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心理療法随想 1

 精神科病院での経験

 コンラート・ローレンツとニコ・ティンベルヘンの研究に引かれていた私は、大学を卒業した翌年の1971年、春先のニホンザル観察に続いて、夏に3週間ほど、北海道の天売島で鳥の観察をしていた。その頃の天売島では、まだ数多くのウミガラスやケイマフリが営巣しており、今となっては信じがたいことであろうが、港の防波堤を歩くと、漁網にかかって溺死した、おびただしい数のウトウやウミガラスやケイマフリが、漁船から投棄され、海面に浮かんでいるのを目にすることができた。翌72年春、それまでアルバイトで勤めていた八王子の精神科病院が廃院になったのを契機に、鳥類の行動観察を目指して北海道に渡った。比較行動学的な観察をしばらく続けようと、漠然と考えたためである。そして、小樽市のある精神科病院に就職したが、片手間に勤めたはずのその病院で、まもなく私は、動物観察から人間観察へと、大きく方向転換を迫られることになった。

 自閉症児研究会で親しくしていた、大学の心理学科の1年先輩に当たる片桐充さん(中尾ハジメ。元京都精華大学学長)からその存在を知らされたアーサー・ケストラーの影響も、その一方で受けていた私は、行動主義心理学やネオ・ダーウィニズムとは対極的な立場に立つようになっていたため、ネオ・ダーウィニストらしきローレンツとは、思想的には別の陣営に属していた。

 その精神科病院では、精力的にシステム改革を進めようとしていた、まだ三十代の院長の方針のおかげで、当時としては先進的な「心理科」に所属し、かなり自由に活動することが許されていた。既にタブーとなりつつあった、小坂英世先生の創始になる精神分裂病の心理療法(小坂療法)を、6年近くもの間、大変な迷惑をかけつつ院内で実践し続けることができたのも、ひとえにこの院長のおかげであった。

 この病院では、他にも、貴重な経験を数多く積むことができた。その中で、よきにつけ悪しきにつけ、職員からも患者からも、直接間接に、たくさんのことを教えられた。電撃療法や薬物療法を長年にわたって受け続けても、幻覚妄想や異常行動の消えない分裂病患者は決して珍しくないこと、それでも分裂病の治療法は、事実上他に存在しないこと、長期入院者の場合には、口では退院を希望しながら、実際に退院を迫られると強い拒絶をする患者がほとんどであること、アルコール依存症の患者は、長期にわたって(極端な場合には20年近く)入院していても、特に飲酒を渇望するわけではないが、それでいながら退院するとすぐ元に戻ってしまうこと、神経症患者に対しても、ほとんどの場合、心理療法ではなく薬物療法で対応していることなど、精神科の一般的知識も身についたが、薬物の投与が続けられている入院中の分裂病患者でも、時おり再発を起こし、それは、自宅での外泊中や家族の面会の直後に比較的多く見られること、分裂病患者の場合には、たとえば結婚して両親と別居していても、受診に際して配偶者ばかりか親まで付き添って来ることが多いのに対して、躁うつ病患者の場合には、結婚していれば、多くは配偶者しか来ないこと、アルコール依存症は、大酒家とはさまざまな点で異なっており、意志が弱いどころか、逆に自滅の意志が強く働いていることなども、経験的にわかるようになった。

精神科での臨床経験

 分裂病の再発は、きわめて間遠な場合があることも、実例を通じて学ぶことができた。分裂病で入院した弟に付き添って来た女性に、ソーシャル・ワーカーと一緒に話を聞いている時、この女性は、「実は私も、20年ほど前、分裂病でこの病院に入院したことがあるんです」と驚くべきことを口にした。結婚しているこの女性は、ふつうの生活を営んでいるようであったし、特に変わった徴候も見られなかったので、私たちは耳を疑った。探してみると、幸い、倉庫から古いカルテが見つかった。それによると、確かにこの女性は、20年前の19歳の時に、分裂病の診断で入院していたのである。私は、誤診ではないかと思った。ところが、それからまもなく、今度は何とその女性自身が、典型的とも言える分裂病を再発させて入院してきた。まさしく20年ぶりの再発となったわけである。

 分裂病患者の母親たちに見られる驚くべき特徴も、数多くの実例により教えられた。それまで、家族研究の文献などから、分裂病の母親の心理的傾向はある程度承知していたが、観念的に理解していても、現実の母親たちに直面すると、驚かされることが多かった。ある母親は、二十代半ばの分裂病の娘を、どうせろくに働かないだろうから、給料分のお金は払うので、それを本人に給料として渡してほしいと頼み込んで、福祉施設に勤めさせていたし、また、ある母親は、やはり二十代半ばの息子に徹底的に手を差し延べ、「私が生きてる間だけかわいがれればいいんです」と、私たちの前で平然と言ってのけ、私たちを仰天させた。

 司法精神鑑定の鑑定助手も、何度か務めたことがあった。興味深い例が多かったが、その中でも印象に残っているのは、畑の中の一軒家に妻と一緒にいる時、アルコール性の譫妄状態に陥り、追跡者に家の回りを囲まれたという迫害妄想から、燃え盛る石油ストーブに灯油をかけ、自宅を全焼させた結果、妻が焼死したアルコール依存症の男性の証言である。それによると、家が燃え始めたため、あわてて外に逃げたら、その瞬間に譫妄状態から抜け出したというのである。

精神科医の観察

 最初の頃、私は、経験豊富な医師の外来診察に時おり同席させてもらっていた。ある時、分裂病で入院している妻の面会に訪れた男性が、自分にも神経症があるとして、外来で診察を受けた。学校の教師をしていた三十代のその男性は、医師の問診に対して、「学級経営がうまくいかない」と訴えた。短い診察を終え、処方を書いてその患者を送り出した医師は、いつも通り私に講義をしてくれた。今の患者は、かつて軽い初発をして現在は寛解状態にある分裂病であろう。表情が硬いことに加えて、“学級経営”などという奇妙な“言語新作”をしたことがその証拠である。その説明を聞いた私は、しろうとには見えない病変をレントゲン・フィルムから鋭く読み取るように、経験の長い医師は、心の隠された本質も、わずかな手がかりからみごとに探り出すものであると、その慧眼に感服した。無知な私が、“学級経営”という専門用語の存在を知ったのは、それから数年後のことである。

 まもなく行なうようになった小坂療法との関連でも、医師たちとの間で、何度か興味深い経験をした。ある医師は、家族の依頼で分裂病と思しき新患の家庭を訪問する際、何度か私を同行させ、かなり自由にふるまわさせてくれた。懐の深いこの医師の見守る前で、私は、何人かの患者とやりとりし、短い時間の中で運よく心理的原因が探り当てられたことが一度だけあった。その瞬間、それまで1週間ほど続いていた患者の幻覚妄想や異常行動が消失した。その結果、この患者は入院の必要がなくなり、外来で心理療法を受けるようになった。

 ある病棟に、長年、薬物療法を受けながら、首を横に傾けた独特の姿勢で、表情を硬くして廊下を急ぎ足で機械的に往復し続ける長期入院の分裂病患者がいた。この男性は、話しかけても硬い表情のままで、会話もあまり成立しなかった。しばらくして、この患者の様子がまったく違って見えることに気がついた。ロボットのごとく廊下を歩くこともせず、落ち着いた状態で柔和な表情を浮かべ、デイルームの椅子に腰かけているのである。話しかけても身構えることなく、会話も比較的ふつうに成立した。常同行動を持つ、半ば慢性化した患者に、このような変化が突然起こった事実に驚いた私は、患者のカルテを調べてみた。すると、家庭訪問に私を同行してくれていた医師が、この患者と時間をかけた面接を行ない、患者から発病前後の状況を含め、生活歴を細かく聞き出していたことが判明したのである。おそらく、その中で、何らかの心理的原因が患者の意識に浮かび上がったのであろう。1、2時間の面接をしただけで、そのような慢性的症状が急速に消えるはずはないからである。

 それまで長年にわたって常同行動を続けてきた患者が、わずか1回の面接により、それをやめ、リラックスした表情で椅子に座っていられるようになった。これは、まさに劇的な好転の実例と言える。しかし、この医師は、患者の好転を喜ぶ様子も見せず、その後、こうした面接をやめてしまったのである。

 ある時、長期入院中の分裂病患者が院内で再発し、緊張性昏迷に陥った。これは、外界の刺激にまったく反応しなくなるとされる状態である。しかし、その直前に家族の面会はなかった。その患者に関係して院内で発生した出来事を探っている中で、ある看護婦から、病棟の図書係になるよう本人に勧めた直後に昏迷に陥ったらしいという情報を得た。時間的な近接性と内容とから判断して、おそらくそれが、昏迷の原因であろう。そこで一計を案じ、私の面接に、熱心な若手の精神科医を同席させることにした。その患者の昏迷状態が一瞬のうちに解ける場面を見れば、それまで分裂病の心理療法に懐疑的であった精神科医も、さすがにある程度は納得するのではないかと期待したからである。

 病室のベッドでの面接の前に、その医師に、患者をあらためて診察してもらった。医師は、患者の見開いた眼の前で手を振るなど、型通りの診察をして、「昏迷にまちがいありません」と言った。「大丈夫ですか」という私の念押しにも、自信を持って肯定してくれた。そこで私は、看護婦から聞いた話をそのまま患者に伝えた。「図書係になるように勧められたら、そうなったらしいね」と2、3回繰り返したところ、それだけで患者は、まばたきを始め、涙を流し、まもなく昏迷から抜け出した。わずか数分の出来事であった。言葉をひとことかけられただけで、数日にわたって続けてきた、何ごとにも反応しないとされる状態から、患者が一瞬のうちに抜け出した場面を目の当たりにした医師は、しかし、「昏迷という診断がまちがっていた」として、あっさり前言を翻したのである。

 この連載では、心の専門家たちの不思議な行動が包み隠さず紹介される。もとより、それは、心の専門家たちを揶揄するためではない。心の専門家の周辺では、人間の心を対象にした仕事をしていながら、その本質を教えてくれそうな興味深い観察事実をあえて無視するかのごとき行動が繰り返し観察される。ここでは、それらを客観的に眺めることにより、そうした回避が偶然に起こっているのではなく、ある種の法則に従って目的的に行なわれているらしいことを明らかにしたい。そのような観察事実も、心の本質を解明する重要な糸口になりうると考えるからである。

参考文献

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Copyright 1996-2011 © by 笠原敏雄 | last modified on 3/10/2011