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 小中学生のための超心理学入門 2


憑依(ひょうい)

 生まれ変わったと言われる子どもの中には、前に説明したように、“前世”の記憶だけではなく、前世時代に身につけた技術を生まれつき持っているように見える例がある。習ったことのない外国語を生まれつき話す、という例もその一つだ。こういう現象は“真性異言(しんせいいげん)”と呼ばれる。  真性異言には、習ったことのない外国語の歌や詩をくり返すだけのものが多いが、中には、数は大変少ないけれども、その外国語を話す人と直接会話できる例(応答型真性異言)もある。そういう例はなぜか生まれ変わったとされる子どもにはほとんどない。

 これまでのところ、はっきりした応答型真性異言は、世界中でも数例しか知られていない。催眠(さいみん)中に自らイェンセン・ヤコービーと名のりスウェーデン語を話すアメリカ女性や、同じく催眠中にグレートヒェンと名のりドイツ語を話すアメリカ女性の例などだ。つぎのインドの女性もその一例だ。

 1974年、インド中西部のマハーラーシュトラ州に住む32歳のウッタラ・フッダルという女性は、突然、二重人格のような状態に陥った。全く人柄が違う、自らシャラーダと名のる第二人格が、短いときで一日、長いときには7週間も出現するようになったのだ。フッダルはふだんマラーティー語を話しているのに、シャラーダが出てくるとマラーティ語が全く話せなくなり、フッダルが知らないはずのベンガル語を流暢(りゅうちょう)に話した。日本に住んでいる人は、外国人でもないかぎり、日本語の話せない人はいないが、インドには、公に認められた言葉だけでも各地方に10以上あり、それぞれの言葉は全く違うため、特別に勉強しないかぎり、同じインドの言葉と言っても話すことも理解することもできない。

 フッダルは、未婚で、大学で教えるかたわら家事を手伝っているが、シャラーダは、既婚のベンガル女性らしく装い、行動し、話した。そして、一日中部屋にこもり、お経を唱えたりしていた。

 シャラーダは、ただベンガル女性らしくふるまっただけではなかった。自分の一生についても詳しく話したのだ。その内容は、19世紀初めのベンガル地方の村の状態と正確に一致していた。また、産業革命やそれ以後の工業技術によって作られたものについては全く知らなかった。ベンガル地方の食物を非常に好み、インド中西部に住む女性には全く知られていないベンガルの食物を知っていた。

 シャラーダは、自分の家族だというベンガルのある一家について、苗字と男性の名前を詳しく話した。その苗字の家族は、シャラーダの言った西ベンガルの町で見つかった。この家族の家長が持っていた19世紀初めからの系図を調べたところ、そこには、シャラーダが口にした男性9名の名前が、シャラーダが語った続柄通りに書かれていた。ただ、系図には男性の名前しか書かれていなかったため、シャラーダという女性がその家族の一員として実在したかどうかについてはわからなかった。

 この系図から考えると、シャラーダは、1810年から1830年まで生きていたらしい。シャラーダの話によると、本人は、ベンガルの別の地方に住む男性のもとに嫁(とつ)ぎ、その後里帰りした際、へびにかまれて気を失ったという。そして気がついたら、その150年近く後の時代の、そこから1200キロ以上離れた場所にいたというのだ。これが本当であれば、その間シャラーダは、何をしていたのだろうか。

 この例は、生まれ変わりと違い、ひとつの肉体の中にふたつの心があるように見える。こういう現象は、憑依(ひょうい)と呼ばれる。この例では、憑依した人格が現れているときに真性異言という現象が起こっている。これも、スティーブンソン教授がインドの心理学者とともに調べたものだ。その調査によると、ウッタラ・フッダルは、マラーティー語とヒンドゥー語と英語は話せるが、ベンガル語についてはほとんど知らないことがわかった。

 このような例が本当なら、人間の肉体と心とは別のものだということになる。そう考えてはいけないのだろうか。いけないとすれば、なぜいけないのだろうか。

 もし人間の心(=魂)が、肉体の死後も生き続けるとすれば、肉体とは別に心が存在することになる。ところが、現在の科学知識では、心は脳の働きによって生じると考えられており、肉体や脳が死んで活動を止めれば、心も消えてしまうことになっている。つまり、人間の心が死後にも肉体を離れて存在することが事実だとすると、現在の科学知識のほうがまちがっていることになる。しかし、ここには、もっと重要な問題が潜んでいる。

 その前に、科学について少し話しておこう。科学とは、実験と観察というふたつの科学的方法を用いて自然界の真理を探求しようとする試みだ。その結果得られたデータが他の科学者から事実と認められれば、それは科学知識となる。科学知識は、教科書や事典や図鑑にのり、一般の人の目に触れることになる。それまでは、迷信や民間信仰と呼ばれることもあるし、仮説と呼ばれることもある。みなさんがよく知っている血液型と性格の関係を例にあげて、この点を具体的に説明しておこう。

 A型の人はこれこれの性格で、B型の人はこれこれだ、などと言われるが、このことは、教科書や事典や図鑑にのっていないことからわかるように、科学知識ではない。人間の性格を扱う心理学がこの場合の科学になる。したがって、心理学者が、たとえば、A型の人は明るい性格だという仮説を立てて、実験や観察という科学的方法を用いて研究した結果、A型に明るい性格の人が実際多いことがわかり、別の心理学者が行った研究でも同じ結果が得られ、最初の心理学者の研究がまちがっていないことが確かめられれば、この仮説は科学的事実、つまり科学知識となる。ところが、もし何人もの心理学者が別々にそういう研究をした結果、その仮説が正しくないことがわかれば、“血液型性格学”はただの迷信ということになる。ここで大切なのは、正式な研究が行われ、はっきりした結論が得られるまでは、科学知識ともいえないかわり、迷信ともいい切れないということだ。

 ここで、現在の科学知識では人間の心は死後に残るとはされていない、という問題に戻ることにしよう。

 現在の科学知識では、人間の心は死後に消えてなくなることになっている。このことについては、ほとんどの科学者が事実と考えている。ところが、人間の心が肉体の死後に消えてなくなることを証明した科学者は、いまだにひとりもいない。人間の心は死後に消えてなくなるという考え方は、科学的に証明された事実ではない、つまり科学知識ではないのだ。これは大変重要な問題だ。

 現在の科学知識は、自然界の現象は全て物理的に説明できるとする唯物論(ゆいぶつろん)という考え方を基盤にしている。唯物論に基づく科学知識はたしかに、現代の科学技術を生み出す原動力になった。コンピュータも宇宙ロケットも最先端医療も超高層ビルも、全て唯物論的な科学知識のおかげで実現したものだ。このように、相手が物質や機械であれば、今の科学知識は大変役に立つ。複雑な働きをするロボットを作ることもできるし、遠い天体に宇宙船を正確に送り込むことも、遺伝子を操作して新しい生物を作り出すこともできる。ところが、人間の心が関係する現象になるとそうはいかなくなってくる。

 人間の心が関係する分野としては、心理学や精神医学や心身医学がある。このような分野は、それぞれ科学として認められており、ほかの自然科学とは特に対立しない。(本当は心を直接に扱わなければならない分野であるのに、間接的に扱ってすませているため表面的にはあまり大きな問題が起こらないだけなのではないか、と私は考えている。この問題については、最後のほうでもう一度考えることにしよう。)ところが、肉体が死んだ後にも生き続ける心という問題になると、この対立が浮き彫りになる。前に説明したように、心は肉体から離れては存在しないという前提で唯物論的な科学知識が積み重ねられてきたので、このような対立は当然のことなのだ。

 そうなると、唯物論という考え方と、人間の心が肉体とは別個に存在するという考え方のどちらが正しいのか、という点に焦点が絞られる。生まれ変わりや憑依や真性異言とともに、テレパシーや念力といった問題を扱う分野は超心理学と呼ばれるが、超心理学者がこのようなテーマを真剣に研究しているのは、単に物珍しいからではなく、このように、現在の科学知識の根底にある唯物論が正しくないかもしれないと思っているからなのだ。

 インドのウッタル・プラデーシュ州で1954年に起こった出来事だ。ジャスビールという3歳半の男の子が天然痘で死んだ。インドでは、おとなの場合は火葬されるが、五歳未満の子どもの場合には土葬にする習慣がある。埋葬の準備をしていたが、夜も遅かったので、翌朝に延期された。ところが、2、3時間ほどしたとき、ジャスビールの“死体”がかすかに動きはじめ、結局、完全に生き返ってしまったのだ。

 口がきけるようになると、驚いたことにジャスビールの行動はひどく変わってしまっていた。そればかりか、ヴェヘディ村のシャンカルの息子だと言いだし、その村に行きたがった。さらに、自分はバラモンという最上級のカーストに属する人間なので、この家の食物は食べられない、とも言い始めた。たしかに、インドでは、カーストが違うと食物も違う。近所に住むバラモンの女性がジャスビールのために食事を作ってくれなかったら、本当に飢え死にしたかもしれないほどだったという。

 そういう状態が1年半ほど続いたが、ときどき家族がジャスビールをだまして、自宅で作った食事を出していたが、ジャスビールに見破られてしまった。しかし、そのことと家族が強制したことがきっかけになり、2年ほどしてからは、家族と一緒に同じ物を食べるようになった。

 一方、ジャスビールは、ヴェヘディ村での生活について次第に詳しく話すようになった。特に、結婚式の行列をしているとき、毒入りの菓子を食べて死んだときのもようを詳しく話した。その菓子は、本人から借金している男からもらったという。そのため、めまいを起こし、乗っていた馬車から落ち、頭を打って死んだというのだ。

 家族はジャスビールの話を村人に隠していたが、バラモンの女性に食事を作ってもらっていたこともあって、いつしかその話が周囲に知られるようになった。そして、あるバラモンの女性をジャスビールが「おば」と見分けたことがきっかけになって、ジャスビールの話は、ヴェヘディ村に住むシャンカルの、22歳で死んだ息子の生涯と死亡の状況と一致することがわかった。息子のソバ・ラムは、ジャスビールが語ったとおり、1954年5月、結婚式の行列の最中、馬車の事故で死亡していたのだ。

 ヴェヘディ村に住むシャンカルの息子のソバ・ラムは、ジャスビールの言うように、たしかに結婚式の行列をしていたとき、馬車から落ちて死んでいた。しかし、ソバ・ラムの家族は、毒殺されたのではないかとは思ったものの、はっきりした証拠は持っていなかった。

 その後、ソバ・ラムの父親や家族がジャスビールを訪ねた。ジャスビールは、全員を正確に見分け、ソバ・ラムとの関係を言い当てた。2、3週間後、ヴェヘディ村のある人がジャスビールを、ヴェヘディの駅の近くに連れてきて、ソバ・ラムが住んでいた家まで案内してほしいと行ったところ、ジャスビールは、初めて来たところにもかかわらず、家までの道が簡単にわかったという。

 ジャスビールは、ソバ・ラムが住んでいた家に何日か滞在し、家族に、その家で起こった出来事などについてかなり詳しく語った。そして、その村がすっかり気に入り、自宅に戻ることをいやがった。

 この例も、アメリカの精神科教授のスティーヴンソンが詳しく調査した結果、インチキや記憶違いなどでは説明できないことがわかっている。もしそうだとすると、この例は、ふつうの生まれ変わりとして考えることはできない。ふつうの生まれ変わりの場合は、前世の人物が死亡してしばらくたってから別の人間として生まれてくる。ところが、この場合は、“前世”の人物のほうが後で死んでいるのだ。

 ジャスビールが3歳半のとき、天然痘で“死んだ”のと、ソバ・ラムが馬車から落ちて死んだのとが同時かどうかについてははっきりしない。しかし、ジャスビールが生き返ったときには、もとのジャスビールではなくなっており、ソバ・ラムと入れ替わっていたといえる。とすれば、この例は、ウッタラ・フッダルの場合と同じ“憑依(ひょうい)”ということになるだろう。ふつうの憑依の場合は、短時間で終わり、元の人格がまたあらわれるだが、ジャスビールの例では、そのままソバ・ラムに変わってしまった。このような場合、いったい前のジャスビールはどこへ行ってしまうのだろうか。人間の人格は、いったいどのようになっているのだろうか。


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