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日常生活の中で見られる抵抗や反応 2

 片づけができないという問題

 最近では、テレビ番組でよく紹介されるようになったため、片づけが絶望的にできない人たちがたくさんいることが、一般にもよく知られるようになってきました。私が直接に聞いた中でも、たとえば、玄関のドアが3分の1しか開かない状態になっているとか、部屋に物が山積みになっているため、電気をつけても暗いとか、生ゴミすら捨てられないために、女性なのに調理を全くしないとか、流し台の前にたくさんの荷物が置かれているので、蛇口に手が届かないとか、部屋が荷物で埋まっているために、車の中で寝ているとかのひどい例があります。

 そのため、さすがに困って、業者を呼んで片づけてもらった人たちもいます。しかし、本人が変身しない限り、数週間もすればほとんど元に戻ってしまいます。それは、もちろん、片づけ自体に抵抗が働いているためです。私がこれまで聞いた限りでは、男女を問わず、家事で一番簡単なのは洗濯のようです。それは、全自動になっているためでしょう。逆に、一番難しいのが、ここで取りあげる片づけです。また、意外に難しいのはアイロンかけです。これは、細かい手順が多いためなのでしょうか。それと比べれば、掃除そのものや食器の後片づけはそれほどではありません。

 自分の部屋の片づけをする場合、それに抵抗がない人は簡単にできます。むしろ、きれいにしていないと気がすまないという強迫的な人たちもいます。ところが、片づけに抵抗がある人の場合には大変です。片づけをしようとすると、眠気が襲ってきたり、だるくなったり、生あくびばかり出たりして、片づけどころではなくなるのです。また、人によっては、くしゃみや鼻炎などの、いわゆるアレルギー症状が出ることもあります。しかし、片づけを諦めれば、そのような症状もすみやかに消えます。

 片づけができない人たちは、大量消費時代のおかげもあって、たぶん、それほど少なくありません。昔は、特に庶民の家には、物が少なかったことと、個室というものがなかったために、いわゆる異常な人たちを除けば、そのような問題は起こりようがありませんでした。ところが、今は、“がらくた経済”のため、積極的に片づけない限り、遅かれ早かれ、身動きが取れないほどの状態になってしまうわけです。

片づけに際して見られるふしぎな現象

 片づけに抵抗のある人の場合、片づけなければならないことは、頭ではよくわかっていても、どうしても体が言うことをききません。これは、外から見ると 「だらしがない」 と言われる状態です。そして、それは、“意志が弱い”ためか、“現実逃避”のためとされます。最近では、これに、注意欠陥・多動性障害(ADHD)などという診断名が、しばしばつけられ、リタリンなどの覚醒剤が処方されることもあるようです。もしそのような病気が本当にあるとすれば、先進諸国の国民は、軽症者も含めると、かなり高率にこの疾患に罹っていることになってしまいます。これらの行動は、性懲りもなく繰り返されるという点で、アルコール依存症や累犯者などの重症例と全く同じです。

 ところが、ふしぎなことに、同じ片づけでも、他の部屋なら簡単にできることが多いのです。あるいは、自分の部屋でも、机の引き出しの奥などの、ふだん使わないし目にもしないところは、雑作もなく片づけることができるでしょう。また、誰かが訪ねて来る時にも、比較的簡単に片づけができます。そして、そのような時には症状は出ません。ところが、自分の部屋を自分の意志で片づけようとすると、強い症状が出て、片づけをじゃまするのです。

 ただし、専業主婦の場合には、自分の部屋を持っているいないにかかわらず、共有の部屋の片づけも難しいことが多いので、それ以外の人たちとは、いちおう分けて考えなければなりません。ある女性は、小学生の娘に、「お母さん、毎日、お客さんが来るといいね」と皮肉を言われたそうです。

 人によっては、見た目がきれいになるという意味での片づけなら、難しくないこともあります。本棚に本や雑誌類をすべて押し込み、床に散乱していた衣類や生活雑貨を洋服ダンスや押入に詰め込むため、床には何も置かれていない状態になり、一見するときれいです。しかし、この場合の問題は、何かを使おうとすると、どこに何があるかわからないため、たくさんのものを引っ張り出さなければならなくなる、という点にあります。このような例を見ると、片づけの意味は、見た目をきれいすることよりもむしろ、その部屋にある物を自分が使いやすくし、効率を上げることにこそある、と考えるべきでしょう。当然のことながら、ここにも、幸福の否定が関係しています。

片づけに際して起こる症状

 では、片づけができない人たちがむりやり片づけを始めようとすると、どのようなことが起こるのでしょうか。これは、実際に試してみればすぐにわかります。まず、いろいろな雑念が湧くなどして、片づけを始める態勢に自分を持ってゆくこと自体が、非常に難しいでしょう。それは、しなければいけない勉強や仕事の場合でも全く同じです。その時には、机に座るまでが大変ですが、それと同じように、片づけの場合も、ごみの山と向き合うまでに長い時間がかかります。努力の末、ようやく片づけを始める覚悟を決めても、今度は、別のことをしたい気持ちがきわめて強くなるかもしれません。テレビやビデオを見たくなったり、ゲームをしたくなったり、関係のない本や雑誌を読みたくなったり、横になりたくなったりするわけです。

 その誘惑をこらえて、むりに片づけようとすると、今度は反応が起こるようになります。頭痛や下痢や脱力などの身体症状が出るかもしれませんし、あくびが出たり、眠気が起こったりするかもしれません。ほとんどの人たちは、そのような反応が出る前にやめてしまうでしょうが、それでも強行しようとすると、反応はもっと強くなります。身動きができないほど脱力感が強くなったり、急速に眠ってしまったりするのです。これも、試してみればすぐにわかるでしょう。しかし、その努力をやめれば、そのような症状はたちどころに消えます。

 身体症状として、鼻水やかゆみや喘鳴などの、いわゆるアレルギー症状が出ることもあります。その場合にも、すみやかに出てすみやかに消えます。ところが、同じ片づけでも、誰かが訪ねて来るために、しかたなく片づけなければならない時には、比較的容易にできることが多いですし、そうした反応もまず出ません。そのようなアレルギー症状の場合、耳鼻科や皮膚科では、片づけの時に出るほこりや家ダニがアレルゲンだと言うかもしれませんが、そうではありません。実際に片づけを始める前から出ますし、迫られて、やむなく片づけている時には出ないからです。また、片づけをやめるとすみやかに消えることも、即時型アレルギーという生理学的概念では説明できません。

 このような症状は、“青木まりこ現象”の項で説明したように、自分が前向きになろうとするのを止める形で起こります。そして、これが幸福の否定の現われなのです。ストレスという外部からの刺激に耐え切れなくなった結果として心身症状が出るのではなく、自分の意識を幸福から遠ざける手段として、自分の無意識が症状を出したり引っ込めたりするわけです。このような見かたをすると、人間観が根本から変わってしまうことがわかるでしょう。“青木まりこ現象”の項で説明した、感情の演技という方法を通じて、幸福の否定を少しずつ弱めてゆけば、時間はかかりますが、さまざまな問題が自然に解消されるようになります。そして、その努力こそが、昔から修行として実践されてきた行為のエッセンスに当たるのではないか、と私は考えています。

参考文献

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