備があるために得られたものにすぎないと主張したのです。もしそれが本当なら、超心理学では数少ない、有望なはずの(つまり、否定論者を説得しやすいはずの)領域が無に帰すことになります。しかし、ハイマンはそれまでの批判者とは異なり、現実に真偽の確認できる点について指摘していたので、ガンツフェルト法の代表的研究者だった故・チャールズ・ホノートンは、ハイマンとの対話を通じてその検討を始めました。もちろんそれは、防衛的な意味ではなく、謙虚な姿勢で公正な立場から事実を明らかにするためでした。

 ふたりは、ガンツフェルト実験に関するそれぞれの見解の相違点を徹底的に議論しあい、ある程度の妥協点を見出した段階で、超心理学史上、後にも先にも例のない、肯定論者側と否定論者側の“共同コミュニケ”を1986年に発表しました(Hyman & Honorton, 1986)。その中でハイマンは、ガンツフェルト実験の結果を集計して得られる、きわめて高度の有意性は、統計的な誤りでは説明できないことを認めました。同時に、統計的に有意な結果が得られなかった論文が他にたくさんある(つまり、有望な結果ばかり提示して、説得力のないデータを故意に隠した)と考えるのが難しいことも認めたのでした[註5]。問題はその後です。

“懐疑論者”の不動の抵抗

 ハイマンの批判のもうひとつの焦点は、ガンツフェルト実験の方法にありました。ESP実験の場合、通常の手段を介した情報伝達が起こらないことが大前提になっています。ですから、例によってハイマンの批判もここに向けられました。この点については、超常現象研究者は、長い歴史の中でさまざまな批判を受け続けてきたおかげで、きわめて洗練された実験法を採用するに至っているうえに、“反則”を犯してでも好結果を得ようとすること(つまり、勝ち負けにとらわれるあまり、データを捏造するという、科学的探究とは正反対の位置にある行為に及ぶこと)の無意味性をよく承知している人たちなので、ガンツフェルト実験でも、そこには十二分の配慮がなされていました。しかし、この点については、納得するかどうかという問題になってしまい、客観的な方法で白黒をつけることはできません。

 幸か不幸かハイマンは、ESPのターゲットが本当にランダムに決められているのかどうか、という点も問題にしました。当時、ケンブリッジ大学の心理学者カール・サージェントも、この実験法の中心的研究者でした。したがって、サージェントが当時行なっていた7件の実験も、当然のことながらハイマンの批判の標的になっていたわけです。ところが、サージェントの実験の扱いに関連して、ふしぎなことが起こります。ハイマンは、そのうちの1件だけを、ターゲットのランダム化が“良好”と判定していたのですが、実は、ランダム化の手順は7件の実験ともすべて同一だったのです。ハイマンが、“良好”と判定した実験は、7件の中で統計的に最も偶然に近い結果が得られたものでした(Eysenck and Sargent, 1993, pp. 179-80)。

 ハイマンは、最も無意味と思われる実験については実験条件が正しいと判断したのに対して、それ以外の――つまり、実験結果に(もしそれが事実なら)意味があるとおそらくハイマンが判断した――実験については、実験条件が不適切だと判断したわけです。説明するまでもありませんが、ハイマンの判断基準は、結果が意味あるものに見えるかどうかという点にのみかかっています。本例は、“懐疑論者”の本性を裏切り示した、まさに好例と言えますが、いずれにせよ否定論者の方々は、どうしてこのように“天真爛漫”で無防備なのでしょうか[註6]。これは、おそらくどの分野にしても、正当性を欠く主張に共通して見られる特徴ではないかと思います。

 その後、ホノートンは、それまで受けた批判に応えて、ガンツフェルト実験の方法をさらに洗練させます。徹底的に自動化をはかり、超心理学はもとより、心理学の研究法としてもこれ以上ないほど厳密なものにして、総計で355回にのぼる実験を行ない、その結果を1990年に発表しました。それによって得られた結果が偶然で起こる確率は、0.00005でした。

 状況証拠からすると、ハイマンはその結果を受け入れたようでした。ところが、その後1992年に、イタリアの懐疑論者団体のシンポジウムにたまたまホノートンとともに招かれた席上で、ハイマンはふしぎな態度を取ります。なぜかそれまでの主張を放棄して、「超心理学は、進歩的ではないので科学ではない」という、まるで的外れの批判を始めたのでした(Eysenck and Sargent, 1993, pp. 184-85)。

 そのシンポジウムで、実験者によって異なる結果が得られる実験者効果は超心理学特有の現象だと主張したハイマンは、ホノートンの追求を受けるとすぐに、しどろもどろになってしまいました。そのやりとりの主要部分は、行動療法の創始者として有名な心理学者ハンス・J・アイゼンクとサージェントの共著書(Eysenck and Sargent, 1993, pp. 185)に再録されていますので、関心のある方はご覧ください。

 ハイマンは、それに懲りて超常現象研究の批判をやめたのかというと、もちろんそうではなく、その後もそれまでと同列の没論理的“批判”を性懲りもなく繰り返しています(たとえば、Hyman, 1994)。非常に興味深いことに、これが、“合理主義者”を自称する“懐疑論者”に共通して見られる特徴のようなのです[註7]

 このように否定論者は、自分ではその真偽を検証しようとしないまま、超常現象の存在を、ひたすら現行の科学知識をふりかざして演繹的に否定しようとしているわけです。探検という分野にたとえれば、未知の領域への探検を一度たりともしたことのない者が、ましてやその領域について一知半解の者が、従来的な一般的知識をふりかざし、いかにももっともらしい理屈をつけながら、そのようなことはできるはずがないとして、その探検家や探検自体を批判する、という暴挙に及んでいることになるでしょう[註8]。そもそも超常現象は、その定義からして「現在の科学知識では説明できない現象」ということですから、現行の科学知識をふりかざせば、いとも簡単にその実在を否定することができるのです。

 ただ、通常の探検の場合と違うのは、超常現象が関係する場合には、その批判やその影響が、批判を受けた対象に留まらず、超常現象研究全体にまで波及することです。否定論者は、ほとんど例外なくそのような態度しか取りませんから、科学的方法を用いて自ら超常現象の研究をしている肯定論者とは、その目的が根本から違っており、したがって両者は当然のことながら相容れず、本来の意味での論争にはなりえません。ここでの問題は、その決定的なずれを両者が、意識の上でどこまで理解しているか、あるいは理解しているとしてもどこまで重視しているかということです。

超常現象研究者の不動の楽観主義

“超心理学者”の特殊性

 ところで、私が先述の『サイの戦場』を編集、出版しようと思い立ったのは、言うまでもなく、こうした論争そのものに関心があったためではありません。純粋に論争として見た場合、否定論者側が完全に敗北していることは、どう見てもはっきりしているからです。その出版を計画したのは、両者の主張が全くかみ合っていないにもかかわらず、両者ともがその事実を軽視ないし無視したまま論争を続けている理由こそが、超常現象の特性に関係するきわめて重要な要素であり、そこにこそ大きな意味が――ひいては超常現象の本質に迫る手がかりが――隠されているのではないか、と考えたからでした。アイゼンバッドは、その問題について、既に1963年に、先述の論文の中で次のように指摘しています。

 かなり奇妙なのは、〔かつて超常現象の主張を先験的立場から切り捨てた〕トマス・ヘンリー・ハクスレーやフォン・ヘルムホルツが未だにわれわれの周囲に数多いることよりむしろ、われわれがトランプのエースを出すたびごとに、こうした批判者が何とか切り札を出そうと(自己満足のため)いつも懸命に努力を重ねているにもかかわらず、この分野の研究者のひたむきな信念が微動だにしていないという事実である。私見によれば、現に、驚くほど不合理に感じられるのは、著書や論文に紹介されているこの分野の研究に対して誰かが好意的な見方をしたからといって、あるいは尊敬すべき伝統的科学者が公に転向を宣言したからといって、心霊現象の実在性が受け入れられる日が近づいた、その戦いは終焉を迎えつつある、後は残敵の掃討を残すのみ、と心から信じている――時おり見られる――心霊研究者やこうした研究に好意的な者の頑なにして不動の楽観主義と、科学的俗物の同様に頑なにして不動の抵抗という、完全に相容れない事実に直面した時である。(アイゼンバッド、1963/93年、597ページ)

 このように肯定論者側も、異常に楽観的な態度をなぜか崩さずに来てしまったのです。否定論者側が現実を見ていないのと同じように、肯定論者側も現実を見ていないのです。これこそが、両者の衝突する前線がほとんど移動することなく120年以上がいたずらに過ぎ去ってしまった真の原因なのでしょう。これまでは、否定論者側の問題点ばかり強調されてきたきらいがありますが、それと同程度に、肯定論者側にも問題があるのです。

 生まれ変わり型事例研究の第一人者だったヴァージニア大学人格研究室の精神科医、故イアン・スティーヴンソンは、“超心理学”という分野を独立させることに批判的だったこともあり、この分野について、次のようにきわめて辛辣な指摘をしています。

 超心理学者になるにはどのような教育を受けていなければならないか、という基準がはっきり決められているわけではないため、この名称は、批判者や解説家や評論家の役割を演ずる数多の人間を引き付けた。今や、この種の人種は、この分野で活躍している数少ない研究者を、数のうえではるかに凌いでいる。超心理学では、非戦闘従軍者の群が――その多くは略奪者であるが――武器を担ぐ小隊の前進を妨害しているのである[註9]。〔中略〕

 超心理学関係の論文を掲載する雑誌で、非研究者が研究者を数のうえで上回っているのと同等の現象は、物理学や化学や医学といった分野には見られない。〔中略〕どの分野にも、実務経験のない空理空論的な批判者がひとりやふたりはいるかもしれないが、超心理学では、それが山のような数にのぼっている。特に不吉な兆候が感じられるのは、全く研究をした経験のない者が執筆した超心理学関係の著書が増加してきていることである。それを、専門誌の編集者が真面目に書評として取りあげ、しかもその書評を、やはり研究経験のない者が執筆する。現在、超心理学について書いたり話したりしている者全員が、新しいデータを自分の手で生み出すまで沈黙していることを誓うとしたら、一、二の編集者はその職を失うかもしれないし、注目に値する新しい研究成果に関する情報を交換するための学会の会期は、一日もあれば十分であろう。(スティーヴンソン、1993年、116-117ページ)

 そして、超心理学そのものについて、「疑似科学者という言葉は、われわれの誰しもが遺憾に思う蔑称であるけれども、もし超心理学が、今私が考えているように疑似学問であるとすれば、その支持者は、疑似科学者と呼ばれるのをまず免れまい」とまで述べているのです。超心理学の現状は、まさにスティーヴンソンの指摘の通りなのでしょう。超常現象については、肯定側であれ否定側であれ、自分で研究することがなくても、何か言いたくなる誘惑に駆られることが多く、他の分野の研究については、専門家に任せて黙っていることが自然にできるのに、超常現象となると、なぜか事情が一変するのです。

 その結果として、本来の研究者の他に、種々雑多な人たちが研究者然として参入してくる一方で、種々雑多な人たちが批判者然として参入してくることになります。“超心理学者”やそれに対する“懐疑論者”と呼ばれる人たちの実情がそうだとすれば、“超心理学者”は批判者に“軽信的”と言われて冷笑されても、しかたがないことになるでしょう[註10]。それどころか、この点にこそ、超常現象の存在を認める人たちの少なからずが楽観的姿勢を崩さずにきたという、ここで取りあげている問題の拠って来たる原因を探究する際の重要なヒントが隠されているかもしれないのです。

“転向者”たち

 そのためかもしれませんが、政治的な左派が、深刻な反省のないまま、あっさりと右派に転向するのと同じように、軽信的な超常現象研究者から、冷笑的な否定論者にあっさりと“転向”する人たちもいます[註11]。こうした“転向者”の言動や姿勢の変化を丹念に研究すれば、両陣営が別の土俵に立っているように見える理由がはっきりするかもしれません。転向者の最近の代表例としては、ブラックホールや相対性理論に関する著書で有名な、ロンドン大学の物理学者ジョン・テイラーや、OBE(体脱体験)の研究で一時その名を馳せた、ブリストル大学の心理学者スーザン・ブラックモアなどがあげられるでしょう。

 ジョン・テイラーは、最初、ユリ・ゲラーや、ゲラーに触発されて出現した、スプーン曲げ少年少女たちを研究し、『スーパーマインド――超人間の謎』(テイラー、1976年)という、今やわが国では幻の書となった超常現象礼賛の著書を、1975年にイギリスとアメリカで出版しました。テイラーは、ゲラーを対象にして自ら行なった実験について、次のように述べています。

 ゲラーはディンブルビーの番組中に見せたような金属曲げを再現できるかどうか試すために、ティースプーンを一本手渡された。ゲラーが片手でそっとなでている間、私はすくい口の端を押えていた。

 二〇秒ほど過ぎると、柄の一番薄い部分が、約五ミリほど突然柔らかくなり、すぐに折れて二つになってしまった。折れ口は、きわめて急速に(一秒も経過せず)再硬化した。手で触れてみた限りでは、折れ口に熱はまったくなかった。〔中略〕この条件の厳しい実験室内においても、われわれはこの驚くべき実験を再現することができたのだ。

 ゲラーにはあらかじめ金属を軟化させておくことはいうにおよばず、こっそり前もって強い力を加えておくこともまったくできない状況であった。なにしろそれは過去一年間ずっと私のものだったのだから。まえもってティースプーンに細工することすらできるはずはなかった。

 ある人たち、とくに科学者たちは、さらにすすんでこういう結論すら下すであろう。すなわち、ユリ・ゲラーのやったような超自然現象に対して、合理的な説明がなされえないのだから、その現象そのものが存在しないのだ、と。私は、そんな容易な結論はとらない。なぜならば私は、インチキが絶対に不可能な状態の下で、ユリ・ゲラーが奇跡を演じ、テレパシーを成功させたのを、じかに目撃しているからである。(テイラー、1976年、84-85、186ページ)

 ところがテイラーは、その舌の根も乾かない、わずか4年後の1979年に、今度は、合理的な説明ができないとして超常現象を全否定する、「超常現象の科学的説明は可能か」(Nature, 275, 1979, 631-33. テイラー、バラノフスキー、1987年)という論文や『超自然に挑む』(1982年、講談社ブルーバックス)という著書を、何の反省もないまま発表したのです[註12]

 テイラーは、『スーパーマインド』の中でも既存の科学知識を列挙していますし、『新しい物理の世界』(1982年、啓学出版刊)や『現代科学の基礎知識』(1982年、学習研究社刊)といった科学や物理学の一般啓蒙書を出版しています。しかしながら、この経過からすると、それまでテイラーは、本当の意味では物理学の知識を持っていなかったのではないか、と勘ぐられてもしかたがないでしょう。超常現象の実在を否定するテイラーの著書や論文は、その中で展開される論理があまりに硬直したものだったためか、著名な研究者であるにもかかわらず、批判者の陣営からもほとんど相手にされなかったようです。

 もうひとりのスーザン・ブラックモアは、初めはOBEの研究などをしていたのですが、肯定的な結果が思うように得られなかったこともあり、10年ほど後、超心理学の唯一の発見は非再現性であるとして、超常現象の実在を否定するようになりました(ブラックモア、1993年)。イアン・スティーヴンソンは、そのブラックモアに対しても、きわめて厳しい批判をしています。

 科学には確かに流行があるけれども、認知されている科学分野では、流行が頻繁に見られることもなければ、実験や調査の内容が次々に変わって行くという現象が見られることもない。その極端な実例としては、ブラックモアが挙げられよう。しかしながら、本人の証言によれば、(この分野の他の研究者による研究を検討、批判する時間を除いた)10年弱の間に、超心理学に関する、それぞれ独立した7件の研究計画に従事しているという。まちがいなくブラックモアは、出発点において素人評論家になるつもりはなかった。〔中略〕もしブラックモアが物理学教授のところへ行き、10年間に7件の研究計画に従事し、物理学に重要な貢献ができるかどうかを見極めたいなどという提案をしていたとすれば、笑いとばされ、研究室から追い出されていたことであろう。(スティーヴンソン、1993年、118-119ページ)

 ここでスティーヴンソンが問題にしているのは、言うまでもなくブラックモアの軽佻浮薄性です。超常現象という、現行の科学知識体系とは相容れない現象の研究をしている科学者は、一般の科学者よりもよほど本腰をすえてその研究に取り組まなければなりません。にもかかわらず、既存の科学分野ですらとうてい通用しない、浮ついた研究態度をブラックモアが取り続けてきたのは、いったいなぜなのでしょうか。

 それに対して、エジンバラ大学の心理学者ジョン・ベロフやスティーヴンソンのように、超常現象の位置づけが自分の中で完全にできている研究者であれば、自らの生涯と名誉をかけて、高い品性を保ちながらその研究を続けるはずですし、実際にもそうでした。ベロフの場合には、さまざまな実験を重ねても、自分ではそれほど肯定的な結果を得られたことがないにもかかわらず、ブラックモアとは違って、超常現象研究への熱意が衰えることはありませんでした。

 超常現象が実在するとすれば、地動説や進化論を含め、従来の“科学革命”の場合とは比較にならないほど、科学知識体系の根幹を激烈に揺るがす大革命が起こるはずです。探検精神の旺盛なごく一握りの研究者は、そこに関心があるからこそ、しかも、超常現象の実在を示唆する証拠が無視できないほど存在するからこそ、その研究を始め、続けているわけです。では、あっさりと陣営を鞍替えしてしまったテイラーやブラックモアはどうなのでしょうか。

 意識するしないは別にして、心の実在や自発性を否定したところから出発している、探検精神がそれほど豊かではない一般の科学者にとって、超常現象の存在は非常に荷の重い(抵抗の強い)ものです。テイラーやブラックモアを見ると、そのような科学者が、“軽い気持ち”で超常現象に関心を持ってしまったものの、何かのきっかけで、はたとその重大性に気づかされたのではないかという感じがします。その結果として、それまでの“熱にうかされた状態”が一気に冷めたということなのではないでしょうか。もしそうだとすると、肯定的な結果が得られなかったということではなく、逆に、本人からすると決定的な超常現象に直面したことで抵抗を起こしたなどの可能性が考えられるでしょう。

 ベロフやスティーヴンソンには、多くの超心理学者たちが示す楽観的態度は決して見られません。その点を踏まえて、さらに推測を進めると、多くの超心理学者に見られる不動の楽観的態度は、中途で“変節”したテイラーやブラックモアとは違い、依然として多少なりとも“軽い気持ち”のまま、超常現象の研究を続けていることに関係しているのではないか、という可能性が浮上してきます。また、探検精神という要素を考慮に入れるとすると、科学的発見の“先陣争い”という側面もここに関係してきそうです。実際に関係があるとすると、どのように関係しているのでしょうか。

 もちろん、そのような推測を並べるだけでは何の進展もありません。これまで検討してきた可能性を厳密に検証するには、テイラーやブラックモアの心の動きが精密にわからなければなりませんが、それは事実上不可能です。そこで、第2部では、以上の可能性を念頭に置いて、別の角度から検討を進めることにしましょう。

[註1]この一群の人たちは、自分たちが中立的な立場に立っていることを強調するため、“懐疑論者”を自称するのがふつうです。しかし、真の意味での懐疑論者なら、伝統的な考えかたに対しても同じように懐疑的な態度をとらなければならないのに、この人たちは、伝統的な考えかたが正しいという大前提のもとで超常現象を否定しようとする(それに、もっともらしい尾ひれをつけ加える)以上のことはしていません。したがって、この場合、否定論者という実態に即した名称のほうが適切です。そのため、本稿では主として否定論者という呼称を使うことにします。

[註2]これには、目標を格下げするという“逃げ道”があります。この点については、後半で検討することにします。

[註3]超常現象の研究法は、100年以上も昔から、既にかなり厳密なものでした。この点について、ウィリアム・ジェームズは、1896年の時点で次のように述べています。「どこかに間違いがあるのではないかと四六時中疑ってかかる頑なな姿勢に満ち満ちた科学雑誌をひとつあげるよう求められたなら、心霊研究協会会報をあげざるをえない。一般の科学分野の専門雑誌に掲載されている、たとえば生理学的な論文などは、それと比べると比較にならないほど批判的精神に乏しいようである」(スティーヴンソン、1984年、18ページ)。

[註4]CSICOPとは、超常現象の主張を科学的に検討する委員会の略称で、サイを取り締まる警察官という意味をかけて「サイコップ」と発音されます。したがって、建前とは裏腹に、科学者中心の団体ではなく、超常現象の主張を現行の科学知識をふりかざして否定することを“党是”とする政治的運動団体と言えば、実態に近いのではないでしょうか。その機関誌として、Skeptical Inquirer という月刊誌を出しています。
 ついでながら、こうした団体の出版物やウェブサイトにほぼ共通する重要な特徴は、そのデザインを含め、なぜか非常に幼児的で品が悪いことです。参考までに、Skeptical Inquirer のサイトをご覧ください。これは、決して悪口として言っているのではなく、この種の出版物に共通する、本質的にきわめて重要な特徴のようなのです。「名は体を表わす」と言われる通りで、まるで、自分たちのしていることのレベルを明示しているかのようです。そのような指摘を受けるのが不本意なら、もっと上品な体裁にすべきなのですが、はたしてそれができるものでしょうか。この問題は、第2部でふれる、美学との関連を考えると非常に興味深いと思います。

[註5]ここまでの経過については、拙著(笠原、2000年、93-95ページ)に紹介しておきましたので、関心のある方は参照してください。

[註6]否定論者の主張の中には、異常な誤りが異常に多いことも重要な特徴です。まるで、自分たちの主張には信憑性が乏しいことを公言しているかのようです。経験に学ばず、批判した相手から能力や品性が低いと見なされるようなことを、なぜ繰り返すのでしょうか。これも、非常に興味深い問題です。

[註7]このシンポジウムでホノートンが口頭発表した論文(Honorton, 1993)は、『超心理学雑誌』に掲載されています。この論文を含め、この論争に関係したいくつかの論文が、日本超心理学会の会員たちの手で邦訳され、同会発行の小冊子に掲載されているのですが、翻訳がたどたどしくて読みにくいのは、かえすがえすも残念です。

[註8]わかりやすく言えば、一知半解のしろうとが、従来の権威を後ろ盾にして、先端的な専門家を“疑似科学者”などと見下すように批判しているにもかかわらず、その自覚がないということです(たとえば、伊勢田、2003年)。“世界で唯一の超大国”が、他の文化圏に勝手に介入する場合と同質で、権威がなければ何もできないということですから、客観的に見れば、一番見苦しい構図です。

[註9]スティーヴンソンは、先の『超心理学雑誌』のハイマン=ホノートン論争特集号をまさに指して、次のように批判しています。「ある超心理学専門誌の最新号は、こうした不均衡をいみじくも実証している。この号はそのほとんどが、一編の論文(ハイマンら、1986年)と、11名にものぼる者がそれに対して寄せたコメントのために割かれている。私の知る限り、“俎上に載せられた論文”で扱っている系統の実験をそれまで実際に行なったことのある者は、その11名のうちわずか1名にすぎず、超常現象に関する何らかの実験に携わったことのある者ですら、それ以外には3名を数えるのみであり、残る7名は、自らを専門家であると公言してきた者か、さもなければ同誌の編集者によってそうした専門家として認められた者なのである」(スティーヴンソン、1993年、116-117ページ)。これと同種の問題については、今西錦司の直弟子に当たる、後に先端的ジャーナリストになる本多勝一も、22歳の時に創造的登山という脈絡で的確に論じています。「真のパイオニア=ワークに備えて実力を練るべく登山をしている山男は、残念ながら大変少ないと言わねばなるまい。その少ない中でも、あくまで、自分一人になっても目的を貫こうとしている者は、更に極く一部に過ぎない。あとは機会があれば他人の主体性ある行動に便乗しようとして醜怪な闘争に明け暮れているハイエナかハゲタカみたいなもんだ。こういう態度で処女峰に遠征するのでは、処女峰が泣くだろう」(本多、1986年、16-17ページ)。本多のこの「創造的な登山とは何か」という文章には、多種多様な山男が登場します。超常現象研究に陰に陽にかかわってくる人たちの多くとその山男たちは、対象へのかかわりかたが驚くほど似ています。

[註10]ただし、興味深いことに、真の意味での批判者は、いわゆる“懐疑論者”の中にではなく、超常現象の研究者の中にいます。この点も、この問題の謎を解く重要な鍵になるでしょう。

[註11]政治的な方面を見ると、“革命派”から“保守反動派”へと鞍替えする人たちは、それこそ枚挙に暇がありませんが、その逆はほとんどいないでしょう。世界的に見ても超常現象の研究者は非常に少ないため、超常現象の領域でもそれと同じ現象が起こっているかどうかは明確ではありません。しかし、単に関心を失ってしまう程度の人ならたくさんいます。

[註12]「何の反省もないまま」は正確ではない、とテイラーに叱られるかもしれないので、ここでつけ加えておくと、テイラーは第二の著書で次のように述べています。「〔科学者〕の科学的教養をもってすれば、不可能なことくらい、最初からわかっているはずなのである。私自身、そのことをやってしまったのだ。私たちはどうしてこんなにも目がみえないのだろうか」(テイラー、1982年、230ページ)。この“反省”も、非常に興味深いものです。「とくに科学者たちは〔中略〕こういう結論すら下すであろう。すなわち、ユリ・ゲラーのやったような超自然現象に対して、合理的な説明がなされえないのだから、その現象そのものが存在しないのだ、と。私は、そんな容易な結論はとらない。なぜならば私は、インチキが絶対に不可能な状態の下で、ユリ・ゲラーが奇跡を演じ、テレパシーを成功させたのを、じかに目撃しているからである」と大見得を切ったこととこの“反省”は、どのように符合するのでしょうか。もうひとつついでにつけ加えておくと、第一の著書は、売れ行きが好調だったためか、アメリカでは1977年に再版が出ています。そうすると、1977年の時点では、まだ最初の考えを変えていなかったということなのでしょうか。


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