かつてのだめなひと


   Topへ戻る  2001年5月 



本日の一羽

パン好きのゾウを堪能したあとは、30分後に給餌が始まる大型ネコのオリへゆく。

SF Zooには、ライオン、シベリア・トラ、スマトラ・トラがいて、ライオンとスマトラ・トラに「Meet the keepers」の看板があった。

どちらも日本だとゾウがいるくらいの大きな空間に飼われていた。灌木が植えられてあったりして動物の居所によってはよくみえなかったりする。

正直いってこのごろは動物が見えにくい方が面白いと思う。じっと待っているとのそのそでてきたり、訪れたときによって見えたり見えなかったりするのが『動物をみる』ということのような気がするのだ*。小さな子どもを連れて行った日には「みえな〜い!」とかいって泣き叫んだりするかもしれないけれど。
 

さて、実はトラの方は裏側にまわるとガラス越しにすぐ近くで見られるようになっていたので、そこで給餌時間を待っていると、飼育員のおばさんが撲殺されたばかりの白ウサギを一羽ぶら下げてやってきた。

飼育員のおばさんが、ウサギを大きな石の上に置いて戻ると、どこからか(多分、別室に入れられていたのだろう)トラがのそのそと現れた。

トラはウサギの頭をくわえると、ぶるん、ぶるんと振り回す。彼女は動物園で生まれたとのことなので狩り経験はないはずなのに、ちゃんとウサギの首を折っている。そして、ウサギの首が折れたのを確認すると、それを石の上に置き、自分も横になって頭からガシガシと食べ始めた。

「ウワッ、ウワッ」って喜ぶ男の子。
「きゃー、みるに耐えないわ」って顔を背けるおねいさん。
「動物は他の動物をたべていきているのよ」と子どもに話しかけるお母さん。
「私たちが牛を食べるようなものね」とかいっているおばさん。
だまってトラをみつめるだめぞう。

最初は15人くらいいた見物者は5分もすると数人になったのだが、そんななかにいたく興味をもったらしい4,5歳くらいの女の子がいた。

「ねぇ、ねぇ、何食べてるか知ってる?」
「うさぎなんだよ。うさぎ。」
と来る人来る人に話しかけている**。

だめぞうは最初からみていたのだが、やっぱりだめぞうのところにもきて教えてくれた。

「知ってる?ウサギたべてるんだよ。」って。

15分くらいしてウサギが後ろ足だけになったとき、トラのガラスの前には、だめぞうと女の子、そしてそのお母さんだけだった。

だめぞうは、「食べちゃったねえ。」と女の子に目で話しかけて立ち去ったのだが、きっと彼女はウサギが全部なくなるまでトラの前にいたのだろう。そしてお家で「トラがねえ、ウサギを食べたんだよ」って、何度も何度もお父さんに話すのだろう。

*横浜のズーラシアはその点よくできていて、見えにくさ加減がいい感じだ。
**子どもは本当に飽きるということを知らない。おじさんが何度も同じダジャレをいうのは子どもにかえっているからだろうか。

(June-30-2001)




本日の一食

サンフランシスコ動物園SF Zooにゆく。

SF Zooはそれほど大きくないので、日本の動物園に慣れた感覚からすると動物の種類は少ないが、ニャラ(世界一美しい哺乳動物といわれるレイヨウ)やアイアイなど、しぶいラインナップを揃えていた。

そしてなにより広々しているのがよい。一つ一つのオリも広いし、平日とはいえ、一番人気であろうコアラの前ですら、せいぜい3,4人がみているくらい。しかも、ほとんどのオリの前にはベンチが備え付けられていて、とくかくゆっくりできる雰囲気だ。コアラは、多分、この間、親子で悪ガキに盗まれたやつだろう。今日は親だけが屋内展示されていたのだけど、ガラス越しとはいえ、数十センチの距離で見られるのでかわいさを思う存分堪能である。

もうひとつこの動物園のよいところは、単に動物を展示するだけでなく、飼育員とおぼしき人が来園者にいろいろ説明をしてくれることだ。

いくつかのオリの前には「Meet the keepers」と書いた看板があって、給餌をする曜日と時間が書いてある。

今日は、インドゾウと大型ネコ類(ライオンとトラ)の給餌風景をみた。

インドゾウのところでは、20人ほど集まった来園者の前で、飼育員のおじさんが笛と棒を使って、ゾウに足を挙げさせたり、口を開けさせたりさせながら説明を始めた。

ゾウは、一つ一つの指示に従うたびにちょっとずつ餌がもらえるのだが、彼女*はパンがとりわけ好きなようだ。

ロールパンを2つ投げ入れてもらったときである。

彼女は、急いで一つを口にいれたあと、もうひとつをハナでキープ。たまたまおじさんが長くお話をするタイミングだったからだろうか、一つ目を何度も何度もかみしめてゆっくり味わった後、二つ目をとても惜しそうにハナでもてあそびながら、ちょっとずつちぎって食べる。小学生が大切なお菓子を少しずつ食べるみたいである。

バランスや伏せなどちょっとした芸も含め一通り説明が終わり、飼育員のおじさんは、「おあずけ」の指示を出す。大きな干し草のかたまりを与え、その上に、残った美味しい餌、パンと野菜、のバケツをひっくり返すと、干し草の上に、わずかなパンと野菜が散らばる。

「よし」の笛があると、ゾウは、まず急いでパンを全部(といっても2つ半くらいしかない)ハナでキープする。やっぱりちょっとずつ味わうゾウ。これぞ至福の時という感じが目が笑っていた。パンが無くなると器用に野菜を選んで食べた。最後に干し草を口に運ぶゾウはとてもつまらさそうだった。

彼女の死に際に「動物園は幸せだったか?」と聞けば、「パンを食べられた動物園はサバンナよりずっといい」と答えるにちがいない**。

トラの話はまた明日。

*英語なので雌雄がすぐわかる。
** 彼女が動物園生まれか否かは不明だが、想像するに極端に狭いところ***に押し込められているのでないかぎり、自然にいるより動物園の方が快適だろう。動物に自由などという高等な概念があるとは思えない。
*** とはいえ、さすがに日本のほとんどの動物園の檻は狭すぎると思う。第一、檻の中に人目を避ける障害物が置いていないので、ストレスがたまって気の毒だ。

(June-29-2001)


本日の一ゲーム

ひさびさにゼミが開催されたので出席する。
帰宅した午後5時より、ディアブロ2を始め、すぐにやめるつもりだったのだが、気が付くと午前5時であった。

途中、夕食をとった1時間ほどを除いて、約11時間はずっとゲームをしていたことになる。

ところで、ディアブロ2はいわゆるRPGであり、5種類の基本キャラクターから自分のキャラクターを選ぶところからゲームが始まる。

別に感情移入しているつもりはないので、どれが好きということはないのだが、一通りやってみたところ、ネクロマンスターという魔物を召還し、自らは後方に控えて魔物に闘わせるキャラクターを使うのが一番よいようである。

自分自身は弱っちく、敵が極めて敵が強いと一対一の形になりやすいので大変不利なのだが、ゲームの大半をしめる冒険部分では魔物たちがどんどん敵を倒してくれるので、魔物の仕事にあわせて先を進めてゆくだけでよいという、とてもらくちんなキャラクターである。

なにもゲームまで人任せ*にしなくてもよいのだが、自らガシガシと叩きつぶしていくと、当然のことながら自分自身も攻撃を受けるわけで、ライフゲージが減っていくのをみると、
「ああ『うねうね』**がやられてしまう。」
「死ぬなー『うねうね〜』。」
とかやっているうちに、ぎゅぎゅっと歯を食いしばってしまって、ゲームを終わってみると顎の間接が痛くなっていたりして体に悪いのである。

どんなキャラクターでやったところで一晩中やってれば体に悪いのは当たり前だ、という意見は聞かないことにする。
 

*というかコンピュータまかせ
** だめぞうは、とりあえず何かに名前をつけるときには『うねうね』とつけることが多い。しかし、今日は『いやいやえん』とつけてみた。なぜなら『うねうね』は最初に最終ボスのディアブロを倒したときに使ってしまったからである。余談であるが、ディアブロを倒したキャラクターは、尊敬の意をもって『Dame』をつけて呼ばれるので、うねうねは『Dame Uneune』になった。

(June-28-2001)




本日の一サイト

すっかりやる気がなくなっていたのでネットサーフィンの一日。

LA旅行記を書こうかと思っていたのだが、時間があるほど仕事をしないというのは真実らしい。それはともかく、このサイトをのせるのはいささか迷ったのだが、そもそもそんなに多くのひとがみるわけではないのでよしとする。
 

http://web10.freecom.ne.jp/~lucy7/

「ドラッグ」と言えば、ロクでもない人間がたしなむ悪魔のゲーム、もしくはこの腐った世界から人間を解き放ってくれる神秘のアイテム、京大キノコ部は、深い考えなしに飛びつきやすい、どちらの見解もとらない。そんなに大げさに考えなくても、もっと気軽な遊びの一つとしてドラッグ(による意識の変化)は存在しうるはずである。この社会においてアルコールがそうであるように。 

 「京大キノコ部」は、幻覚性キノコの摂取を逸脱行為や非道徳的行為ではなく一つの「遊び」としてとらえ、これを追求する。

『京大キノコ部とは』より転載

近くに住んでいたら、こういうのに入りたいと思う。

日本の役人の発想は、とにかく失敗しないこと、前例にならうこと、ばかりである。歴史的に使用されているから、税金がとれるからというだけの理由で、明らかに健康を害するタバコを放置(どころか促進)し、一方で、一部の声高な世論が怖いからというだけで、MMをはじめとする害の少ないドラッグを禁止しようと躍起になっている。

ラリったジャンキーが犯罪を犯すという理屈は、アルコールが巷に溢れていること、そして酒が絡んだ犯罪の数を考えれば、それがいかにナンセンスであることか、ドラッグという言葉に思考停止するPTAのオバちゃんでなれけば、すぐにわかりそうなものだ。自分自身で考えることができず、TVや新聞に煽られるばかりの人間にはなりたくないねぇ。

間違っているのはブツそのものではなくその使い方なのであって、その点、未成年者が自由に入手できる現在の日本の酒類、タバコの販売方式はあきらかに間違っている。健康に著しい危険のない薬物は禁止ではなく、むしろ、法的にであれ、習慣としてであれ、社会的規制されることが必要だろう。例えば、入手及び使用に対し、危険性に関する講習受講を条件とした免許を発行すのはどうか。

いずれにせよ、認められた場所においてID確認厳守のもと販売され、制限された空間においてのみ使用されること。アルコール、タバコだけでなく、すべてのソフトドラッグが使用者個人のリスクの範囲において認められる日を望むばかりである。

*本日はとくにオチはなし。

(June-27-2001)


本日の一杯
LA旅行の疲れがとれぬまま、物欲天国コスコCostcoに車のタイヤ交換に行く。

交換作業の待ち時間を店内でうろうろしていると、にこやかなレオタード姿のおねいさんのポスターとともに山のように並べられた$29のお買い得ミキサーを発見。

このミキサーには、ポスターのおねいさんが表紙の「Recipe for a  Healthy Life」という冊子がおまけについているらしく、冊子のサンプルが置いてある。

ミキサーをつかったレシピ集かと思いぱらぱらとしてみると、2ページほどジュースのレシピがあったものの、残りの20ページはダンベルの使い方とか、正しい腹筋運動の仕方、電子レンジでつくる低カロリー料理レシピ、食品カロリー一覧、ポジティブ・シンキングのすすめ、などと続いて、ミキサーとは全然関係がない。

「果物=ヘルシー」とう発想から健康志向の人を狙った販促なのかもしれないが、このミキサーでは、2,3種類のジュース以外なにもつくれないのではないかという疑念が沸々と。

となりの山は「Juiceman」という名のジューサーである。これまた特売のようで、アロハシャツオヤジのにっこりPopが置いてある。どうやら彼が「Juiceman」らしい。こちらのおまけは「ジュースマンのごきげんミュージック」と題された音楽テープで、やっぱりジュースとは関係がなかった。

はてはてと、考えみて気がついたのだが、ジューサー、ミキサーといえば、スーパーの実演販売やTVショッピングの定番商品である。

TVショッピングといえば不要なおまけ、不要なおまけといえばTVショッピング。この法則性は誰にも否定できないであろう。

なるほど、TVショッピング−ジューサー−不要なおまけ、これらは三位一体の欠くべからずものなのだ!偉大なる法則を発見しただめぞうは、意気揚々にヘルシーレシピつきのミキサーを手にレジに向かったのである。

と、いうところで今日の日記をしめようとおもったのだが…

自宅について早速パッケージを開けると、材料を入れる容器部分の部品が入っていない!おまけなんかつけなくていいから、ちゃんと内容物をいれてくれ!!
 

*もちろん、すぐ店に戻って返金してもらい、別のパッケージを買い直した。なお使い勝手は上々で、早速作ったミックス・ジュースといい、イチゴ・バナナ・オレといい大変美味であった。ここまで読んで頂いた方のためにレシピをどうぞ。

(June-26-2001)


本日の一発
みなさん、はじけてますか!

先日もまた、たかけんさんちにいく。学期中は、学校と部屋の往復だったが、夏休みになったら、部屋とたかけんさんちの往復になっただけである。

ともあれ、ポップコーンが長男のともくん(3つ)もお気に入りとのことで、「電子レンジでつくるんだけどね。」といって、たかけんさんが教えてくれた話だ。

ポップコーンを電子レンジでつくるときには、1分とか2分とかいうように、決まった時間を加熱するのではない。レンジを始動してしばらくすると、ポンッポンッポンッと発泡がはじまり、やがてはじけきると音がやむので、レンジの前で観察しながら静かになるのを待つのである。

「それでね、中にははじけにくい粒もあるんですよ。そういうのは、時間をかけてやれば、一応は弾けるんだけどね。ただ…。出来上がりが小さくて、しかも苦くてねぇ、おいしくないんだ。」

そんなわけで、ある程度はじけるのが収まったら残りは切り捨てるのが、おいしいポップコーンをつくるコツなのだという。

なんと厳しい世界であろう。出遅れたものは、完成することすら許されず、ただ捨てられるのみ!

タイムイエローに変身中のともくんの傍ら、ポップコーンに生まれてこなくてよかったなあと、おじさん2人でしみじみしてしまった午後であった。

(June-19-2001)


本日の一サイト
だめです。昼夜が完全に狂っている。

おととい(土曜日)、コースを終えて日本に帰る方々の送別会があってお開きが午前1時。そのあとだらだらと4時過ぎまでネットサーフィンをしてしまう。

かなりの有名サイトなのだろうけど、そのときに出会ったのが、
『絶対サポセン黙示録』

タイトルから想像出来るとおり、PC関係のとんでもサポートの話が載っているサイトで600を越える投稿を読みふけってしまった。

続けて思ったのは、世の中にコンピュータが浸透すればするほど、これまではほんのちょっとした差だったことが、大きな違いになってゆくのだろうということ。義務教育にPCに触れる機会を入れるべきだと思いますよ。

(June-18-2001)




本日の一すくい
すっかり昼夜が逆転していて、いまも午前4時だというのに日記を書いている。手元にはハチミツ山盛りのスプーン。

このハチミツは、昨日のFarmer's Marketで買ったのだけど、これがなかなかおいしくて、台所からなんどもスプーンに一すくいずつ持ってきては、口にくわえていたりしている。

よれよれTシャツにジャージ、散らかった部屋で夜中にPC画面に釘着けで、口元にはハチミツスプーン。もう、どうしようもなくだめですな。だめの見本市。

まあ、そんな感じで、今はとんでもなく甘党なのだけれど、実は、以前は甘い味が全く食べられなかった。とくに十代のころは、甘いモノというか、砂糖の味そのものが全くだめで、煮物の甘辛味とかですらいやだというほど。

はてさて、甘いモノ好きになったのはいつ頃かなあ、と考えてみると、大学入学後しばらくしたころで、これはちょうど、だめな自分を他人に見せられるようになったころ。というか、むしろ、ダメを自分の芸風にしたころだ。

で、思ったのだけど、男子中高生といえば、ただでさえ自意識が強くて頭の悪い歳頃なわけで、多分、人一倍自意識の強かっただめぞう君は、きっと甘いモノを食べる自分というのが許せなかったんじゃないかと思うのである。

もちろん、そんなことを意識的に考えていたわけではないのだけれども、そういう意識下の意識(?)が舌の感覚、というか正確には脳での快−不快のスイッチにバイアスをかけてたのではないだろうか。逆にいえば、甘いモノ好きなったのは、甘いモノ好き=ダメなひと、いうよう思考回路があって、芸風といての「甘いモノ好き」をアピールしているうちに、食べ慣れて本当に甘党になってのではないか、と。

そう考えると、そもそも、あれが好きだとか、これがきらいだとかいうのは、その味、つまり舌が感じ取る化学物質の刺激、そのものが快(不快)なのではなくて、その味を感じたときに想起されたイメージが快(不快)だったのが、好きな味を繰り返してゆく(あるいは避けている)うちに味を感じただけで快(不快)になる、すなわち、その味が好き(きらい)という風になるのではないかということになる*。

舌の好みは、長年の食習慣で随分変わるというのも、この考えにうまくあう事実だ。

とすれば、子どもの好き嫌いなんてのは無理矢理食べさせてもだめなわけで、例えば、最初に人参やらピーマンを食べさせるときに、人参好きはかっこいい、とか、ピーマンが好きはなんておりこうさん、みたいなイメージを与えてやれば、自然と食べるのではないかと考えられる。

そこで実験。

もし自分に子どもができたら、ものすごく変な味覚を持たせてみるのはどうだろう。正露丸好きとか、アオ汁大好きっ子とか。

しかし、毎日の食卓が子どもの味覚にあわせて作られるようになったら困るしなあ。どなたか小さなお子さんのある方、ちょっと試してみてくれませんかねぇ?

*それにしても、我ながら理屈っぽくてわかりにくい文章だ。

(June-17-2001)


本日の一皿
ひさびさに包丁を使って料理。といたって、極々簡単なサラダ。今日はレシピを公開するので、はい、メモの用意はいですか!

今日、スーパーにゆくと、青果売り場に畑のにおいが溢れていて、うわー夏だ、という気持ちになる。夏ばてなのか、旅行疲れなのか、あまり食欲もないので、スプリング・ミックスとかいう、ほうれん草やシチャ、レタス、そのほかよくわからない葉っぱの混ぜ合わせを購入。ついでに回りに並んだ野菜をごっそり買って帰宅。

ラスベガス旅行の数日前から、うどんばかり食べてたものだから、まともに包丁を使うのは、1週間ぶりくらいだ。

アーティチョーク(チョウセンアザミ)の下ごしらえをしようと思ったら包丁を持つ右手がなんとなく変な感じがする。なんというか、包丁が妙に重くて思ったように動かないというか、分厚い手袋越しというか。

幸いアーティチョーク以外は、トマトとアボガドを切るくらいだったので、とくに不便はなかったけど、あんな簡単なことでもカンがにぶるってのがあるのかもしれない。

皿にスプリング・ミックスを敷き詰めて、トマトとアボガトの册切り、ゆであがったアーティチョークをならべる。特売のドライ・サラミの薄切りをグリーンが隠れるくらい目一杯敷き詰めた上から、クルトンを簡単につぶして、粉チーズもいやというほど振りかける。

ドレッシングも真面目に作るのも面倒なので、オリーブオイルとバルサミコ風ビネガー*を適当に振りかけておしまい。簡単、簡単。全部で15分。アーティチョークを使わなければ7分でできますね。シーザーなのかイタリアンなのかよくわからないけどさ。

さて、さて、ここでやっぱりビールでしょ、といいたいところだけど、アルコールがダメなので、スパーリング・リンゴジュースをシュパッと開けてもりもりと食べた。

程いい感じでゆだったアーティチョークがほくほくのクワイみたいでおとなの味。トマトも旬だし。バルサミコ風の香りも鼻の奥でふんわりしてる。

食後に、このところめちゃくちゃ安いイチゴをつまんだりしてから、日記を書いているのだけど、今日やったことといえば、サラダをつくって食べただけだ。なんとも優雅な一日だったこと。
 

*ホンモノのバルサミコ・ソース(Traditional Balsamico Vinegar)はめちゃくちゃ高いけど、バルサミコ風(Balsamic Vinegar)ならお値段20分の1以下。味なんてどうせよくわかんないんだし、これで十分です。ははは。

(June-15-2001)




本日のラスベガス
「30男2人でラスベガスツアー」と聞けば、普通、賭博三昧に女。そうでなきゃ、その手の2人ですよ。

と思うのだが、みなかみさん(仮名)と健全に過ごした6/11-13日、2泊3日の旅のこと。

ラスベガスというのはネバダ州にある。
ネバダは不毛の砂漠地帯のため、ほとんどこれといった産業もなく、賭博と売春を合法化して、世界中の欲を集めて食っているところなわけで、そんな州を代表するのがラスベガスという街である。

ラスベガスのホテルは、昔からのダウンタウンにももちろんあるのだが、現在、主要ホテルは空港からダウンタウンに向かうストリップという大通り沿って立ち並んでいる。それぞれのホテルはテーマパークになっていて、豪華絢爛なのに子どもの玩具みたいな作り物感が満載で「頭悪くてわるいか!」という開き直りっぷりがたまらない。

朝、オークランドをたち、とりあえずホテルにチェックインしたのがお昼頃で、初日はゆっくりラスベガス観光とおもって外にでたものの気温は華氏100度(約38℃)以上であった。

暑くて外にはとてもいられないので、Luxor(ピラミッド型金ぴかホテル)やNY NY(NY風高層ビル群風ホテル、なぜか建物の回りにジェットコースターが走っている)といった高級ホテルに入って、ビールやらスムージーやら片手にだらだらとする。

カジノを眺めているうちに気がついたのはホテルの格とデブ率が反比例していることである。最高級のホテルだと、ひとりも太った人がいないのに、我々が泊まったホテルのデブ度の高いこと高いこと。

ここでいうデブというのは、もう本当にデブで、普通に歩けないくらい太っている人たちのことである。

絶対途中でおかしいと気がつくはずだと思うのだけど、それでもポテトチップスをダイエットコーク(このあたり中途半端に気を遣っている)を流し込むのをやめられない人たちなので、「太っている」=「ダメ人間」を確認させられてしまうこと請け合いである。

そもそもラスベガスに遊びに行くということそのものがどちらかといえば、だめなひとたちの発想なわけで、高級ホテルはともかく、安宿(といっても、普通の街のそれに比べれば相当豪華)に泊まった日には、もうデブ大集合だ。

宿泊したホテルのバッフェ(食べ放題)は$7くらいでアメリカのレストランにしてはまあ悪くない味だったのだが、もう右を見ても左をみてもデブばっかり。男、女、年寄り、大人、子ども、白人、黒人、ありとあらゆる種類のデブを見ましたよ。食べてるひとがデブなら、席を案内してくれる人もデブ。

安いところなので人が足りないのか、片づけられていなかったテーブルなんか、5枚も6枚重なった皿の山がイスと同じ数だけできあがっていて、見ている方が気持ち悪い。

一生分のデブを見て、ちょっとだけカジノで遊んだ初日でありました。

(June-14-2001)


本日の一興

サンフランシスコの動物園、San Francisco Zoo,へいこうとおもっていたのだが、起きてみると既に2時すぎだったので断念し、久々に「迷子遊び」に興じてみる。

迷子遊びというのは、文字通り「迷子」になって不安な気持ちを楽しむのであるが、言うは易し行うが難しで、大人になって意図的に迷子になる*のは、ちょっとしたコツがある。

だめぞうのやり方は、とりあえず、あまり土地勘のないところまで走り、そこから適当な脇道を一定の方向に闇雲に進む。そこがどこだかわからなくなったところで、太陽と方位磁針、そして自分の直感だけで家に帰るという方法である。

日本では、多くの地名を知っている上に、どこへいってもちょっと走れば主要国道にぶつかってしまうし、看板がかなり親切なので自分の居所が分からなくなるのが難しい**。

しかしながら、ここは異国のこと。アメリカは主要なHighway以外は、遠くの行き先を書いてくれないし、よしんば書いてあってもそれがどこなのかわからないので、簡単に迷子になることができるのである。

本日は、車で北東に1時間ほどの街、Sacramentoにゆき、そこから南に向かって50kmほど走ったところで「迷子」を始めた。

とにかく太陽のある西の方角に向かって進むのだが、自分の居所が全くわからない。もちろん地図は持っていたのだが、見たい気持ちをじっとこらえ、自分の直感だけを頼りに車を走らせる。

途中、川沿いの細い道を通り、古い小さな橋をわたる。なんという川なのだろうか。

田園地帯では、後ろからパトカーにサイレンを鳴らされ、不安感は最高潮に高まる。制限速度を15マイルほど越えていたので、やられたか、と思い車を右によせる。

と、パトカーは、ものすごいスピードで追い越していってしまった。しばらく進むと事故現場があり、単に、現場に急行するところで「道をゆずりなさい」ということだったようだ。

そうこうしているうちに、どんどん陽は傾いてゆく。一向に知っている地名が出てこない。「地図をみたい。」そんな思いにせかされながら、とにかく車を走らせる。

隣町である「Oakland方向」の文字を見つけたのは、迷子開始の2時間後、約100kmにわたり、思う存分、不安を満喫した午後であった。
 

*不思議なことに、意図しないときは、いくらでも迷子になる。
**とはいえ、九州山地内をわずかなガソリンだけの単車、とか、真夏の炎天下、無一文で歩く名古屋市内、など、ぎりぎりの条件を課せば、日本国内でも不安感一杯の迷子が楽しめる。要は創意工夫といえよう。

(June-10-2001)


本日の一作業

ときどき出張シェフ、っていうか、よそ様の台所を使わせてもらって、料理を作ることがある。そんなときに洗い物をしようとすると、
「ああ、そんなこと、私やりますから。」
といって、ホストに制止されてしまうことが多い。

この言葉の裏には「洗い物」=「つまらない作業」=「苦役」という認識があり、料理は好きなんだけど洗い物がいや、とか、男の料理は散らかって後かたづけがたいへん、というようなよく聞く言葉も根を同じくするものだ。

実は、だめぞう自身は洗い物がそれほど嫌いではない。

たしかにいつ果てるともつかない汚れ物を延々洗い続けるのは望むところではないし、手の切れる様な冷水で洗い物をしたいとは思わない。しかし、所詮数人分の食器といくつかの鍋くらいなら、ものの十五分で終わる作業であるし、音楽やラジオを聴きながら、淡々と手を動かしていると、頭が空っぽになってけっこう気持ちがいいものである。

おそらく洗い物の非建設性が嫌がられるところなのだろうが、所詮、食後の一時、テレビの前で横になろうが、コーヒーのお湯を沸かしながら洗いものをしようが、なんら違いはないと思うのだが。

そういえばコーヒーも、コーヒーメーカーを使わずドリッパーで淹れるの好きであって、その方がおいしいとかいうよりも、お湯を注いで、だら〜と待っているのが、なんだか儀式めいてよいのだった。

とはいえ、朝の忙しいときはこの限りでないので、そう考えてみると、洗い物やらコーヒードリップやらを楽しんでいる今の生活は、思ったより余裕があるのだなぁと、小さな幸せをかみしめてみたわけである。

あなたの生活に洗いものを楽しむ余裕はありますか、って誰に話しかけてんだか。

(June-9-2001)


本日の一冊

スーパーにいったおり、レジの脇にある雑誌の棚*にあった『Cook's Illustrated』という隔月発行の料理雑誌を購入。

わずか35頁、表紙以外は全頁モノクロで$4.95といささか高いのだが、広告がひとつも入っていないので、値段としては悪くない。

日本の料理雑誌に比べ、作り方が非常に丁寧にイラストで示してあって(誌名からもわかるように、それがこの雑誌のウリなのだろうが)、そのイラストをみているだけでたいへん楽しい。

興味深いのは本号の特集、『$3.49 Balsamic Vineger wins Tasting』『Are All Pepper Mills Created Equal?』と題された2つの記事である。前者は、バルサミコ風ビネガーの、後者は胡椒のミル(胡椒をグリグリと挽くあれ)の評価記事である。それぞれ10〜15種類くらいの商品をとりあげ、Highly Recommended(たいへんおすすめ),Recommended(おすすめ),Not Recommended(おすすめできず)といった感じでレイティングがつけられている。

このレイティングという企画が米国雑誌は大変好きなようで、しばしば多くの雑誌がさまざま商品を対象にこの手の記事をのせている。先日、読んだタイムは、幼いこどものための玩具のレイティングが載っていた。

この背景には、数多の商品があふれ消費者がどれを買ってよいか分からないので、こうした記事に需要があるというのも事実だが、比較広告が当たり前のように行われる土壌も大きく影響していると思う。

日本の雑誌がこの手の比較企画をやろうとすると、ついついメーカーの顔色をうかがうようなこと多く、とくに悪いレイトをつけるのに腰が引けてしまい記事そのものが面白くないという傾向がある。また、近年薄れてきたとはいえ、活字に対する盲目的な信頼もあって、書く方も書かれる方も気にしすぎて、本音を書きにくくなっているのではないだろうか**。

翻って、米国の出版物は、雑誌でも新聞でも原則としてすべての記事が基本的に署名された個人の見解として出されていて責任の所在がはっきりしていること、読者の方でもレイティングはあくまでひとつの参考意見としてとらえるという態度ができていること、つまり結果を過度に重要視しないことが、逆にこうしたレイティング企画を意味あるものにしているのだろう。
 

*アメリカのスーパーはレジの脇に雑誌が置いてあることが多い。ひとりあたりの買い物の量が多く、基本的に店員が袋詰めするため、レジのところで慢性的な待ち行列ができるからであろう。
**『買ってはいけない』が、あれだけ読者やメーカーを騒がせたことを考えれば当然かもしれないが。

(June-8-2001)

本日の一錠

朝からどうしようもなく眠いのでおかしいと思っていたが、昨日の夜にタイレノールTylenolを飲んだのであった。

タイレノールというのは、米国でもっとも一般的な鎮痛剤で、日本でいえばバファリンであろうか。バファリンとの違いは、非アスピリン系であること、そして、やたらといろいろな種類があることである。

基本的にはすべて鎮痛剤なのだが、2次効用に違いがあって、代表的なものとしてタイレノール・解熱、タイレノール・スリープエイドsleep aid、タイレノール子ども用、そのほかタイレノールなんとか、というのがいくつかある。残念ながら、タイレノール気持ちいい、とかタイレノール夢見る心地、とかはなかったが。

ともあれ、それぞれに、ジェルカプセルとキャプレットCaplet(カプセル型の錠剤)、錠剤(ボタン型)、子供用はシロップタイプといった形態があり、さらにそのどれもに対して、携帯サイズからお徳用まで3〜4種類ほどのパッケージが用意されているので、少なく見積もってもあわせて20種類くらいにはなるだろう。

ドラッグストアの一棚がすべてタイレノールというのは決して珍しいことではなく、ただ単にタイレノールがいいといわれて、ドラックストアにいくと膨大な種類を前に呆然とすること請け合いだ。

しかも当然のことながらタイレノール以外の鎮痛剤もいくらかはあるわけで、さすが毎年、何十トンだか何百トンだかの鎮痛剤が消費されている国だけのことはある。

昨晩、飲んだのは、タイレノール・スリープエイド・キャプレットなのだが、パッケージを開けてみると、キャプレットのでかいこと。普通の日本の錠剤の2倍くらいあってとても飲みにくい。処方書は寝る前に一回2錠とあったのだが、平均80-90kgの体躯にあわせて2錠というのだから、無難に1錠にしたのだったが…

飲用後、20時間くらいたってますが、まだ頭がぼぉーっとしています。いや、よく長く効くこと、っていうか長すぎ。このままじゃ、今晩のスリープ・エイドにもなっちゃいそう。
 

(June-7-2001)




本日の一店

SFのオービスOrvisにいって、タイングツール(毛針を巻く道具)とマテリアル(同材料)一式を購入。値段は日本で買うのと大差なく、米国としては高いような気もしたが、いろいろ回るのも面倒なので、ここでまとめて買ってしまう。

オービスは米国製フライ用品の老舗メーカーで、フライに関係するものは、ほとんどなんでも扱っているのだが、最近は衣料品部門へのシフトが大きく進んでいるようだ。

SF店も売り場面積の3/4は、衣類、ファッション小物に占拠され、肝心のフライ用品はすべて2階の一角に押しやられてしまっている。

米国において、フライフィッシングは、そのほかの釣り一般とは一線を画した"Fly Fishing"という独立したカテゴリーとして認知されて、お金に余裕のある大人の粋な遊びとしてのイメージが強い。そして、フライ用品だけを専門に扱うフライショップが当たり前のように存在する*。

オービスがビジネスをファッションへ移行している背景には、フライのお洒落なイメージがあり、これを利用してフライフィッシングをしない大多数の一般顧客を取り込もうというところであろう。馬具メーカー「エルメス」の華麗な転身が、その目指すところではないだろうか。
 

*映画「A river runs through it」内で、ブラッド・ピットが、兄の恋のライバルである嫌みなお金もちの若者を釣りに誘うシーンがある。この若者は「みみず」をもってきて、「みみずかよー」という感じで侮蔑の目を向けられるのだが、これは、フライフィッシャーが、他の釣り、とりわけエサ釣りを次元の低いものとみなす風潮を表している。

(June-6-2001)


本日の一肌

さっき、シャワーを浴びようと思って服を脱ぐと、晩ご飯を食べていないことに気がついたので、キッチンにいって冷やし中華を作り始めた。

鍋を火にかけて、卵を溶いて…。

と、そのとき裸で調理をしている自分に気がついたわけである。

この違和感といったら!

中島らもが朝日新聞で連載していた「明るい悩み相談室」で、裸で調理をする夫に悩む妻の相談があったが、きっと、このお父さんもなにかの拍子に裸で調理をしてしまい、この不思議な感じがくせになったに違いない。

みなさんも一度おためしあれ。新しい世界が見えるかもしれない。ただし、本格的にのめり込んで、裸でなければ料理が作れなくなったり、家人にみつかって、以後、急によそよそしい態度をとられてもだめぞうは一切関知しないのであしからず。

*このことについては、いろいろ書こうと思ったのだが、どうもうまくまとまらない。また明日書くかも。
 

(June-5-2001)


本日の一羽

すっかり夏ですね。

夏といえば…というわけではないのだが、きたむらさん(仮名)が、またバークレーにやってくるとの噂をきく。

きたむらさんは、去年のサマースクールでリスニングのクラスが一緒だった方で、20代も押し迫った女性である。某有名関西私立大学を卒業、数年間の会社員生活の後、退社。一念発起して、UCのエクステンション*にて、ディプロマという学位をとらんと渡米留学してきたとのことであった。

同僚**の手作りハンバーグに感激していた、きたむらさんは大変なお嬢さんでかつ真面目な優等生、しかもがんばりやさんだ。

去年は、大量の宿題を前に勉学に励みすぎたのか、それとも慣れない一人暮らしで毎日の粗食がたたったのか、とにかく過労と栄養失調で倒れてしまい、とりあえずは一旦帰国していたらしい。

鋭気を養い、今年こそはの意気込みでまたバークレーにやってくるのだろう。
そんな頑張り屋のきたむらさん。たかけんさんによれば、SOHOについての勉強を希望しているとのことである。

たか「なにを専攻されているんですか。」
きた「SOHOをやろうとおもっているんですよ。」
たか「なるほど、それはいいですねぇ。で、一体どんなビジネスを考えているんですか。」
きた「ええ、だからSOHOです。」
たか「いや、そのSOHOでどんなお仕事を?」
きた「まずは、SOHOですね。」

青い鳥はどこにいるのかなぁ。
 

*カリフォルニア大学システムの外部団体のようなもの。
**やはり、リスニングのクラスが一緒だった彼。お父さんの会社を継ぐにあたり会社を辞め、人生の夏休みと称した留学先を探していた。人生いろいろだ。

(June-4-2001)


本日の一考
たかけんさんちのともくん(3歳)はパワーレンジャー(日本名タイムレンジャー)に夢中である。

ビデオでパワーレンジャー、めばえでパワーレンジャー、ついでに森林パトロールの車はパワーレンジャーの車である。

現在のだめぞうにこれほどの情熱を注ぐものがあるだろうか。

大人になっただめぞうは、釣りに行き、いろんな本を読み、みんなとお酒を飲みゆき、あんなことをして、こんなこと聞いて、世界はぐっと広がった。

でも、釣りは15分も釣れなければ飽きてしまうし、料理だって毎日はいやだ。ディアブロは4日目でうんざりだし、研究なんて考えたくもない。世界は広がると同時にどんどん薄まっているようだ。

こどもは単純でいいなぁ…とは思わない。

パワーレンジャーは所詮テレビ局とプロダクションのおじさんたちがつくったもの。改編期がくれば終わってしまうのだ*。

なにか一生をかけて続けられるようなことがみつかるといいなぁ、お互いに**。
 

*日本ではすでにタイムレンジャーは終わって次のシリーズになっているらしい。野生動物をモチーフにした戦隊モノで、動物をあしらったヘルメット(?)をかぶっている。キリン、ゴリラ、ライオン、クマ、シロクマ、ワシ、サメ…とロボットがやたら何種類も出てくるのだが、そのデザインは動物を単純にデフォルメしただけの素人目にもデザイナーの手抜きがわかるいい加減なもの。しかも、まだまだ増えるという。スポンサーの玩具メーカーがやけくそになっているのか。
**現時点だと、だめぞうが一生続けそうなことはお部屋でだらだらすることかな。
 

(June-3-2001)


本日の一日

11時35分:起床。セールスの電話。
   同38分:洗面後、ディアブロ開始。
13時15分:昼食、うどん1ポンド。
  同45分:昼寝。
18時30分:ディアブロ再開。
19時00分:おやつ、チョコレートアイスバー2本。
  同03分:ディアブロ再開。
21時57分:夕食、冷やし中華、ネットサーフィン。
22時40分:ディアブロ再開。
26時30分:就寝。

(June-2-2001)




本日の一包

原因不明の睡魔がおそってきている。
全身がだるくてものすごく眠い。

それでも、先週召還した餃子の神様が居座っているので、今日も、たかけんさんちにいって、餃子をつくってきた。たかけんさんと奥さん、だめぞうと三人で中華料理屋のようにテーブルを囲んで餃子をつつむ。あたらしい家族の団らんスタイルとして一家で餃子包みながらの会話というのはどうだろう。

家族の会話といって気がついたのだが、だめぞうは、親類でもないのに、毎日のようにたかけんさんの家にいって、一緒に旅行にもいったりしている。こんなだめぞうおじさんは、長男のともくん(3歳)の目にどんな風に映っているのだろうか。20年くらいしたら聞いてみたい。願わくは、まことしやかな嘘でも教えこんでおいてもらいたいと思う。

話はかわるが、奥さんの餃子は大変かっこよく*、まねっこ魂がむくむくと頭を持ち上げるが、まねをしようとしてもうまくできないので、自己流の不細工な餃子をただきたすら作った。実は、だめぞうは単純作業が好きである。もくもくと手だけを動かしながら同じことをやっていると頭がぼぉーとしてきてちょっと気持ちがよい。

普通の餃子、エビ餃子、イカ餃子と計100個ほどつくった餃子を、水餃子と蒸し餃子にして、三人+長男(3歳)でしこたまたべ続けた。

餃子の神様も満足してお帰りになったことであろう。っていうか、当分餃子はもういい。
 

*昨日のベニシアで4人であるいていると、通りすがりの白人のおじいさんが腰をかがめて、奥さんに
「こんにちは、おじょうちゃん。」
って感じで話しかけていた。
しかし、その餃子はちょっと三日月型で均等なしわの具合がとてもすばらしい。あんな素敵にかっこいい餃子をつくるなんて。ああ、たかけんさんさえいなければ…、とまでは思わない。
 
 

(June-1-2001)