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日常生活の中で見られる抵抗や反応 6

 マタニティー・ブルー

幸福であるはずの中で起こる症状の好例

 妊娠や出産に関連して、さまざまな問題が起こることは、昔からよく知られた事実です。また、妊娠中よりも出産直後に発生する問題のほうが、はるかに多岐にわたるし規模が大きいことも、よく知られています。そのうちのひとつは、身体的な問題です。昔は、出産後まもなく死亡する女性が多かったこともあって、女性にとって出産はまさに命がけでした。しかし、最近では、幸いなことに衛生思想や医療技術の発達のおかげで、そのような心配は非常に少なくなりました。

 もうひとつは心理的な問題です。精神科関係者の間では、昔から、妊娠中はほとんど問題は起こらないが、出産直後は非常に危ない、と言われてきました。そのような危惧があるのは、そうした経過が現実に観察されてきたためです。事実、精神病を持っている人たちの場合、発病以降の産褥期(出産してから次の生理が始まるまでの6-8週)での再発率は、日本の場合40パーセント以上(『新版精神医学事典』〔弘文堂〕273ページ)です。しかし、欧米ではそれ以上の高率にのぼり、イギリスでは、87パーセントという驚くべき調査結果もあるほどです(Garfield, et al., 2004)。これは、とうてい無視できる数字ではありません。ここには、当然大きな意味があるはずです。問題は、この産褥精神病が、一般に言われているようにホルモンのバランスが崩れるなどの生理的要因によるのか、それとも心理的原因によるものなのか、ということです。

 精神病も含め、産褥期に起こる精神障害は、漠然と “産褥期精神障害” と呼ばれます。そこで想定されている病気には、躁うつ病や分裂病といった精神病群ばかりでなく、うつ状態や心気症や神経症といったノイローゼ群も含まれます。したがって、本章のテーマのマタニティー・ブルーは、広い意味で “産褥期精神障害” のひとつということになります。“産褥期精神障害” という用語は、「不正確」だとして避けられる傾向にあります[註1]が、心理的原因の理解という点を考えると、このような形でまとめることには大きな意味があります。

 ついでながら、欧米では、出産後まもなく起こるうつ状態を “ベビー・ブルー” と呼んで、マタニティ・ブルーと区別することもあります。いずれにしても、このふたつの “診断” はかなり恣意的なものですから、厳密に区別することはできません。また、産褥期には、パニック障害や強迫症状が起こることも知られています。要するに、この時期には、他の時期よりもはるかに多彩な症状や病気が、はるかに頻繁に起こりやすいということです。

 ところで、前章のテーマのマリッジ・ブルーは専門用語ではありませんが、本章のテーマのマタニティー・ブルー(あるいは “マタニティー・ブルーズ”)は、心身医学事典や精神医学事典にも載っている “正式” な用語です。それによると、その症状としては、情緒過敏、不眠、精神的混乱、焦燥、疲労感、抑うつ気分、悲観、自殺念慮、育児への無関心などがあるそうです(『心身医学用語事典』〔医学書院〕208ページ)。また、ある精神医学事典では、次のように説明されています。

 分娩後3〜5日を頂点とし10日頃までに生じる軽症一過性の主に情動の混乱。理由もない涙もろさが代表的症状。臨床症候群を成すほど重症でなく、大部分数時間から2〜3日で自然消失する。……出現頻度は欧米で30〜50%、わが国は5〜15%と低い。(『新版精神医学事典』〔弘文堂〕742ページ)

 定義や調査法にもよるのでしょうが、欧米での出現頻度が「30〜50パーセント」は、たぶん何かのまちがいで、実際には10-20パーセント(たとえば、Clay & Seehusen, 2004)と、日本とあまり変わらないようです。いずれにしても、マタニティー・ブルーもふつうは軽症で短期間のうちに終わるものであり、実際に問題になるのはごく一部ということになります。確かに、私の経験を振り返っても、かつてマタニティー・ブルーがあったという女性はたくさんいましたが、その治療のために心理療法を受けた女性はあまりいませんでした。ですから、実際に治療が必要なほど強いうつ状態になる例は比較的少ないということなのでしょう。

 ついでながらふれておきますと、精神障害の発病状況の研究から、特にうつ病の場合、「結婚、出産、就職、昇進、家の新築」という、「長年の期待のかなえられた、喜ばしい」出来事に関係して起こりやすいことは、精神医学内部でも知られています(『精神医学事典』〔講談社〕377ページ)。この視点から見れば、マタニティー・ブルーは、出産という喜ばしい出来事に関係して起こったうつ状態ということになります。

マタニティー・ブルーという症候群

 ごく最近になって少子高齢化が問題になり、人口の減少が近いうちに起こることがはっきりしてきました。それまでは、日本でも、生涯出産率がかなり高い時代が続きました。第二次大戦後まもない頃に生まれた私の世代ですら、3、4人の兄弟はごくふつうで、5人以上の兄弟もそれほど珍しくありませんでした。私の親の世代では、経済的に貧しかったにもかかわらず、10人以上の兄弟がいる家庭も稀ではなかったようです。もちろん、現代とはいろいろな点で違うので、単純な比較は難しいですが、身体的、心理的負担や “ストレス” は、今よりもはるかに大きかったはずです。しかし、マタニティ・ブルーに相当するような症状が問題になることは、ほとんどなかったのではないでしょうか。

 ここで、マタニティ・ブルーの原因を探る場合に注意しなければならない問題点を指摘しておきます。先ほどの定義を見てもわかりますが、マタニティ・ブルーとは、要するに、精神病やその他のはっきり診断できる疾患を除いた、産褥期に起こる、うつ状態を中心とした比較的軽い心身の異常を指して使われる言葉です。したがって、産褥期に起こるという条件でまとめられただけの疾患群なので、同じような症状を示しても、その原因が同じかどうかはわからないということです。

 前章まで読んでこられた方はおわかりになるでしょうが、心理的原因による症状というものは非常に正確に出て、非常に正確に引っ込みます。本人の内心が必要に応じて出したり引っ込めたりするため、決してでたらめに出ることはないのです。この特性を利用すれば、心理的原因が突き止めやすくなります。この方向からの探りかたについては、後ほど説明します。

 その方向とは別に、この原因を突き止める場合のひとつのヒントになるのは、マタニティー・ブルーになる女性は、あるいは少なくともマタニティー・ブルーに陥っている間は、その赤ちゃんをどう思っているかです。女性にとって出産は人生における最大級の出来事で、特に最近のように、ひとりの女性が生涯に出産する子どもの数(生涯出産率)が1.3人程度と非常に少なくなっている時代には、5人も6人も生むのがふつうだった時代と比べると、出産の喜びはさらに大きいはずでしょう。マタニティー・ブルーとは、要するに、一生の中で最高の喜びがあるはずの時に、それとは正反対のうつ状態に陥っているということなのです。

 このような考えかたに対しては、やはりというべきか、次のような反論があります。「赤ちゃんを産むのはすばらしい経験だと、誰もが信じているし、その日を楽しみに待っている。赤ちゃんを産んだあとが人生でいちばんしあわせなときだという神話は、私たちみんなのなかにある」(クレイマン、ラスキン、1996年、20ページ)。マタニティー・ブルーになった、あるいはその状態から抜け出せない一因は、そのような “神話” にとらわれたことにあるということのようです。確かに、本人の意識だけを見る限り、そういう考えかたも成立するかもしれません。しかし、幸福否定という考えかたに立つと、その人は本心(つまり、心の底にある素直な気持ち)ではどう考えているのかが問題になるわけです。

 もうひとつのヒントは、他にも子どもがいる場合、他の子どもを出産した時には、マタニティ・ブルーが起こったかどうかを見ることです。私の経験では、最初の子どもの時には起こりやすく、2番目以降の子どもの場合には比較的起こりにくいようです。極端な場合には、第1子と比べると、第2子の時には大変さが10分の1くらいしかなかった、と言った女性もいます。第2子を育てる時、この女性は、子どもを育てるのはこんなに簡単でうれしいことなのか、と思ったそうです。このような例を見ると、なぜ第1子の時にマタニティ・ブルーが起こりやすいのかを説明できる理由が、その原因に関係していることが推定されます。

 もしそうなら、マタニティ・ブルーの原因は、産褥精神病とは何らかの点で異質なものらしいことがわかります。産褥精神病の場合には、先ほど述べたように、再発率がきわめて高いことが知られているからです。産褥精神病にしても、全例が同じ原因でおこるわけではないでしょうから、マタニティ・ブルーの原因とはすべて異質だと言うことは、もちろんできません。

 また、出産経験のない女性でも、養子をもらうことでマタニティ・ブルーになる例もあるそうです。この場合、その子が生後何ヵ月、あるいは何歳の時に養子に来たのか、どの時点でマタニティ・ブルーになったのかなど、詳しいことがわからなければ、正確に原因を探るのが難しくなります。

 男性でも、少ないながら “マタニティ・ブルー” が起こるとすれば、その場合の症状は心理的原因を考えるしかありません[註2]。ついでながら、マタニティ・ブルーとは違いますが、詩人の中原中也は、次男が生まれたことに明らかに関係して精神病状態に陥っています(『希求の詩人・中原中也』)。また、中也が傾倒した、フランスの高踏派詩人として有名なポール・ヴェルレーヌは、妻の出産直前から妻に暴力をふるい始め[註3]、生まれた長男にも全く関心を示さず、生後3ヵ月の時には、何とその長男を壁に投げつけるという狂態を演じています。一方、中也の日記によれば、中也の親友だった評論家の小林秀雄は、長女が生まれた日に、ひとりで旅行に出かけてしまったそうです。

マタニティー・ブルーの原因を考える

 マタニティー・ブルーが心理的原因によるものか、それとも身体的原因によるものかをはっきりさせるには、実際に心理的原因を探ってみて、それによって症状に変化が起こるかどうかを確かめるという方法が、一番理に適っているようです。現段階では、身体的原因が突き止められているわけではないからです。したがって、ここでは、心理的原因を想定したうえで、検討を進めることにします。

 第4章(「心理的原因を探る」)に書いておいたように、心理的原因というものは、時間的に見て非常に精密な出かたをするものです。その方向から見ると、マタニティ・ブルーと総称されている症候群は、さまざまな原因で起こるらしいことが推定されます。ところで、人生には節目というべきものがたくさんあります。また、それらの節目に関係して、いろいろな出来事が起こるものです。出産や育児について言えば、いくつかの節目とそれに関係して起こる出来事としては、おおよそ次のようなものがあります。

 心理的原因を探る場合、最初に注意しなければならないのは、第4章に明記しておいた、心理的原因に関係する出来事の記憶が必ず消えているということです。逆に言えば、自分がこれだと思うものは絶対に違っているということです。症状を消すために心理的原因を探るのですから、これが原因に決まっていると主張しても、自分の意識を説得する以上の意味はありません。特に初心者の場合には、原因を独力で見つけ出すことはほとんど不可能です。それくらい難しいということを、まず念頭に置かなければなりません。

 もうひとつは、反応を見ながら原因を探ることです。外から見てわかりやすい反応は、生あくびの頻発や眠気でしょう。あるいは気持ちが悪くなったり、頭痛や腹痛が起こったりなどの身体的変化が起こることもあります。反応の場合、話をそらせればすぐに消えるので、その確認は簡単です。また、反応の場合には、その時だけにしか出ませんので、“後遺症” を心配する必要もありません。

 また、幸福の否定から症状が出るわけですから、意識でうれしさが感じられるようなら、それは原因ではありません。あくまで、(1)症状出現の直前にあった出来事で、(2)記憶が消えており、(3)その記憶が出てくるときに反応が起こり、(4)その記憶が蘇っても、本来はうれしいことのはずなのにうれしくない、という条件をそろえたものでなければ、心理的原因ではないのです。

 話を戻しますと、もっと細かく見れば、出産後にはもっといろいろな変化や出来事があるでしょう。たとえば、「子どもが言葉を話す」にしても、初めて「ママ」と言ったとか、曲がりなりにも対話らしいものができるようになったとか、二語文を話すようになったとかの、さまざまな段階があります。これらはすべてうれしいはずの出来事です。ところが、その時点でマタニティ・ブルーに陥っている母親の場合には、どれもうれしくないことでしょう。これは、本人にとっても子どもにとっても、マタニティ・ブルーの症状以上に、とても残念なことなのではないでしょうか。

 心理的原因とその結果としての症状が時間的に近接していることから、マタニティ・ブルーの症状がいつ出たかによって、その原因に関係する出来事がある程度絞れます。子どもが生まれた直後であれば、子どもが生まれたこと自体のうれしさが原因になっている可能性が高いでしょう。それから数時間後であれば、初めての授乳や家族との対面などがその原因に関係しているのかもしれません。

 また、遠方の実家に戻って出産していたとすれば、夫が初めて病院に来た時に症状が出やすいでしょう。その場合には、夫が病院に来てくれたこと自体の記憶が不鮮明になっているかもしれません。

 また、退院当日に起こったとすれば、やはり症状出現の直前にあった出来事を、主として、家族との関係の中から探します。まだ退院する前であれば、その時に感じられた夫の愛情などが関係しているのかもしれません。退院して自宅に向かう時であれば、自分が産んだ子どもをつれて初めて自宅に戻ることによるうれしさが関係している可能性が考えられます。

 細かく説明するときりがないので、ここまでにしますが、わかりやすい事例を1例だけ紹介しておきます。マタニティ・ブルーに陥っていた女性が、わが子を虐待した例なので、本章のテーマからは少々外れますが、心理的原因というものを理解するのには、格好の実例だと思います。この女性は、20代後半で長男を出産しました。そして、長男が1歳になる少し前から “虐待” するようになりました。もちろん、それからは、おむつを替えることも、子どもが夜泣きした時に世話をすることもほとんどなくなりました。ある時、鎮まりかけていた虐待がひどくなりました。

 たまたま心理療法に来た、同居している祖母(その女性の実母)から経過を聞くと、それは、長男が初めてひとりで立った直後だということでした。そこで私は、祖母を通じて、そのことと虐待の関係を本人に指摘しました。ところが、数日後、夫とともに私の心理療法に来た本人は、祖母から聞かされたその指摘を、その直後から完全に忘れていたことがわかったのです。

 この時、本人と一緒に来た夫に確認すると、新しい事実がわかりました。夫は、長男が初めて立ち上がった場面がたまたま録画できたので、その現場を見逃した妻に、ビデオを見るように勧めたのだそうです。ところが、本人はそれを拒否し、その直後から長男に対する本人の虐待がひどくなったということでした。この女性は、ビデオのことも、虐待がひどくなる前に長男がひとりで立ち上がったこともほとんど覚えていませんでした。しかし、再指摘された後には、子どもに対する虐待は、いったんほとんど収まったようです。この経過からすると、長男がひとりで立ち上がるという、長男の成長ぶりが自分にはっきりわかったことによるうれしさの否定が、この時の虐待の原因になっていることが推定されます。

 このような場合には、「長男がひとりで立ってうれしい」か、「長男が着々と成長していることがわかってうれしい」という感情の演技をすればよいことになります。そして、その感情の演技で、感情が作れず、反応がはっきり出れば、その原因が確定されたと考えることができます。

 最後に、第1子の時にマタニティー・ブルーが起こりやすい理由について簡単にふれておきます。幸福の否定という観点からすれば、よりうれしい時に、そのうれしさの否定が起こり、症状が出やすくなるはずです。そこで、出生順位とうれしさの関係を考えると、ふつうには第1子が一番待ち望まれていたはずで、したがって、そのうれしさも否定されやすくなります。例外は、障害を持って生まれたなどの、いわゆる不憫な子どもです。その場合には、その子が生まれた時のほうが症状が強く出るかもしれません。また、この仕組みは、幼児虐待にもそのまま当てはまります。第1子が一番虐待されやすいということです。

その後の問題

 子どもが少し大きくなっても、「子どもの夏休みは恐怖」と言う母親はかなりたくさんいるものです。夏休みになると、子どもと過ごす時間が増えるため、それが苦痛だというのです。この場合、自宅から外に出ると、子どもと一緒でも苦痛は和らぐことが多いようです。しかし、また自宅に戻るのは恐怖ですし、雨の日は外出が難しいので、もっと大変です。しかし、このような母親は、実は、「子どもと一緒に自宅にいてうれしい」と本心では思っているということです。子どもに勉強を教えるのが苦痛だという母親も多いのですが、これについては、もはや説明するまでもないでしょう。

 その後も、育児に関係して、さまざまな節目があります。子どもの幼稚園入園、小学校の入学、中学校の入学、高校の受験と入学、大学受験と入学、卒業と就職、恋愛と結婚などです。母親から見て、この中で比較的大きいのは、小学校の入学、就職、結婚でしょう。こういう節目にも心因性の症状がかなり出やすいのですが、これらに対しては、マタニティー・ブルーではなく、別の診断名がつけられます。その理由については、既におわかりいただけると思います。

[註1]ここで、正確な診断とは何かという問題があります。診断は、そもそも治療のためにつけるわけですから、正確な診断とは、治療をするのに最も役立つ診断ということです。ところが、現在の精神科は、“正確な診断” を下すことに意味があるような状況ではありません。
[註2]ごく一部の男性には、擬娩という現象も起こります。妻の出産に際して、同じような心身の状態に陥るのです。妻から離れていて現状を知らなくても、予定日がわかっていればそれだけで、その日に擬娩が起こる例もあるようです。
[註3]これには、おそらくアルチュール・ランボウの到来が関係しています。

参考文献

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