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 人間の「つながり」と心の実在

2種類の異質な心理的原因

 私は、長年にわたって心因性疾患全般に向けた独自の心理療法を開発してきましたが、その中で、心理的原因には全く異質な2種類があることに気づくようになりました。ひとつは、私が “初級者クラスの原因” と呼ぶもので、実生活の中で現実に起こる、自らの進歩に関係するものであり、もうひとつは、実生活とはほとんど無縁の領域に属する、“中級者クラスの原因” と呼ぶものです。後者のような原因が存在することは、当初は夢想だにしていませんでした。

 これまでの経験からすると、実際に中級者クラスの原因によって症状が出現する比率は、おそらく1割に満たないでしょう。この場合、症状が非常に強いのが特徴です。中級者クラスは、初級者クラスではないものをすべて含んでいるので、内容は種々さまざまですが、個別性と非個別性という基準で、ふたつに分けることができるかもしれません。両者を截然と分けるのは難しいのですが、中級者クラスの、個別的な原因によって症状が出現したらしき事例としては、たとえば次のようなものがあります。

人間の「つながり」と心の実在

 なぜか幼少期からスイスに憧れていた 20 代の女性は、父親の通訳としてチューリヒを初めて訪れた時、強い脱力感のためホテルで動けなくなってしまったそうです。ところがその症状は、ベルンに行く途中で完全に消えました。最初は偶然にそうなったと思っていたのですが、その後も、チューリヒを訪れるたびに同じような状態になり、そこから離れると急速に症状が消えるという経過がくり返されました。その症状は、訪れる順番とは無関係に起こることもはっきりしてきました。加えて、チューリヒにはどうしても足を踏み入れることのできない一角がありました。入ろうとしても、強い力で阻止されてしまうというのです。その先には、チューリヒ工科大学がありました。ちなみにこの女性は、後にチューリヒで暮すようになり、短い間にスイス・ドイツ語をかなりのレベルまで習得しています。

 群馬県に住んでいた 20 代の女性は、たまたま通りかかったホテルで、温泉に関する国際学会が開催されているのを知り、誰でも入れるというので中に入ってみたのだそうです。すると、急激な眠気に襲われたのです。演者がフランス語で話していたためであることが後にわかりました。ある 40 代の女性は、心理療法を受けるためにバスに乗って私の勤めていた大田区の病院に来ていたのですが、途中からいつも強い眠気に襲われました。その路線は、独逸学園(その後、移転して横浜)のそばを通っており、乗り込んできた生徒たちが話すドイツ語が耳に入ってくるためであることが、後に確認されました。

 青年海外協力隊の活動で中南米に派遣されていた 20 代の女性は、スペイン語は短期間のうちに実用的なレベルまで習得できたのに対して、学習期間のはるかに長い英語については、本を見せても行を追うことができませんでした。単語がとびとびにしか眼に入ってこなかったのです。ある合唱の会に所属している 40 代の女性は、ベートーベンの第九交響曲に収められているフリードリヒ・フォン・シラーの作詞になる「歓喜の歌」を合唱する時、日本語ならふつうに歌えるのに、ドイツ語で歌おうとすると、いつも声がかすれて出なくなってしまうことに気づくようになりました。そのため女性は、この問題を乗り越えるべく心理療法を始めたのです。

 40 代の大学教授の女性は、フランス語は完璧に身につけているのに、ドイツ語は、どれほど時間をかけても 「Ich(一人称代名詞)しかわからない」と自嘲的に言うほど、ほとんど頭に入ってこなかったそうです。さらには、ドイツ語の本を開いて見せると、活字がぼやけてしまったり眠気が出たりするだけで、やはり行を追うことすらできませんでした。このように、特定の外国語に限って支障が起こる者は決して少なくありません。この種の状態を私は、“言語に対する抵抗”と呼んでいます。特定の外国語を聞いているだけで、それが何語かわからないにもかかわらず、強い眠気や脱力感などに襲われたりするのです。

 このような事例は他にもたくさんあります。日本に生まれ育った日本人であっても、日本語の習得が難しい者も稀ながらいるようです(ただし、自閉症児が生まれ育った地方の方言を、場合によっては母語を身につけるのが難しいのは、おそらくまた別の理由によるものでしょう)。

 すぐれた芸術作品に対する抵抗

 もう一方の非個別的原因によると思しき症状は、当事者の実生活とは全く無縁に見える事柄に関連して、比較的共通して発生するものです。“スタンダール症候群” として知られる現象もその一部に当たるでしょう。これは、フランスの作家、スタンダールにちなんで命名されたもので、私見によれば、すぐれた芸術作品に接した時に起こる、眠気やだるさをはじめとする強い心身症状のことです。事実かどうかはわかりませんが、スタンダールは、イタリアのある教会の天井画を見ていた時に、錯乱状態に陥ったとされています。

 この現象では、絵画や彫刻や建築物であれ、音楽や映像であれ、その作品に接するだけで強い眠気やあくびや脱力感などが瞬時に起こるのです。ただし、たいていの場合、その症状は、その場から離れれば急速に消えます。著名な評論家だった小林秀雄は、ゴッホの「カラスのいる麦畑」の複製画を見て動けなくなったそうですが、これも、その実例のひとつなのかもしれません。

 私が確認した範囲では、多くの者で、京都の寺院の記憶は残りやすい(ただし、その内部に安置されている仏像についてはその限りではない)のに対して、同時期に訪れたはずの奈良の寺院の記憶は、建築物自体がすぐれた芸術作品になっているためなのかもしれませんが、残りにくいようです。池があったことやシカがいたことは覚えていても、興福寺の記憶はありませんし、人の通れる穴の開いた大きな柱は覚えていても、そこにあった大仏も大仏殿もわからないのです。奈良に行ったことすら覚えていない者もあるほどです。その場合、記憶を蘇らせようとして自分が写した写真を見ても、眠気に襲われたり頭が “空白状態” になったりするだけで、その記憶は容易には出てきません。

 時代を超えて残る、場合によっては国や世界の宝とされる芸術作品がどのような処遇を受けるものかを、ここで一瞥しておきます。ひとつは、わが国の戦国時代に起こった出来事です。天正 10 年(1582 年)6月、籠城する坂本城を豊臣秀吉方の軍勢に包囲され、勝ち目のないことを悟った明智光秀の重臣、明智秀満は、手元にある刀剣や墨蹟などの名宝が焼討ちによって失われるのを憂え、それらを敵方の堀秀政に渡して後事を託したそうです。しかる後に戦いが再開され、明智軍は城もろとも全滅するのです。

 効果が確認しやすい盆地であるため、当初は原爆の投下目標とされていた京都が、新婚旅行で同地を訪れたことがあるというアメリカの陸軍長官、ヘンリー・スティムソンの判断で最終的に目標からはずされたそうです(その結果、広島と長崎に落とされることになったわけです)が、それも、同じ脈絡でとらえることができるかもしれません。戦後に覇権を掌握するのにふつごうになるのを恐れたことが、直接の理由とされています。

 これらは、すぐれた芸術作品が、敵味方や生死を超えてまでして尊重されることを示す格好の実例であるように思います。名品が高額でとり引きされ、大切に扱われるのも同じ理由によるものかもしれません。かくして、すぐれた芸術作品は、細心の注意を払って保存されることになるのです。そうした芸術作品は、制作者の人種や宗教や文化圏を超えた、さらには時代をも超えた “人類の宝” などと位置づけられることになるわけです。戦国時代に来日したポルトガルのイエズス会宣教師、ルイス・フロイスは、京都や奈良の寺院に安置された仏像群を、敵対する宗教による悪魔の偶像と見なしたそうですが、芸術作品としては高く評価したのです。

 そのような芸術作品に対して、個人差は大きいとしても、不特定多数の個人が抵抗を起こしやすいことには、何か重要な理由がなければなりません。そこには、“芸術の本質” というものが関係している可能性も考えられるように思います。

 “真理” に対する抵抗

 中級者クラスの非個別的原因には、このようなものとは全く異質なものもあります。たとえば、自閉症や分裂病(昨今の言葉では統合失調症)のなりたちについて私が考えていることを話すと、その言葉が聞こえなくなったり強い眠気に襲われたりする人も少なくありませんし、生物の進化に関する私見について話しても、同じような反応が起こることがあります。ところが、ネオ・ダーウィニズムと呼ばれる現行の進化論について話したのでは、何の反応も起こりません。その時代に定説として受け入れられているものには、当然と言うべきか抵抗はないということです。超常現象やその研究に対する抵抗が遍く存在することは、周知の事実です。これは、時代を超えた抵抗と考えることもできるでしょう。

 1980 年代の初頭から私は、こうした奇妙きわまりない現象に、心理療法の中で日常的に接してきました。そして、このような現象が起こる理由を探ろうとすると、眠気を筆頭に、きわめて強い反応が起こるという事実がまもなく明らかになったのです。また、何であれ抵抗に直面させれば治療効果のあることも、並行して確認されました。反応の強さから推定すると、現実に密着した初級者クラスの原因よりも、“非現実的” な中級者クラスの原因のほうが、私たち人間にとって重要度が高いことになるようです。

 そのような事情もあって、中級者クラスの原因に関係して浮上した事象の全容を、可能であればいつか発表したいと考えてきたわけですが、残念ながら現時点では難しいと思います。ひとつには、それらがあまりに常識を逸脱しているためです。

 とはいえ、現時点でもかろうじて発表できそうなものなら、ないわけではありません。それは、私が心理療法を始める前から時おり遭遇していたもので、互いに無関係のはずの個人同士を結ぶ見えないつながりという現象です。人間が社会生活を営む中で遭遇する出来事には、通常の因果律では説明できない “意味のある偶然” が時おり観察されますが、そうした現象群の中から、個人間に網の目のように張りめぐらされたつながりらしきものが、切れ切れとした形でかすかながらではありますが、見えてきたのです。

 この種のものであれば、一般にも知られているので、科学的脈絡の中で扱うのは初めてであるとしても、“うさんくささ” はそれほど強くは感じられないないように思います。本書は、私が中級者クラスと呼んでいる現象の発表が、少しでも可能になるようにするための布石にもなっているのです。

 つながりとその背後にある心の実在

 本書は、そうしたつながりの実在を、科学的背景の中で可能な限り厳密に検証することを目指したものです。ロシアの神経学者、アレクサンドル・ルリヤや、ドイツの精神医学者、エミール・クレペリンに倣って、伝統的な記述的方法を使うことになりましたが、そもそも科学的な方法論の適用しにくい現象群なので、それが難しいことは最初からはっきりしています。この試みがわずかにせよ成功するとすれば、それは、本書に提示される事例の質と量とにかかっています。質が低下しない限り、数の多いほうが説得力は高まるからです。

 本書には、私自身の周辺で起こった出来事も数多く登場します。したがって本書は、私という個人を中心にしたつながりが網の目のように広がっていることをおぼろげながら示す、ひとつの資料にもなるはずです。

 本書で詳述するように、もし人間の心というものが、脳とは別個に存在するものであれば、その実在は、現行の唯物論的な科学知識体系とは真っ向から対立します。この知識体系は、最初から、心という実在が入り込む余地のない形で厳格かつ精密に構築されているからです。したがって、人間の心を重要な要素として含めるためには、この壮大な知識体系を、末梢部はそのままでよいとしても、根底から創り直す以外にありません。

 それは、人間の心の奥底になぜか潜んでいる抵抗のため容易ではないにしても、不可能であるはずはありません。人類の歴史をひもとけば、不可能と思われていたことが、長大な時間を要したとしても可能になった実例が少なからず存在するからです。そのことに思いを致せば、先覚者たちの後塵を拝して一歩を踏み出すことなら、それほど難しくありません。本書は、個人間の隠れたつながりらしきものの実在を可能な限り客観的に提示することを通じて、その方向にわずかながら歩を進めようとする、ささやかな試みにもなっているのです。

 本書は、今西錦司という探検的な大生物学者に、50 年以上にわたって私淑してきた私が、心の実在とそのありようを、一部は生物学的な方向から眺めるべく、10 年ほど前から準備してきた原稿の3分の1ほどを、本書の編集者の示唆に従って、つながりというテーマを中心にしてまとめ直したものです。人間の隠れたつながりらしきものについて、この程度のものであっても、まとまった形で提示された著作は、おそらくこれまで存在しませんでした。新しい科学知識体系への小さな布石としてまとめられた本書が、時節そのよろしきを得て、この方面の真剣な研究の嚆矢となるとすれば、それにまさる喜びはありません。(本書に収録されなかった「まえがき」を改変)

 追 記

 なお、本書は、準備した原稿全体の3分の1ほどに当たるわけですが、残る2編(動物の人間性、今西進化論)は、とりあえずアマゾンからオンデマンド版(紙版)として本年中に出版する予定です。

 本書の出版を通じて、新たなつながりが浮かび上がることを期待しているのですが、さっそく、全く無関係な存在として本書に登場するふたり(ひとりは私の親友)が 50 年近く前の大学時代から親友同士だったことが判明しました(2/4/20)。

 目次は以下の通りです。

はじめに
序章
第1章 探検と科学
第2章 科学における強大な壁 唯物論というイデオロギー
第3章 遍歴と邂 1.心理学の森へ
第4章 遍歴と邂逅 2.転機――進路を定める
第5章 遍歴と邂逅 3.心理療法と心の研究
第6章 人間のつながり 1.奇縁――秋元波留夫と石田昇
第7章 人間のつながり 2.輩出する逸材――同時代の群像
第8章 人間のつながり 3.著名人たちの若年での出会い
第9章 人間のつながり 4.活動圏の拡大――南方熊楠の場合
第10章 偶然か必然か――共時的な現象、運命、集合的無意識
第11章 つながりの検討 1.ミルグラムの実験的研究
第12章 つながりの検討 2.スタンフォードの理論
終 章
参考文献
索引

著 者: 笠 原 敏 雄
出版社: すぴか書房
定 価: 6800 円+税
体 裁: A5版横組み、上製本
総頁数: 550 ページ
発売日: 2020 年2月 10 日


Copyright 2020 © by 笠原敏雄 | created on 2/4/20; last modified and updataed on 2/6/20