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 小中学生のための超心理学入門 5


体脱(たいだつ)体験

 これまで話してきたのは、全て死者の霊姿(れいし)だった。日本では、昔から生霊(いきりょう)というものがあると言われている。この点についてはどうなのだろうか。

 生霊とは、まだ生きている人間の“魂(たましい)”が肉体を抜け出し、それが別の人間によって目撃されるもののことだ。“魂”が身体から抜け出すという体験は、体脱体験と言われ、よく聞くが、抜け出した魂が目撃されるなどということがあるものだろうか。

 現在、イギリスのエジンバラ大学超心理学教授をしているロバート・モリスさんは、1973、4年に、自由に体脱体験ができるという有名な能力者のブルー・ハラリーを対象にして実験を行った。体脱体験というのは、ただ身体から抜け出した感じがするというだけのことなので、本当に肉体から何ものかが抜け出したことを証明するには、抜け出したとされるものを何らかの方法でつかまえなくてはならない。もちろん、ふつうに見えるものではないので、工夫が必要となる。モリスさんたちは、その実験の中で、ハラリーに、肉体を抜け出して、別の決まった部屋に行くよう指示した。そしてその部屋に、ハラリーがかわいがっているネコを置いておいた。

 その結果、ハラリーが身体を抜け出してその部屋に“来て”いるはずの時間には、ネコはいつもおとなしくなった。他の時には、毛を逆立てたりしておびえていたのに、その時にだけおとなしくなったということは、主人であるハラリーが本当にその部屋に来ていたということなのだろうか。

 この実験でテレビ・モニターを見ていた研究者は、いつハラリーがその部屋に“来る”はずか知らされていなかったのに、ハラリーが来ている感じが強くしたことが4回あった。そして、その4回ともが正しかったという。逆に、ハラリーが“来て”いない時にそういう感じがしたことは一度もなかった。また、4回のうち1回は、ハラリーが部屋の隅に来ているのがモニターに映し出されたのだという。たしかにそれは、ハラリーが来ているはずの時間だった。ただし残念ながら、録画されていなかったため、その証言をこれ以上確認することはできない。

 前回簡単に説明したように、体脱体験とは、自分の肉体から意識が抜け出したように感じられる体験のことだ。このような体験は非常に多いので、君たちの中にも体験したことのある人がいるかもしれない。私の知っているある小学校の先生は、中学生の時、下校している自分の姿を電柱くらいの高さからいつも見ていたという。

 体験者から見ると、体脱体験には、いくつかの種類がある。(1)肉体とよく似た身体が肉体から抜け出す感じのするもの、(2)抜け出した意識がもやのようなものに包まれていたり光の玉だったりして、体を伴っていないもの、(3)意識が肉体から抜け出すが、何の形も伴わないもの、などだ。次の例では、意識だけが抜け出したように見える。

 「自分の″外側 に抜け出した感じのすることがよくありました。……たとえば、先生や目上の人から叱られたりするとそうなったわけです。……こういう時に、“私”は、自分の頭上ななめうしろにいて、自分の行動を見下ろしているのですが、相手に話しかけなければならない時になると、すぐ自分の中に“戻れる”のです。」

 体脱体験にはこのように漠(ばく)然としたものが多いが、次のように驚くべきものもある。

 「夜中に、意識がなくなっている時、病室の私のベッドの脇にいる女医のG先生……が見えました。G先生は、私の方にかがんで、聴診器を私の心臓に当てて、手首で脈を取っていました。同時に、ベッドにねている私の体の上に、私のもうひとつの体が、宙に浮いているのが見えました。おへそにつながった紐(ひも)みたいなものが……ぶら下がっていました。……自分の体が[見ている自分の他に]ふたつあるということしかわかりませんでした。」

 このような体験は、そういう感じがするだけでは、超心理学的に見る限りあまり意味はない。実際に何かが抜け出したかどうかは、それだけではわからないからだ。そのため超心理学では、前回紹介したような実験を行なって、単なる感じだけではなく、本当に肉体から何かが抜け出しているのかどうかを確認しようとしてきたのだ。

 カリフォルニア大学の有名な超心理学者チャールズ・タート教授は、自由に体脱体験が起こせるという若い女性を使って、脳波を測定しながら実験を行った。Zさんと呼ばれるこの女性を、夜、実験室で眠らせ、睡眠中に体脱体験を起こさせる。Zさんの眠っているベッドの上、160センチほどのところにある棚には、1回ごとにタートさんがでたらめに作った5桁(けた)の数字が書かれた紙が置かれる。もちろん、Zさんはその数字を見ることはできない。その数字をZさんに、体から抜け出して″見させ ようというのだ。

 Zさんは、初めの3晩は、思うような体脱体験が起こせなかった。4晩目の朝方6時過ぎに目を覚ました時、Zさんは、「25132」と、初めて5桁の数字を言った。間違いなく、紙に書かれた数字だった。完全に起きてからZさんは、この時の体験を次のように話している。

 「目を覚ましたら、部屋の中が息苦しい感じでした。5分ほど起きていました。……体から離れて、だんだん浮き上がる感じになりました。その番号が上にあるので、もっと高くあがらなきゃいけませんでした。5時50分から6時までの間に、それに成功しました。となりの部屋の番号も読みたかったんですが、この部屋から出られなかったし……エアコンのスイッチを切ることもできませんでした。」

 タートさんは、となりの部屋の棚にも別の番号を書いた紙を置いていたが、Zさんはそれを“読む”ことには成功しなかった。また、息苦しかったので温風機のスイッチを切りたかったらしいが、それを切ることもできなかった。

 Zさんは、脳波の電極をたくさん付けられていたため、それをはずさない限り、ベッドから立ち上がることはできなかった。もちろん、脳波をずっと取り続けているため、電極を自分ではずせば、すぐにわかってしまう。もし25132という数字が偶然に当ったとしたら、その確率は10の5乗分の1になる。したがって、偶然に当ったとは考えにくい。では、本当にZさんは、本当に自分の体を抜け出してその数字を見たのだろうか。

 Zさんが、5桁(けた)の数字を正確に言い当てたとしても、本当にZさんが自分の体から抜け出して、紙に書かれた数字を見たという証拠にはならない。つまり、Zさんが、透視(とうし)という、一種のESPを使って、ベッドに寝たまま、その数字を読み取ってしまった可能性があるのだ。

 つまり、遠くにあるものがわかった、という証拠だけでは、何ものかが肉体から抜け出した証拠にはならないということだ。肉体から何かが確かに抜け出したことを証明するには、抜け出したものを直接つかまえる方法を考えるしかない。

 そこで、アメリカ心霊研究協会のカーリス・オシスさんは、自由に肉体から抜け出すことができるという“体脱能力者”を使って、おもしろい実験を行った。透視が働く可能性を低くするためには、固定した物体をターゲットにすることはできない。そのため、特殊な箱を作り、その中にスライド映写機のような物を入れ、その箱ののぞき窓からのぞいた時に限って、虚像が見えるようにした。そうすると、ふつうの透視を使ったのでは、箱の中身は見えるかもしれないが、窓からのぞかない限り、そこに映し出された映像は見えない。

 さらに念を入れて、オシスさんは、そののぞき窓の前に特殊な装置を置き、そこに何ものかが来たら、その装置に変化が起こるようにしておいた。

 もちろん、能力者は、その箱が置いてあるのとは違う部屋にいるし、その箱の仕掛けについても知らされていない。そして、その箱ののぞき窓から中をのぞいてくるように言われるのだ。

 このようにして、自由に自分の体から抜け出すことができるという人たちがいるが、そういう主張が本当に正しいかどうかも、この実験である程度わかるかもしれない。昔の有名な体脱能力者としては、スウェーデンの科学者スウェーデンボルグがいる。このような人たちには、肉体から抜け出してどこまで行けるのだろうか。スウェーデンボルグは、霊界まで行ってきたというが、本当なのだろうか。

 オシスさんの実験で、遠方の部屋に置いてある箱ののぞき窓から中をのぞいてくるように言われた能力者は、実際に体から抜け出してその窓のところまで行ったのだろうか。この時の能力者アレックス・タナウスさんは、以前からオシスさんの実験に協力し、かなり説得力のあるデータが得られていた。しかし、そのデータは、透視のようなESPでも説明できるものだったので、本当にタナウスさんが肉体から抜け出すのかどうかを確かめることはできなかった。では、今度の実験で、そのことが証明できるデータが得られたのだろうか。

 結論を先に言えば、この実験で、タナウスさんが、確かに自分の肉体から抜け出して、遠方の研究室に置かれた箱のところまで来て、のぞき窓から中をのぞいたらしいことを裏付けるデータが得られたという。つまり、肉体を抜け出した“体脱”体が、そこに来ているはずの時間帯に、のぞき窓の前に置かれた検出装置に実際に変化が起こったことがわかったのだ。

 ところが、それに対して、イギリスの研究者が反論した。のぞき窓の前に置かれた装置に、体脱体が来ていたはずの時間帯に、実験に関係した誰かが念力(ねんりき)を働かせて変化を起こした可能性があるのではないか、というのだ。

 念力については、いずれふれる予定だが、ここで簡単に説明しておくと、たとえば“スプーン曲げ”や念写(ねんしゃ)のように、心の力だけで、物理的な変化が起こせる能力のことだ。つまり、この研究者は、念力なら、実際にその場所にいなくても検出装置に物理的影響を与えることができるので、なにも、体脱体がそこに来たと考えなくてもよいのではないか、というのだ。

 それに対して、オシスさんは、他の“能力者”を使った時には、窓の前に置かれた装置には何の変化も起こっていないこと、ターゲットを当てた時と当てなかった時を比べると、当てた時の方で変化が見られることから、イギリスの研究者の反論は正しくないと答えている。やはり、タナウスさんの体から何かが抜け出して来たのだろうか。


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