かつてのだめなひと


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本日の一買い物

日本にいる知人からの頼まれモノで、サンノゼ Mel Cottonにてフライ・ロッド(釣り竿)を購入。Mel Cottonは、少々遠いのが欠点だが、店員の対応がよく、スポーツ用品一般といいながら、釣り具の品揃えもなかなかなので気に入っている。ハンティング用品も充実しているところをみると、古き良きスポーツ*を楽しみたいシリコンバレーの人たちを相手にした店かもしれない。

さて、最近のアメリカの釣り道具、とくに竿には、「Lifetime Guarantee」(生涯保証)といって、いつ破損しても無料で修理してくれる保証がついているものが多い。購入後に、氏名、住所、電話番号などを登録用紙に記入してメーカーに送付し、保証カードをカードを発行してくれるのが通常である。

しかしながら、今回、購入のこの竿、Redington。

なんと、破損したときには、どこでもいいから破損した竿を取扱店にもってゆきさえすれば、レシートを提示することすらなく、その場で新品に交換してくれるという。当然、登録もなし。必要な条件は、店に同じ型番の竿がおいてあるということだけで、もしなければ別の店にゆけばいいというお手軽さである。

とくに道具の類は、同じ品をいつまでも使うのが好きなので、この手のギャランティは結構購買意欲をそそられるのだが、考えてみると、日本製品はせいぜい1年保証で、長期の保証をつける品が少ない気がする。その理由としては、

・品質管理体制がしっかりしているのでなかなか壊れず保証が販売促進につながらない。
・新しい物好きでいつまでも同じモノをなおしながら使うことに価値を感じる人が少ない。
・したがってモデルチェンジが多くて部品を長くとっておけない。
・どこもやってないので、やるだけバカ。

などが考えられるのだけれど、実のところどうなんだろうか。

あっ、包丁は、ライフタイム・ギャランティ(いつでもお店にもっていけば無料で研ぎ直してくれる)がついてるのが多いな。

*Sportとはもともと英国貴族が野外でする遊びを指し、具体的には狩猟や釣りのこと。

Mel Cotton スポーツ用品
1266 W San Calos St. San Jose, CA 95126

(July-31-2001)

本日の一挑戦

たかけん親子に救出されるも、ゴミを出しただけで相変わらず部屋のなかにいてこんなことをやっている。

ちなみに、だめぞうの成績は、

日本の県名:   パーフェクト!
京都市の区:   9/11 惜しい。西南の大きな区がヒント付きですらわからず。
山手線の駅名: 15/29 半分。東側、南側は壊滅状態。
アメリカの州名: 32/50 これまた東側がひどい。しかし山手線よりはましか。

いずれも、それぞれ年単位で住んだことのあるところなのでもっと答えられるかと思ったのだがこんなものか。とくに山手線は驚愕の低成績である。いつも同じところしか乗らなかったし、それ以外のところに乗るときも大抵は寝ていたからだろうか。

合衆国もついこないだ行ったばかりの州や隣の州、友人のご主人の出身大学の名前のついている州(おそらく最難問、この州が出てくるヒトは45州以上答えられるはず)も出てこない。

そうしてみると、物覚えが悪いかわりに物忘れのよい、だめぞうとしては、むしろ日本の県名をすべて覚えているのは大したもので、やはり幼きころの記憶のたまものといえるだろう。

ああ歳はとりたくないものだ。

といい続けて、はや15年。そろそろ洒落にならなくなってきた気がする。
 

(July-29-2001)

本日の一解決と新たなる問題

今朝、たかけんさんが助けにやってくれた。
なぜか、ともくんも一緒である。

「いや、行こうと思ったら、こいつが『ボクもだめぞう君のウチいくぅっ』ってきかないものだから。」

だめぞうは、ともくんに、だめぞう君*と呼ばれているのだ。

そんなわけで、やって来たともくんであるが、只でさえ狭いところに釣り道具だのコンピュータだの書籍だのがごった返す部屋にきて少々驚きの表情。あれやこれやと興味深く見ていたが、さすがに三歳児には、だめぞうの部屋は早すぎるらしい**。しばらくは、「絵の描いてある本がな〜い。」と叫んでみたり、トイレに入りこんでみたりしていたのだが、特製キウイジュースもお気に召さなかったらしく、そのうち「おうち帰ろうコール」の連呼になって、パパを連れて帰ってしまった。

ごめんね、ともくん。ウチにはタイムレンジャーはおいていない。

それにしても、人は大人になると理解できないものを見ても、なかなか「おもしろくない」とはいえなくなる。「もしかしたら、自分がわからないだけで、ホントは価値があるんじゃないか。」「モノを知らないバカだと思われるんじゃないか。」 王様が裸ならば、皆それにならうべし。

ときには思い切って「おもしろくな〜い」と声にだしてみるのもいいかもしれない。

誰ですか、これを読みながらそういってる人は。

*もちろん、本当は”だめぞう”の部分は本名である。
**三歳にして、この部屋に置いてあるものに興味をもったらかなり末恐ろしい。というか、三歳児が興味をもつものが置いてある三十歳独身男性の部屋の方が恐ろしい。
 

(July-29-2001)

本日の一問題

いやあ。困った。っていうか困っている。
アメリカに来て最大の、否、だめぞう人生でも最大級の問題だ。

日記など書いている場合ではないのだけれど、他にすることもないので日記を書いてるのだが、結論から言うと部屋から出られないのである!

さっき(午後9時すぎ)、生ゴミを捨てようと思って部屋を出ようとしたらドアが開かない。もともと建て付けがわるいらしくて、開くにくいことはなんどかあったのだけれど、これまで力一杯引けば(内側に開くドアだ)開いたのである。ところが、さきほど、ノブを持って力一杯引いてもギッと鈍い音がするだけ。いやあ、ここでもうちょっと冷静になればよかったんだよなあ。全く。

なにを思ったかだめぞう君。動転して、内側からドライバーで、ドアノブはずしてしまったのだ。なんでそんなことするかなあ。全く。

そんなことしたから、ほら。ドア、引っ張れないわけですよ、内側からは。

はずしたところで気がついて、はずしたんだから戻せばいいだろうって考えたんだけど、ひとりじゃ戻せない。
なぜかというと、ネジを回すためには、向こうから押さえておかなきゃないわけで、力学用語でいえば、反力っていうやつね。別に難しくいう必要はないな。全く。

にっちもさっちもいかなくて、管理人に電話しようと思ったんだけど、今度は電話番号がわからない。考えてみれば、電話なんかしたことないがないし、しようと思ったことがないのである。小さなアパートだから、用があれば直接いいにゆくものだから電話番号なんかちゃんととってないの。いいに行けない状況って、電話ができない状況より希だからさ。

仕方ないんでタカケンさんに電話しました。さっき。
明朝、助けてくれるそうです。やれやれ。しかしなあ、なんでドアノブはずそうと思ったんだろ。

(July-28-2001)



本日の一嗅ぎ

オークランド動物園にゆく。

たしかに、こじんまりとしている。規模のわりには、チンパンジーやテナガザルなど、類人猿が多くいたという印象があるものの、動物のラインナップはとりあえず一通り揃えたという感じは否めず、これといって目をひくものはいなかった。動物の見せ方も、日本の動物園に似て、どちらかといえばおざなりで、SF動物園に比べ随分予算が少ないのではないかと思わせた。

さて、動物園といえば、やはりあの動物臭。なれてくればなんともないのだが、草食動物−とくにゾウ−の近くはなんともいえないものがある。

急にこんなことをかいたのは、たまたま続けてクサいサイトを2つほど訪れたからだ。
 

鼻飛行士という仕事 −MSNジャーナル−

宇宙では地上では思いもかけないことが、大問題へとつながるようだ。「におい」もそのひとつ。地上では気にならない程度の臭気が、宇宙船内では飛行士たちのミッションの妨げになり、緊急着陸にまでつながったケースもある。こうしたトラブルを防ぐため、NASAには「鼻飛行士」と名乗る職業がある。

 においリサーチトラベル  法師丸

ハードな毎日を過ごす私たち、誰だって癒しを求める気持ちが湧いてくるのは当然だ。たとえばそれはアロマセラピー。今日の香りはラベンダー?カモミール?それともローズマリー?
 

30歳目前にもにもなって、平日の昼下がりにひとりで動物園にゆくのはどうかと思ったが、さらにどうかと思うようなことをしている人がいるのを知り、ちょっと安心。でも、彼らはそれを仕事にしているわけで、なんの見返りもなく好きでやっている、だめぞうの方がだめかもしれない。
(July-27-2001)

本日の一追憶

今日、ゼミに出席するため久々に学校に行くと、ゼミ室のある建物の前にあったクマの銅像*が撤去されていて、台座回りに張り巡らされたロープに、こんな張り紙がはってあった。

The bears were removed
for "hibernation"
and will return in the fall.

(”冬眠”のため
クマは撤去されました。
秋には戻ってきます。)

Hibernation(冬眠)の部分は、もともとはrestoration(修復)だったのに、誰かが原文と同じフォント同じサイズで印刷した紙を上からセロテープで貼ってある。

日本語にすると”冬”の字が出ていまい、季節のずれが強調されてしまうのでいまいちなのだが、だめぞうは、この手のクスッと鼻で笑わせるような細かいイタズラにめっぽう弱い。単にペンで書くというのではなく、「わざわざフォントを揃えて印刷して貼る」というくだらないことに手間暇をかけているところがたまらないのである。
 

この手のイタズラで秀逸なのはなんといっても、10年あまり前、とあるキャンパスにあらわれた「怒る人」であろう。明治時代の人らしく強面のおじさんの胸像なのだが、顔をペンキで真っ赤に塗られ台座に「怒る人」と大書してあった。

文字で書いてみればそれだけのことなのに、いかにも「怒る人」感がでていて、それはもう「怒る人」としかいいようのないすばらしい作品だった。当時、学生たちは、この銅像を「怒る人」と当たり前のように呼び、誰もが知る待ち合わせスポットとして重宝していたものだ。

「怒る人」は、その後も数年間に渡り、ありあまる創作精神とひき替えにモラルを失ったバカ学生たちの発表の場として活躍し、そして多くのモラルある、しかしながら、やぱりバカな学生たちに愛された。

「セーラームーン」(セーラームーンのコスプレ。どっから服を調達したのだろう)
「ヤキソバン」(カップヤキソバUFOのCMに出ていたマイケル富岡扮するあれ)
「怒らないで」(顔を青く塗ったアンサー作品。いまならBlue Men Groupといったところか)
「レーニン」(真っ白に塗って手がついていた)

などが記憶に残る作品である。

いずれも化粧直しは深夜、一気に行われるらしく、朝、登校してみると怒る人が突然変化しているといった具合であった。数年以上に渡って作品が更新され続けたところをみると、見ず知らずの者が綿々とつなげる投稿型掲示板のスレッドのようなものだったのだろう。

なお、この怒る人、web上で有名になったのが仇になったのか、大学当局によって数年前に撤去されてしまった。今でもweb上にわずかに数枚の写真が残っているようだが、残念ながら最高傑作「怒る人」の姿は、当時、かの大学周辺にいた人たちの記憶のなかにしかない。

キャンパスのくだらないイタズラ。こういうものがあるから、だめぞうは大学が好きなのである。
 

*クマ(グリズリー)はカリフォルニア大のマスコットなので、キャンパスの至る所にクマの銅像が置いてある。

(July-26-2001)

本日の一戦

今日は、これといったこともないのでロサンジェルスに行ったときのことを書いておく。

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明日はいよいよバークレーに戻るという日、我々−タカケンさんファミリー(タカケンさん、奥さん、ともくん(3歳))とだめぞう−は、ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーDCAに行ったのであった。

DCAの外で夕食を終え、遅い日もさすがに暮れたころのことだ。奥さんがDCAの近くに並ぶショップで土産物を見たいというので、その間、男ども3人は、DCAに再入場して、目玉アトラクションのひとつ、カゴがスライドする大観覧車Sun Wheelに乗ろうということになった。

「さあ、もう一回、観覧車のろうねぇ。」などと、肩車をされたともくんに話しかけながら歩いていく道すがら、突然、ともくんが叫んだ。

「おもちゃっー!」

黒バックに白文字のサイトならば48ポイントくらいの文字で表現するだろう。

出入り口付近の狭まった通路に並ぶ、帰りがけの客を当てにしたショップ群に、ともくんが気がついてしまったのだ。

「帰りに買おう。ね、帰りに。」
「観覧車がまってるよぉ。」
「ともくんは、『ともくん』って呼ばれるのと、『トムトム』って呼ばれるのとどっちが好き?」
「しりとりしよっか。えっとお、くま。」
「くまさんはなにが好きかなー。」

あらん限りの業を繰り出して、必至にその場をしのごうとするタカケンさん。
その手にのるか、ここで逃したら次はないと、とにかく「おもちゃっー!」の一手の、ともくん。

タカケンさんの肩をはさむ第一戦は、結局、フィニッシュ・ホールド「あっちでスムージー買おうか。」でタカケンさんが押し切った。

ちなみに、5分後には、すっかりスムージーのことすら忘れ、これから乗らんとする観覧車のシルエットに夢中のともくんであった。
 

さて、問題は、観覧車を乗り終え、「ママのところへ戻ろうね」という帰路である。肩車で歩くタカケン親子に、そろそろ出口が近づいてきた。第二戦の開幕か。それともパパは約束を守るのか。どうするタカケンさん、もう「あとで」はないぞ。

と思いきや、やおら、ともくんを肩車からおろすタカケンさん。

「ああ、パパ疲れちゃったよ。こっからは歩いて。」

そう言ったかと思うと、タカケンさんはいつになく足早に歩き出した。ともくんも必死でパパを追いかける。

すたすたすたすた。

さあ、オモチャ・ストリートは目前に迫っている。

タカケンさんはそれとなくオモチャ屋とは反対側よりのコースをとっている。さらにオモチャ・ストリートでは、オモチャ屋とななめ反対方向にすすみ、ともくんの顔をオモチャ屋に向けさせない巧みなライン取り。

タカケンさんの足はオモチャ屋の前で最高潮になった。ともくんが駆け足になりながらギリギリのところで追いかけられる微妙なスピードだ。

すたすたすたすた。緊張の数秒間。雑踏のなかの息詰まるバトル。

やがてオモチャ屋をすぎて十数メートルたったところであろうか。タカケンさんは足を止め、にこやかに「さあ、合体ロボで、ママを捜そう!」といって、ともくんを肩にのせた。ともくんは出口の先にママを見つけすっかりニコニコだ。

かくして今日の戦いはパパの完勝に終わったのであった。天晴れ、パパ!

しかし、それほど遠くない将来、この朝三暮四作戦は破られる日が来るだろう。今日の勝利におごることなく、その場しのぎのごまかし技を磨くがよい。負けるな、パパ。明日はきっと、さらに強くなった、ともくんが待っている。

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私信) 
だめぞうとしては、この日、一番ドキドキしたアトラクションでしたよ、たかけんさん。わずか3秒で80kmに達するというカリフォルニア・スクリーミングCalifornia Screamin'よりもね。
 

(July-25-2001)

本日の一普遍的事実

モンタナでは、イエロー・ストーン国定公園内外の川でフライ・フィッシングをやっていたのだけれど、このフライ・フィッシングが、お金持ちの大人の遊びだということを強く実感した1週間だった。

なんというかアメリカのフライ・フィッシングは、日本でいうとゴルフだろうか。なんやかやとお金がかかるし、川にいるのはちょっとお腹の出っ張りを気にしていそうなおじさんばかりだ。ときどき女性がおじさんについてきているあたりもゴルフに似ている。

日本のゴルフと違うところは、おじさんならば誰も彼もというわけではなくて、比較的裕福な−多分、ミドル・アッパー以上−人だけがやっているというところだろう。

皆さん、道具の揃え方が違う。釣りの技術から察するに、変に道具にこだわっているとは思えないのに、さらっと持っているのは超一流の品。

釣り場で交わす言葉も穏やかで余裕があるし、釣り方自体もガツガツしていなくてとても上品だ。そういえば、息子さんの奥様が日本人だとかで、やけに日本びいきのボブさんという方にあったのだけれど、息子さんはスタンフォード*だって言っていた。

それにしても、釣りってのはなんなのだろうか。東海岸のペンシルバニアからランド・ローバーを乗って来ちゃう人もいた。きっと、普段はお金持ちらしい穏やかな人なのに、釣りとなると3日以上かけてモンタナまできちゃうのだろう。ボブさんもオレゴン州のポートランドから12時間かけてきたらしい。

バカンスにそんなことをして奥さんは大丈夫なんだろうか。

そいやあ、ガイドに雇ったボブ**がいっていたっけ。

「実は以前、チリでフィッシング・ガイドをやらないかってオファーがあったんだ。いや、随分悩んだよ。だけどほら、そんなことしたら即離婚。そのチケットは弁護士行きさ。」

笑いながら話すボブだったけど、本当はすごくゆきたかったんだろうなあ。トラウトの楽園、パタゴニア。

幸せな家庭と自由な釣り。これが両立しないのは世界中どこでも同じらしい***。
 

*西海岸一の超名門大学。UCBが成り上がり組のトップ校だとすれば、Stanfordは裕福な人たちのトップ校。両校の間で行われるフットボールの一戦は"The Big Game"と固有名詞で呼ばれる、ベイエリア全体を巻き込んだ宿命の対決である。
**ポートランドのボブさんとはもちろん別人。
***だめぞうの知人のひとり−家族思いの優しいパパだ−が、竿を2本買って1本だけ持ち帰り、残りを友人宅に預けるという姑息なことをしていた。どこかに後ろめたい気持ちがあったのだろうか、彼はその竿の使い初めの日を河原で転んで手首を骨折してしまったのであった。それ以来、奥様の手前、どうも彼を釣りに誘うのははばかられている我々である。

(July-24-2001)

本日の一疲労

どうしようもなくだるい。
ボロ雑巾という言い古された表現はきっと今のような状態を指すに違いない。そんなぼろぼろの体をひきずりながら、荷物を片づけ、洗濯をする。

移動中は、午前9時ころから午後7時過ぎまで、1日1回の食事と2回のガソリン補給以外、ほとんどエンジンを止めることなく走り続けていた。一枚の写真も残さず、なんのために走ったか。まさしく走るために走ったとしかいいようがない。

一日の走行距離は500〜600マイル(1マイル=1.6km)。

緯度、標高、そして海岸からの距離によって変わる植生がなによりの楽しみだった。中学生のときに無理矢理覚えた気候別の色分け地図を実際に体感する。

ときどき高速道路が大都市の脇を通る。ポートランド、シアトル、バンクーバー、カルガリー、ヘレナ、ソルトレイク、サクラメント。渋滞しながら眺める都市の顔は個性的だ。

帰路にとおったソルトレイクの100マイル近く続く直線は衝撃的だった。

そういえば、カナダの国境を越えるときの管理官の質問には困ったものだ。

「入国の目的は?」
「観光です。」

「行き先は?」
「…。カルガリー。」
まさか決めていないともいえず、適当にいった都市が目的地になった。

「何日間滞在する予定?」
「1日か…、2日間です。」

管理官が怪訝な顔をする。

「ここからカルガリーは1日かかる距離*だ。2日間じゃ、どこもみられやしない。」
「そうですか、じゃあ3日間に予定をかえます。」
「とても、そんなんじゃ無理だと思うよ。」

なにはともあれ、書類は整っているので通してはくれたが、ものすごく不審げな管理官の顔であった。

だめぞうの旅はいつもこうである。徒歩であれば街区を歩く。自転車なら街を駆けめぐる。そして、車であれば国中を走り回る。

そして、ぐったりとして家に帰る。

日本中を単車で駆け回っていたあの頃とちっとも変わっていない。
 

*今回通った太平洋岸の国境の街バンクーバーからカルガリーは1000km以上。

(July-23-2001)

本日の一問題

夏は出会いと別れの季節です。

新しくやってきた人もあれば、留学を終えて帰国する人もいる。

昨日は、ジャーナリズムを学びにバークレーに1年間滞在していた、やまもとさんの引越だった。

やまもとさんはたかけんさんの近所に住んでいて、何度か中国茶の会をご一緒させてもらった(とうか、一方的に、彼女のコレクションを楽しませてもらっていた)人である。

先日、たかけんさんちに遊びにいったとき、道ばたで「調味料はいりませんか。」といわれたので、「ええ、いただけるものは何でもいただきます。」と相変わらず頂くばかりなのも気にせず、返事をしておいたので、昨日は引越を手伝うでもなく、ただ調味料をもらいにいってきたという次第である。

やまもとさんは、かなりの料理マニアで名前も使い方もわからないソースを次々に出してきては説明しながら段ボールに一杯つめこんでもたせてくれた。

だめぞうの料理は、技法や材料にはそれなりに凝るが、調味料は極基本的なものしか使わないので、ソースに関してはほとんど初心者で、RPGのキャラクターでいえば、剣や斧で力任せに怪物を殴り倒す戦士Fighterのタイプである。

やまもとさんの料理スタイルはよくしらないが、冷蔵庫や食品だな一杯の調味料をいろいろ使いこなすスタイルは、各種のマジックで敵を翻弄するメイジMageにちがいない。

なにがいいたいかというと、メイジの秘密をわけてもらっただめぞうの冷蔵庫は、今、各種の素材と調味料でもうなにも入らないということである。

(July-7-2001)



本日の一鍋

明日、日本からやってくる知人を迎えるべくビーフシチュウをつくる。

まだ、たかけんさんが奥さんを米国に迎える前、幾つか初心者でも出来る料理を紹介したのだが、そのときに出された条件は「ワン・プロセスで出来ること」であった。

「ワン・プロセス」では、「切る」とか「洗う」で終わってしまう。

冷やしトマトとか葉野菜の詰め合わせを皿に盛っただけのサラダくらいしか思いつかないのですが、というだめぞうに、たかけんさん曰く「鍋を一回つかったらワン・プロセスだ」とのこと。

さて、なぜこんな半年以上も前のことを思い出したかというと、このビーフシチュウは何プロセスかなあということを考えていたからである。

タマネギを炒めるところから、いち、にい…と指折り数えると6プロセスであった。

というわけで書くのが面倒なのでレシピは省略。知りたいひとは、メールで知らせてくれたら教えます。そんな人がいるとは思えないけど。

(July-5-2001)

本日の一安心

幸い、今年も宇宙人の侵略はなかったようだ。

バン、バン、バン、バン、と聞こえるあの音が、打ち上げ花火の音であるならば。

(July-4-2001)



本日の一カレー

だめぞうの隠し趣味に『まずいカレーを食べる』というものがある。

近年、業務用レトルト・カレーがめざましく向上したため、なかなかまずいカレーに出会うことが少なくなった。かつては、海辺の駐車場だけはやたら広い喫茶店や峠の国道沿いのドライブインなどにいけば、かなりの確率でまずいカレーが食べられたものだ。

妙に明るい黄色で、小麦粉たっぷりのとろみ、変な甘味料のえぐいほどの甘み、グルタミン酸ソーダの薄っぺらいくせに舌に突き刺さるような旨み。得体の知れない人工的な味の濃さがまずいカレーの真骨頂だ。

誤解なきように書いておくが、別に不味いものが食べたいのではない*。不味いカレーを出しそうな雰囲気の店をみつけ、おそるおそる注文したカレーが、予想たがわず『まずい』とき、得も言われぬ虚脱感というか、なぜこんなところにきしまったのかという妙な後悔さいなまれながら、味覚を殺して一気に皿を空けるのがいいのである。

ちなみに、これまで食べた中で不味い双璧は、母校の大学生協で出していた一皿170円**のカレーと湾岸幕張サービスエリアのカレーであった。

とりわけ湾岸幕張のそれは、一口食べたところあまりの不味さ故、一気にライスだけを掻き込み、ルウをそのまま残してしまい、だめぞうの中では既に伝説となっているほどである。

そして、第三の刺客は思わぬところに現れた。

SFジャパンタウンの某日本食レストランだ。SFジャパンタウンといえば、過日、不味いうなぎの記憶がまだ新しく、当然、その店ははずしたのだが、今回の店のカレーもまたまずかったのである。

まさに一昔、否、二昔前の時空を越えたレトルトカレーといえばよいだろうか。小麦粉に食塩をいれ、たくわん用の色粉をまぜて、サッカリンと味の素で調味したとおもわれる最低の味だった。

いささか油断があったことは否めない。
海を越えたこの地で突然現れたまずいカレーを前に、またしてもルウをすべて残すという屈辱的な惨敗を喫したこの日。だめぞう29歳11ヶ月。サンフランシスコ湾の寒流を渡る冷たい風が吹き抜けた。
 

* いくら一般的に不味いといわれようが、本人がその味がすきなら、それは「うまいカレー」になってしまう。

** 生協カレーは上述の安いレトルトとはまたひと味違うまずさであった。なんというか、味がない。今となっては価格もはっきり覚えていないのだが、とにかく安かったことだけは確かである。また、カレーといえば、福神漬けが取り放題だった***ので、貧乏な学生や学内を徘徊するその手の人がライスに山のように福神漬けをかけて食べていた。人間守るべきものは必要だ。

***3回生くらいのころに、福神漬けの入れ物はカウンターに移動しカレーを注文した人だけのサービスになった。世間というものの世知辛さをかみしめたものである。

(July-3-2001)

本日の一お気に入り

ここ数日はなんといってもオムレツである。

名付けて『だめオムレツ』。はいっ、今日もメモを用意してっ!

材料(1人前)
卵 3個
牛乳 大さじ2
ベーコン 3切れ
アボガド 半分
トマト 中半分
スライスチーズ 2枚
塩、胡椒 少々

1.アボガドは5mm厚のスライス、トマトは1cm角の角切り。
2.卵をとき、牛乳を混ぜた後、塩、胡椒する。
3.ベーコンをカリカリに焼き上げる。
4.ベーコンを皿にとり油を捨てたあと、卵を流し込む。
5.卵を手早くかき混ぜ、半分ほど火が通ったらベーコン、アボガド、トマト、スライスチーズを向こう側半分にのせ、手前側を折り返す。
6.トントントンと柄をたたいて、中身をフライパンの向こう側へ寄せ、くるっと反転させる。軽くあぶってチーズが溶けてきたら出来上がり。

アボガド、トマトに冷んやり感が残っているくらいがうまいのでひっくり返した後はあまり長く火にかけない。ベーコンは嫌がらせなくらいカリカリに焼くこと。この2点がおいしく作るポイントである。

実はこれはだめぞうのオリジナルではない。いわゆるひとつのカリフォルニア料理なのか、近くのレストランで、なんとなくデラックスそうな名前のオムレツを頼むとこれが出てくる。変に手が込んでいないため、味の方もハズレが少ないので困ったときの切り札である。

ちなみに『だめオムレツ』と名付けた理由は、内容物が多すぎてうまく包めず、必ず”失敗”オムレツになってしまうから。もちろん中身を減らせば格好いいオムレツになるのだけれど、思い切って具だくさんにするところがうまいわけです。気取った店では出せないような下品な見てくれの料理は自宅のキッチンだからこそ出来る味。

カリフォルニアン・テイストたっぷりのだめオムレツには、カリフォルニアの大地が育んだグリーンアスパラガスをたっぷりと。

カリフォルニアワイン(軽めの赤、もしくは軽く冷やしたドライな白*)のグラスを傾ければ、あなたもきっとカリフォルニアの青いバカ!**

*飲めないから、ワインのセレクトは想像。
**みうらじゅん
 
 
 

(July-1-2001)