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日常生活の中で見られる抵抗や反応 5

 マリッジ・ブルーとは何か

性差別と性差

 性差別があることが問題なのはもちろんですが、だからといって男女間に性差がないわけではありません。つまり、性差別が解消されても、性差は残るわけです。極端なことを言えば、いつの時代になっても、男性は子どもを産むことができませんし、女性は一般に、男性と対等に力仕事をすることが難しいのです。なぜこのような当たり前のことを書くのかと言えば、性差別と性差を実際に混同する人たちが、依然として少なくないからです。

 いわゆる進歩的な人たちの中には、育児という仕事も父親と母親が等分に分担すべきだ、と考える人たちがあります。母親だけに育児を押しつけるのは不平等だというわけです。しかし、特に幼児の場合、それは、人間が生物であることや、子どもが母親を求めることを無視した、机上の空論と言わざるをえないでしょう。分担できる部分については、その主張は正しいかもしれませんが、父親が出産を代行できないのと同じように、育児にも父親が代行できない部分がかなりあります。しかもそれは、子どもにとって非常に重要な部分なのです。言うまでもないことですが、その中で一番大きいのは、子どもに対する母親の素直な愛情です。

 もちろん、それ以外の点でも、性差はさまざまな側面に現れます。たとえば、看護や介護の関係で言えば、看護師や介護福祉士の半数が男性になれば、病気の治癒率や心身の安定率が多少なりとも落ちるのではないかと思われます。このような仕事では、純粋な力仕事を除けば、男性は女性の補佐役になっていると言ったほうが事実に近いのではないでしょうか。そのこととも関係しますが、女性の場合、いわゆる母性本能があります。

 そのため、男性と女性では、関心の方向という点でも大きく異なります。今ではあまり見かけない光景になりましたが、たとえば電車の中で、となりの席に幼児を抱いた女性が座ったとすると、女性なら、中学生や高校生でも、その幼児にほほえみかけたりあやしたりするかもしれません。しかし、男性の場合は、どうでしょうか。孫がいるような年齢にでもならない限り、女性と同じことをするだけで、よほど気をつけないと、相手や周囲から警戒されてしまうでしょう。場合によっては(幼児よりも母親のほうに関心を持っているなどと勘違いされるため)異常者扱いすらされかねません。そのような感情や行動を見ると、歴然とした性差の存在を、心の中では誰でも承知していることがわかります。

 性差は、心因性疾患の発生率の差となって現れることもあります。よく知られているものとしては、吃音と小児自閉症があげられるでしょう。このふたつは、圧倒的に男性に多いのです。逆に女性に多い心因性疾患としては、昔で言うヒステリーの一部、現代風に言えば、解離性障害や多重人格障害があります。多重人格障害の場合、アメリカでは95パーセントまでが女性(しかも、白人女性)と言われているほどです。ただし、現代の専門家たちは、これらを “脳の疾患” と考える傾向にあります(註1)。もちろん、その方向の研究によって真の意味での原因が解明でき、その治療ができればよいのですが、現実にはそうではありません。前章でも述べた通り、真の解決とは、意識でわかった気になって満足することではなく、結果を伴うものでなければならないのです。

“マリッジ・ブルー” という現象

 先日(6月21日付)の『朝日新聞』朝刊に “マリッジ・ブルー” という現象を扱った記事が掲載されました。この種の現象は、かなり昔から知られていますが、このような名前がついているとは、この記事を見るまで知りませんでした。しかし、インターネットで検索したところ、たくさんの記述や体験報告のあることがわかりました。マリッジ・ブルーとは、要するに、結婚に関連して、心因性の症状が出る現象のことです。そして、その “罹患者” の圧倒的多数が女性なのです。朝日新聞の記事に登場する精神科医は、この現象について、「結婚という大きな選択をすることで、独身生活を続けられない寂しさや不安を抱いてしまい、不眠、食欲不振、過食など様々な状態になること」と説明しています。そして、この精神科医は、その原因を「独身時代に比べて時間やお金の自由がなくなるなどの不安からくるストレスの一種」と見ているそうです。これは、しろうとでも容易に考えつく、非常にわかりやすい理由です。しかし、本当にそうなのでしょうか。

 結婚に関連して、さまざまな症状が出るのは事実です。不眠、食欲不振、過食などの軽い症状ばかりではなく、アトピー性皮膚炎や喘息が初発あるいは再発した例もありますし、実際に精神分裂病が起こった例もあります。小説ではありますが、三浦綾子さんの「病めるときも」という作品で主人公の夫となる男性は、婚約した後に分裂病を発病し、さらに結婚式の最中に再発してしまいます。分裂病には限りませんが、現実にこのような経過を辿る例は少なくないので、三浦さんは、そうした見聞をもとに、この作品を書いたのかもしれません。

 ところで、もしこの精神科医の原因論が正しければ、見合い結婚の場合と、恋愛結婚の場合とでは、どちらで “マリッジ・ブルー ”が起こりやすいことになるでしょうか。あるいは、正式に結婚した場合と内縁関係の場合とではどうでしょうか。次に、このふたつの条件を分けて検討してみることにしましょう。

 まず、見合いと恋愛の場合の比較です。独身時代よりも時間とお金の自由がなくなるという点では、見合いであっても恋愛であっても同じです。したがって、“マリッジ・ブルー” の原因が、「独身時代に比べて時間やお金の自由がなくなる」ことに関係しているとすれば、見合いでも恋愛でも、同じ比率で発症しなければなりません。しかし、私の経験では、見合いよりも恋愛で結婚した時のほうが、“マリッジ・ブルー” ははるかに起こりやすいのです。そのことは、“マリッジ・ブルー” という現象が知られるようになったのが、恋愛結婚の比率が高くなった最近だという事実を考えてもわかるでしょう。また、もし見合い結婚で “マリッジ・ブルー” が起こるとすれば、婚約や結婚をした直後ではなく、結婚して半年くらい経ってからの場合が多いようです。

 次に結婚と内縁関係の違いです。もし先の原因論が正しければ、この場合も、両方が同じ結果になるはずです。しかし、私のこれまでの経験では、内縁関係で “マリッジ・ブルー” が起こる可能性は相当に低いと思います。それどころか、20年近くも内縁関係を続けてきた後、妻の求めに応じて入籍したとたんに、その妻が心身症を発症したという話を聞いたこともあります。また、ある作家夫婦は、結婚生活を続けているとさまざまな心身症が続くため、あえて離婚したうえで同居生活を続けているそうです。そうすると、他の条件が全く同じでも、実際に症状が軽くなるものなのです。このような事実を見ても、「独身時代に比べて時間やお金の自由がなくなる」ために “マリッジ・ブルー” が起こるという説明は、ほとんど成立しなくことがわかるでしょう。

“マリッジ・ブルー” の原因を探る

 先ほども述べたように、女性と男性では、関心という点でかなりの差があります。女性は、安定した生活を営むことに関心が強いのに対して、男性の場合は、生活の経済的基盤を整えることの他に、「ロマンを追い求める」などと言われるように、多少なりとも創造的、冒険的なことに関心が強いのです。

 その違いの重要なもののひとつが、恋愛や結婚に関係するものです。多くの女性は、小さい頃から(場合によっては1、2歳の頃から)、人に教えられなくても人形遊び(つまり、その人形を自分の子どもに見立てて世話するまねごと)をし、早い場合には幼稚園くらいの年齢になると、花嫁にあこがれるようになります。しかし、人形で遊んだり「花婿にあこがれ」たりする男性は、ほとんどいないでしょう。この事実からもわかりますが、多くの男性は、女性ほど結婚そのものを人生の重大事にしているわけではありません。正確に言えば、結婚生活を人生の重大事にしているとしても、女性の場合とは意味が違うのです。たとえば、 <一人前の人間としての自分> という点に焦点があるわけです。

 そのため、恋愛、結婚、出産、育児という、人類が存続するために必要不可欠な一連の行為や、それに伴う感情に対しては、女性のほうが、男性よりもはるかに強い関心を寄せることになります。有名なマラソン・コーチが新聞に書いていた興味深い話を読んだことがあります。男性ランナーの場合には、恋愛や結婚は、むしろ成績を上げる役割を果たすのに対して、女性ランナーは、それとは全く違う反応を示すことが少なくないのだそうです。つまり、マラソンに熱が入らなくなってしまったり、極端な場合には、どうでもよくなってしまったりするというのです。

 そのような事情から、幸福否定のため結婚や出産や育児に抵抗を示す女性はたくさんいますが、結婚や育児に抵抗する(つまり、それが嫌いだからではなく、好きだから抵抗する)男性はあまりいません。もちろん、何ごとにも例外はありますから、結婚や育児に際して何らかの心因性症状を示す男性もいないわけではありません(ただし、そのほとんどは、女性の場合とは異質の原因によるものでしょう)。

 そのような背景を考えるとわかるでしょうが、一番好きな異性と一緒にいるのを苦痛に感じる女性はたくさんいます。たとえば、30代のある女性は、高校生の時、ひそかに憧れていた男の同級生と、運よく隣の席になりました。ところが、遠くから見ている時にはよかったのですが、いざ近くに来られてしまうと、緊張が収まらなくなってしまったのです。そして、絶えず心臓が高鳴って苦痛がひどくなったため、担任に頼んで席を替えてもらったそうです。勉強どころではなくなってしまったわけです。男性の場合には、同じような状況でも、これほどのことにはならないのではないでしょうか。

 20代後半の女性は、ある男性と結婚を念頭に置いて交際を続けていました。ところが、その男性から結婚を申し込まれたらどうするかと私が質問したところ、間髪を入れず、「まず断ります」と答えたのです。素直に反応できないわけです。ここに幸福の否定に基づく抵抗が、はっきり見て取れるでしょう。自分が希望する方向へ事態が展開してくると、いわゆる無意識のうちに、それを避けようとするのです。

 また、20代半ばのある女性は、恋愛関係にあった男性と婚約し、相手の自宅を初めて訪れて、家族に紹介されました。ところが、その直後から、頻繁に下痢が起こるようになったのです。特に、その男性と会うと、確実に下痢が起こるのでした。その後、親しくなった婚約者の姉と一緒にどこかに出かけた時にも、下痢が悪化しています。つまり、この男性の家族と親しくなるにつれて、心因性の症状が強く出るようになったのです。そのため、私の勤務先の病院に入院してきたのでした。この女性にとっては、婚約者が面会に来ることが恐怖でした。婚約者が病院に来る日時がわかっている場合には、その前の晩から症状が出始め、当日の朝に悪化し、面会中にはさらにひどくなりました。そのことが経験的にわかっているため、本人にとって婚約者の面会は、苦痛以外の何ものでもなかったのです。

 一方、この女性には、ふつうのボーイフレンドもいましたが、その男性と会う時には、苦痛があるどころか、それまでの症状が一掃されてしまいます。そのため、意識の上では、この男性の方が本当は好きなのではないかと思っていたそうです。そして、下痢という症状は、婚約者が本当は好きなわけではないことを神様が教えてくれている証拠なのではないかと思い、婚約者との結婚を無期延期することも考えたのでした。この女性の場合、婚約を解消するまでにはなりませんでしたが、実際に解消する人たちもあります。

 このような例からも推定できるでしょうが、特に相手からの愛情を否定する傾向の強い人の場合には、その相手と一緒にいるとかえって苦痛を感じたり、何らかの身体症状が出たりするため、一番好きな人と結婚するのは難しくなります。その結果、結婚相手に2番目か3番目の相手を選ぶこともあります。実際にはその方が、意識の上では居心地がよく、心因性の症状を含め、問題が起こりにくいことが多いのです。しかし、これは、表面とは裏腹に、本当の意味で不幸ということなのではないでしょうか。ところが、愛情否定の強い人たちは、最も愛情の深い相手と結婚すると、心因性の症状に悩まされることになるわけです。そればかりか、家庭内暴力など、さまざまな悲劇が生まれることさえあります。

 興味深い例では、先ほど紹介した作家夫婦のように、最愛の相手とあえて別居や離婚をして、その後、距離を置いて仲よく交際を続ける夫婦や元夫婦もいます。その中には、同居していた時よりも仲むつまじくなる人たちも実際にいます。また、同居はしないものの、別居中でも旅行になら一緒に行く例もあります。しかし、復縁すると同じことになってしまう場合がほとんどのようです。

 一連の事例を見てくると自然にわかるでしょうが、女性の場合は、恋愛や結婚、出産、育児が自分にとって幸福だからこそ、それに対して強い抵抗を示すことになるわけです。“マリッジ・ブルー” を扱う本章では、恋愛と結婚の部分だけを取りあげました。しかし、この脈絡で考えると、出産や出産に関連して起こる出来事の喜びの否定によって起こる心因性の症状は、“マタニティー・ブルー” と総称される現象として現れることが推測できるでしょう。また、育児の喜びの否定に関係する症状は、育児ノイローゼや幼児虐待、育児拒否などの形を取って現れることもわかるのはないでしょうか。“マタニティー・ブルー” については、次章で詳しく書くことにします。

“マリッジ・ブルー” への対応

 先の『朝日新聞』の記事によると、“マリッジ・ブルー” のほとんどは、結婚すれば自然に解消するそうです。問題は、解消しない場合にはどうすればよいかです。その記事では、次の3通りの方法を勧めています。

 このような方法で問題が解消すれば、それこそ問題はありません。これでは、気持を逸らせるだけで、根本的な解決策にはならないでしょう。逆に、「旅行や買い物で気分転換」をしようとすると、必要のない高額商品を買ってしまうなど、そちらのほうで問題を起こす場合もあります。それは、結婚による自分の幸福に水を差そうという、非常に強い意志が働いているからです。

 しかし、ひとことで言えば、その意志が非常に強いとはいえ、結婚による幸福を意識で感じないようにしているだけのことですから、その幸福心を意識に引き出せばよいことになります。具体的には、「青木まりこ現象」の章の最後に紹介している 〈感情の演技〉をするのが一番の近道でしょう。たとえば、「結婚してうれしい」という感情をむりやり作る努力を重ねるのです。あるいは、「結婚してうれしい」という言葉を繰り返すだけでもよいでしょう。結婚による幸福心を意識で見ないようにしているわけですから、そこにむりやり意識を向ければよいということです。ただし、やってみるとわかりますが、これは、さまざまな反応が出て大変に苦痛です。しかし、それを繰り返すことができさえすれば、いつのまにか問題が次第に解消して行くはずです。問題は、それが繰り返せないところにあります。それが、このような問題を独力で解消するのが難しい真の理由なのです。

[註1] たとえば多重人格障害を脳内の変化で説明するのであれば、震源地のアメリカですら、1970年以前には稀にしかなかったのに、その後、爆発的に増えた理由も、発症率の性差とともに、脳内の変化によって実証的に説明できなければなりません。

参考文献

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Copyright 2008−2018 © by 笠原敏雄 | last modified on 18/10/25