第2点は、一般の心理療法は、特に原因を探る場合、推定をもとにして進めてゆくのに対して、私の心理療法では、反応という客観的指標を絶えず目印にして進めてゆくことです。このことは、経験のない方に説明してもほとんど理解されませんが、両者の違いは決定的なものです。
第3点は、心因性の疾患をもっているかどうかとは無関係に心理療法を進めることができることです。これまでのところでは、この心理療法の “適用” には、はっきりした例外はありませんでした。そして、さまざまな能力の向上ばかりでなく、大変な時間はかかるにしても、人格の向上を目指すこともできるのです。
第4点は、当室では、“芸術派” の方でも誤解されることなく心理療法を受けられることです。
“芸術派” とは、昭和初期の詩人であった中原中也の言葉で、人類のほとんどが属する “生活派” とは全く異質な生活姿勢や世界観をもつ人々のことです[註2]。芸術派かどうかは、芸術活動に従事しているかどうかとは無関係です。芸術家であっても、実際にはほとんどが生活派らしいからです。芸術派に属する著名人としては、生物学者の今西錦司や、探検家のラインホルト・メスナーなどがあげられるでしょう。ジャーナリストの本多勝一の言う「本物」は、たぶん芸術派を指して使われているのではないかと思います。
生活派や芸術派という言葉は知らなくとも、芸術派の方がたには、これだけで意味がわかるはずなので、これ以上の説明は不要でしょう。とはいえ、芸術派の存在を知らない方がたのために少々説明しておくと、芸術派に属する人たちは、多少の濃淡はありますが、おおよそ次のような特徴をもっています。なお、このリストの第3項までは、臨死体験をした人たちが自然に身につけるとされる特性とほとんど同じです。
人類は、いかに非動物的に見えようとも、化石の証拠から明らかなように、類人猿の系譜から生まれた動物であるのはまちがいありません。そして、生き続けるための活動を最優先してきた(せざるをえなかった)からこそ、現在の人類があるわけです。もし最初から芸術派しかいなかったとしたら、人類は類人猿から枝分かれしたとたんに滅亡していたことでしょう。
芸術派は、人類という以前に、動物の系譜からすら逸脱しているように見えます。その出自が不明だということです。まさに中也がその最たるものなのですが、そのため、ほとんどの芸術派は大きな問題を抱えています。くり返しになるようですが、それは、多かれ少なかれ生活力を欠いていることです。
中也は、結婚して二児をもうけ、女中までおいていたのに、すべてを実家に依存して多額の仕送りを受け続け、生活のための仕事につくことはいっさいありませんでした。眼の前の現実の重みがわからないため、分をわきまえない貴族のようなものだったわけです[註3]。そのため、弟たちはたいへんな思いをしたようですが、そのことには、最後まで気づこうとしませんでした。
以上のように、芸術派は、ものごとの本質を的確に把握している(中也流に言えば、「宇宙のすべてを知っている」)にもかかわらず、世間的な生活を送ることがひどく難しいわけです。非常に高度なことが難なくできるのに、ふつうの人がふつうにできることをするのが、非常に難しい。極端な言いかたをすれば、生存を優先する動物的行動をとることに、なぜか強い抵抗をもっているということです[註4]。
自分の能力にはかなりの自信をもっている芸術派といえども、現在の位置から上に昇ろうとすると、その際に起こる抵抗を乗り越えるのは難しく、ましてやそれを独力で行なうことはほとんど不可能です。当研究室は、そのような方がたの “受け皿” にもなっています。そのような方には、第一歩として、拙著『幸せを拒む病』を一読することをお勧めしたいと思います。
[註1]この問題については、拙著『加害者と被害者の"トラウマ"――PTSD理論は正しいか』を参照してください。
[註2]典型的な芸術派であった中原中也の伝記『希求の詩人・中原中也』をご覧いただければ、芸術派の生きかたがある程度はわかるはずです。ただし、この拙著を通読することは、強い反応がくり返し襲ってくるため、特に芸術派以外の人にとっては相当に難しいはずです。関心のある方はぜひ試してみてください。
[註3]人類は、特有の文化を発展させ、さらには経済活動にいそしんできました。その結果、生活に追われる部分が少なくなってきたわけです。特に先進諸国に住む人たちには、経済的な余裕と時間的な余裕とが生まれています。そうすると、自分を高めたいという欲求をもつ人がふえてきます。
ところが、にわか貴族のようなものなので、時間の使いかたがわからず、特に長い時間がある場合には、何もできない状態に陥ってしまいます。そのような人たちが圧倒的多数を占めるような状況になっているのが、まさに現代の先進国社会なのです。
それに対して、芸術派に属するごく少数の人たちは、世間一般の人たちと比べると、時間を自分のために有効に使うことができるのです。
[註4]このあたりの特徴は、自閉症やサヴァン症候群とのつながりを思わせます。サヴァン症候群については、ダロルド・トレッファート著『なぜかれらは天才的能力を示すのか――サヴァン症候群の驚異』(1990年、草思社刊)や、拙著『隠された心の力――唯物論という幻想』をご覧ください。