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幸福否定とは何か 2

 リラックスの回避

 一時、サラリーマンの帰宅恐怖症という現象が、新聞でさかんに取りあげられていたことがあった。会社から自宅へ向かおうとすると、落ち着かない。あるいは、自宅には自分の居場所がない感じがして、帰宅することを考えると苦痛になる。そのため、仕事もないのに、あるいは必要のない仕事を漫然としながら職場にいたり、喫茶店や飲食店に入ったり、パチンコやゲームにふけったり、バーやスナックで飲食を重ねたりして時間をつぶし、家族が寝静まった頃にようやく帰宅できる状態になる。家族と接するのが苦痛だと思っているので、休日は恐怖である。そのため、日曜や祝日は、家族と一緒にいる時間を極力減らすため、早朝からひとりで外出してしまったり、持ち帰った仕事に専念したり、会社に休日出勤したりなどの工夫をしなければならない。これは、休日神経症と呼ばれる状態のひとつのパターンでもあるが、これについては、日本人は働き蜂なので、週休2日制になって時間をどう過ごしたらよいのかわからないので不安になるのではないか、などという解釈もされている。

 ところで、症状が出た結果として回避されている事柄は、その症状の原因を推定する際の手がかりになることが多い。この原則を基準に考えると、ここで避けられているのは、家族との夕食すなわち一家団欒であり、休日を家族と一緒にくつろぐことであるのがわかる。そのことから、このような幸福を避けることとこうした症状との間には、関係のあることが推定される。

 ところで、不幸と不安および緊張には親近性があるが、不幸とリラックスには親近性はない。リラックスは、幸福感と親近性を持っているからである。そのため、幸福を避けようとすると、多かれ少なかれリラックスも必然的に避けるようになる。幸福否定をしている人たちが、自律訓練法やヨガや瞑想などの中でリラックスしようとすると、痛みや生あくびや眠気などの反応≠ェ起こることがある。また、同じ方法を用いてリラックスしようとしても、自宅の内外でそうした反応の強さが異なることも多い。つまり、自宅の方が本来的にリラックスしやすい分だけ実際にはリラックスしにくいため、むりにリラックスしようとすると、しばしば反応が強くなるのである。眠気が起こるとすれば、それはリラックスした結果なのではないかと思われるかもしれないが、そうではない。この場合は、リラックスを避けるために眠ってしまう、ということなのである。

 前章で述べた、夫が出勤するとパニックを起こす女性のように、ひとりでいることに恐怖感を覚える人たちは、それほど少なくないように思われる。この恐怖感の原因は、大きく分けてふたつ考えられる。ひとつは、それを意識で承知しているかどうかはともかく、自分が本当にしたいことやすべき仕事を避けようとすることである。その結果として、恐怖感の他に、アレルギー症状や自律神経失調症的症状、生あくびの頻発、脱力感、眠気などが出現する。もうひとつが、リラックスに対する抵抗である。そのため、リラックスとは対極的な位置にある恐怖感や緊張感がやはり出現するのである。

 真夏の炎天下に駐車しておいた、車内の温度が摂氏70度ほどになっている車に乗っても、暑さを感ずることがなく、冷房を入れないまま窓を開けて運転すると気持ちがよい、というほどの冷え症を持つ三十代半ばの女性は、帰宅し、家族が誰もいない自宅に入ろうとすると、強い恐怖感に襲われ、誰かが帰ってくるまで、自宅の中で緊張状態を続けていた。この場合、その恐怖感が、お化けや幽霊が出るのではないかという恐怖に変形されることもある。胃潰瘍を持つ三十代の男性も、ふだんは自宅にいる妻子が実家に戻っていて、中に誰もいない時、自宅に近づくにつれ緊張感が高まっているし、自宅の中でひとりで過ごすことに対しても強い恐怖感を起こしている。ただし、この事例は、リラックスの回避という概念だけで説明することは難しい。

 やはり前章で述べたように、不眠やアトピー性皮膚炎のかゆみ、気管支喘息の発作も、リラックスを避ける形で起こっている。つまり、自宅、夜、ふとんの中という3条件に、仰向け、暗い、静かという条件が重なった時に症状が一番強くなるが、旅行の時や昼寝やふとんの外で寝た時には症状が弱い場合が多いし、仰向けではなく、うつぶせや苦しい姿勢を取ったり、電灯やテレビをつけて寝た時の方が、やはり症状が出にくくなるのである。また、その治療のために入院した時にも症状が弱くなることが多い。たとえば小児喘息などでは、夜間に発作を起こし、救急車やタクシーで病院の玄関に着くと、その時までには発作が治まっていることも少なくない。そして、入院の当日から発作が消え、母親が面会に来た日を除けば、退院するまで、一度も発作が起こらない子どもが、かなりの比率を占めるのである。

 海外旅行に出かけている最中は、アトピー性皮膚炎が軽快ないしほぼ消失しているが、帰国する飛行機の中で次第にかゆみが強まり、国内の空港に到着した時には、皮膚病がかなり後戻りしてしまう例はきわめて多い。海外は気候条件が日本と異なるからではないか、と考える方もおられるであろうが、そうした説明は必ずしも妥当ではない。国内旅行であっても、海外旅行と同程度に長い旅行であれば、たとえば湯治のために1、2週間ほど温泉に出かけたとすれば、あるいは夏休みに何日か遠方に海水浴に出かけたとすれば、海外旅行に出かけた時とほとんど同じ結果になるのである。その場合、もちろん温泉や海水自体に効力があったわけではない。また、ふだん食事に気をつけている患者であっても、その間は何を食べても悪化しないのである。

 ある女性は、小中学生の頃、四年ほど続けて同じ温泉に、それぞれ1ヵ月ほどずつ湯治に出かけているが、最初の2回は、全身にあった湿疹が2、3日のうちにほとんどなくなってしまったという。ところが、後の2回はまったく変化しなかった。この場合、最初の2回は母親が同行していたのに対して、後の2回はひとりで行っていたことが判明している。このような条件の違いによって、症状の変化も異なってくるのである。こうした事例を見ると、自宅から離れるという条件と、家族、特に母親が一緒にいるかどうかという条件が、症状を大きく変化させる要因になっているらしいことがわかる。

 新聞報道によれば、阪神大震災後に、アトピー性皮膚炎を持つ患者のほとんどが皮膚症状を好転させているというが、それは、悲惨な状況に置かれていることと関係があるのであろう。これは、リラックスの回避と直接関係しているわけではないが、それと同質のからくりに基づく現象と言える。これと軌を一にするのは、戦争が始まると喘息患者がほとんどいなくなるという昔からの観察事実であろう。緊急事態なので、症状が悪化しても治療どころではないからではないか、という反論が出されるかもしれないが、おそらくは悪化しなくなるのであろうし、治療の必要があるほどの重症例はほとんどなくなってしまうのであろう。

 三十代半ばのアトピー性皮膚炎の女性は、小学校高学年の時に、交通事故に遭って骨折し、整形外科に入院している。その頃は皮膚炎がひどく、全身から吹き出す滲出液のため、両眼を残して、いつも全身が包帯で被われているほどの状態であった。ところが、入院中には、皮膚病の治療を特にしたわけではないのに、短時日のうちに皮膚炎がほとんど消失してしまったというのである。また、四六時中、症状が出ている喘息や強迫神経症の患者も、車を運転している間は、その症状から一時的に開放されるのがふつうである。このように、別の作業や課題に集中せざるをえなくなると、心因性の症状を一時的に引っ込める事例にも、同質のメカニズムが潜んでいることがうかがわれる。

 また、東京に住む喘息の患者が、たとえば長野県に静養に出かければ、その間は多少なりとも発作から解放されることであろう。ところが、帰りの車中で、東京が近づくにつれて息苦しくなるとすると、汚染された空気が徐々に車内に入り込むためではないか、と考える方がいるかもしれない。しかし、逆に、たとえば長野県に住む喘息患者が上京した時にも、同じく発作から解放されるという事実については、どのように説明したらよいのであろうか。やはり、住み慣れた自宅にいる時にこそ症状は出やすいと考えるべきなのであろう。それは、転居すると、しばらくの間は、神経症や不眠症、アトピー性皮膚炎、喘息などが軽快ないし消失する患者がいる事実を見てもわかる。ところが、住み慣れてくると、そこが海外であっても、元の通りに症状が悪化しやすいのである。

 また、アトピー性皮膚炎にしても、アレルギー性鼻炎にしても、家族と一緒にいる時にはそれほどではないのに、自分の部屋に入るとかゆみや鼻水の出る例がかなりの比率で観察される。多くの人たちが、自分の部屋に入ったとたんにだるくなったり眠くなったりするのも、それと同じメカニズムによる現象と言える。もちろん、先述のように、こうした現象は、リラックスの回避の他に、自分が本当にしたい事柄やすべき仕事を避けることに関係して起こっている可能性もあるため、このふたつを完全に分けて考えるのは難しい。


【『なぜあの人は懲りないのか困らないのか――日常生活の精神病理学』〔春秋社〕第3、4章より】
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