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 幸福否定という考えかたに基づく心理療法の概要

悪いことは原因にならないこと

 最初の勤務先とも言える、小樽市の精神科病院では、精神分裂病(昨今の名称は、統合失調症)をもつ人たちの心理療法を、その後は、主として心身症や神経症をもつ人たちを対象にした心理療法を行なってきました。精神分裂病の心理療法は、精神科医の小坂英世先生が創案した治療法を追試する形で実施したものですが、その後は、主として心身症を対象に、独自の方法を手探りで開発してきました(小坂英世先生の方法については、拙著『幸福否定の構造』〔春秋社〕に詳しく書いておきましたので、関心のある方はぜひ参照してください。目次の pdf ファイルはこちらです。なお、『幸せを拒む病』〔フォレスト新書〕にもほぼ再掲されています)。その方法をひとことで説明するのは難しいですが、通常のストレス仮説とは正反対とも言える理論に基づいた治療法ということになるでしょうか。もちろん、理論が先にあったわけではなく、経験を積み重ねるに従って次第に形をなしてきたものですが、それが、結果的には、これまで一般にも知られていたいくつかの経験的事実と符合する形になりました。とはいえ、私の心理療法は、従来のあらゆる心理療法と、ほとんどの点で根本的に異なっています。

 心理的原因による症状は、いわゆるストレスや悩みごとが原因で出るわけではなく、本当は幸福のはずの時にこそ出るのです。本人がその幸福を意識の上で認めている場合には、もちろん、ただうれしいだけで、何の問題も起こりません。ところが、その幸福感が、いわゆる無意識のうちに否定された時には、さまざまな心因性の症状が即座に(1,2秒のうちに)出現するのです。こうした状態を、私は、幸福否定と呼んでいます。このような幸福否定は、いわゆる心因性疾患の有無を問わず、さらには時代や民族を問わず、広く存在するように思われます。幸福否定の結果として、自分の行動を前向きに変えるのを強く嫌う傾向が出現します。そのため、自分の失敗を懲りたり、困ったりしにくくなります。懲りたり、困ったりすると、つまり、自分の意識が反省の方向に向かうと、自分の行動を前向きにせざるをえなくなるからです。これを、私は、“懲りない・困らない症候群”と呼んでいます。

 私の心理療法の目的は、この幸福否定という無意識的意志を弱めることにあります。ひとことで言えば、自分に素直になることが終着点です。言葉で言えばどうということはないのですが、これが実際には非常に難しいのです。しかし、実際には、幸福否定の意志は非常に強いため、長い年月をかけても、ごくわずかずつしか弱めることはできません。

どのようなことをするのか

 実際の治療法としては、症状の心理的原因を探る方法のほかに、感情の演技と呼んでいる方法を使います。たとえば、「病気が治ってうれしい」、「職場で評価されてうれしい」、「一家団欒がうれしい」、「母親が死んで悲しい」などという自然な感情を、2分間ずつ作ってもらうわけです。空想的に行なえば、そうした感情も簡単に作れますが、なるべく現実的に作ろうとすると、最初は、集中すら難しいかもしれません。何度か繰り返すと、集中はある程度できるようになりますが、それでも感情を作るのは非常に難しく、むりやり作ろうとすると、わずか2分の間に、私が反応と呼ぶ3種類の変化が起こります。身体的な変化生あくび眠気です。そうした反応は、感情を作ろうとすればするほど、強く出るようになります。そして、そのような反応を押して、むりやり感情を作る努力を重ねることが、そのまま治療になるのです。感情ができなければ治療にならないのではなく、感情ができなくても、感情を作る努力をしてゆけば、自然に好転に向かうということです。

 一般の心理療法では “気づき” ということが重視されますが、意識の上で何かに気づいて、それによって変化するということはありません。感情の演技を繰り返してゆけば、それだけで、症状が弱まったり消えたりするなどの変化が自然に起こるということです。意識で気づくのは、変化した結果なのです。なお、私の心理療法では、感情の演技を求めるくらいで、指示的なことは他に一切ありません。

 この方法も理論も、常識に反してはいますが、非常に単純です。ところが、こうして言葉で説明することはできても、説得力はほとんどありません。そのため、心理療法を希望する方々は、1時間ほどの説明を受けたとしても、納得できないまま心理療法を始めることになります。やがて自分にも、そうした反応が出ることがわかると、このやり方がまちがっていないことは認めますが、実際にはなかなか納得したがりません。ただしそれは、理解力の問題ではなく、抵抗の結果なのです。

好転すると一過性に悪化すること

 この方法には、もうひとつ大きな問題があります。治療が進んでくると、ここでも幸福否定がじゃまに入るのです。つまり、自分の好転を意識下で多少なりとも認めざるをえない状態になると、意識ではそれを喜ぶことができず、意識にはそれとわからないまま(つまり、何が起こったのかがわからないまま)、自動的に否定されてしまう(そのあたりの記憶が消えてしまう)わけです。その結果、好転による喜びを否定することで症状が出るという、大変奇妙な状態に陥るのです。これは、通常の悪化と違って、非常に苦痛ですが、しばらくすると自然に収まります。この現象は、一流のスポーツ選手の “スランプ” に近いと思います(つまり、スランプと言われる現象は、おそらく好転の否定の結果だということです)。そして、収まった時には、起こっていた好転が一挙に浮上するため、急によくなったように感じられるのです。

 この好転の否定という現象は、心理療法の進展に伴って何度でも起こります。その克服は、心理療法を進展させるうえで非常に重要です。

 この心理療法では、ある程度にせよ、治療効果が見えるようになるまでには(ペースは本人の意志に任せますが)、1、2週間に一度程度の頻度ですと、たいていは半年程度かかります。また、その変化は、周囲の人たちにはわかるのですが、本人には、これまた幸福否定のため、あまりわかりません。その病気が実際に問題にならなくなるまでには、症状の軽重を問わず、最低でも2,3年を要するようです。このように、徐々にしか治療は進みませんが、治療を中断しても、後戻りすることはありません。その点も、他の心理療法と異なる部分です。

 私が、今から三十数年前まで行なっていた心理療法では、場合によっては 30 年近く続いてきたような症状でも、目の前で劇的に消えてしまうなど、めざましい効果がありました。それに対して、現在の方法では、そうした劇的な変化は絶対と言ってよいほど起こりません。昔の治療法では、表面的な症状は消えても、根本的な点ではほとんど変化しませんでした。しかし、現在の方法では、根本的な部分が徐々に変化します。それは、これまでの方法によっては得られないもののように思います。


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